ハリー・ポッターと灰の魔女   作:アストラマギカ

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※注意:今回の話はデリケートな話題を扱う関係上、不快感・嫌悪感を感じる可能性があります。閲覧にはご注意ください。
 また、本作品は特定の思想・主張に対する支持、または反対を表明するものではありません。


第18章 ~反人狼法~

 

「さあどうぞ、入って」

「……失礼します」

 

 ドアをノックすると返ってきた甘ったるい声に返事をして、私――ハーマイオニー・グレンジャーはアンブリッジの部屋へと足を踏み入れた。

 

 去年までムーディが使っていた殺風景な部屋は、恐ろしいぐらいガーリーで少女趣味な空間へと変貌していた。

 

 小物から壁紙までピンク色で統一され、壁一面には色鮮やかな猫の飾り皿。机の上にはゆったりした純白レースのカバーや布で覆われ、棚にはドライフラワーをたっぷり活けた花瓶が置かれている。

 

 ラベンダーやパンジー、ハンナあたりとは気が合いそうだ。全体的に私の趣味じゃないけど、愛くるしく動き回る子猫の飾り皿はちょっとほっこりする。

 

「……猫、お好きなんですか?」

「ええ。一番好きな動物なの」

 

 指で少しくすぐると、皿の中の子猫は気持ちよさそうにゴロゴロと喉を鳴らした。かわいい。

 

 

 

「さてと。私はハーブティーを飲むとして、貴方はどうします? 貴方もハーブティー? それとも紅茶? ミルクティー?」

「では、カモミールをお願いします」

 

 勧められるがままにピンクのアンティークチェアに座り、カモミールティーを受け取る。アンブリッジは自分のカップにローズヒップを入れた後、笑顔で切り出した。

 

 

「じゃあ、授業の続きをしましょうか―――人狼について、なぜ魔法省で反人狼法が成立したか」

 

 

 今日の『闇の魔術に対する防衛術』のテーマは「人狼」についての講義だった。人狼の殺し方や危険性ばかりを煽るような授業に異議を唱えたところ、「私の部屋で、ゆっくりお話ししましょうか」とお茶に誘われたのだ。

 

 

(だったら、受けて立つまでよ……!)

 

 

 気に食わない相手だけど、腐っても魔法大臣付き上級次官だ。あくまで民主的に魔法省を味方に付けようとするのなら、アンブリッジのような手合いとは遅かれ早かれ対峙する羽目になる。

 だから、この機会に相手の考えを知っておくのも悪くないと考えたのだ。

 

 

「手続き的な話をすれば、私が起草して立法機関であるウィゼンガモットで過半数の賛成票を得て、合法的かつ民主主義的に可決した……でも、貴女が聞きたいのはそこじゃないのでしょう?」

「はい」

 

 

 問題は、何故あんな法律が通ってしまったのかという事だ。

 

 

「そういえば、貴女はマグル生まれだったわね」

 

 アンブリッジはたるんだ顔に微笑をたたえ、ねっとりとした声で質問した。

 

「……そうですが」

「ふむ、興味深いですね」

「あの……私がマグル生まれである事と、人狼に何の関係が?」

 

 苛立って聞き返すと、待ってましたとばかりにアンブリッジの口がニタ―ッと大きく開かれる。

 

 

 

「わたくし、個人的に興味があるのよ。もしマグルが人狼の存在を認識したら……彼らは人狼をどう扱うのかしらねぇ?」

 

 

 

「それは……」

 

 言葉の先を続けることが出来ず、押し黙ってしまう。

 

 彼女が何を言いたいのかは、言われなくても分かる。人狼の特性を考えた時、彼らを隔離・排除しようとするのは何も不思議な事ではなく、人類の歴史を振り返れば当然のことであると。

 

 「満月の夜以外は危険ではない」とか「脱狼薬がある」といった反論はすぐに考え付く。けれど、そう言い返せばこう返されるだけだろう。

 

 

「――じゃあ、満月の夜以外は安全だとか脱狼薬があると言えば、マグルたちは人狼を偏見の目で見ることが無いと言い切れるの?」

 

 

 もちろん、決してそんなことはない。マグル生まれだからこそ、魔法界と同様に偏見や差別と無縁でないことは理解している。

 

