走るその先に、見える世界   作:ひさっち

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7.初めて勝ち取った結果

 

 コースを走るメジロマックイーンが第四コーナーに入って、すぐにそれは起こった。

 

 突然――背筋が凍りついた。

 

 それは比喩でもなく、その文字通り、冷たいモノが通り抜けるような寒気が背中に駆け巡った。

 

 

 

「ひっ――⁉︎」

 

 

 

 初めて感じる感覚に小さな悲鳴を漏らして、トウカイテイオーの身体が本人の意思を無視して――震えていた。

 問答無用に恐ろしいと思わせるような、重い圧迫感。まるで周りの空気が底冷えするような錯覚さえしてしまう。

 突如襲い掛かったその感覚に、トウカイテイオーが何事かと周りを見渡した。

 しかし彼女の周囲には、これと言って変わったことが起きていなかった。自分と同じ場にいる観客達は、目の前で行われているレースを見ながら、コースを走るウマ娘達を応援するのに夢中の様子だった。それ以外に変わったことなど、なにひとつもなかった。

 怖いと思えることがこの場で起きていない。何も変哲もない周りの光景を見ながら、トウカイテイオーは怪訝に眉を寄せるしかなかった。

 もしかすると先程の寒気は、きっと自分の気のせいかもしれない。そう、彼女は自分自身に言い聞かせた。しかし、そう思ったところで、肌に感じるこの寒気は一向に収まることがなかった。

 それなら一体、この寒気はなんだろうか。解消されないそんな疑問を抱きながら、トウカイテイオーが何気なく隣を見た瞬間――意図せず、少女はその答えに辿り着いていた。

 

 

 

「っ…………⁉︎」

 

 

 

 反射的に、息を呑んでいた。トウカイテイオーの視線の先にあったのは、一人の人間の顔だった。

 先程から全身に感じていた不可解な圧迫感。それがコースを真顔で見つめている人間から発せられていると、気づいてしまった。

 額に皺を強く寄せ、眉を吊り上げて細められた黒い瞳が、走るメジロマックイーンを凝視している。

 その目を見て、トウカイテイオーは瞬時に感じ取ってしまった。その瞳から感じ取れるモノが、紛れもなく“怒り”の感情であることを。

 その人間――北野麻真から、彼女も過去に一度だけ怒られたことがあった。メジロマックイーンの練習に無理矢理参加して彼を怒らせててしまい、思い切り頬を抓られた経験がある。

 あの時の麻真は思い出すまでもなく、非常に怖かった。その経験があるにも関わらず、今の彼から感じる恐怖は……それと比べるまでもなかった。

 

 

 

「麻真さん。あなたが怒る理由は予想できるが、少し抑えてくれ。()()()()()()()()()()()()。あなたの所為でテイオーが酷く怯えてしまっている」

 

 

 

 そんな麻真に、シンボリルドルフが声を掛けていた。彼女も彼から何かを感じ取ったのだろう。視界の隅でトウカイテイオーが縮こまっている姿を見て、咄嗟に口を開いていた。

 その声に、麻真が顔を僅かに動かしてトウカイテイオーに目を向ける。彼の視線が、その少女へと向けられた。

 麻真の黒い瞳と目が合った瞬間――全身に先程までのとは比にならない重圧がトウカイテイオーに襲い掛かった。

 

 

 

「ひぅ……」

 

 

 

 まるで全身の毛が逆立つような感覚だった。麻真から発せられている怒気を直に受けて、無意識にトウカイテイオーが身を逸らせた。それは咄嗟に麻真から離れようと距離を空けてしまう程の圧迫感だった。

 トウカイテイオーが自分に怯えている。その少女の反応を見た麻真は、そう判断したのだろう。ゆっくりと目を伏せながら、彼は深く息を吐いていた。

 それと同じくして、今まで麻真から感じていた圧迫感が薄れていくような気がした。トウカイテイオーはそう感じると、安堵のあまり、つい胸を撫で下ろしていた。

 

