「えっ、北海道にレースしに行く……しかもバイクでですか……?」
「そうだ。いくら説得してもまったく聞く耳を持たねえ……本当にイラつく……その生意気な尻をペシペシ叩きたい気分だ!」
「おいおいおい、オレの目の前で随分な言い草じゃねーか。せっかくだからオレがクソ雑魚トレーナーのケツを蹴り上げるてやろうか?」
トレーナー室に入った私を出迎えたのは、事務机で困ったように頬杖をつく彼とソファーで足を組みながらビーフジャーキーをガジガジ噛んでいるステイゴールドであった。そして、彼の話を聞いた私はやはり困り顔になってしまった。
「ねえステゴ、流石にまずいんじゃない? 怪我とかも怖いしさ、勝負に勝ちたいなら飛行機で行けばいいじゃん」
「悪いな姉貴、オレは北海道に足を踏み入れる時は愛車で行くと決めてんだ。オレのやる気も”絶好調”になるし、レースに勝って賞金も頂く。この遠征はオレにとってメリットしかないんだよ」
「ネイチャ、諦めろ。コイツは人の言う事をてんで聞かねえ。どうしようもない暴れウマだ」
溜息をつくトレーナーは少し疲れた顔で椅子から立ち上がる。そして私の頭の上にぽんぽんと手を当てて撫でる。そんな彼の手を私は少し無理やりはがすと、トレーナーは苦笑を浮かべた。
「悪いなネイチャ、お前も調子が戻って来た所なのにな。とりあえず理事長に伺い立てて、問題ないようならアイツに付き合うよ。流石に傍についてないと色々とマズイからな」
「うーん、まあトレーナーがそう決めたならあたしは文句は言わないけど……」
「ああ、ネイチャは扱いやすくていいな」
「ちょいちょいトレーナーさん、さりげなくあたしにヒドイ事言ってない?」
「そんな事はないぞ! ネイチャは素直で可愛いって事だ」
「うにゃっ!? だからそういうのやめてっていったじゃん!」
トレーナーの軽口に私は思わず赤面してしまう。そんな私を彼はもうひと撫でしてから部屋を出て行った。若干乱れた髪を整えつつ、私は自分自身が嫌になった。なんだかトレーナーにいいように扱われるのは少しだけ不満だった。
「わりいな、姉貴も毎日王冠に出走するってるのは知ってるんだが、少しアイツを借りるわ」
「いや、別にそこは構わないけどさ。ステゴだけじゃなくて、トレーナーさんに対してもなんだけど、やっぱり心配なんだよね。ほら、バイクって事故とか多いじゃん」
「おっと、この話はやめようか姉貴。その話題はされたバイク乗りは惨めにムキになるしかないからな」
肩をすくめて押し黙ってしまったステイゴールドを私はじっと見つめる。彼女がチームに入って早くも4か月が経過していた。その間に彼女はすいれん賞を勝利、続くやまゆりステークスでも4着と掲示板内を確保している。また、彼女は夏季には不思議なほど真面目にトレーニングに励んでいた為、トレーナーは私と同じような重賞ウマ娘になれるのではと期待しているようだ。
彼女の性格はいまだに掴めてはいないが、四か月もあればステイゴールドというウマ娘の情報は自然と耳に入って来る。
トレセン学園の問題児の一人であり、素行不良や授業のサボリ癖はよく噂になっている。だが、学力は同世代でもトップクラスであり、リーダー気質でカリスマもあるためウマ娘の間でも妙な人気を獲得しているらしい。
私も彼女と数か月接して理解出来のだが、彼女は決して”バカ”ではない。何も考えてなさそうな行動の裏で、彼女なりの理論に基づいて行動している事が多いと私は理解していた。今回の北海道への遠征も、彼女なりの考えがあるのだろう。
「おっ……海鮮丼か……肉もいいけど海の幸も捨てられねえよな……」
ニヘラっとした顔で旅行雑誌を読むステイゴールドを見て、やっぱり何も考えていないのではと思い始めた。そうして、呆れた顔を浮かべてしまった私を彼女はチラリと見て、旅行雑誌で顔を埋める。それから、私に対して小さく頭を下げてきた。
「姉貴許してくれ。オレは今後はレースに”マジ”になる。だから、今回の遠征はレースがてらの遊び納めだ。本当は一人で行ってもいいんだが、流石にこの距離のツーリングは初めてなんだ。トレーナーはクソ雑魚だけど、ライダーとしてはオレより経験あるし、まあ荷物持ちくらいには使えるからよ……うん……だから……」
雑誌で隠れて彼女の表情は見えないが、私はもう一度大きくため息をついた。ステイゴールドはトレーナーを蹴飛ばすし、噛みつくし、指示に従わない事もある。それでも、毎日このトレーナー室に姿を現すのを見るに、彼女は彼女でトレーナーにある程度の信頼を置いているようであった。こういう事情を理解すると、生意気さの中に一定の可愛さを見出してしまうのは仕方のない事であった。
