走るその先に、見える世界   作:ひさっち

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5.心がざわついた

 二年振りだが、変わっていない。それがトレセン学園の中を歩いていた麻真の素直な感想だった。

 歩いて練習場に向かう中、何人かウマ娘とすれ違うが、麻真を不審にチラリと見るだけで特に何もしてこない。以前にトレーナーして働いていた麻真のことを見て反応がないのなら、おそらくすれ違ったのは彼が休職した後に入学した中等部のウマ娘だろうと彼は納得していた。

 トレセン学園の練習場までの道は覚えている。麻真はゆったりとした足取りで歩いていくと、すぐに練習場に着いた。

 

 

「変わってねぇな、相変わらず」

 

 

 二年振りのトレセン学園の練習場を見て、麻真が懐かしさのあまり呟いた。

 充実した設備の整った練習場だった。夜間に練習できるように設置されている照明ライト。芝生とダート、そしてウッドチップのコースも全て整えられている。流石は日本屈指のウマ娘育成学校と圧巻するほどだ。

 だが、そんな練習場の日曜日の午前中は意外とウマ娘の姿は少なかった。休日練習しているウマ娘がちらほらといるくらいだ。いつもなら時間が経つにつれて多くのウマ娘が来て、休日の日曜日でも練習場には多くのウマ娘が自主練習に来るのはおそらく昔から変わってないだろう。

 

 

「さて……アイツはどこにいるかな?」

 

 

 麻真がそう呟いて練習場の入口から周りを見渡すと、一人のウマ娘を見つけた。

 麻真の視線の先にいるウマ娘は、芝生の上でゆっくりと柔軟を丁寧にしていた。朝練前だと伺える。

 丁度良いタイミングだ。麻真はそう思うと、そのウマ娘の元へと歩いて行った。

 そして集中して柔軟しているのか、麻真が近づいても気づかないウマ娘――メジロマックイーンの前に立つと、彼は声を掛けていた。

 

 

「しっかりと柔軟してるのは偉い」

「はっ……?」

 

 

 突然、声を掛けられたメジロマックイーンが顔を上げて、麻真の顔を見るなり目を大きくした。

 そのままメジロマックイーンがキョトンとした顔をした後、彼女は驚いてその場から立ち上がっていた。

 

 

「な、な、な、なんでここに……⁉︎」

 

 

 あまりにも驚くメジロマックイーンを見て、麻真がくつくつと声を殺して笑っていた。

 

 

「驚き過ぎだ」

「で、でも、なんで麻真さんがこんなところに?」

「理事長から聞いてないのか?」

「……え? 理事長からは今日の朝はここで練習するようにと一方的に言われただけですわ。軽く朝練を済ませてから麻真さんのところに向かおうと思ってましたので」

 

 

 余計なことを言わない辺り、理事長の性格が滲み出ている。

 麻真は肩を落とすと、メジロマックイーンに説明することにした。

 

 

「理事長に無理矢理ここに連れて来られたんだ。しかもお前のトレーナーとして登録も正式にされちまった。だから今日から俺は、お前の専属トレーナーになったんだよ」

 

 

 麻真の言葉を理解するのに時間が掛かったのだろう。またキョトンと顔を呆けた後、メジロマックイーンは次第に目を輝かせていた。

 

 

「ほ、本当ですのっ⁉︎ 麻真さんが私のトレーナーになってくださると⁉︎」

「不本意ながらな……やらないといけなくなった」

 

 

 麻真はメジロマックイーンに、なぜ彼女のトレーナーを受けることになった理由はあえて言わなかった。

 麻真と理事長の二人が交わした約束。それをメジロマックイーンに話すのは、麻真には躊躇われた。

 賭けの対象になっていると言われて、良い気分はしない。あとはそんな大人の事情に子供のウマ娘を関わらせるのは、麻真にはできなかった。と言っても、賭けの対象になってる時点で関わってるのだが、知らせない方が良いと彼は判断してのことだった。

 

 

「やりましたわっ! 麻真さんが本当に私のトレーナーになってくださるなんて!」

 

 

 それに必要以上に喜んでいるメジロマックイーンに、そんな無粋なことを麻真は話す気にもならなかった。

 

 

「はっ……! ご、ごほん……ま、まぁ、貴方がトレーナーになるなら私は嬉しく思いますわ」

 

 

 先程まで子供みたいに喜んでいたのを恥じたのか、気を取り直してメジロマックイーンが取り繕う。

 そんなメジロマックイーンに、麻真が思わず笑うと彼女は頬を膨らませていた。

 

