本当に戦うつもりかと、老人は問うた。
やる、とオウロは言った。
ゆっくりとした深い呼吸で、この闘技場の空気を味わうようにオウロと呼ばれた男は歩を進める。その歩みは命を脅かす強敵に出合ったものでは断じて無く、山川草木に耳を傾ける詩人のそれである。
男の態度はルツタをして呆気に取らせるほどのものであり、怒りよりも、むしろ笑いを誘った。向かいの男は恐らく脳の螺子が一つ飛んでいるに違いなかった。だいたい、選手控室を襲撃する時点でまともでは無い。
しかし、そうであっても敵の勁量は微弱。ならば、男が如何なる奇手奇策の類を用いようと、それは城壁をパチンコで崩そうとする愚行に過ぎず、勁量の波濤で踏み潰すことが可能なものである。
そう、ルツタは戦歴から結論付けた。
「レストレーション」
囁きにも似た僅かな声量はうっかりすれば聞き逃してしまっただろう。白石の舞台の中央でオウロが錬金鋼を復元する。
形は刀、大きさはそれほどでもなく脇差や小太刀といわれる類のものだ。最大の特徴は後ろの一合でも打ち振るったならば容易く折れてしまいそうな、解体用のメスにも似た薄さだ。
向こうが何を考えているかは分からない。だが、既に相手の勁量が弱小であることは客たちに知れており、王者であるルツタが本気で相手をするのも大人気のない事だろう。
外力系衝勁変化―――閃断。
剣を大上段から一閃し研ぎ澄まされた衝勁を射出する。ルツタが最も多用する技であり、最も多くの敵を打倒してきたそれは、十分速さと威力を伴いオウロに吸い込まれていく。
オウロは微動だにせずこれを迎えた。
本当にただ一つも回避行動をいうものを取らなかった。
直撃した。間違いない。
観客もそう認識したし、対敵していたルツタでさえ意外に思いながらも、次の瞬間には腸をぶちまけた男の姿があるものだと到来するであろう未来を幻視していた。
「っ!!??」
当たっていない。オウロは散歩でもするかのようにのんびりと足を動かして、ルツタとの距離を詰めてくる。確実に直撃したはずの刃は対象を斬殺するには威力十分だったはずだ。叩き切られた背後の大地がそのことを雄弁に物語る。
斜めに、縦に、水平に衝勁の刃が乱れ飛ぶ。いずれもただ直進を続ける男に対しては必殺と必中を合わせ持つ致命の一撃。
はずなのに、一つとして当たることなくオウロと呼ばれた男はそこに居ながらにして全てを躱し切っている。
気が付けば相対距離は既に一〇メートルに差し掛かっていた。普通の武芸者同士の戦いであれば、十分に間合いの内である。ただし、ルツタの頭からそんなことは遠の昔に消えて失せ、恐怖にも似た疑問詞が手を動かすのを止めることが出来ない。
閃断、当たらない。
閃断、当たらない。
閃断。敵は五メートルと無い至近に迫っている。全ての勁と意地を込め放つ、ルツタの人生の中で会心の一撃言っていいそれは石畳の破片を巻き上げながら破壊的な直進を見せつけて、
「どうした?どこを見ている。切っている?」
当たらなかった。
陽炎のように揺らめく男の姿は出来の悪い悪夢の様。身に纏う黒衣は死神の装束。吐く息から悪臭が鼻に抜けた。冷たい汗がルツタの背を流れ落ち、凍えた筋が体をその場に縫い止める。
オウロには真っ向正面から力比べを挑むつもりなど欠片も無かった。
まともな戦いに付き合うならば、勁量の少ないオウロでは王者相手の苦戦するのはまず、間違いない。相手の土俵で競い合うなど真剣勝負の場では愚か者のすることであり、いまのオウロに、そんな余裕はない。
活勁衝勁混合変化―――重ね疾影。
自分自身に無数の気配を重ね、同時にそれらを僅かずつずらすことによって、そこに居ながらそこに居ないという詐術を生み出す勁技。
その甲斐あってか、恐怖に居ついた王者は、厄介そうな運動性能を忘れオウロの刃圏まであと一歩の距離まで迫りつつあった。
仕上げまであと一歩の距離である。
「どうした?どこを見ている。切っている?」
言って、一歩。微笑を頬に湛えながら間合いを潰す。
「下手糞め。こっちから来てやったぞ。……さあ」
ぺちりと、オウロは小太刀の平で王者の頬を撫でる。明らかな挑発であり、武芸者の誇りに対する侮辱だった。
「嘗めるなあああああああああ!!!!!」
王者が吠えた。怒りが恐怖を振り払い、爆発的な活勁に身体能力が跳ね上がる。盾を放り捨て両手で握る大剣を上段に。――――――透る勁力は切っ先から無秩序な衝勁の奔流となって煙の如く立ち上り、押し出された空気が急ごしらえの暴風となって観客席を襲った。
けれどもそれは、オウロに言わせれば恐怖に押し流された冷静さを欠く判断であり、あくまで予測の範囲内に収まる動作に過ぎなかった。
内力系活勁変化―――照星眼・直死。
活勁に激発された脳が瞬時に切り替わり、世界は赤黒い亀裂に満ちた薄氷の檻に様を変える。この世の万物万象はすべからく崩壊を内在している。それは勁であろうと、錬金鋼であろうと変わることは無い。この目はその崩壊の兆しを、内包する「死」を線で捉えて離さない。
降りかかる剣閃に、瀑布の様な衝勁に、その内に内在する赤い亀裂に。オウロは薄重ねな小太刀の刀身を静かに沿わせた。
全てが破断する。瀑布の如き衝勁は左右に割れて意味をなさない気流の乱れと消え、白金錬金鋼の大剣は刀身が一七の欠片に分断され、後には魂まで燃え尽きてしまったルツタの顔が、首に小太刀を当てられて幼子の様にへたり込んでいた。
「しょ、勝者オウロー!突如現れた謎の男が現王者を圧倒ゥー!如何なる技を使ったのかァー!と、とにかく!今夜は大穴だァー!」
司会の絶叫をよそにサヴァリスは穴が開くほど闘技場を眺めていた。今夜は本当に得難い夜だった。新たな勁技と遊び相手を同時に得ることが出来るとは。
「ああ!僕はなんて運がいいんだ!」
凶器の笑みが端正な顔を蝕み悪鬼へと変貌させる。楽しくて楽しくて、愉快で愉快で笑いがどうにも止まらない。
戦いの神がいるならば。
願わくば少しでも長く、今夜の遊びが続きますように。
はい、そこの型月ファンのあなた!まあまあ怒らずに怒りを静めて下さいな。的な戦闘回でしたが結局「針功波濤掌」(笑)の解説は出来ませんでした。それについてはまたいつか、最後に必殺技辞典でも載せますので勘弁をと言うことで。
今回も楽しんでいた抱ければ幸いです。
次回も見てくれればもっと嬉しいぜ!みたいな!