走るその先に、見える世界   作:ひさっち

2 / 44
2.不思議と、似ている気がした

 

 テーブルに置いている携帯電話が鳴った。

 朝のランニングを終えた後、シャワーを浴び終えた時にテーブルの上で鳴り響く携帯電話を一人の男が一瞥する。

 ドライヤーで乾かした長い髪をゴム留めで雑に一つにまとめて、彼が冷蔵庫から飲み物を取り出す。

 小さな家に、ひたすら着信の音が鳴り響く。彼が住んでいるのは、木造で作られた簡素な作りの家だった。家具なども必要最低限しかなく、生活感があまりないような印象を与える。

 飲み物を片手に、彼が携帯電話を手に取る。そして携帯画面に表示された名前を見ると思わず顔を顰めていた。

 しかし相手の名前を見て電話に出ないという選択をできなかった彼は、渋々ながら電話を出ることにした。

 

 

「はい。もしも――」

『ようやく出たか! この寝坊助めっ!』

 

 

 耳に響いた大きな声に彼が咄嗟に携帯電話を耳から離して、顔を強張らせる。しかし彼は携帯電話を眉を顰めて一瞥すると、肩を落としながら渋々と携帯電話を耳に当ていた。

 

 

「なんですか? いきなり電話なんて……ランニングしてシャワー入ってただけですよ。理事長」

 

 

 電話の相手を“理事長”と呼んで、彼が電話に出なかった理由を伝える。決して“出るのが面倒”だからや、出る出ないではなく“出ないと職を失う”から出るしかなかった訳ではない。

 

 

『なるほど! なら良い! お主の身体が鈍ってないようでなにより! ところで今週末、一人のウマ娘をお主のところに向かわせる! よろしく頼むぞ!』

「はっ……?」

 

 

 電話から聞こえた理事長の言葉に、彼が反応に困った。

 理事長の言い出したことに、彼は意味が分からないと本気で困惑していた。

 

 

「嫌です。今俺、休職中ですよ」

 

 

 だからこそ、彼は素直な気持ちで即答することにした。

 

 

『だからと言って二年も休職してる奴がおるか馬鹿者! 今までの功績があるから席は残しておるが、お主は今はもう給料はないのだぞ!』

「金ならあります。俺、金は使わない方なんで」

『口の減らぬ男は嫌われると聞いたことがあるぞッ! 付き合いの長い私の頼みを聞いてその者と会ってやろうと思わぬのか!』

「思いません」

 

 

 即答する彼に、電話越しの理事長は『ぐぬぬぬ……!』と声を震わせていた。

 

 

『えぇぇぇぃ! お主もたまには学園に顔を出さんかッ! 学園の者達は皆お主が行方不明になったと思っているのだぞ!』

 

 

 理事長から電話で聞いた彼は、そのことに特に何も思わなかった。

 別に誰かに心配されたいとも思わなかったのに加えて、忘れてくれるならそれでもいいと思っているほどだった。

 

 

「働いてるって形にして席を置かせてくれるだけで良いです。家族が心配しますからね」

『だから! たまには働けと言っておるのだッ!』

 

 

 珍しくしつこいなと彼は思った。いつもは一ヶ月に数回、生存確認の電話が来る程度だ。そして理事長からの電話に出ても軽い世間話をして切るだけ。こんなにしつこいのは、特に珍しかった。

 

 

「……なにかあったんですか?」

 

 

 そう思い、彼も珍しく訊いていた。

 いつもの気怠そうな声ではなく、少し覇気のある声に電話越しの理事長の反応も不思議と変わっていた。

 

 

『お主……メジロ家は知っておるな?』

「勿論、知らない訳がありません」

『その一人に、メジロマックイーンというウマ娘がトレセン学園に在学しているのだ』

「トレセン学園にはメジロ家の人間は他にもいますよね? メジロドーベルにメジロライアンと有名なウマ娘がいるのは知ってますが?」

 

 

 メジロ家は、とても有名な家系だと彼も理解していた。

 由緒正しいウマ娘の名家、トゥインクル・シリーズではよく見る家系である。

 

 

『なら話が早い。そのメジロマックイーンがスランプになっておる。まだメイクデビュー前なのだが、壁に当たっておる』

「よくある話です。トレセン学園にいるウマ娘なら、絶対にぶつかる関門ですよ」

 

