レミリアの奇妙な冒険 作:龍桂
懐かしい声。あの日、ふいと陽炎のようにいなくなって、二度と会うことはないだろうと思っていた彼女―レミリアが馬車から降りて挨拶したとき、ジョナサンの心には言い表しきれないほどの多くの感情が押し寄せてきた。驚き。疑問。喜び。最も割合が大きかったのは、安堵だった。
「よかった……君もあの屋敷から生き延びていたのか」
「ええ。私も貴方の顔が見られて嬉しいわ」
ふわりと笑った彼女は、あのディオと死闘を繰り広げていたとは思えない、無邪気な少女に見えた。しかしジョナサンが無意識に一歩を踏み出したとき、ツェペリが彼の肩をつかんで引きとめた。
「待て、ジョジョ。彼女が…お前の言っていた、ディオと闘っていた吸血鬼か?」
「ええ。でも彼女は人を殺してはいない。血を吸われた者も逃がしてるじゃありませんか」
「じゃあ、
そう言われて、はっとした。ディオは警官たちを殺して、ゾンビを作っていたのだ。血を吸われて抜け殻となった者に吸血鬼のエキスを入れて。つまり、レミリアのそばにいるゾンビは、彼女に吸血され、殺された人間の成れの果てに違いないのである。
「吸血鬼に心を許しちゃあいけない。石仮面をかぶったら、肉親にさえ平気で襲いかかる。今までは目立たないために殺さなかったのだと思うが」
「レミリア。君は……その人を殺したのか?」
そう訊くと、レミリアはあっけらかんと答えた。
「ええ。血を吸いつくした後、下僕にしたわ」
「なぜ殺したんだ? 君は僕を助けてくれたのに」
「少なくとも私はこいつを殺してもいい人間だと思ったから。貴方は気に入っていたから。シンプルでしょう?」
途端に、ジョナサンはレミリアとの距離が急に離れてしまったように感じた。ジョナサンの見てきた彼女の優しさの裏には、悪魔の顔があったのだ。心臓に杭を打ち込まれたような気分だった。
「君は……君は取り返しのつかないことをしたんだ。ディオとやっていることは同じだ」
「そんなことは知っているわ。人の命を貰わなくてはならない身となった私にはもう取り返しがつかないの。400年も前からね」
ジョナサンが目をみはると、レミリアは何かを思い出したようにぽんと手を打った。
「そういえば、私が石仮面をかぶった経緯を教えてあげる約束だったわね。……まあ、くだらない話よ。貴方の曽祖父が生まれるよりもずっと前が、私の
そして私が妹と遊んでいるときに仮面の力を誤って使ってしまって。一緒に暮らしてた貴方ならわかると思うけど、まともな生活は送れなくなったわね。それなのに時間だけはあるから、人間たちに石を投げられないようにあちこちを旅してた。ずっとこの調子。ふふ、面白いでしょう?」
自嘲気味に答えたレミリアを、ジョナサンは責めることができなかった。彼女の言葉の裏には、人間でなくなったことへの無限の後悔と悲嘆が隠れているように見えたのである。
立ち尽くすジョナサンの前に、ツェペリが進み出た。
「お嬢さん。確かにあんたは望んで吸血鬼になったわけではないようだが、人が死んでいる以上、無視することはできん」
こおお、と波紋を練るときに発せられる、独特な呼吸音がツェペリの喉から聞こえてきた。完全に闘る気だ。しかし一方、レミリアはツェペリが迫ってきても全く防御する気配を見せず、くるりと後ろを向き、馬車に入ろうとする。
(……そうか、彼女はツェペリさんの力を知らないんだ!)
