よつばと侍   作:天狗

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&ヒーロー

 先日、大破した自転車を泣く泣く廃棄した茂は、翌日には虎子を伴って坂田自転車へ新車を購入しに行った。虎子と坂田の勧めに従い、五万円ほどのロードバイクを手に入れた。これを気に入った彼は毎朝上機嫌でサイクリングを楽しんでいるのである。

 本日も茂は早朝からサイクリングに出かけ、隣県をぐるりと一周してから今は地元に帰ってきたところだ。

 「やっほー!」

 川沿いの土手を走っていると、上空にかかる橋から幼い子供の声が聞こえた。

 「ん、おお。やっほー!」

 橋の欄干から顔を覗かせていたよつばは、帰ってきた声に驚いたようで、後ずさりした。

 「おー、あれだ。やまびこだな?」

 再び顔を覗かせたよつばは土手にいる茂を発見した。

 「シゲがやまびこだったのか…。」

 茂は一度よつばに向けて手を振ると、ものの数秒で彼女のもとまで自転車で駆け上がってきた。自分が苦労した坂道を難なく登る茂を見て、よつばは憎々しげに彼を睨みつける。

 「よつばはがんばった!がんばりました!」

 「え?あぁ、そうだな。頑張ったな。」

 「よつばのはこどもようだから!おとなようのじてんしゃにはかなわない!」

 更に言い募るよつばの態度に、茂は何だか悪い事をしたような気分に陥りだした。彼は例え理不尽な物言いでも、相手が怒っていれば委縮してしまう男なのだ。

 「ご、ごめん。大人用でごめん。」

 通学中の生徒たちがチラチラと二人を見るが、登校時間が迫っているのか立ち止まって観察する者はいない。そこそこ顔の知られている茂は、しばらく噂話の(まと)になるだろう。

 「…それで、よつばちゃんは何でここにいるの?お父さんは?」

 「そうだ!ふーかにぎゅうにゅうはいたつしないと!」

 「風香に?今から?」

 「しごとだからな!」

 よつばは誇らしげに言うが、風香や周りの人たちがそのような事を彼女に頼むとは思えない。これは彼女の父親に確認した方がいいのではないか、と茂が悩んでいると、よつばは自転車を漕ぎ出そうとしていた。

 「待って待って!ストップ!」

 「とめるなシゲ!じゃまするのか!?」

 「いや、そうじゃなくて。お父さんはこの事知ってるの?」

 「あたりまえだ!きのうはなしたからな!」

 そう言われても簡単に納得する事はできない。強制的に連れて帰るのが正しいのだろうが、(はた)から見ればそれは人攫(ひとさら)いだ。チキン野郎としての自覚がある茂にはできない。普段からあまり携帯電話を持ち歩く事をしない彼には、電話で小岩井に確認をとる事も出来ない為、取れる手段は一つしかなかった。

 「よつばちゃん、ちょっとここで待っててくれないかな?お父さんに確認してくるから。」

 「とーちゃんはかんけーない!よつばははいたつするの!」

 意地になっているよつばを止める(すべ)を茂は持ち合わせていない。こうなったらよつばの何かある前に全速力で小岩井家に向かい、瞬時に確認を取った後、即行(そっこう)でここに戻ってくるしかない。効果はないであろうが、「ここで待っているように。」と念を押すと、自転車をそこに置き去りにして欄干に足をかけ、そのまま飛び降りた。

 「シゲー!」

 さすがのよつばも高所から飛び降りた茂に驚いたのか、自転車を降りて欄干に駆け寄った。欄干の隙間から土手を見ると、土煙を上げながら駆ける彼の後姿が見えた。

 「おー…。やっほー!」

 やまびこのように返ってきた茂の声に満足し、よつばは彼の頼みなどまるで最初からなかったかのように自転車を漕ぎ出した。

 

 「やっほー。」とよつばの声に返した後、数秒もしないうちにそれは聞こえてきた。彼女の悲鳴は決して大きくはなかったが、その優れた聴覚によってよつばの様子をモニタリングしていた茂には容易に聞き取れた。

