Hull's Report   作:田村天山

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 巨龍の行脚は止まらない。眼に映る全てを憎み、生きとし生けるもの全てを滅ぼす。地は却焔に沈み、天は暗に覆い尽くされる。その者の名は、戦艦フリードリヒ・デア・グローセ――生物を超越し、災厄となりて、終焉の調べを奏でる者。避けられぬ死、底なしの絶望。人類よ、叫べ、祈れ、命あるうちに――。


7. 日食

「…………」

瓦礫の山の頂上に、駆逐艦暁はぽつりと棒立ちしていた。セーラー服はボロボロに破れ、煤と血で雑巾みたく汚れている。背負っている艤装は穴だらけで、魚雷発射管は根元から千切れて無くなっており、12.7サンチ連装砲は砲身の片方が折れていた。

 茫然と見上げる先に、フリードリヒが聳え立っている。嵐の如くの砲雷爆撃を喰らったにも関わらず、傷らしい傷が一つたりとも見当たらない。一方のイーグル・ユニオンとIFPOは、暁を除いて全滅してしまった。あるKANSENは熱線で消し飛び、またあるKANSENは崩落するビルの下敷きになった。周囲には撃墜された米軍の戦闘機や、融解して未だに赤熱している戦車が転がっていた。

(また、私だけ……生き残ってしまった)

暁は乾いた声で嘲った。腕時計を見ると、液晶の中で数字が発狂したように踊っている。画面の端に、放射線マークが表示されていた。

(再び草が生える事すら許さない、か――)

溜息をつくと、それを外して投げ捨て、座り込む。そして、軽くなった艤装を脱いで、傍らに置いた。見渡すと、ビルはどれもダルマ落としの状態になり、大都会だというのに遠くの山が見えた。何処にも生命の気配は感じられず、仮に地獄という世界があるのなら、きっとこの様な光景なのだろうな、と想像する。

 巨龍は一歩ずつ、此方へと近づいている。けれども、暁の存在には気付いていないらしく、少女の背後の地平線に向かってビームを注ぎ続けていた。彼方の街で、今も絶えず命が焼き尽くされている。暁はそれを黙って見ているしかなかった。燃料と弾薬を使い切ってしまったのだ。ふと、佐世保にいた頃の僚艦の声が、頭の中で木霊した。

 

『艦娘が深海棲艦と戦う理由、それは、一人でも多くの人命を護るためネー。ワタシたちがまだ鋼鉄の身体だった頃、誰も守ることができなくて、数えきれない命が戦火に焼かれていった――だから、こうして生まれ変わって、今度こそは、深海棲艦から皆を守り抜いて見せると誓ったのデース』

 

彼女はそう言い残して、十死零生の海域に飛び込み、人々の盾となって轟沈していった。

(艦娘失格ね。私……)

スクラップ同然の艤装に目を向けると、妖精達が集まって此方を伺っていた。暁は彼等の言葉を感じ取って、力なく微笑みかける。

「そうね、浜岡指揮官なら、きっと生きて帰って来いって言うでしょうね。でも、誰も守護れなかった私がのうのうと生き延びるなんて……あの戦争で沈んだ皆が、大切な人を亡くした人々が許してはくれないわ。もう……もう、いいの。だから、お願い」

妖精は涙ながらに敬礼すると、艤装の中へと戻って行った。彼等を見届けて、暁は立ち上がる。懐から銃を取り出すと、真っ黒な空に向けて照明弾を放った。

「ッ……」

山吹色の凶悪な眼光が、瓦礫に立つ暁を見つけるのに時間は掛からなかった。巨龍は攻撃を停止すると、暁の方を向いて口を開ける。月をも吸い込んでしまいそうな砲口が少女を捉えた。

「――」

巨龍の口の奥から、徐々に明るくなっていく。太陽よりも熱いビームが、間もなく発射される。

(指揮官、先立つ不孝をお許しください。ハル、先輩らしい事を何一つしてあげられなくてごめん。頑張って、この戦争を生き延びて下さい。さようなら――)

眼を閉じて、静かにその時を待つ。

 しかし、待てど暮らせど攻撃が来ない。不思議に思って眼を開けると。龍の関心は、既に違うものへと向けられていた。

 天を覆う暗黒の雲が、雷光を迸らせながら渦を巻き始めていた。それはどんどん速くなっていき、轟音と共に遠心力で外側へと押し出されていく。雲は薄くなっていって、やがてドーナツの様にぽっかりと穴が開いた。