 

「ああ、勘違いしないでちょうだい。別にわたくしも、マグルが差別主義者だとか責めたいわけじゃないの」

 

 だって当然の措置なんですもの、とアンブリッジは続ける。

 

 

「満月の夜以外は暴れない。脱狼薬を飲めば理性は保てる――だから何? 逆に言えば満月の夜になれば暴れて、薬を飲まなければ理性も保てない。万が一にでも噛まれてしまえば、自分も死ぬか人狼になってしまう……そんな危険な相手は警戒して当然でしょう?」

 

 

 

 ――凶悪な新型ウィルスが発見されたが、接触感染はしないことが判明した。だからといって、感染者と握手できるのか?

 

 ――とある食品メーカーの商品の一部で異物混入が発見されたが、食べても健康に問題ないことが判明した。だからといって、そのメーカーの商品を食べられるのか?

 

 ――かつて薬物中毒者だった人が治療プログラムを受けて社会復帰した。だからといって、二度と薬物に手を出さないと本当に保証できるのか?

 

 

 いくら科学的ないし制度的に安全だと言っても、それで「はいそうですか」と安心できる人が常に多数派とは限らない。

 

 

 

「ええ、たしかに差別はいけません。ですが、それより優先すべき事もある」

 

 私が黙り込むのを見て、アンブリッジは演説を続ける。

 

「差別は良くないという良識より、我が子の安全を願う親心が勝ってしまった……博愛と親子愛、どちらも大事であって優劣はありません。仮にどちらか選ぶにしてもそれは各ご家庭の判断で、魔法省が介入して思想統制するのは全体主義というもの」

 

 暗にルーピン先生のことを指しているのは明白だった。退職後、日刊予言者新聞のスクープ記事で、人狼であることがバレてしまい、保護者からは大量のクレームがホグワーツに届いたという。

 

 けれど、保護者たちを責める気にはなれなかった。

 

 もし自分が母親になったら、そういうクレームを送る人間にはなりたくない。でも、不安を感じるママ友に自分と同じ思想を押し付けることも出来ない。

 

 それは――。

 

 

「万が一、間違いが起こってしまったら? 万が一にでも、愛する我が子が噛まれて死ぬか、人狼になってしまったら?」

 

 

 その責任はどう取るのか。

 

 

「“差別はいけないから”なんて理想論を言えば、被害者が納得すると思う?」

 

 

 そんなわけがない、とせせら笑うアンブリッジ。

 

 

「差別や偏見というのは、悲劇を予防するための必要悪。誰だって差別がいけないことぐらい分かってるの。でも、そのせいで被害が起こってしまった時、声高に平等を訴える連中は決して責任をとってくれない」

 

 

 特定の病気を抱える患者と触れ合ったからといって、絶対に感染するわけではない。

 女性が男性の家に上がったからといって、必ずしも性行為を迫られるわけではない。

 特定の宗教や民族だからといって、全員が素性を隠したテロリストだとは限らない。

 

 

 だが、もし万が一があった時、それを「運が悪かった」だけで割り切れる程、人間の感情は単純には出来ていない。

 

 

「だから、私たちは“区別”をするの。男と女は違うし、健常者と病人は違う。イギリス人と移民は違うし、キリスト教徒と異教徒は違う。同じように、魔法族と人狼も違う。無理に平等に扱えば、かえって両方が不幸になる」

「だ、だからって――」

 

 このままアンブリッジに話を続けさせてはいけない――本能的な危機感から、とっさに口を挟む。

 

「反人狼法で人狼の就職をほぼ不可能にすることが、正しいことだとでも言うんですか?」

「ああ、そのことね」

 

 アンブリッジは出来の悪い子供を見るような表情で苦笑する。

 

 

「たしかに、あの法律で人狼は就職がほぼ不可能になった。()()、不可能に」

 

 

 やけにそこを強調し、アンブリッジは小さな溜息を吐いた。

 

 

「日刊予言者新聞にも困ったものね。一部だけを切り取って、誤解を招くような報道ばかりするんだから」

「本当は違うとでも言うんですか?」

「今では『反人狼法』なんて不名誉な名前が独り歩きしているけど、正式名は『人狼の雇用と安全に関する労働契約法』よ」

 