 

 トレセン学園は、国民的スポーツであるトゥインクル・シリーズというレースに出るウマ娘を育成する為の学校である。

 沢山の選ばれたウマ娘が通う学校で、実力の違いは間違いなく出る。それこそ、足の遅いウマ娘や足の速いウマ娘などが挫折や努力を繰り返すところだ。

 彼がそう言葉を返すと、理事長は少し間を置いて答えていた。

 

 

『だからなのだ。メジロマックイーンは、メジロ家に誇りを持っておる。その壁を私も越えられると思っておるが、しかしながら彼女の心は折れそうになっておる。将来有望な彼女も、もしかすればこのまま潰れてしまうかも知れん。それはトレセン学園にとって……由々しき事態ッ!』

 

 

 急に声を大きくしたことに、彼は驚く。しかしいつものことだと理解して、そのことは昔から諦めていたのを思いました。

 

 

『何も専属でトレーナーをしてくれとは言わん。来た時、彼女の走りを見てくれれば良い。彼女に何かキッカケを与えるだけで良いのだ』

「キッカケ、ねぇ……」

 

 

 何を簡単にと、彼は思った。

 自分の壁を越えるキッカケなどが簡単に見つかれば、トレセン学園にいるウマ娘は全員がトゥインクル・シリーズに出ている。

 それができるかできないかが、それこそ才能と努力ではないかと彼は心から思っていた。

 

 

『お主の能力ならできるであろう? 特に走ることならお主の次に出てくる人間などいない。唯一無二の人間で、ただ一人の“ウマ娘の遺伝子”を持ったお主なら――』

「その話はしないと……約束した筈ですが?」

 

 

 自分が休職している理由のひとつを言われて、彼が顔を不服そうにする。自分の特殊体質を言われるのは好きではなかった。

 しかし電話越しに理事長は『分かっておる』と答えていた。

 

 

『お主が休職している理由など分かっておる。だがそれ故に、頼んでいる』

 

 

 意味深に話す理事長だったが、彼は少し苛立ちを感じていた。

 

 

『才能があろうと使い方が違えば、それは才能ではなく宝の持ち腐れである。二年間の休職の対価である。頼みたい……やり方は任せる』

「やる気はしません」

『会えば分かる。お主も少しは気が変わるかもしれぬからな』

 

 

 分かったように話す理事長に、彼は携帯電話に向かって深く溜息を吐いた。

 

 

「やるやらないでも、来るんですよね? その子?」

『うむ! 行かせる! 外出許可は既に出しているッ!』

 

 

 気が乗らない。しかしとりあえずは話を受けるしかない。そう彼は思うことにした。

 別に来ても、気が乗らなければ無視するだけで良い。後がどうなろうとその時に考えようと、彼は密かに思った。

 

 

「分かりました。好きにしてください」

『ようやく納得したか! 気が乗らないからと言って、放置などはしないようにするのだぞッ!』

「はいはい。分かりました」

『期待しているぞ……麻真(あさま)よッ!』

 

 

 そして理事長に“麻真”と呼ばれた彼は、その言葉を聞いたと同時に通話が切れたことに気づいた。

 通話が切れたことに安心して、麻真が携帯電話を机の上に戻す。

 

 

「面倒な話だ。やる気がしない」

 

 

 頭を雑に掻きながら、麻真が呆れる。

 壁にあるカレンダーを見れば、週末までは数日程度しかなかった。

 

 

「気晴らしに走るか……シャワー入ったけど」

 

 

 もやもやとした気持ちを晴らす為に、麻真は身体を動かそうと決める。

 色々とあるが、走ることは嫌いではない。むしろ好きだった。走る時だけは、無心でいられるのが良い。

 麻真は、またタオルを片手に家から出て行く。しかし出て行く前に、彼は棚にある写真に顔を向けると、一言だけぶっきら棒に言った。

 

 

「行ってくる。母さん」

 

 

 そうして、彼は外に出て行った。

 

 

 

 

 

 

