自由フランスのKANSENであり特別計画艦――重巡サン・ルイは、寮の窓辺にて本を捲っていた。窓から光が差し込み、読書には打って付けなのである。少し日焼けした表紙には、『法王庁の抜け穴 アンドレ・ジイド作』とあった。テーブルには、クッキーと紅茶、白いアヤメの花が添えられた花瓶、そして1枚の写真が飾られていた。写真には、モンサンミッシェルをバックに、サン・ルイとシャンパーニュが肩を組んで並んでいた。
サン・ルイは紅茶をひとくち飲もうとして、その写真が目に入った。ティーカップへと向かっていた手は、写真立てへと向かった。
「あれから半年。しかし私には、貴女がつい昨日まで隣にいた様な気がする。神の思し召しとはいえ、親友なき道を往くのは、寂しく辛いものだ。なあ、シャンパーニュよ。貴女は遠い異国の地で、最期にどんな空を見たのだろうか――」
※
ブルックリン海軍工廠――トラックの搬入口にて、ハルは納品した資材の受取書にサインを貰っていた。
「はい、毎度どうも」
作業着姿の男が、受取書をハルに返す。彼女はすらすらと確認すると、
「ありがとうございます」
お辞儀した。男は物珍しそうに彼女の刀に目をやって、
「ところでお嬢さん、それはサムライソードかい?」
と忍者のポーズをしてみせた。
「え、ええ、まあ。拳銃よりもこっちのほうが使い慣れてるんで」
「ほう、珍しいねぇ。じゃあ君は、クノイチって事か」
久々に聞いた言葉に、ハルは身を乗り出す。
「くのいち、ご存じなんですか?」
「うん。もう直ぐ5歳になる息子が、大のニンジャファンでね。日本へ本物のニンジャを見に行くんだって聞かなくって」
そう言う男は照れ笑いを浮かべていたが、ハルの表情は少し曇っていた。
「早く終わればいいですね、戦争」
「本当、そうだよねぇ……」
暫く沈黙が続いて、「では」とハルがトラックに乗り込んだ。
その時だった。
『ドォン!……バリバリ!……』
と遠くから轟音が聞こえた。ハルは何事かと車を降りて、外へ出る。見ると、男はトランシーバーに噛み付くように叫んでいた。周りを見渡すと、彼と同じ作業着の人がぞろぞろと出てきていた。ハルは
「さっきの物音、何だったのですか⁉」
と訊くと、彼は深刻な表情で此方を見た。
「ドックの方でアクシデントが発生した。兎に角、君は此処から早く離れr――」
「ッ⁉」
察知して、音速で抜刀する。次の瞬間、光線が振り上げられた刀に屈折し、男の左肩数ミクロン横を貫く。ハルの華奢な身体が、大きすぎる反動に仰け反る。直後、空間が音に殴打され、ふたりは宙を舞って壁に激突し、落ちた。
「かっ、ゲホゲホッ……大丈夫ですか⁉」
「……あ、ああ。君こそ」
「ええ」
「ありがとう。君のお陰で助かった」
ふたりは何とか立ち上がると、壁にぽっかりと開いた穴が目に入った。直径は50センチメートルを越えており、何枚もあった壁を全て貫き、遠方に小さく火柱が上がっていた。ハルの刀からも薄く白煙が湧いている。奇跡的にも、トラックや運搬して来た可燃物は無事だった。
「砲弾……?」
ハルの声に、「ご明察!」と応える様に、数発の爆発音が続き、ドックのある方角から黒煙が上がっているのが見えた。そして、視線を惨状へ向けたまま、
「皆さんは避難してください!」
と言った。まだ壁にもたれかかっている男と作業員達は怪訝な表情をする。
「君はどうするつもりだね?」
「あたしは――」
向き直って、納刀すると、答える。
「様子を見てきます」
「ダメだ、危険すぎる!ドックには――」
引き留める彼を無視して一礼すると、ハルは弾丸のように飛び出した。硝煙の匂いにむせるも、勢いそのままに建物と逃げ惑う人や車の間を縫って、開けた場所に辿り着いた。
「え……」
足が、止まった。目の前には、炎と黒煙が壁の様に聳え立っていた。空は朱に染まり、視線を降ろせば、屋根ごと吹き飛んだドックの周囲にKANSENらしきの残骸が転がっている。その渦中に、どっしりと白い巨体があった。
