ハリー・ポッターと灰の魔女 作:アストラマギカ
黒ずんだ石壁を松明がぼんやりと照らしていて、正面のひときわ高いベンチには大勢の影が見えました。50人ほどでしょうか、全員が赤紫のローブを着ていて胸の左側には複雑な銀色の飾り文字で「W」の印が付いています。
(ここがウィゼンガモット……)
部屋の真ん中に置かれた椅子のひじ掛けには鎖がびっしり巻き付いているものの、ハリーが座っても縛られるようなことはありませんでした。単なる脅しなのか、あるいは嘘を吐いたら縛り付けるような魔法がかかっているのかもしれません。
「久々にアメリアにも挨拶しないと」
紫ローブの群れに向かうお母さんに続くと、老齢の魔女が私たちを出迎えてくれました。白髪をショートにし、片眼鏡からは鋭い眼光がのぞいております。老魔女は私たちを順番にジロジロと見た後、女性にしては低く響く声で言いました。
「主席判事のアメリア・ボーンズだ。3人とも、姪のスーザンから噂は聞いてるよ」
アメリアさんの視線に合わせて傍聴席の一角に視線をやると、そこには同学年のハッフルパフ女子、スーザン・ボーンズさんがおりました。
亜麻色の三つ編みは頭の後ろでシニヨンにまとめられ、キャミソールとオフショルダーの白いワンピース、ピンクベージュのキュロットパンツにブラウンのスエードアンクルブーツ。
叔母譲りの鋭い眼光に眼鏡、低く響く声で小柄な割に迫力があり、ゆるふわ系の多いハッフルパフでは珍しいタイプの女子です。
「おや、君たちも来てたのか」
私たちと目が合うと、スーザンはメモ帳を小脇に抱えてやってきました。
「私はお母さんがハリーの弁護士なので付き添いで来たんですが……スーザンも叔母さんの付き添いですか?」
「それもあるが、一番の目的は職場見学だ。ウィゼンガモットを目指す者として、せっかくの大法廷を傍聴しない理由がない」
アメリアさんを見つめるスーザンの目には、尊敬の色がこもっておりました。
「今年は進路選択の面談もあるからな。グリフィンドールのアリスやレイブンクローのコーデリアなんかも来ているぞ」
スーザンが顎で指した方向を見ると、眼鏡をかけた黒髪ボブのアリス・トリパンさんと赤毛をハーフアップにしたコーデリア・ギフォードさんが手を振ってきました。どっちも委員長気質で成績上位層ゆえ、早くから将来のことを真面目に考えているようです。
「それで……スーザンは、僕が法律違反をしたと思う?」
ハリーが不安と負けん気の混ざった声で質問すると、スーザンは「さぁ」と軽く肩をすくめました。
「私の口からは何も言えない。真実を明らかにするために法廷があり、叔母様のような判事が日々法律の勉強を積み重ねている。私はただ、その結果に従うだけだ」
姪の言葉にアメリア・ボーンズさんは苦笑しました。
「司法に携わる人間が言うのもあれだが、こういった魔法大臣が参加するような大法廷では、あまり司法の力を過信しない方がいい。良くも悪くも、重要な裁判ほど政治的な判断に左右されるものだ」
やや皮肉っぽい言い回しで目を細めるアメリアさんに、ハリーが驚いた顔で質問しました。
「えっ、ファッジが参加するの!?」
ハーマイオニーも別の意味で驚いたようでした。
「魔法界だと大臣って裁判に介入できるの?」
質問されたアメリアさんは「ふむ」と顎に手をやり、ハーマイオニーを見つめると。
「そういえば、君はマグル生まれだったな」
「……そうですが」
「いや、そう身構えないでくれ。私は純血だが、別に純血主義者というわけではない」
ちなみにスーザンの叔父であるエドガー・ボーンズさんは『不死鳥の騎士団』初期メンバーでしたが一家もろとも殺され、姪っ子のスーザンの母親はマグル女性だとのこと。
「だから、こう見えてマグル関連の知識もそれなりに勉強したつもりだ。もちろん『国王大権』のことも」
にやりと笑うアメリアさん。どうやらマグル通だという自称に嘘はないようです。むしろハリーの方が首を傾げていました。
「国王大権って何だっけ? 名前は聞いた事あるけど」
「英国王に認められた様々な特権のことですよ」
立憲君主制の我らがイギリスでは、表向きは女王陛下が国王大権の名のもとに三権を掌握してたりします。
例えば立法権の場合、「議会の助言と承認のもと、議会における女王が行使する」とされており、行政権にあたる女王陛下の政府は「女王に任命された首相と、その首相の指名により国王が任命した大臣によって率いられる」とされ、司法権にあたる裁判は全て「女王の名のもとに」行われることになっているのです。
