「えーもっと喜んでもいーじゃん! ボクにトレーニングを見て貰えるなんてとっても光栄な事だって思わないのー?」
「いや、そりゃあ無敗の三冠ウマ娘さんにトレーニングを見て貰えるのは滅多にない機会だけど……なんで急にそんな事を……」
「もう、ネイチャのトレーナーから聞かなかったの? 君のトレーナーがボクのトレーナーに面倒見て欲しいってお願いしたみたいなんだー!」
彼が普段使用しているオフィスチェアに座り、くるくると回転しているのは私の世代の主人公、トウカイテイオーだ。彼女はいつもの無邪気な笑顔を浮かべていた。そういえばトレーナーが先輩に見守りをお願いしたうんぬんというものを去り際に言っていたのを思い出した。
「それにさ、ネイチャって可愛いからさー」
「急になにを……!」
「ボクのトレーナーに近づいて欲しくないんだよね」
「ひぅっ!?」
笑顔でそんな事を言うテイオーに私は小さな悲鳴を上げる。それに、背筋に嫌なものを感じた。テイオーの表情は笑顔だが、目が笑っていなかったのだ。
「いやいやテイオーさん、女房妬くほど亭主もてはせずって言うじゃん。そんなに気にしなくてもいいと思うな」
「ボクはまだ女房になってすらいないんだ。可能性が少しでもあるならボクは徹底的に潰すよ」
「あっ、はい」
テイオーの答えに気圧されて私はコクコクと頷く。羨望と少しの嫉妬心を抱いていたキラキラに輝く主人公、トウカイテイオーは今ではキラキラどころか、ドロドロに薄汚れていた。それでも、彼女の意志の強さだけは良い意味でも悪い意味でも変わらない。むしろ、私にとっては彼女の存在はより遠いものとなってしまった。
「でも、ネイチャを蔑ろにするのはボクもトレーナーも望んでないんだ。だからこそ、このボクが指導してあげる! ふふん、無敵のテイオー様はトレーナーになっても最強なのだ!」
「ええっ……」
笑顔の彼女には悪いが私は思わず手でこめかみを押さえてしまった。天才的なウマ娘が天才的なトレーナーになるとは限らない。ウマ娘だけでもなく、スポーツ関係でも起こりうる問題だ。それに、明らかな”天才肌”タイプである彼女に指導力があるとは思えなかった。テイオーはそんな私の不安を見透かしたように、ニヤリとした笑顔を浮かべた。
「まあまあ、ついてきてネイチャ」
「ちょ、ちょっと!」
駆け出したテイオーを私は半ば無意識に追いかける。そうしてたどり着いたのはいつものグラウンドだ。テイオーは私をチラリと見た後、スターティングポーズを取っていた。
「流石のボクも、トレーニングに関しては上から物を言う立場じゃないって理解してる。それなら、併せウマをするしかないよね。ほらっ、ひたすら実践あるのみって言うでしょ?」
「ちょっとちょっと! 流石にアンタとの併走なんて結果が見えてるし……」
「どーん!」
「ま、まて!」
早くも走り出したテイオーに私は追いすがる。これもウマ娘としての本能なのか、気づけば本気で勝ちに行こうと彼女の輝く背中を追った。
「ふい~しょうり~! ネイチャも凄いじゃん! ボクを二バ身差まで追い詰めるなんてさ!」
「はぁ……はぁ……嫌味……いやこの子ってば素で言ってるわね……」
「よし、それじゃあ2本目ごー!」
「なっ!」
もう一度走り出したテイオーを再び追う。例え勝てないとしても、これ以上は彼女に距離を離されたくなかった。
「はーい、今日はよく頑張ったねネイチャ! でも、ボクに一度も先着できなかったのは残念だったねえ……後半はボクも疲れて手を抜いてたんだけど……」
「っ……」
「今日はボクの勝ち! 何で負けたか、明日まで考えといてネ。そしたら何かが見えてくるはずだからさ。それじゃあまた明日、ばいばいネイチャー!」
いつの間にか日の沈む時間帯になっていた。笑顔で走り去るテイオーを荒れた息を整えながら見送る。そうして日が沈むまで身体を休めた後、私は意味もなく周囲の芝を手でむしりながら項垂れた。
