走るその先に、見える世界 作:ひさっち
メジロマックイーンが坂道を駆け上がる姿を見て、麻真は意外そうにしながらも、どこか嬉しそうに頬を僅かに緩ませた。
レースが始まる前、麻真はピッチ走法の大まかなコツ“だけ”をメジロマックイーンに簡潔に説明していた。その麻真の想定では、このレースで彼女の行うピッチ走法には、大した完成度はないと判断していた。
練習など一切していない初めて使う走法に完成度など求める訳がない。その点は、流石の麻真も理解していた。その為、このレースで麻真がメジロマックイーンに求めていたのは、ある程度の速度で周りに大きく遅れることなく坂道を登ってくれれば良いという程度のモノだった。
しかし実際にこうしてメジロマックイーンが坂道を駆け上がる姿を見ると、予想外の光景を前に麻真は素直に目を大きくしていた。
「アイツ、やっぱり賢いな」
思わず、そう無意識に呟くほど麻真は素直に驚いていた。
歩幅と足の回転、そして力の使い方も、麻真の想定よりも良い形をメジロマックイーンが作っている。彼女が走り方をピッチ走法に変えた瞬間は、その走りに明らかな“ぎこちなさ”が出ていた。しかしすぐに、そのぎこちない動きは見違えるほど滑らかな形へと変化していた。
その変化を見て、麻真はすぐに察していた。メジロマックイーンが走りをピッチ走法に変えた瞬間、即座に彼女はその走りを自分の足に適した形へ変えたのだろうと。まさか彼女がトレーナーの手を借りず、一人でピッチ走法を自分用の走りに修正をするなど麻真は思ってもいなかった。
今日までメジロマックイーンが行っていた練習が良い方向に影響している。自分で考えながら走り方の形を矯正したお陰なのか、ピッチ走法でも自分に合った形へすぐに変化させた彼女の対応力に麻真は素直に感嘆していた。
だが麻真から見て、メジロマックイーンが今見せているピッチ走法の完成度は正直に言えばまだまだである。まだ練度を上げる箇所など幾らでもある。
「そうか……」
だが、それでもメジロマックイーンが自分の意思で走りを自分なりに最善の形に変化させようとしたことに、麻真は大きな価値を見出した。
走り方の矯正とは、一般的に個人だけの力では一朝一夕でできるモノではない。それこそ、長い時間を掛けて変わるモノである。慣れ親しんだ動作を変えることは、並大抵の努力では為せることではない。
加えて突発的に行っている新しい走り方なら尚のこと、走りながら走り方の矯正などするウマ娘などいない。それがレース中なら尚更である。
そもそもレース中に新しい走り方をすること自体が稀なのだが……普通ならおぼつかない足取りでも良いから、とにかく転ばずに走ることだけに意識が向く。それを修正しようという意識は、メイクデビュー戦のウマ娘にはまず生まれるはずのない考えである。
普通なら無意識に恐れるはずだった。自分の足が今より遅くなるかもしれない。そんな不安が生まれ、一番初めに作った形を維持して走ろうと無意識に行動してしまう。
その普通から、メジロマックイーンは明らかに逸脱していた。
自分の足の使い方を理解していなければできるはずのない行為。自分が“できること”と“できないこと”を把握し、そして現状の中で最善の選択を選ぶという“素質”の価値がどれほど貴重なモノなのか、それを平然と行っているメジロマックイーンは理解すらしていないだろう。
メジロマックイーンが走りの修正という行為の根本のところには、勿論だが麻真が今まで教えてきたことが根付いている。彼が居なければ、彼女はその判断と行動はできなかっただろう。
他者から教わり、自分で考え、今の最善の選択を選ぶ。それができる“素質”を持つウマ娘は、本当に稀である。
トレーナーに言われたことだけを行うウマ娘は、大勢いる。むしろ、それが普通である。そしてそれだけで強いウマ娘は、多くいる。
しかし教わったことから自身で考えて更に成長し、より良い最善を選ぼうとするウマ娘は、そんなウマ娘達よりも高みに登れる。
トレーナーが指示したことが全て正解ではない。ウマ娘の身体は、本人しか分からない部分も多い。些細な部分は当人しか分からない点も多い。それらの中で、トレーナーへの反抗ではなく更なる最善の選択を選べるかは、ウマ娘本人しかできない。
時に、その選択が間違いでも良い。間違いは、誰にでもある。その時は、トレーナーである者が道を正すだけなのだから。
