彼もまた、父の足跡を追うようにトレーナーとして学園へと足を踏み入れる。
「し、死ぬかと思った」
カフェテリアに出現した怒りの名優から命からがら逃れ、俺とテイオーは三女神の像がある中庭で身を休めていた。
とりあえず身の安全を実感し、安堵に胸をなでおろした後、俺は改めて考える。
星崎からのチーム「シリウス」への勧誘……、口では難色を示していたが、本心では気持ちが揺らいでいた。
「シリウス」といえば、笠松からやってきた芦毛の怪物「オグリキャップ」を育て上げた事で注目を浴びたチームだ。
オグリキャップはその驚異的な能力でトウィンクル・シリーズを盛り上げたスーパーホースだが、近日ではあまり良い戦績を残せず、もう勝てないとまで言われていた。
だが、「俺にも意地がある」そう言っていた北原のおやっさんは最後の気力を振り絞り、オグリキャップを有マ記念優勝という栄誉まで導き、彼女と共に現役を退いた。
そう、「シリウス」はそんなスターを輩出した有力なチームであった。
今でこそ、チームメンバーはメジロマックイーン1人となってしまった解散目前の弱小チームだが、先代が打ち立てたシリウスのネームバリューは相当なものだ。
そんなチームに俺とトウカイテイオーが入り、再び盛り上げることができれば、世間の注目を集められる事は間違いないだろう。
それなのに……。
「テイオー。なんでメジロマックイーンを煽る真似なんてしたんだよ?」
静かな中庭に設置されたベンチに俺達は座っている。
先ほどまで恐怖に震えていたテイオーだったが、ある程度落ち着きを取り戻したのか、腕を組んでぷいっとそっぽを向いてしまう。
「だって、マックイーンと同じチームに入りたくなかったんだもん!!」
「お前達、そんなに仲が悪いのか?」
今となってはテイオーのトレーナーである俺だが、四六時中コイツに引っ付いてるわけじゃない。
ウマ娘達にはレースでのトレーニングの他、学校の授業に学友達との交流など、俺達トレーナーの目の届かない時間は山ほどある。
トウカイテイオーとメジロマックイーンは互いにライバル関係と、風の噂で聞いた事があるが、そこまでお互いに意識しているとは予想外だった。
だが、
「別に……嫌いってわけじゃないんだけどさ」
唇を尖らせて口ごもるテイオー。
「ほら! キミにだって経験ない!!? 『この人にだけはぜーったい負けたくない』っていうの!!」
熱を込めて訴えてくるテイオーの言葉に、俺はハッとする。
脳裏に浮かんだのは、ある男の顔で。
「マックイーンは、僕にとってそんな相手なんだ。だから、その……つい強情になっちゃうっていうか」
「ああ。分かるよ」
どこか恥ずかしそうにモジモジするテイオーがおかしくて、俺はその頭をガシガシとなで回す。
それを子ども扱いととるテイオーはわめき散らして俺の手を振り払う。
そのまま脇腹をドムドムと叩かれ、小さな暴君の怒りがひとしきり俺を襲う。
「そうだな。俺にも経験があった。こいつだけには絶対負けたくないって相手」
「……それって、トレーナーの?」
「ああ。親父だな」
それ以上、テイオーは口を開かなかった。何を話せばいいのか分からなくなっているのか、口を引き結んでうつむいてしまう。
俺は少し後悔した。
彼女には、俺がこの学園に来た経緯や経歴を話している。パートナーと信頼を築くためには、まずは自分の事を知ってもらうのが一番だ。
ただ、お互いの緊張感を解くのには、少々俺の経歴は重すぎた。
しばらくの間、重苦しい沈黙が流れた。
「あ、予鈴」
学園内に午後の授業を知らせる鐘の音が鳴り響く。
テイオーは慌てて立ち上がり、
「それじゃ、僕行くね。また後で」
「おう。友達と仲良くするんだぞ」
「もー!! また子ども扱いして!!」
頬を膨らました後、べっと舌を出してパタパタとかけていく。
その後ろ姿を見つめながら、俺はいつもかぶっているハンチング帽を被りなおした。
「トレーナー!」
テイオーが足を止め、呼びかける。
「チームの事。ボクに黙って話を進めないでね?」
「わかってるよ。信用しろって」
俺の答えに満足してくれたのだろう。テイオーはいつもの明るい笑顔で手を振る。
