泥沼のカーネーション   作:玄武 水滉

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ニンジン農家は甘々なので、ブラックコーヒーです。


あの出会った日に、戻して」

 

 

 一言で言えば絶望だった。

 自分を信じてくれたダイワスカーレット。そんな彼女に向ける顔がない。一番を目指すと言っていた彼女の顔を見れない。

 血の滲むような努力を彼女はしてきた筈だ。何度も弱音を吐いてきた筈だ。

 そして、絶対に勝てる筈だった。

 

 最大の誤算は彼女を信じてやれなかった事だ。

 先頭を見据えながらチャンスを窺えと言った自分に対して、スカーレットは逃げると返した。それが彼女の自身であり、直感でもあった。

 だが、先行でなければ勝てない。共に走るウマ娘のデータ。そして様々な条件を加味した結果、そう判断した。

 結論から言えば、レース前という重要な時にスカーレットと喧嘩した。大声で言い合い、涙ながらに時間だからと出て行くスカーレットの背中を見て、初めてそれが間違いだと分かった。

 

 スカーレットは先行で走った。

 だが、思った以上に後ろとの差を開けられなかった。その結果、差し込まれ、追い上げられ、惨敗という言葉が似合う結果になってしまった。

 あの時逃げていれば、他に比べて力のなかったスカーレットを逃げさせていれば、類を見ない速さで駆け抜けていっただろう。

 競り合いに負けた時の絶望的な表情。無敗という偉業が音を立てて崩れ去った時、スカーレットの恨む様な瞳が目に入った。

 

 あれは自分を見ていない。その筈なのに、気が付けばそれにひたすら頭を下げていた。

 

 俺が悪いんだ。俺のせいだと。

 だが、時間は巻き戻らない。

 

 それからスカーレットがトレーナーを変えて欲しいと言っていたと学園側から一報が入った。

 はっきり言って嬉しかった。この苦しみから逃げられるような気がした。二つ返事で了承した自分を、会長のシンボリルドルフは醜い物を見る目で見ていた。

 元トレーナーとは信じられない。深く突き刺さったその言葉は、最後まで自分を苦しめた。

 

 逃げる様にトレセン学園に辞表を出し、地元へ帰った。

 

 大した友達もいなく、必死に勉強してきたので資格などない。トレーナーになる気も既に失せていた。

 貯金を切り崩し、荒れた毎日を暮らし。

 

『なぁ、アンタ。後悔してないかい?』

 

 そんな『悪魔』と出会ったのはそんな頃だった。

 裏路地に酒缶片手にもたれかかっていた自分に声をかけたのはとある『悪魔』だった。今では姿形は覚えていない。ただ、初見で悪魔だと思った事。そして目の前の奴が『悪魔』と名乗った事。それだけは覚えていた。

 

「後悔……? さぁ、どうだか」

 

『嘘は良くないぜ旦那。後悔って言った瞬間の顔、自分で見てみるかい?』

 

 手鏡を差し出した『悪魔』。覗いてみると、鏡の中の自分は唇を噛んでいた。鮮血が地面に流れて川を作る。滲んだ悔しさがどんどん流れてゆく。

 

『ヒャッハッハ!!!! そんな表情しておいて後悔はないだってぇ? 馬鹿でももう少し上手い嘘つくぜ?』

 

「……んで今頃なんだよ……」

 

『あぁ? そりゃあ決まってんだろ。これが走馬灯だからさ』

 

「走馬灯?」

 

『今まで起きた事。全て思い出して総精算さ。なぁに、返し切れねぇ借金は悪魔にお任せよ』

 

『悪魔』の言っている意味が分からない。

 

「何を、言っているんだ」

 

『もう一度。いや、何度でも。やり直したくはないかい? お前の人生だ、後悔しかないだろう』

 

 にやにやと笑っているのだけは分かる。

 三日月の様に裂かれた口を押さえながら『悪魔』は、けたゝましく笑った。

 赤い口の奥に、囀る絶望を添えて『悪魔』は言葉を続ける。

 

『悪魔と言えば契約だ。お前が気に食わない、違うなって思った時。契約していれば、想えば何度でも時間を巻き戻せる』

 

「何度でも?」

 

『あぁ、勿論さ。悪魔は太っ腹だからな』

 

「なら──

 

『その代わり』

 

『悪魔』はチッチッチと人差し指をゆらゆらさせて、言葉を遮った。

 悪魔は甘くないぜ? そんな言葉の後に、『悪魔』は『悪魔』を初めて見せた。

 

『お前の願い事が叶った時。お前の命を貰うぜ』

 

「願い事?」

 

『あぁ。何度でも繰り返すという行為の裏には、必ず成し遂げたい事がある筈だ。それを叶えて戻して、じゃあ次のやりたい事〜とか、甘過ぎるだろ』

 

 なるほどと思う。

 彼が『悪魔』と名乗る理由がやっと分かった気がする。

 目の前のハイリスクハイリターン。いや、叶えなければ無限の命に等しい。そうだ、叶えなければ良いんだ。

 そう思って思案すると、同時に言葉が漏れ出た。

 

「スカーレットを無敗のウマ娘にしたい」

 

『ほぉ、良い表情するじゃねぇか旦那。漏れ出てるぜ? 欲望って奴が、一銭にもならない夢って奴が!』

 

「あ……れ? いや、俺……」

 

『そこで否定するのは違うぜ? 言葉が出てこないのは、己が己を肯定している証拠さ』

 