 

 

「……なんでそんなに怒ってるの?」

「お前に怒ってる訳じゃない」

 

 

 

 素っ気ない、いつも通りの声色だった。しかしその声とは裏腹に麻真の目は鋭いまま、変わっていなかった。

 明らかにまだ怒っている、何が彼をそこまで怒らせたのか。そんな疑問を晴らしたいトウカイテイオーだったが、それ以上の追求を自然と控えていた。先程の体験が、無意識にそうさせていた。

 しかし気になる。でも、訊けない。そんなもやもやとした感情を抱えて、トウカイテイオーが助けを求めてシンボリルドルフを見つめてしまった。

 その視線を、シンボリルドルフは感じ取ったのだろう。彼女はトウカイテイオーが不安そうに見つめてくる姿を見て、小さな苦笑いを見せていた。

 

 

 

「彼が怒っているのは、テイオーが原因ではない。それは安心するといい」

 

 

 

 原因が自分でないのは、トウカイテイオーもなんとなくだが察していた。麻真の今の怒りが自分にもし向けられたなら、きっと先程よりも怖いと思うはずだと。

 それなら原因はなんだろうか。トウカイテイオーがその理由を考えていると――

 

 

 

「……マックイーンだ。アイツ、俺の指示通りに第四コーナーで後ろを確認した時、気を緩めて足の動きが悪くなった。自分ですぐに気づいて立て直したみたいだが……アレは減点だ」

 

 

 

 意外にも、麻真がトウカイテイオーに応えていた。

 まさか本人が口を開くとは思わず驚くが、それよりもトウカイテイオーは彼の言葉に唖然としてしまった。

 

 

 

「たった、それだけで?」

 

 

 

 足の動きが悪くなった。たった“それだけ”のことで、これまでにない怒りを見せた麻真にトウカイテイオーは言葉を失った。

 しかし彼女のその問いは、麻真の琴線に触れる言葉だった。

 

 

 

「……レース中に足を緩める場面があると思ってるのか?」

「どこにもないです」

 

 

 

 スッと細められた麻真の目を見た瞬間、トウカイテイオーは即答していた。咄嗟に敬語で答えてしまう程の有無を言わせない彼の威圧感に、肯定する以外の選択が浮かばなかった。

 彼女の返答に、麻真が満足そうに頷く。その返答に気分を良くしたのか、珍しく麻真は彼女に向けて“走り”に関することを口にした。

 

 

 

「このレース展開で、あれだけ後続と距離を離してリードしていれば、気を緩めたくもなるのは理解できなくもない。だが、だからと言ってそれを実際のレースでするのは御法度だ。実力差がどうであろうと、レース中に気の抜けた走りなんてして良い訳がない。今回、マックイーンがあの場面でどうするか見る為にあえて指示してたが……駄目な手本みたいに気を緩めてやがった」

 

 

 

 確かに、先頭のメジロマックイーンと後続のウマ娘達の間に開いている距離を見れば、確かに気を抜きたくもなるかもしれない。トウカイテイオーの目視で察するに、先頭と後続の間の距離が十バ身以上も離れていれば自分なら気を緩めただろう。

 実際のところ麻真の言う通り、レース中に気を緩めて良い場面はない。適当な走り方で勝てるレースなどある訳がない。

 実力が大きく開いていれば話は変わるかもしれないが、実力が違うからと言ってレースで手加減するなどあり得ない話である。それは経験の浅いトウカイテイオーにも理解できることだった。

 しかしそこで、トウカイテイオーは自身の耳を疑った。麻真が最後の方で聞き流せない言葉を告げていたような気がしたと。

 

 

 

「どうするか見る為にあえてって……それじゃあ麻真さん、わざと指示したの? マックイーンがレース中に気を抜くか見る為だけに?」

 

 

 

 つまり、そういうことになる。

 圧倒的に優位な位置でも、気を抜かずに走れるか?

