THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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十四話 幻想

 空を煌々と赤く染める月。雲まで届かんばかりにそびえ立ち、無数の肉塊を絡ませ巻き込んだ螺旋の樹。血の海には絶命した霧隠れ暗部達の死体が静かに浮き沈みしている。

 大樹は犠牲者達の血を養分として成長を続けている。苦痛や憎悪を糧として枝を伸ばし、いつかは夢の世界に橋を架けるのだろう。赤い海は悲しみと絶望に満ち満ち、足を動かす度に音を立てて揺れ、大小様々な波紋を作り、そしてまた一時の静寂に帰する。飽きもせずに何度も繰り返される。因果の下に憎悪は連鎖し、人々は永遠に争いを止めようとはしない。

 血の海より抱き上げた小さな体からは、時間と共に温もりが、ゆっくりと確実に失われていった。

 右の頬を伝う液体は生暖かく、とてもくだらないものだ。体温は消えていくのに、赤い液体は次々と溢れ出している。

 

 己の全てが消え往く中で、ふと頭上の月を仰いだ。優しげな波紋が浮かんでいる。

 

――目を開くと天井が映る。赤い。目が痛いだけで、心の底から不快に感ずる色ではない。

 羽毛のような柔らかさを後頭部から感じる。いつの間にかベッドに寝かされていた。真っ赤で贅沢な内装を見るにレミリアの紅魔館だろう。まともに頭が働かず、ぼんやりと体を起こす。

 窓から眩しい光が注いでいる。枕元には椅子が置いてあり、妖精の少女が上で眠っていた。ベッドの側に顔を向ける形で横になり、静かな寝息を立てている。

 腰を上げてベッドに座り直すと、しばらくの間は足元に視線を落としていた。

 

「何が……」

 

 曇った頭が明瞭となるにつれ、普段の思考も少しずつ戻ってきた。微かに肌寒さを覚える。

 その時だった。ドアノブを回す音が聞こえたと思えば、扉が開いて一人の少女――吸血鬼の従者、十六夜咲夜が入室した。

 体を起こしていたオビトを見るなり驚いたように目を開くも、すぐにいつもの落ち着いた様子に戻る。オビトは近づいてくる咲夜の方に視線を向けた。

 

「オレをここまで?」

「勝手ながら」咲夜は微笑を見せる。「迷惑だったかしら? あなたには」

「イヤ……世話をかけたようだな」

 

 館に攻め込み主人の命を奪おうとした人間が、よもや住人達から手厚い看護を受ける結果になるとは。拉致された妖精を奪還するという明確な動機が存在したとはいえ、一時的にでも敵対関係にあった者達の心情を思うに、意識を失ったのなら放置されても文句は言わなかった。

 否、それよりも今は、意識を失った原因について解明する方を優先すべきだろう。従者の咲夜がここに居るなら、館主のレミリアも了承済みと考えていい。

 

「しかしこれは……どうなった? 目覚めたってことは今まで――あの悶着の後に意識を――?」

「ごめんなさい。何が起こったのかは、私にも分からないわ」

 

 手頃な椅子をベッドの傍に引き寄せると、落ち着いた面持ちで腰を降ろした咲夜。眠っている妖精に視線を投げる。

 

「けれど、確かなことが二つ。あなたがこの子や私たちの言葉に反応せず、立ち尽くしていたこと。石像みたいに硬直してね。それと、眼窩からの出血――こちらの方が重症ね。辺りが血塗れになる夥しい量だった。すぐに止まったみたいだけど、普通じゃない容態だったわよ」

 

 瞼の上から眼に触れ、現状を確認するオビトを、難しい表情で冷静に観察する咲夜。

 咲夜のおかげで少しずつだが、あの時の記憶を辿ることができた。

 

(……そうだ)

 

 館の屋上にてレミリアとのやり取りを終えた後、急に体が重くなり、歩くこともままならなくなった。月を仰いだ瞬間に眼孔から出血し、心地の悪い感覚と共に頬を伝った。その直後、脳裏でかつての月の眼――『輪廻写輪眼』のイメージを最後に意識を失い現在に至る。