 日曜日。前に来た理事長からの電話のことも忘れて、麻真は昼のランニングをしていた。

 麻真も自覚しているが、自分の体力は人よりもある。ある程度は走っても僅かの疲れしかない。

 趣味の延長で作った芝生のレース場をイメージした広場で、麻真は走っていた。

 一周で二キロメートルと広場とはいうにはかなりの大きさ。坂道や登り坂などあり、本物のレース場と似ている構造になっている。

 たまたま見つけた場所に設備を整えると、意外にも立派な練習場ができていた。意外と芝生を整えるのに金が掛かってしまったが……貯金が多かった麻真は「まぁ、良いか」と考えるのを放棄していた。

 

 

 今日も天気が良い。走るのには最適な日だった。

 

 

 風を切って走るのは、快感にも似た感覚を覚える。

 いつもは流す程度の速度しか出さないが、たまには全速を出しても良いだろう。

 

 

「全力出すと、骨が折れるからな……」

 

 

 自分の特殊な体質故に、全力で走ると骨に負担が掛かり過ぎてしまう。故に、麻真は全力で走ることをしない。

 だが少しなら良いだろう。そうならない走り方は知っている。

 麻真はそう思うと、身体を前に倒すと足を速く動かしていた。

 

 

「……ん?」

 

 

 全速で走っていると、練習場の入口に誰かが立っていた。

 随分と綺麗な子だと思った。小さくてよく見えないが、遠目に見ても整った顔立ちだと分かるほど、異様なほど綺麗に見えた。

 そして走っているうちにその子の元に着くと、麻真は顔を顰めていた。

 頭の上にある耳、腰にある尻尾。紛れもなくウマ娘だった。

 目の前にいるウマ娘が何か驚いた表情で麻真を見ていたが、彼は山奥になんでウマ娘がいるのか分からず、思わず問い質していた。

 

 

「……誰だ。アンタ、なんでこんな場所に来た?」

 

 

 そう言って、麻真が反応を待つが目の前のウマ娘から反応がない。

 しかしすぐに大きな声で目の前のウマ娘が声をあげたことで、麻真は前に理事長から来た電話のことを思い出していた。

 

 

「初めまして! 私、トレセン学園のメジロマックイーンと申しますわ! この度は理事長から貴方を頼ると良いと言われまして伺いました! 事前に学園から連絡が入っていると思います! この度は私の勝手な理由で申し訳ありませんがお願いします! どうか私を鍛えてください! よろしくお願い致します!」

 

 

 この時、麻真は理事長が話していたウマ娘がこの子だと理解した。

 だが、不覚にも麻真は思ってしまった。面倒くさいと。

 どんなウマ娘が来るかと思えば、絵にも書いたようなお嬢様が来るとは思わなかった。

 気が強そうなお嬢様は、扱いにくそうだ。そう麻真が思うと、彼は頭を下げているウマ娘――メジロマックイーンを放置して走ることにした。

 何か後ろで騒いでいる気がしたが、麻真は特に気にしなかった。

 しかしまた一周したところで、麻真は視線の先で柔軟しているメジロマックイーンを見ていた。彼女の足には蹄鉄の付いた靴を履いていて、柔軟をしている。

 

 まさかいきなり自分に挑むつもりなのだろうか?

 

 麻真がそう思いながらも、メジロマックイーンを無視して走って行く。

 そうすると後ろから、駆け出す音が聞こえた。

 

 

「ん……?」

 

 

 麻真が振り向くと、メジロマックイーンが全速で自分を追い掛けてきているのが見えた。

 そして同時に、麻真はメジロマックイーンの走り方を“見た”。

 

 

「なるほど……ね」

 

 

 かなり負担の掛かる走り方をしていた。元々の走り方を、タイムが伸びないと思って変化させ、より負荷の掛かりやすいフォームになったと判断した。タチが悪いのは、負荷が掛かりやすくなるだけで速くなる走り方ではない。

 

 麻真は一目見ただけで、メジロマックイーンの走り方のおおよそを理解した。

 

 試しにメジロマックイーンと同じフォームで走ってみるが、かなり身体に負担が掛かると麻真も実感した。

 

 

「これで走るくらいなら――」

 

 

 麻真は、少し走る足幅を大きくして、踏み込みに力を入れる。そして足幅を広くした分、足を動かすスピードを意識する。

 

