THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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二十一話 守矢神社②

 守矢の三柱が神社ごと幻想郷へ引っ越す前に居た外界には、忍者と呼ばれる人間など影も形もないどころか、オビトの知る『忍』に繋がる言葉すら何一つ存在しなかった。

 咲夜の言う通り、幻想郷で言われる外の世界とは、忍界ではない別の世界を指すのが住民達の常識。細やかな事情など聞かずとも、今のオビトを黙らせるには十分すぎていた。外には忍界と相容れない異色の世界が広がり、今も昔も向こうとは違った時間を刻んでいるのだ。

 

 大きな卓袱台の上に置かれた皿には、焼きたてほかほかのワッフルが溢れんばかりに山積みとなっている。オビトが腕を組み黙して話を聞いていた時、床を擦る布の音と共に襖が開いて、諏訪子曰くケー・ワイな「おまたせです!」という大声と一緒に、早苗が爽やかな笑顔で入室したのだ。

 その早苗も張り詰めた空気に圧倒されたのか、それとなく溶け込む形で座布団にお尻を着けていた。

 

「本当のようだな。こんな……」

 

 室内には四人。焼き菓子の甘い匂いが鼻を突く中、腕組みを解いて視線を落とすオビト。諏訪子の目が覗き込むように動いた。

 

「しかもあなたの言う『忍』の概念すら、私らの知る忍者とは異なる。これってつまり――」

「どこにも存在しない」オビトの呟き。「ここは本当の意味での常識外……時間軸すらズレた、正真正銘の異界。世界観の捻じれはほぼ矯正できたか」

「異界は異界でも――大陸と大陸、地球と月、何かと何かが一直線上に存在する……なんて単純な話じゃない。外と幻想郷の関係に見るわけでもない。とんだ歪み具合だね」

 

 幻想郷から見た『異界』は数知れず。同一の空間内に存在する地底界。空間を異にするが幻想郷と同じ時を刻み、季節を巡らせる外界や月の都。時間も空間も異なるが、行き来が可能な冥界や魔界など多くの世界。時間も空間も異なる上、時空の歪など限られた手段でのみ行き来できる、その他の世界。忍界はそのうちの一つとして枠に収まる。忍界などの完全なる断絶世界には、人間はおろか妖怪でさえ手が出せず、八雲紫の高度な境界操作をもってしても干渉は困難を極める。そしてこの手の話には大抵例外がある。

 諏訪子曰く、神霊かそれに比肩する魂を宿しており、別空間に干渉する特殊な異能を持つ者なら、力量次第では隔絶世界同士を行き来できる「可能性がある」。神様だからと誰しも、必ずしも為せるわけではないようだ。

 

「隔たりを跨いだだけ。当初はそう思っていた。だが違った……二つの世界を分かつ境界線は次元を異にしている。時間も空間も何もかもが……」

 

 大結界の効力で空間ごと外から隔絶された幻想郷。行き来には境界操作や神威を始めとする、別空間に干渉できる異能が必須となるほど、その効力は強かで確か。逆に言えば、条件を満たしさえすれば容易に干渉できる。同一の世界に存在する空間の一角を隔離し、結界の力で壁を作り隔てているに過ぎないからだ。互いに隣接していれば、能力を使い跨ぐだけで自由に行き来できる。一枚の襖や障子で分けられた部屋を出入りするのに負担などあるわけがない。

 問題はそうではない場合。隣接していない世界。同一の世界に存在しない空間。自由に行き来できる異能を行使できても、跨いで入る場所が存在しなければ意味がない。幻想郷や外界から見た『忍界』とはまさにそれだ。時間も空間も全てが異なる別次元。そびえる壁の高さも厚さも途方もない。神の化身とも言える黒ゼツは――大筒木カグヤの意志は、神威を用いることでその壁を乗り越えたのだ。

 