 それだけの為に、麻真は事前にそうなることを伝えずに意図してメジロマックイーンにその指示を出したことになる。

 僅かに目を大きくするトウカイテイオーだったが、麻真はあっけらかんとした表情で頷くだけだった。

 

 

 

「これはお前も知ってることだがら話すが、アイツは今日まで走りの矯正をしてきた。本来なら長い時間を掛けて直すフォームを力づくで直したんだ。本人は今のフォームに慣れてたとでも思ってるかもしれないが、練習中は俺が常に“それ”を意識させるようにした。それこそ、気を抜けばフォームが乱れるのを嫌でも分かるようにな。

 それを分かっていれば、あの場面でも気を抜けない。加速力がないウマ娘の高速度を維持する走り方は繊細なんだ。少しでも気を抜けば、速度が落ちる」

「そこまで分かってたなら先に言えば良かっただけなんじゃ……?」

「それはちょっとした“今後の確認”の為だ。マックイーンなら気を抜かないかもと少しは思ってたんだが……流石に言わないと駄目だったか。つまるところ、アイツもまだまだひよっこってことだ」

 

 

 

 それは嫌がらせだろう。むしろ、理不尽と言う方が正しいかもしれない。麻真の話に、トウカイテイオーは素直に思った。

 そうなるように仕向けている時点で確信犯である。そして分かってて指示しているのが尚のこと質が悪い。

 麻真が何故そうしたのか、トウカイテイオーは彼の意図を一ミリたりとも理解できなかった。

 

 

 

「それで負けたらどうするつもりだったの?」

「それはない。内容はともかく、レースには勝てる」

 

 

 

 そしてこの返答である。余計に意味が分からなかった。

 密かに麻真の意図を考えてみたが、トウカイテイオーには予想すらもできなかった。むしろ理解しようとするのが間違っているかもしれない。

 麻真の勝手な意図で指示を受けたメジロマックイーンに憐れむ目を向けつつ、自分も彼から指導を受ければ同じ道を歩かされるのだろうか。そんな不安が、トウカイテイオーを襲った。

 しかし現にシンボリルドルフ達を育てたトレーナーであるのだから、能力があるのは間違いない。いつの日か、自分が彼の意図を理解できる日が来るのだろうか?

 未だにトレーナーになってもらえないことに僅かな悔しさを感じつつも、トウカイテイオーはそのことについて考えるのを放棄した。今考えても仕方ないことだと、そう割り切ることにした。

 

 

 

「それで? このレース終わったら、マックイーンに何か言うつもりなの?」

「自分で俺の“意図”に気づいていれば何も言うつもりはない。分かってなければ、次の練習の時にでも言うさ。そういうことも、練習でどうとでもなる……内容はさて置いて、だがな」

 

 

 

 静かに、黙祷。トウカイテイオーは両手を合わせると、走るメジロマックイーンの今後を哀れんだ。

 そして横目でシンボリルドルフを見れば、どこか引き攣った笑みを浮かべてレースを見ていた。

 彼女のその笑みの理由を、トウカイテイオーは不思議と訊けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 信じられない光景だった。遠い先で先頭を走る芦毛のウマ娘に、後続のウマ娘達は困惑するしかなかった。

 ペース配分を間違えているとしか思えない速度で走り続けるメジロマックイーンの姿は、どう見ても愚かだとしか思えなかった。

 序盤から周りのことなど眼中にないような加速を続け、速度を上げて走り続ければ、どう考えてもスタミナが持つ訳がない。それが彼女の後方を走っていたウマ娘達の思考だった。

