レミリアの奇妙な冒険 作:龍桂
火花が散り、一瞬だけ闇を照らした。鍛え抜かれた黒金ーレミリアの槍と、タルカスの大剣が衝突し、甲高い悲鳴をあげていた。
「……下等なゾンビのくせに、よく私の槍を受け止められたわね?」
「俺は殺戮のエリート。当然だ」
タルカスはそう答えながら、目の前の少女が繰り出した一撃が戦場でまみえたどの敵のものよりも重いことに、戸惑いを感じていた。彼はレミリアを見すえながら、ゆっくりと口を開いた。
「ノーレッジ」
「なに?」
「奴も人間ではないな」
「……そうね。でも、貴方とブラフォードの二人がかりで倒せない敵かしら?」
パチュリーの言葉には、二人を心配するような気配はなかった。彼女は単に試作品がどこまで闘えるか、という一点にのみ関心があるらしい。しかしタルカスの方も、同じディオの部下とはいえ、彼女に対しては何の関心もいだいてはいなかった。
「当然。お前はそこで見ていろ。……といっても羽虫が邪魔だろうが」
レミリアと騎士二人が闘っているため、手の空いているジャックがパチュリーのもとへ切り込んできたのである。ジャックは筋肉を収縮させ、体内から無数のメスをパチュリーに向かって発射した。
「わざわざ言わなくても知っているわ。だから―」
まっすぐ伸ばしたパチュリーの手のひらにいくつかの火の玉が生まれたかと思うと、うねる爆炎と化した。高熱に触れたメスは、その威力を発揮することなく蒸発した。
「貴方は貴方の相手に集中しなさい。この闘いは実験も兼ねてるから」
言われなくても、分かっている―タルカスはそう思いながら、レミリアの攻撃を受け続けていた。雨のような連撃。攻撃と攻撃の間にそれらしい隙は見つからず、一息をつく暇もない。
「ブラフォードッ!」
「2対1というのは好きではないが……指示だ。仕方ない」
タルカスと打ちあうレミリアの背後にブラフォードが回り込んでいた。レミリアはタルカスに槍を向けているため、この瞬間は後ろに武器を回して防御することはできない。完全な死角からの攻撃である。ブラフォードは、彼女の肩に剣を振り下ろそうとし―ぴたりと止まった。
「あら危ない。うっかりしていたわ」
レミリアはブラフォードの剣先を人差し指と中指でつまんで止めていた。恐るべき膂力。しかし、ブラフォードの本領はここからなのだ。
ブラフォードの長髪が剣をつたってレミリアの白い腕に絡みついた。予想外の奇襲に、レミリアの目が驚きに見開かれる。
「動きは封じた。タルカス!」
「おう」
タルカスは振り上げた長剣をレミリアの脳天めがけて打ち下ろした。巨岩でも素手で穿つような腕力である。たとえ彼女が人ならざる者だとしても、死を免れることはできなかっただろう。―当たりさえすれば。
剣はレミリアの右肩に深く沈み込み、鮮血を迸らせていた。直撃の瞬間、レミリアは首をそらし、頭部への一撃を回避していたのである。
「不意を打たれたとはいえ……なかなかやるじゃない。ドレスが破けたのは気に入らないけど」
レミリアがそういう間に、彼女の肩から流れる血は止まっていた。千切れたドレスからのぞいた肌にはさきほどまでぱっくりと開いていた傷はどこにもなかった。
この異様な再生力。怪力。タルカスは、彼の主、ディオと同じ種類の存在であると直感した。
(だが……それでこそ倒しがいがあるというものッ!)