 疲労や消耗を感じなかったあの場での出血を思うに、単なる傷や突発性の病とも考えられない。眼球に何らかの負担がかかったのだ。

 出血の普遍的な理由として考えられるのは、長きに亘る万華鏡写輪眼の酷使。天照や月読、須佐能乎など仙人由来の固有瞳力は、発動の度に負担が眼球にかかり出血を見せる。行き過ぎると失明もする。

 

 同じ固有瞳術の括りにある神威も例外ではないが、右半身を侵す柱間細胞は瞳術発動によるリスクを無効化している。これまでトビやマダラを仮面を被り暗躍していた頃には、万華鏡の行使で出血した経験など一度もなかった。仙人化に伴うチャクラの恩恵がある今なら尚更、負担や消耗から出血したとは考えにくい。

 瞳力の酷使により負担がかかり、出血が生じたのは大筒木カグヤの始球空間内。姿を消したうちはサスケを探すために、瞳力を極限まで高めた時が最初で最後だった。全ての尾獣が体から抜けた直後で、本来なら数か月は動けないほど心身共に衰弱していたところを、黒ゼツに体を操られて『輪廻天生の術』を使わされた上、途轍もない生命力を持つ十尾の素体まで抜かれ死を避けられない体となり、さらに追い打ちをかけるように体を黒ゼツに乗っ取られた後の出来事だ。

 柱間細胞や仙人化の恩恵があろうと、そこまで弱っていたら負担は当然に圧しかかる。取るに足らない消耗で血を流しても不思議ではない。だが今は万全とまでは言えずとも、あの時とは違い満身創痍とは程遠い。殊更にあり得ない話である。

 

(確かアレは……)

 

――眼窩の出血や意識を飛ばしたことよりも、引っかかるのは輪廻写輪眼の忌々しい模様。偶然にしろ必然にしろ、あの場で頭上の月に重ねて幻視したのは、紛れもない『無限月読』のイメージだった。あの大幻術が現実に起こったわけではないにしても、正常な状態でないのは確かだろう。

 イメージを浮かべたのは月。十尾チャクラを抜き取られ、枯れ木も同然となった神樹そのもの――いわゆる外道魔像の封印石としての役割を果たしていたアレだ。

 六道仙人はかつて大規模な『地爆天星』でカグヤを封じ込め、地上より空高くへと飛ばしたという。それが現在の月と呼ばれる物だとされる。

 

「やはり月か」オビトは窓の外に目を向けた。「可能性がないとも言い切れんが、しかし……」

「『月』ですって?」

 

 出血や体の具合から今度は月と、咲夜は急な話題の切り替えに驚いた様子。

 

「あの時、オレが意識を飛ばした理由……今のオレになら見出せるかもしれん。その関連性をもって確信に至る証拠はないが……」

「まさかとは思うけど……月の都の連中と、何か騒ぎを起こしたの?」

「起こした記憶は――」オビトは咲夜に注目する。「……月の都? 何だソレは」

 

 朝日の差し込む窓に視線を向けた後、咲夜は再びオビトを眺めるように見た。

 

「私は地上の人間だし、ご期待に沿えるかはわからないけど」咲夜は腕を組んだ。「あなたの想像する月。それが幻想郷の月を指すのなら、私でも教えてあげられるかもね。今も月面に存在する、『月の都』のことを」

「月面……ならばそれは、大筒木一族のハムラの時代にまで遡るわけか」

 

 大筒木カグヤには実子が二人いる。忍の始祖であり六道仙人と呼ばれた僧侶・大筒木ハゴロモと、その弟とされる大筒木ハムラ。彼は今より千年以上も昔、兄であるハゴロモに地上を任せて、カグヤが封印された月に一族を連れて移り住んだとされる。ハゴロモが地上の大筒木だとすれば、ハムラは月の大筒木という言い方もできよう。有名な日向一族の白眼はカグヤが源流であり、地上に残ったハムラの血筋や地上へ下りた者から伝播され、後世にまで伝わった物とされる。これらは影のマダラとして本格的な暗躍を始める前に本物のマダラから教えられ、彼の死後に著者も不明の古書を独自に読み漁り知ったが、弟の話は根拠も不明で確証がないため、有益な情報としては『全く』形を成していない。詳細は絶無に等しいだろう。

