走るその先に、見える世界 作:ひさっち
チーム・アルタイル――阪神レース場のパドック会場にいた人間達は、その名を聞く瞬間まで忘れていた。
過去の記録の中に消え去り、人々の記憶から薄れていた“その名”を聞いた時、その場にいた人間達は思い出してしまった。アルタイルというチームが過去に作り上げた偉業とも言える多くの功績を。
それが、阪神レース場のメイクデビュー戦で帰ってきた。重賞ですらない無名のウマ娘が集うレースに、メジロマックイーンの名と共に。それ故、パドック会場に響いたその名に、業界の人間は騒然となった。
メジロマックイーンと同じレースに出場するウマ娘のトレーナー達は頭を抱えていた。まさか自分の育てているウマ娘の初レースに、その名が出てくることがありえないと。
そして記者関係の人間達も、揃って震えていた。まさか“あのチーム”が帰ってきた場面に自分が遭遇するとも思わず、一同は揃いも揃って自身の上司へ連絡を行っていた。
たったひとつのチームに、レース会場が騒ぐ。そんな騒動が起きて少しの時間が経っても、一向にレース場内の動揺は収まることもなく、気づけば第一レースまで残り時間は僅かとなっていた。
「……まだ怒ってんのか?」
レース場内の控え室で、麻真がそう言って顔を顰める。そんな彼の視線の先にいるメジロマックイーンは、心底不満そうに口を尖らせていた。
「当たり前ですわっ! そんな大切な話を忘れるなんてこと普通ありません! 何も知らなかった私がパドックの時、どんな気持ちだったかあなたに分かりますかっ⁉︎」
尻尾を逆立てながら力強く叫ぶメジロマックイーンに、麻真は返す言葉もなく引き攣った苦笑いを浮かべるしかなかった。
麻真自身も察することしかできなかったが……パドック会場にアルタイルという名が響いた時、その時のメジロマックイーンの心境は困惑からの激怒だった。
自分のパドックが始まってステージに出た途端、自分の知りもしない所属チーム名がアナウンスから響くなり、会場内が騒然となったのだからメジロマックイーンの困惑は無理もないだろう。
しかしそんな会場を見て、メジロマックイーンもすぐに察していた。明らかに会場内が“そのチーム名”を聞いた瞬間に動揺していたことから、アルタイルというその名が自分のトレーナーである北野麻真が過去に使っていたチーム名なのだと。
それを麻真が自分に知らせなかったことを故意だと思ったメジロマックイーンは、一瞬にして頭に血が登るような感覚に苛まれた。
困惑するだけだったパドックが終わり、メジロマックイーンが控え室に戻ってきた麻真に会って早々に怒りをぶつけたのも束の間、すぐに彼が謝罪したことで彼女も思わず毒気を抜かれていた。
だが麻真が珍しく素直に謝罪しても、事実としてチーム名のことを自分に知らせなかったことに対するメジロマックイーンの怒りは時間が経つにつれて大きくなり、気づくと彼女は目を吊り上げて彼を睨んでいた。
「何度も言ってるだろ……悪かったって。俺だって忘れることもある。だからレース前にそんな風に機嫌悪くしないでくれ」
「私の機嫌を悪くした張本人であるあなたには言われたくないですわっ!」
麻真が何度も謝罪の言葉を告げても、メジロマックイーンの機嫌は一向に直る様子がない。
予想以上にメジロマックイーンの機嫌が直らないことに、麻真が肩を落とした。まさかここまで彼女が怒るとは思わず、麻真も困り果てて眉間に皺を寄せていた。
レースに於いて、出場するウマ娘の調子は走りに大きく影響が出る。機嫌を損ねて走るのと機嫌の良い時に走るのとでは、大きな差が顕著に現れる。その為、ウマ娘のモチベーション管理は重要なモノとして認識されている。
それを誰よりも理解していたからこそ、麻真は頭を抱えたい衝動に駆られていた。今まで作り上げたメジロマックイーンの走りが、モチベーションひとつで崩れるのは流石の麻真も容認できなかった。しかしその原因を作ったのが自分自身である時点で、彼に困る資格など少しもないのだが……
「どうしたら機嫌を直してくれる? もう俺ができることなら何でもしてやるから……」
メジロマックイーンの機嫌を直す為、麻真が半ば諦めた気持ちで彼女に問う。
困り果てた麻真を睨みつけるメジロマックイーンだったが、彼のその言葉を聞くとピクリと耳を動かしていた。
「今……なんでも、と仰いましたか?」
「……」
反射的に、麻真が唸った。メジロマックイーンがそう聞き返した時、自分がたった今口にした言葉に彼が心の底から後悔した瞬間だった。
