THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
不老不死は人類が目指す夢。
人々は個々の想いから、永遠なる美しきを欲する。
その想いを胸に蓋を開けると、目に映る時間はとても醜い。
迷いの竹林。異常な成長速度を誇る竹の群、そればかりの単調な景色や立ち込める濃霧など、踏み入った者の方向感覚を狂わせる要因がふんだんに盛られた特殊な環境から、その名で呼ばれる。凶暴な妖怪も出没するため、一度入ると出られないと口々に噂される危険地帯の一つである。幻想郷は人間、とりわけ外来人にとっては多くの危険が蔓延る世界――危険と言っても種類はあるが、最も深刻なのは命にかかわるものだ。
危険な場所なら竹林以外にも掃いて捨てるほど存在する。森や山中、辺境など人里離れた全ての地域は安全とは遠く、霧雨魔法店や香霖堂など付近に人気や人工物がある区域でも、人を襲う妖怪と遭遇しないとは限らない。生物に有害な瘴気や樹木が群生する森など、妖怪とは無関係な危険も至る所に存在する。真の意味で安全と見なせるのは、妖怪賢者達の庇護下にある『人間の里』くらいのものだ。しかしその里でさえ、少しでも安全圏を外れると人食い妖怪が居たりする。人の往来が多く活気に溢れた地区のど真ん中ですら、人に擬態した妖怪が潜んでいて、あの手この手で里外へ誘い出してがぶり、などと企む輩も居ないわけではない。
妖怪に襲われる可能性が極めて高い外来人には尚更、どこを歩く場合でも油断一つで命取りになるため、常に細心の注意を払い行動する必要があるのだ。
「独りでは骨を折る破目になっていたかもしれんな……これじゃ。お前には礼を言う」
この竹林も危険な地域には変わりない。人間はもちろん妖怪、妖精ですら迷うために生き物が外から寄りつかず、自ら好んで入りたがる者は皆無に等しい。万一迷い込んだ場合は、現地で藤原妹紅や胡散臭い白兎を見つけて頼るか、潔く死を待つしか術はない。後者は肉体から魂が解放され脱出できるという意味である。冥界で成仏や転生を待つことを許されるかは不明だが。
オビトの場合は自ら踏み入ったが、周辺の地理に詳しい妹紅に竹林の道案内を事前に依頼した。影分身で草を掻き分けるより確実で無駄がないと結論づけたのだ。幸いにも彼女は快く引き受けてくれた。
「正直、何本骨があっても足りないな。理由は大体分かるだろう?」
「ここ周辺も過去に、妖怪の被害が出ていると聞く」
「ついこの間も何人か食われてたよ。割と話が通じる影狼みたいな奴もいるけど、本当の獣ってのは知性を欠いてて、人間を捕食対象としか見てないからタチが悪い。話ができなきゃどうにもならないからね」
「理不尽な死は存外、身近に溢れているものだ」
基本的に外から入り込む人間は無力であり、幻想郷に住む魑魅魍魎達に拮抗できる力など持ち合わせていない。力づくで妖怪の脅威を退けられない以上、それらに出くわして生き残るには言葉で交渉する他ない。
外来人は人間への手出しを禁ずる賢者達との約定の外。協力者でも持たない限りは誰からも身の安全を保証されない。このため人間を捕食したがる妖怪は知性を欠いた『獣妖』、知性を持った『人妖』さえ個々の事情こそあれ、外来人の命を狙う立場なのは同じと見なせる。人を襲う妖怪は時代の変遷と共に減少の傾向にあり、事を起こすのは圧倒的に獣妖の方が多いとはいえ、無力な外来人にとって危険性は変わらない。
「ま、あなたが人間だったらの話だけどね」
「妖怪に見えるか? オレが」
「少しね。その目とか」
人は人でも蓬莱人である妹紅は、永い人生の中で幾千幾万の人や妖怪達の血に染まり生きてきた。人生経験の浅い若輩者と年を重ねた者の言葉の重みに違いを感じるのと同じで、彼女のさばさばとした言葉に説得力があるのは、永い年月で培われた智慧や経験から来るものだろうか。