「何よ……これ」

現れたのは、青空ではなく、彼岸花の如く紅い空だった。よく見ると、無数の紅色の電が縦横無尽に走っている。それらが中央に集まって伸びていた。更に眼を凝らすと、何か黒い点が静止しているのが分かった。暁は双眼鏡を取り出して覗いた。そのシルエットを拡大して、ピントを合わせて、絶叫する。

「ハル⁉」

漆黒の翼を伸ばした少女が、長いカノン砲を構えながら雷を吸収していた。暁は、信じられないという表情をして、より拡大してみる。

「ッ!」

ハルの瞳は、輝いていた。初めて会った時の、哀しみを明るい碧で塗り潰した眼でも、病院で見た死んだ魚の様な眼でもなかった。覚悟を決めて、実行する眼――あの日の佐世保の僚艦達と同じ眼をしていた。しかし、ハルのカノン砲が眩い光を帯び始めた為、その顔は直ぐに薄れて見えなくなった。

(一体、どうするつもりなの……?)

ここで、えげつない何かが来ると察した巨龍が、暁にぶつける筈だった攻撃をハルに向けようとする。だが、既に手遅れだった。

 フリードリヒが「あっ」と零すのと、空が紅く瞬いたのは、ほぼ同時だった。

 

『グォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!』

 

秒速299792kmの攻撃が、天から巨龍を貫いた。紅の稲妻が、鉄黒の装甲を蝕み、粉砕し、分解し、喰い尽くす。最早、フリードリヒは分子レベルですら存在を許されることなく、一瞬でこの世から完全に消滅した。

 目前で起きた事が信じられず、暁は突っ立っていた。それも束の間、はっとして、空を見上げる。

「…………ッ⁉」

彼方に、力を使い果たし翼も千切れたハルが、自由落下を始めていた。

 

     ※

 

 気が付くと、ハルは天城荘の道場にいた。視線を降ろすと、カノン砲に変化していた右腕が、元通りに治っていた。額に手を伸ばしてみると、やはり角も無くなっており、髪も濡羽色に戻っていた。

「そっか。あたし、死んだのか。あんな雷ぶっ放すのは、深海棲艦の身体でも耐えられなかったんだな」

そう呟いて、暁やカリオペはどうしているだろうか、と思っていると、雪崩の様な拍手が響いた。顔を上げると、天城を筆頭に、天城荘の艦娘達が笑顔で迎えていた。

「よく頑張りましたね、晴香」

「お師匠様……皆も…………うぅ……だめだ、武士たるもの……泣いては……ッ」

堪え切れずに、天城の胸に飛び込んだ。あの日と変わらぬ温もりを感じて、とうとう箍が外れて、涙が止まらなくなる。そんなハルを、彼女は

「こらこら、もう大人でしょう。仕方のない子ですね」

と言って、頭を優しく撫でていた。

「お師匠様。あたしは……ずっと……ずっと、今日を夢見ておりました。天城荘を発ったあの日から、いくつの夜を、枕を涙に浮かべた事か……もう、離れません……離れたくないッ」

そう言って、強く抱きしめる。しかし、天城はハルを引き離して、首を横に振った。

「貴女にはまだ、下界でやり残した事があります」

「え……?」

「艦娘がKANSENへと更新され、妖精の呪縛が解けて、人類はかつてない危機に直面しています。それも、深海棲艦から人々を護っていた者達が、私利私欲の為に人命を奪う道具となってしまった故。戦争の怨恨は更なる怨恨を生むのみ。それを一番よく知っているのは、他ならぬ艦娘やKANSENじゃあありませんか――思い出しなさい。技と力は、誰かを護る盾であり、矛に在ってはならずと。晴香よ。伝えなさい、その技を。広めなさい、その心を――今こそ、我らが天城流柔術の本懐を果たす時なのです」

丁度その時、ハルの背後から声が聞こえた。

 

“三浦!三浦!目を覚ましてくれ!”