「女王陛下は冗談にしても、アメリカなんかと比べるとイギリスの権力分立は割と微妙なのよね」
お母さんが言うと、ハーマイオニーが首を傾げました。
「というと?」
「イギリス政府の場合、システム的に立法府と行政府が対立する“ねじれ国会”はほぼ生じないの」
我らがイギリスの伝統ある議院内閣制、ウェストミンスター・システムでは議会の多数派を占めた政党が与党となります。そして行政府のトップである首相は与党のトップである党首が務めることになっているため、立法府と司法府は常に同一人物が握っていることに。
ついでに言えば各省庁の長たる内閣についても多くは与党議員の中から選ばれるため、立法権と行政権の関係は“権力分立”よりも“権力集中”が議院内閣制の特徴と呼んでも過言はないでしょう。
「ですが、行政府には解散権が、議会には不信任提出権があるのでは?」
「イレイナ、そもそも議会で過半数を占める政党しか与党になれない時点で、不信任案が庶民院を通過できると思う?」
「与党議員が造反すれば、ギリギリ過半数通過するんじゃ……」
「理論上はね。でも、イギリスだと議員に対して強い党議拘束がかけられるから、実際に造反する議員の数は通常それほど多くないの」
選挙で政権をとった党の
「大陸みたいに比例代表制だと連立政権が常態化するから一概には言えないけど、少なくとも小選挙区制で二大政党のどちらかによる単独政権が基本のイギリスでは、造反による不信任通過はレアケースね」
「魔法界ではどうなんですか? なんとなく魔法大臣が首相で、魔法省は政府ってイメージがあるんですけど」
ハリーが質問すると、それまで興味深そうにお母さんの話を羽ペンでメモしていたスーザンと、熱心に聞いていたハーマイオニーが同時にジト目になりました。
「ハリー、それならビンズ先生が去年の春ごろに説明してくれたばかりだと思うが……」
「今年はOWL試験の年なのよ? まさか、夏休み中も復習してなかったってこと?」
「あっ、明日からやるつもりだったんだよ……」
「ハリー、それ絶対にやらない人の台詞ですよ」
きっと「代表選手は試験免除」という温情措置に胡坐をかいて、夏休み中も放置していたのでしょう。
スーザンは「やれやれ」と大きな溜息を吐いて。
「仕方ない。では、1707年に魔法省が『魔法使い評議会』から改編されたところから、おさらいだ」
「お願いします、ボーンズ先生」
ハリーがおだてると、意外にも「ふふん」と嬉しそうな表情を浮かべるスーザン。意外にちょろい女です。
「18世紀に魔法省が出来るまで、イギリス魔法界には今の魔法省のように中央集権的な政府は存在しなかった。魔法評議会は単一の政府というより国際魔法連盟……マグルでいえば国際連合のような組織で、魔法族はホグズミードのような村単位で生活していた」
その点については、マグルの封建社会も似たようなもの。一応はイギリス国王がいますが、王室直轄地を除けば実際に地方を治めるのは貴族たちで、雑な言い方をすれば国王とは単に貴族のリーダーに過ぎません。
「だから、かつてのイギリス魔法評議会をマグル風に例えるとしたら、同じくかつての貴族院に相当する」
イギリスのマグル界も、昔から三権分立があったわけではありません。国王がいて、その下に貴族たちからなる議会=貴族院があり、徴税や軍事予算といった権限は徐々に国王から貴族院へと移されていきました。
「当時の魔法評議会の主な仕事は『裁判』だ。魔法族同士の揉め事には、別の魔法族が間に入って調停する必要がある」
魔法使いだってマグルと同じように結婚したり浮気したり、人を殺したり詐欺をはたらいたりするものです。
「古くからある衝突の解決手段に決闘があるが、それだって誰かが間に立って審判を務めなきゃならないし、時代が進めば第三者が『判例』をもとに仲裁を図ることもある」
似たような裁判であれば前例を参考にするというのは自然な発想であり、そうした判例の蓄積が慣習法――すなわち、『
「魔法族の数が増えるにしたがって衝突も増えていったから、それらを仲裁する手段として法律と裁判所が必要になった。だから魔法議会の起源は、元を辿ればウィゼンガモットにある。魔法大臣がウィゼンガモットから選ばれるのも、その時代の名残だ」
どこか誇らしげに語るスーザン。将来の夢は叔母のようなウィゼンガモット判事になることらしいので、憧れもあるのでしょうか。
「けれど中世になって魔女狩りが激しくなってくると、さすがに“裁判所だけあればいい”とは言っていられなくなった」
