走るその先に、見える世界 作:ひさっち
トウカイテイオーが麻真と約束したメジロマックイーンとのレースに向けて、身体のウォーミングアップを開始する。
先程まで麻真に座らされていたトウカイテイオーの温まっていない身体の状態では、すぐにレースで走っても本来の力が発揮されない。その為、麻真はレース前に身体を動かして温めるウォーミングアップを彼女に指示していた。
しかしそこでトウカイテイオーが「別にボクならそんなのしなくても大丈夫だよ」と安易に答えてしまい、麻真に思い切り怒られるという一部始終があった。
ウォーミングアップとは、簡単に言えば準備運動のことを指す。筋肉の温度を上げることで身体が柔らかくなり、運動中の肉離れなどの怪我を防止する。
また体温を上げることで血管が拡張され、酸素の供給が円滑に行われる。そして本格的な運動の前に心拍数を上げることで心臓や肺への負担を減らすという効果も期待できる。
メジロマックイーンが練習を行う前に必ず麻真が柔軟やストレッチをさせていたのは、これが大きな理由となる。それは練習で怪我をするという行為を一番の“悪”だと誰よりも思っている麻真だからこその配慮とも言えるだろう。
故に、まさか“それ”をトウカイテイオーが要らないと口走るとは思っていなかった。その為、彼女の口からそれを聞いた瞬間、麻真は思わず彼女の頭に軽い拳骨を放つほどの怒りを向けたのは当然だった。
麻真に怒られ、そしてトレーナーになってほしい彼からの指示ということもあり、彼から拳骨を受けたトウカイテイオーは涙目で渋々ながら柔軟とストレッチをした後、コースを走っていた。
その光景を横目に、メジロマックイーンも勝手にレースを取り決めた麻真に回し蹴りを放っていたが難なくと躱され――その後、彼女は麻真に今日一番の怒りを向けていた。
「麻真さん! 一体どういうおつもりですかっ⁉︎ 私とテイオーがレースすると勝手にっ⁉︎ それに私が負けたらテイオーの走りを見るなんてっ‼︎」
自分とトウカイテイオーのレースを決めた麻真に、メジロマックイーンが彼に不満をぶつける。
しかし麻真はというと、慌てるメジロマックイーンに心底不思議そうな顔を見せていた。
「お前、なんでそんなに慌ててるんだ?」
「私は慌ててるわけではありません! 麻真さんが勝手にテイオーと約束をしたことに怒ってるだけですわ!」
確かにトウカイテイオーと勝負して自分が負けてしまったら、麻真との大事な練習時間が彼女に丸一日取られてしまう。それはメジロマックイーンにとって死活問題と言えることだった。
たったの一日たりとも自分のトレーナーである麻真を彼の担当でもない他のウマ娘に取られたくない。そんな独占欲のような感情がメジロマックイーンの心に無意識の中で湧き上がっていた。
「レースに絶対はありません! 何が起こるか分からないのがレースですわ! 貴方もそのことは理解してますわよね⁉︎」
「勿論、レースに絶対はない。それはこの業界じゃ常識だ」
「ならなんであんな賭けをしたんですの⁉︎」
勿論、メジロマックイーンはトウカイテイオーに負けるつもりなど毛頭ない。
しかしことレースにおいて、絶対はあり得ない。何が起こるか分からないのがウマ娘のレースである。それは麻真の言うように、トゥインクル・シリーズの世界では常識と言えることのひとつでもある。
それをメジロマックイーンも理解しているからこそ、彼女は自分に一言もなく勝手にトウカイテイオーと約束を取り付けた麻真に心底怒っていた。
「それは別に良いだろ? お前も俺以外とたまに走ってみると良い。それに“レースに絶対はない”が“絶対と言われる”までのことはできる」
意味が分からない。メジロマックイーンは素直にそう思った。
レースに絶対はないのに、絶対と言われる。その矛盾に、メジロマックイーンは麻真の言葉に怪訝な顔を作っていた。
「……言いたいことが分かりませんわ」
「何言ってんだ? あそこに良い例が居るじゃないか?」
