「落ち着け私あたし、別に変な意味はない。ただ単に遊びに来ただけだから」
頬を両手で張りながら、自然と浮つく心と体を落ち着かせる。以前なら、友人の家に行く時と同じように気軽に来られた。しかし、さっき会ったテイオーと雑誌のせいで少し意識してしまっているのは自分でも理解出来た。
私の視線の先にはトレーナー達が宿舎として利用している賃貸マンションがある。私がデビュー戦を勝利した時のお祝いも彼の家で行い、その後も何かと訪れる事が多かったため思い出深い場所である。併設された駐輪場に彼のバイクがある事を確認し、在宅である事を把握する。そして少し高なる胸を抑えながら私は彼の家の呼び鈴をならした。
「うーい……ってネイチャか。まあ入れ入れ」
「ごめんねトレーナー、休日まで付き合わせちゃってさ」
「何を言っているんだ。俺は愛するネイチャと会えるなら休日なんていらねえよ」
「また、そんなこと言って……はいはいありがと」
トレーナーの軽口はいつもの事なので聞き流すが、ほんのりと赤面するのは仕方のない事であった。こうして私を招き入れた彼だが、私には目もくれずさっさと部屋へ引っ込んでテレビに釘付けになっていた。テレビにはボートレース……競艇が映し出されていた。
「トレーナー、またギャンブル? お金ないんじゃなかったの?」
「安心しろネイチャ。俺はトレーナーだぞ? 人を見る目はそこでやしなってる。見た所この三人の選手は堅い。だから、この三連単は当たるんだ」
「あ、そう……」
「まあ任せろ。当てたら出前で寿司でも頼んでやる。もちろん奢りだ!」
そう言って自身満々に根拠不明な事を言いながら彼はテレビ画面に食いついていた。しかし、数分後は情けなくも部屋の床に無言で倒れ伏していた。どうやら勝負に負けたようだ。
「外れたの? 2度ある事はサンドピアリスって言うし、もうギャンブルなんかやめたら?」
「なんだか分からないなけど、それをウマ娘に言われるのは納得行かねー」
「いやいや ウマ娘はギャンブルと無縁の存在だからね?」
「だからそれがアイデンティティの崩壊というか……とにかく寿司はなしな」
そう言って不貞腐れてベッドで毛布にくるまりはじめたトレーナーを見て私はかなり幻滅した。何というか、やっぱり彼は男としてダメだ。雑誌の件で浮ついた心が急速に冷めて行くのを感じた
「トレーナー、お昼ご飯は食べたの?」
「俺の今日の飯代は海の藻屑と消えたよ」
「はあ、まったく……トレーナーさんってば……まあいいか、肉じゃがとカレーどっちが食べたい?」
「そりゃカレー……ってもしかしてネイチャ……!」
「まっ、日頃のお礼をかねてちょっとね。材料も買ってあるからさ。トレーナーの冷蔵庫、いっつもすっからかんだし」
そう言って私は持参したエコバッグから材料を取り出す。彼はというと、いつのまにかベッドから私の前に場所を移して私の手をギュッと取ってきた。
「結婚してくれネイチャ」
いきなりそんな事を言う彼の腕を払い、私は思わず鼻で笑ってしまった。
「いやーレーナーさん、あたしにも選ぶ権利がってものがあるからね。まあ、今は料理の邪魔だから向こう行ってくれないかな」
「俺の一世一代の告白が……」
「その告白、トレーナーさんと契約してからもう10回以上聞いてるんだけど」
私の言葉に彼はショックを受けたようにずこずこと引き下がり、私はと言えば思わず苦笑してしまった。最初こそ彼の甘い言葉に動揺したが、いい加減慣れてはきた。ただ、慣れていても恥ずかしいものは恥ずかしい。少しだけ弾む心を抑えながら、私は気分よく食材を切り出した。
それから、約一時間後。完成したカレーを彼は勢いよく頬張っていた。私より年上のはずなのに、なんだか幼さを感じるその姿は、何だか女としての本能をくすぐられる気分であった。
「うめ……うめ……ネイチャは何と言うか家庭的だな。是非俺のお嫁さんにください……」
「はいはい、ありがと。後、トレーナーさん。いい加減しつこい」
「すんまへん……」