「孤立した世界」ワッフルを片手に、神奈子が眉を寄せる。「ではその黒ゼツとやらは、最初から?」

「現状では言い切れん。幻想郷と外界の境界に時空の歪が生じ、管理者さえ欺くほど微細な……忍世界との繋がりが生じた。黒ゼツがハナから知った上で干渉したかどうかの確信は持てんが、奴がその方法を見つけるのに必要な知識をもって、実際に事を起こしたのは確かだ」

 

 諏訪子達の言うように、外界と忍界が全くの別物なら。互いの認識の交わる可能性が何一つ皆無なら、黒ゼツに大結界を越える手段があろうとなかろうと、この世界には干渉しようとすら思えないだろう。しかし、現に干渉を行い姿まで見せた以上、結界を越える手段のみならず、『幻想郷』そのものに関連する情報を事前に得ていたことになる。

 忍界各地に散らばった古代の文献では、「空間転移を繰り返していくつも星々を飛び回る人物(異界人)」などと称され、実際に『神』と呼べるほどの人知を超越した力を振るい、幻想郷で言う神霊かそれ以上の力を持つとも考えられる、大筒木という謎に包まれた一族の一人・カグヤ。あの者が過去に八雲紫や幻想世界の存在を把握していたのなら、その分身も同然である黒ゼツが知っていても不思議ではない。

 

「じゃあそのカグヤってのが、前々から?」

「手を出していた可能性はある。奴も同じ意志……常識など覆すだろう」

「へえ。聞けば聞くほど厄介な奴っぽいねえ、まったく」

 

 異界の話題に興味があるのか、諏訪子はオビトとの会話に集中してワッフルに手をつけない。神奈子の方はどちらかと言うと興味は菓子に傾いており、話を聞きつつも満面の笑みで幸せそうに頬張っている。

 

「あのさ。あなたの言う大筒木って、神様なんだよね? 私らみたいな――それか同じ分類の?」

「人間など及びもつかん力を持ち、現人神として尊祟の念を向けられ、畏れられていた……事細かには分からんが、同じと考える方が自然か」

 

 大筒木カグヤが司る六つの異空間の一つ、極寒の氷雪世界を思い出す。

 時空間忍術に必須の印やマーキングもなしに、カグヤは幻想郷を丸ごと包み込む以上の広域空間を披露してみせた。幻術でもない現実の空間をだ。時空間系統の術を知り尽くす者にしてみたら、空間操作能力のみでも次元を異にすると言える。神威や輪廻眼の瞳力さえ及びもつかず、実際に目で見て肌で感じても理解に至る代物ではなかった。

 全ての忍の祖である六道仙人・大筒木ハゴロモ。外道魔像を月で監視する役目を担っていたとされる、彼の弟であるハムラなる人物。その二人の母であるカグヤ。人の理解が及ぶような連中ではない。

 

「なるほどねえ……それなら人間や妖怪にできないことができたって、おかしくないかもね」

 

 空間や時間を操るだけなら人妖達の中にも割と見られる。咲夜や霊夢など人間でも扱える者は存在する。忍界に溢れる『口寄せの術』も立派な時空間忍術だ。問題はこれらの力を、『神霊』という高尚な魂とそれに見合う器を持った者が扱う場合である。

 特定の異能に限った話ではない。同じ術でも扱う者により強弱が変わるように、人と妖怪、神霊の間には高すぎる壁がそびえている。あの八雲紫にすら為せないことを神々はやってのけるわけだ。

 

「奴は別空間を自由に行き来する術を使う。幻想郷が創られた当時の紫を含め……妖怪共の動向を把握していたのなら」

「黒ゼツが結界、ひいては此度の歪みを知り得ても自然。そのカグヤが話の通りなら恐ろしいものだね。神霊にも並ぶとなると――この幻想郷に現れたら――いや、考えたくないね。不安を覚えるよ」

「その不安を拭うには」オビトはワッフルを睨む。「――奴を始末するしかない。今の奴は本体の一部にすぎん出来損ない……他者の体に寄生せねばまともに動けん。蝋燭の火を吹き消すより簡単だ……居所が掴めさえすれば」

