走るその先に、見える世界   作:ひさっち

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2.絶対に逃がさない

 

 今日は日差しが心地良い。今日も清々しいまでのランニング日和だった。

 早朝に練習場の手入れをして眠り、また昼に起きて手入れした練習場を気の向くままに夕方まで走る。それは山奥に住み始めた麻真の日々の楽しみだった。

 しかしそんな日々が続いていたのだが、週末の日曜日になった途端、麻真は肩を落とすことになった。

 日曜日の昼、今日も早朝に練習場の手入れをして、昼からランニングをしようと麻真が玄関の前に立った瞬間――扉の向こうに本来いるはずのない人のいる気配がした。

 とても嫌な予感がしたが、とりあえず麻真が玄関の扉を開けると――案の定、扉の先にはメジロマックイーンが立っていた。

 

 

「……こんにちは」

 

 

 小さく礼をするメジロマックイーンに、麻真は顔を顰めた。

 これで三週連続でメジロマックイーンが来ている。麻真は素直に呆れていた。

 

 

「暇なのか……お前」

 

 

 思わず、麻真は訊いてしまった。毎週日曜日にわざわざトレセン学園から遠い山奥のここに来るなんて、彼からすれば暇人がやることだと思った。

 しかしメジロマックイーンは、そんな麻真の言葉に凛とした顔で答えていた。

 

 

「いえ、私は暇ではありません。意味がないなら、ここには来ませんわ」

 

 

 ならトレセン学園で休日練習でもしていろと言い返したくなる麻真だった。彼は頭を抱えるとメジロマックイーンの横を通り過ぎた。

 

 

「むっ……また取り合ってくれませんのね」

 

 

 メジロマックイーンがむくれている。

 麻真は反応するのも面倒になり、メジロマックイーンの横を通り過ぎてそそくさと練習場に向かっていた。

 

 

「まだ二回しかお会いしてませんが、貴方が私に取り合ってくれないのは分かりました。ですので……私も貴方と同じように勝手に致しますわ」

 

 

 そして麻真がいつも通りに走ると、メジロマックイーンがもう慣れたように彼の後ろをついてきていた。

 あれだけ先週は疲れ果てるまで走らされたはずなのに嫌にならないのかと、麻真は疑問に思う。

 しかしそうは思っても自分の日課をやめるという選択は選ばず、麻真は前回同様にメジロマックイーンを無視して走り出した。

 軽く流す程度で走る麻真の後ろをメジロマックイーンが背後について走ってくる。

 横目で麻真がふとメジロマックイーンを見ると、前見たよりも彼女の走り方は綺麗になっていた気がした。

 前回は、なんとか走り方を矯正しているようなぎこちなさがあったが今のメジロマックイーンの走り方には特にそのようなことはなく、スムーズに走れていると見える。

 随分と努力をしているらしい。麻真はそんなことを思いながら、メジロマックイーンから視線を外した。

 

 

「今日は絶対に貴方よりも走ってみせますわ……!」

 

 

 気合が入っているのか、メジロマックイーンが闘志を燃やしていた。気楽に走る麻真とは正反対であった。

 

 

「別に今日は長い距離を走るつもりはない。一周流して、あとは少し速度を上げて走るつもりだ」

「私にスタミナがないと言っているのですか?」

「別に、先週はたまたま長い距離を走っていただけだ」

 

 

 そんな軽い会話をしながら、二人が走る。

 そして一周して麻真が立ち止まると、彼はその場でゆっくりと柔軟を始めていた。

 柔軟を始めた麻真を不思議そうにメジロマックイーンが見ていたが、彼女も麻真と同じように柔軟を始める。

 そうしてしばらく柔軟すると、麻真は「……良し」と言ってレース場に向かっていた。メジロマックイーンもそれに慌ててついてくる。

 本当に全部自分の真似をしてくる。麻真は帰る気のないメジロマックイーンに、思わず声を掛けていた。

 

 

「お前……帰るつもり、ないの?」

「ありません。私は貴方に鍛えて欲しくて来ましたもの」

 

 

 即答されて、麻真は頭を抱えた。

 何をそこまでこだわるのだろうか、理事長に言われたからなのか、それともたまたまタイムが伸びたからだからか……

 しかしこのままでは良くないと、麻真は思う。放っておくと、本当にメジロマックイーンはいつまでもついてくるかもしれない。

 この先ずっとメジロマックイーンについて来られる未来を想像すると、ぞわりと麻真の背筋が凍っていた。

 冗談ではない。この気楽な日常を壊されるのは麻真には到底容認できないことだ。

 このままいつか分かるまでメジロマックイーンが付き纏うか、それとも一時だけ彼女の練習に付き合って満足して帰ってもらうか。彼に迫られたのは、その二択だった。

 麻真の頭の中で脳内会議をして――結果、彼は渋々メジロマックイーンに少しだけ協力することにした。多少協力すれば、彼女も満足して帰ると心から期待して。

 麻真はそう思うと、溜息混じりにメジロマックイーンに訊いてみることにした。

 