「ふふっ、残ったルーは冷蔵庫に入れておくから。まあ、気が向いたら食べてー」
「おおう、せんきゅーネイチャ。あとおかわり!」
「自分でよそってきなさい」
「ういっす」
キッチンに引っ込み、新たにカレーをよそってきた彼は続けてガツガツと食べ始めた。私も少し心が揺らいだが、食事制限中なので一杯でやめておいた。こうして、手持ち無沙汰になった私は自然と食事中の彼を眺めることに時間を費やした。
トレーナーさんは特段整った容姿はしていない。私が指摘しなければ髭は放置するし髪型もバイクのヘルメットを取った後に整えずにボサボサの事が多い。おまけに三枚目なキャラも合わさって彼に一目惚れするようなことはなかった。給料を賭博や煙草代で溶かしてる姿は呆れる他ない。
だが、彼と一緒に過ごすのは不思議と苦にはならない。トレーナーとしては割と多い熱血系を私が苦手としているからと言う理由もあるかも知れないが、それだけじゃない気がした。
「どうしたネイチャ? 俺の顔に何かついてるか?」
「別に……ただトレーナーって呑気な人だなって」
「失敬な! これでも一応、色々とやってるんだからな! 色々と!」
不明瞭な回答をしながらカレーをかきこんで行く彼を私はしばらくぼーっと眺め続けた。そして、彼が完食したタイミングで、私は自分の中で未消化だった疑問を投げつける事にした。まずは、あの雑誌の件についてだ。
「トレーナー、”例の雑誌”は見た?」
「例の……ああ、あのゴシップ記事か」
「ゴシップ……」
「俺とネイチャが恋仲だとか書いてあったからな。俺はフラレっぱなしだってのによ。まあ気にするなネイチャ。名が売れたウマ娘はこの手のネタはどうしても出てくるもんだ。俺が相手ってのは心外かもしれないが勘弁してくれ。ゴシップを書く上でトレーナーとウマ娘って本当にありふれたネタだからな」
まるで他人事のようにそんな事を言う彼に私は何故かむっとしてしまった。それを表情に出してしまったからだろうか。彼は私に苦笑を返していた。
「大丈夫だネイチャ。君が男にとって魅力的なウマ娘だってのはファン1号として保証する。俺とのゴシップネタは少し傷にはなるが、それも理解した良い男はすぐに見つかるさ。まあ、出来れば男漁りは引退後にしてもらうのがトレーナーとしてありがたいけどな!」
「…………」
「ネイチャ……?」
なんだか、彼に対してイライラが止まらなかった。さっきは私に随分と甘い言葉を吐いていたくせに、記事に対しては動揺もなくどこか他人事だ。何より、私が他の男の人と一緒になる事を祝福する彼の姿がとにかく納得行かなかった。
「トレーナー、あたしはあの記事ゴシップだって思ってないから」
「えっ……それは……」
驚きの表情を浮かべる彼に、私はこの胸の内の想いを吐き出せたらどれだけ楽になるだろうか。でも、私は自分の中の想いに明確な答えは出せていない。今の気分も、記事とテイオーの相談のせいで随分と浮ついている感触があったからだ。結果として、私は日和ってしまった。
「トレーナーさんと恋仲ってのは認めないけど、あたしがあのトロフィーを大切にしてるのは本当だから」
「そっちかあ……ってマジで!? あれ、律義に保管してたの? てっきり帰ったらゴミ箱に直行してるとばかり……」
「トレーナーさんの中のあたしのイメージってなんなの……あんなの、あたしが捨てられるわけないじゃん!」
言ってしまってから、私は知られたくなかった秘密をほいほい喋ってしまった事に気がついた。彼はというと、暑苦しくも涙ぐんでいた。
「そうか……本当に保管してるんだな……可愛い……ネイチャ可愛い!」
「う、うるさいトレーナーさん! あーあたしは何を言って……!」
「可愛い可愛いかわっうべっ!?」
思わず彼の顔をにアイアンクローをしてしまった。私も、ステイゴールドの凶暴性に影響されてしまったのだろうか。私の手から解放された彼はしばらくむせっていたが、今回は謝らない事にする。悪いのはトレーナーさんだ。
