THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
冷蔵庫の卵が切れたので、庭を元気に走り回っていた一羽の鶏を捕まえる。
暴れ回ろうと所詮は無駄な足掻き。馴れた手捌きで卵を採取すると、さっさと裏の勝手口から台所へ戻る。テーブルに畳んであった血生臭いエプロンを身につけると、熱せられて油のはねるフライパンの前に立つ。鶏の恵んだ最後の希望、犠牲を無駄にするほど愚かではない。
調理道具を睨みつける。嫌がらせにしか思えない殻の混入、どう見ても悪意があるコゲなど、度重なる屈辱。何度目の失敗かは両手両足の指の数だけでは足らないが、これ以上の失態は六道仙人が許さない。卵は手元のある物で最後、次で勝負を決めるしかあるまい。
額に汗し、手の震えを感じる。最後のチャンス。あいつが二階から降りてくる前に終わらせる。
第一関門は殻割り。ここはパワーとスピードが全てを決める。片手以外に何がある。程好い力加減で卵を叩きつけ、指で殻を開きつつ素早く中身をフライパンに投下する。蒸気の中に消え往く卵白と卵黄を見送る。天国になるか地獄になるか、卵のご機嫌次第。
――ジュウ。という幸先の良いスタートを切る。混入を防ぐ意味で髪も切ろうかと思ったが、後のまつりである。ここからはアシュラが視線を外すことを、インドラの方は瞬きすら許さない。血走った視線を背後と両脇から感ずる。透明な卵白が安定性を見せる。第ニ関門は突破できそうだ。緊張感は手汗となり足元に滴る。ここまでは順調。
意識が薄れゆく。呼吸が乱される。
第三関門では水分を卵に供給し、素早く蓋をしなければならない。タイミングを一秒でもずらせば、ここまでの苦労が全て水の泡になる。失態を曝すわけにはいかない。この日のために購入した良質な天然水をコップに展開し、最適のタイミングでフライパンに少量を注ぐ。視界を覆う白い蒸気と食欲をそそる芳ばしい匂い、間髪容れず蓋を押しつける。滴った汗が混入したようにも見えたが、気のせいだろう。
やり遂げた安堵感の後に、酷い立ち眩み、尋常ならぬ吐き気が上ってくる。心臓が早鐘を打ち、意識が朦朧としている。
最終関門、後は蓋を開けて卵を救出するのみ。百メートルを全力疾走した後のように疲弊し、鉛のように重い疲労感が襲う。汗が滝のように流れ落ち、足元に水もとい塩溜まりを作る。何度も倒れそうになるも、ゴミ箱で悲しげな顔を覗かせる卵のパックを映すと、再び激しい炎が心を灯した。これ以上の犠牲など出すまい、無駄にはしまい。
全てを終わらせる時がきた。電光石火、蓋を取るとキッチンを覆う蒸気。しかし、この程度で奪われる視界ではない。業火のごときフライパンを傾け、白皿に踊り出る努力の結晶。蒸気が完全に晴れるまでの時間は、異常に長く感じた。
おそるおそる目を開く。インドラとアシュラ、新聞を読むのに夢中だったハゴロモも、興味深げに覗き込む。そこには洗練された素晴らしい作品が腰を下ろしていた。
混入を隅から隅まで確かめるも、異物は見当たらない。白く艶やかな造形、弾力のありそうな黄身。どれを見ても完璧な仕上がり。
思わず笑みをこぼすと、他の三人が歓声を上げる。ハゴロモは誇らしげに頷き、インドラとアシュラは握手する。
朝の日差しが心地よく眩しい。背後から「兄さん」と声が聞こえた。
「イズナ。朝ごはんだ」
振り返った視線の先には、爽やかな笑顔を見せる最愛の弟。すでに着替えて顔も洗ったらしい。
いつもながらしっかりしている、できた自慢の弟だ。また今度うちは煎餅を買ってやろう。