「僅かでも隙を見せれば、この私が直々に天罰を下すものを。だがお前の言う通りの輩なら、隠れる力は相当なのだろう。簡単にはいくまいな」

 

 黒ゼツが幻想郷のいずこに身を隠すのかなど、全知全能の神様ならたちどころに判ると思わされる。現実はそう都合よく運ぶはずもなく、神奈子は歯痒そうな表情で十五個目のワッフルに手をつける。オビト達の話を聞いていた早苗が湯呑を置いて口を開いた。

  

「あなたの仰るカグヤさんとは、私と同じ『現人神』でもあるんですよね? 竹林の方ではなく」

「そう言われている」

 

 早苗の反応を見たオビトの脳裏を、咲夜の話に出てきた蓬莱山輝夜という名がよぎる。阿求の幻想郷縁起にも事細かに記されていた人物である。

 人の世で最初に神の樹――『神樹』に生るチャクラの実を口にしたカグヤ。そんな彼女にも姫だの、卯(うさぎ)の女神だの様々な呼び方がある。その実を食した時を境に人外の輩と成り果て、当時の人々を力により支配していた暴君のごとき恐ろしさから、転じて鬼とも呼ばれていた歴史もあったようだ。内容からして別人と思いたいところだ。

 

「なるほど、異国の人々から祀られていた……是非とも一度お会いして、お話してみたいものです。向こうではどのように、どのくらい民の信仰を得ていたかとか、個人的に気になりますね色々と」

「止めておけ。可愛いくらいだからな、お前は。奴に比べたら」

「えっ、本当ですか?」早苗は呑気に笑う。「いやあそんな、照れますねえ」

「違うと思うけどなあ。意味」

 

 おそらくは天然が入っていると思われる早苗を、諏訪子がジトッとした目でたしなめる。オビトと神奈子は揃って怪訝な表情を見せた。

 

「とにかく……現人神とはいえ、とことん突き抜けた化け物の類だ。お前と同じならどれだけ好かったか」

 

 雑に量る限りでは、早苗の霊力は安定性で霊夢に優る一方、量や質の面では二柱を含む三人に劣る。チャクラはあの氷雪世界で感知したカグヤの物には及ばない。カグヤに見る果てしないチャクラと神の力、古の時代における力と欲望塗れの統治とは異なり、早苗は言霊により人々を導く穏やかな巫女なのかもしれない。この場合の力とは超越的な代物か否かの意味も含む。

 全知全能とまでは断定できずとも、人外と言えるからこその神。六道の力をロクに行使できぬほど弱いとはいえ、カグヤの意志である黒ゼツも同じ神の類と見なせる。ならばこの先で何が起きようと想定の範囲内に収まるべきだ。むしろその必然性さえ生む。妖怪の身形程度で驚いていた頃が、今となっては遠い昔に感じられる。

 

「お前らとのやり取り、短時間だったが貴重なものになった……礼を言う」

 

 当初の予定では世界観の歪みを矯正して早々に去るつもりだった。神奈子達がカグヤと同じ括りだからと長話に徹したようで、今や空気までも重々しく変わりつつある。これ以上はワッフルの温かさと一緒に三柱の団らんをも奪い去りかねない。聞きたい情報を全て聞けたこともあり、これ以上の長居は無用と判断したオビトは座布団から腰を上げた。

 

「もう行くのか? 逸る気持ちも解るが、今くらいは温かく迎えられても、罰は当たらないのではないか。というか当てないぞ別に?」

 

 豪快に笑う神奈子の言葉を聞いた途端、オビトは開いた障子の傍で振り返った。

 少し煩わしげながら、鬱陶しさなどはない。ましてや殺気もない。それでも神奈子の穏やかで柔らかな、温かな言葉を聞いてはっきりと顔をしかめたオビト。この場で菓子や茶さえ口にしなかった事実は、今のオビトの心境から生み出されたものだ。

 

