走るその先に、見える世界 作:ひさっち
第三コーナーに入った瞬間、トウカイテイオーが早々に勝負を仕掛けた。
前傾姿勢を作り、第三コーナーから全速力に近い速度でメジロマックイーンをトウカイテイオーが抜き去る。
まるで終盤のラストスパートのようなトウカイテイオーの走りを見て、麻真は眉を顰めていた。
「……早過ぎる」
それはゴール地点から二人のレースを見届けていた麻真が怪訝な表情を作るのに、十分過ぎる光景だった。
トウカイテイオーが動き出したあのタイミングは、本来ならレースにおいて先頭を追っている後続が仕掛けて良いタイミングではなかった。
麻真から見ても、トウカイテイオーの行動は全く最適な判断とは思えなかった。
あのように第三コーナーから加速して最大速度で走るなど、本来ならあり得ない。一般的なのは第三コーナーから徐々に加速して、第四コーナー辺りから仕掛けるはずである。
今見せたトウカイテイオーの行動は、まさに異様であった。仕掛けるタイミングを間違えれば、今まで温存していたスタミナを浪費してしまい、終盤のゴールまで最大速度で走れるはずだったスタミナを失ってしまう。それは間違いなく負ける要因となるだろう。
もしそれが作戦として成立するとすれば、文字通り無尽蔵のスタミナを持っていなければ不可能だった。仮にそんなスタミナがあるとするなら、それは作戦として十分な強さを発揮できるものとなり得るが――それが新入生のウマ娘に適用されるとは麻真には思えなかった。
そこまでのスタミナを持てる可能性の段階に至るのは、クラシック級以上の長距離に特化したステイヤーのみである。たかが新入生のジュニア級ウマ娘程度がそこまでのスタミナを持っているとは到底考えられない。
だからこそ基礎を忠実に実行するのが普通だった、並みのスタミナしか持たないウマ娘なら、第四コーナーに入ってから仕掛けるのが一般的である。そうしなければ、まずスタミナが持たない。
そんな誰もがレースで当たり前にする立ち回りの初歩的な判断。そんな判断すらできないのは新入生のウマ娘だからだと言われれば、麻真も納得もできるだろう。
しかしそのような言葉が、あのトウカイテイオーにまかり通らないことを麻真は理解していた。
今こうしてメジロマックイーンと走っているトウカイテイオーは、トレセン学園の新入生の中で最も強いと言われているウマ娘の一人なのだ。そんなウマ娘が、初歩的な判断ミスをする訳がない。
トウカイテイオーが強いと言われるのは、彼女が持つ柔軟性のある足から生まれる加速力。それは彼女の走りを実際に見た麻真も理解している。
しかし先程、ハナのトウカイテイオーが強いと話していた内容に、彼女に無尽蔵のスタミナがあるなどとは一言も言っていなかった。
つまりトウカイテイオーは、自身の強みである加速力をレース中に発揮できる判断が適切にできるウマ娘と思うしかない。
それならば、何故そんな判断ができるはずのトウカイテイオーが、第三コーナーから仕掛けたのか?
そう考えれば、残る答えは――麻真にはひとつしかなかった。
「アイツ……マックイーンの今の走りを“分かってる”上で、あのタイミングで仕掛けたのか?」
心底面倒そうに、麻真が小さく呟いていた。
トウカイテイオーが第三コーナーで仕掛けたのは、メジロマックイーンに勝つ為の作戦だと麻真は検討をつけた。
間違いなく、トウカイテイオーは理解している。メジロマックイーンに従来通りのタイミングで仕掛けてしまえば、自分がゴールまでに彼女を追い抜くことができないと。
それはメジロマックイーンの走りを、トウカイテイオーが理解しているからこその判断だろう。
麻真はレースが始まる前から確信していた。普通にトウカイテイオーが走っていれば、間違いなく彼女はメジロマックイーンに勝てないことを。
メジロマックイーンの走りは、以前の形から変化した。加速力のない彼女が、自らの欠点を補い、そして現時点の自分の身体を最大限に活かす走り方が今の形。
そしてその走りを活かすのに十分なスタミナをメジロマックイーンが持っている。それだけで十分だった。
トウカイテイオーが強いと言われようとも、徐々に加速して第三コーナー辺りから全速力でゴールまで走れるメジロマックイーンの方が強い。
第四コーナーから仕掛ける一般的な攻め方では、今のメジロマックイーンに対抗できない。第四コーナーから全速力で走ったとしても、既にそれより前から全速力で走っている彼女の方が距離を大きく離して減速せずに前を走り続ける。どうにか追いつこうとしても、間に合わずに彼女がゴールする。
そうなることを麻真は予想していた。しかし、トウカイテイオーが予想を外れた行動をしたことに眉を寄せていた。
確かにトウカイテイオーには、ここ数日間のメジロマックイーンの練習を見られていた。その時間の中で、彼女がメジロマックイーンの走りが以前の走りから別の形へ変化したことを察することができた可能性は、十分にあり得る。