ただの蹴りならレミリアにダメージはないだろう。しかし波紋による蹴りは、彼女の回復力をもってしても、致命傷になりうる。
「仙道波蹴ーッ!」
一陣の風が吹いた。
避けろ、という間もなく、ツェペリの蹴りがレミリアの後頭部に炸裂した――かに見えた。が、高く振り上げられたその足は、割り込んできた第三者の腕によって受け止められていた。
「お嬢様。なんでご自分で何とかしないんですか?」
「貴方が来るのがなんとなく分かっていたから」
紅美鈴。あの日、ジョースター邸にいた中国人二人組のうち一人だった。そして、蹴りを受け止めた美鈴の腕がまばゆい光を発したかと思うと、ツェペリは吹き飛ばされた。
「これは……まさか、あんさんも波紋使いか」
ツェペリは危なげなく着地すると、美鈴を見据えた。どうやら、反発する波紋によって磁石のN極とN極、S極とS極のように、ツェペリを跳ね除けたらしい。美鈴はそれには答えず、黙って中国の拳法らしき構えを取っている。
「ツェペリさん、波紋を練って平気ってことは、彼女は」
「ああ……おそらく紅美鈴は波紋使いであり、人間だ」
彼女がゾンビであれば波紋の呼吸をした瞬間に内部から体が崩れて死ぬはずである。そうならないということは、美鈴は彼女の意思で吸血鬼であるレミリアに従っているということになるのだ。
「なんで吸血鬼をかばうんだ!テメーッ!」
スピードワゴンの問いに、美鈴は苦笑しながら答えた。
「裏町をしきる貴方ならわかると思うんですがね。食いっぱぐれないためですよ」
そう言うと美鈴は地面を蹴って後方へと跳躍し、馬車の上へ着地した。そのときにはすでにレミリアは馬車の中に入っており、ジャックも御者台に乗り鞭を持っていた。
「必ず占いが当たるかはわからないけど……ジャック、目的地はウインドナイツロットよ。ディオもきっとそこにいる」
乾いた鞭の音がした。馬のいななきとともに馬車が動き始める。どうやら馬もゾンビになっているらしく、全身から血をにじませながら力強く蹄を鳴らす。
レミリアは馬車の窓から赤い目を光らせ、射すくめるような視線をこちらに送っていた。
「Mr.ツェペリ、スピードワゴン。私、あなたたちには甘くないわよ。あくまでも私を殺す気なら、それ相応の対応をさせていただくわ」
死せる者に御された馬車は瞬く間にその姿を消し、砂塵を残していった。ツェペリはそれを見送るや否や、馬車の方へと駆け始めた。
「……追いかけるぞ、ジョジョ。馬のスピードは違うが、目的地は同じだ」
「たぶん、目的も同じだと思います。どうやって居場所を突き止めたのかは知りませんが、彼女はディオを倒すつもりです」
「そうだな。……吸血鬼同士で闘ってくれるとは、ラッキーなことだ。わしらは残った方とやればよいというわけだからな」
その答えを聞いて、ジョナサンは黙った。ツェペリはレミリアを倒すべき敵だと認識しているらしい。しかし、彼女の悪魔のような一面を見てもなお、本当にレミリアは倒すべき相手なのか、と思ってしまうのである。
ジョナサンとのおしゃべりで屈託なく笑っていた彼女の姿を思い出した。どちらが彼女の本性なのだろう。あるいは、両方―
「ジョースターさん、早く乗って下せえ! 出発します」
思考の沼に沈みかけたジョナサンは、スピードワゴンの言葉によって現実世界へと引き戻された。
「ああ、今行く」
(……いや、今はやるべきことをやるだけだ。ウインドナイツロット……そこで、ディオとレミリアを探すことを考えるべきだ)
最後にジョナサンが乗り込むと、レミリアの残した轍をなぞるように、馬車は走り出した。
食物連鎖。人間は本来その頂点に座している。人間自身が不遜にも万物の霊長を自称するのも、その自信から来るものなのだろう。しかし、頂点のさらに上に、「例外」―ディオという吸血鬼がいることは、人類のほとんどが知らない。
暗がりの中、女が横たわっていた。顔は真っ青で目は一切瞬かない。すでに命は絶えていた。