思わず先程の言葉を訂正しようと口を開くが、出かけた言葉を麻真は咄嗟に止めていた。もし自分がそれをすれば、更にメジロマックイーンの機嫌が悪くなると理解して――彼は苦々しい表情で頷くしかなかった。
「……あまり変なこと言うなよ?」
僅かな抵抗として、麻真が予防線を張る。
しかしそんな麻真の抵抗も虚しく、メジロマックイーンは彼の言葉を聞くなり少しだけ吊り上げていた目を緩めていた。
メジロマックイーンが自身の顎に指を添えて、何かを考え始める。そして少しだけの間を開けてから、彼女は口を開いた。
「それなら……今、この場で教えてください」
「はっ……?」
突然、意味の分からないことを言い出したメジロマックイーンに麻真が思わず聞き返す。
察しの悪い麻真を見てメジロマックイーンは不満気に眉を寄せながらも、溜息混じりに彼へ自身の要求を告げていた。
「あなたが率いていたその“アルタイル”というチームについて、この場で私に話してください。以前のあなたが作ったチームがどんな成績を作ったか、チームメンバーも全て教えてください」
「今……? いや、レースまでの時間近いんだぞ?」
メジロマックイーンの要求に、驚く麻真が時計を確認する。第一レースの開催時間までの残り時間は多くはなかった。
レースに向けての最終確認等を考えると、今からレースまでに使える時間は多くない。パドックが該当レースの三十分前に行われることから、パドックが終了してすぐにレースが始まる。
それを加味すると、この場でレースに関係のない話をするのは麻真からすれば得策ではなかった。
「関係ありません。まだレースまでは少しだけ時間はあります。今、この場で、あなたが私に説明してください。そうしなければ、私は腹を立てたままレースに挑みます」
ある意味では脅しとも受け取れる言葉をメジロマックイーンから向けられて、麻真は頬を引き攣らせた。
いつもの練習ならば後で教えると麻真も言いくるめられるが、レース前の今では話が変わってくる。妙な答え方をすれば、メジロマックイーンの機嫌が更に悪くなってしまう。
これ以上にメジロマックイーンの調子を悪くするのも憚られ、そして彼女にも頑固な面を持っていることから下手にはぐらかすのは更に面倒なことになる、
「はぁ……」
そう思って堪らず、麻真が溜息を吐いた。
こうなるならメジロマックイーンに忘れずに説明していれば良かったと、麻真が心の底から後悔してしまう。
レースに向けての最終確認、レース場への入場時間、諸々に掛かる時間を頭の中で整理して、もう一度時計を見ながら使える時間を考えて、麻真はメジロマックイーンに答えた。
「……五分だけだ。レースまでの残り時間を考えたら、それぐらいしか時間に余裕がない。その時間内ならお前の要求通り教えてやる。なるべく手短に分かるように話すが、五分過ぎたらすぐにレース準備だ。もし教えきれなかったらレースが終わった後、それで良いか?」
「そんなの関係ないです。全部、細かく話してください。まだレースまでの時間はありますわ」
「駄目だ。五分、今はそれだけだ。まだレースについての最終確認が済んでない。その時間だけは絶対に無くすわけにはいかない」
「あなたが教えてくれた走りだけで、私は大丈夫ですわ」
「それでも、だ。レースに向けて最低限の準備すら怠るのは流石の俺もやらない。勝てるレースで担当のウマ娘が負けるなんて、俺が許せない」
自分の要求が素直に通らなかった。思わず、メジロマックイーンが目を据わらせる。しかし麻真の言い分も分からない訳ではなかった彼女は、不服だが小さく頷いた。
「……分かりましたわ。では、手短に分かりやすくお願いします」
「本当に手短に話すからな」
ようやく自分の思う通りにメジロマックイーンが頷いてくれた。彼女の態度を見て、麻真はそっと胸を撫で下ろした。
そして徐に腕を組みながら、麻真が自分の記憶の中から過去のことを振り返る。そして大事な点だけを思い出しながら、彼は口を開いた。
「まず初めに言っておくと……お前の所属している俺のアルタイルってチーム名は、俺が先代から引き継いだチームの名前だ」
「……先代ですか?」
「あぁ、そうだ。前にも話したと思うが、俺が研修でサブトレーナーだった時にいたチームがアルタイルだった。元々、そこそこ強いチームだったんだが俺の研修期間が終わって、先代のトレーナーが引退する時に俺が引き継いだんだよ」