そう言って、麻真が指を差した方向にメジロマックイーンが顔を向ける。
メジロマックイーンの向けた視線の先には、練習場の端で東条ハナが率いるチームメンバーと一緒にこちらを見ていたシンボリルドルフがいた。
無敗の三冠ウマ娘。レースに絶対はない、しかし――彼女には絶対がある。世間にそう言わしめたウマ娘――トレセン学園の最強と謳われる“皇帝”シンボリルドルフ。
そう、レースに起こらないはずの“絶対”が起こる。それを体現したウマ娘は、確かにいた。
レースに絶対はない。しかし絶対と言われることは、確かに存在していた。
それを察したメジロマックイーンが目を大きくする。そして彼女が麻真に向くと、静かな声色で訊いていた。
「私が、必ず勝てるとでも仰ってますの……?」
麻真が言った言葉の意味。レースに絶対はないが、絶対と言われることはできる。それはつまり、メジロマックイーンは負けないと暗に言っていることになる。
メジロマックイーンも、トウカイテイオーに負けるとは思っていない。しかし何が起こるか分からないレースでは絶対に負けないということは、ありえない。
しかしメジロマックイーンのその問いに、麻真は肩を竦めるだけだった。
「さぁ? それはお前次第ってところか?」
気の抜ける麻真の返事に、メジロマックイーンが眉を寄せる。一体、彼は何を考えているだろうかと思わずにはいられなった。
「私が仮にテイオーに負ければ、貴方にとって絶対に面倒なことが増えますわよ? それを理解されているのですか?」
トウカイテイオーの走りを見ることを麻真は嫌がっていた。もしメジロマックイーンが彼女とのレースに負ければ、彼は約束通り彼女の練習に一日付き合わされることになる。
麻真は一日だけと言っているが、トウカイテイオーのことを知るメジロマックイーンは察していた。もし一日でも麻真がトウカイテイオーの走りを見てしまえば、彼女は更に麻真に付き纏うことになると。
メジロマックイーン自身でさえ、麻真の走りを少し見て真似しただけで彼の走りに魅入られたのだ。それこそ、彼を意地でも自分のトレーナーにしたいと思ったほどに。
なら丸一日も走りを見てもらってしまえば最後、トウカイテイオーは今よりも麻真を自分のトレーナーにしたいと思うに決まっている。
強くなることを誰よりも望んで、三冠ウマ娘を目指すトウカイテイオーなら一日でも麻真と練習してしまえば嫌でも気付く。麻真が誰よりも自分を強くしてくれるトレーナーであることを。
そして尊敬するシンボリルドルフを育てた有能なトレーナーである北野麻真を、トウカイテイオーは絶対に自分のトレーナーにしたいと思わないわけがない。
よって、メジロマックイーンには容易に想像できた。トウカイテイオーがそれ以降、懲りもせず嫌がる麻真に付き纏う光景が目に浮かぶ。麻真も、おそらくはそのことを当然理解しているはずだろう。
つまり、それは麻真にとっては不都合になることでしかない。
そんな大事な賭けをしたはずが、どうして麻真はこんなにも気楽そうなのかとメジロマックイーンは疑問に思ってしまう。
どうでも良いと思っているのか、もしくは自分が必ず勝つと確信しているのか……メジロマックイーンは判断に困っていた。
「負けることばかりを気にするってことは、お前……あのガキンチョに負けると思ってるのか?」
「……そんなことはあり得ませんわ。私は最強のウマ娘を目指すメジロ家のウマ娘。メジロ家の名に恥じぬウマ娘になる以上、私がテイオーに負けるなんて思ってませんわ」
だが、どちらにせよ。自分はトウカイテイオーとのレースに勝つしかない。メジロマックイーンも彼女が麻真に付き纏う分には文句を言わないが、麻真が担当を増やすのは本意ではないのだ。
自分が負けるとは思っていない。いや、負けてはならない。それはメジロマックイーンの矜持と言える。