 アンブリッジは杖を振り、棚から無機質なファイルを引っ張り出した。

 

「この法律は本来、人狼が安全に働けるように彼らの保護を意図したものなの。人狼を雇っている雇用者には、他の雇用者の安全にも責任を負う義務がある。だから、この法律ではこう定めた」

 

 そう言って、法律の写しが描かれた羊皮紙の一文を指さす。

 

 

 ――人狼を雇用している雇用者は、満月の7日前より自宅待機を伴う休暇を取得させ、魔法省指定の脱狼薬を無償提供しなければならない。これに違反した場合、最大1000ガリオンの罰金を科される可能性がある。

 

 

 条文を読むなり、すぐにカラクリを理解した。

 

「こ……こんなの卑怯よ!」

 

 しかし、アンブリッジはとぼけて「何が?」と薄ら笑いを浮かべたまま。

 

「満月になる前から休暇を取らせて彼らを隔離し、脱狼薬を投与することで無害化する……人狼に噛まれて死んだり感染する人間を増やさないために、雇用者には予防措置を取る必要があるという、ごく当たり前の安全配慮義務を法律にしたまでのことなのだけど?」

 

 ぎりっ、と唇を噛む。

 

 たしかに、その言い分だけ聞くとアンブリッジの言葉は正しい。病気にかかった社員がいる場合、感染者を増やさないように隔離したり病院に行かせるというのは、雇用者として当然の措置と言えよう。

 

 

 ――だが、もし満月の前後に必ず発症すると会社側があらかじめ分かっているのだとしたら?

 

 

 満月は1年に約12回、つまり通常の休日に加えて年間84日もの休暇を出す必要が生じる。しかも、その間は毎日脱狼薬を飲み続けなければならず、費用が高価なこともあって雇用者の負担はバカにならない。

 

 

 当然、雇用者の選択肢は1つだ。

 

 

 ―――だったら、最初から人狼を雇わなければいい。

 

 

「あなたは人狼がクビになることを分かって、この法律を作ったのよ!」

「それは結果論に過ぎないわ。私はただ、社会の安全を維持するためのルール作りという、魔法省として当然の仕事をしただけ」

 

 理屈だけはもっともらしいから、余計にタチが悪い。

 

「結果として企業が人狼を雇わなくなったとしても、それは個々の企業の問題。魔法省は個別企業の人事にまで口出しするつもりはありません」

「原因を作ったのは魔法省でしょう!?」

 

 思わず声を荒げると、アンブリッジは嘲笑と共に肩をすくめた。

 

「じゃあ、新しく法律を作りましょうか―――“雇用における人狼差別を是正するため、企業は一定数の人狼枠を確保して雇用しなければならない”とか」

「それは……」

 

 マグルの世界では、今のアンブリッジの提案のような制度がある。企業の障害者枠だとか、大学の有色人種枠といったものだ。

 

「でも、その『人狼枠』のせいで仕事を奪われる魔法族のことはどうするの? 能力じゃなくて『人狼』という特定のアイデンティティだけで雇用枠が確保されるなんて、逆差別でしょう?」

「っ……」

 

 相変わらず痛いところを突いてくる。

 

「多くの人狼を路頭に迷わせるぐらいなら、法律を廃止にすれば――」

「あら、安全よりも雇用の方が重要だと? 本人が人狼であることを隠して就労して、もし誰か噛まれたらどう責任を取るの?」

「だからといって就職できなくすれば、犯罪に走るだけよ!」

「なら、アズカバンに放り込めばいい」

 

 アンブリッジの瞳が冷たい色を帯びる。

 

「犯罪が増えるからといって人狼を甘やかせば、それこそ図に乗って“もっと犯罪を犯せば、もっと魔法族から譲歩を引き出せる”と誤った受け取り方をされかねない。だからこそ犯罪者をのさばらせないために法があり、法を破った者には然るべき処罰を与えるのが法治社会でしょう?」

 

 私の返事を待たず、畳みかけるようにアンブリッジは言葉を紡いだ。

 

「事実として、人狼の犯罪率は魔法族の何倍も高いわ」

「それは魔法界が人狼を貧困に追い込んで、法を犯さないと生活できないように追い込んでいるからよ! マグルの社会では――」

 