 

「そんなに笑わなくても良いのではなくて?」

「別に、お前の反応が面白かっただけだ」

 

 

 むくれるメジロマックイーンを横目に、麻真が練習場を見渡す。

 先程から見る限り、まだ今の時間は練習場にそこまで人数はいないようだった。これなら走っても問題ないだろう。

 

 

「ということだ……これからよろしく頼む。マックイーン」

「……! はい! よろしくお願い致しますわ! 麻真さん!」

 

 

 メジロマックイーンの返事を聞いて麻真は満足そうに頷くと、その場で唐突に柔軟を始め出した。

 麻真が急に柔軟を始めたことに、不思議そうな顔でメジロマックイーンが彼を見ていたが……彼女は彼がこれから何をするか気づいて目を輝かせていた。

 

 

「良し……なら早速、お前も柔軟してるなら朝練とでもいこう。ここは一周二千四百の練習場だ。今日は俺も走る。勿論、お前の脚質に合わせる……ついてくるか?」

 

 

 麻真の言葉に、メジロマックイーンは無意識に尻尾を振っていた。

 毎週日曜日だけだと思っていたが、これから毎日この人に教えてもらえることにメジロマックイーンは素直に喜んでいた。

 故に、メジロマックイーンの答えは決まっていた。

 

 

「はいっ! 是非、お願いしますっ!」

「良い返事だ。ならやるぞ、今はまだ朝練の人がいないが時間が経つと多くなる。しっかりインターバル入れて走れるのは三周くらいだ。気合入れて走れよ」

「分かりましたっ!」

 

 

 麻真がメジロマックイーンの返事を聞くと、その場で走る構えを取った。メジロマックイーンも同様に彼に合わせて構える。

 そして麻真が走り出すと、メジロマックイーンも勢い良く走り出していた。

 前とは違う場所で走っている麻真を見て、メジロマックイーンの顔は歓喜に満ちていた。

 

 

(何度見ても、とても綺麗なフォームですわ……!)

 

 

 メジロマックイーンの先を走る麻真を見て、彼女は何度目か分からない心の震えを感じていた。

 まだ自分には、麻真より綺麗な走りをすることは到底できない。彼の走りを見て、そして追い掛けるだけで精一杯だ。

 麻真の走りを真似していると呼吸が荒くなっていく、走るペースも違うので足の負担もいつもより感じる。

 しかし、メジロマックイーンが麻真の後ろを走っていると――いつも以上の充足感を感じていた。

 今の走り方は、本来の自分の走り方ではないが……これは麻真が見せてくれる“先行の走り方”だ。走る速度も違うし、ペース配分も違う。しかし圧倒的に感じられるのは――自分が速く走れているということだ。

 麻真の走り方を会得すれば、自分はもっと速くなれる。更に強くなることができる。

 

 

「わっ! 速ッ――!」

 

 

 練習場で練習していた他のウマ娘達の近くを麻真とメジロマックイーンの二人が全速で走り抜けたことに驚くが、そんなことをメジロマックイーンは気に留めていなかった。

 目の前の人から目を離してはいけない。前を走る麻真を見て、追い掛けていなければと。

 

 

「ねぇ、あの人ってウマ娘じゃなくない?」

「普通の人だよね、なんであんなに速いの? それにあの人……なんでメジロマックイーンさんと?」

 

 

 走る中でそんな話し声が聞こえた気がした。

 しかしそんなことは、もうメジロマックイーンにはどうでも良かった。

 ウマ娘だろうと、ウマ娘でなかろうと、目の前を走る人は自分を強くしてくれる人ならそれで良いと。

 北野麻真という人間をまだよく知らないが、メジロマックイーンはこの人は十分信頼に値する人だと判断していた。

 こんなにも綺麗に走れる人は、見たことがない。無駄のないフォーム、これは間違いなく走ることに人生の全てを注いだ人の走り方だ。

 尊敬さえできる。数回しか会わなかった自分が、少し真似しただけで前よりも速く走ることができるのが証明だ。おそらくこの人は、きっと教えることも上手な人だと。

 そう思っていると――不思議とメジロマックイーンは、走りながら笑っていた。

 麻真の後ろを走っているだけなのに、自分が速くなっていく実感を感じて――楽しくて仕方なかった。

 

 

「まだ半周だぞ? もうバテたのか?」

 

 

 横目でメジロマックイーンの方を見ながら、麻真が彼女に声を掛ける。

 確かに少し疲れている。しかし、メジロマックイーンにはそんなことは些細なことだった。

 メジロマックイーンは前を走る麻真に、彼女ら大きな声で答えた。

 

