走るその先に、見える世界   作:ひさっち

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3.本当の使い方

 

 

 

 阪神レース場、第一レース“メイクデビュー戦”。

 今日の天候は晴れ、バ場状態は良。天気が崩れることもなく、非常に走りやすいコース状態となっていた。

 メジロマックイーンが出走する今回のレースは、右回りの芝二千メートルで行われる一般的な中距離レースに分類される。

 しかし二千メートルと言っても、単純な平地のコースを走るわけではない。各地にあるレース場毎に、それぞれのコースには特徴が存在する。それは勿論、阪神レース場も例外ではない。

 

 阪神レース場の芝二千メートルコースは、まず観客スタンド前からスタートする。その後は三百二十五メートルの直線を進み、第一コーナーへと入っていく。

 しかしこのコースの大きな特徴のひとつとして、スタート直後の位置に高低差二メートルもの登り坂が配置されていた。このコースを走るウマ娘の誰もがスタート後、この登り坂を駆け上がらなければならない。

 険しい登り坂を平地と同じ速度で走れるウマ娘などいない。登り坂を走るにはスタミナとパワーを多く必要とする為、この坂を高速度で登ることすらできないウマ娘も多い。

 そんな壁のような坂を走る必要がある以上、ウマ娘達の速度は必然的に速くなることはない。このレースのスタート後は比較的緩やかな速度で始まるのがこの世界の共通の認識となっている。

 しかし打って変わって、その登り坂を越えた後は特別な特徴もなく第三コーナーまで平坦なコースを走る。そして第三コーナーから第四コーナーに掛けて緩やかな下り坂を走りながら、ウマ娘はスタート地点へと戻って一周する。

 だが、スタート地点に戻ってきてもゴールではない。この時点の走行距離は約千八百メートル。まだ二百メートル程度が残っていた。

 つまりコースを一周して戻ってきたウマ娘達はゴールする為に、再度観客スタンド前の直線を走らなければならなかった。それが意味するのは、ひとつである。

 

 彼女達は、またスタート直後に走った高低差二メートルの登り坂を登らなければならない。

 

 千八百メートルを走った後に登る坂は、想像以上に走るウマ娘達の足に重い負荷を掛けることとなる。一度スタミナとパワーを消耗して登った登り坂を千八百メートルも走り続けて疲労を蓄積した足で再度登るのだから、それは容易なことではない。

 その為、本来ならば終盤に加速して差し合う場面であるはずが、このレースの終盤は瞬発的な加速の勝負にならず――いかに登り坂までに好位置を維持しながら疲労した身体を酷使してゴール前の登り坂を速く登るかというスタミナとパワーを必要とする根性のレースとされている。

 

 それが麻真の考える。メジロマックイーンのメイクデビュー戦における今回のレース概要だった。

 

 

 

「――昨日も話したことだが、今の話を忘れたなんて言うんじゃないぞ?」

「はい。しっかりと覚えてますわ」

 

 

 

 控え室からコース入場口に向かう最中でコースの概要を説明した麻真に、メジロマックイーンが頷く。

 元よりメジロマックイーンが賢いウマ娘と認識している麻真だったが、それでも念を押して彼は確認を行っていた。

 

 

 

「なら確認だ。このコースでお前が一番注意しないといけない点は、どこだ?」

「登り坂です。私の足ではまだ力押しで坂道を駆け上がれるようなパワーが足りていません。麻真さんが昨日話した通り、私は坂に合った走りに変える必要があると仰ってましたわ」

 

 

 

 その返事を聞いて、麻真が満足げに頷いた。メジロマックイーンの返答は、彼にそう思わせるだけの意味があった。

 メジロマックイーンの足は、彼女と出会った当初から筋力不足だと麻真は判断している。その判断は、今でも変わらない。彼女の足では瞬発力を必要とする“瞬間的な加速力”を使ってレースを戦うにはまだ不十分というのが、麻真の彼女に対する現在の評価である。