自分よりも強大な敵。その出現に際しても、タルカスの戦意に揺らぎは微塵もなく、意識をレミリアにのみ集中していた。そのため、背後から迫ってくる敵―紅美鈴に気づくのが一拍遅れた。
「シッ!」
するどい気合とともに、美鈴はタルカスの頭部めがけて蹴りを放った。タルカスはとっさにかわしたが、完全に回避することはできず、頬をかすめた。わずかな波紋の痛みとともに、頬の皮膚が少し溶けた。
「お嬢様。たかがゾンビといっても二人がかりは面倒でしょう。少しの間、私がタルカスを引き受けます」
「……分かったわ。じゃあ私は彼と踊りましょう」
レミリアがそう言うと、ブラフォードはにやりと笑った。レミリアの腕は彼の髪にいまだ戒められており、動かせないのである。
「腕も使えずどう俺と踊るのか、お聞かせ願いたいね」
「あら、じゃあ教えてあげましょうか。空のワルツよ」
瞬間、レミリアの背中から光をすべて吸い込むような翼が現れ広がる。ブラフォードがあっけにとられている間に
レミリアが飛翔するには、いくつか条件があった。何らかの魔術的な力を持っていない場合は吸血鬼も物理法則を超越することはできない。鳥類のように飛ぶために軽量化された身体ではないため、ブラフォードのように重い物を抱えた状態ではゆっくり降下することはできても空へ飛び立つことはできないのである。
高所から落ちて飛翔力を得る場合は、その限りではないが。
二人はすさまじい落下と上昇を繰り返し、空中で闘っていた。ブラフォードは髪をレミリアに絡みつけ、命綱の代わりにしている。
「さすがにここから落ちたらゾンビでも原型は留められないでしょうね」
「……それがどうしたァ…水中だろうと空中だろうと、命じられた敵と戦うのが騎士というものだ」
ブラフォードはそう言うと、首筋めがけて剣を閃かせる。レミリアはそれを間一髪のところでかわしながら、未知の戦場であるはずの空中においてブラフォードが一切戸惑わず対応してくることに、心のうちで賞賛していた。
(……しかし、この髪を引きちぎるのは時間がかかるわね。かといってこれくらい近いところにいるヤツの剣を躱し続けるのも無理がある)
だとすると、「アレ」しかない。あまり気のりしない手段なので、できるならしたくはないことであるが、この猛騎士に対処する方法を一から考えている暇はないのである。
レミリアは頭をわずかに傾けブラフォードが放った渾身の突きをかわすと、その伸びきった腕に噛みついた。
「……貴様ッ!何を……」
死臭。緑茶よりもひどいえぐみと苦みがレミリアの口内に溢れた。しかし我慢して噛み続ける。レミリアのとった最後の手段。それは、ブラフォードがゾンビ化したときに入ったであろうディオの吸血鬼のエキスをレミリアのエキスと交換することだった。
ゾンビが吸血鬼を主とみなすのも、そのエキスの効果。つまり、ブラフォードを動かすエキスがレミリアのものになってしまえば、レミリアの配下にすることができるという道理なのである。
「……まあ、何百年も前の死体なんか本当は噛みたくないんだけれど」
ブラフォードは眼を閉じぐったりと動かなくなった。
レミリアはゆっくりと崖下へ降下し、着地した。
少しして再蘇生したようだった。ブラフォードはゆっくりと目を開き、レミリアを見た。その眼の中には先ほどまで存在していた敵意はない。
「……失礼な真似をした。わが主人よ」
そう言うと、ブラフォードはレミリアの腕を縛っていた髪をほどき、跪く。
「気にしてないわ。どうせディオに都合のいいように、生前の妄執を利用されたんでしょう。そんなことより、いくつかやってもらいたいことがあるわ」
「このブラフォードができることであれば何なりと」
「よかった。じゃあ、まずはディオの居るところに案内してもらおうかしら」
「御意」
後は崖上で闘っているであろう美鈴とジャックを回収して、ディオに会うだけ。ブラフォードを伴うため崖の上に戻るのに多少の時間はかかるが、これで駒は揃った。
「待っていなさい、ディオ。夜はこれからなのだから…」
美鈴は、自分がそれなりに計算高い性格だと思っていた。いつでも強い者の傍にいて、不興を買いそうならとぼけたふりをしてうまくかわす自信もある。
ただし今回計算違いだったのは、タルカスが美鈴の想像の数倍も手ごわかったことだった。
「ウオオオオ!」
タルカスは雄たけびをあげ、剣を振り下ろしてくる。美鈴はきわどく太刀筋を見切って回避する。その一撃が地を叩くとたちまちひびが入り、地割れをおこした。
「すさまじいパワーですね……近づくのは正直、得策ではない」
美鈴の赤い髪が一筋、空中で舞っていた。今の剣が当たっていれば、たとえ美鈴が波紋使いだったとしても大ダメージは免れなかっただろう。
(まずは視界を奪わないと)
