走るその先に、見える世界 作:ひさっち
1.鍛えてください!
ウマ娘から生まれる子供は、ウマ娘になるらしい。そんな話が世間にはあった。
どこから最初に生まれたのか分からない。母親の身体に子を身篭った時、いつの間にかウマ娘になっている。そんな不思議なことが多い存在だった。
そしてウマ娘を産んだ母も、同じく皆揃って産んだ瞬間に自身の子供の名前が直感で分かるというらしい。
今、テレビに映っているマルゼンスキーやシンボリルドルフと日本では到底つけられない名前も、何故かウマ娘の母親は確信を思って名前をつけると聞いたことがある。
本当に不思議なことが多い存在だった。だがこうして世間には受け入れられているのだから、意外と世の中は優しい作りをしているかもしれない。
麻真はそんなことを思いながら、リビングのソファに座りながら片手に持った珈琲の入ったカップを口に添える。
一人で過ごす時間は、嫌いではない。麻真は別段、一人を寂しいと思ったことはなかった。
馴れている、と言うべきだろう。麻真という男は、それだけ“変わった”人間だった。故に、変わった幼少期を過ごしていた。
ウマ娘から生まれる子がウマ娘になるなら、それが適応されなかった場合はどうなるのだろうか?
色々と過去に調べたことのある麻真だったが、自分と同じようにウマ娘を母に持つ男性はいた。しかしどれも自分と同じような体質を持っているなどの情報はなかった。
麻真――北野麻真は、端的に言えば“特別”に部類される人間だった。
麻真は、子供の頃から走るのが好きだった。そしてその欲のままに走っていると、自分は周りと違うことに幼いながらに気づいていた。
まず、疲れない。子供なら疲労してしまうはずの距離を走っても平然としていて、そして普通の子供には出せない速度で走ることができた。
故に、子供の頃から徒競走でも全力を出せなかった。流石に自分が人と違うことを理解している身からすれば、出せるわけもなかった。
家族が心底不思議そうにしていたのを麻真は覚えている。しかし特別何も言われることもなく愛されて育ったと思う。
しかしそんな疑問を持った家族が、麻真の身体を検査すると不思議な話があった。
どうやら麻真の身体には、ウマ娘の遺伝子があるらしい。だが、特徴的な耳や尻尾はできず、麻真の場合は身体の中身が普通の人間とは違うらしい。
筋肉の質が全然違うと医者は言っていた。それこそウマ娘の持つ筋組織を持っているらしい。と言っても、骨などは普通の人間よりは頑丈程度で全開の力を使うと骨を折る危険性があると医者に注意されたのを麻真はよく覚えている。
「……で、実際に骨を折ったのは一回だったか?」
なんとなく昔のことを思い出して、麻真がぼやいた。
理由は忘れたが、一度だけフォームも無視したがむしゃらな全力全開で走ったことがあり、それで一度骨を折ったことがある。
それ以来、麻真は走ることを勉強することにしたのだ。そのような経験があり、今に至る。
「って何考えてるんだか……先週、久々に全力で走ったからか」
先週の日曜日に、メジロマックイーンというウマ娘が来た時に思わず全力で走ってしまい、それから三日間ほど麻真は筋肉痛に悩まされていた。
今はようやく筋肉痛も治り、次の日曜日を迎えていた。
昼のひと時を珈琲を飲んで過ごし、またランニングでもしようかなと麻真は思っている。
二十歳を超えても、アホみたいに走ることが飽きないのだから自分は紛れもなくウマ娘の子供なのだと麻真は実感してしまう。実感しても、走るのをやめないのだからどうしようもない話だった。
ゆったりとソファから立つと、麻真が寝巻きから洗濯していたランニングウェアに着替える。
その場で念入りに柔軟をして、軽く汗をかいた麻真が「……良し」と呟く。
身体の調子は良い。今日も問題なく走れると判断し、冷蔵庫から水分補給用のスポーツドリンクを二本持って、麻真が玄関に向かう。
今日も気持ち良く芝生の上を走ろう。風を切りながら、誰にも邪魔されない景色を楽しむとしよう。
そう思って、麻真が自宅の玄関から外に出ると、
「…………」
出た瞬間、麻真はその場で立ち止まっていた。
「……こんにちは」
目の前に、ウマ娘――ジャージ姿のメジロマックイーンが立っていた。
一週間振りに見た時はよく見ていなかったが、よく見れば見るほど随分と綺麗なウマ娘だと麻真は思った。