その時はまだ結構な人数がいたけどな、と麻真が続けて告げた。
麻真のその説明に、メジロマックイーンがふと眉を上げる。不思議と気になる言葉だった。
「過去形? その話し方ですと、麻真さんの代になった時にチームを抜けてしまった方が多いと受け取れますけど?」
メジロマックイーンの言葉に、麻真は小さく頷いた。
「ああ……かなりというか、ほとんど抜けた。元々、チームには先代を慕ってた子達の方が当たり前だが多かったからな」
「麻真さんが居たのにも関わらず? そんなのあり得ませんわよ?」
麻真の答えを聞いて、メジロマックイーンが理解に苦しんだ。北野麻真というトレーナーの能力を考えれば、当時チームに所属していたメンバー達がチームを抜けるなど彼女には考えられなかった。
しかし麻真は苦笑して、戯けるように肩を竦めていた。
「そこは色々と面倒な話なんだ。簡単に言えば、当時の俺はあまり好かれてなかったんだ。あの頃の俺には当時のチームメンバーから信じてもらえる実績すらなかった。だから慕ってた先代がいなくなるなら抜けるって子も多かったって話だ」
「……嫌われてた?」
また意味の分からないことを麻真が言い出して、メジロマックイーンが怪訝に表情を歪める。
メジロマックイーンの疑問に、麻真は少しやるせない表情を見せていた。
「俺みたいなウマ娘と同じように走れる人間なんて……気味が悪い。それが自分達よりも早く走れるなら尚のことってところだ」
そう言って、麻真が苦笑いする。
その表情に、メジロマックイーンは呆気に取られた。その思考に至ったウマ娘達の気持ちが、彼女には全く理解できなかった。
しかし少し考えれば、納得はできないが理解ができなくもなかった。未だにメジロマックイーンも、麻真がなぜウマ娘と同等以上に走れるのかを知らない。それを考えれば、当時にアルタイルに所属していたウマ娘達が麻真を気味悪がってチームから抜けるという選択を選ぶ可能性も、確かにあり得た。
「それでも私は理解に苦しみますわ」
だが、それも些細なことだとメジロマックイーンは心の底から思っていた。
トレーナーとして、麻真は十分過ぎる能力を持っている。自分を強くしてくれるなら、そんなことは些細なことだとメジロマックイーンは思っていた。
メジロマックイーンの答えを予想していたのだろう。麻真はどこか呆れた表情を見せながら、話を続けた。
「お前の意見は今は置いておくとして……お前みたいなタイプだったのが、ルドルフとエアグルーヴの二人だった」
「それではそのお二人はチームに残ったのですね?」
アルタイルが麻真に引き継がれ、先代を慕っていたウマ娘達が抜けて残った二人のウマ娘。以前にメジロマックイーンが彼女達から直接聞いた麻真との出会いを考えれば、チームに残り続ける選択を選んだのは必然のことだと思えた。
「そうだ。色んな奴が抜けて、最後まで残ったのはルドルフ、エアグルーヴの二人だけ。その二人が、俺が引き継いだアルタイルの初期メンバーだった」
初期メンバー。その言葉に、メジロマックイーンは当然とも言える疑問を口にした。
「初期と言うことは、増えたんですね? 全部で何人です? あなたが手に掛けたウマ娘は?」
「お前な? その言い方は気をつけろって何度も言ってるだろ?」
「良いからお答えください」
まるで浮気したのが発覚したような気分だった。そんな経験などしたことがない麻真だったが、そんな気分になりながら半目で見つめるメジロマックイーンに答えた。
「多く見るつもりはなかったんだが、いつの間にか増えてた。一番多くて六人だった」
「六人……どなたです?」
「六人って言っても全員が揃ってた期間は短かったんだが……俺が休職する前の二年間だけタイキシャトルがチームにいたな。それ以外は大体は入れ替わりだった。デビュー前に怪我で走れなくなったマルゼンや一年間だけクリークの面倒を見たり、あとはラストランに出る為にオグリを一時だけ預かったりと、そんなところだ」
あまりにも平然と麻真が口にしたウマ娘の名前に、メジロマックイーンが顔を顰めた。
「またとんでもない方々の名前を出しましたわね……」
どんな答えが返ってきても大丈夫なのに身構えていたが、返ってきた答えに対して、メジロマックイーンは素直に反応に困っていた。
「一応、確認ですが……その方達の有名な功績は、麻真さんのチームにいる時ですか?」
「そうだったな。ルドルフやエアグルーヴはともかく、言われてみれば他のメンバーは俺のところにいる時だった」