ポケットに双眼鏡が入っていたのを思い出し、取り出して照準を合わせる。先ず、ハルはその大きさに吃驚した。一言で言い表せば、「艤装を実艦と原寸大にして、それに合わせて女性が巨大化しました」という感じである。弩級戦艦が3つ横並びしているように見えるが、本体は真ん中だけで、両側は船首が三連装砲を咥えたような造りになっている。白に瑠璃色のセンターストライプのある船体は、まるでレーシングカーだ。中央の船体には巨人が座している。純白のワンピースに身を包み、黒十字の髪飾りを着けた水色のロングヘアの頭上に、濡羽色のティアラを載せている。すらりとした身体や腕とは対照的に、脚は頑丈な鉄黒の甲冑に覆われていた。5階建てくらいの上半身の背後には、主砲と艦橋が並んでいる。加えて、錨の代わりに錨サイズの乳香をぶら下げていた。
ここで、ハルは首を傾げた。巨人は腕をだらりと脱力させていて、眼を閉じて俯いている。
「寝ているのか?」
その時だった、「否」とでも言うかの如く動き出したのだ。ゆっくりと、片方の船体が上がった。船底にはロボット的な指があり、地面を掴むと、巨体を引き摺り寄せた。両側の船体はアームになっており、鯨のような体を支えている。ハルは思わず哂ってしまった。
「ここは危険よ。早く逃げなさい!」
振り返ると、数台の装甲車が通過した。横一列に拡がって停車すると、後部ハッチが開き、KANSEN達がぞろぞろと現れた。彼女達は肩にIFPOのワッペンを装着している。所謂、特殊部隊である。イーグル・ユニオンとは別組織である彼女達は、一人一人が一艦隊に匹敵する猛者共である。テキパキと持ち場に付くと、「対艦戦闘用意」の合図と共に各々の得物を構えた。
赤毛のKANSENがハルの元へ駆けつける。
「ハロー!君、海軍局の人だよね。私はIFPO所属のサンディエゴ!私達が来たからにはもう大丈夫」
錆びたブリキの音色を軋ませながら、白い巨大戦艦が距離を詰めてくる。まだ両者の間は数百メートル程あるとはいえ、射程圏にはとっくに入っていた。
「あのデカいのは一体――?」
「あれは、多分、自由フランスの戦艦『シャンパーニュ』だと思う。メッチャでかくなってるけど」
「自由フランスって、アズールレーンですよね。なのにどうして――」
「わかんないけど……攻撃してくるから敵だよ!ほら、とりま早く逃げてッ」
と言って追い立てる。だが、ハルは動こうとしなかった。
一方、IFPOの戦士達は、少しずつ迫りくる巨人に武者震いを覚えていた。彼女達は歴戦のKANSENである。敵が自由の女神くらいの大きさであろうが気にも留めない。けれども、今回は違った。
‶ワシントンからマサチューセッツへ。あのシャンパーニュ、何か変だぜ″
‶こちらマサチューセッツ。ボクもそう思う。被弾した後がひとつも見当たらないッ″
‶奴はシールドを展開した可能性があるな。そんなコトより、アイツ、眠ってンのか?″
‶こちら空母機動部隊旗艦サラトガ。シャンパーニュへの空爆を始めるわ♪″
‶了解。その合間にアタシらはバフっとくぜ!″
‶了解。空襲完了後、ボク達も砲撃を開始する″
頭上を轟音のカーテンが覆う。攻撃機デストロイヤーと同じくアヴェンジャーの大群である。対するシャンパーニュは、停止したものの何かをする素振りも見せない。ただ、じっとしている。爆撃機の濁流が白い船体に飛び込む。爆弾を投げ込む――。
‶シールドだ‼″
シャボン玉のような血色の膜が、巨体をすっぽりと覆った。直後、火山の噴火の様な地響きと共に、爆弾が炸裂する。あまりの威力に、街路樹は捻じ曲げられ、装甲車が揺さぶられる。シャンパーニュは黒煙に飲み込まれた。
‶シールド貫通の術を掛けておいたから、大丈夫だと思うけれど…″
‶なら、いいのだが…″
どうしてなのか、いま此処にいる全員が、「撃沈した」と確信できなかった。彼女達の脳裏に、煙を振り払いながら怪物が現れるビジョンが鮮明に投影される。
海風が吹き、硝煙が流れていく。皆の予感は―不幸にも的中した。
‶ノーダメージ、だとォ⁉″
「なんでなんでぇ⁉」
サンディエゴは震えていた。2000ポンドの爆弾の嵐を、その上にシールド無効の術を施した爆撃を全身に浴びたのである。並みの戦艦なら粉末になる威力である。なのに、かすり傷も無く、本体は未だにぐっすりと眠っている。
「あのバリア、どこかで見たような…」
傍にいるハルが呟いた。シャンパーニュがヴェールを解除する。