「言っちゃアレだけど、疑わない方が不自然だと思う。人に化けたり、妖気を隠せる奴なんて、探せばいくらでもいるわけだしね……この幻想郷には」
「悪いが人間だ。妖怪でも蓬莱人の前では霞むだろう」
「ごめんごめん」妹紅は明るい。「そういう奴を沢山見てきたから、ついね」
竹林の中を進む二人を青白い月明かりが照らしている。霧はそれなりに深く見通しが悪い。
不測の事態とはいかなる場合でも起こり得る。故に普通は竹林を熟知した者でも、先も見通せない濃霧の中では慎重を帰して進む。そんな中で妹紅が終始余裕綽々で進めているのは、彼女の持つ異能によるもので、掌に作り出した紅蓮の火が提灯の役割を果たしている。不老不死の蓬莱人という所にばかり目が行きがちだが、妹紅も他者の例に漏れない能力持ちの人間である。
妹紅はオビトの身の上を聞きたがる一方、自分の話はしたがらなかったが、異能に関しては生きるうちに自然に身に付いたものと語った。曰く「猫も長生きすると化ける」とのこと。オビトにはピンと来ない言葉で、『二尾』と呼ばれる化け猫の姿をした尾獣や忍猫しか思い浮かばなかった。
「永遠の時を生きる人間、蓬莱人。特異という域さえ外れた存在……何も思わんはずもない、か。ある意味、『短命』とも言える」
永久を生きる者は孤独である。友や家族、愛する者と永別し、自分独りで俗世を生きていく。彼らと同じ時の流れから切り離され、己以外は決して踏み入れられない道をただ独り、永遠に歩み続けることになる。
終わりなき輪廻。他者との間に築いたものが深ければ深いほど、失った時の悲しみは大きくなる。そういった感情が絶望や憎しみに変わろうものなら、受け入れがたい現実から逃げようと周りを、己を否定し続けるしか道はない。肉体は朽ちずとも心は腐り果てるだろう。生きながらの死だ。
蓬莱の薬を飲んで不老不死となった妹紅とは手段や経緯は異なるが、自身にも六道の力を得て不死の存在となった過去があるため、同じか似た境遇の者には常人より理解がある。
もしもあの時、差し伸べられた友の手を振り払っていたら――他には誰もいない空虚な紛い物の世界で、永遠の時を独りで生きていただろう。
「――やっぱりね」
然るにそれもこの世界では違うようだ。手元の灯りでオビトを照らす妹紅の表情は笑っていた。
人里で出会った阿求に続いて、永き時を過ごす妹紅もまた明るい。明るさしかないと言ってもいい。
「私も結構生きてる。あなたが何を考えてるかは解る……でもそいつはきっと大外れだ。今は十分楽しくやってるからね」
「強かな奴だ」オビトは初めて笑んだ。「ここを道なりに進めば、永遠亭との話だが――できる限り情報を把握しておきたい。迷いの竹林については不足していてな」
「うーん、有益なのは今話したので全部って感じ。ほかに役立つ物はないかな」
「そうか……」
「今後も行くつもりなら、その時はまた私の仮住まいに来なよ。ここだけはどうしても慣れないからさ。迷うくらいならその方がいい」
地理に不慣れな者、外来人では尚更に案内人が必須。過去の死亡例を考慮しても、知り合いか否かは関係なく、妹紅の発言は良識ある人間として当然のものだ。
「せっかくの提案だが、親切だけ受けておこう」
「ん、どうして?」
妹紅の疑問に対する答えはオビトが体現してみせた。右眼を中心に発生した渦巻状のひずみが、周辺を覆う白い霧と共に本人の姿を吸い込んで消した。
数秒後に再び渦を巻いて吐き出されたオビト。幻想郷に類を見ない異能だからか、妹紅は長い髪をなびかせ驚いた表情を見せる。
「へえ、初めて見たよそんなの。空間操作の類かな? 外には今でも高尚な力持ってる奴がいるのねえ」
「オレの居た世界では、時空間忍術と呼ばれている。一度足を運んだ場所ならこいつで自由に行き来できる」
「人や物の移動……スキマの奴と同じか似た理屈なら、案内頼む方が手間だね。便利じゃないか」
