よつばと侍   作:天狗

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タイトルは「かすがい」と読みます。


&鎹

 恵那とみうらは茂の剣道道場に来ていた。ここは本日も道場生で賑わっており、威勢の良い掛け声や竹刀を打ち合う音が響いている。異様な雰囲気を発する道場は、道場生でもない小学生の少女二人には入りづらい。二人は恐る恐ると言った表情で入口から顔を覗かせていた。彼女たちが警戒しているのは雰囲気だけではない。仮にここに茂がいなければ、大変な事になるからだ。

 あさぎと似たようなトラウマを恵那とみうらは抱えている。ここの道場主である茂の父は少しでも剣道に興味のありそうな者を発見すると、問答無用で道場に連れ込み、防具を着せては強制的に体験入門させる病気なのだ。土地柄のおかげで通報はされていないが、場所が違えば前科者になっていたであろう事は、想像に(かた)くない。今でこそ、茂や道場生の助言によって見学制度や小学生向け、初心者向けの稽古を用いるようになり、道場生も増えているが、数年前までは悲惨な状況であった。伊藤父も説得され、強制的に防具をつけるような事はなくなったが、未だに人さらいを続けており、望まぬ見学をさせられる被害者は後をたたない。そのため、恵那とみうらは茂が見つからなかった場合を考えて、即座に逃げられるようにしているのだ。

 だが、その心配は杞憂(きゆう)に終わった。二人に気づいた茂が、自ら玄関先まで出てきたのだ。彼は剣道着姿だが、汗をかいていない。どうやら指導を中心に行っていたようだ。

 「恵那、みうらちゃん、いらっしゃい。稽古受けにきたの?」

 「ちげーよ。今日はアルと遊びに来たんだ。」

 「シゲお兄ちゃん、いいかな?」

 「もちろん。いつも通り、庭にいるから。」

 二人は慣れているのか、迷いない足取りで庭へ向かった。

 

 暖かな日差しの中、黒のラブラドール犬であるアルタイルは昼寝をしていた。恵那とみうらがすぐそばで屈んでいても、気づく気配はない。

 「アルー。」

 「アルー。」

 二人が交互に声をかけ、お腹や頭を撫でているが、アルタイルは爆睡中である。

 「…死んでる?」

 「生きてるよ!お腹動いてるし!」

 恵那の声に驚いたのか、顔を上げたアルタイルはようやく二人に気づいた。恵那とみうらの顔をぺろぺろと舐め、甘えるようにお腹に頭を押し付ける。アルタイルは実に人懐っこい犬で、伊藤家で唯一、人見知りしない性格である。

 そうして二人がアルタイルと戯れていると、茂が庭に出てきた。

 「練習はもう終わったの?」

 「いや、自主練の時間だから出てきた。」

 茂に気づいたアルタイルが、彼のもとに近寄り、尻尾を振りながらお座りをした。彼はアルタイルの要求に従って頭を撫でてやる。

 「さっき全然私らに気づかなかったんだけどさぁ、アルってもうボケてきてんの?」

 「もう人間で言ったら九十歳くらいのおばあちゃんだからな。多分まだ頭は大丈夫だけど、耳はかなり遠くなってる。」

 「そっかぁ。」

 なんとなくしんみりしてしまい、恵那とみうらはアルタイルの背を撫でた。

 「俺がここに来て少しした頃に父さんが拾ってきたからね。恵那とみうらちゃんより年上だよ。」

 「シゲはずっとここに住んでたわけじゃないのか?」

 「あぁ、俺は施設にいたのを父さんに引き取られたんだ。ここに来た当初は全然父さんと馴染めなくてね。ほら、俺も父さんも人見知りするタイプだろ。」

 「おじさんのあれは人見知りなのか?」

 「あはは、どうだろう。」

 三人が話し込んでいると、アルタイルが自分の存在を主張するように茂の膝に前足を置いた。

 「んで、そんな時に父さんが段ボールに入ってるこいつを拾ってきたんだよ。それからはなんか、アルが間に入ってくれた感じで、何とか普通の会話もするようになったんだ。」

 引き取られた当時、伊藤は茂との接し方に悩んでいた。小学校入学前の幼児が妙に義父である伊藤に遠慮し、大人びた気遣いをみせた。このままではこの溝は埋まらないままだろう。そんな時に、段ボール箱に捨てられた子犬を見つけたのだ。