‶何を惚けているッ!各自砲撃開始!主砲だけでもいい、足止めする事だけを考えろッ‼″
‶前衛はシールドを展開!戦艦と空母の護衛に集中しなさい!″
金切り声を上げ、戦艦が発砲する。空気が揺れ、放物線が白い装甲に襲いかかる。
ここで突如、眠れる巨人が奇妙な行動に出た。眼を閉じたまま、背後から自身の背丈ほどの巨大な旗を出した。それはボロボロで、沈没船の帆の様だ。そのまま、業炎に飲み込まれた。砲撃した一人が首を傾げる。
「なんかよォ、大分手前で爆発なかったか?」
そう言った直後、少し離れた所に構えていた艦隊が四散した。
「何ッ⁉」
矢継ぎ早に周りの艦隊が爆発する。赤黒い雨と共にKANSENだった物が降って、暫くすると灰になり消え去った。歴戦の猛者達ですら、混乱と恐怖に包まれる。
「伏せてッ‼」
ハルが絶叫した。皆、反射的にしゃがむ。すると、烈風がハル達を巻き上げた。KANSEN達は思わず転がってしまう。
「徹甲弾だ!それも、音速を遥かに超えているッ」
苦虫を噛み潰した様に、ハルは彼方を睨んでいる。そこには、煤に汚れた怪物が立っていた。両脚の砲身から、薄っすらと白煙が昇っている。巨人は未だ眠っているものの、突き刺すような殺気を迸らせていた。
この時、ハルは目前に津波が立ちはだかった。
(へっ、面白れぇ……やってやろうじゃやねぇかッ‼)
碧い瞳をギラつかせ、ダンッと跳び出す。
後に行われたブリーフィングにて、IFPO所属軽巡洋艦サンディエゴは、次のように証言している。
「うん、ビックリしたよ。あんなでっかいのに、刀だけで突っ込んでいくんだもん。発狂したのかってって思ったよ。そしたらね、シャンパーニュがね、大きな脚?から砲撃したの。『あー、死んだわアイツ』って思ったの。そしたらね、ワープしたの、あの娘。マッハ2の弾を、避けたの。それも何回も。あんなの、人間業じゃないね。それで、とうとうゼロ距離まで来ちゃってね、刀をシャキーン!って出したの。シャンパーニュはでっかい脚を振り上げて踏み潰そうとしたの。ええ、避けたわ。サササッって。え?私達はどうしてたかって?そんなの、見てるしかないじゃない!もうね、完全に部外者よ!」
シャンパーニュは尚も目を閉じたまま、的確に巨大な脚を叩き付けてくる。
(パワーと重量で押し通すつもりか。だが、おめぇの動き、全部テレフォンなんだよォ‼)
踊るように避けながらも、巨体の彼方此方を観察している。すると、妙なものに目に留った。艤装から数本の糸が伸び、巨人の手足を縛っているのだ。
(なんだこれ、操り人形か?ならば――)
納刀し、一歩引く。怪物は「隙あり」と言わんばかりに、巨大旗を大太刀の如く振り下ろす。
「阿呆がッ‼」
ギリギリでかわすと、旗に飛び乗り駆け上がる。柄に手を掛け―
「破ァア‼」
右手首の糸を断つ。透かさず跳躍して右腕の糸も経つ。巨人の肩がガクンと垂れた。旗が滑り落ち、ゴングが鳴り響く。予想敵中――少女は不敵な笑みを浮かべた。
IFPO所属戦艦ワシントンは、後に次のように語っている。
「アタシら戦艦ってぇのは、遠距離の敵をぶっ飛ばすのが専門だからよォ。近距離戦は苦手だし、主砲とかもデケェから、機動性も駆逐艦とかに比べちゃ遥かに劣る。それに、IFPO所属でもない限り、格闘技かじってるKANSENなんて滅多にいねェ。つまり何が言いたいかって?あの人間が、戦艦シャンパーニュを一方的にボコってたって事さ。『人間が』『巨大戦艦を』だぜ?ヤツもあのヘンテコ艤装で、必至に暴れてたンだがよォ、一つアクションする度に、確実にどこか破壊されてたンだよなァ……主砲、副砲、機銃とかよォ、ツナの解体ショーみてェにな。けどよォ、ヒトの部分?には手を出さなかったンだよなァ。あれが『武士道』ってヤツなのかァ?アタシにゃ良く分かんねェけどな」
艦橋に最後の一太刀を叩き込む。巨大戦艦はパーツレベルに解体され、足元には砲塔やレーダーが散らばり、その中に巨人の座す中央の船体が、ぽつんと立っていた。ハルは納刀すると、甲板を渡って巨人の膝を攀じ登った。見上げて、改めてその大きさに驚く。色白で整った顔立ちは最早、女神像である。
(さて、無力化したのはいいが――)