「なんだかよく分からないけど、レースには勝ちなさいよ。本当に遊びに行っただけって思われるのはイヤじゃん?」
「おう、クソ雑魚トレーナー……姉貴の旦那の評価にも関わるしな。まあ世界最強のオレ様に任せな」
「だ、旦那じゃないから! まったく……」
なんだかステイゴールドからも良いように扱われている気がするが、沸騰気味な私の頭はそんな事を考える余裕はなかった。
それから三日後、私達はトレーナーの家の前に集まっていた。ステイゴールドは軒先に止められた赤いネイキッドバイクに跨り、意味もなくふかして気分よさげな笑顔を浮かべていた。そして、トレーナーはというと……ニコニコとした表情で自分の大型バイクに荷物を括りつけていた。
「トレーナー、表情が緩んでる」
「おっと、何を言うんだネイチャ。俺は決して遊びに行くわけじゃないぞ。理事長も今回の遠征は『了承ッ!』って許可をくれたし、北海道で行われる”阿寒湖特別”は確かにアイツの能力をはかるのには丁度いいんだ」
「ふーん……」
「まあ、あれだ。お土産に木彫りの熊買ってきてやるからさ」
「いやいや、そういうお土産は貰っても困るからね……」
私の呆れが入ったツッコミはトレーナーのバイクによるエンジン音にかき消された。彼の様子は競艇で買った時と同様の物だ。つまりはやっぱり浮かれているらしい。私の中のトレーナーに対する好感度がまた一つ落ちる音がした。
「ネイチャ、トレーニングメニューはトレーナー室の俺の机に入ってる。まあ復帰戦の毎日王冠までは変わらず無理はするな。後、これは俺の部屋の合鍵だ。気になる本があるなら勝手に持って行っていいし、パソコンも勝手に使って構わない。一応、ちょくちょくは電話はいれるし、念のために先輩トレーナーにお前を気にかけて貰えるようにお願いしたから……」
「クソ雑魚トレーナー! はやく行くぞ! 大洗に向けて出発、しゅっぱーつ!」
「おいコラ安全運転で……悪いネイチャ! また後で電話する!」
爆音を立てながら走り出してしまったステイゴールドを追いかけて、彼は私の視界から消える。振っていた手を下げ、彼に手渡されたカギを懐へと入れた。しばらく無心で佇んでいた私はゆっくりと帰路につく事にした。
トレーナー室へと帰還した私は彼の机の引き出しをそっと開く。そこには彼の言っていた通り、私のためのトレーニングメニューが記された冊子があった。ページをパラパラとめくると最後に『無理はするなよ』と彼の手書きの文字があった。それを見て思わずくすりと微笑んでしまった後、私はグラウンドへと足を進めた。
「まあ、頑張りますかー」
そう呟いて気合を入れる。ステイゴールドの事は別に考えなくてもいい。いま私が考えるべきことは復帰戦となる毎日王冠に向けてコンディションを整える事だけであった。
「頑張ろう……」
そして、トレセン学園が夕日に染まる時間帯。私は汗に濡れて火照る身体を休めつつ、トレーナー室へとゆっくりと帰り着く。手と顔を洗い、真っ先に向かったのは冷蔵庫だ。そこから冷やされた水を取り出して一気に飲み干す。ほうっと漏れ出る息には疲れだけでなくウマ娘としての充足感も混じっていた。そうして、横目で部屋内をチラリと見る。そこに、トレーナーの姿はない。いつも練習終わりに絡んでくる彼の事は少しうざかった。だけど、今はそんな彼が少し恋しかった。
「そっか……あたし初めて一人で……ああもうバカ、あたしのバカ!」
いなくなって初めて分かる感情というものがある。そんな事を実感させてくれるくらい、私は彼を信頼していた……いや”依存”していた。彼が私のトレーナーになってから約一年半、彼が私の隣にいる事が半ば当然の事となっていた。その”当たり前”が初めて崩れた瞬間だった。
「トレーナーさんのバカ……」
笑顔でバイクを発進させる彼の姿が頭に焼き付いて離れない。そして、そんな彼の笑顔がなんだか気に入らなかった。
翌日、私は無言でトレーナー室へと足を運ぶ。トレーニングメニューは手元にあるため、ここにくる必要はない。だが、私の足は無意識にそこへと足を運ばせていた。それだけ、私にとってトレーナー室は慣れ親しんだ場所であった。そして、部屋に入った私は一瞬ぎょっとする。彼の椅子に何者かが腰かけていたからだ。
「トレーナー!? じゃあないよね……うん……ってアンタは……」
「やっほーネイチャ! んふふーボクのこと誰と間違えちゃったのかなー?」
そこには我が物顔で腰かける、トウカイテイオーの姿があった。
「でも間違いじゃないよ。ボク、二週間だけだけど、ネイチャのトレーナーになってってお願いされてるんだよね! 今後ともよろしくーぶいぶいー!」
笑顔でダブルピースを決めるテイオーに、私は乾いた笑いを返した。