Hull's Report   作:田村天山

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4. 際立つ雷神、風に吹かれて

 ハルと暁はカリオペが手配したヘリコプターで、ノーフォーク海軍基地へと飛んでいた。艤装を装備した暁は、不安な表情でフロントガラスに食らい付いていた。

「ねぇ、もう少しスピードを上げられないの?」

「すみません、これが限界です」

「ッ――」

操縦しているのは、カリオペが雇ったパイロットだ。緊急で移動する時の為に、と彼が事前にアパート近くのヘリポートで待機させていたのだ。しかし、本人は後方支援という事で、ヘリコプターに同伴はしなかった。その代わり、ハル達が額に装備しているカメラで視界を共有しており、ヘッドホンから常に通信ができるようになっていた。そもそも、人間であるハルがKANSEN達の戦地へ赴くことが異常なのである。ハルは腕組んで俯いたまま、特別計画艦の特殊能力について思い出していた。

(カリオペは『魔法の様な』と言っていた。確かにマインツの能力も不思議だったが、結局は物理現象の応用だ。本当に、化学とかで説明不可能な、マジな魔法を使うKANSENはいるのか?そういう相手に、あたしの力は通用するのか?――)

突然、パイロットと暁がほぼ同時に悲鳴を上げた。ハルは驚きつつ、何事かと後部座席から身を乗り出す。直後、目に飛び込んできたそれに目を丸くする。

「なんだありゃ⁉」

基地上空に、暗黒の積乱雲が壁の様に聳えていた。しかも、そこ以外は雲一つない快晴で、自然では絶対にあり得ない光景だった。雲の下では稲妻が矢継ぎ早に地を穿ち、点々と火の手が上がっている。

“暁!ハル!あれは間違いなく奴等の特殊能力だ!”

「特殊能力どころか、天災じゃあねぇか!」

“これ以上は近づくのも危険だ!一度撤退するんだ!”

「ダメよ!だって、あそこには――」

言いかけたところで、ハルの口が開く。

「大切な仲間がいる。浜岡指揮官がいる……だろ?」

「ふぇ……?」

振り返る暁を他所に、ハルはパイロットのヘッドホンを引き剥がして、耳元で

「オイ、コイツハ命令ダ。極限マデ、接近シロ」

と囁いた。それは骨の髄まで響く様な低い声だった。彼は最早返事をする事もできず、ガタガタと震えながら高度を下げていった。

 

     ※

 

 基地へと続くメインストリートを、ハル達は逃げる人々と逆行して疾る。街は夕闇に染まり、大混乱に陥っていた。人々の絶叫も、雷鳴の轟きに掻き消されている。落雷したと思われる場所は直径10メートルくらいのクレーターになっており、直撃した建物は抉れ、車は大破し炎上していた。さらに、電磁波の影響でカリオペとの通信が完全に切断されてしまっていた。

(なるほど、他の基地に救援を出そうにも、これじゃあどうしようもないな)

人を見かけなくなった頃、真っ赤に燃え盛る海軍基地が見えた。立ち昇る黒煙と雲は、最早、境界線が見分けられなくなっている。

 ふと、正門の脇の柱にへたり込んでいる人影が見えた。傍には艦橋を模した矢と、砕けた飛行甲板が転がっていた。

「エンタープライズ⁉」

名を呼んで、暁が駆け付ける。エンタープライズは彼方此方を撃たれており、血濡れのボロ雑巾と化していた。足元には血と重油が湖の様になっていた。

「……暁、三浦……逃げろ」

顔を上げる力もないのか、目だけを此方に向けている。

「ゴフッ⁉」

吐血をしてむせる。暁が、周囲を確認しているハルの方を見て

「応急処置!」

と叫ぶ。ハルは素早くウエストポーチからガーゼと包帯を渡した。それを手際よくエンタープライズに巻きながら、質問する。

「基地の被害状況は?浜岡指揮官は?」

「ドックと……資源貯施設は全壊……司令部も倒壊した。君の指揮官と部隊は……分からない。ううっ……」

「分かったわ。あまりしゃべらない方がよさそうね。全て貫通銃創――空母を貫くってどんな威力なの……」

「行方不明だった……KANSENが……ゲホッ……襲撃してきた。昨日の報告の……お陰で、早めに対応できたのだが、うっ……」

やはり、連中がイーグル・ユニオンのKANSENを誘拐し洗脳していたのは、米軍を襲撃するためであった。

「突然、空が真っ暗に……敵艦隊に、奴が紛れ込んでいた」

「例のドイツKANSENですか?」

「あ、ああ……私は……奴のレールガンに……やられた」

「何ですって⁉」

ふたりは耳を疑った。特別計画艦と言えど、設計されたのは第二次世界大戦以前である。KANSENがそのような現代兵器を装備し操るのは前代未聞であった。ハルは空を見上げて、呟く。