しかしそれだけでは説明がつかなかった。メジロマックイーンの走り方が変わったと分かっていたとしても、まだレース経験の浅いトウカイテイオー本人だけの判断でレースで第三コーナーから全速力で仕掛けるなどという博打をするのは、麻真には考えられなかった。
レースに勝てる判断ができるということは、レース中にしてはいけない行動も理解していることになる。
トウカイテイオーは、その判断ができるウマ娘。なら、第三コーナーから仕掛けるなどという博打の行為をすることすら考えないはずだった。それなのにメジロマックイーンに勝つ為にその方法を独断で選んだとすれば、彼女は相当の切れ者になる。
確かに今のメジロマックイーンにトウカイテイオーが勝つ可能性を麻真が提示するとするなら、数多くある中の一つで彼女と同じ方法を考えるだろう。
メジロマックイーンは加速に時間が掛かる加速力のないウマ娘。それだけ見れば遅いウマ娘に思われるが、一度最大速度まで加速してしまえば話が変わるウマ娘である。
自身で天皇賞制覇を目標にしていることもあり、メジロマックイーンには麻真もある程度は認めるスタミナを持っている。それがあれば、加速が遅くても現時点で十分にその欠点をカバーできた。
それがメジロマックイーンの走りだった。スタートから徐々に加速していき、第三か第四コーナーに入るまでに最大速度に至る走り方。そこから一度も減速することなくゴールまで走り続けるのが今の彼女の走法である。
しかし逆に最大速度まで加速されて、一度も減速しないということを分かっていれば――それに勝つ方法はとても簡単だった。
先に加速される前に、距離を大きく突き放すだけで良い。そしてメジロマックイーンが加速しても追いつけない状況を作る。それを実現可能にする条件は厳しいが、現実的に簡単な作戦だろう。
しかしその作戦を本当にトウカイテイオーが一人で考えて実行しているとは、麻真には思えなかった。
それこそ、誰かから指示でもされなければできない判断のはずだった。
トウカイテイオーはレースでしてはいけないことを理解している。ならばその判断を信じるはず、勝つ為の簡単な作戦を思いついたとしても、負ける可能性の方が大きい。つまり彼女が普通にメジロマックイーンに勝とうと思うなら、自身の走り方で勝負すると考える。
「面倒くさいこと吹き込んでるんじゃねぇよ……ルドルフ」
そこでトウカイテイオーに指示した人物に心当たりしかなかった麻真が、深く溜息を吐いた。
予想と外れた行動をされて麻真が不満そうに眉間に皺を寄せる。
余計なことをされてしまい、考えていたことが確認できないことに麻真は肩を落としていた。
それは決して、メジロマックイーンが負けるという不安ではない。麻真が考えていたのは、逆のことだった。
「一般的なウマ娘の仕掛けに、マックイーンがどれだけ距離を離してゴールできるか見たかったんだが……これじゃあ、見れそうにないな」
その呟きは、紛れもなくメジロマックイーンの実力を信じているからこその言葉だった。
◆
突き放されていくトウカイテイオーの背中を見ながら、メジロマックイーンは内心で焦っていた。
予想外の展開。それがメジロマックイーンの脳裏に過ぎる。
ゴールに向けて最後の加速をするのには、まだ早過ぎる。しかしその当たり前を無視してトウカイテイオーが仕掛けた理由をメジロマックイーンは即座に理解していた。
(もう少しでッ――!)
加速を続けて距離を離すトウカイテイオーをメジロマックイーンが睨むように見つめる。
トウカイテイオーとメジロマックイーンの距離は五バ身まで広がる。残りの距離は現時点で第三コーナーを走っているので、ゴールまでは残り八百メートル程度。
メジロマックイーンは先を走るトウカイテイオーに対して即座に加速をしようと考えたが、それをすぐに一蹴していた。
その手段は、自分の今の走りではない。現時点で自分にできる走り方は、ひとつしかない。
走る速度に身体をならさせ、次第に加速をしていく。そして第三コーナーを抜けた時に最大速度に至り、その速度を一切落とさずにゴールまで走り抜ける。
トウカイテイオーのような瞬発的な加速力を持ち合わせていない自分には、その走り方が現時点の最適解。それをメジロマックイーンは心から信じていた。
今すぐ思い切り加速してトウカイテイオーを追いたい気持ちは勿論ある。しかし、それを試みたところで加速が思う通りにできないことも十分に理解しての判断でもあった。
(私は信じてますの! 麻真さんの教えは正しいと!)
そして、今の走りを作った北野麻真という自身のトレーナーを信じているからこその決断だった。
今の走り方は、北野麻真が作り上げたモノ。そして自分の身体の使い方を理解してメジロマックイーンが作り上げた。それは二人の信頼の証とも言える。
北野麻真が、メジロマックイーンを勝たせると言った。
メジロマックイーンは、北野麻真を信じると答えた。
なら、それだけでメジロマックイーンには十分だった。
今できることを、今できる最善を、メジロマックイーンは行うだけだった。
(行きますわよ……! お待たせしましたわ!)