「しかし、ネイチャにもゴシップネタが出るって事はそれくらい有名になったって事か。なんだか感慨深いな」
「あんまり、この話はぶり返さないで! それって時と場合によってはセクハラになるからね?」
「おう、わりぃわりぃ」
ウマ娘が恋愛に現を抜かしているのはファンからは賛否両論とされる。別にアイドルみたいに現役ウマ娘が恋愛禁止なんて事はなく、歓迎されて応援される事も多いが、一部ではレースに集中できていないと証だと嫌うファンもいるそうだ。
「しかし、ある意味でタイムリーな話だな。実はあのテイオーが……ってこの話はやめとこうか」
「ちょい待ちトレーナーさんや、テイオーが何だっていうの?」
「いや、それは……」
「トレーナーさん、あたしはテイオーの同期で結構そういう相談も受けてるんだよね。そのためにも、出来るだけ情報は持っておきたいじゃん?」
私の言葉に、彼はいくらか渋った様子を見せた。正直言って、私の言葉はいくらか出任せが混じっている。本音としてはあのテイオーの恋バナについてデバガメしたいだけであった。そして、彼はというとキョロキョロと窓の外を覗き、カーテンを閉める。そうして、重い口をやっと開いてくれた。
「この手の恋愛云々はレースに集中できてない証拠として敬遠されるのは、トレーナーの間でも同じなんだ。でも、適度に制御できればウマ娘の力を引き出せるってのもある種の常識でな」
「恋愛の制御……?」
「少し生々しい話になるが、今までの”怪物”として名を残してきたウマ娘の中にはそんなトレーナー達に力を引き出された奴もいるらしい。でも、ウマ娘の恋愛の制御に失敗したら別の意味で”怪物”になっちまうってのはよく聞く噂だ。ウマ娘ってのはレースとトレーニングで心を磨り減らす純粋で初心な女の子が多い。それを歪ませないようにトレーナーも工夫してるんだが……」
そう言って、トレーナーはチラリとカーテンの閉じられた窓際を見る。それから、今まで以上に囁くような声で話し始めた。
「テイオーは体調面を含めて菊花賞に出るのは難しいはずだった。でも、トレーナーがそんな彼女を言葉巧みに鼓舞して、なおかつ怪我を考慮したトレーニングで見事にクラシック三冠を取らせて見せた。だけどその反動でテイオーは彼に依存しきった……崇拝や心酔状態らしい。実は件のテイオーのトレーナーは俺の隣の部屋に住んでてな、宿舎の先輩トレーナーにはテイオーのトレーナー含めてお世話になってるんだが……」
そんな話の途中で、ピンポーンという呼び鈴がなった。それと同時にバンバンと扉を叩く音が聞こえてきた。トレーナーはというと、げんなりした様子で肩をすくめた。
「ここの所、休日になると毎回これだ。すまんがネイチャ、相手してくれ」
「えっ……相手って……」
私に面倒事を丸投げした彼は逃げるようにベッドへと向かった。仕方なく私が玄関へ向かい扉を開けると、さっきぶりとなるテイオーの姿があった。
「あっ、ネイチャ。君も自分のトレーナーに会いに来てたんだ。ふふーん、ネイチャもすみにおけませんなー」
「あーはいはい、ありがと。それで何の用なの?」
「えっとね、ボクのトレーナーってば家に会いに行っても大抵留守にしてるんだよね。そういう時は、他のトレーナーさんの家に遊びに行ってる事が多いんだ。だから……すんすん」
急に鼻をすんすんしはじめたテイオーに私が無言で引いていると、彼女は不貞腐れたように口を曲げていた。
「ざんねん! ボクのトレーナーはここにはいないみたいだね」
「あっはい」
「それじゃあ、ネイチャ! また今度! ボクはボクだけのトレーナーさんを探さなきゃいけないから」
そう言って嵐のように玄関から出て行ったテイオーに私は気圧されながら、玄関のカギを閉めようと手を伸ばす。そんな時、玄関の扉がわずかにだが開いた。
「ネイチャも気をつけた方が良いよ。トレーナーの部屋からボク以外のウマ娘の匂いがするなんて、ボクに対しての裏切り行為だよね」
ガチャんと閉まった玄関扉の前で、私はしばらく立ち尽くしていた。