美鈴は切り裂かれた自分の髪の毛を掴むと、波紋を送り込んだ。すると髪の毛はぴんと伸び、何本もの針へと変じる。
タルカスの猛烈な攻撃をぎりぎりのところで回避し、最後の大振りの直後、大きな隙ができた瞬間に顔めがけて投げつけた。
「GYAAA!」
タルカスの左目に、3,4本ほど美鈴の波紋入りの髪が突き刺さっていた。少量ゆえタルカスに致命傷を与えるほどのダメージは与えられなかったようだが、ダメージは通ったようだ。
「この、小娘がぁっ!」
左目が潰れているにもかかわらず、タルカスは躊躇なく襲いかかって来た。波紋傷を負った怒りでますます攻撃のスピードは上がっているが、その流れは単調になっている。
(次は右目ね)
美鈴が残った髪に波紋を送り込もうとしたそのとき、ひやりと背筋に悪寒が走った。瞬間、炎の奔流が美鈴の数センチ脇を駆け抜けた。熱風から顔を背け、転がるように離れる。
「タルカス……こっちは終わったわ。手伝ってあげる」
パチュリーだった。その後ろには黒く焦げ、炭化したジャックの残骸がある。つまり、ジャック亡き今、美鈴はたった一人でこの化け物二人組と闘わなくてはならないのだ。
レミリアがいれば何とかなっただろうが、タルカスの剣とパチュリーの炎を同時に相手どるのは不可能。斬り捨てられるか、バーベキューにされるのが落ちである。
美鈴は波紋を込めたひとふさの髪を落とし、両手をあげた。
「まいりましたね……降参です」
「そういうことはしなくていいわ。私たちはあなたたちを殺すために来てるから」
パチュリーはそう言って、右手を美鈴に向けた。
「私があなたの実験の役に立つと知っても?」
パチュリーは、タルカスたちの闘いを実験と呼んだ。そこから、彼女の行動原理はディオとは違うのではないか―平たく言うと、レミリア達の抹殺より己の知的好奇心を満たす方を優先するのではないかと思ったのである。
「……どういう風に、役に立つの?」
パチュリーは右手を美鈴に向けたまま、そう聞いてきた。
「私はゾンビを滅するエネルギーを体内で作り出すことができるのです。皆は波紋と呼んでいるようですが…知りたくはないですか?」
「波紋……確かに、貴方が不思議な力を持っていることは分かっていたけれど……」
パチュリーは少し考えているようだった。あともう一押しがあれば、何とかこの場を切り抜けられる。
「私を研究すれば、波紋がゾンビに及ぼす影響だってわかるはずですよ…?」
「……どうでもいいッ! この女を殺すのもディオ様の命令だったはずだが」
タルカスは苛立ちを滲ませながら、パチュリーにそう言った。目を潰されたことで相当頭にきているらしい。
「ええ。でも……いつ、どこで殺すかは決まっていないでしょう? タルカス、縄でこの女を縛ってちょうだい。連れて帰るわ」
「俺は冗談が嫌いだ」
「冗談? 連れ帰る方が殺すよりもディオの役に立つわよ」
「俺の目を潰したんだ。気が収まらん」
「用済みになったらあとで絞るなり四肢をもぐなりすればいいじゃない。今は私の指示に従って」
タルカスは舌打ちをすると、美鈴を縛り上げて脇に抱えた。
「ああ、逃げようとしたらすぐに殺していいわ」
「……だそうだ」
タルカスに睨まれると、美鈴は引きつった笑みを浮かべた。
「あはは、逃げるわけないですよ。私、身の程は知ってますから」
ブラフォードとともに谷の底へ落ちていったレミリアだが、吸血鬼ならあの程度では死なないだろう。そしてここに戻ってきて、美鈴の残した「あれ」を見つければ、ディオの住処へと向かうことができるはずだ。
(頼むから、ちゃんと戻ってきてくださいよ、お嬢様)
美鈴はそう祈りながら二人に運ばれていった。
横倒しになった馬車、何者かの攻撃で生まれたらしい地面の亀裂、黒焦げの死体。
「これは……先に行ったレミリアの馬車だな。ここで襲われたのか」
ジョナサンとツェペリはあたりを警戒しながら、馬車の様子を見ていた。そのとき、死体を調べていたスピードワゴンが戻ってきた。
「どうやらこの死体は御者ゾンビのもののようで。あとの二人は見当たらねえ。あいつらが簡単におっ死ぬとは思えないから、たぶん馬車を捨てたんだろうが……」
問題は、彼らを襲った者の正体である。
「……ディオの部下か、それに協力する者だろう。少なくとも炎使いが一人。あっちはいくらでもゾンビを増やせるわけだし、これは早めにケリをつけんといかんのう」
ツェペリがそう言ったとき、がさり、と近くの草むらが揺れた。
「誰だ?」
ジョナサンが静かに
「答えろーッ!俺たちの敵かてめーはッ!」
「ひっ、ひィィィ!違う!違うよーッ!」
スピードワゴンが一喝すると、中から転がり出てきたのは、何の変哲もない、田舎っぽい少年だった。
「ツェペリさん、彼は……」
「うむ、ゾンビじゃあない」