 

向き直るハルに、天城は

「さあ、仲間達が貴女を待っています。胸を張って生きなさい。私達は此処から、ずっと見守っていますよ」

と微笑みかけた。ハルは頷いて、涙を拭う。

「お師匠様、必ずや使命を果たしてまいります。それまで、もう暫く待っていて下さい……みんな、ありがとう!」

天城達は敬礼を送った。声のした方を向くと、大きく開かれた扉から眩しい光が差し込んでいた。それに向かって、歩き出す。

 何時か、また会える――ハルは、振り返らなかった。

 

     ※

 

「ッ⁉」

轟音に耳を叩かれ、ハルは目覚めた。その瞬間、暴風に襲われて息が詰まりそうになる。プロペラが高速で回転していた。その奥に、果てしない蒼空が広がっている。首を回すと、目と鼻の先に、ネイビーブルーの翼と星形のラウンデルが見えた。すると、

「三浦⁉良かった!息を吹き返したか!」

と白髪でショートヘアの女が顔を覗き込んだ。ハルは暫く困惑したが、そのボロボロの上着を見て、彼女がエンタープライズだと分かった。制帽を被っていない姿を見るのは初めてだ。どうやら、彼女にお姫様抱っこされているらしい。

「此処は……」

「空の上だ」

「ッ⁉」

驚きのあまり落ちそうになり、右手を付く。

「あれ……」

右腕が元に戻っていた。恐る恐る額を触ると、角も無く、風邪で靡く髪も黒だった。頬を抓ってみると、痛かった。それを見たエンタープライズは、

「フリードリヒを爆撃しに向かっていたら、奴が紅い雷に射抜かれるのが見えた。そうしたら、天から君が鉄屑と落ちていくのが見えて、急降下して拾ったのだ。此奴にダイブブレーキが付いていたお陰で、上手くいった。心配するな。君は生きている。私も、だ」

と微笑んだ。

「なんか、その……ありがとうございます」

「いいよ。あの時の借りを返したまでだ」

そう言う彼女は、普段と違って何処か晴れ晴れとした様子であった。

「これからラングリー空軍基地まで向かう。少し長旅になるが、辛抱してくれ」

ふと、ハルは何かを感じて、もじもじし始めた。

「あの……その、エンタープライズさん」

「なんだ?」

「この恰好、恥ずかしいです……なんというか、赤ん坊みたいな気分です」

「そうか、そうか。ではご褒美のミルクを与えないとな」

「なっ⁉」

「はははっ、冗談だ!ほら、起き上がれるか?脚をプロペラに巻き揉まない様に気を付けろ」

身を起こして、ネイビーブルーの円筒に跨る。眼下に海が見えた。水面は透き通るように青く、煌めいていた。

「綺麗な海……」

「ああ。平和な海だ――私達が守るべき、海だ」

昼下がりの暖かい空の下、ハルとエンタープライズを載せた航空機が飛んでいく。南の水平線へと小さくなっていき、陽光に溶け込んで、見えなくなった。

 暫くして、ドイツKANSENの集合写真が、はらりはらりと降って来た。それは暫く漣に揺られると、ゆっくりと沈んで、消えていった。

 

――Mission has been completed.




 こうして、アメリカ東海岸を中心に起きた災厄が、幕を閉じたのである。ノーフォーク、ニューヨークとその周辺地域が壊滅し、犠牲者は5000万人近くに上った。ドイツ政府は、暴走した一部のKANSENによるテロ行為だとして国の関与を否定し続けた。また、ヴィシーフランス政府も、戦艦ガスコーニュの関与を否定した。しかし、アメリカ国内ではドイツとヴィシーフランスに対する批判や報復の声で溢れかえり、大統領は最後通牒を通告した。これに対してドイツとヴィシーフランスは共同で宣戦布告を決意し、独米戦争へと発展したのである。この事件は、アズールレーンとレッドアクシズが決定的に対立した分水嶺として、歴史に刻まれる事となった。
 その後、浜岡は多くの人命を犠牲にした事に対する自責の念に苛まれ、暁達の引き留めの甲斐も無く海軍を後にした。よって浜岡の部隊は解散となり、ジョージアとシアトルは別部隊へ移動、ネプチューンとチェシャーは練度が充分に上がっていたので母国イギリスへと帰国した。ハルと暁は、遠く西へ離れたサンディエゴ海軍基地に移籍され、教官としてイーグル・ユニオンの新米KANSEN達の指導に当たっている。海上戦闘の艦娘暁、陸上近接戦闘の三浦と呼ばれ、古参のKASNEN達にも親しまれている。特に、日本上陸作戦ではKANSENの陸上戦闘と屋内戦闘が想定されており、ハルの天城流柔術が重要視された。彼女は天城の言葉――技と力は、誰かを護る盾であり、矛に在ってはならず――を何時も口酸っぱく唱えていた。
 世界が戦乱の混沌に染まる中、少女達は希望の光を求めて、一所懸命に歩んで行くのであった。
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