ブルーローズをそばにおく   作:蒼月柊

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第八話 淀の花折れる

 昨年と同じように、俺とライスは早朝の京都を散策していた。互いの手をかたく握り、少し暑いくらいだった。

 

「次のレースはどうしようか」

 

「お兄さまが選んだところなら、どこでも大丈夫だよ」

 

 ライスからの信頼はとても温かく感じる。だから、ぜひとも次は宝塚記念に出て欲しかった。

 

 有マ記念に出ることができたのだから、おそらく大丈夫だとは思うが今は祈ることしかできない。

 

「もし、出ることができるのなら、宝塚記念を走って欲しいと思っている」

 

「ライス、出られるかな」

 

「大丈夫だと思うから、ぜひライスにはレースに向けて準備をしていて欲しい」

 

「わかったよ」

 

 ようやく顔を出してきた太陽を目にして、俺とライスは宿泊していたホテルへ戻ろうとする。

 

「お兄さま、今日は帰る前に清水寺へ寄ってもいい?」

 

 ライスのお願いは特に問題がないように思えたので、許可を出す。せっかくなので、俺も着いていくことにした。

 

 ホテルのチェックアウトを済ませ、俺とライスは清水寺を訪ねる。するとライスが少し別行動をしたいというので、俺は近くでお堂を見ることにした。

 

 しばらくして帰ってきたライスは少し上機嫌だった。ただ、何があったのかを聞いても教えてはくれなかったが。

 

 それから一ヶ月が過ぎた頃、俺はトレーナー室で宝塚記念についての連絡を受け取った。

 

 どうやらファン投票で一位だったようだ。そのことをライスに伝えると、とても喜んでくれた。

 

「これは負けられないな」

 

「うん。がんばるぞーおー!」

 

 それからは、宝塚記念へ向けてトレーニングを行っていく。特にいつもの阪神レース場ではなく、京都レース場というライスにとっては縁の深い場所での開催だ。あまりこういう言葉を使うのもアレだが、まさにライスのためのレースのように思えた。

 

 そうして、宝塚記念の当日を迎える。

 

     ⭐︎

 

 大安の今日は朝からやけに静かだった。小鳥の囀りも、風に揺れる木々のさざめきも、自然からの音はなかった。

 

 そして、ライスの瞳もどこか遠い場所を見ているような、水鏡のような静けさを湛えていた。

 

 普段であれば、交わされる言葉もあまりない。俺は、何かがつっかえたように言葉が出てこなかった。

 

「お兄さま、勝ってくるね」

 

 そう言ったライスの表情に弱さも強さも感じられなかった。ただ、あるがままを受け入れる境地にあるように感じられる。

 

「ライス、無理はしないで勝ってこい」

 

「うん」

 

 にっこりと笑った表情を残して、ライスはターフへ向かった。

 

 俺は言語化できない違和感と不安に心を占められていた。その心境を見ないように、太陽の下へ出る。

 

 満員のスタンドからは大きな声援が投げられていた。その声援へウマ娘たちは手を振ったり、言葉を返したり、各々のやり方で応えている。

 

 ライスも手を振り、ゲートインを待つ。

 

 軽くアップをくりかえして、ライスはゲートへ入った。他のウマ娘たちもゲートの中で出走を待つ。

 

 そして、いよいよゲートは開かれた。

 

 スタートは全員が綺麗に切る。ライスはやはりあまり調子がよくないのか後方からだった。

 

 しかしレースは進んでいく。先頭は変わらずに、ペースを速めていった。他の子も追い縋っていく。ライスも前へ出ようとしていた。

 

 そして第三コーナーへ差し掛かる。ライスはここぞとばかりにしかけていくが、その体勢はじゃっかん崩れたように見えた。

 

 その表情は歪んでいて、どこか痛めたのかもしれない。

 

 それでもライスは走った。歯を食いしばって、もはや呼吸をしていない。鬼気迫る表情は、流れていく瞳がそう見せるのか、青い気が宿っているようだった。

 

 一秒一秒が永く感じる。早く終わってくれと祈ってしまう。それでも、ライスはどんどん前へ行き、ついに先頭へ立った。

 

 残り直線百メートル。俺はいても立ってもいられない。しかし、ライスの邪魔をするわけにもいかない。ただ声をあげることしかできないが、それでも声を振り絞った。

 

 その声が届いたのか、ライスは俺へ微笑んだような気がした。

 

 そして、ゴールの線を過ぎる。ライスは減速することもできず、その勢いのまま前へ倒れた。

 

「ライス!」

 

