ふと目を覚ますと、真っ白な天井と蛍光灯が見えた。どうやらベッドに寝かされているらしい。
(此処は、何処だ?あたしは確か、暁を探しに基地に入って――)
何か眩しい光を見た記憶が残っている。
「痛っ……」
思い出そうとして、頭痛が走った。生命の証を感じ、一先ず安堵する。
「良かった。意識が戻ったようね」
少女の声がして、首を回す。
「暁、それにカリオペさん」
名を呼ばれて、彼は手を振る。ふたりとも、何故か曇った表情をしていた。どうしたものか、と起き上がろうとすると、手首に違和感を覚えた。
(何か引っ掛かってる?)
下を見ると、胴と右手は包帯で巻かれており、腕と足が頑丈な鎖でベッドに繋がれていた。
「ちょっ、なんで?」
困惑するハルに、暁は手鏡を見せた。
「ごめん、私がもっと早く来ていれば……」
泣きそうになっている暁を見て、鏡を覗く。
「え……誰」
飛び込んできた像に、思わず瞬きしてしまう。幻覚じゃないか、と疑う。
顔は死人の如く青ざめていて、髪も真っ白になっていた。それどころか、左目の上から黒い角が伸びて、眼は鬼灯色に染まっていた。
唖然としていると、カリオペの声が聞こえた。
「単刀直入に言うよ……君には、深海棲艦の血が流れている」
「な……」
時間が、止まった。かつて数多の人命を奪い、天城や暁達に沈められていった、深海棲艦である。身体が冷凍され、直後にマグマに浸された様な感覚になる。鏡に写る自分が、現実を突きつけてきた。
「君の母親は、『深海三笠姫』と呼ばれていた。彼女は日本海軍に鹵獲され、レイモンド上須賀のモルモットとして研究されていたのだよ――上須賀は、僕の先輩だった。普段は大人しいけれど、誰よりも強い野心を秘めた男だった。三笠姫は、彼の研究者魂を爆発させた。猛烈な恋をしているみたいだったよ。今思えば、あれは三笠姫の策略だったのだろうな。結果、終戦間近に、君が生まれた。彼からその話を聞いた時は、冗談だと思ったけれどね」
ハルはその男の名前を知っていた。海軍局にいた頃、同郷で元自衛官だった上司から聞いた事があったのだ。彼はこう話していた――『角』と呼ばれる装備を開発して艦娘を操り、私兵を築いて世界征服を目論んだ世紀の大悪党。多くの死者を出した後、IFPOに殺害されたが、上須賀の技術は今のKANSENの基礎となった――それがハルの、実の父なのだ。
「二人の間に何があったのかは分からないけれど、君は天城に託された。天城は昔に、彼に竜骨の病を治療してもらった事があってね。おそらく、その恩返しなのだと思う」
思い返せば、天城は最後まで本当の両親について話さなかった。その様な話題を振られても、笑ってごまかしていた。幼いハルを不安にさせたくなかったのか、恩人である上須賀の名誉を守りたかったのか――納得と共に、絶望を感じた。
「ノーフォーク海軍基地でオーディンと戦い、君は致命傷を負った。その時に何かのスイッチが入って、回復する代わりに、身体の一部が深海棲艦になってしまったのだ……おっと」
ふと、カリオペは上着から携帯端末を取り出して見ると、暁に
「すまない、後は頼んだ。あと、鎖の鍵なら一番上の引き出しだ。よろしく」
と言い残して、病室を出て行った。
暁は無言で、ハルの手足に繋げられた鎖を外した。ハルは死んだ魚の様な眼で、天井を見ていた。
「なあ、アタシは……これからどうなるんだ?」
「……分からない」
暫くの沈黙があって、ハルは
「…………アタシさ、薄々気付いていたんだ」
と投げやりに言った。
「海軍局にいた頃、ブルックリンの工廠に行った時、ドックにいた戦艦が暴走してな。同僚は皆逃げたのに、アタシは気付けば刀を抜いて突っ込んでた。無意識に、殺らなきゃって思ったんだ。マインツの時だって、そうだった。あんたを守る為なんて云うの、は建前だったのさ。斬らなきゃ、沈めなきゃ――破壊衝動っていうより、本能だった。快感すら感じた」
「……」
「今日ので、やっと腑に落ちたよ。アタシは、ヒトの皮を被ったバケモノだったんだ」
「そんなことないわよ」
「じゃあなんでこんな姿になったんだ!極悪人の上須賀と、殺人鬼の三笠姫とかいう奴の血が流れてっからだろうがッ!!」
怒りで拳を握り絞めたので、右手の包帯が裂けた。見ると、手は黒変して血管が紅色に隆起し、爪が鋭く伸びていた。
「ッ――」
青ざめて、腹部の包帯を引き千切る。やはり、漆黒に蝕まれていた。
「クソッ……親の因果が子に報い……なんでだ、なんでアタシなんだ……ッ!」
「――そんなの、関係ないわよ」
「なんだと?」
