ハリー・ポッターと灰の魔女 作:アストラマギカ
それから数日が経ち、第1の課題の日がやってきました。
スネイプ先生に連れられて大広間を出ると、スネイプ先生はいつも通り不機嫌そうな顔で黒いローブを翻し、私の方を向きました。
「セレステリア、調子はどうだ?」
「遺書も書きましたし、思い残すことはありませんよ。死亡保険には入れませんでしたが」
「この期に及んでへらず口とは、大したものだ」
ふっと少しだけスネイプ先生の表情が柔らかくなり、すぐにまた真面目な顔に切り替わります。
「手に負えなくなったら、迷わず救けを呼べ。所詮は余興試合、命を懸けるなど愚か者のすることだ」
「はい」
それからスネイプ先生と一緒に禁じられた森の縁を回り、待機場のテントの前までやってきます。
「中へ入って、他の代表選手と一緒にいるのだ。順番まで待て―――それから」
スネイプ先生の声が止まり、意を決したように言葉が紡がれます。
「つまらん怪我などせぬように、くれぐれも用心したまえ」
「………」
「どうした?」
「いえ、先生の口からそんな言葉を聞けるとは思っていなかったので」
私が言うと、スネイプ先生は「そうか」と答えて顔を背けました。これが所謂、ツンデレという奴なのでしょうか。
「でも、ありがとうございます」
そう言ってテントに入る私を、スネイプ先生は最後まで見守っていてくれました。
***
テントの中に入ると、既に他の代表選手たちがいました。
フラーさんは青ざめて冷や汗をかき、クラムさんは普段以上にムッツリしていて、行ったり来たりを繰り返していたセドリックさんは私を見つけて、ぎこちない微笑みを返してくれました。
「なんか、クィディッチ優勝杯の時よりピリピリしてますね」
張り詰めた空気をほぐそうと話しかけると、セドリックさんが苦笑しました。
「クィディッチなら、ブラッジャーが当たっても死にはしないからね」
「運が悪いと腕の骨とか抜かれますけど」
ここにいないハリーが2年目に遭った不運を思い出し、不謹慎ながらも少しだけロックハート先生のアホさ加減を思い出して2人で吹き出します。
それから、とセドリックさんが続けました。
「課題のこと、教えてくれてありがとう」
「いえいえ、お気になさらず」
ロンがハリーのところに行った後、ドラゴンの件は私からセドリックさんに伝えていました。
「やっぱり、本番前は緊張するね」
軽くウォームアップしながら、少しそわそわした様子でそんなことを言うセドリックさん。しかし、口では緊張していると言いつつも、それだけではなくて。
不安そうなフラーさんとも、全てを受け入れたようなクラムさんとも違う、緊張と期待の入り混じった顔。はやる気持ちを押しとどめて、ちょっとだけワクワクしているような表情。
「実は楽しみだったりします?」
私がそう聞くと、セドリックさんは「うーん」と少し考えてから。
「そうかもしれない。もちろん怖い気持ちはあるけど、それだけじゃないんだ」
穏やかな、けれど少し強気な声で。
「今日という日に向けて、出来るだけの努力はしてきた。だから不安もあるけど、同じぐらい気持ちも昂ぶってる」
朗らかに微笑むセドリックさんですが、その瞳には静かな闘志がみなぎっていて。これがスポーツマンの顔なんだな、と肌で感じられるほどに。
負けないよ、とセドリックさんは静かに言いました。
「戦うからには、絶対に僕が勝つ――そういう気持ちで、試合に出たいんだ」
◇◆◇
代表選手選出からの数日は、僕―――セドリック・ディゴリーにとってホグワーツ入学以来、最高に恵まれた日々だった。
傲慢な事を言えば、僕は「恵まれている」側の人間なのだろう。
恵まれているというのは努力すれば結果を出すことが出来るということ、そして結果を周囲の人たちが認めてくれる環境にいるということ。