 勢いで途中まで口に出してしまったものの、その先を続けることが出来ず言葉が途切れた。

 

「マグルの社会では――ねぇ」

 

 アンブリッジの顔に不快な色が浮かぶ。他人と比べられて、あるいは外国と比べられて――悪く言われる事ほど、人の神経を逆なでするものはない。

 

 

「なら、マグルの社会みたいにバラマキをするのが正解かしら?」

 

 

 小さく溜息を吐いたアンブリッジは、もはや冷笑を隠そうともしなかった。

 

「人狼の犯罪率が高いのは、彼らが貧困に陥りやすいから。必要なのは厳罰化よりも人狼への救貧……でも、そのための費用を負担するのは結局、既得権益層というレッテルを張られた普通の魔法族になる」

 

 アンブリッジは朗々と語り続ける。

 

「そうね、貧しい人狼が適切な職業教育を受けられるよう、補助金を配るなんてどうかしら? 安月給でも必死に頑張って働いている、善良で真面目な魔法族から税金をむしり取って」

 

 その政策が行きつく先がどうなるか、マグル生まれだからこそ気づいてしまう。人狼の苦境を救うための補助金は、魔法界の大多数を占める一般市民からこう呼ばれるだろう―――『人狼特権』と。

 

 

「……随分、マグルのことにお詳しいんですね」

 

 苦し紛れの反駁も、アンブリッジの動揺を誘うことはできなかった。「ああ、そのこと」と肩をすくめて杖を振り、棚から取り出したのは新聞のスクラップだった。

 

「この学校に着任するにあたって、前任者たちのことを調べたの。その中で元マグル学教師のクィリナス・クィレル教授が5年前、『戦う魔法戦士』に寄稿した記事を見つけたのよ」

「5年前……」

 

 恐らく、その頃のクィレルは既にヴォルデモートの操り人形になっていたはず。ブルータス・マルフォイによって創刊された老舗の反マグル新聞『戦う魔法戦士』に寄稿したのも、全くの無関係ではないだろう。

 

 

「これを見てくれる?」

 

 恐らくマグルの新聞を無断引用したと思われるグラフを指さすアンブリッジ。そこにはイギリスの生活保護受給率が示されており、実に人口の10%近くに達していた。

 

 すぐ横に貼られた記事は不正受給に関するセンセーショナルな報道で、その隣には実質賃金上昇率の低下を示すグラフと共に生活苦を訴える庶民の不満の声が掲載されていた。

 

 

あなた達(マグル生まれ)から見れば“魔法族は個人主義者ばかりで協調性が無く、弱者を切り捨てる社会だ”って映るんでしょうね。けれど、私に言わせれば――10人に1人が乞食で不正受給も取り締まれず、普通の人々が真面目に働いても税金をむしり取られてバラマキに使われてしまう――()調()()()()()マグル社会の方が、よっぽどグロテスクに見えるわ」

 

 

 思わず目を伏せてしまう。以前イレイナが「詳しいことと親しみを持つことは別」と言っていた意味が、ようやく分かった。

 

 上級次官になるだけの頭脳と知識を有するがゆえに、新しい物事の良い面を見せられると、それ以上に悪い面を読み取ってしまう。マグルが生んだ光が魔法界を照らす明るさより、副作用として生まれる闇が魔法界に落とす影の方に注意が向く。

 

 

「マグルにはマグルのやり方が、魔法界には魔法界のやり方があります。マグルたちが自分たちの世界で何をしようと勝手ですが、貴女のようなマグル生まれがそれを魔法界にまで押し付けようとするのは、正直ありがた迷惑です。郷に入っては郷に従えと、昔から言うでしょう?」

 

 

 再び顔を上げると、アンブリッジは可能な限り優しそうな(と本人は思っている)表情を浮かべた。

 

 

「私も含めて純血主義者だからといって、全ての人狼やマグル生まれが嫌いなわけじゃないのよ。他所から来たくせに魔法界のルールも守らず批判ばかりしている人間が嫌いなの。それは魔法族であっても変わりませんが、ただマグル生まれにそういう人が多いというだけ。友好的で魔法界のルールを守り、魔法族の文化を尊重しようとする人狼やマグル生まれであれば、むしろ喜んで受け入れるわ」

