THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
写輪眼――脳内に溢れた特殊なチャクラが視神経に反応して発現する瞳力であり、オビトを始めとしたうちは一族にのみ伝わる力である。その源流である白眼、上位種に位置する輪廻眼と共に、三大瞳術の一つとして並び称されている。
基本的な扱い自体は使い手を選ばない。しかしながら、正統な血筋の者とは異なり、大量のチャクラと体力を要する副作用が生じるために、十二分に使いこなすには多大な負担を強いる。それはかつて自らの左眼を友に譲り渡した者が一番よく理解している。
「まただ――さっきから、こっちの動きを見切って――?」
白狼天狗達は強い足腰で踏み込み、背丈ほどの大きな刀を振るう。特別速くも変則的でもなく、チャクラの消耗を除けば苦戦には程遠い動きだ。
四方八方から襲いかかる白狼天狗達の猛攻が「スローモーション」に見えるのは、写輪眼の基本能力の一つである『洞察眼』を存分に使いこなすがゆえ。俊敏な天狗の動作に人の身で対応できる理由だ。加えて数多の戦いを経験した『忍』として、眼に頼らずとも素で高い洞察力や身体能力、反射を持ち、非戦闘民のそれとは異なる。
妖ならざる者が相手ゆえの些かの油断、本人達の血の気が多いのもあり、実際は数でこそ勝っていても、劣勢と見なせるのは白狼天狗達だった。
「納めろ」
写輪眼は左右そろって本来の力を発揮する。トビやマダラとして『月の眼計画』の下に動いていた頃は、友に託した左眼の代わりに借り物を行使していたが、己本来の両眼を手に入れた現在の瞳力は以前の比ではない。
「物事には反動がある。争いを起こす気はないが、加減できる保証もない」
「お前一人で我々に? この数を前に余裕を見せるか」
外来人であるオビトには知る由もない。山の天狗達は余所者に厳しく排外的である一方、職務に忠実で真面目、話の通じぬ妖怪では決してない。孤を好む妖怪としては珍しく、組織として統制や連携も取れている。ゆえに侵入者だからと話の一つもせず急襲するなど本来は稀だ。
山の見回りや見張りを任される哨戒天狗。任務内容は同じでも隊ごとに特色が異なる。此度オビトの前に姿を見せた連中は運の悪いことに、数ある隊の中でも武闘派が所属する、血の気が多く喧嘩っ早い集団。慎重かつ冷静に対処すべき場面でも、侵入者の鎮圧や捕縛、討伐を念頭に置いた隊員達は、余所者の言いぶんなどお構いなし。敵対して刃を向ける理由など、侵入者という身の上だけで十分なのだ。
「いつまで続ける。去れ」
「こいつ――」
その一方で、『マダラ』らしい色が染み込んだオビトの言動も、双方の対立に拍車をかけていた。
マダラに成り代わることはなくなっても、マダラだった頃の自分に慣れ切っているために、相手に合わせる言葉選びに関しても今なお不慣れで不出来のままだ。敵意を煽る言い方が訂正されることはない。
初対面の彼女達が事情など知るはずもない。訊かれもしない本人がべらべらと話すはずもない。しつこく訊かれたとて同じだろう。
「図に乗るな人間。我々は白狼天狗……侵入者を捨て置くほど甘くない。相手がどんな輩だろうがね」
「大した忠誠心だ」オビトは目前に迫る、別の少女の視線を捉えた。「無駄に場を長引かせる必要もない。悪いが少し眠ってもらう」
二つ目の基本能力、相手の意識を奪って昏倒させる『催眠眼』により、一人目の意識が遠退いていく。石のように硬直して刀を取り落とし、ドサリと地面に崩れ落ちた。間髪容れず赤い眼光が走り、背後から斬りかかった三人の一閃を瞬身で回避、手頃な樹の枝に足を着ける。
