ハリー・ポッターと灰の魔女   作:アストラマギカ

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※今回はハリー視点です。


第36章 ~閉心術の訓練~

 

 新学期が始まった翌日の夕方、僕――ハリー・ポッターは重い足取りでスネイプの研究室へと向かっていた。一歩歩くごとに不吉さが募り、ドアの前に辿り着くと「この部屋以外だったらどこだって行くのに」と憂鬱な気分になる。

 

 ドアをノックして薄暗い部屋に入ると、壁に並んだ棚に魔法薬やら動植物のヌルっとした断片が浮かんでいるのが見えた。部屋の中央には無数のルーン文字が刻まれた水盆――『憂いの篩』まである。

 

 

「扉を閉めるのだ、ポッター」

 

 

 スネイプに言われた通りドアを閉めると、まるで自分で自分を牢屋に閉じ込めたような感覚に襲われる。スネイプの冷たく暗い瞳が、瞬きもせず僕をとらえた。

 

 

「さて、ここに呼ばれた理由はわかっているな?」

「……『閉心術』の訓練です」

「左様。願わくば『魔法薬学』より少しはマシなところを見せてくれるよう望むばかりだ」

「はい。スネイプ()()

 

 

 スネイプは何か言いたそうに唇をヒクつかせたが、結局それを口に出すことは無かった。アンブリッジの授業で慣れたこの返事が、まさかここで役に立つなんて。

 

 

「では、閉心術についてだ。この分野の魔法は、外部からの『開心術』による侵入や影響に対して心を封じる」

 

 それが必要な理由はとっくに頭に入っている。クリスマス前の取り調べでシーラさんが説明してくれたように、ヴォルデモートが僕の心を読んでくるからだ。

 

「通常、開心術では相手と目を合わせることが重要となる。だが、その原則は君には当てはまらぬようだ」

「どうしてですか?」

「校長の考えるところによれば、15年前に闇の帝王が『死の呪文』で殺し損ねた際、何らかの繋がりが生じたらしい。その結果、心が無防備な状態になった時――たとえば睡眠中、闇の帝王と感情や思考を共有することになる」

「でも、裏を返せば僕がヴォルデモートのことを探れるってことですよね? だったら――」

 

 

「闇の帝王の名前を言うな!」

 

 

 スネイプが険悪な表情で怒鳴りつける。

 

「でも、ダンブルドアはアイツのことを名前で呼ぶ」

「校長は例外だ」

「……」

 

 なんとも言えない沈黙が流れた。

 

「校長は闇の帝王に匹敵する実力を持っている。だが、他の者はそうではない」

 

 最近わかってきたけど、スリザリンの人って露骨に弱肉強食を肯定するよね? これがハッフルパフのスプラウト先生とかだったら、たぶん「貴方は平気でも周りが怖がるから空気読みなさい」みたいな理由だったろうし。

 

 

「たしかに、クリスマス前は君が蛇の目を通してアーサー・ウィーズリーを襲撃する光景を見たことで、結果的に氏を助けることに繋がった」

 

 押さえつけるような口調でスネイプは続ける。

 

「だが、そのことで恐らく闇の帝王もまた君と思考や感情を共有していることに気づいた。つまり、次は闇の帝王に君が利用されるやもしれぬ」

 

 スネイプはローブから杖を取り出し、僕に向かって構えた。

 

「そうならないよう、閉心術を学ぶ必要がある。理解したかね?」

「はい、先生」

 

 相変わらず口調は嫌味ったらしいが、話それ自体は筋が通っている。落ち着かない気分で僕も杖を抜き、机を挟んで向かい合った。

 

「ポッター、これから吾輩が開心術をかける。武装解除するもよし、盾の呪文を使うもよし、思いつく限りの方法で抵抗してみせたまえ」

 

 冷たく無関心な声で言うと、スネイプは流れるように攻撃へと移った。

 

 

 

「レジリメンス-開心!」

 

 

 