 茂は子犬に出会った当初、近づく事すらなかった。彼のそんな様子を見て、動物が苦手なのではなく、己の強すぎる力が子犬を傷つけてしまうのではないか、と怯えている事に気づいた伊藤は、積極的に子犬を茂にけしかけた。それと並行して、剣道の稽古も始めた。茂に自由に打ち込ませ続け、倒れない相手がいる事を教えたのだ。そして、上手く力を抜く方法と、相手を傷つけたくないのなら、無抵抗になればいいのだ、という事を教えた。

 彼はただ、庭に寝転がり続けた。子犬は茂をおもちゃのように思っていたのか、べろべろと顔をなめまわし、髪を噛んで引っ張った。楽しそうにじゃれついてくる子犬を見ているうちに、自然と茂は子犬を撫で、一緒に遊ぶようになった。生まれてから今までの、鬱々とした気持ちが初めて晴れた瞬間だった。

 そのぶり返しだろうか。以前の恥ずかしい記憶が刺激され、まだ名前がついていなかった子犬にアルタイル、と名付けてしまったのは。後に子犬の性別を聞いた茂は驚き、この頃から過去との決別をはかるようになったそうな。

 「へー。そういえば、よつばも拾われたんだっけ。」

 「そうなのか?ハーフかなんかだと思ってた。」

 「うん、ジャンボさんが言ってた。」

 ジャンボ、とつぶやいて茂は首を傾げた。

 「ほら、花火大会に来てた大きい人。」

 「あぁ、あの。俺より背が高い人は久しぶりに見たよ。」

 「私もシゲよりでかい人に会うとは思わなかったよ。」

 そこで恵那は、何かを思い出したように茂に顔を向けた。

 「どうした?」

 「そういえば、シゲお兄ちゃんとあさぎお姉ちゃんって付き合ってるの?」

 思わぬ発言に茂はむせてしまった。

 「よく勘違いされるけど、付き合ってないよ。まさか恵那にもそう思われていたとは…。」

 「あ、なんだ。じゃあジャンボさんに悪い事言っちゃった。」

 「どういう事?」

 みうらが面白がっている様子で答えた。

 「どうもジャンボがあさぎ姉ちゃんの事好きみたいでさ、シゲと付き合ってるんじゃないかって気にしてたんだよ。」

 「うーん、今度ちゃんと説明しとかないとな。どうも俺はあさぎの恋愛の障害になってるみたいだ。」

 腕を組んだ茂は困ったように眉根を寄せた。

 「どんな風に?」

 「いやな、あさぎはなぜか俺に彼氏を紹介するんだけどな。毎回、俺と会って少しすると別れてるみたいなんだよ。」

 「へー、つまり、あさぎ姉ちゃんが彼氏にフラれてるって事?」

 「わからん。それにしちゃショックを受けてる様子もないが…。」

 茂は剣道着の袖を引かれる感触に気づいた。恵那が恥ずかしそうな顔で立っている。

 「あの、さすがに姉の恋愛話を聞くのは恥ずかしいんだけど。」

 「あぁ!すまん!軽率だった。」

 「えー、いいじゃん。私は興味あるな。」

 「聞かなくていいの!」

 顔を真っ赤にして怒鳴る恵那に対し、みうらはにやりとからかうような表情をしている。それでも、耳が少し赤くなっているが。

 「みうらちゃんはマセてるな。はっ!そういえば、今日は珍しくミニスカートだ!」

 「大げさに言うなよ。私だってたまには穿()くよ。」

 その時、道場内から茂を呼ぶ声が聞こえた。稽古の相手をして欲しいらしい。

 「じゃ、俺はもう行くよ。適当にアルの相手してやってね。」

 茂は逃げるようにその場を去って行った。後に残された二人は、何かを振り払うかのように、アルと庭を駆け回って遊ぶのだった。

 

 「あ、ジャンボさん、シゲお兄ちゃんとあさぎお姉ちゃん、付き合ってないって。」

 「ホントか!?」

 「うん、でも家族には隠してる可能性もあるけどね。」

 「えー、そうかなぁ。」

 「ジャンボ、泣くなよ。鬱陶(うっとう)しい。」

 「どうしたジャンボ!あたまいたいのか!?」

 「違うぞ、よつば。ジャンボは頭が悪いんだ。」

 「なるほどな!」

 


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