忍として人並外れた身体能力を持つオビト。写輪眼という特異な力にしても、それが危険人物としての色を一層濃くする。彼女達にして容赦なく叩き斬るべき対象として映ってしまう。
「逃がすものか! 追え、行くぞ!」
先頭の白狼天狗が叫ぶなり、何故かオビトの脇をすり抜けて、全員が森の奥へと飛び去っていった。
最後の基本能力である『幻術眼』。ありもしない幻を作り出す陰遁の力だ。視神経から脳に瞳力を作用させて、視覚を司る前頭部に「逃走するオビトの姿」を映して幻視させることで、名も知れぬ者達に一切の傷を負わせずに追い払う『うちは』の戦い方を披露した。相手の力量にも依るが、写輪眼による固有の幻術は基本、同じ写輪眼でしか看破できない力と評してもいい。
気配が失せると樹の下に着地した。明らかに危害を加える気で襲ってきた天狗達を手にかけなかったのは、右も左も敵味方も判らぬ土地での戦闘は極力避ける方が無難である、という後先を考えた判断のほか、二度目の生を受けた『身体』に瞳力が馴染むのか否かの使用具合を試す意味も含まれていた。
瞳力を抑え気味に使うと、意識を失う気絶も夢を見る睡眠へと変わる。眠りに落ちた白狼天狗は横になり、緩んだ表情で気持ちよさそうに寝息を立てている。同じ忍ならいざ知らず、敵意さえなければ寝顔は普通の女の子。殺戮が似合う者とは思えない。
とりあえず周辺を見回すと、先ほどまで会話を交えていた妖精を念のために探す。避難か帰ったのか姿が見当たらない――と、思ったところで「やるじゃない!」という甲高い声が耳に入り、足元に立っている小さな姿にオビトは気づいた。感心したような表情で見上げている。
「とっくに逃げたと思ったが……巻き込まれなかったのか」
「うん。ずっと肩に掴まってたけど、アンタがあんまり避けるから。髪の一本も抜けなかったよ」
後から言われると戦闘中、左肩辺りを何かが掴んでいるような感覚があった、かもしれない。チャクラが非常に小さい上、手の平サイズの大きさしかない体のせいで、感触に気づかなかったオビトである。
「オレは別の用がある。お前は早々に帰れ」
「やだ」
「……なに?」
「もうちょい付き合ったげる。こんな面白そーなヤツそうはいないし、見返りだってもらってないし」
悪戯っぽく舌を出す妖精。オビトは「そうだったか」と軽く流して白狼天狗を見下ろした。
片膝を着けて少女の瞼に指で触れる。僅かに押し開き、虚ろな茶色の瞳と視線を合わせると同時に、眠れる森の少女の意識は覚醒した。
「あ……」
力の差を思い知らされたからか、抵抗もせずに仰向けのまま、怯えた目でオビトを見上げている。尻に見えるふさふさの白い尻尾も、だらりと力なく垂れたまま。仲間を伴って数を増やすことで勇気が湧く気質なのか、独りになると恐怖で動けなくなるようだ。
忍の隠れ里や国と同じように、天狗と呼ばれる伝奇上の生物達は、幻想郷という世界で独自の社会を築いている。
「でもさ、人間のくせにやるわよね、アンタ。さっきのヘンな力もだけど、高慢ちきな天狗をぜんぶ追い払っちゃうなんて」
「……高慢なのか」
「けど、なんで見逃したの? 全力でぶった斬られそうになったのに」
「こいつらは取り違えている。外来人という身の上を理解すれば、オレを敵とは見られなくなるはずだ。無駄な争いは避けたい」
「ヘーワシュギってやつ?」
「誤解を解けるなら、そのほうが利に資する。それだけだ」
恐怖心は彼方へ消えたのか、妖精は二人の周辺を元気に飛び回っている。オビトは写輪眼を解除するなり、敵視するでもなく話しかけた。
「まだオレを狙いたいなら別だがな。違うか」