しゃがんで、大理石の様な太ももに手を当てる。ひやり、と冷気が掌に伝わってきた。ハルは立ち上がると、サンディエゴ達が走って来る音が聞こえてきた。何か叫んでいるようだ。
「……げ……しろ……後ろッ‼」
「ッ⁉」
気付くも後の祭りであった。白い右手がハルを乱暴に包む。視界がシェイクされ、目前に巨像の顔が現れた。それは穏やかな眠り姫ではなく、憎悪に満ちた悪魔の顔――鬼灯色の目を見開き、口は大きく裂け、極悪な歯がずらりと並んでいる。
「動くなッ‼」
IFPOのKANSEN達が一斉に構える。彼女達に構う事なく、巨人は機械の様な声で言う。
「我ヲ打倒シ人ノ子ヨ。貴様ハ我ト同ジ、一粒ノ麦ナリ」
「なんだと……?」
「一粒ノ麦、地ニ落チテ死ナズバ、只一ツニテ在ラン。然レド、死ナバ多クノ実ヲ結ブベシ……」
そこまで言うと、電池が切れた様に首をがくんと垂らし、動かなくなった。同時に、その右手から力が抜けて、ハルは解放された。其処へ、サンディエゴが駆け寄って顔を覗き込む。
「怪我はない?ダイジョウブ?」
「え、ええ。まあ……」
「うん?どうしたの?」
「いや、何でもないです。オーライです」
「オッケー!じゃあ事情聴取あるから、私達と来てね!」
「了解です」
ハルはサンディエゴの後を歩き始めるも、チラリと振り返る。純白の巨人は、項垂れて沈黙している。ハルの中では、シャンパーニュの言葉が靄の如く渦巻いていた。その心を表す様な灰色の空に、ウミネコの群れが飛んで行った。
※
写真を眺めていると、扉をノックする音が聞こえた。返事をすると、扉が開いて戦艦リシュリューが現れた。
「指揮官から新しい作戦命令が出ました。執務室へいらして下さい」
「分かった。直ぐに行く」
リシュリューはカーテシーをして部屋を出て行った。サン・ルイは紅茶を飲み干すと、本にしおりを挟んで本棚へと立て掛けた。そして、カーテンを閉め、鏡を見ながら髪を整える。支度を済ませると、写真の中の友に
「では、今日も頑張ってくるよ。私と貴女に、神の御導きと祝福があらんことを」
と言って、部屋を後にした。
扉が閉められた時、花瓶からアヤメの花がらが、写真立ての前に滑り落ちた。
――”Hull's Report” fin.
「もしもし、木原だ。無事、三浦晴香の血液サンプルと解析および戦闘データを入手したよ。これより帰投する」
「うむ、ご苦労だった。IFPOが晴香を引き抜くように、シャンパーニュを操り戦わせるとは……一か八かの策とはいえ、拍手喝采に値する。ドイツKANSEN達も、最高の駒として役目を果たしてくれた。これでようやく、念願のMETA計画に取り掛かれるという訳だ。それで、深海棲艦化した後、晴香はどうなった?」
「重巡マインツの艤装を乗っ取って、フリードリヒを撃破。エネルギーを使い切ってヒトに戻ったよ。勿論、その時のデータも取ってある。今頃、大統領から金ピカの勲章を貰っているだろうね。流石、あの娘は艦娘の志を受け継いでいるよ、産みの親とは違ってなぁ」
「き、貴様……最後に晴香を始末しておけと命令したはずだ!」
「おいおい、勘違いしてもらっちゃあ困るよ。僕の目的は、人類が戦争の道具としてKANSENを使えないようにする為、全ての船魂を黄泉の国へ誘う事だ。今回は偶然にあんたと利害が一致しているから、ちょいとお手伝いしたまでだよ」
「なんだと……大手を振って帰れると思うなよ」
「あっははは!サンプルとデータを、僕が直々あんたの所へ持って行くつもりはないさ。分身の術ぐらい容易にできる事をお忘れかい?」
「この……道化師がッ!!」
「フン。その言葉、この木原カリオペ……いや、『深海磨鎖鬼』にとって冥利に尽きますなぁ」
「クソッ!……覚えておけ。我は世界をKANSENで以て支配し、新たな秩序を創り、その管理者となるのだ。貴様の思い通りにはさせん!」
「そうかい、まあ頑張りなよ。あ、言い忘れていたけれど、あの娘、瀕死のエンタープライズを助けようと、自分の血を投与しちゃったのだよねぇ」
「何ィ⁉」
「エンタープライズは回復したけれど、容姿が多少変化していたよ。遅かれ早かれ、META化してしまうだろうね。困ったねぇ」
「ッ!!」
「そういうわけで、さようなら。お土産、楽しみに待っていてね――『深海三笠姫』さん♪」