体は剣で出来ている。
そうとも、とオウロは頷いた。体は剣で出来ている。あの日の墜落から今この時まで、血の代わりに鉄が、肉の代わりに勁が、オウロの体を作動させている。故にその体は最早、人の常識には当てはまらない。
―――より強く。より早く。よりコロシやすく。
オウロの体は剣で出来ている。
「へえ、これはどういうことですかね」
先程とは打って変わって、目の前の男からは濃密な勁の気配が漂っている。サヴァリスは獰猛な笑みのまま、一歩。舞台を出てこれと対峙した。
「その変化―――勁脈の異常というわけでも無さそうですし、一体何事ですか?」
明らかな勁量の増大。違法薬を持ってしてもなしえないほどの、天剣授受者にさえ匹敵する男の変化。
未知の事象だが判ることが唯一つ。まともな手段、正道を持ってしてなる技ではない。言い換えれば、この男はそれほどの狂気を持ってして為すべき何かを抱えているのだ。ここに至るまで男が費やしたものは何だろうか。どれほどの狂気を注ぎ込んで良しとしたのか。想像するだけでサヴァリスの心臓が一オクターブほど跳ね上がり、身体が火の様になる。
「……剣は、所詮勁力だ」
深淵から届く声はきっとこのような声に違いない。怨嗟とも妄執ともつかない悪霊の世迷い言。目の前の男の根源的な負の感情をサヴァリスは肯定する。
「なるほど、その通りでしょうね。あなたほどの技量に至ったのならば」
男の技量は近接戦闘に限れば天剣授受者に匹敵するかもしれなかった。ここまで至って、なお勝負の最後で差が出るとすればそれは地力の差であり―――武芸においては先天的な勁力の問題になるだろう。それはかつてサヴァリスもヴォルフェンシュタインに対して抱いた想いの一つだった。
そう、勁力が問題だった。オウロの戦い方の出発点はここから始まったのだ。それは何よりも越えがたい壁として最後の最後まで立ちはだかる鉄壁の牙城。
剣は所詮勁力だ。この考え自体は間違っていないし、否定するつもりもオウロにはない。だからこそ、この体を得たときは天に感謝こそすれど、嘆くことはなかった。
「マッドマンという話を知っているか?」
「狂った男ですかね?」
サヴァリスの答えをオウロは首を振って流す。
「ある雨の日に、杉の木の下で雷に撃たれて男が死んだ。大地に抜けた雷は男の近くの泥に伝わって、偶然にも死んだ男と寸分違わない男が出来た、という話だ」
「では、あなたがマッドマンということですか?しかし、あなたの身体が泥で出来ているとは思えないんですが、それは?」
サヴァリスの言う通り、泥で人間は作れない。だがしかし、仮に硬度も、長さも、質量も、粘度さえも自在に変えることが出来る万能の物質があるとしたならば。
「いまのはただ現象を例えただけだ、泥で人間など作れるはずがないだろう」
当然だった。サヴァリスもそんな馬鹿な話をまともに捉えたりはしない。
「では、一度死んだあなたを生き返らせる―――つまり、肉体の代理になるような万能物質、例えるならば大きさも質量も粘度も、そして勁の伝導も可能な物質があると……、」
そんなものは存在しないはずだ。勁脈は修復不能で、脳の代理は存在しない。
「勁脈は無事だった。思考という電気信号のパターンは転写が可能だったらしい。……今の俺の体は錬金鋼(けん)で出来ている」
男が小太刀の切っ先をサヴァリスに向ける。
「そんな、バカな……」
確かに、グレンダンには全身の骨を錬金鋼にして死ぬまで戦い続けた武芸者の記録も残っている。けれども、骨を錬金鋼に置換するのと、全身を錬金鋼で作り直すのはわけが違う。けれどもそれが可能ならば、あの弱弱しい勁量で、サヴァリスと打ち合いが出来たのか理解できないでもない。
単純に足し算の問題だ。通常30しかない人間の肉体を70の活勁で強化して100にするのか、それとも肉体のほうを70にして30の活勁で強化するのか。
全身が細胞の一欠片に至るまで錬金鋼で出来ている。勁脈を持ち、人の様な人格を持ち、そして人間の如くふるまう錬金鋼。ならば錬金鋼のこの肉体に勁を蓄積することは不可能ではないとオウロは考えた。筋肉がエネルギーを蓄えるように錬金鋼の細胞に勁を蓄え続けたならば……
恐らくは神の悪戯。この世を覗いて無聊を慰める神の賽子が生み出した悪魔的な奇跡によるもので、今後オウロと同じ存在は二度と現れないだろう。
「続きは後で、考えろ」
発生勁量によって変化するように設定した小太刀は、オウロの身長に匹敵する長さの大太刀へと変化する。構造上、勁力の増加は一時的なものに過ぎない。果たして二〇呼吸も持つかどうか。
故に大太刀。
速さと重さで威力は増す。一滴たりとも勁を無駄にするつもりはない。