それに応えるように手を挙げた。
「……さて。どうしたもんかな」
一人になってこれからの事を考える。そんな俺の視線の先には三女神の像が微笑んでいる。
彼女達は、何も答えてはくれなかった。
-----------------------------------------------------------------------------------------
「あの人が例の?」
この世界に足を踏み入れる事を決めた時から、噂される事は覚悟していた。
浅黒い肌、真っ白な頭髪、何かを隠すようにいつもかぶっているハンチング帽。
我ながら目立つ容姿をしているとは思うが、ヒソヒソと話をされる要因は他にある。
「あの、ちょっと君」
ウマ娘達が学園所属のトレーナーに実力を証明する『選抜レース』。
俺はその日、トレセン学園の新人トレーナーとして、自分が担当するウマ娘を選出するため、会場に来ていた。
そんな中、トレーナーともウマ娘のファンである観客とも違う男達に呼び止められた。
一人は手帳を開いてメモを取る準備をし、もう一人はカメラを無遠慮に向けていた。
ウマ娘達の情報を追いかけるマスコミ関係者だった。
「君、
「……ええ。そうですが」
俺はため息交じりに答えた。
そう、俺の親父はトレーナー……。それも『皇帝』シンボリルドルフをはじめ、多くのウマ娘達をスターへと導いたのち、学園で最強と呼ばれるチーム『リギル』を作り上げた男だ。
その他にも数々の功績を残し日本のウマ娘エンターテイメントに大きく貢献した事から、巷では『伝説のトレーナー』と称賛の声を上がっていた。
だが、
「志半ばで倒れた伝説のトレーナー。その息子がとうとうデビューかあ! ねえ、少しだけ時間くれない?」
「すみません。これから選抜レースが始まるので」
「そうだよね! それで、もう目をつけてる娘はいるの? やっぱり、最近注目を集めているトウカイテイオーとか?」
「あの……ですから」
しつこく絡んでくる記者たちが鬱陶しい。
ただでさえ父親の名前を出されるのは腹立たしいのに、挙句の果てにレース視察を邪魔されるとは。
自分で言うのもなんだが、俺は気が長いほうじゃない。
怒り任せに怒鳴り散らそうかと思った時だった。
「失礼。取材のお話は伺っておりませんが」
凛としたよく通る気品のある声。
記者連中はびくっと身を震わせ、振り返る。
あっと声が上がる。
「シ、シンボリルドルフ」
唯一抜きん出て並ぶ者なし。彼女以上にその言葉が似合うウマ娘を俺は知らない。
トレセン学園の生徒会長であり、最強のウマ娘、『皇帝』シンボリルドルフが姿を見せた。
種族として見る者を魅了するウマ娘だが、彼女の持つ美しさは他を圧倒する。
俺を取り囲んでいた記者はその姿を見るだけで、一瞬放心したかのように押し黙っていた。
「大変心苦しいのですが、本日の取材は原則禁止とさせていただいております。今日はウマ娘達の今後を決める選抜レース。とても繊細な時期ですので、どうかご理解をいただけると」
「し、しかし、彼はウマ娘ではなくトレーナーで……」
「取材対象がトレーナーであっても、それを見たウマ娘達の精神に影響を及ぼす可能性もあります。申し訳ないのですが、ご理解を頂けないでしょうか」
あくまでも柔らかく。誠実に頭を下げるシンボリルドルフ。
記者連中はそれに「はあっ」っとばつが悪そうに頭を掻いたのち、自分達の非礼を一言詫び、その場を去っていった。
「災難だったね。トレーナー君」
ルドルフはそう言って、クスリと笑った。
「ああ、助かったよルドルフ。しかし、選抜レースで絡まれることになるとはな」
「予想外だったかい?」
「正直な。ちょっと甘く見ていた」
「それはマスコミの事? それとも、御父上の名前?」
「両方だよ」
俺はルドルフと並び、学園内のレース場へと足を運ぶ。
そんな俺達はこの場に集まったウマ娘やトレーナー達の注目を集めることになる。
ひそひそと話し声が聞こえる中、俺は構わずターフへと目を落とした。
「そういえばよ。なんだよ『トレーナー君』って」
「君こそ、もう私の事を『ルナ』とは呼んでくれないのかい?」
