よつばと侍   作:天狗

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&ライバル

 じゅうじゅうと油で炒める音と、ソースの焼ける香ばしいかおりに鼻腔をくすぐられ、茂の空腹感が増していく。だが、まだ日は出ているが、忙しいこの時間帯に食事休憩などは許されない。灰色無地の甚平の上に法被(はっぴ)を着た茂は今、河川敷で行われる花火大会で焼きそばの屋台を手伝っているのだ。

 もちろん、不器用な茂は焼きそばの調理などできはしない。彼の仕事は準備と撤収、それと急遽(きゅうきょ)頼まれた客の対応だ。手伝いの一人が用事で離れるため、その間の客の対応を頼まれたのだ。焼きそばの屋台に短髪マッチョの組み合わせは客を遠ざけるのではないか、と思いきや、そうではない。先ほどから茂に気づいて話しかけてくる客が次から次へと訪れ、焼きそばを買って行ってくれている。剣道の学生日本一になったおかげか、彼はその業界では意外と有名人なのである。さらに、父の剣道道場を盛り上げるために、彼は幼い頃から地域の活動に参加し、宣伝してきた。茂の真面目な仕事ぶりはご近所から評判で、片手で数えられるほどしかいなかった道場生は着実に増えていった。道場は茂の成長と共に盛り上がっていったのだ。

 

 「おにーさん、焼きそば奢ってくーださい。」

 客の出入りが落ち着いてきた頃、歌うようにカツアゲしてきたのは、トンボと紅葉柄の浴衣を着たあさぎだった。

 「へへへ、色っぺぇ姉ちゃんだぜぇ。おいちゃんとデートしてくれるんなら、考えてやってもいいぜぇ。」

 「なんだお前。花火大会のテンションで頭おかしくなったのか?」

 茂の下衆(ゲス)()みた発言に突っ込んだのは、左腿に小さく朝顔の描かれた甚平を着ている虎子だ。彼女は肩がけにカメラを提げている。

 「ん、すまん。暑さと空腹せいでちょっと調子に乗ったみたいだ。」

 休憩を願い出た茂に対し、屋台の主人は笑いながら、そろそろ手伝いも戻ってくるから大丈夫だろう、本当にありがとう、と感謝してくれた。三人分の焼きそばを頂き、法被を脱いだ茂は二人のもとへ行く。後は花火大会が終わってから、撤収を手伝うだけだ。

 「とりあえず、飯食おう。」

 「そうだね。どこで食べる?」

 「土手の階段のとこでいいんじゃないかな。」

 「んじゃ、そこで。」

 和装の三人は並んで歩いて行く。差し出された手荷物を何の疑問も持たずに受け取ってしまうのは、これまでの調教の成果であろう。

 「もう結構回ったのか?」

 茂が持たされている小さめの紙袋には、景品であろうピンバッチや人形、お面などが入っている。

 「混む前に色々見て回りたかったからね。ほら、虎子が写真始めたでしょ?」

 「あぁ、言ってたな。いろいろ撮れたのか?」

 「結構。でも勉強中だから、全然上手くはないよ。」

 「やり始めなんてそんなもんだろ。後で見せてくれ。」

 「いいよ。」

 会話をしながらも、虎子は時折カメラのシャッターを切っている。本格的な一眼レフカメラを見てわかるとおり、彼女の撮りたい被写体は記念撮影らしいものではなく、風景や人々の自然な表情を撮りたいようだ。

 「虎子はどうしてカメラ始めたんだ?」

 「前から興味はあったんだけどさ。こないだ沖縄行った時の写真を見てなんかガッカリしちゃってね。」

 「あの時は使い捨てカメラとケータイの写メだったもんね。しかも写ってるのほとんどシゲだったし。」

 「いや、俺は何度も撮るなって言ったよな。」

 要らぬ恥を掘り起こされた茂は、虎子に話を続けるよう、目配せをした。

 「私たちが見た沖縄の景色ってもっと綺麗だったと思うんだ。それで勉強してるんだよ。」

 「茂の面白い写真も綺麗に撮れるね。」

 「だからやめろって。よつばちゃんの写真を撮ればいいじゃないか。」

 最近、近所に引っ越してきた小岩井家の一人娘は、実に面白い子供だ。大人では想像もつかないような突拍子もない言動で、周囲を振り回している。

 「確かに、あの子は撮ってておもしろそうだ。」

 話していると、人の少ない場所を見つけて、そこに腰を落ち着ける。

 「ん…。」

 会談に腰かけた虎子が顔を歪めた。裸足に雪駄を履いていた彼女の足は、鼻緒で擦れて皮が剥けてしまっていた。

 「あちゃー、痛そうだね。とりあえず、これつけときなよ。」

 「ありがとう。」

 茂から巾着袋を受け取ったあさぎは、中から絆創膏を取り出し、虎子に渡した。用意の良い女である。ちなみに茂はそのような物は一切持ち歩いた事がない。ただ気が利かないというわけではなく、鼻緒ですれて怪我をするなどと想像もしていなかったからだ。