 それ故に、麻真の手によってメジロマックイーンは走り方を変えた。引き出せる自身の足の性能を最大限に引き出す走り方へと変わっていた。

 一瞬の加速ではなく、段階的な加速を行う走法。それが今のメジロマックイーンの最善の走り方である。

 それをしっかりと理解していれば、必然的に坂道を登る為に筋力を必要とするコースを自分が不得手と捉えるのが当然だった。

 

 

 

「その答えで十分。それくらい言えるなら問題なさそうだ」

 

 

 

 しっかりとメジロマックイーンは自分の足の性能を理解している。麻真は彼女がそれを理解できていると知って、胸を撫で下ろした。

 

 

 

「それが原因で私に基礎トレーニングをさせたのでしょう? それに私には筋力がないと麻真さんがしつこく言い続けた所為ですわ」

 

 

 

 そもそも、メジロマックイーンが自分の足をそう認識しているのは麻真が原因だった。

 筋力がないから基礎トレーニングが必要と言われ、地獄だったトレーニングの日々を送ることになったのだ。メジロマックイーンからすれば、嫌でもそう認識するしかなかっただけの話だった。

 

 

 

「ところで……昨日も伝えましたが、もう一度言いますわ。私は麻真さんの指示通り、この一週間はずっと足に重りを付けて走ることしかしてません。今の走り方で坂道を登る練習なんて、一度もしていませんわよ? あなたが問題ないと仰るから信じましたが……本当に大丈夫ですの?」

 

 

 

 思い返せば、メジロマックイーンは今日のレースまで基礎トレーニングと走り方を作る練習しかしていない。

 今回のレースで重要視されている坂道の練習を、メジロマックイーンは今の走り方で一度たりともしていなかった。

 レース前日に麻真からレースの概要を伝えられた時、メジロマックイーンは勿論そのことを指摘した。しかし麻真は、その指摘に対して問題ないと答えるだけだったのだ。

 麻真はメジロマックイーンにそう訊かれると、平然とした顔で答えた。

 

 

 

「あぁ、大丈夫だ。今教えるから」

「はい……?」

 

 

 

 思わず、メジロマックイーンは自分の耳を疑った。今、目の前の男は何を言ったのかと。

 自分の耳が正常なら、この男は今日のレースで一番大事な登り坂の走り方を“今”教えると言っていた。

 

 

 

「……冗談ですわよね?」

 

 

 

 引き攣った笑みを浮かべて、メジロマックイーンが訊き返す。

 しかし麻真は悪びれもしない表情で、簡素に答えていた。

 

 

 

「いや、本当に今教える」

 

 

 

 麻真の言葉に、気を失いそうになった。メジロマックイーンはふらりと倒れそうになる身体を咄嗟に立て直しながら、頭痛が起きそうだとこめかみに指を添えていた。

 頭の血管がはち切れそうになる。メジロマックイーンが手を震わせながら、無意識に鋭く目を細めていた。

 

 

 

「またあなたは、私を怒らせたいみたいですわ……!」

「だからすぐ怒るなって。まだ若いのに血圧上がるぞ?」

「その頭、かち割りますわよっ⁉︎」

 

 

 

 メジロマックイーンが怒りを吐き出しても、麻真は鬱陶しそうに眉間に皺を寄せるだけだった。

 怒りを露わにするメジロマックイーンに、麻真は小さく溜息を漏いた。

 

 

 

「確かに坂道の練習も本当なら必要だったが、そもそも前提の基礎がなかったお前だと、その練習をしても意味がなかった。だから先にフォーム作りを優先したんだ」

「それなら基礎トレーニングをしなければ時間は沢山ありましたわ!」

 

 

 