生まれた瞬間から、ある程度の将来は約束されていた。先祖に闇祓い局を創設した魔法大臣エルドリッチ・ディゴリーを持つ魔法族の名家の息子、と聞けば排他的なスリザリンの純血貴族たちでさえ一目置く。
人間関係にも恵まれた。
父エイモスはちょっとやり過ぎなところはあるけど僕を溺愛してくれるし、友人から頼りにされるだとか、異性から好意的な視線を向けられるだとか、そういうプラスの感情を人から向けられるのは何だかんだで嬉しい。
もちろんプレッシャーに感じることが無いとは言わないけど、それより誰かに必要とされて大事な存在だと思われている喜びの方が大きかった。
だから、誰に言われずとも勉強にもスポーツにも真摯に向き合ってきたつもりだ。昨日より今日、今日より明日は良い自分になりたい―――そう願うことは僕にとって自然な流れで、クィディッチのキャプテンに立候補したのも、監督生になるために頑張ったのも、代表選手になるべく『炎のゴブレット』に名前を入れたのも、全て繋がっていた。
そして『炎のゴブレット』がホグワーツの代表選手に僕を選んだ時、驚きと不安と嬉しさが同時に押し寄せてきた。
――友人たちが祝福してくれている。両親も喜んでくれるだろう。
――でも過去の試合では死者も出ている。そう考えると、少しだけ怖い。
――試合の中で、僕には何が出来るのだろうか。母校に優勝杯をもたらせるだろうか。
そんな事を考えていた矢先のことだった。
『マホウトコロ ハリー・ポッター!』
『イルヴァーモーニー イレイナ・セレステリア!』
誰も予想しなかったことが起こる。
『炎のゴブレット』が再び燃え上がり、2人の後輩が選ばれた。2つ年下で、どちらもグリフィンドールとスリザリンの有名人だ。片や『例のあの人』を倒した英雄で、もう片や大人びた美貌の天才少女……そして因果な事に、僕たちは3人ともクィディッチの選手でもある。
そして大人たちの議論の末、今年は5人の代表選手が試合に出ることになった。といっても正式なホグワーツの代表選手は僕であることは変わらず、ハッフルパフ寮に戻ってからは皆に祝福された。
少し浮かれながらパーティーを終えた夜、ふと冷静になって思う。
――僕はこれから、3つの試練を乗り越えられるだろうか。
興奮がいち段落すると、今度は不安と恐怖が押し寄せてくる。
もし試合で失敗したらどうしよう? 僕は死ぬんだろうか? あるいは生き延びても、無様な負けを喫したら皆は僕に失望してしまうのだろうか?
漠然とした不安を抱えた矢先、イレイナから第1の課題を教えられた。
「――セドリック、第1の課題はドラゴンです」
「えっ?」
僕はまじまじと彼女を見た。
「確かなのかい?」
「気になるなら、禁じられた森に確かめに行ってください」
一瞬からかっているのかとも疑ったが、嘘をついてるような顔ではなかった。
あるいは、いっそ質の悪い冗談であればどれだけ楽だったことだろう。
「でも、どうして分かったんだ? 僕たち、知らないことになっているのに」
「色々と大人の事情がありまして……」
大人の事情。便利な言葉だ。
「あまり気にしないでください。フラーもクラムもハリーも、マダム・マクシームとカルカロフさんとロンから聞いているはずなので」
ありえない話ではない。カルカロフに黒い噂は絶えないし、マダム・マクシームの方もガチガチに規則を守る堅物という訳でもなさそうだ。ロナルド・ウィーズリーのことは詳しく知らないけど、フレッドとジョージの弟だと思えば納得できるような気がしてくる。
そこまで考えて、ふと頭に別の心配がよぎった。
「ドラゴン……」
敵は15メートルもある、鱗と棘に覆われた火を吐くモンスターだった。対して、こっちの武器は杖――ドラゴンと比べれば、まるで棒切れでしかない。そんなもので、ドラゴンを出し抜かなければならない。しかも、みんなが見ている前で。
――いったい、どうやって?
