『私あの人が好きなんだ』
教室で日常的に湧いては消える、ありふれた話題。
人が当たり前に抱く感情。
私のそれも全く同じ。
あの人の眼が素敵。
あの人の血塗れの姿が好き。
あの人のようになりたい。
あの人の血が見たい。
(やっと撒けた……。)
金木は息を切らしながら、
あのヴィランは相当危険だ。
冷静な判断力とおそらく肉体強化系の個性。
とても自分が太刀打ちできる相手じゃない。
渡我が誰か呼んでくれていたとしても、それがプロのヒーローであったとしても、ひとりで闘うのは危険だ、と伝えるために、この場所まで戻ってきたのだ。
ザッと辺りを見渡す。
渡我の姿も、傷ついたヒーローの姿も見当たらない。
上手く逃げられたか、と安堵している金木に、後ろから声がかけられた。
「やぁ、君!さっきは助かったよ!ありがとう!」
金木の意思に反して、ビクッと肩が跳ね上がる。
声をかけてきたのは、先程まで傷つき、気を失っていたヒーローだった。
一瞬前に見渡した時には、影も形も見えなかったのに。
「え…いつの間に……あの、大丈夫なんですか?さっきまで傷だらけで…」
「大丈夫!個性でちょちょいっとね!応援も呼んであるからもう安心だよ。そんなことより、君も早くここから逃げた方がいい。」
困惑する金木に対し、ヒーローはにこやかに笑いながら金木を表通りの方角へと促す。
確かに、見る限りもう怪我はなさそうだ。
コスチュームは先程のまま血がついていたり、破れていたりするが、その破れた箇所から見える肌に傷はない。
顔も殴られた痕や口の端が切れていたはずだったが、今はそれもない。
回復できる個性があったなら何故やられたんだ?という疑問はあるが、しょせん自分は中学生で相手はプロだ。
ここはプロに任せるべきだろう。
応援も間も無く来るとのことだったので、金木は安心してヒーローに背を向けて表通りへと歩み始めた。
突然。
脇腹に激痛が走った。
「ッッ…!!!」
歩き始めたその瞬間、いや、ヒーローに背を向けた瞬間にその痛みはやってきた。
驚いて振り向くと、ヒーローは恍惚の表情でナイフを握っていた。
頰を上気させながら、ナイフに付いた血液を眺めて満面の笑顔を浮かべ、なおも金木にナイフを突き立てようとする。
金木のコンディションが万全ならば、追撃は避けられるだろう。
この程度の傷はすぐに再生もできる。
だが、初めて刃物で刺された少年が、そう冷静でいられるだろうか。
脇腹からは焼けるような痛みがズキンズキンと自分の鼓動に乗るようにやってくる。
そして、金木の個性は万能ではない。
そもそも「身体活性」という便利な個性を持ってはいても、金木は何のトレーニングも積んでいない、ただの中学生でしかない。
率直に言って、この個性を使いこなせるほどの体力がないのだ。
筋肉を
つまり、先程のヴィランとの鬼ごっこで、もう体力は残っていない。
ザグリ。
息切れが回復することもなく、金木は2度目のナイフをその身に受けた。
「ぐ……っ。」
体の中心を狙って突き出されたナイフを右腕で庇い、なんとか少し距離をとる。
だが、2歩ほど歩けば詰められてしまう距離だ。
そして、それ以上距離をとる体力はもうない。
右腕は裂け、脇腹と右腕からの出血で制服も血に塗れている。
ダラダラと血を流し続けている傷口が、焼けるように熱い。
「ケンくん!ちょっとだけ血をチウチウさせてください!!」
先ほどまでの口調が変わっていること。
自分の名前を知っていること。
言っている内容が狂気じみていること。
訳がわからないことばかりだ。
痛みと混乱で顔が歪むが、その先の光景を見て驚愕した。
ヒーローがドロドロと溶け始めたのだ。
そしてドロドロと溶けたヒーローの中から、恍惚の表情をした渡我が現れた。
渡我はそんな至福の極みといったような表情のまま、金木との距離を正しく2歩で埋め、一糸
そして、無言のままに金木を押し倒し、傷口に優しく口付けをする。
「はっ!?…トガさ…なに…を……え?…」
息も絶え絶えに渡我を押し退けようとするも、全身に力が入らず、個性発動もままならない。
ゾクリ、と身を震わせるほどの嫌悪感がその身を襲う。
(なん…だ…これ…血を…吸われてる…?)
じゅるり
じゅるり
と、不気味な音が路地裏に小さく
(…なんだよ…これ……なんだよこれっ!?)