 「替えの靴とかは持ってきてるの?」

 「一応車にあるけど。」

 「おんぶしてやろうか?」

 「何それセクハラ?」

 「え!?ぜ、全然そんなつもりないぞ!」

 彼なりの善意で言った事だったが、全く予想していなかった捉え方をされ、動揺してしまった。もちろん、あさぎもそれを分かっていてからかっているのだが。

 「後部座席の下に置いてあるんだけど、取ってきてもらっていいか?車は臨時駐車場の入口近くに停めてある。」

 「了解。焼きそば食いながら待っててくれ。」

 茂は鍵を受け取ると、歩き出した。

 

 太陽が西に傾き、空は夕焼け色に染まり始めた。その頃茂は、臨時駐車場で立ち尽くしていた。虎子の車が見つからないのだ。土手際に設けられた臨時駐車場は広大で、無数の車が止められている。その中から「入口近く」というヒントだけで探し当てるのは少々難しかった。垂直跳びでもして上空から探してやろうか、と思うが、そんな事をすればこの街の都市伝説が増えてしまう。地道に探すか、と茂が決めた時、彼の耳に少女の助けを求める声が届いた。

 「よつばちゃんが迷子になっている!」

 周囲の人から見れば唐突に叫びだした変人である。彼は高速で泣き声のもとへ駆け出して行った。

 

 「無事か!?」

 茂が到着した時、その場にいたのはよつばの他に小岩井父、恵那、みうら、ジャンボの五人だった。よつばは涙ぐんでおり、父の手を握り締めている。

 「…無事みたいですね。」

 突然現れた茂に、一同は呆気にとられてしまった。よつば以外は。

 「シゲ!まつりはきけんだぞ!シゲもまいごか?」

 「いや、俺は迷子じゃないよ。」

 「もしかしてこいつの泣き声聞こえちゃいました?」

 ようやく再起動を果たした小岩井が茂に尋ねた。

 「あ、はい。でも大丈夫みたいですね。驚かせてすいません。」

 「いやいや、謝らなきゃいけないのはこっちですよ。よつばに迷子の怖さを教えてたところなので。」

 「なるほど。それで泣き声が聞こえてから見つかるまでが早かったんですね。」

 「コイ、こちらの方は?」

 声をかけたのはジャンボだ。五人の中で茂と面識がないのはジャンボだけであった。

 「こちらは…えっと。」

 小岩井は茂を紹介しようと思うも、彼についてほとんど知らない事に気づいた。そこで、恵那に助けを求めた。

 「茂お兄ちゃんは、あさぎお姉ちゃんと同い年で、大学生だよ。」

 「ほう、あさぎさんと。」

 ジャンボの眼鏡がきらりと光った。

 「初めまして。伊藤茂です。」

 深々と頭を下げた茂が顔を上げると、目線が自分より高い位置にあるジャンボの顔に気づいた。なんとなく親近感を感じた二人は固い握手を交わした。

 「やっぱ巨人同士、通じるものがあるんだな。」

 「そうみたいだね。」

 「あははー、ふたりともでかいな!」

 恵那とみうらは二人を見た感想を言い、よつばはなぜか喜んでいる。

 「あ、そうだ。向こうであさぎ待たしてるんで、失礼しますね。」

 「ん、あぁ、悪かったね。わざわざよつばのために来てくれてありがとう。」

 「いえ、気にしないでください。じゃあ、よつばちゃんもみうらちゃんも恵那も、花火大会楽しんで行ってね。」

 「シゲもな!」

 茂は登場した時と同じく、また慌ただしく去って行った。

 花火大会の場所取りをしようと移動を開始する一同だったが、ジャンボだけが茂と握手をした形のまま硬直している。

 「ジャンボ、どうした?」

 小岩井の問いに、ジャンボは油の切れたロボットのように、彼の方へ顔を向けた。

 「今、あいつ、あさぎさんを待たせてる、って言ったか?」

 「あぁ、言ってたな。」

 「って事はあさぎさんが一緒に来てる友達ってのはあいつの事か?」

 「…そうだろうな。」

 「なぁ、それって、友達か?」

 小岩井は答えず、恵那の方を見た。彼女は首を傾げて、代わりに返事をした。

 「…さぁ?」

 ジャンボは片手に持っていたレジャーシートをどさりと落としたのだった。

 一方、駐車場に戻ろうとしていた茂は、別の迷子の泣き声を聞きつけ、親探しに奔走するのであった。彼があさぎと虎子のもとへ戻ったのは、花火大会が始まる頃だった。

 

 「遅いよ!」

 「すまん、色々忙しくなっちゃって。」

 「で、なんでかき氷持ってんの?私の靴は?」

 「…あ!」

 


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