 そうだ、俺はスカーレットを無敗のウマ娘にする為に彼女の専属トレーナーになったんだ。

 忘れていた出会った頃。勝った時の喜び。そして危なげなかった時に不安。全てが蘇る。

 そうだ、俺は。

 

「彼女を一番にしたかったんだ」

 

『よぉおし! 契約成立でいいか?』

 

「……あぁ、覚悟は決まったよ」

 

『いい顔するじゃねぇか! そんじゃあお前に時戻しの力をやる。願えば時を戻せる優れモンだ。更に、何回時を戻したって、旦那が以前と全く同じ行動をすれば、何回でも同じ時間を繰り返せるぜ? 考え事したい時とかに便利だな!』

 

 なるほど。

『悪魔』は笑っている。

 契約と言うと、『悪魔』は俺の手を握った。

 温かい炎に包まれ、力が伝わってくる。

 

『そんじゃあな! 特別サービスに、旦那が戻りたい頃に戻しておいてやるよ! もう旦那死ぬしな。死んだら時戻しは使えないから注意しろよ!』

 

「そうなのか。『悪魔』にしては親切なんだな」

 

『おうとも! 契約取れないと大変だからな〜って時間ねぇや。ほら、旦那! 早く!』

 

「そうだな……」

 

 考える振りなんてしてみたが、戻る日なんて一択だ。

 

 

「俺を──

 

 

 

 

 

 

 ー

 

 

 

 

 

 

 

 ウオッカに無理を言い、一人にしてもらった。

 今日はあの人が学園を去る日。

 アタシがトレーナーを変えてくれと言って直ぐに、辞めるとの知らせが耳に入った。

 悔しかった。

 彼はエリートトレーナーであった。実績もある。人も良く、何度も彼の隣で笑った。

 でも、もうその日は来ない。アタシから逃げる様に、彼はいなくなった。

 あの日、トレーナーを信じたのはアタシだ。自分の直感が警報を出しても、信じた。彼を信じるのはアタシにしか出来なかったから。

 

 その結果、惨敗した。今まで一位しか取ったことのないアタシの惨敗。世間も驚いたし、当然アタシも驚いた。

 気が付いた時には泣いていた。無敗という夢。パーフェクトの夢は途切れた。

 

 それから練習に身も入らなくなり、自室で籠る事も増えた。

 新しいトレーナーは優しかったけど、アタシのトレーナーは彼しかいない。

 負けた事も悔しかった。ただ、彼がいなくなったのが、想像以上にアタシの心に来ていた。

 

 もうミスパーフェクトの面影はない。ボロボロの肌に酷い髪の毛。もうそろそろ追い出されるらしい。

 最後まで気を遣ってくれたウオッカには申し訳ないが、アタシに頑張る気力はない。

 

『なんか陰気くさい顔してるなお嬢ちゃん!!』

 

 そんな時、アタシの前に『悪魔』が現れた。

 姿形は覚えていないけど、アタシはただそれを『悪魔』と認識していた。

 

「何よ……」

 

『そんな人を殺す様な目で見られてもなぁ〜今回は上手い話を持ってきてやったってのに』

 

「上手い話?」

 

『おうとも! お嬢ちゃん、大分後悔しているねぇ』

 

「煩い……アンタに何が分かるのよ」

 

 煩わしい。

 後悔なんて当たり前だ。もっと簡単な話だった。アタシが勝てていれば、彼はいなくならなかった。それだけ、たったそれだけ。

 

『でもさ、それ。後悔したままでいいのか?』

 

「だったらどうしたら良いのよ。もうあの日々は戻ってこない。もう彼も戻ってこないじゃないッッ!!!!!」

 

『そーんな時に悪魔の出番って事よ! お嬢ちゃんには因果を歪める力でもあげようかな!』

 

「いん……?」

 

 この『悪魔』はなんと言ったのだ。因果? 

 

『そうさ。因果、原因と結果からなるもんだな。この力を使えばあら不思議! 原因も結果も歪められる。思い通りになる! なぁすっごいだろ?』

 

「でも、今更……」

 

『今ならなんと大サービス! 力を受け取れば、お嬢ちゃんのお好きな時間まで、この悪魔サマが戻してしんぜよーう!』

 

「何ですって……?」

 

 時間を、戻す? 

 それはつまり彼がいた頃のトレセン学園に戻るって事? 

 それが本当ならば、縋るしかない。

 

『本当さ! ただ力には勿論デメリットもある。悪魔だからな』

 

「何よ」

 

『おおう、怖いねぇ〜。簡単に言えば夢が叶った時、お嬢ちゃんの命を貰ってだけだ。どうだ、悪くないだろう?』

 

「夢……」

 

 夢、アタシの夢。ずっと一番になること。

 でも、命を失うのは嫌だ。それにもうあの人が、トレーナーがいなくなるなんて嫌だ。

 

「無敗のウマ娘になる事」

 

『いいねぇ〜そんじゃ契約成立だ!』

 

 この力が有ればきっと夢を叶えずに終われる。結果を変え続ければ、アタシはずっと一緒にいられる。最初から一位を目指さなければ、トレーナーは負けてもいなくならない。そうだ、それが良いじゃない。

 悪くない契約だと思い、『悪魔』の手を握った。

 冷たい炎がアタシを包む。ぞわりとした力が籠る。

 

『よし、そんじゃサービスの時間だ! いつに戻してもらいたい?』

 

 そんなの一択に決まってるじゃない。

 

「アタシを──

 

 

 





ありがとうございました。
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