メジロマックイーンが第三コーナーを抜けた。先に走るトウカイテイオーとの距離は、八バ身まで離されている。
しかしそんなことは些細なこと。第三コーナーを抜けた時点で、メジロマックイーンの足はようやく“至った”。
身体を前に更に倒して、前傾姿勢を維持。身体の可動域を全部使って、限界まで筋肉を行使する。
それが今までメジロマックイーンが積み上げてきたモノをようやく完成させる。
「――テイオーッ!」
第四コーナーに入った瞬間、メジロマックイーンが最後の加速を終えた。
まるで背中を押されたように、メジロマックイーンの身体が加速する。
トウカイテイオーとの距離は、まだ八バ身から縮まない。しかしそれもすぐに結果を示した。
トウカイテイオーの加速は、定石から外れた行動。その対価は、ゴール前の失速を伴う。スタミナの消費、それがトウカイテイオーを苦しめるとメジロマックイーンは睨んでいた。
(くっ――! キッツ――!)
事実、トウカイテイオーは苦しかった。
本来では決して行わない第三コーナーからのラストスパート。まだゴールまでかなりの距離がある地点からの最終加速は、第四コーナーを抜けたトウカイテイオーを苦しめていた。
ゴールまで六百メートル。その時点で、トウカイテイオーの足には疲労が溜まっていた。
まだ足は生きている。しかしこれほどの消耗をしたことは、トウカイテイオーにはなかった。
今までのレースは、第四コーナーから仕掛けても足と体力に余裕があった。逆を言えば、それほど余力を残しても勝てる程度の相手としかトウカイテイオーはレースをしてこなかった。
自分が全身全霊で戦わなければならない相手、それがメジロマックイーン。あのシンボリルドルフでさえ警戒している北野麻真に育てられたウマ娘であり……自分のライバルと言える相手。
そんな相手に余力を残すことなどあり得ない。だからこそ、トウカイテイオーは苦しくても、全力で走ることをやめなかった。
気づけば、最後の直線。視線の先にいる麻真までメジロマックイーンよりも速く走れば、自分が勝てる。それまでどんなことがあろうとも足を止めるわけにはいなかった。
シンボリルドルフを育てた北野麻真に教えを受けたい。そして自分の目標である三冠ウマ娘になるという願いの為に、自分は勝たなくてはいけない。
麻真の元まで、頑張れば良い。それだけで自分はあの人に教えを受けることができる。そう思って、トウカイテイオーは走る。
しかし――それを邪魔する者は、いた。
(ッ――! この威圧感ッ!)
強烈な威圧感がトウカイテイオーの背中に走った。
反射的にトウカイテイオーが背後を一瞥する。
一瞬だけ背後を見て、前を見たトウカイテイオーは更に足を酷使した。
第四コーナーを抜けた時点で、八バ身程の距離があったはずだった。それはトウカイテイオーも自身の目で確認していた。
まだ距離があるはずと思っていたはずだった。しかしその予想は、大きく覆された。
(なんでもうそこにいるの⁉︎ マックイーンッ‼︎)
三バ身離れて、後ろでメジロマックイーンが鬼気迫る表情でトウカイテイオーを追い掛けていた。
(追いつきましたわよッ! テイオーッ‼︎)
メジロマックイーンは一切速度を落とさず駆けていた。
自身の身体でできる最善を尽くした走りを維持し続け、自分の身体で生み出せる最大速度を落とさずにメジロマックイーンは走り続けた。
次第に距離を詰めていることに気づいていたメジロマックイーンは、察していた。自分の勝てる可能性を。
それはトウカイテイオーが第四コーナーを抜けてから起きたことだった。
メジロマックイーンから見て、持ち前の爆発的な加速力でトウカイテイオーが走っていたが――ふと距離が縮まっていることに彼女は気づいた。
そこでメジロマックイーンはすぐに理解した。トウカイテイオーの状態を。
(体力を使い過ぎましたわね‼︎ 速度が落ちてますわよッ‼︎)
第四コーナーから、トウカイテイオーが速度を落としている。
当然の話だった。第三コーナーから全力の加速でゴールまで走り続けられるスタミナを持つウマ娘など数少ない。それこそステイヤーの名を持つウマ娘の一部だけにしか許されない行為である。
トウカイテイオーはステイヤーではない。それ故に彼女の足が、その行為に耐え切れるわけがなかった。
間違いなく、トウカイテイオーの速度が落ちている。対して、メジロマックイーンには、彼女にはないステイヤーとしてのスタミナがまだある。
(さぁ! 反撃して差し上げますわッ!)
(絶対に! 負けるもんかッ!)
ゴールまで残り四百メートル。
二人の足を止めるとこが許されない最後のラストスパートが始まった。
読了、お疲れ様です。
次回で二人の勝負、決着です(絶対に決着つけます)
色々と予想通りの展開となりつつあります。
麻真の場合は、彼なりの別の考えもあったという話です。
それも彼なりのメジロマックイーンへの信頼とも言えます。
また次回の話でお会いしましょう。それでは
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