「何で負けたかって……そもそもあたしごときがあの主人公に勝てるわけないじゃん……仕方ない……仕方ないよね」
誰かに言い訳するようにそう呟いた後、私はトレーナー室へ向けてとぼとぼと歩き出した。
「はい、ボクの勝ち! たかが併せウマって思ってない? それだったら、ボクには一生勝てないよ?」
「はあ……はあ……!」
「それじゃあまた明日! バイビー!」
その翌日、私はまたしてもテイオーに先着出来なかった。次の日も、また次の日も私はテイオーに勝てなかった。むしろ、彼女と私の着差は徐々に広がっていた。
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「もう、本気でやってるのネイチャ?」
「あたしは……そりゃあ勝てないなりに作戦を組んで……」
「ふーん」
「っ……」
早くもテイオーがトレーナーもどきの業務について一週間が経過した。その間、行ったのは彼女との併せウマのみ。もちろん、私は彼女に一度も先着できなかった。
「まっ、臨時とはいえボクはネイチャのトレーナーだからね。出来る限りの事はしようかな。んふーそれじゃあ質問! ネイチャはなんでレースに出て走ってるの?」
「なんでって……そりゃあアンタみたいなキラキラなウマ娘に近づくため……いや、レースに勝って見てくれてる皆に夢を与えられるキラキラなウマ娘になりたいから……だからあたしは走り続けてる」
正直言って、テイオーには一生勝てる気がしない。でも、私は彼女のような”主人公”に追いつくため、こんな私を応援し続けるトレーナーやファンの人達のためにも、この足を止めるわけにはいかなかった。テイオーはというと、私の宣言を聞いて何やらうんうんと頷いていた。
「おーなるほどなるほどー! すごい立派な夢もある。そのための努力は怠ってないし、GIはまだとは言え、ネイチャもGⅡやGⅢを勝ち上がった重賞ウマ娘……今更トレーニングがどうとか、併せウマをしたくらいじゃ身に入んないよねー」
「別にそういうわけじゃ……」
「うんうん任せて! ボクがネイチャを一皮剥けさせてあげるよ! まあ、その方法はまた明日って事で! 少し早いけど、ボクはこのあとトレーナーにいっぱい撫でてもらう約束をしてるんだ! それじゃあまた明日!」
「ちょっ……」
毎日嵐のように過ぎ去って行くテイオーとのトレーニングにいくらかの疲労と、いくらかの充実を覚えるようになった。なんだかんだで、彼女にはこれ以上負けたくはない。そう考えて、私は一人でグラウンドでのランニングに励む事にした。そんな時、ベンチに置いていた鞄から着信音が鳴り響く。慌てて駆け戻った私はスマホの画面を見て思わず頬が緩む。それはトレーナーからの着信であった。
『もしもし、ネイチャか?』
「うんうん、あたし。急にどうしたのトレーナーさん」
『いや、普通に心配だから電話してるんだ。先輩トレーナーから、お前にテイオーをあてがったって電話で聞いてな。なんつーか、ネイチャってテイオーを色々と意識してるだろ?』
「あーはいはい。ご心配頂きどーもどーも。確かにテイオーの事はちょっと意識してるけど、別に問題ないから。それより、トレーナーはステゴの事に専念してよ。きっと、あの子も不安をいっぱい抱えてるはずだからさ」
『不安……? アイツが……――わははっ見ろよクソ雑魚トレーナー! 霧の摩周湖どころか滅茶苦茶に晴れてるじゃねーか! こりゃあ婚期が遠のくな……もしかして一生童貞かもな!――うるさいっ! 今はネイチャと電話中だ!』
「トレーナー?」
『悪いなネイチャ、ちょっとステイゴールドの気晴らしに付き合っててな。こっち来てからアイツのテンションおかしいんだよ』
トレーナーの声に混じり、風の音やステイゴールドの声が漏れ聞こえる。どうやら、彼は外出先で電話をかけているようだった。
『とにかく、無理だけはするなよ。それと、何かあったらすぐに俺へ電話してくれ。最悪、ステイゴールドを捨ておいてでもそっちに行くからさ』