 

 

 実際、GM社に勤めるルーピン先生やペネロピー・クリアウォーター先輩は紛れもない成功者だ。現金な純血主義者たちは見事なぐらい手の平を返して、今ではゴマすりやコネ作りに執心してる程だという。

 

「貴女のよく知る、リーマス・ルーピン元教授は立派な人狼です。教師を務めあげた後、今をときめくベンチャー企業の創業者に名を連ね、画期的な商品開発で業績を拡大し、多額の税金を納めて魔法界に貢献してくれている……でも、人狼の多数派を占める、グレイバックのような連中は?」

 

 フェンリール・グレイバック……その名前ぐらいは私も聞いたことがある。「狼人間は人の血を流す権利がある」という考えを持ち、特に子供を噛んで狼人間とすることを愉悦としている狂人だ。

 そしてヴォルデモート台頭時、人狼の多くはグレイバックと共にヴォルデモート側に付き、魔法族に恐怖をまき散らした。

 

 

「ルーピン元教授のように善き人狼であれば魔法界に受け入れますが、グレイバックのように悪しき人狼であれば受け入れられない……それは果たして、魔法族のエゴでしょうか? 社会の構成員としての義務を果たせないような連中まで受け入れろ、というのがマグル式に言えば先進的だというのであれば、魔法界は後進的で大いに結構」

 

 嫌味な言い方に、思わず唇を噛む。

 

 事あるごとにマグルを引き出して貶めるアンブリッジのやり口には腹が立つが、ここで「魔法界だって~」と悪口で返してしまえば、それこそ純血差別主義者たちと同じになってしまう。

 

 それだけは嫌だった。

 

「……たしかに、過去にはそういう事もあったかもしれません。でも、だからこそ――二度とグレイバックのような人狼を増やさないために、世の中を変えていく必要があると思います」

「ええ、賢者は歴史に学ぶと言いますからね。ゆえに私たちは――今度こそ二度と魔法族に歯向かえないよう、徹底的に人狼たちの()()()()べきなのです」

 

 明らかに「うまいこと言ってやった」とばかりに、ニタ―ッと満足げな顔を浮かべるアンブリッジ。

 

「歴史から学ばず宥和政策なんてすればどうなるか……他でもないマグル出身の貴女なら分かるでしょう?」

「………」

 

 最近では時間稼ぎの観点から稀に再評価の声も上がってはいるものの、一般的にミュンヘン協定をはじめとする宥和政策は「危険人物に対して譲歩した結果、却って増長させてしまった」と批判されている。

 

「嘆かわしいことに、かつて人狼の大半は“例のあの人”側に属すことを選んだ。こうした現実を踏まえた上で、魔法界が人狼政策のデフォルトとして採用すべきは――性善説と性悪説、どちらだと思う?」

「……っ」

 

 根は単なる亜人への嫌悪感かもしれないけど、理論武装は充分のようだった。優秀であるがゆえに、感情論を正当化することにも長けているのだろう。

 だがらこそ、目の前にいる女が恐ろしかった、彼女は無意識に正論の皮を被った悪意をばらまき、ウィルスのように周囲にそれを広げていく。もしかすると、彼女自身、そのことに気づいてないのかもしれない。

 

 同時に、自分自身の勉強不足を痛感する。今の私では、アンブリッジに対してより説得力のある反論を提示することが出来ない。

 もし観客が今日の対談を見ていたら、おそらく大半がアンブリッジに軍配をあげるだろう。

 

 

 黙り込んだ私を見て、アンブリッジは小さな溜息を吐く。

 

「――少し、昔話をしましょうか。私の魔法省時代の部下の話よ」

 

 扉に防音呪文と「コロポータス‐扉よくっつけ」を何重にもかけ、紅茶を一口飲んでからアンブリッジは語り始めた。

 

 

「その部下は貧しい家に生まれた、半純血の少女だったわ。家族は魔法使いの父とマグルの母親、そしてスクイブの弟の4人。父は杜撰で気まぐれな上にスクイブを産んだ母を責め、母は野心に乏しくロクに稼げもしないくせにプライドだけは無駄に高い父を責め、荒れた家庭に育った彼女はホグワーツでも孤独だった――」