最善を選び続けようという意思を持つこと。この意思を持っているウマ娘が、強くならない訳がない。
「お前が“それ”をできるなら、この先はかなり楽ができそうだ」
麻真がメジロマックイーンの“素質”を垣間見て、小さな笑みを浮かべた。
後々の予定が、大きく短縮されるかもしれない。そんな期待を麻真は抱いた。
「ねぇ? さっきから一人で何をぶつぶつ言ってるの?」
「はっ……?」
そんな時だった。トウカイテイオーがレースを見ていた麻真に、引き攣った表情を向けていた。
予想外の指摘をトウカイテイオーから受けて、麻真はそれが自分に向けたモノだと理解するのに僅かな時間を要した。
「……俺、今なにか喋ってたか?」
「マックイーンが坂道登った辺りから小さい声でなんかぶつぶつ言ってたよ? 正直、ちょっと怖かった」
「…………」
麻真が思い切り顔を顰めていた。トウカイテイオーのその指摘が冗談ではないのは、彼女の表情を見れば一目瞭然だった。
明らかに引かれている。トウカイテイオーに引かれることはどうでも良いことだったが、麻真が頭を抱えたのは無意識に何かを口にしているという点だった。
「俺が何言ってるか……聞こえたか?」
「そんなの聞こえないよ。なんかぼそぼそ言ってるくらい。それ、麻真さんの癖?」
「やはり知らなかったテイオーには指摘されてしまったか……仕方ない。麻真さんは何かに対して強く集中すると、稀に呟く癖があるんだ」
その時、何故かシンボリルドルフが麻真の癖を認知しているような発言をしていた。
麻真が目を大きくする。シンボリルドルフが認知しているということは、自分のその癖が休職する前からあったと言っているようなものだった。
「おい……ルドルフ、いつからだ?」
「それは昔からだ。あなたが私のトレーナーだった頃からあった。勿論、エアグルーヴ達も知ってる」
「嘘だろ……?」
そしてシンボリルドルフだけでなく、当時のアルタイルメンバーも認知しているという事実に、麻真は驚愕していた。
「ルドルフ? なんでその時、俺に教えなかった?」
「その癖が出る時、大抵は麻真さんが真剣に何かを考えてる時だったから邪魔する訳にもいかないと思ったからだよ。それに……見てて可愛かったからな。別に教えなくても良いかと当時の私達で決めたんだ」
「嫌がらせかよ」
二年の休職を経て、新しい事実を麻真が突きつけられた瞬間だった。
つまり、自分は今までレースを見ていた時、勝手に一人で喋っていたことになる。
実に気味が悪い人間である。流石の麻真も、無意識に呟く癖は不味いと思ってしまった。
それを可愛いからという理解できない理由で長年放置されていた事実にも、麻真は頭を抱えたくなった。
「今度から気をつけるか……」
「無意識の癖は簡単になくならない。それは麻真さんが一番分かってることだろう?」
シンボリルドルフから思わぬ追撃を受けて、麻真が唸る。
麻真が困惑している姿に、シンボリルドルフは満足そうに笑みを見せていた。
それを見て、麻真はシンボリルドルフが自分に協力的ではないことを察した。
「おい、ガキンチョ。次に俺が何か言ってたら言ってくれ」
「麻真さんがボクのトレーナーになってくれたら言ってあげるよ?」
「……言わなくていい」
自分でなんとかしよう。麻真はそう決意しながら、肩を落としてレースに意識を向けることにした。
◆
険しい坂道を登れば残りはゴール前の坂道を除き、平坦な道だった。
ピッチ走法で坂道を無事登ったメジロマックイーンの現在の順位は、二位を維持していた。
メジロマックイーンより先を走るウマ娘は、ハギノレジェンド。スタートから坂道を登り切るまで、彼女は先頭を走り続けていた。最初の関門となる坂道も彼女がピッチ走法で駆けていたことはメジロマックイーンも目視で確認している。
流石は一番人気と言われているだけはある。メジロマックイーンは先頭を維持している二バ身離れたハギノレジェンドの背中を見据えながら第一コーナーへと入った。
(坂道、キツかったですわ!)
第一コーナーに入って、メジロマックイーンが自身の足を一瞥した。
足の消耗がいつもよりも大きい。足に予想以上の疲労感があるのをメジロマックイーンは感じていた。しかし、彼女のまだ足は死んだわけではなかった。
(まだ! 走れますわっ!)