 耳と尻尾を逆立てて、メジロマックイーンがまるで猫のように怒りを見せる。

 レースまでに坂道用の走り方を作りきれなかった。それが問題だとメジロマックイーンは思わざるを得なかった。

 基礎の形を作っても、登り坂の走り方を練習する時間がなかった。それならば、そもそもあの基礎トレーニングの期間を走る練習にしていれば間に合っていた。

 あの辛かった基礎トレーニングをせずに、ひたすらに走る練習をすれば登り坂の練習もできていた。

 怒るメジロマックイーンの言い分を理解していた麻真だったが、そんな彼女に対して今度は深い溜息を吐いていた。

 

 

 

「ああ言えば、こう言うやつだな。全く……何度も言ってるが、走り方を作るにはまず基礎の身体作り。その基礎がないと走り方が定まらない。走り方が定まらないと、先の練習ができない。つまりはそういうことだ」

「ですが……!」

「基礎トレ、した意味あっただろ? 今のお前なら分かると思うが?」

「ぐぬぬっ……!」

 

 

 

 それについては、メジロマックイーンは返す言葉がなかった。

 地獄だった基礎トレーニングで身体を鍛えたからこそ分かる。アレがあったからこそ、今の走りができていることをメジロマックイーンは実感していたからだった。

 腕、背筋、腹筋、足。そして柔軟と、全てがメジロマックイーンの今の走り方に結びついている。あの日々がなければ、今の走りを作れなかったことも嫌でも理解しているからこそ、麻真の言葉に返せる言葉が出てこなかった。

 悔しそうに口を噤むメジロマックイーンを見ながら、麻真が呆れたように肩を竦める。そして彼は肩を小さく落としながら、メジロマックイーンに告げていた。

 

 

 

「俺がそうしなかったのは、別に今しなくても問題ないと判断したからだ。そもそもメイクデビュー戦で、今回の出走メンバーならお前の走り方に少し手を加えるだけで十分勝てる」

「……私に何をさせる気ですか?」

 

 

 

 また良からぬことを言い出すのかと、メジロマックイーンが怪訝な表情で麻真を睨みつける。

 麻真はそんなメジロマックイーンに、簡潔に告げていた。

 

 

 

「登り坂の時だけ、走る歩幅をいつもより半分短くして足の回転数を限界まで上げろ」

「……それだけですか? それで登り坂を越えられると?」

 

 

 

 予想と違う内容だったことに、メジロマックイーンが顔を顰めた。

 力の使い方や姿勢など細かいことを伝えられると思っていたはずが、予想よりも遥かに簡単な内容に思わずメジロマックイーンは疑っていた。

 たったそれだけのことで難所と言われている登り坂を越えることができるのかと。

 

 

 

「マックイーン。お前は階段を登る時、どうやって登ってる?」

 

 

 

 脈絡のない麻真の問いに訝しむメジロマックイーンだったが、そう思いながらも彼女はその質問に素直に答えることにした。

 

 

 

「そんなのは普通に――」

「歩幅は? いつも通りに歩いてる歩幅で登ってるか?」

 

 

 

 また妙なところで追及してくる。メジロマックイーンは何を言っているのかと思いながら、口を開いた。

 

 

 

「そんな訳ありませんわ。そんな風に歩く訳ありません」

「ならどうやって登る?」

「そんなの簡単ですわ。登る階段に合わせて歩幅を――」

 

 

 

 言いかけた言葉を、メジロマックイーンは咄嗟に止めていた。

 階段を登る時、階段に合わせて歩幅を変える。普段歩いている歩幅では、階段の作りに歩幅が合わないからだ。

 更に階段を早く登ろうとすれば、その分だけ足を速く動かす。そんなことは誰もがしていることだろう。

 登る時、歩幅を変え、回転数を上げる。それをメジロマックイーンが理解すると、呆気に取られた表情を見せていた。

 

 

 

「少し違うが、大体のイメージはそういうことだ。分かったか?」

「本当に、それだけで良いと仰ってますの?」

 

 

 

 あまりにも、簡単過ぎる。メジロマックイーンにはとてもではないが信じられない話だった。

 

 

 

「簡単そうに聞こえてると思うが、スタミナが並以上あるお前だから言ってるんだ。言っておくが今話した走り方、かなりスタミナを使うことになる。俺もメイクデビューのウマ娘に言うことなんてまずないが……お前なら問題ない」