「目的を果たせさえすればいい。そいつが冷めんうちにお暇させてもらう」

「待ってください」早苗が口を開いた。「オビトさん。このワッフル、先ほどのお詫びも兼ねて焼いた物なんです。よろしければもう少しだけ、ここに居てもらえませんか――?」

 

 双方のやり取りから早苗が何を感じたのか、不意に投げかけられた言葉に対してオビトがどう答えたのか、この場における誰にも分からずじまいだった。喧しい轟音が縁側から、方向からして境内の方から室内にまで響いてきたからだ。床と柱間ァを振動が伝い、本殿の柱が揺れたのを四人ははっきりと感じた。

 諏訪子とオビトを除く二人が驚き、弾けるように立ち上がるなり部屋の外へ駆け出していった。早苗はともかく、神の威厳に人一倍、神一倍の意識を持つ神奈子にして、守矢神社に害をなす騒ぎと判断を下したのだろう。

 騒音にのみ反応する早計さを即座に切り捨てたオビト。境内の方から忌むべき敵ではない、覚えのあるチャクラを感じたという理由が主である。沈黙していた諏訪子がケタケタと甲高く笑う。

 

「もうちょい静かに来てほしいなあ、参拝なら」

「目立ちたがりが拍車を掛けるのかもしれん。前々から思っていたが……何故に強かな者ほど喧嘩っ早く、はた迷惑な輩が多いんだ」

「『そういう世界だから』、としか言えないね」諏訪子はオビトを映す。「まあアレさ、気にしたら負けね。面白そうだしここは一つ、高みの見物でもしようよ」

 

 神奈子と早苗を追って一人は縁側へ、もう一人は空間の渦に巻き込まれて姿を消した。

 

 

――◇◇

 

 

 無意味な面倒事に巻き込まれるよりかは、早々に黒ゼツが出張って来る方が遥かにマシである。穴掘りの最中に硬い岩にぶち当たったような鬱陶しい気持ちが芽生える。本当に戦うべき敵との邂逅こそ願いだが、都合のいい流れとはそうそう生まれないようだ。

 

「頑丈な結界ね。少しだけ見直したわ。形だけの種族と思っていたから」

 

 守矢神社へ派手に喧嘩を売った襲撃者、もとい来訪者は本物の神を前にしても余裕を崩さず、日傘の下で不敵な笑いを浮かべている。神奈子は尊大な目つきで鼻を鳴らす。

 

「新参者風情が。何が目的かは知らんが、神の御前で出すぎた真似をして、無事に帰れると思うなよ?」

「あなたに言われてもね」

「まあしかし、争いなど本意ではない。今からでも我々を崇めるなら水に流してやらんでもないが、どうかね」

 

 物騒な言葉選びの割に轟音の原因、犯人を目の当たりにしても憤る様子はなく、むしろ嬉々として参拝を勧める。山の外から来訪した余所者か否かや種族なども一切考慮しないようだ。

 

「神霊風情の指図は受けないわ。というかあなたも同じ穴のムジナだと思うけど」

「――お黙りなさい! 堂々と邪魔しに来といて何がムジナですか、今度こそ退治してあげますからね!」

 

 どっしりと構える祭神とは対照的に、早苗は祓い棒を手に臨戦態勢に入っている。襲撃者の少女はこれまた反対に落ち着き払っていた。

 

「見ててくださいお二人方! 守矢の名の下に命を賭して闘う、この私の雄姿をっ!」

「青白の腋出し巫女服……あの時の人間か。御機嫌よう。でも悪いけど、あなたたちに用はないの。あるのはあちらのお客様」

 

 愉快げに細まる紅い目は、賽銭箱を背に対峙する二人から、本殿の高い屋根部分に腰かける諏訪子を捉えた後、すぐにオビトへ向けられた。少女を見下ろす諏訪子は不気味に笑んでいるも、オビトの方は表情を変えず、黒い瞳は警戒の色に染まっている。

 

「ようやく見つけたわよ。オビト」

 