「奴の能力は――雷?いや、電気か?」

直後、正解、とでも応えるかのように、雷光が駆け抜けた。

「ハル!エンタープライズをお願い。私、行ってくる!」

「おい、危険すぎr――」

言い終わる前に、暁は基地内へと走って行ってしまった。

 彼女の呻き声がして、ハルは傍らにしゃがみ込んだ。

「この出血じゃあ……もう、駄目だ。リスポーンポイントも……破壊された。復活は……不可能だ」

「そんな……」

「早く、暁を、引き留めに……行けッ」

「――」

その時、ハルの眼に、ウエストポーチにある緑色のキットが飛び込んだ。

 

 高速修復材――艦娘の損傷を修復させるための薬品である。本来は、専用の浴槽にて入浴剤の様に湯に溶かし、皮膚から吸収する事で効果を発揮する。それが、時を経て、インスリン注射器の様なキットに進化したのである。これは、浜岡が海軍の研究所に頼んで開発してもらったものであった。だが、これはKANSENの傷を癒す事はできない。その事は、既にカリオペから説明されていた。

 

 無意識だった。ハルは注射型高速修復材を取り出すと、中身を捨ててしまった。そして――

「ッ⁉」

自らの手首に針を突き刺し、採血した。その血液を、今度はエンタープライズの首に突き刺し、注入したのである。

「な、なにを⁉」

「気休めの輸血です。すぐ戻りますから、生き延びて下さい!」

茫然とする彼女を他所目に、ハルは基地の中へ行ってしまった。

 

 白い煙の中を、ハルは音を立てずに進んでいた。周囲からは轟々と炎の滾る音しか聞こえず、生命の気配はおろか、KANSENの気配すら感じられない。

(敵はとっくに撤収したか)

暫く行くと、薄っすらと係船柱が見えた。どうやら、真っすぐ進んでいたので基地の端まで来てしまったようだ。

 入れ違いになったら不味いと、感じて踵を返す。すると、

『カラカラ……カラカラ……』

と音が聞こえて来て、目前に暁らしき小さなシルエットが現れた。

「良かった、どうやら無事だったみたいだな。早くエンタープライズの元へ――?」

その人影は、妙だった。左右に巨大な何かを侍らせている。暁の艤装にしては大きすぎる。そもそも、彼女の艤装とは明らかに形が違う。

「まさか⁉――」

びゅう、と一陣の風が吹く。視界が急にクリアになって、そいつが姿を現した。

 穿山甲を思わせる鱗を纏い、特徴的な軍将校用制帽を被っている。カラカラと鳴っていたのは、この鱗だったのだ。両脇の紅の船首は龍頭の様で、甲板の上には鉄黒の骨格的な単装砲が空を見上げていた。

「あんたは、巡洋戦艦オーディン⁉」

「Guten Morgen. 私達の存在は既に漏れていたようだな、三浦君」

「な……クソッ。マインツの野郎から聞いたのか」

「さあ、どうだろうな」

少女は意味ありげな口調で答えた。身長は明らかに自分の方が高いのに、蛇に睨まれた蛙の様な気持になっていた。暁と同じかそれ以下の小さな体躯から、ただならぬ禍々しいオーラが漂っている。ハルは2本とも刀を抜くと、手前でクロスさせるようにして構える。対するオーディンは、構えるどころか砲身すら明後日の方向を向けている。彼女も腰に髑髏の意匠が施された紅い太刀を装備していたが、やはり鞘に納めたまま、柄を握りもしない。しかし、その瞳には明確な殺意の炎があり、写真の彼女とは違って冷たい蒼に光っていた。

 ハルは半身を引きながら、脳をフル回転させていた。

(奴までの距離は8メートルくらいか。艦種は巡洋戦艦――火力は高いが機動は遅い。近接戦闘に持ち込んでもいいが、あの太刀も厄介だ。避けて間合いを取ったところで砲撃を喰らうのは必須――そう言えば、エンタープライズがレールガンとか言ってたな。あの高角砲がそうなのか?――)

思考の途中で、雷光が瞬いた。

(危ない危ない……下手に刀を振り上げたら、落雷でバーベキューになっちまう。ここは一撃離脱で、確実に仕留めるッ!)