 誰も信じておらず、信じようともしない、忍界ではいわゆる御伽話に分類される。しかし当時、六道仙人が架空ではなく実在の人物だと考え、輪廻眼が突然変異の産物ではなく仙人から伝播した瞳力だと知り、マダラの思想に共感して月の眼計画を狙っていた者として、ありもしない作り話だとは思えなかった。

 

「オオツツキ――? 私が言いたいのは、今の都についての話よ。玉兎っていう兎があちこちで呑気に餅を搗いている、平和ボケ極まる世界のことね」

 

 平和ボケやら餅やらの場違いな言葉は初耳。兎と言うなら該当するのはカグヤだが、どうにも地爆天生や大筒木の話とは噛み合っていない気もした。

 月の都と言うからには、その玉兎とやらが一種の社会でも形成しているのか。重要視するには値しない、月面にある辺境の国だろうか。忍界で無限月読の思想を胸に動いていた頃も、トビとして暁に所属していた頃も、月の眼計画を急いでいた頃にも、一切聞いたことのない名称である。

 屋上でのイメージと月が無関係だと結論づけて人里へ戻ったところで、この疑問と違和感は心から拭い切れなさそうだ。確たる証拠はないものの、咲夜の言う月の都とやらが気になる。話を聴かない理由はない。

 

「月の都は、高度な文明を築いた巨大な月面都市。先端的な科学技術と軍事力を保有するらしいから……ひとつの国家と見る方が正確かもね。地上の国々とは比較にならない大国よ。もし攻めてきたら、我々地上の人間や妖怪には万に一つも勝ち目はない。そんなところ――」

「待て……」

「どうしたの?」

 

 ベッドから立ち上がると、オビトは眉をひそめた。

 嘘であれ真実であれ、咲夜の話ではこうだ。地上とは比較にならない高度な技術や戦力等を持つ巨大規模の社会――それが月の都であると。

 咲夜の「比較にならない」や「勝ち目はない」という発言が言葉通りの意味なら、大国どころか五大国を束にした軍事力をも超える国が、月に存在することになる。どう考えても信じるのは難しい頓狂な話だ。表沙汰にはならずとも、そのような都市が仮に存在するなら、かつての己や情報収集能力に長けていたゼツでさえ知らなかったのは何故か。狂っているとすら言える。

 月の都とやらは自分達の存在を隠しているのか。しかし伝奇にしろ事実にしろ、六道仙人や遥か昔に月へ移住した大筒木の話がある。情報の一つくらいは地上に転がっていても不思議ではない。

 

(月とはいえ、五影が目を向けないはずも……そんな大国なら)

 

 本当に月面にあるとしても、それが辺境の地や島にひっそりと佇むような、名も通らない小さな集落なら知らずとも問題はない。忍界にも世間に知られていない隠れた集落や村は探せばいくらでもある。偽マダラとして過ごしていた十数年間、これまで存在が知られていなかったり、明るみに出なかった土地が新たに発見された、という話を耳にしたのは一度や二度だけではない。だが咲夜が言うような規模の物なら別で、どれだけ秘密を守って隠していても、巨大であればあるほどその存在は知られやすい。

 忍五大国における各隠れ里の長・五影達にしても、そのような危険極まりない超大国を里や国が捨て置くはずもない。情報が一欠けらでもあれば、血眼になって情報をかき集め、関連する資料くらいは作成するはずだ。ましてや話題にすら出さないなどあり得ない。様々な国や隠れ里に刺客やスパイを送り込み、貴重な武器や血継限界(特異な忍術を扱う一族の忍)を秘密裏に手に入れ、自国の軍事力を底上げしていた『雲隠れの里』なら、先端技術や軍事力には興味を惹かれるだろう。喉から手が出るほど欲しがるはずだ。

