「…………」
瓦礫の山の頂上に、駆逐艦暁はぽつりと棒立ちしていた。セーラー服はボロボロに破れ、煤と血で雑巾みたく汚れている。背負っている艤装は穴だらけで、魚雷発射管は根元から千切れて無くなっており、12.7サンチ連装砲は砲身の片方が折れていた。
茫然と見上げる先に、フリードリヒが聳え立っている。嵐の如くの砲雷爆撃を喰らったにも関わらず、傷らしい傷が一つたりとも見当たらない。一方のイーグル・ユニオンとIFPOは、暁を除いて全滅してしまった。あるKANSENは熱線で消し飛び、またあるKANSENは崩落するビルの下敷きになった。周囲には撃墜された米軍の戦闘機や、融解して未だに赤熱している戦車が転がっていた。
(また、私だけ……生き残ってしまった)
暁は乾いた声で嘲った。腕時計を見ると、液晶の中で数字が発狂したように踊っている。画面の端に、放射線マークが表示されていた。
(再び草が生える事すら許さない、か――)
溜息をつくと、それを外して投げ捨て、座り込む。そして、軽くなった艤装を脱いで、傍らに置いた。見渡すと、ビルはどれもダルマ落としの状態になり、大都会だというのに遠くの山が見えた。何処にも生命の気配は感じられず、仮に地獄という世界があるのなら、きっとこの様な光景なのだろうな、と想像する。
巨龍は一歩ずつ、此方へと近づいている。けれども、暁の存在には気付いていないらしく、少女の背後の地平線に向かってビームを注ぎ続けていた。彼方の街で、今も絶えず命が焼き尽くされている。暁はそれを黙って見ているしかなかった。燃料と弾薬を使い切ってしまったのだ。ふと、佐世保にいた頃の僚艦の声が、頭の中で木霊した。
『艦娘が深海棲艦と戦う理由、それは、一人でも多くの人命を護るためネー。ワタシたちがまだ鋼鉄の身体だった頃、誰も守ることができなくて、数えきれない命が戦火に焼かれていった――だから、こうして生まれ変わって、今度こそは、深海棲艦から皆を守り抜いて見せると誓ったのデース』
彼女はそう言い残して、十死零生の海域に飛び込み、人々の盾となって轟沈していった。
(艦娘失格ね。私……)
スクラップ同然の艤装に目を向けると、妖精達が集まって此方を伺っていた。暁は彼等の言葉を感じ取って、力なく微笑みかける。
「そうね、浜岡指揮官なら、きっと生きて帰って来いって言うでしょうね。でも、誰も守護れなかった私がのうのうと生き延びるなんて……あの戦争で沈んだ皆が、大切な人を亡くした人々が許してはくれないわ。もう……もう、いいの。だから、お願い」
妖精は涙ながらに敬礼すると、艤装の中へと戻って行った。彼等を見届けて、暁は立ち上がる。懐から銃を取り出すと、真っ黒な空に向けて照明弾を放った。
「ッ……」
山吹色の凶悪な眼光が、瓦礫に立つ暁を見つけるのに時間は掛からなかった。巨龍は攻撃を停止すると、暁の方を向いて口を開ける。月をも吸い込んでしまいそうな砲口が少女を捉えた。
「――」
巨龍の口の奥から、徐々に明るくなっていく。太陽よりも熱いビームが、間もなく発射される。
(指揮官、先立つ不孝をお許しください。ハル、先輩らしい事を何一つしてあげられなくてごめん。頑張って、この戦争を生き延びて下さい。さようなら――)
眼を閉じて、静かにその時を待つ。
しかし、待てど暮らせど攻撃が来ない。不思議に思って眼を開けると。龍の関心は、既に違うものへと向けられていた。
天を覆う暗黒の雲が、雷光を迸らせながら渦を巻き始めていた。それはどんどん速くなっていき、轟音と共に遠心力で外側へと押し出されていく。雲は薄くなっていって、やがてドーナツの様にぽっかりと穴が開いた。
「何よ……これ」
現れたのは、青空ではなく、彼岸花の如く紅い空だった。よく見ると、無数の紅色の電が縦横無尽に走っている。それらが中央に集まって伸びていた。更に眼を凝らすと、何か黒い点が静止しているのが分かった。暁は双眼鏡を取り出して覗いた。そのシルエットを拡大して、ピントを合わせて、絶叫する。
「ハル⁉」
漆黒の翼を伸ばした少女が、長いカノン砲を構えながら雷を吸収していた。暁は、信じられないという表情をして、より拡大してみる。
「ッ!」
ハルの瞳は、輝いていた。初めて会った時の、哀しみを明るい碧で塗り潰した眼でも、病院で見た死んだ魚の様な眼でもなかった。覚悟を決めて、実行する眼――あの日の佐世保の僚艦達と同じ眼をしていた。しかし、ハルのカノン砲が眩い光を帯び始めた為、その顔は直ぐに薄れて見えなくなった。
(一体、どうするつもりなの……?)