 防御する間もなく、目の前の部屋がグルグル回って視界が途切れた。ぶつ切りのショート魔法新聞のように、動画が次々に心をよぎる。

 

 

 5歳――ダドリーが新品の赤い自転車を買ってもらった。羨ましくてたまらなかったのに、僕はただ見ていることしかできない。

 

 

 9歳――マージおばさんが飼っているブルドッグに追いかけられ、木の上まで追い立てられた。そんな僕を見て、ダーズリーたちが笑っている。

 

 

 11歳――組み分け帽子を被ると、帽子に「君はスリザリンでもうまくやれる」と言われた。スリザリンは嫌だと返した。クィディッチの最年少シーカーに選ばれて、初めての試合はスニッチを掴んで勝利した。

 

 

 12歳――イレイナたちがマグルのエロ本を密売している。ロックハートの企画したバレンタインには、知り合いからチョコを沢山もらった。決闘クラブではイレイナにひどい目に遭わされたけど……。

 

 

 13歳――ルーピンが女子生徒に連行されてイメチェンしに行くのを見送った。クィディッチ優勝杯戦の時、本気を出したマルフォイはすごく手ごわかった。100を超える吸魂鬼に襲われた時には、シリウスとスネイプが『守護霊の呪文』を出して一緒に戦っていた。

 

 

 14歳――ダンスパーティーのパートナー探しで、ずっと片想いをしていたチョウを誘った。初めての経験だったから今思えばだいぶキモかったけど、イレイナたちが手伝ってくれたおかげで両想いになれた。何度折れてもヴォルデモートに立ち向かったセドリックの最期は、ひたすらに格好良かった。

 

 

 15歳――反抗期を拗らせて周囲に当たり散らし、見かねたパーシーたちと決闘して大暴れした。初めてのクリスマスデートではチョウと手を繋いでショッピングして、帰り際にヤドリギの下でキスした。唇に触れた感触はすごく柔らかくて、甘い香水のいい匂いが――。

 

 

 頭の中で声がする。

 

 

 

 ―――僕、なんだかんだで学生生活すっごく満喫してるなぁ……。

 

 

 

 ガツン、と大きな音がしてハッと正気に戻る。立ったまま、うたた寝をしているような状態だったらしい。急に体中の感覚が戻って、一瞬フラついて机に手をつく。

 

 顔を上げると、スン…とした表情のスネイプと目が合う。よく見ると痛そうに片足を揉んでいる。何かにぶつかったのだろうか。

 

「……先生、大丈夫ですか?」

「命に別状は無い」

 

 それ以外のダメージの方が大きそうだった。知らないけど。

 

 

「先生は僕の見たものを全部見たのですか?」

「断片的にだが」

 

 スネイプは苦々しげに言った。

 

「あれは誰の犬だ?」

「マージおばさんのリッキーです」

「犬の名前は聞いてない」

「はい」

 

 これが入学1年目とかだったら、スネイプが憎たらしくて仕方なかったはずだ。けど、今はもう昔の話に思える。今なら杖の一振りで犬ぐらい追い払えるし、もうダーズリーたちも怖くない。

 

 たしかにホグワーツに入学してからも、僕は数えきれないぐらい大変な目に遭った。けれど、それ以上に良いことも沢山あった。大好きな人達が、沢山できた。

 

 

「もっと心を空にするのだ、ポッター」

 

 スネイプが冷たく言う。

 

「鼻先に誇らしげに心をひけらかせば、易々と闇の帝王の餌食になるだけだ」

「そう言われても、別に見られて困るものじゃないですし……」

「開き直るな」

 

 ぼやく僕に、スネイプは容赦なく言い放った。

 

「心を無にできなければ、闇の帝王に自ら武器を差し出すようなものだ。全ての感情を捨てろ、ポッター」

 

 

 改めて心を空っぽにしようと努力する。考えちゃダメだ、思い出しちゃダメだ、何も感じちゃダメだ――。

 

 