 

 

 窓から遠くを見つめる、アンブリッジの表情はうかがい知れない。演説の内容に何か思うところがあったのか、いつになく真面目な顔だ。

 

「彼女はスリザリンに組み分けされたと言っていたわ。必死に勉強して、成績も優秀だった。けど、当時は今より純血主義が強い時代だったし、お世辞にも彼女の容姿は美人とは言えず、性格の方も可愛げのない女だった」

 

 思わずアンブリッジをまじまじと見つめた。彼女は気にした様子もなく、ティーカップに砂糖を1つ、2つ、3つと入れる。

 

「そんな彼女が周囲からどう思われるか、想像がつくかしら?」

 

 想像がつく、どころの話ではない。まさに1年生の時、トロールに襲われてハリーとロンと友達になる前の私自身が、そういう境遇だったのだから。

 

 

「結局、彼女は友人の一人も作ることなくホグワーツを卒業し、食べていくために魔法省に入った。当時の女性職員は実質的なお見合い要員で、結婚か出産で退職するのが当然という時代に、彼女は若くして管理職になるまで出世した」

 

 さらにミルクを注ぎ、アンブリッジはスプーンでかき混ぜていく。

 

「そして局長クラスにまで登りつめた途端、これまで彼女を見下してきた大勢の人間が手の平を返したの。屈辱感と嫌悪感を必死に隠しながら、必死に笑顔で媚を売ってゴマを擦る……」

 

 アンブリッジはそこで言葉を切り、恍惚とした表情で目を瞑る。何かを思い出すかのように、それを味わうかのように、ゆっくりと深呼吸する。

 

 

「でも彼女はね、そんな魔法界を愛していると言ってたわ。たしかに理不尽なことも多いけど、それでも必死に真面目に努力し続ければ、嫌われ者の半純血の可愛くない女であっても局長クラスにまで出世できる……そんな魔法界を」

 

 

 完成したミルクティーから、甘ったるい匂いが漂う。歯医者の娘である私には胸焼けしそうな香りで、歯にも悪いし糖尿病の原因にもなりかねない、糖質たっぷりの液体……それをアンブリッジはうっとりとした表情で嗅いでいる。

 

「貴女はきっと、恵まれない人狼やマグル生まれのために、彼らに優しい魔法界を作りたいんでしょうね」

 

 でも、と続ける。 

 

「その新しい魔法界では、彼女のように努力する人間はきっと馬鹿を見る。だって努力なんてせずとも他力本願で不平不満を言ってさえいれば、お優しい貴女のような人間が憐れんでくれるんですもの」

 

 皮肉たっぷりに言って、アンブリッジは紅茶を一気に飲み干す。

 

「私は彼女のような人物を尊敬しているわ。もちろん、クリアウォーターさんやルーピン元教授のような人たちも。自分の生まれや不幸を理由に言い訳せず、怠けないで魔法界に受け入れてもらうべく努力を積み重ねた……彼らのような自力で這い上がろうと努力する人々のためにこそ、魔法界は居場所を用意するべきなのよ」

 

 アンブリッジがティーカップを置く。門限を告げる予鈴が鳴ったのは、ほぼ同時だった。

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 夕食を終えて中庭を歩いていると、1人でぼんやりと黒い湖を眺めているハーマイオニーを見つけました。

 とっくに日は落ち、綺麗な月が湖を照らしています。

 

「どうでした? アンブリッジ先生との対談は」

 

 ここに来る途中、ロンが「ハーマイオニーの奴、なかなか戻ってこないな」とぼやいており、聞けば人狼についての授業でひと悶着あった模様。

 見たところ今来たばかりというわけでも無さそうですし、黄昏ている彼女の様子を見るに何があったかは推して知るべしでしょう。

 

「あ、イレイナ」

 

 とっくに日は落ち、月明かりの下で振り返るハーマイオニー。

 

「ごめん、心配させちゃった?」

「いえ、監督生なのでちょうど見回りをしていたところですよ」

 

 そんな風に声をかけ、彼女の近くにあった石垣に腰かけます。

 