 

「はぁ……距離適正は?」

「えっ……?」

 

 

 麻真から突然の質問に、メジロマックイーンが驚く。

 返事をしないメジロマックイーンに苛立って、麻真がもう一度同じ質問をすると、彼女は慌てたようにたどたどしく答えていた。

 

 

「短距離はあまり得意ではありません。中距離や長距離を走るのが得意ですわ」

「……脚質は?」

「先行、だと思いますわ」

 

 

 歯切れの悪い答え方だった。おそらくメイクデビュー前だからハッキリとは答えられないのだろう。メジロマックイーンの答えに、麻真はなるほどと納得して、彼女に向けて練習場を顎で指していた。

 

 

「一周、約二キロ。今から俺は先行向けの走り方で何周か走る。ついてくるなら勝手にしろ」

 

 

 そう言って、麻真がその場で走り出す構えをした。練習に協力すると言っても、勝手に学べというスタンスを麻真は変えるつもりはなかった。

 急に変わった麻真の対応に呆気に取られたメジロマックイーンだったが、今から彼が自分の適正脚質の走り方をすると聞いて、彼女も慌てて彼と同じように走り出す構えをする。

 メジロマックイーンが構えたのを確認して、麻真はゆっくりと深呼吸した。二人しかいない模擬レース。先行の走り方をするなら逃げ脚質が必要だ。彼は頭の中で、自分以外にも走っている人がいることを想定することにした。

 距離は約二千。バ場は良好。天候は晴れ。逃げ脚質は一人。先行は麻真とメジロマックイーンの二人。

 逃げ脚質の仮想敵は以前にテレビで見た白と緑色のウマ娘を選択。一連の走りを見ていたので、仮想敵としてイメージするのは問題ない。

 麻真は頭の中のイメージを終えると、勢い良く走り出していた。

 

 

「くっ……!」

 

 

 麻真のスタートにメジロマックイーンが懸命についてきたのを確認して、彼はすぐに走ることに意識を向けた。前回までメジロマックイーンに見せていた彼女の走り方とは違い、今度は自分が知っている別のフォーム、先行脚質で足に負荷の掛からない走り方だ。

 先行の脚質は、最後で逃げ脚質のウマ娘を追い抜く脚質。必然的に逃げの少し後ろを目安に走っていなければならない。

 逃げ脚質の仮想敵を追うように、麻真が練習場を駆ける。全速ではなく、最後に全力を出す為に足に後半まで負担の掛からない走り方を心掛ける。

 最初の直線から第一コーナー、そして第二コーナーを曲がる。その後は直線を走り、第三コーナーを曲がった辺りから――麻真は走るフォームを変えた。

 軸足の右足を少し強く踏み締めた瞬間に、彼は加速するフォームへ変えて駆け出した。

 メジロマックイーンはまだ背後にいる。何も言わずに麻真が速度を上げたはずだが、気づいてすぐに合わせたようだ。

 第三コーナーを曲がり、第四コーナーを抜ける。逃げの仮想敵はまだすぐ目の前にいる。

 そこで麻真は最後のラストスパートを掛けた。もう一度、軸足を踏み締めると、彼は身体を前に倒して足へ負荷が掛かるが加速ができるフォームへ変更する。

 あとは足を全開で回すだけで良い。そうすれば後は勝手に逃げ脚質の仮想敵を――抜いていた。

 そしてゴールと、麻真は仮想敵を抜いたことを理解する。そのまま一周を終えて、麻真は全速からゆっくりと速度を落として立ち止まっていた。

 

 

「ふぅ……」

 

 

 一周をそこそこ全力で走って、麻真は深く呼吸を整えていく。流石に二キロを速度を出して走ると、身体に割と負担が掛かっていた。

 走り終えて軽く上がっていた息を整えた麻真がメジロマックイーンを見ると、彼女はまだ膝に手をついて肩で息をしていた。

 

 

「……もう一本、走るぞ」

「はぁ……はぁ……」

 

 

 麻真の言葉に返す余裕がないのか息を荒くするメジロマックイーンだったが、必死に息を整えようとする。そして僅かに息を整えた彼女は疲れている顔を彼に向けて、大きく頷いた。

 

 

「はぁ……はぁ……お願いします!」

 

 

 根性はまだあるらしい。

 麻真はメジロマックイーンが諦めてないのを実感すると、また先程と同じように走り始めた。

 メジロマックイーンも、平然と走り出す麻真に食らいつく。

 どこまで耐えるか、麻真はそんなことを思いながら先程と同じように練習場を駆けることにした。

 

 

 

 

 

 

 冗談ではない。目の前の走っている人間は化物なのか?

 必死にメジロマックイーンが目の前を走る麻真を見て、痛感していた。

 自分は全力で二周目を走っている。まだ二周目を始めて半周しかしていないのにメジロマックイーンの身体の限界が近かった。なのになぜこの男はまだ余裕そうなのか?