成人した魔法族であればどうとでもなりますが、子供はそうもいきません。体力の衰えた老人や妊婦、あるいは病気にかかった者も、マグルの襲撃から身を守るのは難しいでしょう。
「そこで魔法族の中からも次第に裁判や治安維持機能だけでなく、安全保障……マグルからの防衛を望む声が出てくるのは自然な流れだった」
個人主義的な魔法界でも少しづつ統治機構の拡張が叫ばれ始める中、アメリカで発生したのが悪名高い『セーラム魔女裁判』でした。
「これをきっかけに、有名な『国際魔法使い機密保持法』が成立した。それまでの法律は魔法使い同士の争いを調停するための民法がメインだったけれど、機密保持法は本格的な刑法――つまり事後的に裁判で決着をつけるのではなく、そもそも法律違反が発生しないように予防することが求められたんだ」
かくして魔法使い評議会という裁判所は、本格的な警察機構を持つ行政組織――魔法省へと再編成されました。
「魔法使い評議会の成立は1289年、ウィゼンガモットは少なくとも1544年から活動していた記録があり、国際魔法機密保持法の成立が1692年、魔法省設立は1707年だ」
ちなみにここ、試験によく出るみたいです。
「じゃあ、魔法大臣はウィゼンガモットから多数決で選ばれるの?」
ハリーが聞くと、今度はアメリアさんが頷きました。
「その通りだ。最低7年に1度は選挙があって、それ以外に不信任が提出されるか、魔法大臣が解散権を行使するかすれば選挙は行われる」
ただ、マグルと違って組織化された政党は無いため、党員選挙のようなものはありません。
「代わりにウィゼンガモットの通常選挙が魔法大臣指名選挙を兼ねてて、候補者は立候補時に自分が支持する魔法大臣の名前を表明するの。それで最終的に最も多くの当選者から指名を受けた魔法大臣候補が、魔法大臣になるわ」
お母さんが補足した内容は、どこかアメリカの大統領選挙人制度を彷彿とさせるものでした。
「でも、それだと50人のウィゼンガモット判事って、マグルで言えば国会議員が最高裁判官を兼任してるようなものじゃない?」
ハーマイオニーの指摘に、お母さんは頷きました。
「そうよ。マグルの貴族院議員と同じ」
この辺は伝統もあって、外国のように独立した最高裁判所というのはイギリスには存在しません。歴史的に最高裁の業務は貴族院がこなしていたため、今でも立法府に属する貴族院が事実上の最高裁判所。
さすがに現代の貴族院では多くが一代限りの一代貴族で構成され、その大半が法律の専門家からなる法服貴族で構成されていますが、それでも厳格な三権分立の国と比べるとかなり緩い分立になります。
なので現在のイギリスは庶民院と貴族院からなる二院制とはいえ、実質的には一院制の立法府たる庶民院と司法府たる貴族院が同じ「議会」として立法府に属しています。
しかも多くの二院制の国に見られるような「下院の上院に対する優越権」が認められているため、実質的には立法府が司法府の上に立つ形に。
もっとも、スイスなんかはそもそも解散権と不信任決議権もなく、行政府が立法府の下に置かれる議会統治制という制度を採用しているのだとか。
「マグル界の場合は庶民院は選挙で選ばれた立法専門の議員、貴族院は司法資格を持つ司法専門の議員って役割分担がハッキリしているけど、ウィゼンガモットは一院制だから選挙区に立法枠と司法枠が別々にあるの」
イギリスは完全小選挙区制ですが、国によっては小選挙区選挙と比例代表選挙が並立していたりします。有権者は2票を有し、小選挙区では候補者個人に、比例代表では政党に投票するといった感じで、どちらで選ばれても身分は同じ国会議員。
ウィゼンガモットだとそれが立法専門議員枠と司法専門議員枠になり、有権者は2票をそれぞれに投票するわけです。
「それだと、議長はどっちの枠の議員がなるんですか?」
「どっちもよ」
ハーマイオニーの質問に、お母さんが答えました。
「ウィゼンガモットの議長は、マグルで言うところの『大法官』なの」
「だいほうかん……」
「最高裁判所たる貴族院で議長を務める『大法官』は、慣例として行政府でも閣僚の一人である司法長官を兼任してるわ」
「えぇ……」
これも伝統なのですが、やはりEUからは「三権分立の歩く矛盾」だとか「時代遅れの化石システム」とめちゃくちゃ批判されてます。もちろん国内の保守派は「うるせぇ伝統にケチつけんな」とか「意識高い系は黙ってろ」と猛反発していますが。