「その様子だと、だいぶアンブリッジ先生に虐められたみたいですね」

「ええ。あのガマガエルに、コテンパンにしてやられたわ」

 

 悔しさそうに言うハーマイオニーは、どことなく困ったような苦笑を浮かべて。

 

 

「ねぇ……一つだけ、聞いていい?」

 

 

 こくんと頷き「私で良ければ」と返すと。

 

 

「理想を目指そうとするのは、間違ってると思う?」

 

 

 抽象的な質問の裏に、彼女はいくつもの感情を抱えて。

 

「独りよがりの善意を押し付けてるだけだったりしない? 世の中うまく行かないもんだって割り切って、現実はこんなもんだろって妥協して、何事もほどほどが一番だって納得するようにしたら、なんだかんだ最後には満足できるものだと思う?」

 

 これまで抑え込んでいた感情が溢れ、堰を切ったように言葉が沸いてきます。その奥底にあるのは、きっとシンプルな問い。

 

 

 ――これまで自分が信じていたことは、間違っていたのか?

 

 

 そう、聞かれているような気がしました。

 

 

 まだまだ子供で青臭い私たちの、そこまで純粋で本気の問い。

 だからこそ私もまた、真っすぐに彼女と視線を合わせて。

 

「……すみません。その質問への答えを、私は持ち合わせていません」

 

 もし目指すべき理想が自分の内側に向かい、「自分を変えたい」というものであれば、誰にも否定はできないでしょう。

 ですが、理想が自分の外側へと向かって「世の中を変えたい」というものであれば、いずれ別の理想とぶつかるのは必須。

 

「多分どんな理想も、どこかは間違ってて、どこかは正しいんですよ」

 

 でも、世の中は1つしかありません。だから理想と別の理想がぶつかれば、残るのはどちらか1つだけ。それを決めるのは周囲の人間で、より多くの人々が強く望む理想が最後まで残るのでしょう。

 

「ハーマイオニーの理想がどちら側なのか、それを確認したいのなら――結局、自分から動いて、試してみるしかないと思います」

 

 決して平坦な道ではありません。ひょっとしたら後悔するかもしれないし、絶望するかもしれません。

 

 それでも、見届けたいと願うのなら。 

 

 

「――決めた。私、魔法大臣になる」

 

 すぅ、と息を吸ってハーマイオニーは言いました。

 

「私の主張を周りに聞いてもらって、きちんと皆に支持された上で世の中を変えていきたい」

 

 吹っ切れたように宣言するハーマイオニーの表情は、どこか晴れ晴れとしていて。

 

「……随分と大きく出ましたね」

「本当は、前から少し考えてたの。世の中を根本から変えようと思ったら、やっぱり魔法大臣になるのが一番近道だと思う」

 

 だから、と続けるハーマイオニー。

 

「私は将来、魔法大臣になりたいというより――魔法大臣になる()()()()()のよ」




 もしアンブリッジに共感しちゃったらガマガエルの思う壺……本心も混ざってるとはいえ、話術を駆使して差別を正当化するのはこの手の政治家の常套手段だったり。

 一応、本作は魔法省が穏健化している影響で、アンブリッジも原作より少しマイルドで「魔法族と同化するためのハードルを乗り越えたら仲間と認める。乗り越えられなかったらそれは本人の努力不足だから、差別されても自己責任」というスタンス。
 一方のハーマイオニーは「ハードルが高くて自己責任とは言えない。だからハードルを下げるべき」という意見。
 ただし「じゃあハードルを下げるためのコストは誰が負担するんだ?」ってなった時に、人狼自身の責任を強調するのがアンブリッジで、魔法族の責任を強調してるのがハーマイオニー。

 難しいのは魔法族の歴史的差別が背景にあるとはいえ、グレイバックに率いられた人狼の大半がヴォルデモート側について魔法族を恐怖に陥れた、という「双方が被害者であると同時に加害者」な状況。


 ちなみにアンブリッジのモデルは原作者が嫌いだった教師という説がありますが、サッチャー元首相がモデルという噂もあります。
 本作のアンブリッジはポッターモアで明かされた経歴も踏まえて、弱肉強食・自己責任・自助努力でのし上がった成功者ゆえに、敗者に冷たい態度をとっていると感じの人物像に。
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