顔を上げると、暁は真っ直ぐに見つめていた。
「貴女の人生に、両親は関係ない。例え、見た目が深海棲艦だろうが、これからの道を切り開くのは、貴方自身の意志なのよ。未来は変えられるわ……親のせいにしないで、自分で責任をもって生きなさい」
「――」
「また来るわ」
突き放す様に言うと、暁は顔色一つ変えずに部屋から出て行ってしまった。
「……」
気を晴らそうと、身を起こしてカーテンを開ける。夕日が痛く目に刺さって、慌てて降ろした。
その時、はらりと何かが落ちた。拾い上げると、カリオペから渡されたドイツKANSEN達の集合写真だった。
(コイツらさえいなければ――ッ)
破ろうとするも、手が止まる。これを破ってしまったら、自分の大切な何かを失いそうな気がしたのだ。埃を払い落として引き出しを開けると、もう着る事のないIFPOの戦闘服が新調してあった。その胸ポケットに写真を差し込むと、ハルは眠りに就いた。
※
病室を出た暁は、廊下にカリオペの姿を見つけた。彼も暁に気付いたが、険しい表情をしていた。
「カリー、てっきり帰っちゃったのかと思ったわ」
「ああ……少し話があってね」
「それって、ハルの事?」
「うん……そうだ」
病院を出ると、人気の少ないベンチに腰を下ろした。彼は深く息を吸って、口を開く。
「ハルは、IFPOには復帰できない」
「そんな……見た目がちょっと変わっただけじゃない!復帰でき――」
「そうじゃあないんだよ」
カリオペの目が鋭くなった。悲痛に顔を歪ませていた。
「君だって、分かっているはずだろ。ハルは……助からない」
「…………ハルも、あの娘と……同じ運命だって言うの?」
「ああ。残念だが」
呉鎮守府のとある部隊に、如月という名の少女がいた。睦月型2番艦の駆逐艦である。
深海棲艦からの太平洋奪還が軌道に乗り始めた頃、如月を含む艦隊がウェーク島攻略作戦を実行。制海権の奪還に成功するも、如月は敵艦載機の特攻により爆発四散――轟沈してしまった。
ところが翌年、南方作戦の際に撃破した敵輸送艦の中から如月を発見。直ぐに意識も回復し、一件落着と思われた。しかし、記憶障害や突然の発作による味方への砲撃をするようになり、容姿も徐々に変化して深海棲艦となってしまった。これは「D事案」と呼ばれ、世界を震撼させた。
暁は啜り泣いていた。カリオペは淡々と続ける。
「ハルは遅かれ早かれ、天城や僕の事、君の事も忘れていくだろう。そして、どれだけ抗ったとしても、君や人を襲うようになる」
「嘘よ!そんなのあり得ない!!」
「僕だって、僕だって信じたくないさ……でも、僕の仕事は、合衆国の国民を護る事だ。だから、暁……ッ」
カリオペは歯を食い縛り、肩を震わせていた。暫くの沈黙の後、重い口を開ける。
「さっき、国防総省から連絡が入った。君宛の命令だった」
そして、宣告する。
「――命令が発令され次第、ハルを、抹殺せよ」
「ッ!!」
暁は飛び出した。
(あの時、カリオペの言う通り引き返していれば……ハルを置いて基地に入っていなければ……)
草叢に飛び込むと、おいおいと泣いた。
病棟を背に、カリオペは歩き始める。その足元には、白いアネモネ達が、残酷に照らす夕日に向かって咲いていた。
※
あれから二日――ハルは人ではなく深海棲艦として扱われ、検査や凄惨な実験を数多と受けた。その間、暁とカリオペが彼女の元を訪れる事はなかった。
ハルは寝台で味気の無いパンを力なく頬張っていた。腕に発信機付きのリングを嵌めており、傍には看護婦に偽装した二人のKANSENが付いていた。何時ハルが発作を起こしても大事に至らないためにと、イーグル・ユニオンが派遣したのである。交代制で、四六時中何処へ行く時も付き纏っていた。二人の顔に感情はなく、嘴広鸛の様にじっと監視していた。
朝なのにもかかわらず、病室の窓は閉め切られていた。深海棲艦化の影響なのか、ハルの眼は日光に対して弱くなっていたのだ。微かな小鳥の囀りだけが、病室に木霊していた。
プレートに盛られた食料を弄っていると、壁の向こうから中年くらいの女性の声が聞こえてきた。どうやらベッドのシーツ交換を行っているようだ。
「――昨日のあれ、すごかったわね」
「121号室よね。あんなに大勢に看取られて」
「ええ。大家族とは聞いていたけれど、全員集まったそうね。皆に見送られて、幸せ者だわ」
「わざわざサンディエゴから飛んできた人もいたって。甥っ子さんだそうよ」
「まあ、親孝行な人だわ」
「それもそうだけれど、さぞ皆に慕われていたのでしょうね」
「ええ、本当に――」
その会話を聴きながら、ハルはぼんやりと考え事をしていた。
