走るその先に、見える世界 作:ひさっち
久々に乗せられた車の中で、麻真の身体が揺れる。
麻真が車に乗るのは、二年振りだった。
トレセン学園にあるリムジンを出してくる辺り、流石は理事長と思いたくなる麻真だったが――そんなことよりも今は目の前の人を彼はどう対処するべきかと悩んでいた。
「麻真さん。この二年間、何をしていたのですか?」
麻真の向かいに座るたづなが、彼に問う。既に麻真の家から車に乗るまで、たづなから一通り嵐のような小言を聞かされた麻真のメンタルはボロボロになっていた。
黙っていれば、綺麗な女性だ。いやいつもは物腰の柔らかい、綺麗な容姿の女性だと麻真は認識している。性格も優しく、トレセン学園で働くトレーナー達の中ではかなりの人気がある人である。
しかしこのたづなを怒らせるとかなり怖いという噂があったが……先程、それを体感した麻真が背筋を凍らせるほど恐ろしかった。
まさか麻真の全力疾走に追いつくほどの速さで走れるとは思ってもいなかった。
「……走ってただけです」
圧を掛けてくるたづなに、麻真は渋々答えた。
事実である。麻真はトレセン学園から離れてから、あの山奥で二年を走るだけで過ごしたのである。
「はぁ……理事長、なぜ知っていたことを教えて頂けなかったのですか? 麻真さんが急に休職してからどれほど大変だったの覚えていないんですか?」
「うむッ! 覚えておるぞ! しかし休職願いは麻真の強い希望だったのだ! まさか二年も休職するとは思ってもいなかったがの!」
溜息混じりにたづなが理事長を嗜めるが、理事長は特に気にせずと豪快に笑っていた。
しかし二人が麻真は気になる話をしていたことに、思わず彼はたづなに訊いていた。
「大変だった? たづなさん、何が大変だったんですか?」
麻真の一言に、たづなが目を大きくした。
「どの口が言いますか! 三冠ウマ娘やトリプルティアラを獲得したウマ娘達を育成した貴方が抜けてから生徒達が大変だったんですからね!」
「いや、あの時の担当していた子達には俺は休むって言ってましたよ⁉︎ そもそも俺は休職する少し前に担当を外れたことも話してましたが⁉︎」
「まさかただ休むと言って二年も休む人がいますかっ⁉︎ 一週間、二週間と日にちが経つに連れて学校の一部の生徒達が慌て出して麻真さんを探しに行こうとするのを止めるのに、どれだけ苦労したか貴方に分かりますかっ⁉︎」
相当怒っている。麻真はたづなに頭が上がらなかった。
麻真が理事長の方を見ると、たづなを横目に疑い深く訊いていた。
「理事長。たづなさんの言ってること、本当です?」
「うむ! 本当だッ! あの時はお主を探そうと学園を脱走しようとする生徒もいたくらいだからのッ! まるで監獄のように監視を強化することになるとは思ってもいなかったぞッ!」
随分と大事になっているようだった。麻真は面倒臭そうに頭を掻いていた。
「お手数をお掛けしたみたいですが、当時の俺に担当はいなかった。休んでも問題なかったと判断してましたが?」
「貴方に教わろうとする生徒が多いのはご存知でしたよね?」
麻真の言葉に、たづなが圧のある声で彼に答える。
「今、貴方は行方不明になってて学園の噂で色んなことを言われてますからね? トレセン学園のレベルの低さに呆れて海外に行ったとか、自分が育成するに値するウマ娘がいないからスカウトの旅に出てるとか」
「なんですか、その噂。俺、とんでもない奴になってるじゃないですか……というか理事長、なんで訂正しなかったんですか?」
「面白そうだったからな! 二年も休職してバチが当たったと思うがよいッ!」
そしてたづなに「自業自得です」と窘められて、麻真は肩を落とした。
「それにしても、なぜ休職したんですか?」
そんな麻真に、不思議そうにたづなは訊いていた。
麻真がそう訊かれて、少し言い淀むがしばらくして渋々答えていた。
「休職は職を探すのが面倒で……理事長に甘えてたんです。正直、働いていた頃から俺はトレーナーを辞めようと思ってたんですよ」
麻真の答えに、理事長とたづなが驚く。
しかし二人の反応より先に、麻真が言葉を続けていた。
「まぁ色々とありますが……自分が普通の人と違うことが嫌になったんです。別に自分を嫌いになったりしてないですけど……お二人もご存知とは思いますが、トレセン学園で働いていた時から色々と言われていましたからね」
確かに麻真の言う通り、当時のトレセン学園での彼の評価は両極端だった。
普通の人間であるのにウマ娘と同等の能力を持った故、賛否両論な話があった。