「馬鹿を言うなよ。もうお互い立場が違うんだ。昔みたいには行かねえよ」
ターフでは体操服にゼッケンをつけたウマ娘達が出走に備えてストレッチをしていた。
今回も才能豊かな娘が揃っている。
トレーニング次第で最高に輝ける資質を誰もが持っている。そう思えた。
だが、真っ先に目についたのは。
「やはり、君も目を付けたか」
ルドルフがさすがだなと言わんばかりに俺の横で口にする。
長い髪をポニーテールにした小柄なウマ娘を見ていたことに気が付いたのだろう。
どこか満足そうにターフを見下ろすルドルフを盗み見て、俺は口を開く。
「知り合いか?」
「まあね」
クスリと口元で小さく笑い、ルドルフは俺を見る。
「トウカイテイオー。君も名前だけは聞いているだろう?」
『トウカイテイオー伸びる伸びる! 悠々と駆け抜けるその背中に、誰も追いつくことができない! 2着に4バ身差をつけ、今ゴールインッ!! 選抜レース1着はトウカイテイオー!! 圧倒的な強さを見せつけました!!』
トウカイテイオー。圧倒的な才能と実力を持つウマ娘であり、これまで学園内のレースでは負け知らず。
選抜レースでも、他を全く寄せ付けず圧倒的な力を示して見せた。
「そういえば。お前が無敗で二冠を決めた後の記者会見で、乱入してきた娘がいたって言っていたな。あの子がそうなのか?」
「ああ。その通りだ」
レースが終わると、前もってツバをつけていたんだろう、スカウト目的の多くのトレーナー達がトウカイテイオーを取り囲んでいた。
あの娘の実力は噂に優るもの、レース結果を見ても、彼女の潜在能力は段違い。
是が非でも結果を残したいトレーナーにとっては、まさに勝ちウマに乗るという目論見があるのだろう。
「君は行かないのか?」
ルドルフは俺を見て言う。どうやら、彼女から見てもおすすめの逸材との事だろう。
だが、
「俺はいいよ。競争率が高そうだ。……それに」
「あー!! カイチョーだあー!!」
俺の言葉は、高くよく響く声にさえぎられた。
周りの包囲網を突破して、小さな影がまっすぐこっちへ突っ込んでくる。
レース後の疲れも何のそのという感じだ。
「ねえねえ! ボクのレース見てくれた!? また一着を取ったよ!」
いかにも褒めて欲しいという感情が溢れている。耳はピコピコ、尻尾はぶんぶん。
まるで親に甘える子供のようだ。
ルドルフは少し困ったように笑顔を浮かべた。
「ああ。今回も、見事なレースだった。素晴らしかったよ」
「ホントに!!? やったあッ! カイチョーに褒められちゃった!!」
トウカイテイオウはその小さな体を命一杯使って表現する。
そんな彼女をスカウト途中のトレーナー達が追いかけてくる。
「トウカイテイオー! とりあえず話を……し、シンボリルドルフ!!?」
スカウトに必死だったのだろう。トレーナー連中がルドルフの姿を見るや、驚きに目を丸める。
その表情に満足したのか、何故かトウカイテイオーは胸を張り、
「ねえねえ。今ね、カイチョーに褒められたんだよ!? 凄いでしょ?」
「あ、ああ。でも今はそんなことより、スカウトの話を」
「なにー!! そんな事って何さ!!」
思わず笑いそうになる。将来有望なウマ娘と契約したい気持ちはわかるが、少し焦りすぎだったようだ。
ルドルフを軽んじる発言を聞いた直後、トウカイテイオーによる『いかにシンボリルドルフというウマ娘が強くてかっこいいか』のプレゼンテーションが始まてしまった。
もう、こうなってしまえばスカウトどころの騒ぎではない。
『よいトレーナーへの第一歩は、ウマ娘の心をつかむ事である』
トレーナーの心得として一番最初に教えられることを、あのトレーナーは生憎忘れてしまっていたらしい。
「おや、どこに行くんだい?」
その場を去ろうとした俺に、ルドルフが声をかける。
「君の目には役不足だったかい? あの娘の担当は」
「逆だ。俺じゃ役者不足だ。まあ、俺じゃなくても、誰がついても結果は残せるさ……。それに」
「それに」
俺は足を止めて言った。
「火がつかねえんだよ。ここに」
トントンっと胸を叩いて見せる。それを見たルドルフは「そうか」とだけ言うのだった。