 彼は急停止すると、常人の目には映らぬ速度で引き返した。音を置き去りにした茂は、間もなく自転車で坂を駆け下りるよつばを発見した。彼女はパニックに陥っているのか、ブレーキをかけるのも忘れてただ、叫んでいる。補助輪がポールに引っ掛かり、よつばの体が宙に投げ出された。茂はスライディングするように減速し、彼女が地面に落下する寸前に受け止める事に成功した。滅多に上手くいく事のない彼の珍しい成功シーンである。今日は何だか、良い事がありそうな気がする茂であった。

 よつばと牛乳瓶の無事を確認した二人は一緒に出発する事にした。例え数分でもよつばから目を離すと何が起こるか分からないのだと思い知った茂は、色々諦めて彼女についていく事にしたのだ。

 「俺が案内するから、ついてきてくれ。」

 「シゲはふーかがどこにいるのかしってるのか!?」

 「もちろん。俺の母校だし。」

 「ぼこう?」

 茂はよつばのペースに合わせて、自転車を押して歩いている。歩幅の大きい彼は歩く速度も速く、普通に歩いているだけでよつばと同じペースで進む事ができる。

 「えーっと、卒業した学校の事を母校っていうんだけど、いや、今はそれ関係なくて、とにかく、風香が通ってる学校に俺も通ってたから、知ってて当然って事で…。」

 「なにゆってんだおまえ!」

 「…すまん、俺も何の話してるのかよくわからなくなってきた。」

 よつばと一緒にいると、少しずつ自信を削られていく茂であった。

 

 その後の二人は順調に風香の通っている高校まで辿り着いた。よつばは一人だった時とは違い、茂の存在に安心したかのように楽しげである。冒険を楽しんでいる気持ちはありつつも、やはりどこか心細さを感じていたようだ。

 「ここに自転車停めるからちょっと待ってて。」

 茂はそう言うと、校門前のガードレールに自転車を立て掛けた。スタンドのついていないロードバイクを停めるときは、立て掛けるか、倒しておく事しかできない。この自転車を買う時に彼は別売りのスタンドも買おうとしたのだが、店主の坂田と虎子に揃って「ダサい。」と言われてやめたのだ。己のセンスに自信のない茂は、お洒落に関するアドバイスを全て受け入れるようにしている。

 ガードレールの足にチェーンで鍵をかけた茂が振り返ると、そこによつばの姿はなかった。登校する生徒たちに不審な目で見られ、彼はしばし呆然と立ち尽くした。耳を澄ませてよつばの足音を探ってみると、彼女は既に校内に入っているようだ。即座に追いかければ誰かに迷惑をかける前に捕まえる事もできるのだろうが、いくら卒業生とはいえ、無断で校内に入ったら不法侵入になってしまう。茂にそんな真似はできない。彼は動揺と気まずさを隠して、来訪者用入口へと向かうのだった。

 

 職員に事情を説明し無事校内に入れた茂は、早歩きで職員室へと向かっていた。先ほどそちらの方からよつばの声と、注意する教師の声が聞こえたからだ。職員室の前につくと、廊下の奥に、階段へつながる角を曲がるよつばが見えた。

 「あ、よつば…!」

 「あら、伊藤君じゃないの。」

 「せ、先生。お久しぶりです。」

 よつばを追いかけようとした茂を呼び止めたのは、在学中に世話になった女性教師だ。茂は無視するわけにもいかず、よつばの行方を気にしながらも、相手をした。

 「聞いてるわよ。大学の剣道の大会で優勝したらしいじゃない。」

 「あ、はい。皆さんの応援のおかげです。ありがとうございます。あのですね…。」

 「その真面目なところは変わってないのね。あなたの後輩たちもね…。」

 来校した理由を話そうとする茂を制してマシンガントークを続けるこの女性教師が、彼は苦手だった。茂が理解するまで嫌な顔せずに教えてくれるのは本当に良い教師なのだが、雑談になると相手の事情も考えずに止めどなく話し続けるのだ。当時はまともに喋れる相手が父親と綾瀬家の面々しかいなかった彼には、何とも対応に苦慮する人物であった。

 そしてこの日も、よつばを探しに行きたい茂の思考とは見事に逆を行き、彼女のおしゃべりは続くのであった。

 