トウカイテイオーは新入生の中で強いと言われているが、自分のレースの相手だからと言って不安など思ってもいない。負ければ麻真が一日取られるなども、自分の勝ち負けとは別の話である。
レースで負けたくない。それはウマ娘の勝ちへの渇望と言える。故にメジロマックイーンにとって、レースで負けることはあってはならないことなのだから。
「そこまで言うなら、あのガキンチョに勝って来い。だからお前もその為に冷えた身体のアップで軽く走っておけ。言っとくがアップで全力で走るのはダメだからな。軽くなった足の調子を確かめる程度で、コースを軽く二周くらいして来い」
麻真にそう言われて、メジロマックイーンは渋々ながら頷いていた。
「……わかりましたわ。行って参りますわ」
「行って来い。あぁ……待て、言い忘れたことがある」
走り出そうとしていたメジロマックイーンを、麻真が呼び止める。
呼ばれたメジロマックイーンが怪訝な顔をして麻真に振り向くと、彼は少し考えた素振りを見せてから口を開いていた。
「お前とガキンチョの違いはなんだろうな? それがこのレースの結果になるぞ?」
「……はい?」
メジロマックイーンが理解するよりも先に、麻真が手を追い払うように振って彼女を急かす。
麻真の話した言葉の意味を分かりかねて、メジロマックイーンは小首を傾げていた。
「……どういう意味ですか?」
「気にするな。ほら、さっさと行ってこい」
しかし麻真はメジロマックイーンの質問に答えず、彼女を急かすように促していた。
メジロマックイーンが眉を寄せる。問い質したい気持ちになったが、彼女も少しの付き合いで分かるようになっていた。
こういう時、麻真は絶対に答えを言わない。それは過去に何度も似たような経験をしたことのあるメジロマックイーンだから分かることだった。
しつこく訊いても、それは無駄なことだとメジロマックイーンが判断する。そして麻真がそれ以上のことを話さないことを察して、メジロマックイーンは少し考え込むように眉を寄せながら渋々と走り出していた。
◆
「随分と面白そうなことをしてるな、北野」
メジロマックイーンが走り出したのを見送った後、走る二人を見守っていた麻真に一人の女性が声を掛けた。
麻真は声を聞いた瞬間、その人物が誰か分かると振り向くこともなく苦笑いしていた。
「俺のところに来て大丈夫なのかよ? 自分のチームの練習はどうしたんだ?」
「もうひと段落してる。それにお前が面白そうなことをしてるから、折角なら高みの見物でもと思ってな」
「なにしようとしてるのか分かるのか? 東条さん?」
「レースだろう? メジロマックイーンとトウカイテイオーの二人で?」
ハナの答えに、麻真が意外そうな顔を作る。そして彼がハナに振り向くと、彼女は意地の悪そうな笑みを浮かべていた。
「ここ最近で噂になっていたぞ。あのトウカイテイオーがお前にご執心だとな。お前のことだ。どうせ鬱陶しがってメジロマックイーンとレースでもさせて、勝てたら走りを見るとでも言ったんだろ?」
まるで先程の話を聞いていたように言い当てられて、麻真が思わず顔を引き攣らせた。
「ご名答。よく分かったな?」
「二人が練習ではなくウォーミングアップしてるのを見れば分かる。お前がそんなことをこんな時間に練習でさせるわけがない」
ハナが腕時計を指差しながら、肩を竦める。確かに夕方近いこの時間は、練習を終える生徒がほとんどだった。そんな時間に練習前に行うはずのウォーミングアップを行う生徒はまずいない。
「俺だって無駄なことをするかもしれないぞ?」
「言ってろ。お前が担当のウマ娘に無駄な練習をさせるわけないだろう」
褒められているのか貶されているのか、どっちとも聞こえる言葉に麻真が笑ってしまう。
そんな気楽そうな麻真の表情を見て、ハナは怪訝な顔を見せていた。
「言っておくが、トウカイテイオーは強いぞ?」
そう言って、ハナが手に持っていたタブレット端末を操作する。
そして操作したタブレット端末をハナが麻真に渡すと、彼女はコースを走っているトウカイテイオーに視線を向けていた。