などという月読には決して落ちることもなく、紅魔館を後にしたオビトは神威空間を経由して人間の里に帰還しており、解術した影分身から受け取った大まかな情報をもとに里内を移動し、霊夢から頼まれていた物を届けるために稗田家を目指した。最終的には無事に目的地へと辿り着き、木ノ葉のうちはや日向に見る立派な屋敷の前でオビトは足を止める。
影分身は己のチャクラを分配して実体を作り出す。分身体に蓄積された記憶や経験は解術すると本体に還元されるため、情報収集や修練などにはもってこいの術である。
最初は館を訪れる前に放っていた影分身は全て、屋上で意識を失い倒れた影響で消滅したと思われた。入手した情報は還元されず水の泡と化したと。術者の影響を受ける分身系統の術は、本体たる術者に負荷がかかったり、倒れるなどすると強制的に解術されるからだ。しかし、屋上でのアレは特殊な例だったのか、紅魔館で眠っている間も情報収集は問題なくこなせていたようで、集めていた情報は無事に本体へ還元され引き継がれた。
人間の里、稗田家。古くから里にある旧家にて。
朝の日差しに照らされて、紫のおかっぱ頭の少女が、玄関先にある植木鉢の前にしゃがみ込んでいた。花柄模様の着物を羽織り、鼻歌を歌いながらじょうろで水をやっている。
「少しいいか。尋ねたいことがある」
門を潜ってオビトが声を掛けると、少女はじょうろを片手に振り向いた。
背はレミリアよりも高く、霊夢よりも小さいくらい。姿勢を正して少し首を傾げると、オビトに温かく笑いかける。
「あら、何か御用でしょうか?」
「この家の当主、稗田阿求という者を探している。博麗神社の霊夢という巫女が、そいつから物を預かっていたようでな……代わりにオレが赴いた」
周辺の地区は富裕層が住むのか立派な家屋が多い。中でもこの屋敷は里人曰く長い歴史を持つ名家であり、周りから浮いて見えるほど建物が大きく敷地も広い。里全域で名が通ることもあり、地図を貰わずとも聞き込むだけで探し出すのは容易だった。
「えっと――あの。私がその阿求です」
「阿求……アンタが阿求なのか?」
「はい。稗田家当主、九代目阿礼乙女――稗田阿求と申します」
遠慮がちに答える少女にオビトは呆気にとられる。古くから続く名家の当主と聞けば、男にしろ女にしろもう少し年齢を重ねた者を想像する。せめて咲夜くらいだろうと思っていたが、ここまでの幼子とは予想外。どう見ても十歳前後で、当主よりはその娘の方に見える。この年で抜擢されるほどの才と器を持つ人物なのだろうか。
霊夢から預かった書物を受け取るなり、阿求という少女は笑顔を見せる。面と向かって「そいつ」と言われたのにもかかわらずである。霊夢に比べると年下に見える割に不自然なほど大人びており、返却を任せた霊夢曰く怒らせると怖いらしいが、穏やかで人当たりも良さそうに見える。
「まあ、わざわざありがとうございます。まったく……霊夢には今度キツく言い聞かせなければなりませんね。返却期限くらい守るようにと」
「苦労しているようだな」オビトは踵を返す。「これで任務は果たした。失礼する」
最東端の神社と人里を結ぶ長い山道。妖怪による襲撃の危険性、手間や時間を総合的に考慮しても、いいところDランクの配達任務と言ったところだろう。うちは煎餅関連の任務と比較すると容易いものだ。というより時空間移動を使えば手間暇などない。
「お待ちください。失礼ですがオビトさん――あなたが噂の外来人、うちはオビトさんでしょうか?」
「噂?」オビトは振り向いた。「情報がばら撒かれた……レミリアか霊夢辺りか」
長い時間を館のベッドで過ごしていたのだ。気づかないうちに漏れたのだろうと適当に結論づける。阿求は「いいえ」と穏やかな口調で丁寧に否定してみせた。
