オウロの目の前には一つの弾倉がある。MP-47型弾倉、長期にわたって勁を蓄えることを目的とした弾倉だ。いま目の前にあるそれには赤熱化するほどの膨大な勁が蓄えられていた。これで最後、床に置いた弾倉に手を伸ばす。
手が弾倉を弾いた。
「…手が、震える?」
怯えているというのか?いやそうではない。二度の超射撃がもたらした反動の負荷がオウロの体を蝕んでいるのだろう。武芸者の体は、自分が放つ瞬間最大勁量以上のものには耐えられないようになっている。身体を強化する活勁と外部に破壊を放つ衝勁は、軸を同じくする二つの車輪。強化された肉体が耐えれられる程度の衝勁しか普通は放てない、放ってはいけない。
20m機関砲の弾丸を、ライフルで放てばどうなるか。放てるはずのないものを無理に放てばどうなるか。そんなことは一秒と思考することなく答えが出る。
けれども、それは平時の判断だ。残念ながらいま、ここには俺の代わりの武芸者は無く、汚染獣が去る気配も存在しない。
オウロは息を詰める。
俺は狙撃手だ。弾があって銃がある。そして標的は目と鼻の先1500メートル以内に存在する。
撃てばいい、撃たない理由などどこにも存在しない。
装填するまでに弾倉を三度取り落した。力が抜け今にも崩れ落ちそうな両手を愛銃にそえ背骨を一つ一つ積み上げるように体を起こす。活勁を細胞の隅々まで巡らせ、些細な関節の動きや骨の位置を調整する。骨が先で筋肉はその後だ。
狙撃手が一番初めに習う基本にして奥義の到達形。銃を構える、いや、勁弾をを標的に送り出すための精密機械。それが今のオウロだった。
内力系活勁変化--照星眼。
ポツリと、老成体の額の更に甲殻の僅かな隙間に白い点がポイントされた。ゆっくりとただ引き金を絞り込む。動作の一つ一つが一々ラグがなく終わっていく至高の空白地帯。思考は最早存在せず、ただ器物と化した体が超絶の勁弾を放つ。呼吸も動作も、心の状態も全てが過去最高の一射だった。
大きすぎる反動がオウロの体を吹き飛ばし背後のコンクリ壁に叩きつける。絶息し、苦痛に歪む状況でも霧崎は先程の一射の必中を確信していた。
どん!!という凄まじい衝撃音が、1,5キロ先のここまで伝わって来た。重苦しい破裂音は脳に響くラッパのようなものだ。
勝った。確実に殺った。ノロノロと体を起こし、着弾地点を確認する。
いない、何もない背後の避難用シェルターはぼこぼこに凹んでいるが無事なのは判る。だが頭を吹き飛ばされ、墜落したはずの老成体の死体が存在しない。確認の凝らす目には、全くそれらしいものは写らず――-、
「上か!」
世界が日陰り、遅れて衝撃が体を叩く。大質量のぶちかましで既に崩れかけていたビルはとうとう命運尽きて呆気なく崩れ落ち、そこから先は覚えていない。
3、ターニングポイント
世界が真っ暗になった。
目を覚ましているはずなのにまるで風景が飛び込んでこない。いや、それよりも自分は生きているのだろうか?あの高度から落下したら万全の武芸者とは言えどもただではすまない。まして瀕死の武芸者が助かる見込みは相当低く見積もるべきだ。
そこではたと自分は武芸者なのだという事を思い出した。
内力系活勁変化―――夜梟眼。
暗闇で戦うときに用いる勁技で、とりわけオウロの習熟度が高い者の一つだったのだが、
「見えない」
化錬勁で火でも生み出せるのならば話は違うのかもしれないが、しかし、まず錬金鋼がなければ勁技の発動も覚束ないし、よくよく思い出してみれば化錬勁はまるで心得がない。
「くっそ」