「お前は学園に戻ってきたばかりで知らないかもしれないが、トウカイテイオーは今年の新入生の中でトップクラスの能力を持っている。こぞって色んなトレーナーがアイツを担当にしようと躍起になってるくらいだ」
ハナの話を聞きながら、麻真が渡されたタブレット端末に視線を向ける。
確かにハナがまとめたデータを見れば、トウカイテイオーは新入生の中ではズバ抜けて能力が高いことは分かった。
入学後に行われた新入生レースでも、トウカイテイオーは驚くほど速い記録を残している。
「トウカイテイオーが強いと言われる主な理由は、アイツの身体の異様なまでの柔軟性だろう。走る時に生まれ持った膝と足首の柔らかさが強い推進力を叩き出している。他のウマ娘にはない、アイツだけの能力だろう」
「足の柔らかさ、ねぇ……」
ハナの説明に、麻真が興味なさげに相槌を打つ。
初めて見たトウカイテイオーのデータを麻真が一通りを流し読んで見る。しかしこれと言って、彼女のデータを見ても彼の興味を惹く内容は特別なかった。
「色んなトレーナーがアイツをスカウトしても気分屋なのか誰のスカウトも受けてないみたいだ。この時期にトレーナーを決めてないからと言って、決してトウカイテイオーは弱い訳ではない。お前のメジロマックイーンも、負かされるかもしれないぞ?」
「負けるわけねぇよ。あんな“ふざけた”走り方してるガキンチョじゃ……マックイーンには届かない」
ハナがそう語るが、麻真はその言葉を鼻で笑っていた。
麻真の返事を聞いて、ハナが反射的に眉を寄せる。彼が口にした内容に、気になる言葉があった。
「トウカイテイオーの走り方が……“ふざけた”走り方だと?」
コースを走るトウカイテイオーを見るが、ハナにはそのようには見えなかった。
トウカイテイオーが強いと言われる所以は、先程彼女が説明したように他のウマ娘が持っていない彼女だけが持つ足の異様なまでの柔軟性から生まれる推進力が要因だ。
柔らかい膝と足首から生み出された強いバネから作られる推進力は、誰よりも速い加速を生み出す。それはトウカイテイオーだけが持つ特別な力と言える。
生まれ持った特別な足を使い、ステップを踏むような独特な走り方をするトウカイテイオーを初めて見たトレーナー達が異様な目を向けていたのをハナも覚えていた。自分も同じように違和感を覚えていたことが記憶が新しい。
しかし走る姿を見れば、それはトウカイテイオーが特別なのだということを理解させられた。ジュニア級とは到底思えない誰も追いつけないような速さを作り出した足腰は、必然的に彼女をトレーナーの間で有名にしていた。
だからこそ、ハナは思っていた。そのトウカイテイオーだけの走り方を、麻真は“ふざけた”走り方と言い出したのだから。
「あのガキンチョの走り、アップの時に初めてちゃんと見たが……アレは駄目だ。アイツ、あのままだと潰れるぞ」
トウカイテイオーがコースを走る姿を見ながら、麻真が興味なさげに話す。
しかしハナは麻真の顔を見ると、分かってしまった。トレセン学園で長い付き合いだったからだろう。声は興味のない淡白な声だったが、彼の顔は違っていた。
まるで心配そうな目をしていた。いや、どちらかと言えば哀れみの目とも言えた。
麻真の話に、ハナがトウカイテイオーの走りを見て考える。そして思いついたことを彼に告げていた。
「あの走りだと……足が持たない、か?」
「……持たないなんてもんじゃない」
ハナの言葉に、麻真は冷たい声で答えた。
麻真が目を細める。その目は、まるで怒っているような鋭い目つきだった。
「あの走りは、見る限り確かに速い走り方だろうさ。異様なまでに柔軟性のある足をあんな風に全力で使えば、嫌でも速くなる」
そう言って、麻真がトウカイテイオーの走りを見ながら言葉を止める。
そして少し間を空けて、麻真は淡々とハナに告げていた。
「だが……あの走りは、身を滅ぼす走り方だ。きっと近い将来、アイツのふくらはぎの骨は間違いなく折れる」