そうして目を見開き、地を蹴る寸前、オーディンの口が開く。

「ほう、一撃離脱か」

「ッ⁉」

何故バレた、と脚の力が僅かに抜ける。

「フッ……私にはお前の思考など、全てお見通しだ」

だが、ハルはそう言われて止まる女ではなかった。重心を前に倒し、跳び出す。コンマ1秒でF1マシン並みの速度に達する。今から砲塔を旋回させようが、抜刀しようがもう間に合わない。艤装ではなく本体、鱗に覆われていない首を狙う――その時だった。

「なッ?」

ハルの刀が独りでに、ぐいっと左方向へ引っ張られた。思わず手に力が入って、身体が釣られる様に左へ流れる。

「Sieg Heil !!」

オーディンが高らかに叫んだ。寸刻――ハルの横目と、ぽっかりと大口を開けたレールガンが見合う。

(しまったッ⁉――)

漆黒の少女は、嗤った。

 

『ズボッゴォォォオオォォ!!!……』

 

マッハ6を超えるハンマーが、細い胴体を貫き、引き裂き、千切る。迸る血液すら、1秒も待たずに蒸発させた。

 鈍い音を立てて、ハルが地に転がる。断面はレールガンの熱で焼かれ、流血する事なく白煙を上げていた。眼は見開かれたままで、口も開いている。オーディンは近寄ってその香りを深く吸い込むと、

「まずは一人……後は」

と歯をギラつかせて振り向いた。

 そこには、唖然として立ち尽くす暁の姿があった。

 

     ※

 

 乾いた発砲音は、暁の元まで届いていた。それまで、彼女は未だ燃え続ける司令部施設の周りで、生存者がいないか探索していた。

「今の音は、KANSENの砲撃?……」

それにしては、音が軽かった。何はともあれ、音がした方に敵KANSENがいる可能性が高い。暁は脱兎の如く、瓦礫を交わしながら向かった。

 もう直ぐ波止場に辿り着くという頃、

『カラカラ……カラカラ……』

という音が聞こえてきた。距離はかなり近いようだ。まるで骨がぶつかり合う様な不気味な音で、敵KANSENから発せられていると気付くのに時間は掛からなかった。まだ倒壊していない建物の影に身を顰める。

(敵に一発当てて煙幕を焚いて逃走、誘いこんだ所で電探を起動、混乱している間に撃ち込むッ)

それは、暁が単独で戦闘する時のテンプレートだった。

 大抵の艦娘やKANSENは、視界ゼロではレーダーを用いても命中率が格段に下がる。しかし、暁は闇夜の荒波の中で回頭しながらでも、命中率が8割を下回ったことがなかった。それは、まだ鋼鉄の身体だった頃――第三次ソロモン海戦の第一夜戦にて、探照灯を米軽巡アトランタに向けた途端、集中砲火を受けて瞬く間に沈没した、その教訓からであった。暁は深海棲艦と死闘を繰り広げていた時から、電探からの情報だけで敵艦を撃破する、ブラインドアタックを特訓していたのである。

 相手が戦闘経験の浅い特別計画艦なら、尚のこと手も足も出ないはずだ。暁は勝利を確信すると、意を決して建物の角から飛び出す。構えた主砲の中央に、漆黒の後ろ姿を捉える。

(あれは、確かオーディン!)

その少女が何かを見下ろしているのに気付き、視線の先を確認――

(え…………)

青白くなったハルの顔が、暁の眼に突き刺さる。その身体は、胸から下がなくなっていた。少し離れた所に、下半身が落ちていた。

(嘘……嘘よ……だって、ハルはエンタープライズの所で……)

腕の力が抜けていく、主砲が、徐々に俯く。顔は強張り、生気が干上がる。

(きっと、夢を見ているんだわ。そうよ、眼を瞑って開いたら……)

そう言い聞かせるも、冷たい声が暁を現実へ引き摺り込む。

「待っていたぞ、駆逐艦暁」

此処に来るのを初めから知っていた様な声だった。蒼い眼が灯の如く揺らめき、何時かの空母ヲ級を連想させる。

「ハルなら、たった今、始末した」

「…………ど、どうして……」

「なんだね、良く聞こえないなぁ」

「どうして!人間相手に砲撃したァ!!」

少女の怒号に対して、オーディンはきょとんとした表情だった。

「どうして、だと?敵だから、撃った。それ以外に何がある?人間だろうがKANSENだろうが犬だろうが関係ない。それは、大東亜戦争を経験したお前の方がよく知っているはずだ。それに――」