 

 時空間を経由して転移できる神威の瞳術をもってすれば、どんなに厳重な結界を張った場所にでも気づかれず侵入できる。偽マダラ時代にはこの能力を存分に使って各国の隠れ里に入り込み、ゼツと共に様々な情報を独自に集めていた。暁でトビを名乗るようになってからは、自分で動く機会は減ったが、代わりに他の構成員など別の者に表のリーダー・長門を通じて集めさせていた。鉄の国で五影達に第四次忍界大戦を宣戦布告した後は、忍連合軍の大まかな戦力や作戦内容を把握するために、暁の構成員だった干柿鬼鮫を雲隠れへ潜入させたこともあった。

 いずれの場合でも、咲夜の言うような情報や、それを匂わせる情報も一片たりとも得られなかった。忍界全土に張り巡らせた暁の情報網に引っかからないどころか、時代の流れに埋もれていたり巧妙に隠されていたりで、長らく人っ子一人足を踏み入れていなかった大筒木関連の古代遺跡、廃墟で発見したボロボロの古書にハムラの記述を見つけるまで調べ回ってもそれは変わらなかった。

 

(イヤ……そんなことが)

 

 幻想郷の月の話をしていると、咲夜は言った。それをあたかも忍界における月に言及していたと思い込んでいた。いくらここが異界といっても、まさかそのような事実があるとでも言うのか。

 

「真偽を確かめておきたい。お前……本当に嘘は吐いていないな? 何を根拠に言える?」

「まず、嘘を吐く理由がないわよ」咲夜はきょとんとしている。「それに、根拠も何も……都の存在は幻想郷に広く知れ渡っているし、何より私やレミリアお嬢様、霊夢たちは――乗り込んだことがあるの。ロケットでね」

「乗り込んだ? まさか……」

「ええ。月にね。図画や文書じゃないわ、実際に生で見ているの」

 

 巨大な軍事力や技術など、月の都に関する情報は驚くべきものばかり。だがもたらされた情報で最も大きな衝撃を与えたのは、それらがこの世界では当たり前の常識として認識されている上、都の姿を直に映した者の一人が、目の前の咲夜であること。しかも彼女の話はまだ続くようで――。

 

「というか、そもそもだけど。その月の都から来たって連中がいるわ。知る限りでは三人、永遠亭という場所に」

「そいつらは……大筒木、ではないのか?」

「呼ばれ方は知らないけど、名前は違うわね。鈴仙・優曇華院・イナバ、八意永琳、蓬莱山輝夜。都の元住民らしいわ」

「まさか、そんな――」

「詳しいことは、その人たちに聞けばわかるかもね――口を割らせられたらの話だけど。あそこは秘密主義が多いからね」

 

 さらなる衝撃が早々に二つ。月の都の元住民の存在、もう一つは情報ではなく咲夜の話し方である。情報提供という感じではなく、さも当たり前のように雑談口調で言葉を並べているのだ。昨日のおやつは煎餅を食べたとでも言いたげな喋りの軽さで。

 恐ろしくも嘘を吐いているとは思えない。大筒木ではないカグヤが存在するというのか。

 

――ここで問題なのは月に乗り込んだ云々の話ではない。地爆天星で創造された月に、巨大都市が存在するという証言である。

 咲夜の発言から、幻想郷では知られた常識の一つとして話した以上、今から各地をしらみ潰しに探る必要はない。永遠亭とやらに元月の民が住むのなら、そちらを最優先で当たるべきだろう。

 レミリアとの悶着がなければ得られなかった情報。思わぬ収穫である。しかし同時に一つの可能性を生じさせる。月の件は明らかに話が噛み合っていない。

 