「最悪だ……」
思わず、呟きが洩れた。
(どうしよう、どうしよう)
こんな風にパニックになったのは、いつ以来だろうか。
頭では早く対策を考えないといけないと分かっているのに、どうしても身体が動かない。焦る気持ちだけが、頭の中でグルグルと回っている。まるで自分だけが違う世界に閉じ込められているかのように、両側をどんどん人が通り過ぎていくのを見ていることしかできない。
「セドリック?」
様子が変だと気づいたイレイナが、気遣うように声をかけてきた。なんとか愛想笑いを作って誤魔化そうとするけど、うまく顔の筋肉が動かない。
その間、イレイナは不思議なものを見るような目で、じっと僕を見つめている。
――やめろ、こんな状態の僕を見ないでくれ。
情けない姿を見られたくなくて、そのまま足早に立ち去ろうとする。けれど、少しも歩かないうちにどんどん足が重くなる。無理に足を動かそうとすると、ぐっと胃の辺りが苦しくなって、軽い吐き気が込み上げてきた。
「あの……大丈夫ですか?」
心配そうなイレイナの手を振り払い、口許を押さえて地面にしゃがみこむ。
「え、ここで吐くんですか……」
イレイナがちょっと引いて、何やらローブの中をまさぐった。
「これ、どうぞ」
目を上げると、くしゃくしゃになったパンの紙袋が目の前に差し出された。
「――っ」
何かを考える前に、反射的にそれを手に取り、僕はおえっと呻きながら胃の中のものを一気に吐き出した。吐き気が収まるまで何度も嘔吐し、やっとのことで落ち着いたときには、全身を倦怠感が包んでいた。
「……ごめん」
僕が吐く間、ずっとそこにいたイレイナに、とりあえず謝る。
「汚いもの見せてごめん。紙袋、助かったよ」
「まだ顔、青いですよ」
「すぐ良くなるから大丈夫だって」
今さらで取り繕えるはずもないのに無理に笑顔を作った僕に、今度は心配するというより呆れたような顔になったイレイナが溜息を吐いた。
「その様子だと、今からでも第1の課題は棄権するなりした方が良いのでは?」
「……君の方は、割と余裕そうだね」
敵前逃亡するような人間だと思われたくなくて、心配してくれたというのに、つい言い返してしまう。けれど、イレイナは何でも無さそうに肩をすくめて。
「過去の試合記録を調べて、予想は立てていましたので。前回の試合ではコカトリス、さらに昔にはマンティコアやアクロマンチュラなんかも出てきたそうです」
返ってきた言葉は、思った以上に優等生っぽい答えだった。
過去問から出題傾向を掴んで対策を立てるという、あまりに真っ当な正攻法。頭を使ってしっかりと分析した上で、後はひたすら愚直に取り組む。スリザリンのように抜け目なく、それでいてハッフルパフのように辛抱強く。
(あの時と、同じだ……)
少し落ち着いてきて、イレイナの顔をまじまじと見つめる。そのまま、ドラゴンのことから話題を逸らすように話しかける。
「去年からずっと、聞きたかったことがあるんだ」
どんな夏よりも暑かった、青葉の芽吹く去年の初夏。スリザリンとグリフィンドールが優勝杯を巡って争った、あの日の試合のこと。
「去年の優勝杯で、どうして君とマルフォイは……最後まで」
――あの試合は、今でもありありと思い出せる。
元からスリザリン・チームはラフプレーで悪名高かったけど、去年の優勝杯は特に酷かった。真剣に試合に向き合っていたらまずしないであろう、ペナルティ上等の反則技の数々……そして案の定、試合の方は自爆を続けた結果として、大きくグリフィンドールに負けていて。
誰がどう見ても、スリザリン・チームは悪役だった。
僕もその他大勢と一緒に憤慨してグリフィンドールを応援していたし、口には出さなかったけど「ルールを守れないチームなんて負けてしまえ」とも思っていた。たぶん、試合を見ていた大多数がそう感じていただろう。
だけど、あの2人だけは違った。
敗北ムードが漂い出した空気も、ヤケクソになったフリントたちのことも、ファイアボルトのプレッシャーも全部はねつけて。
「まぁ、正直かなりプレッシャーはありましたし、緊張もしました。やばいな負けるな、って何度も試合中に思ったりもしましたよ」
けれど、と彼女は言った。
「ドラコや先輩たちと毎日、たくさん練習しましたからね。足りない自信は経験が埋めてくれました」
(あ――)
イレイナの言葉を聞いた途端、カチッとパズルのピースがはまった。
考えてみれば、当たり前のことだ。
どうして不安を感じるのか。自分に自信がないからだ。じゃあ、どうしたら自信はつくのか。それはきっと、それまでに積み重ねてきた経験なのだ。
自分はこれだけ練習をしてきた。これだけの努力をしてきた。こんな呪文やプレーが出来るようになった。点数がこれだけ伸びた。だからきっと、今日も大丈夫――。
そう言えるだけの日々の積み重ねが、心の強さを作るのだ。