呪いの言葉が四方の空間に反響する。どうしようもなく手詰まりだった。ここがどこかさえも判らなかった。生まれてこのかた感じたこともないような暗闇、オウロという自己の輪郭さえも溶かしてしまう化け物の胃袋
の中。
このまま、俺はここで腐れて死んでいくのか。
助けるべき一般人のことなど頭から消し飛んだ。闇の恐怖の中でオウロは絶叫する。
「うわあああああああ!!ああああああああああああ!!くそ!くそ!くそ!どこだかわかんねえ!どこだここは!うわあああああああああああ!どこだよ!どこだよ!っはははははははははははは!」
脳味噌が純粋な恐怖で蕩けてしまいそうだ。怖い、ただ怖い。何に脅えているのか分からない。
「はははは……はあ、はあ、」
ひどく体力を消耗した。どこにこんな体力が残っていたのだろうか?そう疑問を憶えるほどに暴れ尽して、とうとうオウロの体が崩れ落ちる。
もうだめだ。もう、指の一本も動かせない。冷たい金属が頬に触れる。ひんやりとした金属の床はこの上なく優しくオウロの体に染みわたっていく。
眠い、全身の力が抜け落ちて、支えを失なった瞼は垂れ下がり、肉がぐずぐずに腐敗したかのように床の硬さが骨に触れる。
目を閉じるまでもなくそこは暗闇だった。
暖かい夢だった。レギオスの空中庭園。あの春風の昼下がり。支給された豆と鶏肉とトマトソースの煮込み料理。それはとうに失くしたはずの幻影。記憶に存在しない記憶。そうとも訓練に明け暮れていた自分にこんなものが存在するはずがない。ただ黙々と剣を振っていたあの頃にこんな記憶が存在するはずもない。
けれども、
けれども何て美しい光景なのだろう。なんて……。
ほら、こっちに来て。
不意に手が引かれる。戸惑いながらも空中庭園に咲き乱れる花畑に引かれるままに降りた。一面に広がる黄色い花が眩しくて、目を覆う。くらくらしそうなほど花が匂っていた。
こっち、こっち。
手を引くのが誰なのかなどと、無粋なことは問うまい。ただ引かれるままに花畑を走り抜けそうして、終に目的の地へと辿り着いた。
そこは剣の墓。おびただしいほどの役目を終えた剣が、いや剣だけではなく槍も、斧も、弓も銃も。とにかく思いつく限りのありとあらゆる武器が花を飾られ、静かに眠っている。
これだよ。あなたのはこれ。
そうして吸い寄せられた手が掴んだものは
剣でも、
銃でもなく、
落ちる。足場が力をなくし、再度、浮遊感がオウロを襲う。気が遠くなりそうな体感時間の中、気が狂いそうなほど先の見えない無明の中で、持ちうる限りの活勁で身体を強化し続け、ようやくオウロは着地する。
だがそこは安息の場から、あまりにもかけ離れていた。
着地の衝撃は一瞬で、全身が砕け散って、剥き出しの神経線維が冷水で洗われる。
ここは地獄か?それとも現世か?
否。
役割を言うならば子宮だろう。オウロがそのことに思い至るのは随分と後の話になるのだが。
照明の光がコンクリートに眩しい。部屋の中は暖色系の優しい光で満たされている。部屋の中央には、金属製の水槽が―――直径が10メートル程もある池の中は、ヌラヌラと滑る金属光沢で占められていた。
先のほどの落下物を受け止めた余波なのか、池の中の金属光沢をもつ液体は随分とあたり一帯に飛び散っており、池の中には白銀の金属色とはあまりにも系統の異なる赤や肌色が混じっている。池をひっくり返したならば、その赤の元々帰属する持ち主の断片が見つかったに違いない。
恐らく即死であろう。高速で落下する人体が液体に衝突すればどうなるかなどということに、その結果をもとめるのに一々考察が必要だろうか?
ただ、池のふちには復元された小銃型の錬金鋼が、勁の籠らぬ銃口を虚しく宙に向けていた。
ちょっとやり直し。