「ひっ!」恐ろしげな声。「あ、あの……ごめんなさい! あのその、なんでもしますから、命だけはその、なんとかっ!」
「殺す気はない。手を出す前に敵とそれ以外を区別してもらいたい……そう思っただけだ」
「子供に勉強とか教えるのすごくヘタそうね、アンタって」
妖精はマダラ譲りの硬い口調に突っ込むも、自然な形で紡いだに過ぎないオビトは聞いてすらいない。
「うー……風体の怪しい奴は見つけ次第、問答無用で斬り捨てろっ! といった感じで先輩から言い聞かされてたので。えっと、新米なものであの、至らない部分があってですね……」
「考えかたや価値観の相違なんだろうが……見るに堪えん軽率さだぞ。それに風体とは――?」
実戦経験がお世辞にも豊富とは言えない天狗からの、服を着ろという存外真面目で真っ当な忠告。半裸で死んだからには生き返ろうと半裸、それがやむなしとはいえ、幻想郷では上半身裸なだけで敵意を煽る可能性があるようだ――と、オビトは何の気なしに思った。
稀有な外来人として騒動は避けられなかった。トビやマダラとして動いていた頃なら、後顧の憂いを摘むために駒に仕立てるか、邪魔者なら処理しただろう。染みついた口調、無愛想っぷりなどは別としても、うちはオビトという忍に以前の面影はほとんど見られない。
「……まあいい」
妖精曰く、ここは忍世界から隔離された別世界であり、外から入り込んだ者は外来人であるという。命ある生者として蘇った現実は幻ではないようだ。
ならば元の世界へと帰るのか、と訊かれても答えは一つ、否である。即答しかできない。現時点で行く当てもないとはいえ、友に後を任せて未練なく逝き、忍界という舞台から降り去った者として、今さら戻る理由も必要もない。仲間達と袂を別つ前の幼かった『オビト』も、正体を隠していたお調子者の『トビ』も、月の眼を欲していた『マダラ』もいないのだ。
かつてのやり方をなぞらない生き方で、新たな人生を歩んでみるのも一つの選択肢、と言えなくもないが。
「オレが何も分からん外来人であること、山とそれを取り巻く世界に敵対していないこと……お前らの内部事情に関与するつもりがない旨を、伝達してもらう。上司を通じて上層部にかけ合う程度は新米にもできるだろう」
妖怪の山に住む天狗社会の基盤と内外構造、どの程度の規模や人数から成り立つのかは不明ながら、きちんとした体制があり、統制のとれた組織を擁する社会なら、物事を客観的かつ慎重に見る目は当然に存在する。規模の大きい組織ともなれば束ね上げるのは並大抵ではなく、そういった目は必要になってくる。強硬的な姿勢を見せる者達ばかりではないだろう。
個々人の目的も思想も力も経歴も性格も悉くがバラバラの組織でも、抑止となる大きな力が一つでもあれば、思いのほか上手く機能するものだ。
「お、おお、大天狗様にですか!? そ、それはなんと言うか、大変恐れ多いというか、その……」
「なんでもする、とか言ったな。アレは嘘か」
「えっと……」
「さもなければ今度は――粘度が極端に高い水飴を浴びせかけられる幻を、延々と体感する破目になるぞ」
「ひゃうっ!?」
ちょうど頭上に来た妖精が目を光らせた。この流れに乗じて調子づいたのか、これでもかと笑顔で見下ろしている。
「わ、分かりました! 伝えます! お伝えしておきますっ! 是が非でも伝えさせていただきますのでっ!!」
少女とて外敵から山を護る白狼天狗。どこにでも分布する小さな妖精など怖るるに足らないが、異様な力を振るう余所者を前にしてか、勝気で生意気な妖精に指一本も触れない。弾けるように立ち上がって地面を蹴ると、鬱蒼と茂った樹々の間を縫って暗闇へと消えていった。
