よつばと侍   作:天狗

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&悲喜劇

 その日、風香は友人であるしまうーと共に図書館へ向かっていた。風香の宿題がもうすぐ終わりそうだ、と聞いたしまうーが焦りだし、助力を願ったのだ。しかし、それなりに真面目に勉強している風香は宿題を書き写すなどという不正行為は容認できない。そこで彼女はわからないところを教える事にしたのだ。

 「…今まで触れなかったけど、さすがに我慢できないわ。」

 「何が?」

 「なんで必勝鉢巻しめてるの?」

 しまうーがなぜか締めている鉢巻には「必勝」と書いてあり、「必」と「勝」の間には赤い日の丸も描かれている。

 「勉強するならしめないと。」

 「…そっか。でも、まだ早いんじゃない?」

 「それもそうだね。」

 彼女は照れたように笑いながら鉢巻をはずした。風香が本当に指摘したいのは、そこではないのだが、お互い分かり合えないであろう事物(じぶつ)についての討論はきっと不幸な結果しか生まないのであろう、と追及を避けるのであった。

 

 大学の授業で出された夏休み中の課題を処理するため、茂は図書館に来ていた。珍しく一人である。

 インターネットを使ってコピーすれば一時間もかからずに終わりそうな課題なのだが、オンラインゲームで現実逃避を続けていた経験のある茂は、パソコンのない伊藤家の環境を生かしてインターネットに極力触れないよう生活しているのだ。それに、例えあまり重視していない授業でもズルはしたくない。不器用でも真面目に生きた方が自分のためになるだろう。それが二十年と少し生きた彼の人生の教訓なのだ。

 課題はシェイクスピアの書籍をいくつか読み、あらすじをまとめる。といったものだった。なるべく薄めの文庫本を数冊取り、四人掛けのテーブルの一角に陣取ると、さっそく読み始めた。レポート用紙や筆記用具などは出しておらず、ただ本を読んでいる。効率よく読みながらメモをとる、といった勉強法は不器用な彼には不可能なのか思いついてもいないのか。

 そんな彼の姿が、しまうーにはとても格好良く見えた。

 

 風香としまうーが図書館に到着したのは、茂が本を読みだした頃だった。館内に入った瞬間、やるぞ、と気合を入れ、しまうーは必勝鉢巻を巻いた。最早、風香に彼女を止める手立てはない。さっそく二人は宿題を片づけるためにテーブルへと向かった。

 そこでしまうーは人生初の一目惚れを経験したのだ。

 四人掛けのテーブルに一人座り、太陽の光が窓から差し込んで彼の横顔を照らしている。袖を捲ったシャツからは逞しい腕を覗かせており、血管の浮いた手でシェイクスピア悲劇のページを捲っている。それを読む表情はどこか憂いを帯びているように見えた。筋骨隆々な肉体をもちながら、一人図書館でシェイクスピアを読む、という姿がしまうーの琴線に触れたのだろうか。彼女は足を止め、彼にすっかり見惚れてしまっていた。

 「あ、シゲ兄だ。珍しい。」

 「え?」

 風香の言葉が頭に入ってこなかったしまうーは呆けたような返事をしてしまった。

 「ん?どうしたの?」

 「風香、あの背の高い人、知り合い?」

 「そうだよ。」

 しまうーは慌てた様子で風香の腕を引っ張り、本棚の間に連れ込むと、顔を寄せて詰問を開始した。

 「誰?あの人誰?」

 「あの人って、シゲ兄の事?」

 必勝鉢巻を締め、鬼気迫る表情で顔を寄せてくるしまうーに風香は引いてしまう。

 「名前は?何やってる人なの?風香とはどんな関係なの?」

 「伊藤茂。大学生。ボクシングの全国チャンピオン。あさぎ姉ちゃんの彼氏。」

 それを聞いて、この世の終わりのような表情を見せると、しまうーはゆっくりと崩れ落ちていった。その場で体育座りになり、膝に顔を埋める。

 「…嘘だよ~ん。」

 「どれが!?」

 「本当はボクシングじゃなくて剣道のチャンピオンなんだ。」

 照れたように舌を出す風香を見て、しまうーの希望をみせた顔が一瞬にして絶望に染まる。泣きそうな彼女を様子に風香は少々反省した。

 「うそうそ、シゲ兄とあさぎ姉ちゃんは付き合ってないよ。」

 「本当に!?」

 「えーっと風香さん?」

 かけられた声に、彼女たちは恐る恐る振り返った。そこには、後頭部をかきながら顔を覗かせる茂の姿があった。

 「全部聞こえてるんだけど。」

 決定的な言葉を告げられ、しまうーは掌で真っ赤になった顔を覆うのだった。

 

 「あ、あの!シェイクスピア、お好きなんですか?」

 「あぁ、いや、これは大学の課題で…。」

 「そうでしたか。大変そうですね。」

 「高校の夏休みの宿題に比べたら全然楽なもんだよ…。ってかこれ何?お見合いみたいになってるけど。」

 三人がいるのは茂がいたテーブルである。彼の向かい側にしまうーが座り、その隣に風香が座っている。テーブルの上には最初に茂が持ってきた数冊の文庫本が置いてあるのみで、しまうーと風香は勉強道具を全く出していない。