 無理に走る先頭集団に、自分のペースを乱してまで無理に追う必要もない。レースが後半になれば、必然的に先頭組は速度を落とすと後方のウマ娘達は思っていた。

 しかし中盤以降から実際に速度を落としたのは、一番人気のハギノレジェンドだけだった。先頭から落ちても、どうにか後続の集団にしがみつくように紛れているが、その苦悶の表情を見る限り、もう彼女には先頭に出る為の加速に必要なスタミナは残っていないだろう。

 逃げの脚質持ちがスタミナを中盤で使い切ることは早々ない。そんな場所で逃げウマ娘が速度を大きく落とす理由など、簡単である。

 ハギノレジェンドは、自分のペースで走ることができなかった。これに尽きる。必要以上に背後からメジロマックイーンが迫っていたことから、彼女は自分のペースを乱してでも前に逃げてしまった。

 それが悪手だった。彼女は自ら、勝ちの目を摘んだのだ。暴走しているとしか言えないウマ娘に合わせたことが間違いだった。

 しかしそんなハギノレジェンドとは真逆に、メジロマックイーンは前に出ていた。第三コーナー辺りから、更に暴走したような加速して前へと進んでいだ。

 側から見て、メジロマックイーンのペース配分は異常である。スタミナを度外視したような加速と速度を維持して走る様は、明らかに掛かっているとしか思えなかった――はずだった。

 

 

 

『落とさないっ! メジロマックイーンが落ちないっ!』

『明らかなハイペースで掛かってると思いましたが、これは凄いことになりました』

 

 

 

 実況と解説のアナウンスが会場に流れた。

 第四コーナーを抜けて、最後の直線。メジロマックイーンは最大速度を維持して走り続けていた。

 

 

 

(後ろは決して見ずに! フォームを意識っ! 走りが乱れないように、最大速度を維持ッ!)

 

 

 

 乱れかけたフォームを崩さないよう最大限の注意をして、メジロマックイーンは(ターフ)を走っていた。

 第四コーナーを抜けて、ゴールまで残り四百メートル。スタートから一周して、観客席前まで戻ってきた。

 先頭が観客席前まで戻ってきたことで、観客席から歓声が響く。しかし彼女には、そんなことを気に掛ける余裕などなかった。

 

 

 

(足を早く動かして、踏み込みは力を入れ過ぎず、地面を蹴る時だけ強くっ!)

 

 

 

 頭の中で自分のフォームを振り返りながら、全力で走ることだけでメジロマックイーンは精一杯だった。周りを気にすることなど、先程の出来事で彼女は綺麗に頭から切り捨てていた。

 第四コーナーで後続と開いている距離を見た瞬間、気が緩んだ。それに呼応するように、自分の走りが乱れかけた。あの時に感じた“悪寒”が、それを寸前のところで留めた。

 レース中に自分の走りが崩れかけた。これはやり直しのできる練習ではない、取り返しのつかないレースなのだ。そんな大事な場面で、僅かでも気を抜いてしまいそうになったことをメジロマックイーンは心の底から恥じていた。

 

 

 

(何のために私はここで走っているんですのっ⁉︎)

 

 

 

 この場所で全力を尽くす為に、自分は今日まで辛い練習を積み重ねてきたのだ。レースで勝つ為に、そして自身の願いの為に、それを思えば――レース中に甘えた走りなどできるわけがない。

 

 

 

(間違いなどありませんわッ! この状況で! ちゃんとあの人に導かれた自分の走りができているのに! 何を不安になると言うんですのッ‼︎)

 

 

 

 そして何よりも、自分が間違っているという判断をしてしまいそうになったことを悔いていた。

 自分の行動が間違っていると迷うよりも、あの人に導かれた自分の走りが崩れることの方が恐ろしいと感じたあの直感を、メジロマックイーンが愚直に信じたからこその思考だった。

 故に、周りなど一切気にしてはいけない。先頭で、尚且つ後続と大きな距離を離している絶好の状況。それが自分の走りでできているのだから、よもや心配などある訳がない。

 想定よりもスタミナを使ったが、自分のペースは乱れていないのだ。練習通りの走りはできている。それに今、周りに競り合う相手がいなければ、もう駆け引きも何もない。

 自分のできる最善の走りで、最速でゴールまで駆ける。たったそれだけのことなのだから。

 

 

 

(腕の振りは雑にならないように! 踏み切った足は伸ばす! 姿勢も崩さずに!)