「もう一つ、ハッキリさせておきたい。幻想郷や外の世界には忍――『忍者』と呼ばれる人間が蔓延っているか?」

「いいえ」咲夜は首を振る。「蔓延るどころか、忍者なんて歴史書の中でしか知らないわよ、私はね。昔はそういうのも居たらしいけど、時代的に今はね……存在が信じられているし、忘れ去られた物でもないから、こっちでも見かけたことはないわ」

「その情報……偽りの可能性は」

「先に同じね」

 

 咲夜は馬鹿馬鹿しいと言うように笑う。今度は忍そのものを否定してみせたが、それなら今ここにいる『うちはオビト』や黒ゼツはどう説明するのか。外の世界より入り込んだから、外来人を名乗っているというのに。

――咲夜が知る外の世界と、自身が知る外の世界が違っている。各々全くの別の次元にある。こう考えるなら筋が通らないわけではない。しかしながら、博麗大結界に神威で穴を開けて入り込んだという黒ゼツと、結界の外には未踏の世界が広がるという咲夜の証言が噛み合わない。

 幻想郷、未踏世界、忍界、仮にこれら三つの世界が一つの星、一つの次元に存在するのなら、幻想郷を跨いで二つの異界を行き来できることになる。それならまだ、大筒木カグヤが登場する神話のように、宇宙のどこかにある別の星から来たとする方が疑問は消える。

 

 このような話を忍界の誰が信じるのか。真実がどうあれ馬鹿馬鹿しいと一蹴せず、思考を巡らせられる者がいるとしたら、疑うことを知らない純粋な子供か、あるいは仙人の眼である輪廻眼を実際に手にして、仙人と同じ境地に辿り着いた経験のある者くらいだろう。故にオビトは咲夜のぶっ飛んだ話を徒に疑ったりはしなかった。

 未踏の地が擁する博麗大結界への侵入に神威を要するのなら、幻想郷と忍界の間には距離の概念すら霞むような、途方もない隙間が存在する可能性がある。それを黒ゼツは事前に把握していた。でなければわざわざ神威の術者を手間暇をかけて蘇らせようとは考えない。

 忍界から幻想郷、幻想郷から未踏世界――カグヤの六つの空間同士を行き来するのと同じ理屈だとしたら、思うに考えられない話ではない。何より幻想郷が常識破りの世界であることは、身をもって味わっている。

 

「忍は存在しない。そう言い切れるのは――?」

「――東風谷早苗っていう知り合いの証言よ。以前『外』から幻想郷に越してきた、あなたと同じ外来人の女の子。妖怪の山の山頂……『守矢神社』に住む『女子高生』。細かいことはその子の方が詳しいわね」

「サナエ……」

「嘘を吐くような子じゃないわよ。吐いたって特に得にも、徳にもならないしね。あの子は私が保証するわ」

 

 妖怪の山と言えば、ついこの間に白狼天狗と一悶着を起こした山岳地帯。最初に倒れていた場所だ。妖怪が住まう山に人間が存在し、山頂には建造物があり外来人が住むなど、言われたり調べるまで普通は気づかない。

 天狗達に干渉する気はないと、あの時は堂々と宣言したが、会いたい人物がよりによって妖怪の山に住んでいるとは。あえて言うなら内部事情にはと釘を刺したに過ぎず、都合のいい解釈を探さずとも前言撤回はできぬこともない。話の内容と位置的に優先順位は永遠亭より高くなるだろう。

 

「ねえオビト。あなた確か、その忍だったわよね?」

「思い出したか。オレの居た世界には……ごろごろ転がっていたもんだがな。忍など」

 

 この際だからハッキリと仮説を並べると、幻想郷とそれを取り巻く二つの世界を合わせて異界が『三つ』ほど存在する。幻想郷と未踏世界に一つ、忍世界に一つと、隔絶された場所にそれぞれ月が『二つ』存在する。このように考えれば地爆天星や忍五大国、月の都との関係には合点がいく。

 真偽を明らかにするには、少しばかり幻想郷を巡る必要がある。

 

「そうなると……能力を抜いても、ただの外来人にはならないってことか。不思議なこともあるものね」

 