ウマ娘は、決まって容姿端麗な子が生まれるらしい。そう言われるが、メジロマックイーンは特に整った顔立ちだった。小さな顔に大きな目、まるで人形のようだと麻真は思った。それこそ、お城のお姫様という印象を受けるのには十分な容姿だった。
細身の身体のはずなのに、どうしてこんな華奢な身体で時速六十キロを越える速度で走ることができるのだろうか。筋組織とかの作りが人間とは違うことを痛感するしかない。
「…………」
そんなメジロマックイーンを、麻真は見つめる。
はたして何時からメジロマックイーンは自宅の玄関に居たのだろうか、麻真の疑問が浮かんだが考えないようにした。
玄関のドアを閉めるか悩んだが、決めた走るという行動を目の前のウマ娘一人に邪魔されるのも非常に癪だった。
何故、二週連続で来たのか不思議だったが、麻真は気にするのをやめていた。
麻真は、玄関に立っていたメジロマックイーンの横を通り過ぎて、自宅の横にある練習場へ向かっていた。
「ちょっとお待ちなさい! どうしてまた無視するんですの⁉︎」
後ろからメジロマックイーンが慌てて麻真を追い掛けてくる。
特に気にせずに麻真が練習場に向かって歩いていると、麻真の着ているランニングウェアの袖が何かに引っ張られていた。
麻真が振り返ると、心底むくれたメジロマックイーンが麻真を軽く睨んでいた。
「無視しないでくださいませ! 私が貴方に何か粗相をしたのなら謝りますわ!」
麻真は困った。別に粗相をされた覚えはない。強いて言うなら、この場にいる時点で粗相をしていると彼は答えるだろう。
しかし理事長から案内されてきた以上は、必要以上に無碍にするのは憚られる。メジロマックイーンから理事長へ何を話すか分かったものではない。
少し考える麻真だったが、ここは少しくらいは反応してやろうと思うことにした。
「別に、何もしてない」
「なら、なぜ私を無視したのですか?」
「面倒くさい、それだけだ」
「なっ……⁉︎」
まさかそんな簡単な理由で無視されるとは思っていなかったのだろう。メジロマックイーンは目を吊り上げていた。
「何が面倒と仰るんですの! 私はまだ貴方に何もしていませんわ!」
「だから君がここに来てるってことが、面倒なことになる。理事長から言われてきたんだろうが、俺は君を鍛えるつもりはない」
ここで思わず、麻真はハッキリと断っていた。
理事長にどやされる、と麻真は言った後に“少しだけ”後悔したが言ってしまった以上は取り消す必要もないだろう。
ゆっくりと腕を動かして、メジロマックイーンの手から掴んでいた袖を外す。
そしてメジロマックイーンに背を向けると、麻真は練習場へ向かっていた。
「嫌ですわ! 私は貴方に鍛えて欲しいんです!」
しかし麻真の前にメジロマックイーンが回り込むと、彼女は強い眼光で彼を見つめていた。
「貴方の走りを見させて頂きましたわ。ウマ娘ではない殿方が、なぜあんなに速く走れるかは分かりませんが……私は貴方に鍛えて頂きたいんです!」
「嫌だ。面倒」
そう言って麻真がメジロマックイーンを通り過ぎる。
「駄目です! 私を鍛えてください!」
そしてもう一度、メジロマックイーンが麻真の前に回り込む。
「嫌だっての」
また麻真がメジロマックイーンの横を抜ける。
負けじとメジロマックイーンが麻真の前に回り込む。
今度は無言で麻真がメジロマックイーンの横を抜けるが、メジロマックイーンが再度回り込む。
それを数回繰り返したところで、麻真は少し苛立った。
「俺の日課を邪魔するな」
そしてもう一度麻真がメジロマックイーンの横を抜けると、麻真は駆け出していた。
「あっ⁉︎ また逃げるんですのっ⁉︎」
「逃げてない。走ってるだけだ」
「それを逃げてると仰いますのよっ!」
練習場を走る麻真の後ろにメジロマックイーンがついてくる。
軽く流す程度しか走っていない麻真の横後ろをメジロマックイーンが走る。
「お願いですわ! 私を鍛えてくださいまし! 先週の日曜日に見た貴方の走りを参考にして学園でタイムを測ったら驚くほどにタイムが伸びましたの!」
それはそうだろうと麻真は思った。当初に見たメジロマックイーンの走り方は、到底速くなる走り方ではなかった。負担が掛かるだけで無駄の多い走り方でしかない。
その走り方に少し手を加えれば力の使い方と身体の負担が変わるのだから、自然とタイムも伸びるに決まっている。
メジロマックイーンの持つ能力は知らないが、走る脚質によって走り方は変わる故に、麻真は今以上に走り方について教えるつもりもなかった。
