1、強くなくていい2
その日は酷く風の強い日だった。この様子だとエアフィルターの汚染物質除去機能に触りが出るんじゃないかというぐらいに強く、荒廃した大地を風が吹き抜けていた。言うまでもなくその心配は杞憂である。尖殻都市フォルグストンのエアフィルターはそれほど軟な代物ではない。
びゅおおおお、と風の唸りが練武場にまで届いてきていた。すぐさまそれを意識の外に追い出し、オウロは青玉錬金鋼の剣を構えなおす。勁息は充実し、抗体細胞にまで勁が行き渡り自分の身体が内部から通常人類のものとは比較にならない力を秘めていることを感知する。全身のバランスを意識して剣を振るう。
一閃、二閃。明かりのともっていない早朝の練武場は暗い。ましてや今日の強風なら巻き上げられた砂塵に空は曇り、明かりのない練武場は暗闇に近しかった。
そんなことを気にしている様子もなくオウロはひたすら剣を振るう。剣は所詮勁力、そんなことを思い至った昨日の今日だがやはり未練というものは中々に消えないものだ。なにより剣に集中している間はそういった耳元のざわめきも消えてなくなるから心地いい。
「お、またやっとるな」
練武場の暗闇で一心不乱に剣を振るう男、最初はいぶかしげだった周囲の視線もいつの間にか「あいつはああいうやつだからな」というものに変わっていく。
「熱心だねぇ、この朝早くに」
一連のセリフを言ってのけたのは一見優男風の少年で年は十代後半ギリギリといったところ。ただし、こんな時間に練武場を訪れる男がただの優男なわけがなく、肩には馬鹿でかい木製鉄芯入りの春バードを楽々と担ぎ上げていた。
さて入るか。
そう思った瞬間、一心に剣を振るっていた男がこちらを振り返り頭を下げてくる。
「エクトー先輩、おはようございます」
「ん、・・・うむ。おはよう」
何十も繰り返され、いつも通りになったやり取りが、当たり前のように繰り返された。まったく不思議なことなのだが、この後輩は剣に集中しているようで周りにも感覚を伸ばしているのだ。以前だったか、殺勁で完全に殺した気配を悟られた時にはショックで眠りが浅くなり、危うく窓から落ちそうになった。
「よう、オウロ。また先越されたな」
「はい、まあそういうこともありますね」
表情をあまり変えず、後輩の剣士はまた素振りに戻っていく。相変わらずの対応、幾度となくこの練武場で繰り返された朝の挨拶。だからだろうか。
今日は何だか雰囲気が違うように感じ取れたのは。
未練。
諦めると決めた物事への努力。朝早く起きて剣を振り、勁の通りを確かめ、更に研ぎ澄ませていく行為。達人には至れないと、目標に決して届くことがないと悟った上でなお絶壁の待ち構えるレールの上を走り続ける行為。これを未練と呼ばずになんと呼ぶのかオウロは知らない。けれど十年走り続けてきた道の上を昨日今日の決意で簡単にゼロにすることは出来なかった。
その証拠に。ほら。
横に払われた剣が宙に勁の残光を残す。切り裂かれた空間を埋めるように剣風が渦巻く。
捨てることなど出来やしない。諦めるなんて簡単に言えるわけがない。身体中の器官という器官が一斉に歓喜の声を上げる。こんな楽しいことが他にあるだろうか?いかなる絵画、風景を見ても現在(いま)に勝るわけがない。理想でしかなかった物事へと近付いていく。一歩一歩距離を縮めていく。
そうして判るものがある。
山の高さは遠くから眺めていても分からない。近づけば近づくほど見えてきてスケールの違いに絶望しそうになる。 そうして登りはじめると今度は身に染みてくるのだ。ああ、なんて高い山なんだと。
・・・まったく馬鹿みたいだ。何でこんなことをしているのか。こんなことに意味があるのか。答えは見えず、呼吸さえ苦しい。意味なんて無い、それが意味である。なんて、哲学的な答えなんだろう。ああ、誰の言葉だったんだろうか。内部に蠢く活勁が耳に触る。
「おい、オウロ。大丈夫か?お前」
なんか変だぞといいたそうな顔でエクトーがこちらを覗き込んでいた。それは心配するというには厳しく、殺気というには温い視線だった。
「・・・大丈夫、です」
「いや、おかしいぞ」
返答を即座に切り捨てられる。自分ではいつも通りに返したのだが、傍からだとそうでもないようだ。
「そんなことないです」
こっちの声を撥ね退けるようなオウロの声。尖った音声にエクトーは顔をしかめる。
これはいかんな?