「黙れッ――!」

咄嗟に主砲を掲げて砲撃する。ハルの死体は暁を激昂させるには充分すぎた。瞳孔は開き、顔には血管が浮き出て、作戦や戦法など頭から吹き飛んでいた。

 しかし、一発もその巨大な艤装に当たらない。怒りのあまり照準が鈍っていたわけではない。例えそうだったとしても、外す方が難しい程にオーディンは近かった。

 砲弾は、自分の意志で避けるかの様に、軌道を捻じ曲げていたのだ。そして、最後の弾が、ハルの腕を吹き飛ばした。

「――」

静かになったのを確かめて、漆黒の少女は続ける。

「それに、これはお前への見せしめだ。私は、お前の様な奴が心底腹立たしいのだッ!」

何の話だ、と思った刹那――オーディンのシルエットが青白く光り、ワンピースの鱗が逆立つ。

 

『ガラガラガラガラ……!!』

 

突然の喧騒に気圧された直後、暁の身体が中高く浮き上がった。

「こ、これは――ッ」

見下ろすと、少女は全身に稲妻を巡らせながら、右手を真っ直ぐに挙げていた。

「我が力は電気を司る能力。その最終奥義、テスラコイルだッ」

その手を一気に振り下ろす。駆逐艦の小さな体が、地面に吸い込まれる様に叩き付けられた。

「ゴハァッ⁉」

あまりの衝撃にアスファルトは割れ、肺の空気が全て絞り出された。重力が過剰に加えられており、地に貼り付けになった暁は指一本も動かせない。

「がが、が、が――ぐぎゅッ⁉」

背骨に激痛が走る。背負っている艤装が食い込んでいるのだ。苦悶に歪む顔から血が吹きだした。

「お前、IFPO日本支部を裏切っただろ。我がミーミルの賢眼の前に、嘘偽りは通用せんと知れッ!」

その言葉に、暁は動揺した。それは、いわれのない批判に対する動揺ではない――大いに心当たりがあったし、後ろめたいと思っていた。何故に目の前の外様のKANSENが、この事を知っているのか、と肝が凍り付いた。

「IFPO日本支部は暴走するネオ・レッドアジュアを止める為、首領の赤城を含む幹部らを暗殺する計画を企てた。しかし、お前はその情報を漏らしたのだ。命の保証と引き換えになァ!!」

再び、大きく右手を上げる。ぐわん、と暁が宙に浮かぶ。その顔は涙と血と痣で腐った梅干しの様になっていた。瞼は腫れて歯も欠けており、見るも無残な姿だ。それを睨みつけるオーディンの白い顔は、憎悪に満ちていた。

「フン、醜い。実に醜いッ……だが、案の定お前はネオ・レッドアジュアに始末されそうになり、命辛辛ハワイまで逃げてきたワケだ。そんでもって、浜岡指揮官にネオ・レッドアジュアが攻めてくると伝えて罪滅ぼししようと考えたが後の祭り、パールハーバーは火の海だった。アメリカ本土まで逃亡するも途中で燃料切れになって、保護されたのだな?えぇ?」

返事を待たず、また地面に叩き落とす。水を含んだタオルの様な音が響いた。全てを白日の下にさらされ、暁はもはや抵抗する意思も見せなかった。二度も叩き付けられ、過度なGを掛けられ続けたので、主砲や魚雷は悲鳴を上げて今にも爆散しそうになっていた。暁は先程から嗚咽しながら何かを呟いているが、勿論オーディンは聞く耳を持たない、それどころか、口角を上げて紅の刀を引き抜いた。

「いかんいかん。今更、自爆して楽になろうったって、そうはさせんぞ?」

「ん、んん――⁉」

スイカ割りの姿勢で刀を振り下ろし、砲塔と魚雷発射管を切り落とす。すると、暁の身体から断たれたなのか、オーディンの能力から解放されて軽々と転がった。邪魔だと言わんばかりに、少女はそれらを背後へ蹴り飛ばした。そして、穏やかな口調で語り始めた。