ジョナサンは怯える少年の肩をたたくと、かがんで目線を合わせた。
「僕の仲間が脅かしてすまなかったね。僕はジョナサン・ジョースター。君の名前は?」
「ポ……ポコ」
「ポコ、君はここで何が起こったか知ってるかい?」
ジョナサンの問いに、ポコはうなずいた。
「で、でも、話してもあんたたちは絶対信じないよ」
「いや信じる。だから、君がここで見たことすべてを教えてほしい」
ジョナサンがそう言うと、ポコは遠慮がちに語りはじめた。
数日前から、ポコの住む町に奇妙なことが起こり始めた。年頃の娘が何人も、忽然と姿を消すのだ。さらに女の亡霊やよみがえった中世の騎士たちが墓場でうろついているという噂も流れていた。
「だからおいら、それを確かめるために墓場に行こうと思ったんだ」
そして墓場に行く途中、黒い馬車がこちらへ走ってくるのが見えた。町の大人に見咎められたら面倒だと思ったポコは、近くの草むらに隠れた。
その瞬間、遠くから飛来した岩が馬車を貫いた。
あっけにとられていたポコの前に、二人の黒騎士と、それを従えるように紫のローブをまとった女が現れた。亡霊とゾンビだ、と直感したポコは息を殺してその成り行きを見ていた。
すると中から現れた者たちと死者たちは二言三言言葉を交わしたかと思うと、すぐに殺し合いをはじめた。しばらくして戦いの趨勢は決まった。馬車側の一人はローブの女に焼き殺され、一人は宙を舞ったかと思うと、黒騎士とともに谷へと落ちていった。最後の一人は捕虜にされ、ポコの住む町の方へ連れていかれた。
それからも震えが収まらず、繁みでじっとしていたときにジョナサンたちがやってきた、というわけである。
話を聞き終えたツェペリは少し考え、話し始めた。
「なるほど。宙を舞った、ということは、黒騎士と共に落ちていったのがレミリアで、捕まったのは紅美鈴、というところか。まあ空を飛べる吸血鬼がそんなことで死ぬとは思えないがね」
それについてはジョナサンも同意見だった。問題は、彼女の後を追ってディオの居場所を探ることができなくなったことである。
「とりあえず、ポコの住んでいる街に案内してもらいますか」
おそらく、ディオはポコの街にあるどこかの屋敷を根城にしている。そこまでわかればあとはしらみつぶしに探していけばいつかは見つかる。
「うむ。もっと早く見つける方法があれば…」
ツェペリがそうつぶやいたとき、スピードワゴンが妙な顔をして足元を見た。
「うわっ! なんだこりゃあ……髪?」
そこに落ちていたのは、針のようにぴんと張った赤い髪だった。おそらく敵との闘いで切断されたのだろう。
「これは……波紋が込められていますね」
「闘いの途中で使ったんだろう。波紋を込めれば薔薇だろうとパスタだろうと武器にできるからな」
「へえ…」
そのとき、ジョナサンの手のひらの上で美鈴の髪がコンパスのように回り始め、方向を向いて止まった。
「……ツェペリさん、これはひょっとすると、紅美鈴の居場所を示しているんじゃないでしょうか」
「うむ、わしは中国風の波紋法はよく知らんが、生命磁気の波紋を応用してるのかもしれんな。……ともかく、居場所が早く突き止められるのはありがたい。行くぞ、ジョジョ」
「おいガキ!ゾンビに殺されたくなきゃお前も一緒に馬車に乗りな! 街まで送ってってやる!」
4人が乗り込み再び馬車が走り始めたとき、ジョナサンはツェペリの言葉を思い出して、質問した。
「中国風って言ってましたが、ツェペリさんの知らない波紋の使い方もあるんですか?」
「そうだな。わしはチベットで修業したからチベット式になるか。まあ、チベットのやり方でもわしの知らない使い方……運命を読み取る力なんぞはついに会得できなかったな」
「運命?」
「生命の波長から、死期を読むんだ。それができるのは私に波紋を伝授してくれた老師トンペティくらいだろうな」
「死期……ツェペリさんは自分の死の運命を聞いたんですか?」
「いいや、私は聞かなかった……自分がいつ死ぬか知ってるなんていい気分じゃあないからな」
ツェペリの顔は濃い影に包まれていてよく見えなかった。
ポコを家に帰して一行はディオの潜む場所へと導かれていった。そして、ある屋敷の前で美鈴の髪がどこを指すでもない回転を始めた。
「ここか…」
町はずれにある、年月がたってはいるが瀟洒な屋敷だった。鉄柵は錆び、庭には手入れが行き届いてない。なんの変哲もない古屋敷だった。しかし、ジョナサンは吸血鬼のもつ瘴気が屋敷全体にまとわりついているように感じた。
「スピードワゴン君……ここまで我々は運よく戦わずにすんだ。しかし今からはそうはいかない。戻るなら今のうちだ」
「それで俺がしっぽ巻いて逃げると思うかい? ツェペリの旦那」
「……杞憂か。じゃあ石仮面を拝みにいくとしよう」
ニヤリと笑うと、ツェペリは屋敷の扉に手をかけた。