ここで足を止める訳がない。この程度のことで速度を緩める姿など“あの人”に見せられる訳がない。まだ自分の最大速度まで、加速は三回も残っているのだから。
メジロマックイーンの足が、第一コーナーに入って更に加速した。
二段階目の加速を、メジロマックイーンが終えた。第一コーナーから第二コーナーに入り、前方のハギノレジェンドとの距離が一バ身まで縮まっていく。
その時、ハギノレジェンドが背後を一瞥してメジロマックイーンの位置を確認していた。
「ッ――⁉︎」
背後のメジロマックイーンを見た瞬間、ハギノレジェンドの表情に動揺が走った。
予想よりも背後にメジロマックイーンが迫っていることに焦ったのか、ハギノレジェンドが彼女と距離を離そうと更なる加速を行う。
それにより、メジロマックイーンとハギノレジェンドの一バ身まで縮まっていた距離が少しずつ開いていった。
離れていくハギノレジェンドの背中をメジロマックイーンが見つめるが、彼女はその光景に焦ることはなかった。今はまだ第二コーナーに入ったところ、ゴールまで距離が半分以上残っている。焦るには、まだ早い。
(次の加速は――直線の中間っ!)
第二コーナーを抜けて直線に入り、先頭を走るハギノレジェンドから三バ身半離れてメジロマックイーンが追い掛ける。
直線の中間まで走り、メジロマックイーンが三段階目の加速を迎えた。彼女の出せる最大速度まで、残る加速はあと一回となった。
(次で、最後っ!)
これでメジロマックイーンに残された最後の加速は、自身の経験から第四コーナーの区間と彼女は想定する。
それまで、最後の加速を終えるまで、この位置を維持していれば自分は先頭のハギノレジェンドへ迫れる。メジロマックイーンはそう思いながら、三バ身半先にいるハギノレジェンドの遠い背中を見つめていた。
そして長い直線が終わり、メジロマックイーンは第三コーナーへ入った。
先頭を走るハギノレジェンドを視界に捉えていたメジロマックイーンが、彼女の走りを見て僅かに眉を寄せた。
メジロマックイーンの目には、先頭のハギノレジェンドの足運びが先程よりも悪くなっているような気がした。
(まさか……落ちてる?)
その時だった。前方にいたハギノレジェンドが徐々に速度を落としていた。
ゆったりとハギノレジェンドとメジロマックイーンとの間に開いていた距離――三バ身半も離れていた距離が縮まっていた。
第三コーナーの間に二人の距離が二バ身、そして一バ身と縮まっていく。
そしてメジロマックイーンは、ハギノレジェンドに半バ身まで詰め寄っていた。
メジロマックイーンは三段階目の加速を終えてから速度を落としていない。その状態でハギノレジェンドとの距離が縮まるということは、単純に彼女の速度が遅くなっていると判断するのは容易だった。
(先程の加速は選択ミスでしたわね)
ハギノレジェンドの減速の原因を、メジロマックイーンは瞬時に理解した。
おそらくは、レース中盤に後続が迫っているのを確認して焦って加速した所為だろうと。後続から距離を離したい逃げという位置に固執し、スタミナ管理がおそろかになったハギノレジェンドの選択の答えがコレなのだろう。
レース中に速度を落としたウマ娘に、メジロマックイーンが情けを掛けるつもりなど毛頭なかった。
(横、失礼しますわ)
第三コーナーを抜けたところで、遂にメジロマックイーンがハギノレジェンドを外から抜いていた。
ハギノレジェンドが苦悶の顔で減速していく隣を、メジロマックイーンが駆け抜ける。
この瞬間、順位が変動してメジロマックイーンの順位は一位に変わった。
第三コーナーで先頭を獲得するとはメジロマックイーンも思っていなかった。しかし先頭の位置を獲得した以上、この位置から後ろに下がる理由もない。
単に状況は逃げのウマ娘がいなくなっただけ、後方のウマ娘達は仕掛けるタイミングを見計らっているはずである。ならば、自分はこの位置を維持するだけで良いとメジロマックイーンは判断する。
まだ自分には、まだ最後の加速が残っている。それを迎えて、ゴールへ走るだけで良いと。
麻真と共に走った時と同じように、練習通りの走りをすれば良いのだから。
そして第三コーナーの終わりから、メジロマックイーンが第四コーナーへと入った。
(行けますわ! これで最後ですっ!)
そこでメジロマックイーンの足は、最後の加速を迎えた。
自身の出せる最大速度まで加速したメジロマックイーンが足を一切止めることなく走り続ける。
第四コーナーに入った時点で、レースは終盤である。そろそろ後続が迫ってくる頃だろう。そう思ったメジロマックイーンが後方から足音が聞こえていないか耳を澄ませた時――
『二番人気メジロマックイーン! ここで大きく前に出たっ!』
『後続から大きく距離を離してます! これは掛かっているのかっ⁉︎』
ふと、アナウンスから不思議な言葉がメジロマックイーンの耳に入った。今まで走ることに集中していてアナウンスの声が聞こえていなかったが、その言葉は彼女には不可解な言葉にしか聞こえなかった。
ウマ娘のレースで“掛かる”とは、加速し過ぎることや前に出過ぎることを指す。レース状況や周りの圧力で当人に起こる走るペース配分の乱れが主な原因とされている。
(――私が掛かってる?)