ここで、えげつない何かが来ると察した巨龍が、暁にぶつける筈だった攻撃をハルに向けようとする。だが、既に手遅れだった。
フリードリヒが「あっ」と零すのと、空が紅く瞬いたのは、ほぼ同時だった。
『グォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!!!!!!』
秒速299792kmの攻撃が、天から巨龍を貫いた。紅の稲妻が、鉄黒の装甲を蝕み、粉砕し、分解し、喰い尽くす。最早、フリードリヒは分子レベルですら存在を許されることなく、一瞬でこの世から完全に消滅した。
目前で起きた事が信じられず、暁は突っ立っていた。それも束の間、はっとして、空を見上げる。
「…………ッ⁉」
彼方に、力を使い果たし翼も千切れたハルが、自由落下を始めていた。
※
気が付くと、ハルは天城荘の道場にいた。視線を降ろすと、カノン砲に変化していた右腕が、元通りに治っていた。額に手を伸ばしてみると、やはり角も無くなっており、髪も濡羽色に戻っていた。
「そっか。あたし、死んだのか。あんな雷ぶっ放すのは、深海棲艦の身体でも耐えられなかったんだな」
そう呟いて、暁やカリオペはどうしているだろうか、と思っていると、雪崩の様な拍手が響いた。顔を上げると、天城を筆頭に、天城荘の艦娘達が笑顔で迎えていた。
「よく頑張りましたね、晴香」
「お師匠様……皆も…………うぅ……だめだ、武士たるもの……泣いては……ッ」
堪え切れずに、天城の胸に飛び込んだ。あの日と変わらぬ温もりを感じて、とうとう箍が外れて、涙が止まらなくなる。そんなハルを、彼女は
「こらこら、もう大人でしょう。仕方のない子ですね」
と言って、頭を優しく撫でていた。
「お師匠様。あたしは……ずっと……ずっと、今日を夢見ておりました。天城荘を発ったあの日から、いくつの夜を、枕を涙に浮かべた事か……もう、離れません……離れたくないッ」
そう言って、強く抱きしめる。しかし、天城はハルを引き離して、首を横に振った。
「貴女にはまだ、下界でやり残した事があります」
「え……?」
「艦娘がKANSENへと更新され、妖精の呪縛が解けて、人類はかつてない危機に直面しています。それも、深海棲艦から人々を護っていた者達が、私利私欲の為に人命を奪う道具となってしまった故。戦争の怨恨は更なる怨恨を生むのみ。それを一番よく知っているのは、他ならぬ艦娘やKANSENじゃあありませんか――思い出しなさい。技と力は、誰かを護る盾であり、矛に在ってはならずと。晴香よ。伝えなさい、その技を。広めなさい、その心を――今こそ、我らが天城流柔術の本懐を果たす時なのです」
丁度その時、ハルの背後から声が聞こえた。
“三浦!三浦!目を覚ましてくれ!”