本当に約束を守るのか否かは本人のみぞ知る。焦りに焦っていた様子を見るに無視を決め込むとは考えにくい。放置しても障害にはならないと判断する。
「やーい、もう来るなよ、ばか天狗ー!」
すっかり調子を取り戻した様子で、妖精は舌を出していた。
時間帯は夕暮れなのか、頭上を蓋のように覆う枝の隙間から、橙色の光があちこちに下りている。
穏やかな風の感触が肌をなぞる。生身には慣れがある、慣れしかないはずが、灰と成りて死んだ後では新鮮に感じられた。
これからどのように動くべきか。山を越えるのは簡単である一方、現在地は不明で地理が把握できていない。事情を知らぬ者からの襲撃を二度も三度も受けては厄介だ。妖精が口にした博麗神社なる場所へと向かう前に、山での面倒事を確実に回避できる手段として――『時空間移動』で飛ぶ方が手っ取り早い。
(オレの魂は何者かの、何とも知れん術で……試しておくべきか)
獣道のど真ん中で佇んだまま、静かに瞼を瞑るオビトの姿を、妖精は不思議そうに見つめている。
赤い瞳が再び露となった時、三つの勾玉紋様の浮かぶ特異な瞳が現れる。瞳孔を中心として左回りに回転すると、三方手裏剣を模ったような黒い紋様に変わる。
(『神威』)
謎に包まれた異能を目の当たりにして、妖精はオビトの背に隠れる。右眼を中心として景色が渦状に捻じれたかと思えば、粘土のようにぐにゃりと曲がった巨大な四方手裏剣が一つ、右巻きの渦に巻かれて飛び出してきたのだ。
異空間を抜けて形状を戻した手裏剣は、地面に深々と突き刺さった。
――両目に宿りしは通常の写輪眼ではない。すなわち、一つ上の段階である『万華鏡写輪眼』の存在を意味する。
万華鏡の瞳力は従来の比ではない。うちは一族の歴史上でも高尚な力と認識される上位種で、自身にとって最も大切な者の死を体感して初めて発現する。愛情の深い血族ゆえの異能と言えよう。
うちはの『写輪眼』は日向一族の『白眼』を源流とする。行き着く先が第三の瞳・六道の『輪廻眼』となるならば、写輪眼の上を行く万華鏡とで線を結んで見ると、忍の祖であり神でもある六道仙人に繋がる。ゆえに万華鏡を開眼した者は、天照や月読を始めとする神々を冠した名を持つ力を扱える。
滅亡に帰した一族の生き残りとして、のはらリンの死を目の前で体感した。何者にも想像を許さぬほどの、暗い深淵へと沈んだ者を神は見捨てなかった、との言い方もできるだろう。
さらに左右の万華鏡には各々、使い手によって特殊な能力が宿る。
消えぬ黒き炎を発現させる、火遁の術の最高峰たる『天照』。
天照による黒炎を自由自在に操る『加具土命』。
空間や時間、質量をも支配して、相手を幻の無間地獄へと落とす『月読』。
相手を無自覚のままに操る、幻術の最高峰たる『別天神』。
他にも様々な瞳術はあれど、うちはオビトの両目に宿る力は『神威』。専有の異空間にあらゆる物や事象を出し入れできる。
万華鏡を開眼した時点で左眼は他の者が持っていたので、右眼分だけを使用していた期間の方が遥かに長かった。両眼がそろっていたのは死ぬまでの僅かな時間だけだった。
己自身の転送に特化した右眼と、それ以外に特化した左眼。得意分野が違うだけで同じ能力だ。転送先である神威の『時空間』、言うなら『神威空間』は専用の不可侵領域であり、同じ神威かそれに類する空間干渉能力を扱える者しか入り込めない。向こうに収納されていた忍具の一つを取り出したのだ。第四次忍界大戦にて未使用で終わった余り物を。
「ねえ、アンタってなに? 人間じゃないのは判るけど。なんとなく」
「オレは人間だ」
「人間離れしてるのに?」
「そうだ」