 俺はターフへ入り、ライスのもとへ急ぐ。担架と救急車を叫び、ようやく実況もライスに故障が発生していることに気づく。

 

 俺はライスを抱き抱え、意識を確認する。

 

「おい、大丈夫か!」

 

 その言葉に、ライスはまた笑った。

 

「えへへ、お兄さまだ」

 

「脚は、脚は大丈夫なのか⁉︎」

 

「ごめんね、お兄さま。どうしても勝ちたかったんだ」

 

 ライスのニーハイソックスには血が滲んでいた。

 

「ライスはね、どうしてもお兄さまに喜んで欲しかったんだ」

 

「もう喋らなくていいから」

 

「どうだったかな? ライスは勝てたかな? みんなは笑顔になってくれたかな? お兄さまは喜んでくれたかな?」

 

「ああ! ライスが一番だ! みんな喜んでいる! 俺も嬉しい。だから、もう喋らないでくれよ」

 

「そっか……よかった。ライスは、みんなを、笑顔に……」

 

 その言葉を最後に、ライスは目を瞑った。

 

「おい! ライス! 目を閉じるな! ライス!」

 

 近づいてくる救急車と人の気配にすら、俺は気を配ることもできずにライスへ呼びかけ続けた。

 

 そのままライスは病院へ運ばれる。俺も付き添いで救急車へ乗った。

 

 病院へ着くと、すぐに緊急処置が施される。俺はじっと手術中という赤いランプを見続けた。

 

     ⭐︎

 

 何時間が経っただろう。もう日は暮れているようだった。まだランプは点いたままだ。

 

 しかし、ついにランプが消えた。出てくる医者へ俺は詰め寄った。

 

「ライスは、ライスシャワーはどうですか?」

 

「一命は取り留めました」

 

 その言葉に、俺は一気に力が抜けてしまう。地面へ座り込んだ俺に医者は膝を折って、目線を合わせてくれた。

 

「ひとまず、状況を説明しますので立ってください」

 

 医者が伸ばした手を取って、俺はライスが運ばれた病室へ移動した。

 

 病室で眠っているライスはとても安らいだ表情をしていた。その表情を傍目に、医者は状況を説明してくれた。

 

「診断としては、左足首の開放脱臼及び左脚の粉砕骨折、となります。リハビリで歩くことはできるようになるとは思いますが、レースは不可能でしょう。歩くためのリハビリも尋常ではない苦痛があるはずです」

 

 先ほど気が抜けてしまったせいか、その診断を俺は平常心で聞くことができた。

 

 その後も多くの説明を受けたが、どこか夢心地だった。医者はそんな俺に気を遣ってか、説明してくれた内容を記した紙のコピーをくれた。

 

 そして、俺とライス以外にはいなくなった病室で、俺は窓の外を見ていた。曇っているようで星も月も見えてこないが、街灯のおかげで木々の揺らぐ様子は見えた。

 

 夜の明かりがライスの顔を照らす。その光のおかげか、ライスのまぶたが動いた。

 

「ライス!」

 

 俺はライスへ呼びかける。その声に応えるように、ライスは目をゆっくり開けた。

 

「お兄、さま?」

 

「ああ! ライス、俺だ。俺がわかるか?」

 

「わかる、よ。だって、ライスの、お兄さま、だもん」

 

 少しぎこちなくライスは笑ってくれた。その表情に、俺は涙を滲ませながらどうにか笑顔をライスへ見せた。




この作品では、上記の結末と相成りました。
当時の心境を、まだ産まれてもいなかった私が勝手に語るのは烏滸がましいにも程がありますが、ライスシャワーはやっぱり勝ちたかったんだと思うんです。(もちろん、勝ちたくない馬も関係者もいないのですが)
なので、史実を踏襲している当作品であっても、ラストランとなる宝塚記念はフィクション作品という立場を活かして、ウマ娘「ライスシャワー」が一着を取るというものにしました。
史実の第36回宝塚記念に参加した関係者の方々には失礼かと存じますが、フィクション作品のIFということでご容赦いただければと思います。

さて、いよいよ次話が第一部の最終話となります。
史実要素が比較的強かった第一部とは打って変わり、第二部からはフィクション要素や私のウマ娘「ライスシャワー」像が強くなっていく予定です。
これからも読んでいただけますと幸いです。

また、感想もお気に入り登録も評価も読んでくださった方も、本当にありがとうございます。
UAが増えるだけで喜んでおりますので、ぜひこれからもよろしくお願いいたします。

それでは、また次回で。
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