「何か、あったのか?」
一応汚染獣との交戦で班を組んだことある仲だ。こちらの質問にオウロは一切の言葉を失ったように黙り込んだ。
真面目な奴である。
「言ってみろよ」
促して、しばしの沈黙を待つ。
おもむろにオウロが口を開いた。
「先輩は、いいですよね、勁量が多くて」
ぽつりと、降りはじめの雨のように小さいそれは、今にも泣き出しそうで、そして震えるような声だった。
「それが、どうかしたか?」
なるほど確かに自分は人並み外れて勁量が多い。そこは認めよう。けれども、オウロだって少なくない勁の発生量があるわけだし、武芸者として活動できないわけではない。なぜそんなことに悩むのか?今一要領が掴めない答えだったし質問だったようだ。
「お前だって人並みにはあるだろ?」
またオウロは黙りこくる。まるで形にならない何かを探るように表情を歪める。こいつは何を言いたいのか。自分は確かに勁量があるが技術という点ではオウロの足元にも及ばない。たしかに四年ほど長く生きてはいるがこればっかりは逆立ちしたって敵わないのだ。
「・・・足りないんです、これじゃ」
そこは判る。 オウロの勁や身体に関する繊細さと感覚は都市内でもトップに入るだろう。まあ、勁の発生量はやや少ないと言わざるを得ないけれども、それでも対抗戦では上位に食い込んできてる。ただ汚染獣を相手にするとやや苦戦するようだが、それでもダメなのだろうか?
「お前はさ。十分役に立っているだろう?何が不満なんだ?」
偽らざるエクトーの疑問形。武芸者は都市を守る役割を果たせればいいじゃないか。一体、それ以上の何を求めているというのだろうか?
こっちが何を言っているか判らない以上エクトーに話すのは無駄なことだと思った。たぶん自分とオウロでは見ている場所が違う。だじから伝わらないのだろう。
無駄だ。まったくの無駄だ。
「いや、そうですね不満はないです」
「本当か?」
はーん?というエクトーの顔が癇に障った。
本当なわけねえだろバァーカ!死ね。汚染獣に腸喰われて死ね!
凶暴な感情を心の内で形にすれども、実際に声には出さない。
「いえ、大丈夫っすよホント」
にや、っと能天気に自分の顔が歪むのが判った。よし、よくやった。
「お前・・・」
んだよ。
「先輩のことなめてんだろ」
ずい、とエクトーが凄みを増した。
「舐めてないっすよ」
軽く、さっさとこの重苦しい空気を追い払いたいと願い、喋る。
「逃げるなよ」
「は?なんですかそれ」
「これだよ」
言下にエクトーの活勁が爆発する。どむ、という重苦しい音を立てて練武場が震えた。破裂音を立てて木製のハルバードが叩き下ろされる。内力系活勁で肉体を強化し、外力系衝勁で武具を覆いより強度を上げる。武芸者の本気の一撃は刃があろうとなかろうと、人間を破壊するには十分すぎる威力を持っている。その証拠に頑丈なはずの練武場の床が大きく抉れていた。そして木製のハルバードには傷一つ存在しない。
逆に言えば練武場の床だけが抉られていた。
「やるじゃねえか」
エクトーの顔が自身の声で歪む。完璧に近い不意打ちを躱されたことへの口惜しさを滲ませながら。
惨状の遥か三十メートル先でオウロは剣を上段に構えていた。まったく、どんな技術を使ったのかわからないが、単純な強化ではないはずだ。それならば勁量の多いエクトーの攻撃をオウロに回避できる道理がない。
まあいい。
「行くぜ・・・」