 

 

 

 その走り方について、今時点で麻真もメジロマックイーンに詳しく話すつもりはなかった。

 ピッチ走法――歩幅を短く、足の回転数を上げる走り方がある。主に坂道を登る時に用いる走法で、重賞ウマ娘になると当たり前のように使われている走法である。

 その走法の対価として、足を速く動かしただけ大量のスタミナを消費する諸刃の剣とも言える走り方だった。

 

 

 

「そう仰ると言うことは……私の実力を少しでも認めてくれたのですね?」

「違う。スタミナは他のウマ娘よりあるってだけだ。お前はまだまだひよっこだっての」

 

 

 

 誇らしげに胸を張るメジロマックイーンだったが、麻真に即落とされて不服そうに頬を膨らませていた。

 

 

 

「ともかくだ。次、登り坂を上がった瞬間から練習通りに走れ」

「他に作戦はありませんの?」

「特にないが、注意点はある。逆を言えば、それだけ守れば良い」

 

 

 

 麻真はそう切り出すと、首を傾げるメジロマックイーンにその注意点を告げていた。

 

 

 

「下手に周りにペースを合わせなくて良いから、お前は自由に走れ。お前のペースで、先行だからって位置を気にする必要もない。練習通りの手順で加速して走るだけで良い。それだけはちゃんと守れ、そうすればレース中にすぐ分かる」

「それだけ守れば、何が分かるのです?」

「それは走ってからのお楽しみだ」

 

 

 

 まさしく、それは作戦とは言えない内容だった。いつも通りに走れ、それだけだった。

 麻真の意図が理解しきれないメジロマックイーンは、相変わらず大事な部分を話そうとしない彼に呆れていた。

 

 

 

「ちなみに、第四コーナーまで振り向くのも駄目だ」

「……それも理由は教えてくれませんの?」

「教えると、お前の為にならない」

 

 

 

 自分のペースで自由に走り、第四コーナーまで振り向かない。

 それだけがトレーナーである麻真からの指示だった。

 にわかには信じられないが、これを本気で言っているのはメジロマックイーンも嫌でも分かっていた。加えて、その意図を絶対に教えることがないのも過去の経験から把握している。

 

 

 

「分かりましたわ……あなたを信じます」

「物分かりが良くて助かる」

 

 

 

 どの道、信じるしかない。今日まで麻真の指示に反抗しながらも従っていたが、正しいことだと実感もしているのだから。

 どこか小バカにした表情で、麻真がメジロマックイーンの頭を撫でる。

 くりくりと頭を撫でられるのをメジロマックイーンは頭を振って逃げると、二人はいつの間にかレース場の入場口まで来ていた。

 入場口の先から、騒がしい喧騒が聞こえて来る。メジロマックイーンはそれを聞くと、不思議と背筋に冷たいモノが通るような感覚が走っていた。

 

 

 

「さて……そろそろ入場時間か」

 

 

 

 周りを見渡して、麻真が呑気にそう呟く。

 二人の周りには多くのウマ娘が居て、それぞれが入場口に向かって歩いていた。

 トレーナーに見届けられるウマ娘。一人で胸を張って歩くウマ娘など、様々なウマ娘が歩いていく。

 入場口から聞こえる喧騒、周りを歩くウマ娘の気迫。レース前の緊張感のある空気を、麻真は久々に感じていた。

 

 

 

「……頑張りますわ」

 

 

 

 少し間を空けて、メジロマックイーンがそう呟いた。そして深い深呼吸をして、彼女は入場口を見据えたまま歩き出した。

 

 

 

「では……行って参りますわ」

「おい、待て」

「はい?」

 

 

 

 気持ちを引き締めてメジロマックイーンが歩き出したところで、麻真に引き止められた。

 

 

 

「なにか伝え忘れがありまして?」

 

 

 