じゅるり
じゅるり………
「…ケンくん!改めて自己紹介します。私、
ぷはぁ!と、まるで仕事終わりの一杯を飲んだサラリーマンのように快活な音と表情で、患部から口を離す。
そして、渡我は口の周りを血で濡らしながら恍惚とした表情で続けた。
「数ヶ月前ですが、あの時は助けてくれてありがとうございました!あの後のケンくんの血塗れの姿と、きれいな赤い眼を見て好きになっちゃいました!」
なおも迫る渡我に、金木は命の危険を感じる。
距離をとって個性での再生を…と思うが、血を失いすぎたのか身体が言うことを聞かない。
次第に意識も遠のいてゆき、痛みも寒さも分からなくなっていく。
意識が、飛ぶ。
だめだ。まだ…。死にたく…ない。
壊れたブラウン管テレビのように、ブツリブツリと何度も意識を手放しては覚醒し、また意識を失う。
「…好きな人の血が見たいっていうのは“普通じゃない”んでしょうねェ。でも、私は血が好きなんです。あの血溜まりにいたケンくんはホントに美しかったです。」
頬を染めながら上気した顔で渡我はそう語る。
何度目になるか分からない意識の浮上。
金木は、朦朧とした意識の中、その言葉でふとあのトラック事故の光景を思い出した。
今自分が置かれている状況も、もはや何も理解できない。
あつさも、さむさも、いたみも、こわさも、なにも感じない。
判然としない意識の中、金木は渡我と同じ光景を思い描いて、ゆるやかに微笑んだ。
「……たしか、に…ゴポッ…きれ…ぃ…だっ たね。」
言葉に乗って、口腔内に溜まった血液が気泡混じりに吐き出される。
何度か途切れながら、微かな音量で告げられた同意の言葉。
その言葉を聞いた渡我は、ピタリと動きを止め、金木を凝視した。
今までこの異常な感性を理解してくれた存在はいなかった。
親は“普通に”生きることを強要し、そうしなければと自分を抑圧してきた。
だが、この少年は自分を認めてくれた。
ここまで強烈に憧れた存在が、さらに自分を認めてくれる…
こんな幸福はあるだろうか。
渡我はこれまでの人生で最高の幸せを噛みしめる。
だが。
渡我にとって憧れの存在とはイコール血を見たい相手なのだ。
相反する感情を内包したまま、渡我はさらに金木の血を口にしようとして———
突如、その身をくの字に折り曲げて苦しみ始めた。
「あっ…が…?…!」
突然苦しみ始めた渡我を見て、金木の意識は次第に冴えていく。
だが、眼前の光景を見ても本当に訳が分からない。
なおも苦しみ続けている渡我を見ながら、少しずつ自分の意識が覚醒していくのを感じる。
なにがなんだか分からない。でも、
(…まずは傷を塞がないと)
大きく視界がふらつく。
刺し傷からの出血と渡我の経口摂取によって血を失ったせいだ。
人は血液の50%を失うと失血死する。
30%で命の危険、20%で出血性ショックに陥る。
早く血管を繋がなければ、多臓器不全を起こしてしまう。
そうなってしまえば、もはや個性の発動など不可能だ。
逆に、そうなる前に血管を繋ぎ、傷を塞げばこれ以上の悪化はないはずだ。
自分の身体のみに集中する。
人体の構造をイメージし、患部の血管をイメージする。
このイメージが個性に影響するのかは分からないが、人の体は案外思い込みの影響を受けやすい。
筋肉がついた自分をイメージして筋トレをするのと何も考えずにするのでは結果が違う、と何かで読んだ気がする。
そのイメージが役に立ったのかは分からないが、なんとか傷口を再生させることができた。
だが、嫌な汗が止まらない。
個性の反動によって筋肉は悲鳴をあげているし、血を失ったせいで気分もすこぶる悪いが、うまく個性を使うことができたことに安堵しつつ、渡我を見る。
先ほどまで謎の苦しみで苦悶の声をあげていたが、今は焦点の定まらない目で肩を上下させながら静かに呼吸を荒げている。
痛ましい姿だ。
自分を刺したこと、血を吸われたこと、そして突然倒れたこと。
分からないことばかりだが、このままにはしておけないだろう。
「…トガさん?あの、————」
「こんなとこにいたか!!ガキィ!!」
渡我に声をかけようとした金木は、頭上から本日何度目か分からない災厄の声を聞いた。
トガさんはストローを持ってくるのを忘れました。
直接ちうちう。
ご褒美ですね?