その答えに、メジロマックイーンが無意識に頬を引き攣らせた。
アルタイルに在籍していた六人のウマ娘達。当然ながらメジロマックイーンも、その六人のことは知っている。と言うより、知らないわけがないウマ娘である。
その六人は、トゥインクル・シリーズでは特に有名なウマ娘として世間に名前が知れ渡っているのだから。
シンボリルドルフの無敗の三冠ウマ娘。そしてエアグルーヴのトリプルティアラ。タイキシャトルの最強のマイル王。無敗のマルゼンスキー。天皇賞制覇を果たしたスーパークリーク。そして奇跡の復活を最後に遂げたオグリキャップ。
彼女達の名を有名にした数々の偉業が麻真のチーム所属時に成されたことだと知って、メジロマックイーンもようやく理解した。
そんな実績を作り上げたアルタイルというチーム名が世間にどういう認識をされているか理解すれば、嫌でも想像できる。
麻真が休職して消えたそのチームが今になって帰ってきたと知られれば世間がどんな反応になるかなど、分かりきっていた。
「アルタイルというチーム名に騒ぐ人達の気持ちが分かりましたわ……」
「それも過去の話だ。今はお前しかいないから、そこまで騒がれることもないと思ってたんだがな」
「あなたのチーム名を知っている方からすれば、警戒されるのは当然ですわ。と言うよりも、それならその名前があの場で出た時点で……」
アルタイルというチーム名の意味を知ったからこそ、メジロマックイーンは嫌な予感がした。
そんな偉業を成し遂げたチームに、自分が所属している。つまり、自分も以前に在籍していたメンバーと似たような見られ方をすると考えれば――
「あの時の会場を見る限り、間違いなく警戒されたな」
「平然と当然のように言わないでくださいっ⁉︎」
「別にそういうのはお前はまだ気にしなくて良い。今は警戒されてもされなくても“関係ない”」
何が関係ないのかメジロマックイーンには全く理解できなかった。
眉を寄せたメジロマックイーンに、麻真は特に平然とした声色で告げていた。
「ちゃんと準備して、レースが始まれば分かるさ。それは余計な心配だ。だからお前は安心してレースに挑めば良い」
疑問を抱くメジロマックイーンだったが、麻真にそう言われて不服ながらも納得することにした。
明らかに自信しか感じられない麻真の態度。それを見れば、少しは心配にもなるがメジロマックイーンも信じざるを得なかった。
何か自分には見えていない部分が麻真には見えているのだろう。メジロマックイーンはそう思うことにして、麻真に頷いていた。
「何を安心するか分かりませんが……分かりましたわ」
「それで良い。とまぁ……こんなところだろうな」
そこで麻真が何気なく時計を見ると、彼がメジロマックイーンに説明を始めて五分が経とうとしていたところだった。
「丁度、五分か。良い頃合いだな。アルタイルの話はざっくりと話すとこれくらいだ。自分の所属してるチームについて、少しは分かったか?」
もう五分も経っていたのかと、メジロマックイーンは少し驚きながら時計を一瞥する。
確かに五分が経過していたのを確認してメジロマックイーンが麻真からこれ以上の話が聞けないことを理解すると、彼女は渋々と頷いた。
「ええ、分かりました。近々機会があれば、この話は細かく聞くことに致しますわ」
「言われた通り、ちゃんと話したんだ。機嫌直せよ?」
「怒りは収まりましたわ。それとお忘れなく……今は、これで納得するという意味で言っただけです。ちゃんとまた聞かせていただきますから、お覚悟くださいな?」
「……今度な」
顔を強張せる麻真に、メジロマックイーンが小さな笑みを浮かべる。
普段から麻真によって色々な目に合っているメジロマックイーンからすれば、彼が困り果てる姿を見るのは気分が良かった。
少しは普段の仕返しをしないと割に合わないと思いながら、メジロマックイーンは満足そうに尻尾を揺らしていた。
読了、お疲れ様です。
今回、すごく書くのが苦労した話でした。
文章が読み難かったら申し訳ないです。
今回の話は、麻真のアルタイルというチームの話でした。
ここで麻真が過去に育てたウマ娘が出ましたね。
まだ本編に出てないウマ娘もいますが()
多分、ちょこちょこと出てくるかと思います。
それまでは気長にお待ちいただければと思います。
ではまた次の話でお会いしましょう。
感想、評価、批評はお気軽に。
頂ければ、作者のモチベになります。