 

「これなら、少し走るのが楽になる」

 

 

 身体が先程より早く走っていることを実感して、麻真が呟いた。

 これでメジロマックイーンから距離を離したと思うが、意外にも距離が全く変わっていなかった。

 麻真はすぐに分かった。自分の走り方を真似して走っていると。

 

 

「…………」

 

 

 走りながら、麻真は少し驚いていた。

 まさか走りながら自分のフォームを修正するようなウマ娘がいるのかと。少し間違えれば転んで大怪我をする。ウマ娘の走る速度なら、転んでしまえば平気で骨を折って選手生命を断つだろう。

 胆力があるのか、それこそ馬鹿なのか。それとも……天才なのか。

 どれか判断に困った麻真だったが、現に後ろで食らいつくメジロマックイーンを少し面白いと思った。

 

 

「なら、ついてこい」

 

 

 気づけば、メジロマックイーンがスタートした場所まで一直線になっていた。麻真は良いタイミングだと思い、ラストスパートを掛けた。

 身体を前に倒し、足と手の動きを速める。力は込めなくて良い、足の回転にその分の力を注げば速くなる。

 後ろにいたメジロマックイーンを離していると感じる麻真だったが、ふと足に違和感を感じた。

 

 

「ッ――⁉︎」

 

 

 必要以上に足に負荷を与えてしまった。本来なら耐えられない故に、麻真の足が限界を迎えつつあった。

 しかし珍しいウマ娘に会えた。こんな風に走ることは滅多にない。少しの無理は、たまには良いだろう。

 麻真が走るのをやめないでラストスパートを掛けると、メジロマックイーンも全力で追い掛けてきていた。

 麻真も全力で走るが、足の限界を感じていた。そしていつの間にかメジロマックイーンが横にいて、彼女は一周を走るギリギリのところで麻真を抜いていた。

 抜かれたことに驚いた麻真だったが、それと同じく別のことに驚いていた。麻真自身は、そこまで速くはない。全体的に見れば、ウマ娘より少し劣る程度の能力と麻真は判断している。

 だが最初に見た遅い走り方から、ここまで短時間に速い走り方に変化させることができたメジロマックイーンに、麻真は驚いていた。

 理事長が言っていたのも分かる。この子には、流石はメジロ家と言われるほどの才能を持っていると。

 

 

「その走り方を忘れるな。ラストスパートは良かった……もう少し身体を前に倒して足に力を込めるとまだ速くなる」

 

 

 気づけば、麻真はメジロマックイーンにそう告げていた。

 言った後に、麻真は後悔した。まさか自分が助言をするとは思ってもいなかった。

 自分自身に呆れてしまい、頭を冷やす為にシャワーを浴びて寝ようと決心して、麻真は自宅へ戻ろうと足を向かわせる。

 足が少し思うように動かない。麻真の予想通り、足に負担を掛けすぎた。

 それと同時に、後ろでメジロマックイーンが転ぶ音が聞こえた。

 ちらりと後ろを見れば、メジロマックイーンの足が思うように動いていないようだった。

 先程言ってしまったのだから、もう一つくらい言っても良いだろう。麻真はそう思って、言葉を発した。

 

 

「限界の走り方をしたんだ。当たり前に動かない。動くまでしばらくそこで休んでから帰れ、帰ってから風呂に入ってマッサージをすれば少しは良くなる」

 

 

 おそらく先程の走り方はメジロマックイーンの足が出せる全力の走り方だったと麻真は思った。

 がむしゃらに走り、自分の限界の走りをしたのだから足が動かなくなるのも無理もない。

 麻真は、メジロマックイーンに助言すると速足で家に向かって行った。

 手際良くシャワーを浴び、身体の柔軟をするとすぐにほどよい眠気が麻真を襲っていた。

 久々の疲労感だった。おそらく、明日は筋肉痛だろう。

 

 

「たまには、良いか」

 

 

 遠くでノックする音が聞こえた気がしたが、麻真は気にすることもなく襲い掛かる睡魔に身を委ねることにした。

 メジロマックイーン。彼女は不思議と、“似ている”気がした。

 麻真は、意識が途切れる寸前に――そう思った。




読了お疲れ様です。
次から本編になる予定です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。