 曰く「ヨウヤク見ツケタゾ。オビト」という言葉を期待したオビト。堂々と『脆弱』宣言をして地下深くに潜伏したであろう輩が、この程度の騒ぎに乗じて不用意に姿を見せるはずもない。

 オビトが感じたのはチャクラ。そのチャクラの持ち主、境内にて優雅に佇むのは誰であろう、紅魔館の主であるレミリア・スカーレット。

 外敵に備えて本殿を覆っていた結界が作用した影響だろう、轟音の原因は彼女が形成したチャクラの槍だった。巨大な紅い槍は建物を貫く直前で、透明な壁に阻まれたように空中で静止し、膨大な魔力が渦となり螺旋状に巻いていた。魔力の粒子一粒一粒が、澄み切った空気を冷たく侵している。

 

 レミリアの意識はオビトに、神奈子と早苗の意識は彼女の捕縛にある。目的を違えれば衝突は避けられない。

 話し合いで解決する? 否、諏訪子達が見守るうちに、早苗に続いて神奈子までもが派手な喧嘩を始めたのだ。ワッフル騒動が収まったと思いきや今度は別件である。緑や紅の弾幕や黒い御柱が飛び交い、境内は眩い閃光や音で忽ち満たされてしまう。

 三人がもう少し会話を続けていたら立ち入る隙もあっただろう。偽マダラ時代の癖で観察に徹していた側にも非はあり、今さらオビトとしても上から物は言えなかった。

 

「いつもの逸れ従者は居ないね。散歩に託けて出し抜いたのかな」

 

 オビトが瞳力を収めると、諏訪子はやり取りを眺めながら「そういえば」と続ける。

 

「天狗たちの新聞じゃあ詳しく書かれてなかったけど。管理者に飽き足らず、あの館にまで手ェ出したんだってね、あなた。恨みを買ったことは?」

「それをオレに訊くのか」

「いいじゃない。話そうよ」

「……奴との悶着は終わっている。あの記事は誇張されているが、大雑把には間違いではない。お前らはどうなんだ」

「もちろんイナよっ!」鼻歌交じりの諏訪子。「やっぱ興味がないとね、こういうのは。今さらあんな連中どーでもいいや」

「ならオレか。あいつの言葉に嘘はなかったようだな……面倒な奴だ」

 

 砂塵が吹き荒れる境内を見下ろしつつ諏訪子は眉をひそめる。彼方へ飛んだ光弾が帽子を掠めても、瞬きどころか意識すら向けない。底知れない彼女が僅かに感情を表に出したのは、無感情に振る舞うオビトが横に居たからだった。

 

「私ら神霊は、形ないものを手にとって、感じることができる。理解するのもね。形ないものとは魂であり、精神であり、心でもある……こう言ったら人の心が読めるとか勘違いされそうだけど、私らが手に取れるのは意識的なもので、奥底にある深層心理は別さ。つまり心の内の無意識までは読めないってことになるね」

「……何が言いたい。何故そんな話をオレにする?」

「少し気になってね」諏訪子は足を垂らしたまま、ぶらぶらと揺らす。「あなたのさっきの言葉は、裏を返したんだと思った。けどあなたに触れてみても、私には見通せなかった。そっから出た疑問だよ。あなたは“自分の意志を語ることができるのか”――ってね」

 

 意味を理解するしないは関係なしに、誰もが真面目に受け取ってしまいそうな、威厳に満ちた神の言霊である。しかしオビトには取るに足らない話であり、諏訪子が神霊だろうと戯言にしか聞こえない。戯言に過ぎなければ彼女の言葉で焦りなど覚えるはずがない。汗を掻くはずもない。それなのに背筋に冷たいものが流れる感覚を味わった。

 

「馬鹿馬鹿しい」

 

 全てはこの魂を穢土へ戻した因縁の輩を滅ぼすために、うちはオビトとしての明瞭なる意志を胸に動いている。今さら意識を研ぎ澄ませてまで思い返す必要もない。他ならぬ己自身から当然に課された役目を、道中で幾度となく唱えることに意味はない。