「ふふっ、ネイチャさんは大丈夫ですー! トレーナーこそ何かあったら電話してよね。貴方の担当ウマ娘として相談くらいは乗れるからさ」
『ネイチャ……なんつーかもう、けっ――網走! 次は網走行こうぜクソ雑魚トレーナー! 刑務所とかお前にぴったりだしな!――こら引っ張るな! 今はネイチャと電話中で……いてぇ!? 何故嚙む!? 分かった分かったから……うおっ……!?』
ぶつりと切れた電話により、向こうの状況は手に取るように分かる。おそらく、またステイゴールドの理不尽に晒されているのだろう。ただ、それはそれとして久しぶりに彼の声を聞いた。それだけでちょっと元気が湧いて来た自分自身に少し呆れた。
「あたしも頑張らなくちゃ……」
私はもう一度気合を入れなおし、グラウンドへと駆け出した。
翌日、テイオーが私を引きずるようにして連れてきたのはいつものグラウンドではなく、トレーナーが住む宿舎の前であった。意味が分からず立ち尽くす私に彼女は右手をそっと差し出してきた。
「ネイチャってさ、合鍵渡されたんでしょう? それ、貸してよ」
「いやいや、えっ、急になんなのさ?」
「もう、昨日言ったじゃんネイチャ! ボクがネイチャをもっと強くしてあげるよ」
「それとこれとはどういう関係が……ひゃっ!?」
困惑しているうちにテイオーが私の懐を無遠慮にもまさぐってきた。そのまま私の全身チェックを行い、トレーナーの部屋の鍵を引き当てた彼女はずんずんと部屋へ向けて足を進める。私はそんな彼女に二の句も告げず、付き従うしかなかった。
そして、無言で鍵を開けて彼の部屋に入るテイオーに流石にカチンとくる。気づけば、私はテイオー右腕を思いっきりに掴んでいた。
「ちょっと、本当になんなの? トレーナーは厚意で鍵をあたしに預けてくれただけなの。本当に好き勝手に彼の部屋を使うのは悪いでしょ?」
「ネイチャってば、本当に良い子なんだから。でも、良いよその表情。ネイチャの本気の表情、久しぶりに見たな」
「意味わかんないし……」
「ごめんね、怒らせちゃった? でも入るね!」
「っ……!」
外靴を玄関に脱ぎ捨て、逃げるように部屋に入ったテイオーを私は追う。色々と失礼な彼女にはとさかにきていたが、早くも彼のベッドにダイブしていた彼女を見て私の中の何かがプチンと切れた。
「いい加減にして、テイオー」
「いにゃっ!? なにすんだよー!」
「抵抗しないで」
テイオーの細い首筋を掴んで無理やりベッドから引きずり下ろす。彼女はしばらく暴れていたが、観念したように膨らませた頬をこっちに向けた。
「ねえ、結局、アンタはなにがしたいわけ?」
「んふふーちょっとネイチャを試しただけだよ。でも、想像以上だったね。やっぱり、ネイチャもトレーナーの事が好きなんだね」
「はあ!?」
笑顔でそんな事を言うテイオーに私は真顔で返してしまう。今のやりとりで、どうしてそんな判断に至ったのか理解出来なかった。
「そりゃあトレーナーは信頼してるけど、恋愛対象としてはちょっとね……」
「うんうん、ボクも色々と思い悩んでたけど、素直になっちゃった方が良いよ。せっかくネイチャのおかげでボクはもっともっと強くなれたのに、ネイチャがこの調子じゃね……まあいいや! このテイオー様が秘密の特訓をしてあげるから! 感謝してよね!」
「ああっ……もういい疲れた……」
結局、私はテイオーに白旗あげた。ここまで話が嚙み合わないと、歯向かう気すら起きなかった。そんな私の顔面に彼女は急に枕を押し付けてきた。くぐもった悲鳴は声に出ず、暗闇となった視界には何も映らない。ただ、嗅覚だけは正常に働いていた。この汗の匂いと微かな煙草の匂いは間違いなくトレーナーの匂いであった。
「ネイチャ、落ち着いた?」
「別に……結局アンタは何がしたいの……」
「だから何度も言ってるじゃんか。秘密の特訓だよ」
テイオーの返答に私は閉口する。そのまま気まずい沈黙がしばらく続いた後、彼女はくすりと笑ってから口を開いた。