 咲夜の話を聞く限り、月の都と呼ばれる巨大都市が月面に存在し、幻想郷においては常識の枠内に収まっている。

 一つ目は幻想郷と外の世界から、二つ目は同じ外たる忍界から認識可能な月。確かに都の存在だけでも『二つの月』がある可能性は否定できないが――これだけでは単に五大国や暁が認知していなかっただけで、月の都が存在しないという結論に至るには弱い。

 この二つの月については、忍界でマダラが外道魔像を月から口寄せした際、月の都で騒ぎがあったのか否かを永遠亭の住人に確認を取れば判る。仮にそれほどの規模と力を有する都があり、幻想郷と忍界に見る月が同じ物ならば、外道魔像という物騒な代物を月の民が知らぬはずはない。アレは十尾という天災クラスの化け物の抜け殻である。もしも永遠亭の住人が本当に知らなければ、月は二つ存在するという考えも出せよう。

 

 次はジョシコーセー・コチヤ・サナエとやら。こちらは簡単な話で、外の世界の話を聞けばそれでいい。考える通りなら幻想郷と未踏世界、そして忍界という三つの――否、二つの『並行世界』の存在を確固たるものにできる。

 おそらくは咲夜の話から、幻想郷の者達が普段から認識しているのは未踏世界。忍界は末端に存在するちっぽけな異界の一つという位置づけ。各々の世界に違った月が存在するのなら、カグヤの異空間のように時空の歪みが生ずるほどの、途方もない距離が双方を隔てることになる。

 幻想郷を管理する八雲紫にも会いたいところだが、咲夜曰く稀に博麗神社に現れるだけで、居場所は謎に包まれているようだ。神威で追えない以上は成り行きに任せる他ない。

 

 

――◇◇◇

 

 

 思案していると頭は冴えてしまったものの、情報が一気に増加したせいで整理が追いつかないところも多い。それでもこの館を訪れた意味を咲夜は与えてくれた。此度の騒ぎは真実を明らかにするための重要な過程となった。

 咲夜と共に一息つくと、メイド服姿の妖精をあらためて見やるオビト。決して小さくはない声量で長い時間を会話に費やしたにもかかわらず、いまだ気持ちよさそうに寝息を立てている。

 

「……あれから何をしていた?」

「何となく分かるものだけど」咲夜はくすりと笑う。「あなたが倒れて眠っている間、ずっと傍に付いていたみたいよ。よっぽど心配していたのでしょうね、あなたのこと」

 

 妖精という種族も、霊夢などの人間と同じ生活リズムを持つとの話だった。

 最後には無事を確認できたとはいえ、酷い目に遭わせたのは事実。夜遅くに神社から無理やり連れ出し、挙句は紅魔館にさらわれ今回の騒ぎは引き起こされた。本人は楽しそうに振る舞っていたが、心の中では散々だったはずだ。そんな妖精が付きっきりで看ていたというのか。

 

「正直、羨ましいところもあるわね。仲がよさそうで。あなたがどう思っているかは知らないけど」

「何故だ?」

「前にお嬢様が風邪を引いた時なんて、私たちの看病を頑なに拒んで自室にこもられてね。変に意地っ張りなところがあるのよ。弱みを見せずに振る舞いたいのは分かるんだけど、もう少し頼ってほしいのよねえ。こっちとしては」

「レミリアか」オビトは咲夜から視線を外す。「……あいつとの戦いも、無意味なものになったな。己の愛する者やそれを取り巻く世界が、他者の都合で形を変える痛み――解っているつもりだったんだがな。誰よりも」

 

 守りたかった者を失った現実を受け入れられず、深い絶望と虚無の淵に沈み込んだ果てに、周りの全てが偽りとしか思えなくなるほどに世界を、己自身を否定した過去が思い起こされる。マダラを騙り夢の世界を渇望していた頃の忌まわしき記憶は、今もはっきりと刻まれている。

 己の全てだと思えるほどの大切な誰かを失った時、これまで見えていた世界はその瞬間から全く違ったものに変わる。かつて自身を取り巻いていた世界が、本当に些細な、小さなきっかけで色褪せ、崩れ往ってしまった時のように。