 

 

 

 前傾姿勢を維持して、今日まで培ってきたことを出し尽くす。自分の全てを出して、誰よりも先にゴールする姿を見せなければならない人がいるのだ。これ以上、不出来な走りなど見せるわけにはいかない。

 

 

 

『走る! まだ走るっ! メジロマックイーンが更に走るッ! 後続のウマ娘達も上がってくるッ! 残り三百メートルッ!』

 

 

 

 ゴールまで残り三百メートルを切っても、メジロマックイーンは止まらなかった。ただひたすらに、全力でゴールを目指す。

 その時、遅れて第四コーナーを抜けたウマ娘達がラストスパートを仕掛け、先頭の彼女へと迫っていた。

 

 

 

『ゴールに向かってウマ娘達がラストスパートを掛けるッ! だが先頭メジロマックイーンも止まらないッ!』

『本当にこれが初めてのデビュー戦とは思えない走りです。あの走りができるスタミナ、彼女がジュニア級のウマ娘とは到底思えません』

 

 

 

 実況と解説の声に、観客達は沸いていた。

 競り合うことすらしない独走状態で先頭を走るメジロマックイーンの姿に、観客席の人間達は騒いだ。

 圧倒的な光景。そして乱れることなく、綺麗なフォームで芦毛を靡かせて走るウマ娘の姿。まるでこの場の主役のようなそのウマ娘に、その場に居た人間達は純粋に魅入られた。

 メイクデビュー戦で、こんなレースが見られると思っていなかった。間違いなく、あの芦毛のウマ娘は大物になる。そんな予感が観客達に走っていた。

 

 

 

『後続と大きな距離を空けたまま! ラスト二百メートルッ! ここで最初の関門が、最後の関門として再び立ち塞がるッ!』

『スタミナを使い、疲労した足であの坂を速く登るのは厳しいです。先頭のメジロマックイーンも疲労が蓄積してここで足踏みをしなければ良いですが……』

 

 

 

 そして千八百メートルを駆け抜け、スタート地点を通り過ぎた先に――ゴールの二百メートル手前の“壁”が走るウマ娘達を拒んでいた。

 

 

 

(ようやく……ここまで走って分かりましたわ! この足の状態でアレを登るのは正気じゃないと――!)

 

 

 

 足の疲労が大きくなっている。全速力で走り続けた所為で、余力があったはずのスタミナの消耗が激しくなっている。

 そんな状態で残された最後の関門。スタート直後にも見たはずなのに――その時よりも“それ”は大きく見えた。

 高低差二メートルの登り坂が、メジロマックイーンに立ちはだかった。ゴールまで残り二百メートルを切れば、このレースを走る誰もが必ず通らなければならない道だった。

 

 

 

(ここで多少速度が落ちるのは目を瞑ります! ですが、それでもッ!)

 

 

 

 可能な限り、自分の全力で駆け登る。その覚悟で、メジロマックイーンが坂道に入った。

 壁のような坂道を、ピッチ走法で数歩駆けた瞬間――ガクンと彼女の身体が崩れ落ちそうになった。

 

 

 

 

(――重ッ‼︎)

 

 

 

 

 先程までのとは比にならない程、メジロマックイーンの足が重たくなった。

 ここで彼女は思い知ることとなった。坂道をピッチ走法で走る代償を。そしてこの登り坂の怖さを。

 足の回転数を上げるピッチ走法は、足の回転数を多くすることから必然的にスタミナを大きく消耗する。そして地面を素早く蹴る為のパワーも使うことを強いられる。

 それが千八百メートルも走った足に、更なる負担を掛けた。目の前にあるはずのゴールが、遠くなったような錯覚さえした。

 一歩、また一歩と進む足が、まるで“重りを付けている”かと思うほど重たい。

 