(もしあの日、連中が侵攻してこなかったら、アタシはどんな気持ちで師匠を見送っていただろうか。それとも、師匠は艦娘だから、アタシが先に寿命が来て、看取られていたんだろうか。だとすれば、師匠はどんな顔をして、どんな事を言ってくれただろうか……)
ネオ・レッドアジュアに家族を奪われ、自らも深海棲艦となった今、それは叶わぬ夢であった。
ふいに、「普通の家族に生まれていれば」と思った。気が付くと、ハルの頬に涙が伝っていた。二人のKANSENは、無言のままだった。
『ピピピピ!』
突然に音がして、二人が同時に端末を取り出した。寸刻して、壁の向こうから悲鳴が聞こえた。ハルは何事かと困惑していると、片方が大童でテレビの電源を入れた。
「なん……だと……⁉」
画面に映し出されたそれを見て、三人は凍り付いた。
【大統領警報発令】ジャマイカ湾付近に未確認巨大生物襲来、ニューヨークに壊滅的被害
※
シティ・オブ・ニューヨーク――合衆国最大の都市であり、都市圏人口は2000万人を超える世界都市である。高層ビルが犇めくこの都市は「眠らない街」と呼ばれ、最先端の技術、ファッション、エンターテインメントが凝集されている。また、政治や経済、文化の面においても、世界に多大な影響を及ぼしている。
その大都市が今、9.11以来の攻撃を受けていた。
駆逐艦暁は黒く染まった大西洋を突き進む。
羅針盤と妖精が、奴の位置を知らせたのだ。目的地はジャマイカ湾から沖へ十数キロ離れた地点だった。タービンをフル回転させて、高速鉄道並みの速さで駆けていた。
彼方にニューヨーク港が見えた時、正面のジャマイカ湾に火の手が上がっていた。その渦中に、黒い何かが聳え立っていた。よく見ると、ゆっくりと動いている。暁はもしや、と思って双眼鏡を取り出して、覗く。
(なんなのよ、あれ⁉)
視界の中のそれは、エンパイアステートビルをも上回る、超巨大でドス黒い龍であった。鮫の様な頭部には山吹色の眼が鋭く光っており、長い首には青い発光器官が瞬いている。胴体には至る所に砲塔が生えており、特に背中にはグスタフやドーラが子犬に思えるくらいの超大型の艦砲が4門も並んでいた。その足元では、蚤の如く小さなKANSENが数百も群がって砲撃していて、蚊の様な艦載機たちは主砲を潰そうと必至に舞っている。だが、全くダメ―ジが入っていないようだ。人間が操るイージス艦やジェット戦闘機も参加しているが、もちろん戦力外である。巨龍は彼女達を意にも介さず、のっそりとビル群へ進んでいた。
暁が妖精達に武装の最終チェックを支持していると、無線からカリオペの声が聞こえてきた。彼の声は明らかに焦っていた。
“間違いない……奴は、特別計画艦でありドイツ最強のKANSEN――”
その名を口にしようとした瞬間、ザザザっとノイズが入った。
“私の名はフリードリヒ・デア・グローセ。ドイツより来たる幻影……”
女の声が聞こえた。低く、優しく、冷たい声だ。
「まさか、ハッキングされた⁉」
暁に戦慄が走る。
“我々ドイツ軍は、既に合衆国民全員の首に手を掛けたわ。でも、順番は大事。そう、コンチェルトの様に。先ずは東の大都市、ニューヨークから。フフフ……”
「貴様ッ!!」
“さあ、調べを奏でよ!憎悪、恐怖、絶望を――!!”
地震の様な咆哮が響き、遅れて突風が吹き荒れる。暁は帽子を押さえながら、再び望遠鏡を覗いた。
巨龍は天を仰ぐと、顎が首の所まで裂ける様に開いた。すると、青い発光器が強く瞬き始め、喉の周りに橙色の光の粒が集結し始めた。
「だめ……それだけは……ッ!」
やがて太陽の如く眩い光となり――
『ゴォォオオオオオオオオオオオ――!!!』
レーザー状の光線が分厚い雲を貫いた。そのまま頭を振って薙ぎ払うと、自由の女神やビルの群れが、まとめて一刀両断されてしまった。ビームの勢いは留まらず、足元の護衛艦やKANSENを海水ごと蒸発させていく。暁はただ、指を咥えて見ているしかなかった。
「ああ……あ……ああ……!」
前身が灼ける様な感覚を覚える。底知れない絶望に襲われて、本能的に減速してしまう。だが、後から別の何かが湧き上がって来て、小さな背中を押した。
「今度は……今度は、絶対に逃げたりしないんだからッ!!」
宣言すると、暁は雄叫びを上げて、海面を蹴り飛ばして行った。
病室は静寂に包まれていた。床には破壊されたリングと、二人のナース姿の少女が伸びていた。乱暴に開けられた引き出しは空になっていた。窓ガラスはぽっかりと穴が開けられていて、ハルの姿は何処にも無かった。