他のトレーナーからは麻真を褒める人間もいたが、大多数はウマ娘を汚す人間の恥、才能に恵まれた人間やウマ娘に媚を売るウマ娘の敵などなど言い出せばキリがない。
またウマ娘からは彼のトレーナーとしての能力を評価する者が多いが、人間であるはずなのにウマ娘と同じ能力を持っていることを不気味に見ている子も多かった。
そして麻真にはもうひとつ決定的な出来事があったのだが、それは二人に言うことはなかった。特別、言う話でもないと思って。
「まぁ、もう潮時かと思いますよ。給料無しで席だけを置かせてもらうのも限界がありましたからね。なんで退職届を出そうかと――」
「拒否ッ! それは断固拒否するッ!」
辞めると麻真が言い出した途端、理事長が彼の言葉を遮った。
「それは許さんッ! 二年も休職してもお主の席を置いていたということは、お主が必要と判断したからッ! 故にッ! お主が辞めることは容認できぬッ!」
理事長の言葉にたづなが頷く。
「別に辞めるのは自由では……?」
「ならぬ! お主がやめるのはトレセン学園の大きな損失ッ! そんな噂など薙ぎ払ってしまうが良いッ!」
簡単に言うなと麻真が呆れてしまう。しかし理事長の顔を見る限り、冗談で言っているとは思えなかった。
「そう言って頂けるのはありがたいですが、俺が戻ったところで担当を持つ気には……」
「なにを言っておる。もうお主はメジロマックイーンの担当で登録してるぞ?」
「……はっ?」
そして理事長がポロっと言い出した内容に、麻真は固まっていた。
「なんで……?」
「お主が言っていたではないか? メジロマックイーンからも聞いたのでな、自主練習を見てくれると言っていたと! ならばそれは担当と言っても同義ッ! 故に理事長権限で担当者登録は済ませてあるッ!」
「ただの職権濫用じゃねぇか!」
麻真が敬語を忘れて怒り出すと、たづなが慌てて彼を落ち着かせる。
たづなに諭されて麻真が大人しくなるが、彼は少し苛立ちながら理事長を見つめていた。
「……メジロマックイーンの担当トレーナーの変更を希望します」
「拒否するッ!」
「ならどうすれば俺がトレセン学園を辞められるかを話してください」
二年も休職した身分が言える台詞ではなかった。理事長にかなり麻真は甘えてきたが、流石に強引にトレセン学園に戻されるとなると彼も早急に退職を考えざるを得なかった。
「辞めさせるつもりはないぞッ!」
「仮に、辞めるならの条件を聞かせて頂きます。これは確実に答えてください!」
頷かない理事長に、麻真が強引に条件の提示を訊く。
理事長は麻真の剣幕に「むっ……!」と押されると、しばらく彼女は考えてから、何かを思い付いたように答えた。
「うむ! なら次に言う成績を残せば考えよう! これから担当するメジロマックイーンという生徒でそれを残せたならッ!」
理事長の話に、麻真が黙って聞く。
そして理事長が続けた言葉に、たづなが目を大きくして驚いていた。
「まずはこれから始める予定のウマ娘の頂点を決めるレースであるURAファイナルズの優勝は必然! そして天皇賞制覇を二年連続、またはクラシック三冠と天皇賞を制覇ッ! それをできればお主の退職を考えようッ!」
「そんな目標できるわけありませんよ⁉︎」
たづなが驚くのも無理はない。
URAファイナルズというのは麻真が知る由もないが、理事長が発案した『どんなウマ娘でも輝ける舞台を用意したい』という思いから生まれる予定のレースである。これは距離適正毎に分かれるレースで言ってしまえば、同じ距離適正の強豪のウマ娘が集まるレースである。
天皇賞は長距離レースの頂点を決めるレース。毎年、長距離ステイヤーが挑戦する強豪ウマ娘が集まる。それを一度制覇するだけでも難易度が高い。更に二年連続となれば更に難易度が跳ね上がる。
またクラシック三冠。皐月賞、日本ダービー、菊花賞とデビューしたばかりのウマ娘が出場できる三つのレースを勝つこと。これを無敗で制覇できるのは、本当に稀なウマ娘にしかできない偉業である。それに加えて天皇賞の制覇である。
理事長に提示された条件は、普通のトレーナーが聞けばすぐ諦めるような内容だ。それを提示した理事長は、言ってしまえばできるはずのないことを言っていることになる。
たづなも、これには流石に驚愕していた。
「理事長! 流石に辞めさせたくないと言っても、その条件はあまりにも無理難題です!」
「否ッ! これでも譲歩しているッ! 麻真の実力ならば容易で突破してくると思っているッ!」
たづなの反論に、理事長がハッキリと答える。