きちんと時間と労力をかけて、知識と技術を着実に積み上げてきたからこそ。根拠のない開き直りではなく、実績に裏付けられた自信が生まれる。
それがあるから、イレイナ・セレステリアという魔女は強いのだ。
――あの試合の興奮は、今でも忘れられない。
結果的には、グリフィンドールが優勝杯を手にした。でも、試合の中心にいたのは間違いなく、イレイナとドラコ・マルフォイの2人だ。
正直、予想外だった。
イレイナは頭も良くてスポーツも出来て、努力も出来るし友人も多い。つまるところ、僕と同じ「恵まれている」側の人間なのだと、勝手にレッテル張りをして親近感を抱いていた。
でも、それだけじゃない。
(彼女は、綺麗なプレーをするんだな……)
漠然とした表現だとは思うけど、そんな風に思った。
悪役のスリザリン・チームを、皆の応援を受けたグリフィンドール・チームが破って念願の優勝杯を手にする……そんな誰もが望む王道展開になりかけた空気の中、どこ吹く風でクアッフルを奪ったイレイナは『空中離脱』なんていう実用性が1%ぐらいしかない技を繰り出して、その1%を見事に点数へ変えてみせた。
あんな選手がいるのか、と開いた口が塞がらなかった。
たった10点しか取ってないくせに、派手な花火を打ち上げて。ドヤ顔になって、これでもかとばかりに自己アピール。
でも、イレイナのふざけてるとしか思えないパフォーマンスが、試合の流れを変えた。「スリザリンにもあんな奴がいるんだな」「ちょっと応援してもいいかもな」って空気が生まれた。
結局、最終的にはグリフィンドールが勝ったけど、もう少し試合が続いていたら結果は分からなかった。そのぐらい、終盤のスリザリンの迫力は鬼気迫るものがあって。
悔しいな――。
スリザリンが負けた時、なぜかそんな風に思った自分がいた。
僕だって、こう見えて一端のスポーツマンだ。あんな試合を見せつけられたら、血が騒がないわけがない。群衆を押しのけて叫んでいたアストリア・グリーングラスみたいに、割り込んで加勢したいぐらいだった。
――それはとても、美しい試合だったから。
ただ最短コースでゴールするだけじゃない。
ただ単に、皆の期待に応えるだけじゃない。
ひたすら熱く、がむしゃらに。
でも楽しく、皆を熱狂の渦へ巻き込んで。
――これが自分のプレーだ。見てくれ、凄いだろう?
そんな風に問いかけられているようで、つい目が離せなくなってしまった。
(だから、なのか)
練習を重ねて付いた自信があるから、不安は期待へと変化する。
(きっと、今回の対抗試合も……イレイナなら、あんな風に挑戦していくんだろうな)
彼女は、どんなプレーをするんだろうか?
今度は、どんな景色を見せてくれるんだろうか?
イレイナの事を考えているうちに、不思議と不安と恐怖は消えていた。期待と興奮が上回って、旅行前の子供のようにワクワクした気持ちが湧いてくる。
きっと彼女には、普段からこういう景色が見えているんだ。
まだ見たことの無い景色に、まだ会ったことの無い誰かに。期待に胸を膨らませて、ただ全力で手を伸ばしている――。
そんな風に生きられる彼女が、ちょっぴり羨ましく思えて。
(年齢制限が無かったら、選ばれてたのは僕じゃなくてイレイナの方だったかも)
もしそうだとしたら、彼女はきっと全て上手くやるのだろう。そして僕も素直に、彼女を応援していたのだろう。
けれど――。
(代表選手になった以上は、僕だって負けてられない……!)
弱々しく消えかかっていた闘志に、ぱちっと火がついたのを感じた。
◇◆◇
力強く「勝つの自分だ」と宣言するセドリックさんに、私も頷き返しました。
泣いても笑っても、試合はもう目の前。どうせ避けられないのなら、辛気臭くなるより前向きな気持ちで。
「ふぅ」
身体の調子を整えようと大きく息を吸って、ゆっくりと吐きます。少しだけ時間の流れがゆっくりになって、雑音が耳から消えていって。
「勝負しましょう」
「ああ」
などと会話していると。
「………ぐぎぎ」
ゴリゴリと岩を削るような音に振り返ると、テントの隙間で歯を食いしばっている不審者―――サヤさんが、親の仇でも見るような目でセドリックさんを睨んでいました。
前話では詳しく話せませんでしたが、イレイナさんがドラゴンを見てもあまり動揺しなかった理由は「過去の記録を調べて、ある程度は傾向と対策を練っていたから」という優等生ムーブによるもの(原作でもハーマイオニーが『ホグワーツの歴史』を読んで「過去の試合でコカトリス大暴れ」という記録を掴んでいました)。
原作であまり描写されなかった試合前のセドリックの様子。ハリーやイレイナさんと違ってバジリスクとかと戦った経験もないので軽くパニックでしたが、意外と素直に練習して難しい課題に取り組むイレイナさんを見て平静さを取り戻しました。
次回、第1の課題です。