活勁を足に集中して強化する。内力系活勁・旋勁。大地を踏み抜かんばかりの蹴り足が爆発的な反動を生み出してエクトーの身体を前進させる。一般人の目から見れば瞬間移動に近しい踏み込み。武芸者の動体視力を持ってしても瞬く間にオウロとの距離が詰まっていくのが判る。
踏み込みざまの一閃で横凪ぎの斧刃と剣身が交叉し、練武場が開戦の悲鳴を上げた。
大気が揺れる。錬金鋼から放射される衝勁と、活勁によって強化された肉体の双方向からの激突に大気が悲鳴を撒き散らす。
これが武芸者の戦い。
人類の敵、汚染獣を屠る戦闘者同士の激突。常人が近寄れば剣圧で叩き殺されるような剣戟。
「ぐぅ……」
打ち合いの衝撃波がオウロを蝕む。腕から端を発した痺れは口から苦呻となって零れ落ちる。
その戦いはオウロが望んだ戦形ではなかった。オウロは非力だ。そして、それは武芸者としての資質である勁量に由来する。エクトーとオウロの体格に差はない。ならば純粋な身体能力の差は活勁の差ということだ。
そして打ち合い。こちらの手には錬金鋼、対汚染獣用の本物の剣が。対してエクトーの武器といえば木製のハルバード。なかに鉄芯が仕込まれているとはいえ、汚染獣の鱗を絶ち、肉を裂くことを想定して作られた錬金鋼との強度は比較するのも馬鹿馬鹿しくなる。
だが実際に打ち合いになっている。これの意味するところは唯一つ、武器を覆う勁量に大きな隔たりがあるということを示している。
斬り返し。エクトーの斧槍をいなし、首筋めがけて刃を送り込む。角度、速度ともに文句のつけようがない完全なる殺しの刃。
「っと・・・危ねえ」
必殺の一刀はしかし、身を沈めたエクトーの前に空を斬る。空撃ちされた衝勁が空気を焦がすその真下から、オウロの顎めがけて斧槍が跳ね上がる。
考えるよりも先に足が動いていた。
半歩下がって回避したとオウロに斧の切り上げが続き、
決着するならばここしかないというタイミング。
体を捌いて右に躱す。切り下げた剣先の動きと、横に躱した体の動きの方向が合し一息にその行く先を変える。
外力系衝勁変化、点刺勁。繰り出された剣の切っ先と勁動が、エクトーの右胸を照準を合わせた。
「ハアアッ!」
ここ一番の勁息が体内までめぐり活勁を更に底上げする。放たれた勁がエクトーに到達するには十分すぎる距離、速度そして、反応が間に合わないタイミング。
修練場を破裂音が満たした。
エクトーの体が飛翔し強化コンクリートの上を転がって、派手な音を立てて壁に激突する。
けれども、
「温いなァ!!オイ!」
こんなもんか!
けれども平然とた様子でエクトーは立ち上がっってきた。床に落ちたハルバードを蹴り上げ、掴み、構える。
畜生が。
手応えからして損傷の具合は判り切っていた。鉄球を突いたがごとき衝撃が、オウロに事の真相を教えてくれる。
弾かれたのだ。
苦し紛れという言葉が似あう、咄嗟に出した程度の衝勁に。練りに練った自分の点刺勁が。
ほら、やはりこんなものだ。
剣は所詮勁力。10年に及ぶ解答を現実が立証する。アイスピックで熊の毛皮を貫けないように、自分の攻撃はエクトーの致命打にならない。
その事実は熱を冷ますには十分で、脱力したオウロの背中に寂しさが負い被さってきた。突撃するエクトーに無気力な剣が掲げられる。
その後は語るにも値しない。戦いは攻防すら成立せず、否、戦いと呼ぶのもはばかられるような一方的な展開でオウロは敗北した。
書き足しさーせん。次話投稿しようと思ったんですけれども、書き切ろうと考えまして。