そんな条件を突き付けられた麻真をたづなが心配するが、彼は黙って理事長を見つめていた。
「……それができれば、俺は辞めていいんですね?」
「うむッ! あわよくばお主の気が変わってトレーナーを続けてくれると期待しているがッ!」
確かに麻真からしても、無理難題の条件だった。
メジロマックイーンを使って賭けをしているのは、正直良い気分にはならないが……辞められるなら受けても良いと麻真は思う。
どの道、先程あれだけ辞めさせないと理事長は言っていたのだ。つまりどんな方法を使っても辞めさせるつもりはないのだ。
なら理事長が自分で言い出した条件を突破して、反論できない状態にするしか麻真には選択肢がなかった。
「分かりました。お受けしましょう。その条件で」
「麻真さん、考えてください! 無謀です! 私も貴方には辞めてほしくありませんが、この条件はあまりにも無茶苦茶ですよ!」
理事長の条件を受ける麻真を、たづなが止める。
しかし麻真は、首を横に振っていた。
「ここまで理事長が言ったんです。条件の緩和は無理でしょう。それにこの人は、自分が言ったことを曲げない人だ。中途半端に色々と拗れて辞めようとすると理事長はなにをしてでも辞めさせてはくれない。なら、理事長の条件をクリアするのが最短です」
「肯定ッ! よく分かっておるッ!」
理事長が満足そうに頷いていた。
「で、でも……」
「別にだからと言って理事長やたづなさんに冷たくする気もありません。お二人の気持ちも察することはできます」
その点においては、麻真も理解はしていた。高い功績を出したトレーナーを辞めさせようとはしたくないはず。ただでさえトレーナー不足と言われている中で、優秀と言われる人材を失うのは回避したいと思うのは当然である。
なら最後に最高の功績を残せ。理事長はそう言いたいのだろうと。
「それでこそ私が見込んだ男だッ! これからのお主の活躍を期待しておるッ!」
「後悔しないでくださいね。あとから無しと言って約束を破らないように」
「誓おうッ! ただしお主の気が変わってトレーナーを続けるのなら、それはお主が勝手にするが良いッ!」
「今のところはありませんよ。辞める方向で行きます」
たづながあたふたと慌てる中で、麻真と理事長が互いに納得する。
理事長はやれるものやらやってみろと言いたげに笑い、麻真は今に見ていろと笑い合い、不気味な絵面になっていた。
そんなやりとりとしていると、車はとある場所で停車していた。
三人が乗っていたリムジンの扉が運転手によって開かれる。
その先に見える建物を見て、麻真はすごく懐かしい気分になった。
「着いたようだッ! 早速、メジロマックイーンに会ってやるが良いッ! 彼女は練習場にいるように伝えておるッ!」
リムジンから降りて、理事長がそう言って歩いて行った。
理事長を追うようにたづなが降り、そして麻真もリムジンから降りる。
「あの……麻真さん。大変ですが、頑張ってください」
「頑張ってみます。それで質問ですが、俺の部屋とか荷物ってどうなります?」
「それは問題ありません。トレーナー寮の麻真さんの住んでいた部屋はそのままにしています。あと今まであの山で麻真さんが住んでいた家の荷物は全て明日には届くように理事長が手配していますので」
全て手配済みだった。こういう時だけ手際の良い理事長に麻真は感心するが、呆れてもいた。
「なら今日から復職ですね」
「はい。改めて、今日からよろしくお願いします。北野麻真さん」
「こちらこそ、よろしくお願いします。たづなさん」
麻真とたづながそう会話を交わして、たづなは先を歩いて行った理事長を追い掛けて行った。
二人が居なくなり、一人になった麻真は改めて目の前に建つトレセン学園を見ながら肩を落とした。
「面倒だな、色々と」
そうしてしみじみと呟いた。
場違いな気がする。成人男性がジーパンに白のTシャツとラフな姿でトレセン学園に入るのも如何なものかと思う。
だが、そういうことを気にするのも面倒だった。そもそも二年前もそう言ったことを気にしたことはなかった気がする。
「とりあえず、練習場に向かうか」
理事長が言うには、メジロマックイーンは練習場にいるらしい。理事長からなにを言われて練習場に彼女がいるか分からないが、これから長い付き合いになるウマ娘のことを知るところから始めないといけない。
色々と今後のことを考えながら、麻真はゆっくりとトレセン学園の中に入って行った。
読了、お疲れ様です。
新しいウマ娘は出せませんでした。
次回こそ、出したいと思っています。