 

 

「くっ――⁉︎」

 

 

 いや、メジロマックイーンは理解していた。

 一周目に、麻真がスタートしてすぐの時点で痛感していた。自分は彼と同じ速度で走ることが困難だと。彼の走るペース配分と、自分のペース配分が全く違う。

 しかし麻真は言っていた“先行の走り方”で走ると。つまり目の前で直に見ている彼の走る姿は、自分の目指している先行の走り方なのだ。

 タイムを測っていないのでどれ程のペースで走っているかは判断できないが、おそらくかなりのハイペースで走っている。スタートから第二コーナーを曲がった時点で、メジロマックイーンの身体には疲労が出ていた。

 二週間前に麻真から見せつけられた自分の本来走っていたフォームを改善した形でメジロマックイーンは走っている。以前よりも足の負荷が軽くなり、速く走れるようになった。

 だがしかし、それでも麻真の走る速度に追いつくのでメジロマックイーンは精一杯だった。麻真の走り方はメジロマックイーンが見る限り、まるで逃げのような走り方のような気がしてならない。

 

 本当に先行の走り方なのだろうか? 嫌がらせで逃げの走り方で走っているのではないかとメジロマックイーンは疑ってしまう。

 

 しかし麻真の目をメジロマックイーンが見る限り、彼は前を見つめていた。まるでなにかを追っているような、そんな目をしていた。

 まるで誰かとレースをしているような気迫だった。メジロマックイーンにはそんなウマ娘は見えないが、麻真には見えているらしい。

 疑いたくなるメジロマックイーンだったが、しかしすぐにそんなことを考えられなくなることになった。

 

 

「ッ――⁉︎」

 

 

 第三コーナーを曲がったところで、彼の走り方が変化していた。

 麻真の加速力が増したのか、メジロマックイーンから距離を離さそうとする。

 

 

「――離されませんわッ‼︎」

 

 

 しかしメジロマックイーンは、反応していた。

 咄嗟に、メジロマックイーンが目の前で変化した彼のフォームを真似ていた。

 軸足を踏み締めて、メジロマックイーンが走り方を変えた麻真のフォームを思い出す。自分が同じフォームで走っている姿を強くイメージする。

 そして僅かな時間にそのイメージを掴むと、メジロマックイーンは麻真が変えたフォームと同じフォームで離されないように駆け出していた。

 

 

(さっきより、辛くない……?)

 

 

 そこでメジロマックイーンは気づいた。速度を上げたはずなのに、足の負担が先程まで走っていた時より少ないことに。

 この感覚をメジロマックイーンは知っていた。これは初めて麻真が使っていた自分の走り方を少し変えたフォームを真似た時と同じ感覚だった。

 確かに足に負荷の掛からない走りができるのなら、走るペース配分は全く変わってくる。走り方は大事だと知ってはいたが、ここまで違うとはメジロマックイーンも思っていなかった。

 と言っても、疲れてることには変わりない。それでもメジロマックイーンは麻真を追い掛けるのをやめなかった。

 そして第三コーナーから第四コーナーを曲がったところで、麻真はもう一段階“速くなった”。

 

 

(まだ速くなると言うんですの⁉︎)

 

 

 麻真がフォームを変えたことを察知して、メジロマックイーンも見様見真似で同じように遅れて駆ける。

 何度もラストスパートの練習をしてきたが、やはり麻真の走り方は今までよりも負担がない。

 むしろ足に羽が生えたように走れる。まだ自分は速くなれる。メジロマックイーンはそれを実感していた。

 この麻真という男は、どんな人間かは少しも分からないが――本物である。

 この男は、自分を速くしてくれる。強くしてくれる存在だと。

 

 

(私を鍛えてほしい……導いてほしい)

 

 

 麻真が勝手に走っているのを、勝手に追い掛けて技術を真似ているだけでこれだけ成長を実感できるのだ。この人にトレーナーとして、導いてもらえるのなら――自分は強くなれるとメジロマックイーンは確信していた。

 ようやく一周目を終えて、メジロマックイーンは肩を大きく動かして呼吸を整える。

 身体の疲労感が大きいが、まだやめるわけにはいかない。麻真は数回走ると言っていた。まだ一周目、あんな走りを見られるのなら意地でも付いていく。それこそ、吐いてでもと。

 

 

「……もう一本、走るぞ」

 

 

 麻真が淡々ともう二周目を走ることを促してくる。

 まだ呼吸が整っていない。なんとかメジロマックイーンがある程度呼吸を整えると、麻真を見つめて答えた。

 あれだけ取り合ってもられなかったこの人が、気分なのか自分に走りを教えてくれる。こんな機会をメジロマックイーンは逃すわけがなかった。

 

 

「はぁ……はぁ……お願いします!」

 

 

 自分の限界まで追い掛ける。メジロマックイーンはその決意と共に、麻真に頷いていた。

 絶対に逃がさない。この人を逃すと、私は後悔する。その思いと共に、メジロマックイーンは走り出した麻真の背中を追い掛けた。

 




読了、お疲れ様です。

メジロマックイーンが引けません。

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