 

「全然大丈夫ですわっ!」

「なら、ついてこい! マックイーン!」

「――はいっ!」

 

 

 こんな時間を少し疲れただけで終わらせるのは、あまりにも勿体ない。

 これから麻真と走る機会が多くなるのを分かっていても、メジロマックイーンにはこの時間を無駄にできるわけがなかった。

 こんなにも充足感を感じられる走りができるなら、それこそまた吐いてでも良いと思って、メジロマックイーンは足を動かしていた。

 

 

 

 

 

 

 練習場に来ると何か空気が違った。

 日曜日の朝練にチームを連れてきたトレセン学園のトレーナー“東条ハナ”は、すぐにそれを感じていた。

 

 

「なにかあったのかしら?」

 

 

 何故か練習場にいるウマ娘達が騒がしい。何事かと思ってウマ娘達を見ると、全員が練習場に視線が向いていた。

 そしてハナもその視線の先に目を動かすと、練習場で走っている二人を見て――彼女は目を大きくしていた。

 

 

「まさか……帰ってきたの?」

 

 

 見間違えようがない。髪型は変わっているが、見覚えがある顔だった。それにウマ娘と同等の速さで走れる人間の知り合いなど一人しかいなかった。

 

 

「オーウッ! どうしたんデス?」

 

 

 ハナが驚いていると、ハナの後ろを歩いていたウマ娘の一人が練習場の騒ぎに興味深々と目を輝かせていた。

 

 

「あっ⁉︎ 待て! タイキシャトルッ⁉︎ 見るなっ⁉︎」

「なんでデース? ワタシも気になりマースッ!」

 

 

 ポニーテイルのウマ娘――タイキシャトルと呼ばれたウマ娘が、ハナの静止を無視して練習場の方へ視線を向ける。

 

 

「――ワァオ⁉︎ あの人はッ⁉︎」

 

 

 タイキシャトルが練習場を走る二人を見た途端――彼女の目が変わっていた。二人というより――一人の男性を見た瞬間、彼女は目を輝かせた。

 それはまるで新しい玩具をもらった子供のような目で、気づくとタイキシャトルの尻尾は激しく揺れていた。

 そしてタイキシャトルは練習場を走る二人を見て、即座にその場から彼女は勢い良く走り出していた。

 

 

「アサマァァーーー! お久しぶりデェース!」

「ちょっと待てと言っているッ! タイキシャトルッ!」

 

 

 そしてハナの静止も聞かず、タイキシャトルは全速で走り去っていた。

 

 

「……タイキシャトルさん。どうされたんです?」

「グラス……気にするな」

 

 

 ハナに“グラス”と呼ばれたウマ娘――グラスワンダーが首を傾げる。

 グラスワンダーはハナが頭を抱える姿を見て、思わず訊いていた。

 

 

「何かあったんですか?」

「ちょっと昔の知り合いがそこにいてな。タイキシャトルがはしゃいで行った」

 

 

 ハナが指差した先には練習場を走っている二人。グラスワンダーはその二人を見ると、口に手を当てて驚いていた。

 

 

「あの……メジロマックイーンさんと走ってるあの男の人、随分と走るのが速くないですか?」

「アイツはお前達ウマ娘と同じ速度で走れる変わった奴なんだ……それにしても良かった。ここに“ルドルフ”がいなくて助かった」

 

 

 ハナがそう呟いた言葉に、グラスワンダーは首を傾げていた。

 少し気になったグラスワンダーだったが、とりあえず一番気になる練習場の方へ視線を向ける。

 ふと見るといつの間にか、先程走り出していたタイキシャトルは練習場を走る二人に追い付いていた。

 先を走る二人――というより男の方が速度を上げて走っているのが見える。それをメジロマックイーンが追いかけて、それを更にタイキシャトルが追い掛けていた。

 

 

 

 

 

 

「アサマァーー!」

 

 

 三周目をメジロマックイーンと走っていると、麻真の後ろから自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 明らかにメジロマックイーンの声ではない。彼女は麻真の後ろをピッタリとついて来ていて、声ならはっきりと聞き取れる距離にいる。

 ならば誰だろうかと麻真が後ろを振り向くと、麻真は顔を強張らせていた。

 

 

「ん? げっ……タイキシャトルッ⁉︎」

 

 

 少し離れたところから大きな声を出しながら麻真とメジロマックイーンを追い掛けてくるウマ娘を見て、麻真は懐かしさよりも“面倒臭さ”の方が勝った。

 