 

 

『ここで流石にメジロマックイーンがスピードを落としたッ! 後続のウマ娘達が彼女を追い掛けるッ!』

『あの登り坂はクラシック、シニア級のウマ娘でも苦戦する場所です。ジュニア級とは思えない彼女でも、それは例外ではないでしょう』

 

 

 

 速度を落とした。このままでは後続が追い掛けてくる。これ以上は手こずる訳にはいかない。

 

 足が重いのがなんだというのか?

 足に重りが付いているように感じるのがどうしたか?

 

 こんな足の重さなど、あの練習で足に付けていた重りよりも軽い。

 この程度の重さで弱音を吐くほど、優しい練習など自分はしていない。

 

 

 

(こんのッ……!)

 

 

 

 意地で、根性で、メジロマックイーンが駆け登った。

 重い足の使い方など、既に彼女は知っていたのだから。

 足を上げる時だけ力を込めて、下ろす時は流れるままに地面に、そして地面を蹴るインパクトの瞬間だけは――力強く。そして前に進む力を逃がさないように、姿勢は辛くても崩さない。

 身体に染み付いたその経験が、疲弊した足でも彼女の身体をしっかりと前に進めていた。それはまるで、あの憎かった蹄鉄靴を履いて走っているような感覚だった。

 

 

 

(あの人! 絶対に分かってましたわね! こうなるのがっ⁉︎)

 

 

 

 坂道を登って僅かして、メジロマックイーンは瞠目していた。それと同時に、やり場のない怒りが彼女に襲い掛かった。

 重い足の使い方。それを知るキッカケの練習を自分に強いた麻真の姿を思い出して、彼女は直感していた。

 あの男は、自分がこのレースで“足が重い”状態になることを分かっていたのだと。

 知らなければ、まるで鉛のように重たくなった足に心が動揺していたかもしれない。しかしあの重さを知っていれば、その使い方を知っていれば、意思さえあれば足が重くても前へと走れた。

 足を止めないという折れない心で、辛くても全力で前に進む根性があれば、スタミナが切れない限り――走れる。

 

 

 

『お前はスタミナと根性だけある方だ』

 

 

 

 そう言っていつも小バ鹿にされ続けた麻真の言葉が、メジロマックイーンの脳裏を過った。

 あの男が指示してきた今までの練習。それがどこまで先を見据えていたモノのか、本当に分からなくなる。まさかこの場面まで想定されていたなど、微塵も思わなかった。

 

 

 

(絶対っ! レースが終わったらっ! あの頭、かち割ってやりますわッ‼︎)

 

 

 

 感謝こそするが、それをあえて伝えなかった意地の悪さは到底許せない。

 絶対に誰よりも先にゴールする。そして必ず、あの男に“一撃”報いらなければならない。その確固たる決意の元、メジロマックイーンは駆けた。

 

 

 

『ゴールまで残り百メートルッ! メジロマックイーンを後続集団が追い掛けるッ! しかしメジロマックイーンも負けじと走るッ! 後続と距離はまだ開いてるッ!』

 

 

 

 登れ、走れ、駆け抜けろ。そんな沢山の声が観客席から轟いた。

 残り百メートル。メジロマックイーンは自分の足がまた一段階、重くなった気がした。

 地面を蹴る足が重い。あの重かった蹄鉄靴を履いていた時のように、足が動かなくなっていく。言うことを聞かない足が、休ませろと必死に訴え掛けている。

 そんなことは分かっている。自分の身体の悲鳴など、何度も聞いている。休めるのなら、すぐにでも休みたい。

 しかしここで足を止めるなど、あり得ない。初めての公式レース――デビュー戦でそんなことを許すような甘えた覚悟で、自分はこの場にいるのではない。

 