 「先ほどの会話が聞こえていたのなら、もうお分かりかと思いますが。日渡さんは伊藤さんに一目惚れしてしまったようです。」

 しまうーは顔を真っ赤にして風香の肩を何度も軽く叩いている。ちなみに日渡とはしまうーの名字である。

 「何そのキャラクター。」

 「仲人です。では、あとは若いお二人に。」

 「風香待って!まだ早いよ!」

 「いや、早いとかの問題じゃないでしょ。」

 どうやらこの状況を受け入れてないのは茂だけのようだ。

 「ああああああの!」

 「しまうー、落ち着け。」

 「う、うん!あの、あさぎさんとは本当に、お、お付き合い、してないん…ですか?」

 「してないよ。俺とあさぎはただの幼馴染。」

 風香を信じられなかったのだろう、茂の否定の言葉を聞いたしまうーはほっとしたようだ。

 「でも、日渡さんの気持ちは嬉しいんだけど、俺今のところ彼女作るつもりはないし、まだお互いの事よく知らないし、ね?」

 「はい!あのでも私は、あの…。」

 言葉が続かず、しまうーはちらりと横目で風香を見て助けを求めた。風香はそれを受けて力強く頷く。

 「まぁまぁ、シゲ兄もそう結論を急がず、とりあえず話をしてみようよ。うら若き少女の淡い恋心を数分で打ち砕くのは男としてどうかと思うな。私は。」

 男として、と言われてしまうとプライドが刺激される茂である。彼は一度深呼吸をすると、気持ちを切り替えた。そもそも、初対面の人との会話を苦手とする彼も、それなりに緊張しているようだ。

 「わかったよ。じゃあ、風香が仕切ってくれ。」

 「仕切らせていただきます。では、日渡さん。何か彼に質問をどうぞ。」

 「はい!えっと、伊藤さんはボクシングの学生チャンピオンとの事ですが…。」

 「剣道ね。面接じゃないんだから、もっとリラックスして話そう。」

 緊張の色を隠し、大人の振る舞いを見せる茂である。コクコクとしまうーは頷いた。

 「やっぱり、昔から強かったんですか?」

 「全然そんな事なかったよ。昔はなかなか筋肉もつかなかったし、優勝できるなんて思いもしなかったな。」

 通常のアスリートと同等の鍛錬では疲労を感じる事なく終わってしまうのだ。己の精神力を主に鍛えたかった茂は、毎日くたくたになるまで体を動かしていた。その結果が現在のマッチョマンである。

 「へー、他にも得意なスポーツとかあるんですか?」

 「…いや、大抵のスポーツは苦手なんだよ。俺すげー不器用でさ、球技なんかやってるの見たら超カッコ悪いと思うよ。」

 陸上競技などはオリンピックで軽く金メダルを獲得できる身体能力の持ち主だが、何だか反則技を使っているような気がして、茂はその罪悪感のようなものに耐えられなかったのだ。素手の格闘技は相手を怪我させてしまう可能性が高くて最初から選択肢に入っていなかった。しかし、剣道は別だ。防具をつけ、柔らかい竹刀で武技を競い合う剣道は茂に合っていた。

 父から初めて稽古をつけてもらった時、茂は手も足も出なかった。どんなに強く竹刀を握ってもそれを弾き飛ばされ、茂の初動を見切られているのか、こちらの竹刀はかすりもしなかった。当然、超人的な身体能力のおかげで初心者に負ける事はなかったが、ある程度経験を積んだ者には足元にも及ばない。不器用な茂は成長も遅く、ここまで強くなるためには厳しい指導と反復練習が必要だった。彼をここまで育て上げた父は、指導者として相当な腕前の持ち主であろう。

 「では、あさぎ姉が送ってきた証拠動画をご覧いただきましょう。」

 「見せなくていいから。マジで。」

 風香は携帯電話を取り出す素振りをしただけで、実際に見せるつもりはなかったようだ。しまうーは少々残念そうな顔をしていた。

 「伊藤さんから日渡さんになにかご質問は御座いますでしょうか?」

 「まだ仲人キャラ続けんの?…そうだなぁ。」

 仲人になりきっているのか、お澄まし顔の風香と、何やら気合が入りまくっている様子のしまうー。茂は彼女に出会ってからずっと疑問に思っていた事を質問した。

 「どうして必勝鉢巻しめてるの?」

 しまうーははっとして額に手をやった。そこには間違いなくつるりとした鉢巻の感触がある。彼女の顔はみるみる内に赤くなり、涙目になるとテーブルの下に隠れてしまった。

 

 「あ、よつばちゃんがバドミントンやりたがってたからもう帰るわ。」

 「待ってよ、風香ぁ。」

 「シゲ兄またね!」

 「また今度ぜひ会ってください!」

 「お、おう。…あの子ら、何しに来たんだ?」

 


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