その傍らにたたずむ男―ディオは生命を吸いつくした抜け殻から目を離し、唇の端についていた血を拭った。
「やはり、生命を吸えば吸うほど力がみなぎる……あの時よりもはるかにな」
ディオは、屋敷での戦いのことを思い出した。激しい炎と、レミリアとの熾烈な闘い。あれで生き残ったのは幸運というべきか。生き埋めになった後に欲深なワンチェンが来なかったら、何かのはずみで太陽に当たっていたら、間違いなく死んでいた。
とはいえ、幸運だったのはディオだけではなかったらしく、レミリアの方も生き残っていた。ワンチェンに美鈴という女を捕獲させに行ったとき、その家にいたという。おそらくディオと同じように美鈴に助けられたのだろう。
ちなみにジョナサンの方にもワンチェンをけしかけて撃退されているので、二人ともディオが生きていることを知ってしまった。もともと石仮面の正体を知ったジョナサンとレミリアは生かしておくつもりはなかったが、ますます彼らを消す必要がでてきたのである。
「傷を癒したら……このディオが直々に惨殺処刑してやろう」
そうつぶやいたとき、扉を開けて女が入ってきた。寝起きなのか、ナイトガウンを羽織って紫水晶のような瞳をこすりながらディオの足元にころがる死体を見た。
「……ディオ、また殺したの?」
「ノーレッジか」
彼女はこの屋敷の先住者にして唯一の生者だった。ひどい喘息もちで、ロンドンの工場の煙に悩まされてこの田舎町に移り住んできたのだという。
ディオがなぜ、
そして2つ目は、彼女がゾンビにならずともディオに協力的だからである。研究材料を目の前にぶら下げていればおおむね従順で、しかも彼女のゾンビ研究はそれなりに役に立つ。
「もう、殺すなら言ってくれないと。ゾンビ研究のサンプルがもっと欲しいの」
どうもディオの行為の善悪にはたいして興味がないらしく、ディオの作り出すゾンビについて調べることに夢中らしい。ゾンビ・吸血鬼の生態についての本を作るなどと息巻いており、最近は雪崩が起きそうなほど本を詰め込んだ書斎と実験を行っている地下室以外では彼女を見かけない。
「どうせ今晩にでもこの街はゾンビしかうろつかなくなる。問題はないだろう」
「う~ん、それも困るのよ……ゾンビの内臓を人間に移植した場合にどうなるのかとかもテストしたいし…」
「勝手にやれ。人間の生け捕りくらいお前ならできるだろ」
そう言うと、ノーレッジは「それもそうね」とつぶやき、くるりと踵を返した。しかし、部屋を出ようとする寸前にぴたりと止まり、振り向いた。
「あ、そうだ。言おうと思って忘れてたわ。トンネルで車の行き来を見張ってる奴からゾンビ鴉のメッセージが届いてたわよ。この街に向かって来る馬車があるって。メンバーは、『御者』と、『赤髪の東洋人』と『青髪の少女』彼らも獲物にする?」
赤髪の東洋人は、おそらくワンチェンが殺し損ねたという紅美鈴だろう。そうなると、一緒にいる青髪は―
ディオは薄く笑った。レミリアだ。こちらの居場所を突き止めてこの街に乗り込んできたのだ。おそらく並みのゾンビではかなわないので、ディオ自らが出るしかない―
(いや、もう少し万全を期すか)
力に任せて闘っていた以前と違い、ディオはレミリアを破るべく「気化冷凍法」という技を編み出してはいた。しかし、相手も何らかの奥の手を隠し持っている可能性がある以上、うかつに動くのは得策ではない。ノーレッジとゾンビをぶつけてみるか。
「ノーレッジ。お前に任せた。その3人を殺ってこい。死体はどう使っても構わん」
「……仕方ないわね。タルカスとブラフォードは使ってもいい?」
「ああ」
ディオがそう言うと、ノーレッジは心なしかうきうきとした足取りで階段を降りて行った。確かタルカスとブラフォードは昔の死体をゾンビ化する研究でもっともうまくいった騎士だったか。その強さを試してみようというのだろう。
(まずはお手並み拝見、というところか)