「あなたのことは『文々。新聞』の号外で知りました。一面大見出しの派手な記事でしたから、手に取った人たちは皆知っていると思いますよ」
「……報道機関か。関係者と接触した覚えはないが」
「道中、隠れて見ていたのかもしれませんね。報道担当の鴉天狗は、幻想郷において最も速い種族……それにあなたは外来人。気づかずとも無理はありません。長らく幻想郷に身を置く私でも、たびたび盗撮されたりしますから。迷惑な話です」
「存外物騒な里だな」
目覚めた山中にて白狼天狗達と交戦した時、妖怪山道での悶着、博麗神社から和菓子店、霧の湖を抜けて紅魔館に到着するまでの間、レミリアとの戦いの最中、あるいは意識を失いベッドで眠っている間。今となってはどの時点かは判るまい。輪廻眼があれば地爆天星で埋めて口封じするのも悪くない。
阿求の言う鴉天狗の言動は、忍界で言う暗部に似ていなくもない。暗闇に紛れて標的を捕捉し、瞬く間に接近して任務を遂行する。相手に一切気取られぬままに。幻想郷で最も速いとされる天狗の速力とは、人の域を出ない忍はもちろん、吸血鬼であるレミリアよりも上なのだろう。本物の忍相手にこれでは寝首を掻かれるかもしれない。
「せっかくお越しいただいたのですし、少しお話していきませんか? お届け物のお礼もしたいので」
じょうろを植木鉢の傍に置くと、阿求は玄関口でオビトを振り向いた。
届け物が終わり次第、任務遂行の旨を伝えるために博麗神社へ戻ろうと思っていたが、阿求の話した『文々。新聞』とやらの記事が些か気になる。情報収集に関してどれほどの手腕か確かめる意味でも、阿求の言葉と親切心に従うのもいいだろう。
――◇◇◇
『異様な異邦人“うちはオビト”現る』
当記者はこれまでも数々の外来人を激写してきたが、今回は一味も二味も百味も違ったのだから驚きである。幻想郷の歴史上でも稀に見る、何とも面白そうな能力を秘めた外来人――それがうちはオビトだ。山の可愛らしい妖精を連れた半裸姿と、傍から見ると変人変態にも思われる彼は、迷い込んで早々に山の哨戒及び侵入者討伐を兼任する白狼天狗の部隊に出くわし、その妙な能力で一人を打ち倒して甚振り、残りを傷一つつけずに追い返したという、優しいのか優しくないかの判別に頭を悩ませる謎の多い有力者である。この件について彼に遭遇して後を追いかけたという一人は、「途中で忽然と姿を消して見失った。変な模様の仮面を被った人物と並んで逃げていた。時折煎餅を投げつけてきた」などと意味不明な供述をしているが、真相は不明である。東の山道では、小煩く喧しい事で有名なミスティア・ローレライ氏を鬱陶しげに一撃で昏倒させ、苦しむ彼女を放置してその場を颯爽と去るという残虐極まりない離れ業を見せた。その後の博麗神社では、突如として発生した渦のようなものに巻かれて境内から姿を消したかと思えば、今度は妖怪の賢者である八雲紫氏らしき人物の首根っこを掴んで再度姿を見せ、残忍な笑い声を上げながら博麗神社へと入っていった。博麗霊夢氏や八雲紫氏など錚々たる面々が目を光らせていたため、当記者としてもこれ以上の接触は危険と判断し、その日は博麗神社を後にした。なお、当記者が掴んだ情報によると、現在はレミリア・スカーレット氏の住む紅魔館に滞在中との事であるが、詳細については引き続き調査を行う予定である。(射命丸 文)
稗田家。オビトは新聞を置いて暫し沈黙した後、来客用に出された煎餅を手に取った。気の毒そうな貌の阿求が向かい合って正座している。
「……そんな目で見なくてもいい」
「ご、ごめんなさい」
控えめに言っても酷い記事であった。報道機関に許された権限を軽く超えている――とも思ったが、ここは忍界ではなく幻想郷である。この射命丸文という名の鴉天狗は、善意悪意関係なしに好き勝手できる権限を持つのだろう。