物を自由に出し入れする力は右眼が得意とする。さらに時空間と現実空間(時空間の外)、この二つを行き来する力を応用して、時空間の側に居る己自身を、現実空間内における任意の場所へと飛ばすことができる。神威を用いた『時空間移動』である。
移動には事前のマーキング(印づけ)が必須。その場所を漂う空気や自然物質、目印となる人物のチャクラを僅かでも時空間に残留させた状態で、それを基に時空間側から場所、人物を感知して現実空間へと繋げるのだ。後者の場合は、チャクラの持ち主である対象者、または対象者が目視可能な範囲の地点へと、チャクラごと送り出す要領で移動する仕組みとなる。異なる空間同士を繋げる神威の空間共鳴を利用した、視界の共鳴とも言えるだろう。
時空間への移動は神威で入り込むだけでいい。時空間を介して現実空間同士を繋げるとなると、他者や他所の印づけを要する。色々な場所を自由に飛び回りたいなら、一度は移動先へと足を運んでおく必要がある。
巫女が住まう神社を目指すなら、時空間移動でなら数秒ほどで事が終わる。しかしながら、見知らぬ土地ゆえに印づけを済ませていなければ、場所が分かっていても使用は不可能だ。徒歩での移動は避けられない。
「……ウソつかなくたっていいよ? 敬遠したり怖がったりとかもしないから。妖精だし!」
「その辺は好きにしろ。同じやり取りが無駄に長いぞ」
「無愛想めー」
当初はオビトをただの半裸人間と思っていた妖精。写輪眼を用いた先の戦闘を目の当たりにした上、今度は空間を歪ませて物体を召喚するぶっ飛んだ芸当を見せたとなれば、もはや上から目線で接していた少女も焦りを隠せない。とんでもないヤツの顔を何度もぶっ叩いたのだと。人間、しかも外来人のくせに、白狼天狗の小隊を苦もなく追い返す輩であると。
少女は幻想郷に棲む『妖精』。元より命の危険が蔓延る世界に生きていて、自然の化身として不滅の肉体、魂を持つがゆえに死の概念を知らず、永遠に知る由もない者にとって、むしろ興味の湧いてしまう力だ。好奇心の塊である少女にとっては、平凡な人間などより数百倍、それ以上の楽しさを見出せるのだ。「こほん」という咳払い。
「とにかく……この世界はアンタから見て、外の常識をぶち破ってばっかのとこだけど。アンタなら上手くやれるかも。そんなのがバンバン使えるんだし」
「無益な争いを起こす気はない。オレは余所者だ。お前なりの言いかたで答えるが……『バンバン』行使できる力ではない。本来はな」
あらためてオビトは自分の体を、真っ白に変色した異様な状態の右腕を見下ろした。
両目に宿る神威に限らず、万華鏡は強大な力と引き換えに大きなリスクを背負う。固有の瞳術を使う度に視力が低下し続けて、いずれは完全に光を失う。失明である。
うちは一族の体とチャクラを持たない者ではさらに重い。何回か使用しただけで消耗して体が満足に機能しなくなる。どんな天才でもリスクからは原則として逃れられない。
(問題ないか……)
例外となる異端者がオビト。右半身という広範囲の、ほぼ百パーセントを侵食する『柱間』の体細胞は、異常に高い細胞活性による人間離れした回復力、莫大なチャクラの保有量を底上げする効果をもたらした。神威のような固有瞳術を負担もなく連発できるのは、万華鏡を扱う上でのリスクを無効化しているからだ。
これらの特異な力を以ってして、無限月読による夢の世界を作り出さんと動いていた。ただ一つ違うのは、大切な者の死をきっかけに抱いた、忍世界への深い絶望の底から這い上がり、最後は仲間達が待つ本当の居場所へと戻ったこと。あの男とは最期に敵ではなく、友として別れを告げることができたのだ。