「レジリメンス——開心!」

 

 

 再び呪文をかけられる。スネイプに言われた通り平常心を保とうとしたけど、すぐに色々な光景がフラッシュバックした。

 

 

 ドラゴンと大怪獣バトルを繰り広げるイレイナの巨大騎士像、すっかり日常の一部となってしまった『リドルの日記』由来の多機能両面鏡とその派生魔法道具、寮の垣根を超えてDAで一緒に練習するホグワーツ生たち……。

 

 

「やる気が足りん!」

 

 

 呪文が解け、代わりにスネイプの鋭い声がした。

 

「努力もしてない! 吾輩の侵入を許している! 己の心を制御しろと言ったはずだ!」

「努力は――してます……!」

 

 歯を食いしばって言い返す。とはいえ、スネイプの言う通り何も抵抗できていないのも事実だ。けれど、どうすればいいのか分からない。行き場のない怒りが全身を駆け巡る。

 

(あの時と一緒だ……!)

 

 夏休みにパーシーたちと決闘した時と同じ、行き場のない怒りが全身を駆け巡る。相手の言っていることが正論だからこそ、かえって平静ではいられなくなってしまう。そこを煽られて開心術で心を読まれ、何度も敗北を喫した。

 

「どうやったら感情を無にできる――の、でしょうか……!」

 

 怒鳴り返したい気持ちを無理やりに抑え込み、低い声で質問する。ネチネチとした嫌味の3や4つぐらい飛んでくるものだと思っていたけど、意外にもスネイプの声は落ち着いていた。

 

「そうだ……ポッター、それでいい……」

 

 意味ありげな目つきで僕を見つめる。

 

「おおかた心の中では吾輩に対していくつもの放送禁止用語を唱えているだろうが、少なくとも表向きは丁寧語でへりくだった。感情を制するとは、そういうことだ」

「感情を制する……」

「思考の中で、本音と建前を使い分けろ。たとえ何かを考えていようと、自分で自分に“何も考えていない”と暗示をかけて己自信を騙すのだ」

 

 なんとなく言いたいことは分かった気がする。でも、そんなことができる人間がいるのだろうか。

 

 

「閉心術に必要な繊細さが君に欠けていることは知っている」

 

 スネイプが見下すような目になった。

 

「微妙な違いが理解できないせいで、なんとも情けない魔法薬しかできないことは驚くに当たらん。だが、魔法薬も人の心も、本来は複雑かつ重層的なものだ――少なくとも、大多数の人間は」

 

 黒い瞳が暗く光る。スネイプは少し間を置いて、僕をいたぶる楽しみを味わってるみたいだった。

 

 

「スリザリン生が魔法薬づくりに長け、また閉心術に優れた者が多いのも無関係ではない」

 

 

 言われて、最初に思い浮かんだのはマルフォイだった。実際、スネイプの贔屓を抜きにしても魔法薬の成績は良い。閉心術が使えるって話は聞いた事ないけど、感情のコントロールに長けてそうなのは『ウィーズリーこそ我が王者』で知ってる。他人を煽ったり、心理的プレッシャーをかける才能はピカイチだ。

 

 イレイナはイレイナで、とにかくおだてるのが上手い。なんか気づいたら話に乗せられて丸め込まれて、いつの間にかイレイナのポケットにお金が入っている。

 

 ブレーズ・ザビニやダフネ・グリーングラスなんかも、ああ見えて恋の駆け引きに長けている。誰にでもオープンなようで実は掴みどころが無いというか、天然なようで確信犯的に異性に好かれるよう振舞ってるっぽい時がある。

 

(目的のために感情をコントロールできるようにしろ、ってことなんだろうけど……)

 

 なんか嫌だな、と思ってしまう。

 

 怒りたい時に笑顔を浮かべる。悲しいのに楽しそうに振舞う。憎い相手を愛してるかのように勘違いさせる……そういうことが当たり前のように出来る人間なら、たしかに閉心術との相性は良いだろう。それ以外でも色んな人間関係を自分に有利に運べるはずだ。でも、それこそ間接イジメや色恋営業のように、悪用しようと思えばいくらでも悪用できてしまう。

 

(ひょっとして僕、無意識に自分で自分に感情を切り離さないようブレーキかけてる……?)