向き直るハルに、天城は
「さあ、仲間達が貴女を待っています。胸を張って生きなさい。私達は此処から、ずっと見守っていますよ」
と微笑みかけた。ハルは頷いて、涙を拭う。
「お師匠様、必ずや使命を果たしてまいります。それまで、もう暫く待っていて下さい……みんな、ありがとう!」
天城達は敬礼を送った。声のした方を向くと、大きく開かれた扉から眩しい光が差し込んでいた。それに向かって、歩き出す。
何時か、また会える――ハルは、振り返らなかった。
※
「ッ⁉」
轟音に耳を叩かれ、ハルは目覚めた。その瞬間、暴風に襲われて息が詰まりそうになる。プロペラが高速で回転していた。その奥に、果てしない蒼空が広がっている。首を回すと、目と鼻の先に、ネイビーブルーの翼と星形のラウンデルが見えた。すると、
「三浦⁉良かった!息を吹き返したか!」
と白髪でショートヘアの女が顔を覗き込んだ。ハルは暫く困惑したが、そのボロボロの上着を見て、彼女がエンタープライズだと分かった。制帽を被っていない姿を見るのは初めてだ。どうやら、彼女にお姫様抱っこされているらしい。
「此処は……」
「空の上だ」
「ッ⁉」
驚きのあまり落ちそうになり、右手を付く。
「あれ……」
右腕が元に戻っていた。恐る恐る額を触ると、角も無く、風邪で靡く髪も黒だった。頬を抓ってみると、痛かった。それを見たエンタープライズは、
「フリードリヒを爆撃しに向かっていたら、奴が紅い雷に射抜かれるのが見えた。そうしたら、天から君が鉄屑と落ちていくのが見えて、急降下して拾ったのだ。此奴にダイブブレーキが付いていたお陰で、上手くいった。心配するな。君は生きている。私も、だ」
と微笑んだ。
「なんか、その……ありがとうございます」
「いいよ。あの時の借りを返したまでだ」
そう言う彼女は、普段と違って何処か晴れ晴れとした様子であった。
「これからラングリー空軍基地まで向かう。少し長旅になるが、辛抱してくれ」
ふと、ハルは何かを感じて、もじもじし始めた。
「あの……その、エンタープライズさん」
「なんだ?」
「この恰好、恥ずかしいです……なんというか、赤ん坊みたいな気分です」
「そうか、そうか。ではご褒美のミルクを与えないとな」
「なっ⁉」
「はははっ、冗談だ!ほら、起き上がれるか?脚をプロペラに巻き揉まない様に気を付けろ」
身を起こして、ネイビーブルーの円筒に跨る。眼下に海が見えた。水面は透き通るように青く、煌めいていた。
「綺麗な海……」
「ああ。平和な海だ――私達が守るべき、海だ」
昼下がりの暖かい空の下、ハルとエンタープライズを載せた航空機が飛んでいく。南の水平線へと小さくなっていき、陽光に溶け込んで、見えなくなった。
暫くして、ドイツKANSENの集合写真が、はらりはらりと降って来た。それは暫く漣に揺られると、ゆっくりと沈んで、消えていった。
――Mission has been completed.
こうして、アメリカ東海岸を中心に起きた災厄が、幕を閉じたのである。ノーフォーク、ニューヨークとその周辺地域が壊滅し、犠牲者は5000万人近くに上った。ドイツ政府は、暴走した一部のKANSENによるテロ行為だとして国の関与を否定し続けた。また、ヴィシーフランス政府も、戦艦ガスコーニュの関与を否定した。しかし、アメリカ国内ではドイツとヴィシーフランスに対する批判や報復の声で溢れかえり、大統領は最後通牒を通告した。これに対してドイツとヴィシーフランスは共同で宣戦布告を決意し、独米戦争へと発展したのである。この事件は、アズールレーンとレッドアクシズが決定的に対立した分水嶺として、歴史に刻まれる事となった。
その後、浜岡は多くの人命を犠牲にした事に対する自責の念に苛まれ、暁達の引き留めの甲斐も無く海軍を後にした。よって浜岡の部隊は解散となり、ジョージアとシアトルは別部隊へ移動、ネプチューンとチェシャーは練度が充分に上がっていたので母国イギリスへと帰国した。ハルと暁は、遠く西へ離れたサンディエゴ海軍基地に移籍され、教官としてイーグル・ユニオンの新米KANSEN達の指導に当たっている。海上戦闘の艦娘暁、陸上近接戦闘の三浦と呼ばれ、古参のKASNEN達にも親しまれている。特に、日本上陸作戦ではKANSENの陸上戦闘と屋内戦闘が想定されており、ハルの天城流柔術が重要視された。彼女は天城の言葉――技と力は、誰かを護る盾であり、矛に在ってはならず――を何時も口酸っぱく唱えていた。
世界が戦乱の混沌に染まる中、少女達は希望の光を求めて、一所懸命に歩んで行くのであった。