ウマ娘が参加するトゥインクル・ステージのレースでは様々な種類のレースがある。芝生、ダートと二種類の足場がある。
加えて、短距離から長距離の大きく分けて四種類の距離がある。
そのレースに参加するウマ娘には、それぞれ脚質というのがある。逃げ、先行、差し、追込と例外を除いて四つの脚質がある。
ラストスパートでトップを取る脚質もあれば、最初から最後まで先頭を走る脚質もある。それぞれの足に合った走りをしないと、レースでは勝てない。
故に麻真は、メジロマックイーンの脚質を知らない為、今以上の成長を促すことはないし、する気もなかった。
「貴方の走り方はとても綺麗でした。一目見ただけで分かりますわ。貴方は走ることがとても好きだというのが」
好き勝手に話すメジロマックイーンを他所に、麻真は走る。
走り続けて、メジロマックイーンの体力が尽きるのを待つのも良いかもしれない。このメジロマックイーンは、はたして一周二キロ程度の練習場を何周できるだろうか。麻真の最高は二十周、力の配分で前後するがランニング程度の速度なら走れる。全力ならすぐに足を使い切ってしまうが、ランニングなら問題なかった。
「本当に無視しますのね……良いですわ。貴方が勝手なら、私も勝手にさせてもらいますわ」
そうしてメジロマックイーンは黙って麻真の後ろを走っていた。
まるでレース中にマークされているような感覚だった。実際にレースに出たことはないが、麻真にはそんな気がした。
一周、二周と数を増やしていくが、まだメジロマックイーンは余裕そうに見える。
たまに違う速度で麻真が走ると、それにすぐに反応してメジロマックイーンが食らいついてくる。
意地になっているのか、根性で走っているのか分からないが、諦めるつもりはまだないらしい。
「絶対に振り切らせませんわよ。意地でもついていきますわ」
メジロマックイーンが鋭い視線で麻真を見つめる。
麻真はその視線を軽く流して、足を動かした。
周回が増えていき、五周を超えたところで麻真は一度止まって水分補給を行った。
定期的に水分補給しないとまずいことを麻真は身に染みて分かっていた。持ってきていたスポーツドリンクを飲みながら、麻真がメジロマックイーンを見ると彼女は肩で息をしていた。
しかしそんな状態でも水分補給をしないのは、麻真の目に余った。練習場の近くには水分を補給できるものはない。
麻真は溜息を吐くと、自宅から持ってきていた二本のスポーツドリンクの内の一本をメジロマックイーンに「使え」と言って放り投げていた。
そう麻真に言われて、メジロマックイーンが慌てて受け取る。少し驚いたような表情をしたが、スポーツドリンクと麻真を交互に見ると、
「……ありがとうございます」
そう言って、メジロマックイーンはスポーツドリンクを口にしていた。
その後、ある程度の水分を補給して、麻真はすぐに再度走り始めた。
麻真が走り始めたのを見て、メジロマックイーンが慌てて彼を追い掛ける。
また無言で、二人は練習場を走り続けていた。
そうしてまた周回が増えていき、周回数が十周を超えたところでメジロマックイーンが限界を迎えていた。
「はぁ……! はぁ……!」
両膝をついて、大きく肩を動かして呼吸を大きくしていた。
麻真はそんなメジロマックイーンを横目に、水分補給をしていた。
汗だくのメジロマックイーンに比べて、麻真は少し汗を掻いている程度。
体力の違いだった。長い期間、長距離を走り続けていた成人の麻真とまだ年齢も幼いメジロマックイーンとの違いだった。
「まだまだだな。評価点は△ってところだ」
「はぁ……はぁ……化物みたいな体力ですわ……!」
悔しそうな顔をするメジロマックイーンに対して、麻真が鼻で笑う。
「まだお子ちゃまなウマ娘には負けるわけない。鍛えてこい」
「だから私は……貴方に鍛えて欲しいと……!」
途切れ途切れに話すメジロマックイーンだったが、麻真は意地悪そうに顔を歪めていた。
「そんなに体力使って、練習できるわけないだろ? 残念、また次回」
そう言って、麻真はメジロマックイーンを放置して自宅に戻っていった。
悔しそうにメジロマックイーンが拳を握りしめるが、麻真には関係ない話だった。
これに懲りて二度と来ないと良いんだが、と麻真は後ろのメジロマックイーンを一瞥して思う。
とりあえずは、シャワーを浴びてスッキリしよう。麻真はそう思うとすぐに自宅に向かって行った。
その足取りは、少しだけいつもより軽い気がした。
読了、お疲れ様です。
また次回にお会いしましょう。