 

「意志とは己を動かし真実を語るもの。偽りの世界を歩いたからこそ、今ならハッキリと解る――それは己の内から切り離せるものではないと。変わりようのない意志が、真実がオレの中にある。他のどこにもありはしない」

「その痛みを」諏訪子は微笑む。「皆に話してみてはどう?」

「どうやら」再度地上に視線を投げるオビト。「早くも決着がついたようだ。奴に話を聞く暇ができたな」

 

 何一つ偽ることもせぬまま、普段の表情と口調で屋根を蹴り、オビトは諏訪子を残して境内に下りた。

 諏訪子は何も言わず、ただその姿を静かに見送った。

 

 結局はレミリアも丁寧に戸を叩いて訪ねるより、本人が好みそうな面白味のあるやり方を採用した。

 写輪眼と神威がある以上、いかに吸血鬼とて正攻法では不利とも言える。早々に投擲された魔力の槍は、不意を突くために本殿ごと吹き飛ばして大怪我を負わせ、あわよくば始末しようと図るには十分な威力だった。幻想郷の住民らしいと言えばらしい。結界がなければ無事では済まなかったかもしれない。しかし今回はその彼女らしさが仇となった。

 守矢の神々を甘く見ていたこと、怒らせたことが敗因だろうか。吸血鬼が強大な種族とはいえ、妖怪と本物の神ではさすがに勝負にならなかったようだ。神霊にはお遊びなのか、神奈子は本殿を背に自慢げな顔で腕を組んでいる。

 満身創痍という様子ではないレミリア。大の字で目を回す早苗を何故かベッドのように扱い、仰向けでぼーっと空を眺めている。太陽が雲に隠れているからか日光すら気にしていない。

 

「いいのか? 手酷くやられたようだが……」

 

 レミリアの下敷きとなる早苗を見ながら、オビトは誇らしげな様子の神奈子に話しかける。余裕綽々である。諏訪子が「早苗!」と心配そうに下りて来た。

 負傷者は哀れにも早苗一人。レミリアは髪や衣服の乱れのみ、神奈子に至っては無傷。レミリアはすでに戦意を放棄したようで、諏訪子に抱えられて本殿へ逆戻りしていく早苗の様子を、欠伸混じりにじっと見つめている。

 

「案ずることはない。あの子とて私の家族であり三柱の一角、お前の思うほどヤワではないぞ」

「常識は捨て去ったつもりだが、まだまだ慣れそうにないな」

「名誉なことではないか? あの子は犠牲になったのだ……守矢の繁栄を守るための神々の戦い、その犠牲にな」

「……癇に障る言い方をするな。家族なのだろう、お前もさっさと介抱してやれ」

「ほほう。こやつ言いおるわ」

 

 神様の余裕をバッサリと切り捨て、嫌でも湧き上がる昔の記憶を消し去るオビト。「無事では帰さない」などと口では言い放っても、格好いいと思う台詞を舞台で読み上げただけで、神霊にとってはレミリアとの戦いすら遊びに過ぎないのか。面倒ごとはオビトに任せる(丸投げする)ことにして、神奈子は満足げに笑いながらその場を去った。

 

「ご機嫌よう」

 

 ワッフル騒動に続いて二度目の平穏が訪れた。近づいてきたレミリアが日傘の下からオビトを見上げる。境内に従者である咲夜の姿は見当たらない。

 

「館の悶着以来か……再会と言うには早い気もするがな。お前一人か」

「あの子はお留守番。少し気晴らしをね」レミリアは気品を失わない。「――誤算だったわね。私としたことが」

「誤算?」

「小賢しい結界。忌々しい。そうは思わないかしら、オビト?」

「本殿の護りを事前に把握していなかったのか。オレに用があって来たのに、殺していては元も子もないだろう」

「大丈夫よ。そうなるなんて思ってなかったもの。あれ(グングニル)はほんの挨拶代り。あの程度で潰れる男でもないでしょう」

「他の者もいる」オビトは呆れている。「あの紅いチャクラ、目で見る限り恐ろしいものだった。祭神の結界でさえアレだ。まともに喰らえばオレや早苗なら消し飛んでいたぞ」

 