 女性教師の雑談を止めてくれたのはチャイムの音だった。茂は彼女に別れを告げると、足早に階段の方へ向かって行った。彼の耳には上階でよつばを発見した生徒たちの声が聞こえている。

 「茂さん!」

 だが、物事は上手く行かないものだ。急ぐ茂を呼び止めたのは、彼の剣道道場に通う男子生徒だった。彼は中学生の頃から道場に通っており、高校では剣道部にも所属している。歳が近く、出会ってから長いため、彼は茂によく話しかけてくる。

 茂が思わず顔を(しか)めてしまったのは、彼の事が嫌いだからではない、苦手ではあるが、悪い奴ではないからだ。

 「どうして茂さんが学校にいるんですか?あ、ちょっと待ってください。当ててみせます。」

 そう、彼は無類のミステリー好きで、自分の推理を誰かに話すのが大好きなのだ。茂はさっさと答えを言ってしまいたいが、過去にそれでショックを受けさせてしまった経験のある彼にそれは容易にできる事ではない。茂はしばし彼の推理に付き合い、また時間を無駄にしてしまった。

 

 結局、当たるわけの無い推理ゲームのネタバレをした茂は、ショックを受けている男子生徒を置き去りにして風香の教室へ向かった。

 「いいい伊藤さん!ど、どどうして学校に!?」

 盛大にどもりながら茂に声をかけてきたのは、風香のクラスメイトであるしまうーだった。図書館で彼に一目惚れをして以来、久しぶりの対面である。教室内を見渡して風香とよつばの姿を発見できなかった茂には、よい助け舟になった。

 「あぁ、日渡さん。久しぶり。風香ってどこにいるかわかる?」

 「お久しぶりです!風香ならよつばちゃんって子を連れて校門の方へ行きましたよ。」

 「もう会ったのか…。ありがとう。」

 「い、いえ、そんな。」

 茂に感謝され、先日の失態を少しは挽回できたか、と頬を染めたしまうーは、歩き去ろうとする彼を呼び止めた。

 「あ、あの!今度文化祭で、うちのクラス、パウンドケーキを作るんです。」

 「ん?そうなんだ。」

 突然のしまうーの発言に茂は意図を量りかねた。

 「それで!伊藤さんにも、来て…いただきたいん、ですけど…忙しいですよね。」

 だんだんと声が小さくなるしまうーは顔を俯けてしまった。それを見て、自分に恋をしている女性に対する免疫のない茂は、了承してしまった。

 「いや、大丈夫だよ。それじゃあ、また今度。」

 「は、はい!ありがとうございます!」

 ちなみにしまうーの誘いは、クラスメイトのほぼ全員に聞かれている。教室前の廊下で話しているのだから、当たり前だ。しまうーが友人たちから、からかわれているのを背中で感じながら、茂は足早にその場を立ち去った。

 

 茂が校門前に出ると、そこには、校舎に向かう風香がいた。

 「あれ?シゲ兄どうしたの?」

 「風香、よつばちゃんは?」

 彼女が一人でいる事に嫌な予感を覚えつつも、彼は質問した。

 「よつばちゃんなら、小岩井さんが迎えに来てもう帰ったよ。」

 よつばを救出した時の良い予感は、見事に外れたようだ。茂はどっと疲れて、その場に膝をついてしまった。

 「ちょ、どうしたの?っていうか、シゲ兄、背中すごい汚れてるよ。」

 スライディングキャッチした事を知っていれば立派な勲章だが、その姿で校内を歩き回っていたのかと思うと、彼にはもう立ち上がる気力が()かなくなってしまった。

 

 「なになに?しまうー、あの人の事好きなの?」

 「ななな、なんで!?」

 「…いや、気づかないわけないでしょ。」

 「あの人、めっちゃ背中汚れてたけど何で?趣味が野宿なの?」

 「ってかアレ、ここの卒業生の人じゃない?剣道で日本一になったって言う。」

 「あ、そういえば、俺、登校する時にあの人とよつばちゃんが一緒にいるの見たよ。なんかすげぇ謝ってた。」

 「しまうー、あんたの好み変わってるね。」

 「そそそ、そんな事ないよ!」


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