「私のデーニッツ指揮官は、それは心の広い優しいお方だった。Admiralと言うよりも、vaterだった。我々に艦歴がなくて、海上航行の仕方も分からなくて、使い物にならないだの穀潰しだの馬鹿にされても、彼はいつか祖国の誉にしてやると一所懸命に育ててくれた。彼は何も知らない私達に、色んなものを見せてくれた。思い出も数え切れぬ程あったさ。我らはかけがえのない家族だったのだ。その和が、突然破壊されたッ……アメ公の仕業だと分かるまで、そう時間は掛からなかった。証拠も揃っていた。私はマインツと共に、直ぐにでも報復措置を取るべきと上層部に訴えた。だが、誰も聞いてはくれなかった。それどころか、アメ公が関与したことを否定し、事故で片付けたッ!!……何故だと思う?」

問いかけながら、険しい表情をする。

「死にたくなかったのだ。どんな理屈をこねようと、私には他人の思考や心が読めてしまう――アメリカに目を付けられ、あの時の様に暗殺されるのを恐れる奴もいた。金も力もあるアメリカに敵うわけがない。戦争に発展すれば、敗北して戦犯に掛けられ死刑になる、と考える奴もいた。理由は様々だったが、どいつもこいつも、お前と同じ眼をしていたのだッ。いいかね!我々は死など恐れてはいない!デーニッツ指揮官の仇を……大切な家族を失う辛さを、全米の骨の髄まで知らしめてやるッ!!」

何時の間にか、空を覆っていた積乱雲は何処かへ消え去っていた。感情的になり過ぎて、無意識に能力を解除していたのだ。べたりとへばり付いていた暁の服も、潮風に靡いている。

 荒い呼吸を整えると、オーディンは数歩下がって、305ミリ三連装砲の照準を合わせる。

「今度こそ、本当の終わりだ。さらばだ、暁」

目を細め、発砲しようとしたその時、くぐもった雷鳴が聞こえた。空を見上げても、雲一つない。

 

『ごるるるごごごるる……』

 

また雷鳴が聞こえた。どことなく猛犬の唸り声の様な音で、しかも天からではなく背後から聞こえてくる。

「馬鹿なッ⁉」

はっ、と振り返った時には、ソイツは2本の脚で立っていた。その鬼灯色の瞳と眼が合う。

「お、お前は……しn――」

 

 直後、厳つい艤装が、少女の全身が、轟音と共に粉微塵に炸裂した――それは軍事用語で”hull-break”と呼ばれる現象。

 部品レベルに分解されても、ソイツの放った赤黒い光に喰い尽くされ、灰になる事さえ許されずに消失した。

 ソイツはふらふらと暁に近寄ると、膝からガクンと崩れ落ち、少女を見下ろしたまま動かなくなってしまった。




 廃工場はいつにも増してどんよりと暗く、嗚咽が響いていた。
「クソッ!……私が出ていれば……盾のある私が出ていれば、オーディンは死なずに済んでいたのに……ッ!」
拳を握り絞め戦慄いているのは、軽巡マインツだ。足元はコンクリートだというのに、能力によって彼女の周りは縦横無尽に亀裂が入っていた。フリードリヒも、椅子に腰かけて俯いている。
「今頃、キールでリスポーンさせられて、軍法会議に掛けられているでしょうね」
規律を一番に重んじるドイツ海軍において、戦闘力の優れたKANSENだからとか、特別計画艦だからという理由で減刑される事は先ずない。オーディンは解体処分――即ち死刑を免れられないだろう。
「おのれぇ……アメ公どもめぇ……許さない……許さない――ッ」
ローンが壁を血気迫る形相で睨みつけながら、呪詛を唱えている。
「もう、日本へ亡命する事なんかぁ、どうでもいい……アメリカを焦土にしてぇ……地図から消し飛ばさないと、気が済まないぃッ!!」
工場の隅では、ガスコーニュが放心状態で天を仰いでいた。
 ふと、フリードリヒが顔を上げる。
「あれを、使いましょう」
「あれって、まさか――」
「ええ、IFPOの浜岡櫂が所有しているという『錨』よ」
その言葉に、マインツとローンが息を呑む。
「私達は正直、イーグル・ユニオンを甘く見ていた。自身が特別計画艦だからと、自惚れていた。オーディンがやられた理由も、きっとそうでしょう」
「奴等を駆逐し、アメリカを滅却するには……使わない道は無し、か」
そう呟くも、マインツの声は歯切れが悪かった。

