走るその先に、見える世界 作:ひさっち
「そろそろ準備も良いだろう。二人とも、俺のところに集まれ」
メジロマックイーンとトウカイテイオーが走る準備を終えたのを察して、麻真が二人にそう声を掛ける。
ウォーミングアップ後のストレッチをしていたメジロマックイーンは、麻真に呼ばれるとすぐに彼の元へ小走りで駆け寄った。
それと同じくトウカイテイオーもシンボリルドルフとの話し合いを終えると、慌てた様子で麻真の元に駆け寄っていた。
「二人とも、もう準備は大丈夫だろうな?」
二人が揃ったのを見て、準備完了の最終確認を麻真が行う。
麻真の言葉に、二人は揃って頷いていた。
「えぇ、勿論ですわ」
「勿論! ボクも準備万端だよ!」
二人の返事を聞いて、麻真が満足そうに小さく頷く。そして彼は自分の前に向けて雑に指を差すと、二人に続けて指示を告げた。
「なら早速始める。二人とも俺の立ってる前をスタート地点と思って横一列に並べ……あぁ、言い忘れたが並び順は二人で好きに決めて良いぞ」
麻真にそう言われた途端、メジロマックイーンとトウカイテイオーの二人が互いに顔を見合わせる。走る並び順を好きに決めろと言われ、互いに少し困ったような表情を見せていた。
しかしそんな中で、唐突にトウカイテイオーが笑みを浮かべると、メジロマックイーンに向けて彼女は自信満々な表情を浮かべた。
「それならボクはどっちでも良いよ! どっちになってもボクがマックイーンに勝てることは変わらないからね!」
平然と話したトウカイテイオーのその言葉を聞いた瞬間、メジロマックイーンが僅かに目を吊り上げた。
しかしメジロマックイーンは何かを察して高ぶった気持ちを落ち着かせるように一度目を閉じると、小さく深呼吸していた。
メジロマックイーンが高ぶった気持ちを落ち着かせて、そっと目を開ける。そうして目を開けた彼女の表情は先程までの苛立った表情とは変わり自信に満ち溢れた表情を作っていた。
そんな顔を見せながら、メジロマックイーンはトウカイテイオーに朗らかな微笑みを向けていた。
「私もどちらでも構いませんわ。テイオーにどちらを渡しても、勝負に勝つのはこの私ですので」
メジロマックイーンの態度に、今度はトウカイテイオーがムッと眉を吊り上げる。
トウカイテイオーが心底不満そうな表情を作る。だがしかしまた何かを思いついたのか、すぐに彼女はメジロマックイーンに屈託のない笑顔を向けていた。
「マックイーン、どうしたの? そんなに強がっちゃって、別に遠慮しないで好きな方選びなよ? ボク、マックイーンが負けた時に言い訳されると面倒だから決めてもらわないと困るよ?」
「同じ言葉をお返しますわ。私もテイオーが負けた時に言い訳されると困りますから、貴女の方こそお好きな方を選んでくださいな?」
互いがそう言葉を伝え合うと、揃って二人が目を吊り上げて顔を見合わせる。
二人が睨み合うように顔を近づけると、今度は互いに互いをバカにしたように失笑し合っていた。
「良いから、早く好きな方選んでよ。麻真さん、待たせてるよ?」
「ですから私はどちらでも構いませんわ。貴女がお好きな方を選んでくださいませ。貴女が早く決めないと麻真さんを待たせてしまいますわ」
いつまでも決めようとしないメジロマックイーンに、トウカイテイオーが頬を膨らませる。
そして遂に我慢の限界が訪れたのだろう。トウカイテイオーは、メジロマックイーンに向けて指を指すと大きな声で叫んでいた。
「先に決めるのはマックイーン!」
「いえ、決めるのはテイオーですわ!」
トウカイテイオーの勢いに触発されて、メジロマックイーンも同じように叫ぶ。
しかしトウカイテイオーも負けじとメジロマックイーンを睨みながら反論した。
「マックイーンが先に決めるの!」
「テイオーが先に決めなさい!」
「マックイーンが先!」
「テイオーが先にですわ!」
「マックイーン!」
「テイオー!」
「お前等いい加減にしろよ⁉︎ 二人だけしかいないなら内枠も外枠も大して変わらねぇからな⁉︎」
そして二人のやり取りを黙って見守っていた麻真も、二人の口論に我慢できずに思わず叫んでいた。
まさか内枠と外枠を決めるだけで二人が口論を始めるとは思わず、流石の麻真も二人の仲裁に入っていた。
確かにウマ娘のレースにおいて、スタート地点から横並びに並んで走るレースでは内枠と外枠に不利と有利が存在する。
芝のコースでは、内枠と外枠では走る距離に差が生まれることから内枠が有利とされる。またダートでは芝と同様に内枠が有利なのだが、ダートのコースの構成上で走る際に砂が空中を舞うことから砂がかぶりにくい外枠の方が有利とされている。
しかしそれが適用されるのは、大人数のレースの場合だけである。二人しかいない少人数のレースで芝のコースなら、それは考えられるスタート地点の不利有利の話は適応外としかない。