(…………)
何にしてもまずは、忍界と幻想郷という二つの世界を隔てて存在するという、博麗大結界とやらを見に行くべきだろう。他に行く当てもないとなれば、そこに住むらしい巫女との接触を目的として、同時に『うちはオビト』を生者として蘇らせた輩と、そこへ至る経緯や手段に関する必要な情報収集を行い、結界の詳細を把握してもいところではある。妖精の口ぶりからだと相当に大した術のようだ。
頭に座って寛いでいた小さな体を掴むと、オビトは踵を返して森の中を歩き出した。あっさりと捕らえられた妖精は文句を言いながら見上げていたが、ポイと放られると再び周囲を飛び回り始める。
「ねえねえ、ついてっていい?」
「ソレはありがたい。ならハクレイとやらだ」
「おっ。言ってみるもんねー」
「連れて行っても目立たないからな。この土地の案内役として申し分ない」
「オーブネに乗ったつもりで――」妖精は目を丸くする。「って、そうだ! そーいやアンタ、お礼!」
「礼? なんだソレは」
「もうっ。ここがどこかとか、巫女とか神社とか、大雑把にだけど教えてやったでしょ? なに忘れちゃってんのよ、このグルグルしわ男っ!」
「グルグルか……懐かしいもんだ」オビトは妖精を見る。「望みはなんだ?」
騒がしさで言えばいい勝負ではある。慣れない思考が脳裏を過ぎるのも生き返ったせいか。怒りを見せていた少女は笑顔を向ける。
「えっとね、名前ちょーだいっ!」
「……名? どういう意味だ?」
「そのまんま。わたしの名前、提案してもらいたいなーって。わたしに似合う、とびっきりかわいいヤツね!」
「なにを言ってるのか、まるで分からんぞ」
普段は人が通らないであろう道なき道を進む。今のオビトにとっては取るに足らない無駄話と流したいところでも、異様に真剣な表情で金色の瞳を向けている。
「そんな感じなのね……人間の反応。でも言っとくけど、ふざけてないよ別に。だってアンタは名乗ったじゃない」
「当たり前だ」
「うん」オビトの前に来る妖精。「人を呼び分けるのに必要なもの……名前。みんな当たり前のように持ってるけど、全部が全部ってわけじゃない……わたしだって一つくらい、あの巫女や妖怪たち、アンタみたいに、わたしのがほしい」
「ならお前が付けたらいい。オレが与える必要はないだろう」
「周りにこんなん言ったって、笑われるのがオチだもん。名前っていうのは、自分で決めて名乗るものじゃない。誰かに付けられて初めて意味を持つの。アンタが親から――『オビト』って付けられたのと、同じように」
言葉を聞いたオビトの脳裏に、かつてマダラとして被っていた顔が、水面を漂う葉っぱのようにぼんやりと浮かんで見えた。赤黒く毒々しい色の液体がたっぷりと染み込んだ、捻じれ模様の仮面。
うちはオビトという名を忘れて――否、捨て去って生きていた。親しい者達の言葉すら拒絶し、十数年という長い時をマダラとして、誰より罪深い人間として忍界を歩いていたのだ。真っ黒な花畑から一輪の白い花さえ見つけ出せず、見つけ出そうともせずに。
「他を当たれ」
道に力なく転がっていた、獣の物らしき頭蓋骨を踏み砕く。
妖精の目を見れば解ることだ。生きる道こそ選べど、罪を重ねた者が今さら誰かに、その者足らしめる意味を与える資格はない。偽りの世界を渇望した者に真など。
「いくらでもいる。まともな奴なら」
「わたしだって――」妖精の表情が変わる。「……待って。どうしたの? なにか――」
「この辺りは深い。日が落ちるまでには山を下りなければな」
草葉が揺れる。困惑した表情を隠せない妖精を残して、答えはオビトの姿と共に闇へと消えた。