濃密な闇を切り裂くように、駆けゆく馬車があった。乗っているのは波紋使い、ゾンビ、吸血鬼。ゾンビと化した馬は疲れを知らず、ホワイトチャペルから目的地までの距離を休みなしで走破せんとしていた。
「……まあ、これだけ時間があれば十分でしょう」
懐中時計は、23時を指していた。夜明けになればゾンビ馬を走らせるわけにはいかない。早めにつくに越したことはなかった。
「あとはディオがこの街のどこにいるか……ゾンビをたくさん作っていたらわかりやすくていいのだけれど」
「そうですね。ま、今夜中に見つけられそうになかったら日光をしのげそうなところを探しましょう」
美鈴は膝に乗せた袋入りクッキーを一口齧って、ティーカップに口をつけた。レミリアが飲む紅茶とは違う緑の液体が注がれており、馬車の揺れにあわせて波を作っている。ちなみにこの茶を一度飲ませてもらったことがあったが、苦くて飲めたものではなかった。
レミリアが胸の悪くなるような緑茶の苦みを思い出して渋い顔をしていると、美鈴は手持無沙汰だったのか、そういえば、と言っておしゃべりを始めた。
「知ってました? この前教えてもらったんですが、ジャックって娘がいるらしいですよ」
「ふうん、あの殺人鬼に? 貴女、ジャックには近づかないって言ってたのによく知ってるわね」
「お嬢様が血を吸ってる間、暇だったので聞いたんです。母親はもう死んでて、娘と二人暮らしだったそうで。ビックリですよね」
殺人鬼も人間としての生活はあるわけなので、家庭があってもおかしくはない。
「それで何が言いたいの?」
「いえ、その子はどうなるのかなって……」
ジャックがゾンビと化して表向き失踪している今、その娘は養ってくれる親がいないわけだから、孤児院に行くか娼婦になるかのどちらかを選ぶことになるだろう。その程度のことは美鈴でもわかるはずである。
「私への嫌味?……ま、ジャックを殺したことは微塵も後悔してないけど、確かにその子は気の毒ね。信用できそうな娘なら召使いにしてあげようかしら――」
そのとき、すさまじい衝撃が馬車を襲った。美鈴がとっさにドアを蹴破って転がり出て、レミリアも後に続く。
外に出てみると、馬車は巨大な岩の直撃を受けてひしゃげ、数メートル後方に横転していた。ゾンビ馬はわめきながら前に進もうとしているが、背骨を打ち砕かれたのか起きることもままならず、足をむなしく空中を蹴っている。
「あら、これで死ななかったのは予想外。だいぶ正確に命中したと思ったけど」
その声が聞こえた方を見ると、ダウナーな雰囲気の女が立っていた。紫がかった髪はぼさぼさで、目には大きなクマがある。
(ゾンビではないけど、ゾンビみたいな奴ね)
そして女の両脇には、中世の騎士のような恰好をしたゾンビが二人控えていた。一人は筋骨隆々の巨人。もう一人は長い髪を異様に逆立てており、明らかに普通のゾンビとは雰囲気が違う。
「たぶん襲い掛かってきたなら知っていると思うけれど、私はレミリア・スカーレット。そこにいるのが紅美鈴よ。貴方たちのお名前は?」
「……これから殺す者に名前を教える必要があるの?」
女の答えに、レミリアはやれやれと肩をすくめた。
「相手が名乗ったらちゃんと答える。最低限の礼儀だとは思わない? それに貴女の墓を作ろうと思ったときに名前が分からなかったら困るでしょ」
「……パチュリー・ノーレッジ。そこにいる二人はタルカスとブラフォードよ」
それを聞いて、レミリアは少し驚いた。女の名前は知らなかったが、残りの二人の名は聞いたことがある。メアリー・スチュアートの最強の騎士たち。それほど昔の死体をゾンビにできるというのは驚きだった。
「なるほど…ディオも面白い趣向を凝らしてくるわね。……ジャック! 武器を!」
潰れた馬車の残骸からジャックが身を起こした。手には黒金の槍を持っており、主人の姿をみとめると、槍を投げて寄越した。それを受け止め、レミリアは切っ先をパチュリーに向けた。
「……さあ、始めましょうか。生ける……いや、死した伝説との闘いを」