奇怪!ターフを駆けるサメ 作:ジョーズ・ブルーネード
俺には今年で5歳になる弟がいた。
反抗期も碌になく、俺や親父によく懐いた可愛い盛りの弟だ。
昔っからおとうちゃんやにいちゃんと一緒に漁師になるって言って聞かねえ、可愛い可愛い俺の弟。
5歳になったら遠洋まで連れてってやるからな、って親父が漁師デビューの日を告げてやってからは、毎日「まだかな!?」なんて指折り数えてる、素直で可愛い弟だった。
慣らしで何度か近海に連れてってやった時も、目をキラキラさせて、俺たちみたいな漁師になりたいって言うもんだ、可愛いったりゃありゃしない。
え?可愛いしか言ってないって?
あんたもこのぐらいの弟を持てばわかるよ。
親父やお袋と違って、育児でヒイヒイ言ってねえ兄貴なんざ気楽なもんだ。
ただ毎日、漁から帰って遊び相手になってやりゃいい、いわゆるいいとこ取りってやつだ。
半人前の俺の仕事なんて、たったそれだけ。
つまり、兄貴万歳。
んで、今日がその弟の……蒼太の記念すべき漁師デビューの日だったんだがね。
直前まで、綺麗な晴天だったくせに。
その日に限って、稀に見るほどの大時化で……俺たち親子も、揃って死を覚悟する程だった。
「蒼太、今助けてやるからなぁ!」
「にいちゃ、たす、助けてっ……!!」
大時化の前に、親子揃って操舵室へと逃げ込んだまではいいが、よりにもよって外とを繋ぐ扉にガタが来てて……揺れとともにガタリと開いて、船体が後ろに傾いた拍子、体重の軽い弟は外へと投げ出された。
激しい揺れと波が襲う中、這いつくばって外に出てみれば……俺の愛しい弟は、蒼太は辛うじて船のへりにしがみついていた。
火事場の馬鹿力というやつか、同年代のちみっ子どもと比べれば力自慢の弟でも、本来この揺れの中、腕だけで船から振り落とされずにいることなんて出来ないだろう。
だが健気な蒼太は、それでもまだ、必死に自分の手で、生にしがみついていた。
それを見て俺は、救わねば、と心の底から奮い立った。
絶望もショックも心の端へ追いやって、俺は荒れた甲板の上に躍り出た。
親父は操船にかかりっきりで、助けになんか来れやしない。
むしろ、ちょっとでも気を逸らして舵を切り損なえば、俺たち三人揃って海の藻屑になるのは間違いないだろう。
だから、蒼太を助けられるのは俺だけだ!
「蒼太!蒼太ッーー!!!」
必死にあいつの名前を呼ぶ。
振り落とされないよう、這いつくばったまま、だが急いで手すりになりそうなものを伝って距離を詰める。
俺の手が届く前に集中力が切れたら、あいつは死んでしまう。
この嵐の中、海に落ちて生き残れるほど人間ってやつは頑丈じゃない。
俺も、蒼太もだ。
「……にいーー……ちゃ……」
「待ってろ、兄ちゃんが、絶対に助けてーーッ!!?」
その時、よりにもよってガタッと大きく船体が揺れた。
目の前で、蒼太の指がはがれて、船の外へーー
「ーーさせるかっ!!!!」
必死のひと伸びだった。
無理やり伸ばした腕が嫌な音を立てたがーーそれで、辛うじて届いた。
届いたなら、腕の一本ぐらいなんだってんだ!
「蒼太ぁぁぁ!!!!」
力一杯蒼太の手首を掴んで、力一杯引き上げる。
そのまま蒼太を抱えて、今度はゆっくり操舵室へと。
「蒼太、よく頑張ったな!……親父、蒼太を抱っこしててくれ!絶対離す……なっ」
がたん、ともう一度揺れた。
あ、死んだな、と思ったよ。
気がついたら、俺の体は甲板へ……まるで雨粒のように叩きつけられていた。
親父に、蒼太を預けた後でよかったーー
「ーーーーーッ!!!!!ーーーーッ……」
親父と弟が何か叫んでいるが、嵐のせいで聴こえやしない。
俺の名前だろうか、きっとそうだろう。
最期のあがきに腕を伸ばそうとしたが……だめだ、脱臼してるわ、これ。
無理やり蒼太の腕を掴んだ時だろうか。
声が遠ざかっていく。
悔しいなぁ、俺はここまでなのか。
蒼太のように船のへりにしがみつけるわけでもなく……俺はそのまま荒れた海へと投げ出された。
まるで走馬灯のように、景色がゆっくりになっていく。
十年近く共に過ごした俺たちの船。
親父との思い出。
初めて船に乗った日ーー
ふっと、我に返った。
周囲はまだ、嵐のままだった。
でも、視界の端に映ったのは、明るみ始めた西の空ーー
あぁ、なんだ。
もうこの嵐は終わるんじゃないかーー
なら……きっと、蒼太も親父も無事だ。
それでこそ、まだ若えのが体を張った甲斐があったってもんよ。
このまま散るとしても、一人の兄として、一人の海の男として……最低限の誇りは果たせただろう。
ゆっくり遠ざかっていく船に、俺はにい、と口角を上げた。
その直後、視界 が 青黒い波に 呑まれ て
俺の意識は、一度そこで途絶えた。
これが、俺のーー
人としての最期の記憶だった。