「ねえねえ、ネイチャ。ボクはね、レースで勝つためにはやっぱりメンタルが一番大事だって思ってるんだ」
「…………」
「大好きなカイチョーに褒めて貰いたいし、ボクの愛してるトレーナーに抱きしめてもらいたいからボクは頑張れる。でも、ボクだって色んな悩み事があるんだ。その悩みを放っておくとレースに集中できなくていい結果は出ない。だからネイチャにはこの悩みの解消法を教えてあげる」
そう言って、テイオーは私にまたしてもトレーナーが使っている枕を押し付けてくる。その匂いは正直言って気分の良いものではない。はっきり言って臭かった。それでも、気づけば私はすんすんと匂いを嗅ぎ続けていた。
「ネイチャ、表情が蕩けてるよ」
「んなっ!? あたしは別に……!」
「いいのいいの! ボクもストレスが溜まったらトレーナーの匂いを嗅いでるんだ。不思議だよね。良い匂いじゃないんだけど、とっても安心できるんだよね」
「うっ……!」
テイオーの得意げな表情を前に私は言葉を詰まらせる。彼女に流されて私は一体何をやらされているのだろうか。そう思い立って正気を取り戻した時、身体が暖かさに包まれる。テイオーが私にトレーナーの使用している毛布をかけてきたのだ。瞬間、私の周囲の”濃度”が数倍となる。そういえば、メイクデビューを無事勝利出来た時、感極まったトレーナーが抱き着いて来た事があった。あの時はすぐに振り払ったのだが、実はそんなに満更でも……
「うにゃー!」
「ひっ、急に何さ!?」
「急にも何もアンタは何がしたいわけ!? あたしにこんな……こんなはしたないこと……!」
「はしたなくないよ。好きな人の事を感じられるもの触れて気分が高揚するのは、人間やウマ娘にとって当然の事だよね?」
「別にあたしはトレーナーさんなんか……」
「そこだよネイチャ。君はもう少し自分の欲望に素直になった方が良いよ? そうしないと、絶対に後悔する事になるからさ」
そう言って微笑むテイオーに私は不思議な威圧感を覚えた。同期ではあるが、内心自分より子供っぽいと思っていた彼女は、もう”女の顔”になっていた。それがどこか悔しく感じた。
「ボクのトレーナーはね、いっぱいボクに甘い言葉を囁いてくれるんだ。でも、それはボクだけが特別だからじゃない。チームメイトのマヤノ……マヤノトップガンにも同じような事を言ってる。それがトレーナーの指導方針だって事に気づいたのつい最近なんだ。ホント、悪いヒトだよね?」
「うっ……なんだかあたしのトレーナーに似てるかも……」
「そうなの? だったら気をつけた方が良いよ。ボクにとってマヤノは今では恋のライバルでもあるんだけど、ネイチャにもそんな存在が現れるんじゃないかな。ほら、君のとこにもチームメイトが新しく加わったんでしょう?」
「いや、ステイゴールドはそんなんじゃないし……」
「そう思っているうちに出し抜かれるんだよ? ボクがトレーナーの部屋に行き始めた頃、そこはすでにマヤノの牙城だったしね。ホントに許せないよね」
クスクス笑うテイオーの目はやっぱり笑っていなかった。それと、さりげなくとんでもない事を言っている彼女に私は引いた。
「ねえネイチャ、君のトレーナーの匂いは他のウマ娘に汚されてない?」
「汚されるって……ま、まあ今のところは彼以外の匂いはしないけど……」
「それだったら気を付けてね。他の子の匂いがし始めたら要注意だよ。ボクのトレーナーなんかさ、最近ボクやマヤノとも違う、”知らないウマ娘の匂い”を身体につけてるんだ。許せない……許せないよね……」
「テイオー……」
私は、まだ彼女のような経験はない。トレーナーは色々と遊んでそうだが、私の”鼻につく”ように匂いは漂わせていないからだ。だが、それもステイゴールドのチームへの加入で変わるかもしれない。彼女がトレーナーになびく姿は想像できないが、事実として、彼はもう”私だけのトレーナー”ではなくなってしまったのだ。
「むむっ!」