 

「アサマーーーー!」

 

 

 ラストスパートのように全力全開で走っているらしく、先を走っている麻真とメジロマックイーンに追いつくような速さでタイキシャトルは近づいて来ていた。

 大声を出していたタイキシャトルにメジロマックイーンは気付かないわけがなく、彼女は麻真に不思議そうに訊いていた。

 

 

「麻真さん? タイキシャトルさんとお知り合いだったのですか?」

「昔に俺が少しだけ面倒見てた奴だ。アイツ、俺を見掛けると所構わず一緒に走りたがる面倒な奴だったんだよ。まったく……マックイーン、速度上げるぞ。ついてこい」

「えっ……はいっ!」

 

 

 加速する麻真に言われるまま、メジロマックイーンは速度を上げた。

 正直なところ全力でメジロマックイーンは走っている。しかしまだ速度を上げられるのかと、麻真が更に加速したことにメジロマックイーンは内心驚いていた。

 

 

「イヤッホォォォ! 相変わらず速いデースッ! 流石は私のアサマーーー‼︎」

 

 

 後ろから二人に迫るタイキシャトル。次第に彼女は速度を上げて来ていた。

 メジロマックイーンは何故タイキシャトルが追い掛けて来てるのが疑問でしかなかったが、ハッキリと分かるのはこの謎の鬼ごっこに自分は確実に関係ないことだけは分かった。

 

 

「マックイーン、もう三周目が終わる。お前はコースから外れて休憩入れて待ってろ。今から俺は逃げの脚質で走る。タイキシャトルは先行脚質だ。アイツは俺を差そうと走ってくるからその動きを見て学べ。適正距離は違うが、意外と参考になるぞ」

 

 

 メジロマックイーンの考えが読まれたのだろうか、タイミング良く麻真が彼女にそう提案していた。

 とりあえずメジロマックイーンは頷いていた。麻真と走るのが終わるのは名残惜しかったが、正直なところ三周も全力で走ったので身体は限界だった。

 それこそ吐いてもいい気持ちで走っていたが、麻真と“二人”で走れないなら別に良いかとメジロマックイーンは言われるままに三周目を終えると緩やかにコースを外れていた。

 

 

「ふぅ……!」

 

 

 かなり息が荒くなっているのを整えながら、メジロマックイーンが走り去った麻真とそれを追い掛けるタイキシャトルを眺める。

 確かに麻真の走り方が変わっていた。あれが彼の言う“逃げ”の走り方らしい。それを追うタイキシャトルの走り方も見ると――メジロマックイーンは少し違和感を感じていた。

 

 

「……似てる」

 

 

 どことなくタイキシャトルの走り方が、麻真の走り方と似ている気がした。改めてメジロマックイーンが彼女の走り方を見てみたが、確かにとても綺麗なフォームだった。流石はマイル王と呼ばれるだけの強豪ウマ娘であると。

 しかしその走り方を見て、メジロマックイーンは不思議と嫌な気持ちになった。不快とはではなく、どことなくモヤモヤとする気持ちだった。

 

 

「ワタシから逃げ切れると思ってマスカ? アサマーー‼︎」

「相変わらず鬱陶しいなお前! 一周だけ付き合ってやる! 差せるなら差してみろ!」

「ワタシと走ってくれるんデスカ⁉︎ ならワタシも全力デースッ‼︎」

 

 

 そして逃げる麻真をタイキシャトルが追い掛ける。そのレースをメジロマックイーンは凝視していた。

 逃げ脚質を先行が差すタイミングは、麻真と走っていたからよく分かる。メジロマックイーンがここだと思った瞬間、タイキシャトルが更に加速して麻真を追い掛ける。

 しかし麻真も更に加速してタイキシャトルを近づかせていなかった。

 

 

「麻真さん、逃げの走り方もできるのですね」

 

 

 多彩な走り方を見せる麻真には、メジロマックイーンも感心していた。

 速く走る方法を数多く知っている麻真には、メジロマックイーンの興味が更に湧いてくる。

 しかし同時に、タイキシャトルと走る麻真に――何故か心がざわついた気がした。

 

 

「なんでしょう? この気持ち?」

 

 

 メジロマックイーンは自分の心の反応に戸惑いながら、麻真とタイキシャトルの走りを見つめていた。




読了、お疲れ様です。

他のウマ娘が出ましたが出番はそこまで多くありませんのでご安心を。
主役はメジロマックイーンです。

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