言葉の後にオウロの体外へと漏れていた勁の渦が水鏡のように静まり、高速循環する活勁が刀身から爪先まで透り抜ける。
「ゆくぞ、」
サイハーデン流刀争術、水鏡渡り。
分割された時間と空間。常の一瞬が通常の時流に感じられるほどの一瞬にオウロはサヴァリスとの間合いを詰める。今度は勁弾を放つ暇さえない。瞬きを千に斬割する刹那に間合いは格闘戦へと移行。
重ね疾影変化・修羅双刃。
分身した幻のオウロと実体のオウロが僅かずつタイミングをずらしての一人時間差攻撃。サヴァリスの左袈裟と逆袈裟を獣の大顎のように二振りの斬撃が挟み込む。
右か左か。
上か下か。
そう判じたのは視界の端に捉えた人ならぬ霞と直感によるものだ。
どちらにしろ、相手の戦力を侮っていたと言う他なかった。サヴァリスの左右を襲い来る刃は接近戦に於いて回避の難易度を劇的に跳ね上げる。先程とは違い格段に威力の上昇した相手の斬撃を受けたならば、受けた腕は圧し折れ、いや、下手をすれば折れた腕ごと押し切られて、大地に腸をぶちまける。
すでに闘争は始まっており今まさに終わろうとしていた。サヴァリスの死という、戦場では最もありふれた結論で。
左右を刃に挟まれる間合いの内に踏み込まれる。凡百の武芸者ならばこの時点で死んでいるだろう。反応すらままならないまま、混乱の内に己の肉を抉る刃の温度を知るに違いない。
だが……、
結論から言ってサヴァリスはやはり天才だった。
そして、皮肉なことにサヴァリスを生き長らえさせたのはオウロの見せた疾影の変化だった。
サヴァリスの天才は窮地に対して今まで思いもよらなかった発想を瞬時に選択する。
腕が二本で足りないならば、さらに重ねればいいだけの事。
即ち、ルッケンス秘奥千人衝。
実体のある二人目のサヴァリスを一人目のサヴァリスに重ねて強度を増す。一人なら潰れるしかない斬撃であったとしても、二人ならば支えることが出来る。
――――――――間に合え。
果たして、
手甲が押し込まれ、二の腕に刃の冷気が侵入する。刃の温度は、
「けああ!!」
裂帛の気合と共に体外へと弾き飛ぶ。
一人が二人に、二人が四人にその数を倍加させ、サヴァリスは時間経過で戦力を増大させていった。必殺に必殺を重ねるその様は本来ならば過剰に過ぎる。などとサヴァリスは思わなかった。むしろ、、これぐらいで適量だとさえ思う。
そこまでに、認める。
サヴァリス=ルッケンスは男を命を脅かす大敵と認める。秒間一〇〇の手を数える千人衝を潜り抜けて反撃する刃の鋭さを、自らを上回る可能性を持つ難敵と認める。
手抜きなく、
不足なく、
最速で、
死線を渡る戦いを楽しむほどに、容赦なしに。
男は善戦したのだろう。諸手で構えた大太刀の技は先程の小太刀を超えるほどの精妙に、間合いを操る歩法はしなやかに、群れをなす致死の打撃を捌き切る。
だが、結局のところサヴァリスが男の初太刀を防いだところで攻防の流れは決していたのかもしれない。男の特異な剣術は時間経過で徐々に勢いを失くし、逆にサヴァリスの手数は時間経過で増えていくのだから。
秒を重ねるごとに、攻防を同時に行うサヴァリスの腕の数が増加する。流石のサヴァリスでも、ぶっつけ本番で千人は制御しきれないが、しかし百人。天剣授受者のサヴァリスが百人同時に突きを放てば如何な手練れとて防げるわけもない。
攻防がただの五合で破綻した。六合目の左拳は、防御に回ったオウロの太刀を粉砕してなお止まることなく肉体を穿ち、更に右拳。百発の左拳の内の五発が残りオウロの右肘関節を固定、逃さない。今度は拡散では無く収束する。のみならず、物体の弾性限界に合わせて僅かな時間差での百連撃として右の突きが放たれる。
サヴァリスの拳が衝撃の逃げ場が一切存在しないオウロの右脇腹を抉り抉り抉り……
それでもなお、オウロの体は壊れない。右の突きの推力にサヴァリスの左腕が負けてオウロを放す。結果ピンポン玉のようにオウロの体は彼方へと吹き飛ばされ、地下闘技場の壁の奥深くにめり込んで、瓦礫を吹雪のように飛散ささせて、終わらない。
内部に納めていた天剣授受者に匹敵する勁力が、統率を失った勁力がオウロの体内でぶつかり合い反射するごとに威力を増し、ついにはサヴァリスの残した打撃跡から噴出する。
それは丁度、オウロの得意とする針功波濤掌の状態によく似ていた。都市の底を貫くほどに収束した衝勁がオウロの体から無作為に解放される。
オウロは実は内勁駆動型サイボーグだった!サヴァリスさんが百重の極みを会得した!
はい、(失)笑撃の展開かもしれませんが、大丈夫だ。作者は最初からこの予定だった。
さて、この戦いの果てにオウロはグッドエンディングを迎えられるのか。それは誰にも分からない。