酷いのは私的領域に無断で踏み込んだとか、本人の心を傷つけるといった方向性の話ではない。ところどころ内容が過度に誇張され、嘘の上に嘘が幾重にも平気で塗られている。たとえばミスティアの件は幻術をかけただけで、むしろ騒音で散々苦しめられたのは此方。八雲紫の首を締め上げるなど何者にできるのか。いずれの場合でも下手をしたら殺されるのは此方だろう。
向こうにして正体不明の外来人だからか、言動など目に見える表面上の特徴や出来事しか書かれておらず、能力の詳細や身の上など深い部分は漏れていない様子。それでもこう悪意を込めている(としかとれない)書き方をされると、他の喧嘩っ早い妖怪達に目を付けられ、後々厄介事が発生するおそれがある。好ましい内容ではないだろう。阿求曰く記事が幻想郷中にばら撒かれたのなら、幻想郷の土地巡りに支障を来たす可能性がある。
「上手く言えませんが、オビトさん」
硬い物を噛み砕く音が室内に響く中、煎餅を手にした阿求が遠慮がちに声をかける。
「八雲紫さんにも関わっていたのですか? 博麗の巫女である霊夢ならまだしも、外来人の方がいきなり管理者と……前例のないことなので」
「色々あってな。話すと長い」オビトは六枚目を手に取る。「……阿求アンタ、八雲紫の居場所を知っているか? 博麗神社以外で」
「あの人は神出鬼没で、滅多に表に出て来ないんです。神社を除くとなると……思い当たる場所はありませんね。幻想郷の住民に関する情報は、この『幻想郷縁起』にも一通りまとめてあるのですが――」
阿求は七枚目を取った辺りで腰を上げると、和室の隅にある本棚から一冊の書物を手にして戻ってきた。それを受け取り中身に目を通すオビト。
「――境界の妖怪、名を八雲紫。『境界を操る程度の能力』を持つ。その存在や能力は判明しているのですが、出没する場所は定まらずハッキリしないのです」
「その方がしっくりくるか……あの感じではな」
阿求の言う八雲紫に関する記述は、風見幽香という欄の次のページにあった。主な活動場所が『如何なる場所でも』と書かれているが、これでは不明と結論づけているようなものだ。ちなみに記述によると、彼女の能力は空間ではなく境界操作だった。
(だが、有用な情報源になりそうだ)
境界を操る――『操る』との言葉を含め簡単に解釈するなら、自由に境界線を取り除き、自由に引き直せることを言う。自分と相手の間にある距離をなくして、百メートル離れた場所からでも敵の首根っこを掴めるだとか、首の肉と骨に隙間を作り頭部を切り離すだとか、反則技が行使できるという単純な解釈も。しかし能力の真髄はそこではない。
世にある全てのものには境界線が引かれている。物があるから別の物があり、空があるから海があり、昼があるから夜があり、醤油煎餅があるから海苔煎餅がある。両者を分ける境界線を取り除いてしまえば、二つの物も、空も海も、昼も夜も安定性を失い、それは一つの大きなものとして存在することになる。逆に境界線を引けば、混沌とした概念は元に戻る。詳しい原理は不明ながら、物事の全てを根底から覆して、事象の創造と破壊を司るというとんでもない力であると同時に、管理者として相応しい力とも言える。
このような解釈もできよう。幻想郷を外界から隔絶する博麗大結界にしても、結界という『境界線』を破壊して互いに隔てるものが失われた場合、双方は一つの世界となり、幻想郷は外の常識に呑まれ消滅するか、あるいは外界が非常識に呑まれありもしない幻想と化すと。
神威空間に干渉した空間操作が境界操作の産物に過ぎぬなら、空間操作そのものである神威など霞んでしまう。空間同士の境界を弄られるなど、時空間忍術の使い手としては堪ったものではない。
