ブルーローズをそばにおく   作:蒼月柊

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第九話 新しい将来

 ひとまずライスが目を覚ましたことをたづなさんとヒシアマゾンに報告し、たづなさんには一つお願いをしておく。

 

 病室へ戻ると、ちょうど診断をしてくれていた医者とすれ違った。

 

「ひとまずは問題なさそうです」

 

 その言葉にお礼を言い、俺は再びライスと二人っきりになる。しかし、俺は何を言えばよいのか、わからなかった。

 

 ライスも何を話そうとしているのか悩んでいるようで、無言の時間が流れる。ただ、もう遠くへ逝ってしまうことがないと安心しているからか、この時間も決して居心地が悪いわけではなかった。

 

「お兄さま」

 

 ライスの呼びかけに、俺はライスの顔を見る。改めて見るライスの顔には、減速できずに前に倒れたことによる擦り傷を覆うガーゼが額と鼻へつけられていた。

 

「無理をしちゃって、ごめんなさい」

 

「謝らないでくれ。不調のまま送り出してしまった俺が悪い」

 

「お兄さまは悪くないよ。だって、ライスは不調じゃなかったんだから。途中でバランスを崩して、それでも負けたくなかったから左脚に力を入れちゃった結果なんだから」

 

 ライスは月明かりのように優しく微笑みながら、俺を見つめていた。その表情は俺にとっては苦しくて、しかし救われるものでもあった。だから、思わず告白する。

 

「俺はライスに一生ものの傷を負わせてしまった。なのに、俺は今、後悔じゃなくて、ライスが今も生きていてくれることに安堵をしていて、自責することすらできない」

 

「それでいいんだよ。ライスはお兄さまに想われて幸せだなあって思えるから。だから、これからも、ライスのそばにいてください」

 

 ライスの赦しに、俺はうなずく。

 

「ああ、ライスが望むのであればいつまでもいさせてくれ」

 

 俺の言葉に、再びライスは柔らかく微笑んで、小さくあくびをした。

 

「えへへ、ちょっと眠たくなっちゃった。お兄さま、手を握っていてくれる?」

 

「ずっと握っているよ」

 

 小さな手を握ると、ライスは安心したようにまぶたを閉じる。その寝顔をずっと見続けていると、俺もいつの間にかうつ伏せになっていた。

 

 どうにか目を開けて、体を起こそうとすると、頭を撫でられる感触があった。

 

「昨日はどこか達観、っていうのかな。どうしてか、心が静かだった。でも、レースで走っている時に、お兄さまの顔が浮かんできてレースに勝ちたいって思ったんだ。たくさんの人を笑顔にさせたいって思っていたけれど、一番に笑顔になって欲しいのはお兄さまだからかな。そのおかげで、私は一着を取れた」

 

 だから、その言葉が聞こえて、手よりも大きな何かが髪に触れた。

 

「えへへ。お兄さま、本当にありがとう。大好きだよ」

 

 そうして、再び頭を撫でられる。その心地よさに、俺はまた眠りに就いた。

 

     ⭐︎

 

 俺が目を覚ます頃には、すでに外は明るくなっていた。目をこすりながら体を起こすと、ライスが俺を見ていた。

 

「おはよう、お兄さま」

 

 俺も返事を返すと、ちょうどスマートフォンが震えた。

 

「すまん、ちょっと電話をしてくる」

 

「いってらっしゃい」

 

 電話の相手はたづなさんだった。おそらく昨日の件だろう。

 

「ひとまずライスさんが生きていてくれてよかったです」

 

「ええ、本当に」

 

「それで、昨日のメールですが、本気ですか?」

 

「ライスシャワーはこれで引退ということになります。これを一区切りとして、俺も来年の三月まで休職したいと」

 

「理解はできますが、それでも一人のウマ娘にだけ、というにはあまりに惜しいのがこちらの総意です。あなたは十分に知識があり、ライスさんが重賞を勝てるように育てたという実績があるのですから」

 

「それでも、今回の故障は紛れもなく私自身の責任であり、一生を使って償うべき傷です。ライスがこの後どんな将来を描くのかはわかりませんが、どんな将来であっても俺は全力でサポートしたい。そのために時間を作る必要があるのです。ですから、お願いします」

 

「……わかりました。その代わり、来年の四月はチームを持っていただきます。よろしいですね?」

 

「ありがとうございます」

 

 俺はスマートフォンをポケットにしまい、病室へ戻った。そして、これからのことをライスと話す。

 

「やっぱり引退ってことになるんだね」

 

「医者の先生にも説明を聞いていたと思うが、歩くことにだってとてつもないリハビリがある。レースに出ることは不可能とのことだ」

 

 しかし、ライスは落ち着いていた。自分の中で整理ができていたのだろう。もしくは、その覚悟をしてあのレースを走っていたのかもしれない。

 

「それでなんだが、今後、どうしていきたいか、考えているか?」

 

「うん、前から考えていたことがあるの」

 

 少しはにかみながら、ライスは言う。

 

「レースから離れたとしたら、今度はライスがお兄さまを支えていきたいなって。だから、ライスね、実はトレーナーになるための勉強をしていたの」

 

 初耳の事実に、俺は驚く。

 

「だから、お兄さま、ライスにもっとトレーナーのことを教えてください!」

 

「ありがとうな。来年の四月からはトレーナーになれるように、付きっきりで教えるよ」

 

「うん!」

 

 これからもずっといられることにか、目を輝かしてくれるライスに俺も心が温かくなる。

 

 それからというもの、俺とライスはずっと一緒にいた。

 

 退院するまでは俺が持ってきた参考書を開いて、トレーナーになるための勉強をした。

 