そのことをトレセン学園に入学して座学を学んでいる二人なら、間違いなく理解しているはずだろう。まさかそのことで口論を起こすとは麻真も予想すらしていなかった。
この時点で、心底頭を抱えたくなった麻真だった。しかしメジロマックイーンにとっては、それはある意味では“良いこと”だとも内心で思っていた。
麻真から見て、二人が無駄に張り合うところを見る限り、二人が互いをかなり意識していることが伺える。
同期であり、“それ”をできる相手がいるのが何よりも恵まれていることを知っている麻真からすれば、メジロマックイーンには良い経験になると察する。本来なら面倒、もとい二人の気が済むまで放っておくことを麻真は選ぶだろう。
しかしこのまま放っておけば、いつまでも二人が言い合いをする所為でレースができないと麻真は察して、彼は思わず仲裁に入らざるを得なかった。
麻真の仲裁に、二人が今まで互いに向けていた鋭い視線を揃って彼に向ける。そして二人は声を揃えて麻真を非難していた。
「麻真さんが好きにしろと仰ったからですわ!」
「麻真さんが好きにしろって言ったからじゃん!」
「はいはい。俺が悪かった。お前達がそこまで揃ってバカだとは思わなかった俺が悪いから早く決めてくれ……」
呆れながら麻真が何気なく返した言葉を聞いて、二人が揃って顔を怒りの感情で歪めていた。
「私達に向かってバカとはなんですかっ! 元はと言えば貴方が好きにしろと言い出したからですわ!」
「そうだそうだ! 麻真さんがボク達に決めさせた方が悪いじゃん!」
「あぁぁぁ‼︎ うるせぇ! もう良い! 俺が決める! マックイーンが内側でガキンチョが外側! これで良いかっ‼︎」
理不尽な怒りと不満を麻真に爆発させる二人に、彼が頭を抱えながら二人のスタート位置を決める。
麻真にスタート地点を決められた二人は、揃って小さく溜息を吐くと彼に指示されたスタート地点に渋々ながら移動していた。
「最初からそうすれば良いんですわ! まったく……!」
「これなら初めから麻真さんが決めれば良かったじゃん……!」
「頭痛くなってきた……」
そして二人がスタート地点に着くのを見守りながら、麻真は次第にどことなく感じる頭の痛みに堪らず苦悩していた。
しかしそんな麻真を他所に二人がスタート地点に揃って並ぶ。しかしまだ二人は揃って彼に対して不満そうな顔を見せていた。
麻真も二人が不満そうなのを察する。しかし彼もいちいち構うのも面倒と思い、むくれる二人を無視して話を進めていた。
「並んだなら始めるぞ?」
「ご自由に」
「いつでも」
淡白で簡素な返答をする二人に、麻真が思わず顔を引き攣らせる。しかしそれに反応してはいけないと思い、その点は考えないようにして麻真はレースを始めることを選んだ。
「最終確認だ。レースは二千四百メートルの中距離の芝コースを左回りで一周。スタートからすぐにコーナーに入って最後は長い直線、俺が立ってる場所がゴールだ。これで問題ないな?」
「ありません」
「ないよ」
「それなら良い。二人とも、構えろ」
二人の承諾を聞いて、麻真が告げる。
不満そうな顔を見せていた二人も麻真からレースを開始することを伝えられると、それまでの不満な表情から揃って表情を真剣な顔へと変えていた。
「……よし!」
小さく深呼吸をしたトウカイテイオーが走り出す構えを作り、前を見据える。
「すぅ……はぁ……」
メジロマックイーンも、小さく深呼吸をする。しかしその際に彼女が見せた動作に、麻真は少しだけ目を見開いた。
両手を顔の前で合わせながら、僅かに頭を下げてまるで祈るように小さく深呼吸する。それは麻真が初めて見たメジロマックイーンの仕草だった。
「お前、それ……」
その仕草に、ポツリと麻真が無意識に小さな声で呟く。
しかし麻真の呟きは、既に集中していたメジロマックイーンには届いてはいなかった。
麻真も思わず口走ってしまったことに思わず顔を強張らせる。だが、運良くメジロマックイーンに聞こえていなかったことに内心で安堵していた。
メジロマックイーンの見せた仕草に、麻真は怪訝な顔を作る。彼としては彼女が唐突に見せた仕草に“気になるところ”があった。だが、それをレースを中断してまで訊くことは憚られた故に、彼は渋々ながら二人の勝負を優先することにした。
「では、二人とも……用意」
麻真の声と共に、二人が前を見据える。身体を僅かに前に倒し、力強く前を見つめて足に力を込めていく。
そして二人が構えた瞬間――麻真は即座に告げた。
「――始めっ!」
麻真の声と同時に、二人がその場から勢い良く跳び出した。
◆
ほぼ同時――いや、僅かにメジロマックイーンがトウカイテイオーよりも早くスタートを切る。
スタートの反応としては、両者共に可もなく不可もない。平均的な反応速度だった。
(軽っ――!)