「そして、大法官を含む閣僚の任命権は誰にあるかと言うと……」
あっ。
「首相、というわけですか」
私が答えると、お母さんは「大正解」と微笑みました。
要するに、司法府の長を任命する権限は、行政府の長である首相が持っているということ。そして司法府の長である大法官は貴族院に属する法服貴族の任免権を持っているため、首相は大法官の任免を通じて貴族院の人事をコントロールできる――となればシステム上、司法府は行政府に対して対等にはなり得ません。
すると、それまで黙っていたスーザンが「あの」と手を上げました。もう片方の手にはマグル政治の専門書――コンコーディア・ロウル著『マグル先進国における政治の基礎知識』が握られていました。
「この本の中だと、マグルの世界では司法府が行政府や立法府に対して『違憲審査権』とかいう権利を行使することでカウンターをかけられる、ってと書いてあったんですけど……」
お母さんは少し驚いたように目を見開いた後、にっこりと微笑みました。
「よく勉強してるのね。でも、それは外国の話よ」
そう、なぜなら我らがイギリスでは――。
「不文憲法だから、違憲立法審査も違憲行政審査もやりようが無いのよね」
これまた歴史ある伝統で、明文化された憲法は存在しないのです。代わりに『マグナ・カルタ』や『権利の章典』、その他もろもろの法律や慣習が大陸でいう憲法のように尊重される、というもの。
なので大陸と違って、司法府は立法府や行政府より弱いのがイギリス政府の特徴。そして議院内閣制の下では立法府の長である与党の党首と、行政府の長である首相は同一人物……つまるところ、三権分立どころか三権集中と呼べなくもない状況になっているわけでして。
「実際、EUからはこうした英国の特色ある権力分立の在り方について定期的に苦言を呈されていたりするんだけど、そうはいっても歴史的な伝統も大事にしたい世論もあって、なんだかんだ往年の名残を残したまま現代に至っているのよ」
もちろん理屈ではEUの言ってることが正論なんでしょうけど、かといって今まで大きな問題が発生しているわけでも無いですし、逆に厳格な三権分立だと別の問題が生じたりもします。
例えばアメリカやフランスでは大統領と議会の多数派が別という「ねじれ国会」が定期的に発生するため、行政府と司法府が対立して予算不成立になると政府機関閉鎖が頻発するという弊害も。
それに、と続けるお母さん。
「極論を言えば、大抵のマグルの国でも“統治行為論”あるいは“司法自制の原則”によって行政府の司法府に対する優越は認められてるわ」
国民から選挙で選ばれた国会議員からなる立法府に対して、司法府の裁判官は司法試験に合格した公務員であって、通常は前者の方がより民意を代表していると見なされます。
なので両者が対立した場合や、国家統治の基本にかかわる高度に政治的な問題に関しては、国民に対して責任を負うことのできる行政府の判断が優先される、というわけです。
「理屈は分かるけど、この裁判ってそんな“高度に政治的な問題”じゃ―――」
「いや、それが“高度に政治的な問題”なんだ」
アメリアさんが口を挟み、怪訝な顔をしているハーマイオニーに告げます。
「そもそも、この裁判はどうして開かれた?」
「それはハリーがマグルの前で魔法を使ったからじゃ……」
「では、なぜハリー・ポッターはマグルの前で魔法を使おうと思った?」
「だって吸魂鬼が――」
途中でハーマイオニーはハッとなり、両手で口を覆います。
「そういうことだ」
アメリアさんは真面目な顔になり。
「全ての吸魂鬼は、魔法省がアズカバンで管理している事になっている。だからこそ、あのように危険な生物が身近にいても私たちは安心して眠ることが出来る。ところが、だ」
もし、ハリーの証言が真実だとしたら。
「魔法省は吸魂鬼をコントロール出来ていない、という話になる」
海外のハリポタwikiでウィゼンガモットは「立法府と司法府を兼ねる」みたいな説明があったので、魔法省の統治機構について考察を。
実はイギリスってブレア政権で改革が行われるまで立法府=庶民院(選挙で選出)、司法府=貴族院(資格任用で選出)という分かりづらい伝統があって、司法府の立場は立法府や行政府に対して弱かったらしいんですよね。
そして議院内閣制は大統領制に比べてそこまで厳格な三権分立をとっていない点などを考慮すると、権力集中型の魔法省ってブレア改革以前のイギリス政府を意識しながら書いてたのかもしれないなぁと(たぶん深読みのし過ぎだと思いますが)。