 錨――艦娘やKANSENの艤装にある錨と同じくらいの大きさだが、シャンクがより長くなっており、矢のような外観となっている。IFPOから盗んだ情報によると、美舩村事件の首謀者であるレイモンド上須賀が開発した者であり、注射器の様に艦娘やKANSENの魂を吸引または注入する代物らしい。浜岡もかの事件で上須賀に錨で貫かれ、金剛の魂が憑依した。
 だが、彼女達にとって重要なのは、そこではない。錨には、この機能を実現する為に、深海棲艦の血液に含まれるウイルス――『Abyss Virus』が内蔵されていた。錨自体がウイルスの培地になっていて、3時間でウイルスに満たされる仕組みになっている。ドイツKANSENを建造する際に用いる深海棲艦の因子とは、正にこのウイルスなのだ。

 フリードリヒは建造されて間もない頃、デーニッツ指揮官に、建造で深海棲艦の因子を使うワケを尋ねた事があった。彼はかつて、軍事化学者としてメンタルキューブの研究に携わっていた。

『――結論から言うと、KANSENは深海棲艦に攻撃できないのだ。彼等には、君達の先祖である艦娘からの攻撃……つまり、艦娘の艤装に宿る妖精が操る武器しか効果がないのだよ。鍵となるのは、深海棲艦の持つウイルスだ。我々化学者は、これをメンタルキューブに付与すれば、深海棲艦の力を持つKANSEN、即ち他国のKANSENの砲雷爆撃をものともしないKANSENが建造されると考えたのだ。既に深海棲艦は絶滅したのだが、彼等のウイルスは培養士保管されていた。
 予想は敵中――KANSENからの攻撃ダメージを半減し、反対に与ダメージを2倍にするKANSEN――現在の鉄血KANSENが誕生した。
 それでも、我々化学者や軍人の欲望は止まらなかった――深海棲艦の因子を持つKANSENに、更にウイルスを投与すれば、より強力なKANSENになるのではないか――と。しかし、現実はそれほど甘くはなかったのだ。
 確かに、KANSENからの攻撃の無効化には成功した。だが、体内のウイルス純度が過剰になり、KANSENは完全な深海棲艦と変貌してしまったのだ。5日も持たず精神は崩壊、記憶を失い、憎悪と殺意に憑りつかれ、暴走した。彼女の僚艦も指揮官も、己の手で葬ってしまったのだ。軍部はやむを得ず艦娘を招集して撃沈……あの娘の悲痛な叫びは、今でもはっきりと覚えているよ。私が今こうして指揮官をやっているのは、あの時の罪滅ぼしなのだ』

 ガタン、とローンが跳び上がった。
「やるしかないわァ!何が何でも、全員切り裂いて木っ端微塵にしてやるッ!」
彼女の言葉を聞いて、尻込みしていたマインツも頷く。
「ああ、我らがデーニッツの為にも、オーディンの為にも、この作戦を完遂しなければならない!」
ガスコーニュも、意を決した表情をしている。フリードリヒも3人を見て、覚悟を決めた。
「そうね、私達は鉄血のKANSEN、目的の為なら手段を択ばず、障壁を蹴散らしてでも前進する――作戦は同時並行で行うわ。ローンは浜岡から『錨』を入手して持って来なさい。貴女の能力を使えば上手くいくわ。いい?怒りに任せて、私より前に自分を貫いては駄目よ?」
「Jawohl ! 楽しみだわぁ」
「マインツとガスコーニュは、『プランⅨ』を実行しなさい」
「え、あれは没案だったのでは……」
「いいえ。万が一、私達が志半ばで全滅した場合の為よ。絶望の炎を絶やしてはいけないわ。それに、デーニッツの死を事故で片付けたドイツ軍と政府も、痛い目に遭ってキッチリと働いてもらわないとね……フフフッ」
「なるほど。必ず成功させますッ。ガスコーニュ、お前の能力が勝敗を分ける。油断するなよ?」
「了解。ガスコーニュ、兵装状態良好。命令の遂行が可能」
改めて、3人の顔を見渡す。曇ったガラス玉の様な眼は、もう何処にも無かった。フリードリヒは立ち上がる。

「諸君、デーニッツは偉大なる指揮官であり、オーディンはかけがえのない戦友であった。合衆国の血と絶叫を以て、彼等へのレクイエムとする。奏者たちはもうお待ちかねだわ!さあ、今こそ戦幕を上げよう!」

 工場のゲートが開き、夕焼け空の下、4人の死神が歩き出した。暗黒の烏が、死闘の始まりを告げて飛び立って行った。
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