逃避行から一週間が過ぎた頃、俺はミホノブルボンが怪我をしたと連絡を受けた。そのことをライスシャワーへ伝えると、まるで出会った頃のように弱々しく動揺していた。
「ライスのせいだ」
そんなことはないとくりかえしてみるが、俺の言葉も耳に届いていないようだった。
ただ、そんな状態であっても見舞いに誘うと乗ってくれる。おそらく謝罪のためなのだろう。
未だに立ち直ってもらえるきっかけを作れない自分自身への苛立ちに、俺は唇を噛みながらミホノブルボンがいる病室を訪ねる。
「どうぞ」
いつも通り、淡々とした様子のミホノブルボンはこちらを見ても無表情だった。
ちょうどミホノブルボンの担当をしていたトレーナー、俺が一番最初にお世話になった先輩もいる。
「久しぶりだな」
「先輩」
持ってきていた果物とライスシャワーが選んだ花のブーケを渡す。
「綺麗ですね」
「ライスシャワーが選んだんだ」
「そうですか。ライスさん、ありがとうございます」
「いえ……」
ライスシャワーはやはりまだ、よそよそしい。
「なあ、ちょっと外で話さねえか?」
「先輩?」
そのまま先輩に屋上へ連れていかれる。
病院の屋上から見える風景はどこか寂れていた。十一月特有の、深緑色に枯葉色が混ざって見える木々のせいだろうか。
「あれからどうだ? ライスシャワーの調子は」
「練習では変わらずいいタイムを出します」
その言葉だけで先輩はライスシャワーの現状を察してくれたのだろう。「そうか」とこぼし、掠れた白い筋状の雲が浮かぶ空を見上げた。
「ブルボンはな、俺が担当した中で最高の出来だったんだ」
その言葉に俺は何も言うことができない。すぐに責められているのだと思った。
「そんなブルボンに勝ったのに、何燻っているんだ、そう思うこともある。しかし、俺の代わりにファンたちの声を受け止めてくれた恩人に、そんなことを言えるわけがない」
無言のままの俺を見ることもなく、先輩は言葉を続ける。
「お前はさ、最初に言ったよな? ウマ娘の夢を支えられるトレーナーになりたいって。ウマ娘の夢を叶えるために人生を捧げられるトレーナーになりたいって。今のお前はどうなんだよ?」
その言葉に、俺は怒りを覚えた。そんなことは百も承知だった。無力な俺ができることは、ライスシャワーに押しつけることなくできることは、もう何もない。
「まだわからねえようだな」
「……何がですか?」
「お前はまだ中途半端なんだよ。お前はライスシャワーの気持ちを尊重しているだけだ。そんなんじゃ、ただ夢を見させてもらっているだけのファンと変わりねえ」
ウマ娘とぶつかり合う時と同じ、力強い目で先輩は俺の目を見る。思わず怯んでしまうほどに、強さを感じる瞳だった。
「お前はトレーナーなんだよ! トレーナーはウマ娘の夢を叶えるための方法を考えると同時に、夢を見失ったウマ娘にもう一度夢を見させる存在なんだ! そのために、自分のエゴをウマ娘にぶつけて、
普段以上に大きく見える先輩を見上げる。もう目を開けていられなかった。
「お前は最初っから頭で考えすぎなんだよ。もっとお前の心を信じてやれ。自分が選んだライスシャワーの強さを信じてやれ。きっとライスシャワーも応えてくれるから」
先輩の言葉に、俺は本当に久しぶりに涙を流した。
⭐︎
泣いた後の世界はいつもより瑞々しく感じられた。十一月の太陽も、寂れた病院も、すべての色が鮮やかで、世界が丸ごと洗い流されたかのような透明感だった。
「俺はもう、お前の先輩でもなんでもねえからな」
「え?」
「もう、相談に乗ってやることはねえってことだ。きっと答えはもうお前の中にあるからな」
「……ありがとうございました!」
俺は去っていく元先輩、ライスシャワーのライバルを育てるトレーナーへ頭を下げた。
あの人に教わったことはすべて、心がけだった。そして、今日、最後に俺がどんなに努力しても気づくことができなかったものを教えてくれたその人に、もう一度ライスシャワーが勝つ場面を見せることを誓う。
ライスシャワーの夢を、ライスシャワーが夢を叶えるところが見たいという俺の夢を、
「俺はようやく
言葉にして、深呼吸をし、俺はミホノブルボンの病室へ向かう。すでにライスは病室から出るところだったようで、俺はミホノブルボンに挨拶をして帰ることにした。