幻想郷から隔絶された神威空間に紫が入り込めたのは、神威空間と現実空間、この二つを分ける境界を弄り道を作り出したから。二つの空間は互いに明確な境界線で隔てられているからこそ、これらは各々独立した空間として存在している。
紫の力はカグヤの異空間にも干渉できるか否か――通用するならカグヤと同等かそれ以上の時空間(忍)術の使い手となる。彼女の存在と力が妖怪の域を出なければ、異能の効力が神に匹敵する代物でも、六道や十尾などに見る神の類にまで通用するかは不明だが。
(大した情報量だ……)
八枚目の煎餅を取ったオビトは、頭で情報を整理しつつ他のページにも目を通した。
幻想郷縁起から得られる情報は膨大だ。人間、妖怪、幽霊、亡霊、死神、閻魔、挙句は神霊など、聞かない単語も含め様々な種族が達筆な文章で事細かに紹介されている。全体的に阿求の主観による考察が多いが、個別的な能力はもちろん、主な活動場所や目撃場所、人間から見た危険度や友好度、遭遇した際の逃走手段など、面白いほど詳しく書かれている。もっと別の形で幻想郷を訪れていたら、奇々怪々な妖怪達にも色々と興味を抱いたかもしれない。
ここまで調べ上げるとは世辞を抜いても大した奴となる。阿求とは何者なのだろうか。
「この書物、著者はアンタか。稗田阿求と書かれている」
「はい。かれこれ千年以上は編纂者として生きています」オビトの表情を見て、くすっと笑う阿求。「――私は人間ですよ。むしろ他の方々より短い命です」
「どういうことだ?」
「私たち御阿礼の子は、記憶の転生を繰り返して代々編纂を行ってきました。そうでなければ、これだけの情報は集められませんからね……手を着けている物は他にも沢山ありますし」
そう言って九枚目を手に取る阿求を、オビトはじっと観察する。
「肉体が滅びても、前世の記憶は保持できるんだな。悩む様子を見せないのも、友や仲間を覚えていられるからか?」
「いいえ。転生の際には、大半の記憶を零します」
「なら――」
「あなたが何をお考えかは解ります。ですが、辛いと思ったことは一度もありません。むしろ明るくて元気すぎるって、慧音さんや霊夢にはよく言われます。儚いとか幸薄いとか性に合いませんし、そういった思いは全くないですよ!」
本人は転生を繰り返して慣れがあるのか、別の理由があるのか――笑顔で元気一杯にそう言い放つと、十枚目の煎餅を手に取った。
人間よりも短い阿求の命。人の身でありながら阿礼乙女として永い時を生きる少女が、残した者や残された者達についてどのように考え、何を思い毎日を過ごしているのか、オビトもそれ以上は深入りしなかった。
「……オビトさん。今度はそちらのお話を聞かせてもらえますか?」
阿求はお茶を啜りつつ煎餅を愉しむ。親近感にも似た意識を覚えた原因はオビトにも分からなかった。
「外来人の軌跡に関心が? 八雲紫と関わりがあるのは確かだが……アンタが喜んだり、役立つような話題は持っていないぞ。オレも奴のことはよく知らないからな」
「そうではなく」阿求は微笑んだ。「あなたが居た世界の、あなたのお話です」
興味深げな表情で身を乗り出す阿求だが、幻想郷に入り込む前に外で何をしていたかなど、世間話や雑談のように軽々しく話せるものではない。この状況で阿求を相手に真実など話せまい。月の眼計画のために数多の人間を殺め脅かした忍で、第四次忍界大戦という大規模な戦争の首謀者であり、無限月読を以って全人類を破滅の道へと引きずり込もうと動いていたなどと――平穏な世界には不相応な話題だ。
暫し間を置いてから咳払いすると、オビトは十一枚目の煎餅をかじった。