 

 

(少し――お黙りなさいッ‼︎)

 

 

 

 訴えてくる身体の悲鳴を、メジロマックイーンが無理矢理捩じ伏せた。

 足の筋肉が疲弊しても、スタミナが残っているのなら走れ。弱音を吐くくらいなら、黙って従っていろと。

 (ターフ)を踏み締める足で、その悲鳴を粉砕するように、彼女はそれを蹴り飛ばした。

 

 

 

『ラスト五十メートルッ! 後続が諦めずに追い掛けるッ! しかし開いた距離が縮まないッ! メジロマックイーンが先頭を譲らないッ!』

 

 

 

 あと少し。坂道を登る視線の先に、ゴール板が見えた。

 あそこまで走れば、誰よりも速くゴールできる。望み、そして掴み取りたいモノが、目の前に。

 ゴール板は、目と鼻の先。もう残す余力のことなど――考えなくていい。

 

 

 

 

「やあああぁぁぁぁッ‼︎」

 

 

 

 

 咆哮。足を限界まで酷使して、芝を抉る。

 視界に迫るゴール板が、大きくなる。

 最後まで足を止めずに、全てを振り絞れ。

 

 

 

『追いつかない! メジロマックイーンに全員追いつけない! 圧倒的な距離を離して、メジロマックイーンが坂道を単独で駆け登った! もうゴール版は目の前ッ! 観客を圧倒する走りを見せて――』

 

 

 

 メジロマックイーンの身体が、ゴール板を横切った。

 それが意味することは、ひとつしかなかった。

 

 

 

『独走したメジロマックイーンが今一着でゴールッ! お見事ッ! 圧倒的なレースでした! 二番人気メジロマックイーンが誰よりも速くこのメイクデビューを制しましたッ!』

『本当に素晴らしい走りでした。一時は掛かっていると思いましたが、私は間違えました。とてもジュニア級とは思えないあの走り……まさに本物です。あのチーム・アルタイルの復活に相応しい走りを見せた彼女がデビュー戦を勝ち取りました』

 

 

 

 その実況と解説の声と共に、会場内が大きな声で湧き上がった。

 ゴールラインを超えて全速力から速度を落として徐行しながら、メジロマックイーンはようやくその歓声に耳を向けた。

 レース会場に響き渡る歓声。観客が少ないと言えど、その迫力は彼女を圧倒させるのに十分過ぎる声量だった。

 その光景を、立ち止まったメジロマックイーンが呆けた表情で見つめる。息は上がって整い切らず、止まらない汗と熱くなった身体で意識がぼんやりとして、それを理解するのに彼女は僅かな時間を要した。

 

 そして時間が経つにつれて、その歓声の意味を彼女が理解した瞬間――全身の鳥肌が立った。

 

 視界の先で、観客席から向けられる歓喜の声。

 それは紛れもなく、メジロマックイーンが初めて勝ち取った結果に対する賞賛の歓声だったのだから。

 観客席に、彼女が小さく手を振るう。その表情は淑やかさを残しつつも――年相応の少女の笑みが、そこにはあった。




読了、お疲れ様です。
毎度のことながら、とても書くのが難しかったです。
考え過ぎて頭を抱えたくなりました。

そんな私のことはさておき、
これにて、彼女のメイクデビュー戦は終わりました。
麻真と出会い、そして初めての公式レースまで長い時間と文字数を使いました。ここまで読んで頂けて、本当に感謝しています。
ちなみにレース結果の詳細に関しては、次回以降に出てきます。
次回以降の話からも、色々と二人に起きますし、考えてます。
どんなキャラが新しく出るか楽しみにして頂ければと思います。

また次回の話でお会いしましょう、それでは。
感想、評価、批評はお気軽に。
頂ければ、作者のやる気に繋がります。
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