その後、お互いに色々と察した私とトレーナーは自然とテイオーの話題は口にしなかった。その後は、テレビを見ながら雑談したり、部屋の掃除を手伝った後、彼の持つ蔵書漁りに没頭した。流石はトレーナーというだけあって、彼の持つレースに関する本や歴代の有名ウマ娘に関する逸話やトレーニング法は読んでいて勉強になる。そういえば、彼の家にこうして来るきっかけになったのも、これらの蔵書であった。
「あっやばっ!」
気づけば、時刻はいつの間にか夕刻へと差し掛かっていた。門限にはまだ遠いが、そろそろお暇すべきだろう。本から顔を上げると、パソコンデスク前の座椅子に背を預けてぐーすかと眠る彼の姿が見えた。その姿を微笑ましく思いながらも、私は彼にこっそり近づいた。そして、彼へと顔を近づけ……そっと匂いを嗅いだ。ほんのりと香る汗の匂いと、不快な煙草の匂いはいつも通りの彼の匂いであった。
「なにやってんだろあたし……」
妙な事故嫌悪に陥りながら、私は彼を揺り起こそうとする。そんな時、彼が使っているパソコンの近くに紙で作られたトロフィーが鎮座していた。それを見ないようにしながら、私は彼の身体を揺すった。
「んあっ……ネイチャ……?」
「トレーナーさん、あたしそろそろ帰るね」
「ああっ……待て待て! 送ってやるから少し待ってな!」
そう言って、ジャケットを着始めたトレーナーを私は優しく見守った。
夕日が落ちていく中、私は彼が操る鉄の愛バの後ろへと座る。インカム越しに彼の陽気な鼻歌を私は静かに楽しんだ。そして、彼の背に私はギュっとしがみつく。ヘルメット越しに香る彼のジャケットは排気ガスと彼の体臭混じったいつもの匂いであった。
「それじゃあトレーナーさん。今日はありがと」
「こっちこそ、飯を作ってくれてありがとよ。まあ、暇なときはいつでも来い。俺はいつでも歓迎だからさ」
「はいはい、そのお言葉には少し甘えさせてもらうかもね」
ウマ娘寮の前で私とトレーナーは笑いあう。そして、バイクに跨ってヘルメットをかぶろうとした彼を私は気づけば引き留めていた。
「ねえ、トレーナーさん。また新しいトロフィー作ったの?」
「ああ、見ちまったか! まあバレたもんはしょうがない。あれはお前のためのトロフィー……次に挑む”毎日王冠”のためのものだ」
毎日王冠……秋の天皇賞の前哨戦ともなるG2の重賞だ。私の休養明けのレースの事をトレーナーはもう考えていてくれたようだ。自然と熱くなる身体は、私にレースに勝ちたいという闘志を自然と湧きあがらせてくれた。
「ねえ、トレーナーさん」
「どうした?」
気づけば、私の意志に反して口が動いてしまった。
「それとは別の……あの作りかけのトロフィーはなに?」
それは、私のために作られたと思われるトロフィーの横にあった。まだ完成品に至っていない作りかけのものが私は妙に気になった。
「あれは……ステイゴールドのためのものだ。あいつも、上手くいけば菊花賞には出られるかも知れないんだ。まあ、その時の保険だな」
「トレーナーさんってば、トロフィーを作るのがクセになってるの?」
「まあ、そんな感じだ。俺は俺で色々心をこめてるんだぜ? いやはや、トレーナー業ってのは諸行無常だねえ……」
「ふふっ、意味わかんない」
「わりい、かっこつけたわ。まっ、そんじゃ明日もよろしくな」
ヘルメットをかぶり、大きく手を振ってから彼は鉄の愛馬を走らせる。私は、そんな彼の背が見えなくなるまで手を振り続けた。
その日の夜、私は机の上に彼から貰ったへろへろのトロフィーを並べた。小倉記念、京都新聞杯、菊花賞、鳴尾記念、有マ記念。その一つ一つに私の大切な思い出が詰まっていた。そして、それはこれからも増える。私と彼が共に歩んだ証拠として残るはずだった。
「そっか……あたし以外にも渡すんだ……」
私はその不格好なトロフィーをそっと撫で続けた。
ちょこっと元ネタ解説
テイオーのトレーナー
最近、胃薬が手放せない
もっと楽になれる薬はないだろうか……