 神威は術者の実体を時空間に転送することで術や技をかわす瞳術。物理的な接触を回避するに止まり、堅牢な鎧か何かで体を覆う術ではない。吸血鬼の怪力だけでも危険なのに、あれほど莫大なチャクラの奔流では生身など一溜まりもない。雷遁を帯びた鋼鉄の矛で柔らかな粘土を刺し貫くようなもので、直撃すれば穴どころか跡形もなく消し飛ぶだろう。ごっこ遊び用の抑えがなければ人体など飴細工も同然。絶対防御とされる須佐能乎でも受け止められるかどうか。

 いかに強力な術を持とうと驕らず逸らず、常に警戒心と危機感をもって慎重に臨むのが忍。そんなオビトを眺めて上品に笑うレミリア。

 

「あなたが私を屈服させたのは事実。もっと誇らしげに振舞いなさい。別に怒らないから」

「何故お前に怒られなければならん」

「謙虚なのも美しいとは思うけど、それじゃこちらが矮小に見えてしまう。それなりの自覚と責任を持ってもらわないとねえ」

「……相変わらずな奴だ。やはりお前とは噛み合わんな」

 

 誰がレミリアを相手に謙虚になど振舞うものか。と、オビトは密かに否定する。過ぎたことを根に持つ輩ではない分マシなだけで、咲夜とはうって変わり話しにくい館主である。気を抜けば今度こそ会話の輪廻に囚われそうだ。それにあの戦いでレミリアは力の底など見せていない。

 里の和菓子屋で出遭った際の気取りようは多少緩和されているが、上から目線の物言いは相も変わらない。レミリア曰く霊夢に居場所を「吐かせて」、神社から山までの長距離を越えてきた様子。だからと言って労いの言葉をかける気はないが――館の一件はほんの少し前の、宵の出来事なのに懐かしさを覚えたのは確か。

 騒ぎが終息したところで目的を問うと、再び日傘を手にゆったりと歩き出したレミリア。

 

「お屋敷まで来なさい。私と一緒にね」

「今度は何を企んでいる?」

「さあ? あの小妖精も心配してたわよ、あなたがいきなり居なくなったものだから。どうかしら?」

「どうもこうも、元より選択肢を与える気などないのだろう」

「お馬鹿さん」レミリアは楽しげに振り返る。「遠出してまで遥々来たのに、断られでもしたら癪だもの。眩しい日輪の下を飛んできた意味がないじゃない」

 

 飄々と振る舞い真意が掴めない吸血鬼。アカデミーの頃はお人好しだの甘いだのと呼ばれていた身ながら、このような輩が同年代に居たら遠巻きにしたか、振り回されていたかもしれない。

 草葉の陰から渋い表情でやり取りを眺めていそうなマダラ。因縁の戦争を経て調子が狂いっぱなしのオビト。ため息が吐き出されるのも当然だった。

 

「断ったらどうする」

「聞いて楽しいの? それ」

「念を入れるだけだ」

「そう。ご自由に」レミリアは尖った牙を見せる。「屋上で倒れた誰かさんの介抱を命じて、館内で一番上等な客室を用意させた者に、恩を仇で返したいならねえ。誰だったかしら……ねえオビト、心当たりある?」

「…………」

 

 この状況でレミリアに止められると決まったわけではない。隙を作って右眼の瞳術を行使すれば切り抜けられるだろう。後々のやり取りを一切考慮しないのであれば。

 吸血鬼の勝ち誇った視線を浴びたまま動かないオビト。悉くがマダラだったのは今は昔の話、嫌悪感といった負の感情が存在しない事実も祟ったのか、目の前の生意気な淑女の世話になった身として、良くも悪くも丸みを帯びた者に選択肢などなかった。

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