そんな時、テイオーがウマ耳をぴーんと立たせる。同時に、私のウマ耳も隣室からの物音を捉える。どうやら、隣室の住人が帰還したらしい。それはすなわち、隣室に住んでいるというテイオーのトレーナーの帰還を意味していた。
「それじゃあネイチャ、今日の特訓はここまで! おさらいだけど……ストレスは適度に発散する事。それと、自分の欲望には素直に従う事。愛する人に褒められたい、撫でられたい、ボクだけを見ていて欲しい……そんな”欲望”に素直になろう……ねえネイチャ?」
「いや、だからあたしは別に……」
「続きはまた今度! ボク、用事が出来ちゃったから!」
そう言って足早に部屋を出て行ったトウカイテイオーを私は無言で見送る。そして、しばらくしないうちに隣室からドタバタという物音と、甲高いテイオーの声が微かに聞こえてきた。
「ああ、もう本当に意味わからない」
疲労を隠しきれず思わず独り言ちる。ベッドに倒れ込んだ私は無意識のうちに彼の枕を抱き寄せていた。その匂いはやっぱり臭かった。でも、嫌いな匂いではなかった。そういえば、実家のスナックも時折こんな匂いをしていた気がした。気分が落ち着くのはそこに秘密が隠されているのかもしれない。
「トレーナーさん……大丈夫かな……」
あのステイゴールドの引率を一人でやっているのだ。恐らく、疲労はたまっているだろう。頑張っている彼にはまた今度料理を振舞う事にしよう。自分で言うのもなんだが、不味くはないはずだ。そうして、喜んで笑顔を見せる彼の姿がまた見たかった。
「ふぁっ……ふふっ……トレーナーさん……」
気づけば、私は沸き起こる睡魔に寝負けして目を閉じてしまった。彼の枕に顔を押し付け、毛布を被る。そうすると何とも言えない安心感と全能感に包まれたのであった。
賢さが20上がった。
『独占力』のヒントLvが5上がった。
トウカイテイオーの絆ゲージが5上がった。
「ひゃっ!? なに!?」
何か変な夢を見た私は慌てて起き上がった。そして、なぜ自分がトレーナーの部屋にいるのかと自問する事数分、私は置き時計を見て門限が近い事に気が付いた。さっと血の気が引いていく感覚を味わいながら、私は急いで駆け出していた。
「はあ、間に合った……」
数十分後、私は無事自室へと帰り着いていた。部屋ではベッドに転がりながらテレビを見ているマーベラスサンデーの姿がある。彼女はいつもの無邪気な笑顔を私に向けてきた。
「やっほーネイチャ! 今日は少し帰りが遅かったね。きっといっぱいトレーニングしてたんだよね。うんうん、マーベラス!」
「はいはい、ありがと……」
いつもの調子のマーベラスに苦笑を返しつつ、私はベッドへと腰かける。そして、テレビで放映しているお笑い番組に目を向けようとした時、マーベラスがこちらをじっと見ている事に気が付いた。
「ねーねーネイチャー!」
「どしたのー?」
「その手に持ってる枕はなにー? 新しく買ったの?」
「えっ……えっ……!?」
私は目線を下にずらす。そこには無意識のうちに膝の上に乗せていた彼の枕があった。よりにもよってこんな物を持って帰ってきてしまった自分が恥ずかしかったし、枕片手に街中を全力疾走していた自分の姿を省みて羞恥心が爆発してしまった。
「なんであたし……うにゃーっ!」
「あははっ! なんだか分からないけどマーベラス☆!」
瞳を輝かせるマーベラスの横で、私はどうしようない深淵に落ちて行く感覚に陥った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「あっ、ネイチャ! ついに始まるよ!」
「分かってるから黙って」
「ちょっと、なんか最近ボクに冷たくない? ボクとしてはもうちょっと感謝してくれてもいいと思うけどなー」
トレーナー室において、私とテイオーはテレビをつけてそれを食い入るように見つめていた。テレビには札幌メインレースの前走、阿寒湖特別の出走が開始間際となった。パドックインタビューでは相変わらず強気な発言をしていたステイゴールドはすでにゲートへとおさまってる。事前投票では三番人気。レースを見守る観客たちも十分に勝ちを狙えると判断しているのだろう。