「――気になる話をしているな、麻真さん? その話、私にも聞かせてくれないだろうか?」
麻真がそう話した時、彼の後ろからふと声が掛けられた。
ゆっくりと歩き、その声の主が麻真の隣に立つ。そしてその主も、コースを走るトウカイテイオーを見つめていた。
「……ルドルフ、お前まで来るのかよ。あっちで他の奴らと練習でもして来いっての」
「貴方に邪険にされるとは心外だな。練習はひと段落してるから安心してほしいところだ。それにメジロマックイーンとトウカイテイオーが練習ではない走り方をしていたのが見えたから、私も気になっていたんだ」
シンボリルドルフの返事に、麻真が頭を抱える。
まさかハナに加えて、シンボリルドルフまでトウカイテイオーとメジロマックイーンのレースを見に来るとは思ってもいなかった。
「ハナさんもお前も野次馬根性が強いとは思わなかった」
「それは麻真さんがそこにいるからだ。私は貴方がいるのなら、興味のひとつも湧くからな」
シンボリルドルフが小さく笑みを浮かべる。しかし彼女はすぐに表情を真剣な顔に変えると、走るトウカイテイオーを見つめながら麻真に静かな声色で訊いていた。
「それで麻真さん、テイオーの走りが身を滅ぼすとはどういう意味だ?」
麻真が面倒そうに顔を顰める。そして思わず、彼は溜息を吐いていた。
「なんだ? 知り合いなのか、あのガキンチョと?」
「あそこで走るテイオーは生徒会室によく来るからな。私をとても慕ってくれている生徒だ。簡単に言ってしまえば、テイオーは私の可愛い後輩と答えておくとしよう」
「お前の口から可愛い後輩って言葉を聞く日が来るとは思わなかった……まだ小さかったお前が、ねぇ……」
「私だって成長してるんだ。勝手に二年も居なくなって貴方が私の成長を見てくれないのが悪い」
シンボリルドルフの言葉に、麻真が苦虫を噛み潰したように顔を作っていた。
二年も自分が休職していたことをシンボリルドルフが遠回しに責めているような気がする。
しかし理由はともあれ自分が休職していたことは事実である以上、麻真も返す言葉がなかった。
「……あのガキンチョの走り方は足の負担が半端じゃないはずだ。あんな走り方を続けていれば、いつか耐え切れなくなって骨が折れる」
咄嗟に、麻真が逸れた話を元に戻す。だがシンボリルドルフはそれを彼は“逃げた”と察する。
麻真に半目でもの言いたげな視線をシンボリルドルフが向ける。そして彼女は呆れたと小さな溜息を吐いていた。
また今度、問い詰めるとしよう。シンボリルドルフがそう心に決めると、麻真の話に意識を向けた。
「確かにテイオーの走り方は独特だ。だがそれほど拙い走り方には私には見えないが……麻真さんには違って見えるのか?」
シンボリルドルフから見ても、トウカイテイオーの走り方は独特だった。彼女も初めてトウカイテイオーの走り方を見た時は、足が故障していると錯覚するような動きと思うくらいだった。
しかしシンボリルドルフもハナと同じく、実際の走りを見て見方が変わった一人だった。
「独特過ぎて分かりにくいんだろうな。軽々と走ってるが踏み込みの時、足にかなり力を込めてるのが分かる。あの走り方を見ると加速する時、尋常じゃないくらいの力を足に込めてるのが更に致命的だ」
楽しそうに加速して走るトウカイテイオーを見て、麻真が表情を曇らせる。
ウォーミングアップと伝えていたはずなのに普通に全力で走り出しているトウカイテイオーを見て、麻真は呆れた表情を作っていた。
「アレは身体の負担を度外視した走り方だ。俺も真似できると思うが、まずやらないだろう。やるとしてもラストスパートの時だけだ」
「おい待て、お前……トウカイテイオーと同じ走り方ができるのか?」
事前に麻真の口から出た内容に、ハナが目を見開いていた。
シンボリルドルフも驚いていたが、麻真の身体のことを思い出すと納得したように頷いていた。