「ライスさんのマスター」
「もう大丈夫だ」
その言葉に、ミホノブルボンは微笑をもって返事としてくれた。
そして、病院を出た俺はライスをカフェ『祭』に誘う。
「お兄さま、ライスのことをライスって」
「ちょっと心境の変化でな。もっとライスと近づきたいと思ったんだ。ダメだったか?」
「ううん。大丈夫、嬉しいよ」
少し顔を赤くして、わちゃわちゃとするライスに和みながら、祭へ着く。
「マスター! またしばらく貸切で!」
「お、お兄さま⁉︎」
慌てるライスを無視して、マスターを見るとため息をついていた。
「お前は、ここをどこだと思っているんだ」
「俺とライスの憩いの場所」
「てめえらだけの場所じゃねえ!」
「冗談を。いつも俺らしかいねえじゃんか。……なんでだ?」
「そんなん、俺が知りてえわ。まあ、金には困ってねえけどな」
「なら、いいってことだな。本当、いつもありがとうな」
「わかったよ」
またため息をつきながら、マスターは看板をクローズにしてくれる。
「注文はいつものでいいな?」
「ああ。俺はアイスココアを、ライスには専用のコースを頼む」
「了解だ」
もはや常連となった俺とライスには決まったメニューをマスターは用意してくれた。それを注文して、俺はライスと向き合う。
「さっそくなんだが、来年の春の天皇賞に出てくれないか?」
「お、お兄さま、それは」
わかりやすく動揺するライスに俺はうなずく。
「メジロマックイーンの三連覇がかかったレースだ」
「そ、そんな大切なレースに、出れないよ。勝てたとしてもまた」
うつむいてしまうライスの両手を俺は包むように握る。
「それでも、俺は春天で勝つライスが見たいんだ。俺が育てたライスは、あのマックイーンにだって勝てるんだって知らしめたい。そして、今度こそ、ライスの夢が叶う光景が見たいんだ」
「お兄さま……」
しかし、俺の言葉があってもライスはまだ震えていた。だから、俺はまだ言葉を尽くす。
「本当はな、誰かの気持ちがわかるなんて言いたくなかったんだけどな。きっとその人じゃないとわからないことがあると思っていたから。でも、今ようやく、それは線を引いていたからだって、わかったよ」
俺は弱々しいライスの瞳を見つめた。俺の瞳に宿る炎が、どうかライスの瞳に宿りますように、と強く想った。
「ライスが怖いと思うのもわかっている。でも、ライスの恐怖は自分が夢を叶えられるだけの力を持っている証拠で、誰かの夢を摘んでしまうと理解している心の優しさの証拠なんだ。だから今こそ、夢を叶えよう。レースを見てくれるすべての人に新しい夢を見させて、そして、笑顔になってもらおう。そのために、ライスを支えさせてくれ。夢の道筋を考えさせてくれ」
そして、俺は笑った。もう不安にさせないように。またライスが笑顔になってくれるように。
「……また、逃げちゃうかもしれないよ?」
小さな声だった。それでも十分だった。だって、その言葉は火種だからだ。
だから俺はもっと強く燃え盛るように、信頼を伝える。
「俺はライスを信じているよ。ライスはもう逃げないって、逃げないでいられる心の強さを持っているって」
次に顔を上げたライスは今日見た風景以上に眩しい、涙が滲んだ笑顔だった。
「ライス、走るよ。みんなを、お兄さまを幸せにしたいから」
俺はまた泣いた。ライスと一緒に笑顔で泣いて、マスターが持ってきてくれた料理に添えられたメッセージにまた泣いて、祭を後にした。
「明日から頑張ろうな」
「うん!」
ライスと一緒に帰る夜道では、新月だったこともあって留紺色の空に浮かぶ星々がよく見えて綺麗だった。
なんだかんだとすぐに更新できましたね。この調子なら、GW中にもう一話くらいいけるか?
さて、ちょっと自分本来の文体を出しすぎたような気もしないではないですが、まだそこまでかな?
あまり変わりなく読んでいただけたのなら、よかったです。
改めて、感想をくれる方、お気に入り登録をしてくださる方、ありがとうございます。でも、感想もお気に入り登録も、そして評価も、もっとくれてもいいのよ?
というわけで、これからもどうかよろしくお願いいたします。