奇怪!ターフを駆けるサメ 作:ジョーズ・ブルーネード
暗い……ここはどこだ?
何時からこうしていたんだろうか。
俺はずっと暗い、深海の底のようなところで漂っていた。
まるで夢のように……。
まるで何ヶ月も、曖昧な場所で、藻屑のように揺蕩ってーー
そう、漂って……
どしゃり、と体が地面に落とされた。
落とされた、というより置かれた、と言った方が正しいのかもしれない……あと、ついでに何が全身がヌメヌメする。
頭が回らず数分はそのままボーッとしていたが、何かが腹から引っこ抜けられる感覚に、ようやく我に返った。
顔を起こしてしばらくぶりの視界に映ったのは、乾いた草と……超でかい馬!?
思わずきょろきょろ周囲を見渡すと、四方を囲む巨大な壁と、二人の巨人が俺を見下ろしていた。
びっくりして飛び起きようとするが、四つん這いから両手を上げようとすると……こてん、と横に転んでしまった。
「ほら、落ち着いて、頑張れ!今行けそうだったよ!」
体がでかけりゃ声もでかい。
外見は初老のおっちゃん風の巨人だ。
目測だと、5m級か?
いや、そんなにはないか。
「すごいですねこの仔、まだ生まれて10分ぐらいなのに、もう立とうとしてる」
若いあんちゃん風の巨人がそれに相槌を打っている。
気の良さそうなイケメンだ。
俺も昔は、ああいう線の細いイケメンに憧れたもんよ。
漁師やってると、どうしてもいかついゴリラになっちまうがね。
「将来有望だね、さすがノーザンテーストの仔だ」
巨人たちは、高い種付け料払ってまで敢行した甲斐がありましたよーなんて、呑気そうに話をしている。
連中の話はなるべく聞かないようにして、今度は『両手』を上げずに、4本の脚で立つイメージで。
うん、なるほどな。いけたわ。
ついでに、視界に映る自分の『脚』は、間違っても人のそれじゃねえ。
まるで我が子に接するように、嬉しそうな雰囲気で巨大馬が俺に頬擦りをしてきた。
俺って、頭の回転はそこまで鈍くないからなあ。
ここから推測できる事実は、つまりーー
つまりだ。
蒼太、親父……
俺、いつのまにか畜生道に落ちたみたいです。
親より先に逝ったからか?
俺がとんだ親不孝者だというのは心底同意だが、まったく、仏様とやらはずいぶん心が狭いらしい。
いや、仏様じゃなくて世界のルールなのか?
まあ、そんなことはどっちだっていい。
重要なのは、俺が今馬だってことだ。
あれからも、ちょくちょく聞こえる話を整理した感じでは、どうも俺は馬は馬でもサラブレッドというやつらしい。
競走馬というやつだろうか?
人だったころは海一筋だったもんで、競馬なんてのはたまに親父に連れられてった程度だ。
種付け料が高い、って発言を鑑みるにノーザンテーストって馬はいい馬なんだろうが、この牧場が貧乏という線もなくはない。
貧乏……にしては小屋やら壁やらが綺麗すぎる気はするから、たぶん前者なんだろうけども。
正直、競走馬だなんだは完全に無視しても、人間時代の知識やらはほとんどそのまま残ってる感じなもんで、言葉を理解するゴリラとかのお仲間になれば一生芸能馬?とかで食っていけそうな気はする。
ただこの体、この血統に才能があるってんなら、上を目指してみるのも悪くはねえな。
男の子ってやつは、最強だとか、アスリートだとかって言葉に憧れちまう動物なのよ。
今は馬だが。
芸能馬ルートは、やるだけやってダメだったら、ってぐらいに思っておくか。
流石に元人間としても、現馬としても……馬刺しにはなりたくないしな。
そういえば、牧場の職員からは、シロップなんて可愛らしい名前で呼ばれている。
毛色は栗毛だが、額にコーヒーシロップをぶちまけたような白い模様があって、それが命名のタネになったらしい。
海の男に似つかわしくない腑抜けた名前だが、今は可愛らしい仔馬だからな。
甘んじて受け入れるさ。
その代わり、中央デビューするときはかっこいい名前つけてくれよーなんて電波を送ってやる。
名前のかっこよさってやっぱり重要だからなあ。
誰がつけるか知らんが、期待してるからな。
今世のお袋からミルクを頂いてぐうすか寝こける日々だったが、二週もしない間に、俺の最初の放牧が始まった。
折角だから牧草を食み食みしてみたが、こっちを伺ってる調教師?牧場主か?も止める様子はない。
たぶんもう、普通に食っていいんだろうな。
味は不味いが。
人間が離乳食始めるのなんて、最低でも半年はかかるっていうのに。馬の腹のなんと頑丈なことよ。
ミルク離れも半年で行われるらしく、そうなったら食事は草中心になるのか。
正直げんなりしそうだ。
何回目の放牧を境に、他の仔馬と放牧されることも増えてきた。
馬っていうのは基本的に大人しい生き物らしく、この牧場の面々も例には漏れないらしい。
軽くちょっかいをかけても迷惑そうに距離を取られるし、蹴りにきた奴も俺が逃げ回ってると飽きてどこかに行ってしまった。
いずれレースに出るんだ、ガキの頃から鍛えてないと損だろうに。
まあ、そんな先まで知ってるのは俺ぐらいのもんなんだろうけども。
娯楽がねえ、つまんねえとひとりごちる俺だったが、放牧地をぐるっと走っている時に、つい見つけてしまった。
放牧地の端、おそらく人が出入りするための小さな扉だろう。
それが、何時しかの台風で壊れていたらしい。
嵐で壊れた扉、というとあまり良くない思い出が蘇ってくるが、今はむしろ好都合だ。
辛うじてかかっている関はすっかり緩んでいて、馬の体でも、仕組みを知っている俺が開けるのは雑作もないことだった。
バレる前に帰ればいい、そう思った俺は、齢三ヶ月にして、ちょっとした冒険を始めることにした。
つまり、脱走だ。
「シローーーーップ!!!戻ってこい!」
やべえ、バレたと気付いたのは、既に夕暮れ。
近くにいい感じの川を見つけて水浴びを敢行していたのだが、楽しくなってつい時間を忘れてしまっていた。
俺は元々海の男だ。
水とは親和性が高い、川を見たら泳ぎたくなるのも仕方がなかったんだ。
どうかそれで許してくれ。
「いい仔だ、だからそのままこっちに来い、いいね?」
「ブルルッ…………」
連れ戻しに来たのは牧場主……一文字さんというらしい、例の初老のおっちゃんだった。
迷惑をかけたことを内心謝りながら、大人しくお袋の元に送還される俺。
お袋も心配してたらしく、その晩はいつも以上に俺にべったりだった。
色々すまねえ。
メンタルまで若くなってんのか、ワクワクを止められなかったんだ……。
「にしても、シロップは何処から逃げたんだ……?」
なんて、あくる日一文字のおっちゃんたちが首を捻っていたもんだから、放牧の時に壊れた扉まで案内したら、やたらとびっくりしていた。
いや、あんたらが聞いたんやろがい。