「そうだな……オレも人里に住んでいた。木ノ葉という名の隠れ里だ。そこでうちは煎餅という、煎餅専門店の経営に携わっていた」
「お煎餅の専門店!?」阿求が声を上げる。「そうでしたか……なるほど、先ほどからよく食べていらっしゃるのも、お煎餅がお好きで……それがお店で働こうと思った理由の一つだったりしたのですね!」
「煎餅は好む……うちは煎餅だがな。こっちにきて色々面倒ごとに巻き込まれたせいか、あの頃が懐かしく思えている。本当にな……」
忍界で生きていた頃は煎餅を焼いて売っていた。仮面を被りマダラを名乗っていた頃ではない、木ノ葉で暮らしていた幼少期に――という意味なら嘘とは言えなかったりする。木ノ葉に居た頃は、うちは煎餅で焼き上げや販売の手伝いをした記憶があるような、それともないような――兎にも角にも商売に関与さえしていたら、末端の経営に携わったと言えなくもない。ならば期せずした煎餅への執着も偽モノにはならない。
物静かな印象を与えていた阿求は、目をキラキラと輝かせ手を合わせている。興味のある話に変わると阿求自身も性格が切り替わるのか、先ほどの寿命云々が幻術に思えた。
「『うちは煎餅』ですか……是非とも一度食べてみたいものですね。実は私もお煎餅が好きでして、和菓子屋には頻繁に足を運ぶんです。たまに焼き上げをお手伝いしたり――もう美味しいのなんのって、自室と屋敷の倉庫には買い置きを保存してまして――」
「ほう……なかなかの強かさだ。アンタとは話が合いそうだ」オビトは十二枚目を手にする。
「やっぱりそう思います!?」湯のみを置くと、阿求は笑顔で十三枚目を取る。「――いやあ、オビトさんもお煎餅がお好きとは! あの、中央地区大通りの和菓子屋にはもう行きましたか?」
「あの店なら把握済みだ。醤油風味は博麗神社で食したが、美味な代物だった……認めざるを得まい」
「同感ですっ! おすすめは色々あるんですけど、中でもスキマ煎餅は醤油と味噌が美味しくて、買い置きの大半はそれでして――もう三時のおやつには欠かせないんです!」
「解っているようだな……だがうちは煎餅には及ばん――アレは生ける伝説だったと言っていい。醤油はもちろんタレや海苔もな」
「うちは煎餅とは、そんなに美味しいのですかっ!? あなたのお墨つきのお煎餅……まあどうしましょう……ああでも、外の世界に手は届きませんし……」
「安心しろ。記憶は曖昧だが、製法を再現できんこともない。本家には及ばずとも、類似品の焼き上げはできよう。あの店の主人に指示を出して作らせれば、イメージ程度は知ってもらえるかもしれん。アンタにもな」
「本当ですか!? ありがとうございます!」阿求は十四枚目を取る。「――そうだオビトさん、今度お店にお煎餅を食べに行きませんか? 他にもおすすめの品がたくさんあるんです! お時間のある日でいいですから、是非一緒に行きましょうっ!」
言動や姿勢からは品を感じるものの、もはや物静かだった阿求はいずこへと消えた。それでもさすがに興奮冷めやらない自分に気づいて我に返ったのか、途端に頬を赤らめて俯き加減になる。
「ごめんなさい、その、初対面のかたにいきなり。図々しいですよね、こんなこと」
「いいだろう」オビトは即答した。「暇ができた時に付き合ってやる」
「えっ、本当ですか!?」
「二度は言わん。そこまで好むとはな……驚かされる。オレもアンタの好みは知っておきたいからな」
「では決まりですね! 心待ちにしていますっ!」阿求は十五枚目を頬張る。
「ひとつだけ聞いておきたい。アンタにとって煎餅とは何だ?」
阿求は深呼吸すると、にっこりと笑ってこう言った。
「人生です」