意味のわからないことを言っているアナウンスに、メジロマックイーンが走りながら眉を顰めた。自分は麻真の指示通り、いつも通りに走っているだけである。それなのに、どうしてそのようなことを言われなければならないのか?
(足音が、聞こえない?)
アナウンスにそんな不満を抱きながらも、メジロマックイーンはしっかりと耳を澄ませていた。背後から走る足音が聞こえていないかを。
しかし一向にメジロマックイーンの耳に、自分以外の足音が近くに聞こえていなかった。いや、微かに聞こえてはいる。しかしそれは、かなり遠くの足音だった。
思わず、メジロマックイーンがコーナーを曲がりながら後方を確認しようとした時、彼女は思い出していた。
(そう言えば、あの時――)
レースが始まる前、麻真から第四コーナーまで後ろを決して見るなという不可解な指示を受けていたことをメジロマックイーンが思い出した。
未だ理解できない麻真の指示。メジロマックイーンは今走っているのが第四コーナーであることから、この時点で後方を確認しても麻真の指示に違反していないと判断する。
(なんだったんですの? あの指示は――)
そう思って、走りながらメジロマックイーンが後方を一瞥した。
(はっ……?)
そして一瞬だけ見えた後方の光景に、メジロマックイーンは目を大きくしてしまった。
予想では、少し離れた位置に後続のウマ娘達がいるとメジロマックイーンは思っていた。既に第四コーナー、もう仕掛けてくるウマ娘が居てもおかしくない状況である。
それなのにどうして、こんな状況になっているのかメジロマックイーンには理解ができなかった。
(何故あなた達は、まだ……そんなところにいますの?)
第四コーナーの後半を走るメジロマックイーンに対して、後続のウマ娘達はようやく第四コーナーに入っていたところだった。
あまりにも予想とかけ離れた光景にメジロマックイーンが酷く動揺する。
何故、後続があんなにも遠く後ろにいるのか?
ペース配分を間違えたかとメジロマックイーンが瞬時に思うが、すぐに一蹴する。自分は間違えていないと。
走るペースは、麻真と練習していた通りに走っていた。初速から最大速度に至るまでに必要とする距離は変わっていない。
足には坂道による想定以上の疲労があるが、それはペースを乱す要因になっていない。スタミナも、まだ残っている。
この状況なら掛かっていると言われるのも不思議ではない。明らかにおかしい距離がメジロマックイーンと後続の間に開いているのだから。
(まさか……私が掛かって……?)
もしかしたら自分が無意識に本番のレースでミスをしたのかもしれない。そんな不安がメジロマックイーンに襲い掛かる。
その不安。それはメンタルがまだ鍛えられていないメジロマックイーンに、大きな影響を与える。
メジロマックイーンの走りに、僅かな変化を生み出そうとした時だった。
(ッ――!)
ゾクリ、とメジロマックイーンの背筋に鋭い悪寒が走った。
今、足の動きを絶対に悪くしてはいけない。そんな直感がメジロマックイーンの脳裏に過った。
現状に対する不安よりも……自分のフォームを崩して走る速度を落とすことの方が恐ろしいと、メジロマックイーンは確信していた。
(練習通りに、麻真さんが言ってましたわ。それで私が勝てると……なら、信じない理由はありませんわっ!)
乱れかけたフォームを、メジロマックイーンがどうにか抑え込む。
胸にあった不安は、いつの間にか消えていた。自分が先行とは違う走りをしているなど、最初からメジロマックイーンは知っている。なら、今更何を気にする必要があるのか。
フォームも、ペース配分も、加速のタイミングも、麻真と走っていた時と同じである。麻真がそれで走れと言ったのだから、自分はそれだけで良い。
(麻真さん! 見ててください! 私の走りをっ!)
前だけを見据えたメジロマックイーンが、第四コーナーを駆け抜けた。
読了、お疲れ様です。
はい。レース終わりませんでした。
前半パートに文量を使い過ぎました。申し訳ありません。
最後まで書くと万字を簡単に超えるので、一度分けさせて頂きます。
次回で本当にメイクデビュー戦は終わります。
今回の話は、麻真から見たマックイーンの可能性についてと麻真の癖。そしてメジロマックイーンのレースは第四コーナーまででした。
第四コーナーで彼女は何故悪寒が走ったのか?
そんな話でした。
では、また次回でお会いしましょう。
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