 退院した後はリハビリが始まり、その付き添いもした。当然、勉強も一緒に行った。

 

 リハビリの帰りには、一緒にりんごのスイーツを食べたり、気分転換として青森へ旅行もした。

 

 この九ヶ月はかけがえのない時間だった。途中、ライスのお母さんに会い、謝罪をしようとしたら、ライスとの結婚を迫られたりもしたが、その時に見たライスの顔が可愛くて、それもありかもしれないと思ってしまった。きっとライスと結ばれるのであれば、相手は幸せになれるだろう。その相手に自分が、というのは少し自信がないが。

 

 そして迎えた、トレセン学園のトレーナー採用試験の結果発表の日。まだ松葉杖が必要ではあるが、順調に回復しているライスは不安げに俺を見上げていた。

 

「大丈夫かな」

 

「いけるよ。これでも現役のトレーナーが付きっきりで教えたんだから」

 

「えへへ、そうだよね。……それじゃ、見るね」

 

 タブレットに受験者番号とパスワードを入力し、結果を確認する。その表情は目を丸くしてだんだんと涙が溜まっていた。

 

「ライス?」

 

「やったよ! お兄さま! 来年度からもよろしくお願いします!」

 

 見事、採用だった。俺もライスにつられて涙が滲んできてしまう。

 

「やったな、ライス。本当によく頑張ったよ」

 

 この日はトレーナー室でささやかなお祝いを二人でした。

 

     ⭐︎

 

 ライスの採用通知から数日が経った時、俺は理事長室へ呼ばれた。たづなさんに先導され、部屋に入ると調度品は少なくも気品のある雰囲気に襲われる。前を見ると、理事長の秋川やよいが胸を張って、俺を見ていた。

 

「歓迎ッ! よく来てくれた! 君とはいつか話をしてみたいと思っていたのだ」

 

「理事長、そうは言っても時間がありませんので手短にお願いします」

 

「わかっている! (せわ)しくて申し訳ないが単刀直入に聞く。君はまだトレーナーの役割を果たせるか?」

 

 正直に言うと言葉の意味が理解できていなかった。それでも、これは試されているのだとはすぐに理解ができる。込められるだけの気迫を込めて覚悟の言葉を伝えた。

 

「できないと思われたのなら、この首を切っていただいて構いません」

 

「ふむ。覚悟はあるということだな」

 

 理事長は扇子の親骨で顎に軽く叩きながら、言葉を続ける。

 

「しかし、勘違いはしないでほしい。万が一、君がトレーナーを辞めるとしても、我が校は君と縁を切りたくないのだ」

 

「と言いますと?」

 

 ここからはたづなさんが説明してくれた。

 

「我が校は、在籍しているウマ娘たちの数に比べてトレーナーの数が少ない現状を憂慮しています。そのため、たった九ヶ月間という時間でライスさんを我が校に採用させたあなたの指導能力を手放したくないのです」

 

「理解しましたが、しかしあれはライスシャワー自身が先に勉強していたためにある程度の基礎があったこと、私が付きっきりで勉強を見ることができたがための結果です。私自身にそこまでの指導能力があるとは」

 

「それでも、採用試験で全科目九割以上の点数を得て、さらに作文試験では文句なしの評価を得た人材を手放すにはあまりに惜しいのです。そのため、来年度はチームを持っていただくと言いましたが、トレーナー指導に関連する仕事も行っていただきたいのです」

 

「提案ッ! 来年度から復職するにあたり、君が担当するチームでのウマ娘たちの数を減らす特例許可を出すので、トレーナー育成に伴う準備を主導して欲しい!」

 

 なるほど、そういうことか、とようやく俺は理解した。この提案は俺にとっても利のあるものだった。まだ一対一でしか担当したことがない俺に気を遣ってくれているのかもしれない。

 

「わかりました。未熟な身ではありますが、全力を尽くします」

 

「感謝ッ! それでは後のことはたづなに聞いてくれ」

 

「わかりました」

 

 理事長室から出ると、たづなさんから話しかけてくれる。

 

「ライスさんのように大怪我で引退した子を担当していたトレーナーさんたちは、この後、指導の調子を落とすことがよくあります。そのため、複数のウマ娘たちを預けることに不安を覚えている関係者の方が多いのです」

 

 そう言って、たづなさんは少し心配そうに俺の顔をうかがった。

 

「まずは一人、できれば二人を来年度はお願いします。その上で、少しでも不安なことがあれば、ぜひ言ってください。私の方で調整しますので」

 

「お気遣いいただき、ありがとうございます」

 

 その後、たづなさんとはライスのことを中心に話し、別れた。

 

 俺はそのまま学園の正門に向かう。

 

 正門のそばで咲く桜を見上げていると、声をかけられた。

 

「お兄さま。どうしたの?」

 

「いや、もうすぐ入学の時期だなって」

 

 ライスが俺の腰に抱きつく。困惑する俺に穏やかな声音でささやく。

 

「ライス?」

 

「お兄さまなら大丈夫だよ。ライスも頑張るから」

 

「そう、だな。ありがとうな」

 

「えへ」

 

 いつものように笑うライスと一緒に、俺は夕日に照らされた桜が散りいく様を眺めていた。




理事長の口調、難しい! いや、たづなさんや他の子もあまりトレースできている自信はないですけどね。

と言うわけで、これにて『ブルーローズをそばにおく』第一部が完結となります。
次からは第二部ということで、トレーナーとサブトレーナーの関係となったトレーナーくんとライスシャワーのやりとりを楽しんでいただけますと幸いです。

次回の更新はいつになるかわかりませんが、できる限り頑張ります!
それでは、またよろしくお願いします!
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