 

 人間と妖怪は幻想郷という同じ世界で生きている。しかしながら、生きる時間が異なる人と妖怪では、見えているものも違うのだろう。脆弱で短命な人間には深々と映る深遠の闇も、強かで長命な妖怪には浅い底にしか見えないのかもしれない。おそらくレミリアは意にも介さないだろう。咲夜でさえ大げさだと笑うかもしれない。

 感情を持つ者として在り続ける限り、ほんの小さなきっかけでも自らの闇に喰われる。己自身を見失った者が踏み入れる闇は、決して消えることはない。なればこそ人は多くの繋がりをもって、正しい道を選び進まなければならないのだ。

 

「他にも道はあった……見えていたら選べたはずだ。過ちを正した今ならできたはずだ。だが結局オレは、お前らから主を奪おうとしただけだ。見えていないものが多すぎている」

「あなたが畜生にも劣る下衆なら、こちらとしては迷わず排除していたし、助けたりなんかしないわよ。非があるのはむしろ、私の方」

 

暫しの沈黙の後、咲夜は静かに紡いだ。

 

「――血の気の多い人や妖怪たちの中でも、あなたは数少ない常識人。人の身で妖怪を制するだけの力を持つのに、自分の欲に任せた身勝手な殺戮は行わない。未踏の地に惑う外来人でありながら、私たちの在り方を否定しようとはしない。それはとても難しいけれど――他者と付き合う上では大切なこと。お嬢様を手にかけようとしたとはいえ、そんな人を否定するはずもない」

 

 敵対関係を隠れ蓑に立ち塞がる者の悉くを打ち倒し、地に伏した者を踏みにじり、徒に苦痛を与えて暴虐と殺戮の限りを尽くす愚か者。他人の居場所だろうと郷に従わず周りを顧みず、お構いなしに荒らし回り、暴れて傷つけ、命すら脅かす無法者。残虐非道で身勝手の数々を咎められたとて、敵対を言い訳に自らの愚行を正当化する悪逆の徒。否定されて然るべき者は否定こそされど、肯定されることは決してない。

 外来人であり有力者として自分なりに世界の在り方を考え、必要以上の苦しみを生み出そうとはせず、望まぬ変化という理不尽を心の底から拒み続けるオビトを、咲夜は肯定されるべき者として受け入れていた。

 

「……分別ができるだけだ」オビトは腰を上げる。「オレの居た忍世界と、お前らの幻想世界。どことも知れん奴がいきなり自分の都合で入ってきて、理不尽に好き勝手に暴力を振るい、そのせいで友や仲間が傷ついたとしたら……お前はどう思う?」

 

 咲夜を含め誰に問いかけるでもなく、最後の方は呟くように言い切ったオビト。

 

 どのような偉人や強者であろうと、勝手な都合と欲望のままに力を振りかざす愚者に訪れる輝かしい未来はない。他人を踏み台にしない生き方の中で、人と人との繋がりを育むことにこそ、忍としての本当の価値を見出すことができる。それは友の力で道を正した今、自身の揺るがぬ『忍道』として形を成すことになった。

 かつてはそのうちの一人として、他者を踏み台とする生き方を選んでいたからこそ。心を蝕む絶望をしっかりと見つめ直し、友の手を握って乗り越え、木ノ葉のうちはオビトとしての自分を取り戻した今となっては――その過ちを深々と痛感できる。今はそれが心の支えだった。

 

「少し疲れたな」妖精を見下ろすオビト。「それならこいつは、オレなどよりずっと疲れている。お前が求めるものなど、他にいくらでも転がっている」

「……オビト?」

「そろそろ行く……為すべきことが山積みでな。世話になった」

 

 歪を通じて右眼から現れたのは、里の和菓子屋で購入してから手つかずだった菓子。

 眠る少女の傍にそれを置くと、オビトは発生した渦に吸い込まれて一室から、咲夜の前から消え去った。

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