メジロマックイーンがスタートを切った瞬間、自分の身体の感覚に思わず驚く。全力で走った際の予想以上の足の軽さに、踏み込みの力を強くし過ぎて転びそうになるのを動揺しながらも堪える。
どうにか転ぶのを堪えたところで、メジロマックイーンは自分がトウカイテイオーよりも早くスタートしていることを理解すると動揺しながらも身体を動かしていた。
(先頭を取れるならッ!)
先頭を獲得したメジロマックイーンが僅かな加速をして、トウカイテイオーの前に出る。
そしてスタートからすぐに二人が第一コーナーへ入ると、メジロマックイーンはトウカイテイオーから一バ身の距離を作って前を走っていた。
しかし背後に気配。トウカイテイオーが後ろにいることを察しながら、メジロマックイーンは振り向くことなく走りに意識を向ける。
コーナーの曲がり方。足で曲がるのではなく、身体全体で曲がることを意識。
麻真から何度も指摘されたことだ。メジロマックイーンは、そのことを思い出しながらコーナーを走る。
(やはり……走りやすいですわッ!)
そして走りながら、メジロマックイーンはようやく自分の走りの変化を感じていた。
この一週間、両足にあった六十キロの重りから解放され、本来の足になった変化をメジロマックイーンは実感した。
自分の足が軽い。これなら振り上げる足に余計な力を入れなくても良い。
今まで足を振り上げることに使っていた力を、地面を蹴る為に使う。力強く振り下ろした足が地面を踏み締める。
地面を捉えた足から、足首と足の先を使って地面を掴むように踏む。そして蹴り出す瞬間、地面を抉るように足首を力強く動かし、その力に加えてふくらはぎと太腿の力で蹴り出した力が、メジロマックイーンの加速力を増幅させる。
トンッと、身体が前に進む。姿勢は前に、蹴る足は伸ばしきる。腕はしっかりと振り、合わせるように足も動かす。
崩れることのないリズミカルな心地良い足音が、メジロマックイーンの耳に届く。紛れもなく、これは自分の足音だった。
(あぁ……これですわ……この感覚)
今までに感じたことのない速度感を実感しながら、メジロマックイーンの口角が僅かに上がる。
麻真の指導の結果、新しくなった自分のフォーム。身体から感じる風を切る感覚が、今までよりも速く走れていることを実感させられる。
間違いない。今までの自分の走り方は、間違っていた。メジロマックイーンの身体に感じる感覚がそれを本人に訴える。
身体の使い方が前よりも分かる。自分の身体をどうすれば一番力が使えるか、速く走る為の力の使い方を理解できている。
速く走れていると実感しているこの感覚をメジロマックイーンは、忘れていた。
麻真と初めて一緒に走り、彼の走りを真似した時に感じた――背中を押されたような感覚。
この感覚を、忘れていた。そう、この感覚だった。この感覚が、全身に鳥肌が立つようなこの感覚が――
(――たまらなく好きですわっ!)
楽しくて仕方ない。そう言いたげに、走るメジロマックイーンが笑顔を見せる。
第一コーナーから第二コーナーに入るが、メジロマックイーンの表情は一向に笑顔のまま変わることはない。
スタミナに余裕はある。走る速度もまだ上げられる。何も心配する要素がない。
間違いなく、自分はトウカイテイオーに勝つことができる。自分の走りの変化に、メジロマックイーンがそんな確信を思うのは必然だった。
第二コーナーから、更にメジロマックイーンが僅かに加速していく。
メジロマックイーンの今の筋力は、ラストスパートのような突発的な加速ができるほど強くない。それ故に、彼女は無意識に序盤から後半に掛けて全速力に至る加速する走法を自然と行っていた。
それは、今までメジロマックイーンが履いていた六十キロの靴がもたらした副産物だった。
重い靴を履いている以上、筋力のないメジロマックイーンには突発的な加速ができない。しかし速く走るには、加速をしなければならないという問題を解決する為の方法を、彼女は自然と身につけていた。
序盤から徐々に加速していく。そしてラストスパートの時点で最大速度に至る走り方をメジロマックイーンは会得しつつあった。
(行けますわ! このままテイオーを置き去りに!)