 

 「服従の呪文」にはかなり抵抗できたのに、「閉心術」だとさっぱり抵抗できない理由がわかったような気がした。

 

 心を強く持つことと、心を制御することは似ているようで違う。周りが白を黒だと言った時、怯まず白だと言い続けることは出来ても、白と黒を使い分けることが僕には難しいのだ。あるいは、不器用であっても真っすぐな人間であり続けたいと思っているのかもしれない。

 

 

 

 これは思ったより強敵かもしれない、と不安になる僕の気持ちをよそにスネイプが再び杖を構えた。

 

 

「さて、休憩はここまでだ。もう一度やるぞ―――レジリメンス-開心!」

 

 

 今度は、ウィーズリーおじさんと魔法省を歩いていた時の記憶だった。窓のない廊下の突き当りにある真っ黒な扉に近づいた後、その左にある石段を下りていく……。

 

 

 

「わかった!! わかったぞ!!」

 

 

 

 再び意識がハッキリした時には、床で四つん這いになっていた。傷跡にも嫌な痛みを感じる。身を起こしてスネイプを見ると、杖をあげたまま僕をじっと見おろしていた。

 

「ポッター、何があったのだ?」

「思い出した……やっと気づいた」

「何に気づいたのだ?」

 

 すぐには答えず、額を擦りながら余韻に浸る。ずっと解けなかった方程式が、テスト終了直前に解法がわかった時にも似た爽快感だ。

 

「ここ何か月か、ずっと同じ夢を見てたんです。突き当りに鍵のかかった扉のある、窓のない廊下……あれは『神秘部』に繋がる廊下でした」

 

 ウィーズリーおじさんは蛇に襲われた夜、あそこにいたのだ。

 

「神秘部には何があるんですか?」

 

 スネイプは明らかにうろたえた様子だった。それを隠そうと無関心を装った声で聞き返してくる。

 

「なぜ吾輩にそんなことを聞く?」

「ずっと夢で見てたんです。もし僕の思考が本当にヴォルデモートと繋がってるなら、きっとそこにアイツの望むものが――」

 

「闇の帝王の名前を口に出すな。同じことを何度言わせる」

 

 スネイプは腹立たしげに僕の言葉を遮った。しばらく睨み合い、先に折れたのはスネイプの方だった。

 

「今日はここまでだ。来週の水曜、同時刻にまた吾輩の部屋に来るように。閉心術の訓練を続ける」

「待ってください!まだ神秘部のことについて僕は何も――」

「ポッター、神秘部には常人が思いもよらぬような魔術品が多数収納されている。だが、君に理解できるようなものは無いし、また関係ある物も一つとしてない。理解したら、さっさと寮に戻るのだ!」

 

 ほとんど追い出すような形で不機嫌に怒鳴られ、慌てて部屋を出る。

 

(でも、これでクロは確定だ……)

 

 あんなあからさまに動揺されたら、いくら感情の機微に疎い僕でもわかる。

 

 

 きっと神秘部には、ヴォルデモートが狙う何かが眠っているのだ――。

 




 大人になってからならともかく、子供の時点で閉心術が得意な人ってなんか色々と闇深そうな気がします……。

 こう言っちゃアレですけど、虐待受けて育ったりイジメられたり、そうでなくとも子供のままではいられなくて早く大人にならなきゃいけない環境の方が、他人に対して心を閉ざしつつ表向きは何ともないフリして振舞う的な閉心術ムーブが上達しそう。

 そういう意味で本作のハリーも、良くも悪くも原作と同じかそれ以上に真っすぐな青年に育ちました。なお閉心術は上達しない模様。
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