 言い残したことでもあったのだろうか。そんなことを思いながら、メジロマックイーンは首を傾げた。

 

 

 

「そう言えば、お前に訊きそびれたことあったわ」

「急になんですの?」

 

 

 

 藪から棒に、そんな言葉がしっくりと来る言葉だった。

 メジロマックイーンが怪しがりながら、表情を顰めた。

 しかし麻真はメジロマックイーンの態度を特に気にも止めず、訊いていた。

 

 

 

「一昨日、ガキンチョとお前がレースした時、スタートの時に妙なことしてたな?」

「……その話、今する必要あります?」

「良いから、答えろって」

 

 

 

 どうにも答えさせたいらしい。麻真の珍しく強引なところを見せられて、メジロマックイーンは渋々と答えることにした。

 

 

 

「妙なこと……ですか?」

 

 

 

 しかし麻真の問いに、メジロマックイーンは思い当たる節がなかった。

 トウカイテイオーとレースした際、スタートの時に自分は何が変なことをしたのだろうか?

 しかし考えても、メジロマックイーンにはそんな行動をした覚えなどひとつもなかった。

 

 

 

「両手を合わせて、お祈りみたいに顔に近づけるアレだ」

「あぁ、アレですか?」

 

 

 

 そこで麻真がそう言ったことで、メジロマックイーンもようやく思い当たった。

 麻真はメジロマックイーンに“その行動”の自覚があることを察すると、すぐに追及していた。

 

 

 

「あれをどこで覚えた?」

「別に変なことをしてるつもりはありませんわ。やめるつもりはありませんわよ?」

 

 

 

 指摘されていると受け取ったメジロマックイーンだったが、麻真は首を横に振っていた。

 

 

 

「そう言うんじゃない。単純に気になった」

 

 

 

 なら何故、こんな時に訊くのだろうか?

 レースが終わってからでも良いのにと、メジロマックイーンは思いながら渋々と答えた。目を僅かに伏せ、過去の記憶を思い返しながら。

 

 

 

「かなり昔のことで私もあまり覚えてないんですが……昔誰かに教わったモノですわ。緊張を解すおまじないと言われましたの。今では、もう私の癖みたいなモノになりましたけど」

 

 

 

 両手を合わせて、顔の前でお祈りのように近づけてから深い深呼吸。それがメジロマックイーンのレース前のルーティンだった。

 いつから始めたのかは、メジロマックイーン本人ですら覚えていない。誰かに教わったこととその行為の意味だけしか、彼女は覚えていなかった。

 

 

 

「そうか……そういうことか」

 

 

 

 メジロマックイーンの答えに、麻真が目を細めて何か納得したように頷いた。

 

 

 

「なにかありまして?」

「いや、大したことじゃない」

「いえ、気になりますわよ? その反応は?」

「別に気にするなって。じゃあ折角だから、ここでやってみてくれ」

「一体、さっきからなんですの……?」

「良いから、ちょっと気になったことがあっただけだ」

 

 

 

 怪訝になりながらも、メジロマックイーンは溜息を吐きながら麻真の要望通りにした。

 麻真の前で呼吸を整えて、そっと両手を合わせる。そして顔の前まで合わせた両手を近づけて、まるで祈るような形を作る。

 気持ちを整えるような感覚を覚えながら、一度だけ深い深呼吸。それをすれば、メジロマックイーンのレース準備が終わる。

 しかしどうしてか、何故か“手の震えが止まらない”。だが、それでも今から走る準備はできている。そう思うと、メジロマックイーンは深い深呼吸をしていた。

 

 

 

「それっ」

 

 

 

 ふと、麻真の気の抜けた声と共に――バチンッと何かを叩く音が響いた。

 

 麻真が何かを叩いたのだろうか?