徐々に加速しながら、メジロマックイーンが第二コーナーを駆ける。
自分でもかなり速い速度まで走っていると察したメジロマックイーンが、コーナーを曲がりながら僅かに背後を一瞥する。
おそらくは三バ身程度の距離が開いている。メジロマックイーンはそう予想したが――その予想は“全く逆”だった。
(はっ……?)
トウカイテイオーの位置を確認したメジロマックイーンが前を見据えながら僅かに動揺する。
予想が外れたことに驚いているわけではない。いや、驚いていないわけではない。だが、それよりもメジロマックイーンは、奇妙な場所にトウカイテイオーがいたのが問題だった。
トウカイテイオーの位置。それはメジロマックイーンから後方に二バ身や三バ身と離れているわけではない。
それよりも反対。トウカイテイオーはメジロマックイーンの真後ろを走っていた。左右にズレることなく、トウカイテイオーは彼女の後ろにべったりと張り付くような位置にいた。
(なんですの……その位置は?)
見たことがない位置で走るトウカイテイオーに、メジロマックイーンが眉を寄せる。
まだジュニア級に所属する新入生のメジロマックイーンには知る由もない。トウカイテイオーが行なっていることが何を意図しているかなど。
(カイチョーの言った通りだ……走りやすい!)
トウカイテイオーがメジロマックイーンの背後を走りながら驚きながらも笑みを浮かべる。
いつもより速く走るメジロマックイーンに問題なくついて行けている。トウカイテイオーは走り方が綺麗になったメジロマックイーンのフォームに感心しながら、楽しそうに笑っていた。
(マックイーン。ボク、負けるつもりはないよ!)
決して位置を変えることなく、トウカイテイオーがメジロマックイーンの背後を駆ける。
第二コーナーを抜けて、トウカイテイオーとメジロマックイーンの二人が直線に入っていく。
その二人の光景に、スタート地点から見ていた麻真が意表を突かれたように目を大きくしていた。
「スリップストリーム……?」
麻真がトウカイテイオーの走り方を見ながら、呟く。
そして麻真は眉を寄せるなり、怪訝な表情を作っていた。
「あんなのジュニア級になった新入生が知ってる技術じゃないぞ? あのガキンチョ……どこで覚えた?」
トウカイテイオーが見せている技術は、本来ならトレセン学園の新入生が知ってる筈のない技術だった。まだ走り方も拙い、トレーナーから満足に指導を受けていないジュニア級のウマ娘が知るはずがないと麻真は思っていた。
しかし目の前でされている以上、トウカイテイオーは“スリップストリーム”を知っていた。
トレセン学園の授業で教わったとは考えられない。ジュニア級のクラスでそんなことを教えても無駄でしかない。教えるならクラシックまたはシニア級の話になる。
なら入学前に知っていた……またはトレセン学園の誰かに教えてもらったかの二択しかない。
走るトウカイテイオーを見ながら、麻真が考える。彼女にそんな走法を教えるようなウマ娘がいるだろうかと。
ふと、麻真の脳裏に気になった場面が思い出された。
トウカイテイオーとシンボリルドルフが何かを話し合っているような場面があったことを、麻真が思い出す。
まさかと思いながら、麻真が東条ハナと一緒にレースを見ていたシンボリルドルフに視線を向ける。
「やはり、すぐバレてしまったようだな……」
戯けるように肩を竦めてシンボリルドルフが呟く。しかし麻真にその言葉が届くことはない。
そして目が合った途端にシンボリルドルフが肩を竦めたのを見た瞬間――麻真は理解した。
「やってくれる……まったく……」
麻真が面倒そうに肩を落とす。
そしてシンボリルドルフに呆れたような目を向けつつ、麻真は二人のレースに視線を戻していた。
「……ルドルフ。お前、あのガキンチョに何を教えたんだ?」
今だにメジロマックイーンの背後から離れることのないトウカイテイオーの走りを見ながら、麻真は心底気怠そうに頭を掻いていた。
読了、お疲れ様です。
更新が遅れてしまい、申し訳ありません。
さて、マックイーンとテイオーの勝負がスタートしました。
初手はマックイーンの優勢と思いきや、テイオーも作戦あり。
そして麻真にバレるシンボリルドルフ、そんなお話です。
少しずつ色々と今後に関わることを書いてたりします。それが出るのはいつの日かに。
二人のレースの決着を見守ってあげてください。
感想、評価等はお気軽に。
それではまた次回にお会いしましょう。
追伸
前回にご連絡した些細な報告です。
この度、タマモクロスの作品『「Umar EATS」の配達員から、トレセン学園にスカウトされたウマ娘の話』を投稿されてるayksさんからウマ娘の二次創作を書いている人達が集まった合同企画に参加させていただきました。
と言っても、今月の頭から始まっています。もし暇なお時間でもあれば私を初め様々な作品があるので拝見して頂ければ幸いです。