麻真の足は確かに柔らかい。生まれ持ったものか日頃の柔軟のおかげなのかシンボリルドルフには分からないが、明らかに普通のウマ娘よりも身体の可動域が広いことは知っていた。
「確かに麻真さんも足がすごく柔らかいのは知っていたが……それは驚いた」
「良いから、話を逸らすな」
驚くハナとシンボリルドルフに、麻真がそう言って二人を黙らせる。
二人が自分がトウカイテイオーと同じ走り方ができることを追求したくなるのを諦めたことを察して、麻真は話を続けていた。
「きっとアイツは、間違いなく上に行けるだろう。あのガキンチョが欲しがってる三冠にも手が届くかもしれない。だが……その途中で、アイツは自分の身体に夢を壊される。文字通り、挫折を味わうことになるだろうさ」
「だがお前がテイオーを育てれば、それは直せる範疇なんだろう?」
麻真の話に、ハナがそれか当たり前のように話す。
ハナにそう言われて、麻真が目を伏せる。そして僅かに間を空けると、彼は淡々と答えていた。
「それは俺の役目じゃない。そもそも俺は……アイツのトレーナーじゃない」
その答えを聞いて、ハナは意外そうな顔を作っていた。
「お前、本当にメジロマックイーンしか見るつもりはないのか?」
「ない。俺はマックイーンしか育てるつもりはない」
麻真がトレーナーとしてトレセン学園に戻った理由は、トレーナーという仕事を辞める為でしかない。
メジロマックイーンで天皇賞制覇、クラシック三冠を達成する。または天皇賞制覇を二年連続。そして今後行われるURAファイナルズというレースで勝つこと。それが麻真のトレーナーを辞める課題なのだから。
トレセン学園の理事長である秋川やよいに課せられた“それ”をする為に、麻真はトレーナーとしてトレセン学園に戻っただけなのだ。ただでさえ無理難題な課題をメジロマックイーンで行っているのに、誰が好き好んで担当を増やすという暴挙に出るというのか?
それを知る由もないハナとシンボリルドルフには、到底分からない話だろう。麻真はそれを二人に伝える気もなかった。
言えば間違いなく辞めることを止められる。それを理解していたからこそ、麻真は二人にそのことを伝えるつもりはなかった。
「なら……どうしたらテイオーの走りが直るか聞いても良いだろうか?」
シンボリルドルフも、長い付き合いで分かっていた。麻真がこういう反応をする時は、頑として頷かないことを。
頷かせることは不可能ではない。しかしそれをすぐにさせることは困難だと察して、シンボリルドルフは後輩であるトウカイテイオーの不安要素をなくせる方法を訊いていた。
麻真もシンボリルドルフの心中を全てではないが、察していた。自分を頷かせる点までは察してはいなかったが、後輩であるトウカイテイオーを案じて訊いているのだと判断していた。
麻真が顎に指を添えて考え込む。そして彼が唸ると、ポツリと呟くように答えた。
「思いつくのは幾つかある。だが、それをやるとアイツの個性を消すことになる」
「それをすると、どうなるんだ?」
ハナの質問に、シンボリルドルフが耳を傾ける。
麻真は言いづらそうに眉を寄せる。しかし彼は、渋々と言いたげに質問に答えていた。
「間違いなく、アイツの能力は一度並以下に落ちる」
麻真の言葉に、シンボリルドルフが目を見開く。
それは今ある強さを捨てることと同義だった。
読了、お疲れ様です。
毎度ながら難産でした。さらっと書けなくて申し訳ないです。
トウカイテイオーとメジロマックイーンのレース前の話。
そしてトウカイテイオーの足の話でした。
色々と解釈違いなどあるかもしれませんがご容赦を。
麻真が言ったように、現状のメジロマックイーンとトウカイテイオーの違い。これがレースの結果になりますね。
このレースでトウカイテイオーもまた違った道に進むかもしれません。
メジロマックイーンはもう麻真の所為(おかげ)で本来とは違った道を進んでますからね。
メジロマックイーンを気長に見守ってください。