 

 そんなことを考えたのも束の間、その音と共にメジロマックイーンの両手から“鋭い痛み”が全身を駆け回った。

 

 

 

「いっっったいですわッ‼︎」

 

 

 

 あまりにも唐突に感じた両手の激痛に、メジロマックイーンは尻尾を逆立てた瞬間だった。

 

 

 

「いきなりなにするんですのッ‼︎」

 

 

 

 犯人など一人しかいない。目の前で両手を広げて楽しげに笑っている麻真に、メジロマックイーンは目を吊り上げていた。

 麻真はけらけらと怒るメジロマックイーンを見ながら一頻り笑うと、呆れたような苦笑を見せた。

 

 

 

「手、震えてるの止まっただろ?」

「えっ……?」

「自覚なしか? まぁ良い、それで少しはマシになったぞ?」

 

 

 

 そして麻真にそう告げられて、メジロマックイーンはキョトンと呆けた表情を作っていた。

 確かに何故か自分の手は震えていた。先程、手を合わせた時に自覚したが、それを麻真に指摘されるとはメジロマックイーンは思ってもいなかった。

 思わず、ヒリヒリと痛む両手をメジロマックイーンが見つめる。いつの間にか震えていた手には、先程まであった震えが止まっていた。

 

 

 

「俺はお前のトレーナーだ。一応、お前のことはちゃんと見てるんだからな?」

「叩く必要ありました?」

「緊張を解す為の俺からの激励だ。素直に受け取れ」

 

 

 

 そんなことで叩かれるのは堪ったものではない。叩かれる側は良い迷惑である。

 レースが終わったら、この人の頭をかち割ろう。メジロマックイーンは心の中でそう決意した。

 しかし確かに先程まで背筋に走っていた寒気と、手の震えは止まっていた。

 

 

 

「なら、今はそう受け取っておくことにしますわ」

 

 

 

 メジロマックイーンは赤くなった手の甲を一瞥して、溜息を吐きながら呆れた笑みを浮かべていた。

 麻真が手を雑に振って早く行けと催促する。それを見たメジロマックイーンは肩を小さく竦めると、彼に背を向けていた。

 先にあるレース場への入場口を見据えながら、メジロマックイーンは一歩前に進んだ。

 

 

 

「それでは行って参りますわ。私が誰よりも速くゴールする姿を、しっかりと見てもらいますわよ」

「ちゃんとスタンドから見てるから安心しろ」

 

 

 

 メジロマックイーンが歩きながら告げた言葉に、麻真がそう答える。

 

 

 

「気抜いて怪我すんなよ……それと思い切り、楽しんで来い」

 

 

 

 無意識に、メジロマックイーンが立ち止まった。思わず、顔だけ振り返ると麻真は既に背を向けて歩いていた。

 本当に素直じゃない人。メジロマックイーンはそう思いながら、入場口に歩き出す。

 しかし麻真の言葉に、返事をしない訳にはいかない。メジロマックイーンは歩きながら、自身の柄ではない大きな声で麻真に向けて答えていた。

 

 

 

「……はいっ‼︎」

 

 

 

 そして、メジロマックイーンは入場口からレース場へと歩き出していた。

 メジロマックイーンがレース場に出たことで、会場の喧騒が大きくなるのが分かる。

 麻真はその喧騒を聞きながら、ゆっくりと歩いていた。

 

 

 

「アレがあのおまじないの本当の使い方だ。マックイーン」

 

 

 

 その呟きは、メジロマックイーンには届かなかった。




読了、お疲れ様です。
毎回、悩みながら書いてます()

次回、レーススタートです。
今回は今回のレース概要とメジロマックイーンのとある仕草について。
一応、頑張って書きましたが不備があったらごめんなさい。
それとアプリの話ですが、マックイーンはレース前にこれをやってます。気になった方は見てみてください。
何故、麻真がこれを聞いたのかも後々に分かる日が来るかもしれませんね。


それではまた次回にお会いしましょう。
感想、評価、批評はお気軽に。
頂ければ、作者は頑張ると思います。
前回、沢山の評価を頂き、感謝です。素直に嬉しかったです。
そして誤字脱字修正をして頂いた方々、ありがとうございます。至らぬ作者ですいません。
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