「ステイゴールドはシニア級のウマ娘と戦うのは初めてみたいだね。勝てると思う?」
「正直言って分からないかな。でも、これで勝てなかったら菊花賞には絶対出走出来ない。全てはあの子しだいね」
「もう、そんな事言ってー! ほんとは勝って欲しくないんでしょ? ここで負ければ、トレーナーを独占出来る可能性が……むぐぐっ!?」
「テイオー、流石に怒るよ?」
私がテイオーの口を塞いでいる間に、阿寒湖特別のゲートは開き、ウマ娘達が一斉に駆け出していた。ステイゴールドは序盤、中盤と後位集団進み、第三コーナーで仕掛けていた。彼女の脚質は私と同じく差しを得意としているらしい。
『13番ステイゴールド! ヤマニンサイレンスを差してゴールイン! 見事な三勝目をかざりました!」
試合はあっけなく終わった。
外差しを決めたステイゴールドが逃げウマを捉えてゴールイン。テレビではウイニングランをしているステイゴールドに近づき、何故か彼女からドロップキックを受けて倒れ伏すトレーナーの姿があった。とにもかくにも、彼とステイゴールドの北海道遠征は無事成功したようだった。
「あらら、勝っちゃったね。でも、あの子は別に光るものはないかな。まああの子と走る事はなさそうだけどね」
「テイオー、それって……」
「うん、ボクは今年の有マ記念でトゥインクルシリーズから卒業するつもりなんだ。まあ、国内の勝負付けはついちゃったしね!」
そう言って微笑んだテイオーは、私に手を差し出してきた。意図を理解した私は彼女の手を握り返して握手をする。いつもの勝気な笑顔を浮かべたテイオーは私から手を離し、こちらにビシっと人差し指を突き付けてきた。
「ネイチャ、次の有マ記念では絶対負けないから! この無敵のテイオー様に挑んで来るがよいぞ!」
「はいはい……あたしだって3着で終わらせる気はないからね」
お互いに笑いあいながら覚悟を決める。
ステイゴールドは見事に勝ち上がった。
だから、私もチームの”先輩”としてカッコ悪いところは見せられなかった。
「よし、それじゃあ最後の特訓に行こうか! 今日はネイチャのトレーナーの家探しだね。もしかしたら
元カノの写真とか出てくるかもよー!」
「いやいや、トレーナーに限って……って待てっ!」
「やーだよー! 最後くらいボクに追いついて見せなよー!」
駆け出して行くテイオーに私は必死に食らいつく。そのキラキラとした後ろ姿に、ちょっとだけ近づけた気がした。
「あははっ、本当に見つかちゃったね……」
気まずい笑みを浮かべるテイオーから、私はその写真の束を取り上げる。そこには、今よりも少し若い彼と見知らぬウマ娘達とのツーショット写真があった。笑顔を浮かべるウマ娘達の数はざっと見て20人以上、半分以上はトレセン学園の制服を着ている子であった。
「凄いね、ネイチャのトレーナーこんなにとっかえひっかえしてたんだねー」
「いや違うでしょ! この写真を見て短絡的に元カノと決めつけるほどあたしもバカじゃないから!」
「ふーん、じゃあなんだんろうねこの写真」
「…………」
私の胸がズキリと痛み、言いようもない不安感が溢れる。トレーナーとは少しお話しする必要がありそうだった。
ちょこっと元ネタ解説
馬の嗅覚
なんと人間の約1000倍の嗅覚を持つ。
ウマ娘に隠し事は出来ない。
独占力
発動すればクソ強いデバフスキル。
ここのネイチャはテイオーに違法改造されてしまった。
阿寒湖特別
アプリでは実装されてない。札幌競馬場で行われる特別レース。
三歳以上、収得賞金900万円以下の馬が出走出来る。
後にステイゴールドの主な勝ち鞍として存在を知らしめる。
アラバンサ
阿寒湖特別に一番人気で出走した馬。ステイゴールドに敗れた彼女は、後に悪い意味で有名になったステイヤーズステークスにも出走している。