神威を用いた移動手段なら、凶暴な妖怪や厄介な濃霧など、障害となる物の有無は関係ない。竹林でも無縁塚でも地下の大迷宮でも、転移先が現実から完全に隔絶された空間でもなければ、術者の任意のタイミングかつノーリスクで移動できる。とりわけ頻繁な往復が困難な地点への行き来において、この上なく高い効力を発揮する術である。
転移先に存在するチャクラや自然物質を己が専有空間へ取り込み、印付け(マーキング)して作った鍵を用いる瞬間転移。忍界では最も多用した瞳術であり、息を吸うように飛行できる幻想郷の住民達がいる中、こと移動手段としては空を飛べないオビトにとって唯一優位性のある能力でもある。右も左も判らぬ異界を歩き回るには必需品である。
妹紅は口を『O』の形にしているが、別にオビトの能力自体に関心を向けたのではない。能力だけなら時間操作など驚くべき物は他にも腐るほどある。
理由としては長寿の妖怪と同じだろう。むしろ妹紅は不死の身として妖怪よりも永い時を生きている。
「ところでさ。あなたの力を見込んで、ひとつ頼みがあるんだけどいい?」
妹紅は暗い道の先を睨み真面目な顔を作る。あまりに真剣なのでオビトも注目せざるを得なかった。
「互いに条件を呑んで、さっきの交渉は成立した。だが重要ごとなら内容次第で手を貸してもいい」
「ありがとう」妹紅の咳払い。「えっと……木の実と魚とタケノコの保管庫と、掃除と、引越しの手伝いと、あとは小屋の裏にある――」
「余所を当たれ」
「わかった、保管だけで我慢し――」
「余所を当たれ」
「タケノコだけでも――」
「ここからは」オビトの眼が光る。「三度目だ」
脳裏に浮かぶ金髪の爆弾魔を振り払い、うな垂れた少女を余所に颯爽と歩き出す。
――◇◇◇
薄明るい竹林の獣道を進み続け、永遠亭らしき敷地の影が霧の奥に見え隠れし始めた時だった。隣を歩いていた妹紅が立ち止まり、紅蓮の灯火を強めて臨戦態勢に入ったのだ。
周辺は霧に包まれ視界が不明瞭だが、遠方より高速で接近するチャクラ体を感知する際の妨げにはならなかった。
――頭上が不自然に明るくなり、降り注いだ色とりどりの弾幕の雨。尋常ではない量が地上を叩き、オビトと妹紅は同時に足裏を蹴り距離をとる。妹紅の掌から射出された、揺らめく炎の矢が襲撃者の攻撃を打ち消し、密集する竹を燃やし尽くしながら頭上へ消える。
炎の隙間を猛スピードで掻い潜り、二人の前に降り立ったのは一人の少女。腰まで伸びた薄紫色の長い髪、頭部から生えた兎の白い耳。不思議な輝きを帯びる赤い瞳で睨みつけている。
「お前に恨まれた覚えはないんだけどなあ。お姫様の差し金かな?」
突然の襲撃者を前にオビトが口を開く前に、妹紅は挑戦的な声を出した。気だるそうな口調と言葉からして顔見知りのようだ。
「あなたは退いて」少女の声は冷たい。「私はそこの外来人に用があるの。怪我したくなかったら、その人間から離れなさい」
「言うねえ。いつになく強気だ。けどお前の指図を受ける理由が見つからないな。もう一回訊くけど、あいつの差し金で来たのかい?」
「何の話だ?」
事情を呑み込めないオビトが尋ねると、妹紅は少女を睨み返しながらふんと鼻を鳴らす。
「なあに、あいつは私が嫌いなんだ。自分で言うのも変だけど……永遠亭の箱入り娘と私は『大層』仲が悪くてね、昔から暇を見つけてはじゃれ合ってた。潰し合い殺し合い的な意味だけど」
「永遠亭の姫」オビトも少女に注目する。「そいつは『蓬莱山輝夜』、か?」
「よく知ってるね。そうさ。で、そいつと薬師の下で働いてるのが、あの鈴仙・優曇華院・イナバ。あなたがもっと後に会うはずだった奴」
「レイセン……奴が『月人』の一人。本人が出向くとは手間が省けたな。訳ありのようだが」
輝夜と鈴仙なる人物の名を初めて耳にしたのは咲夜との会話。詳細の方は阿求の幻想郷縁起に目を通して知った。永遠亭の薬師カブト――ではなく薬師の八意永琳と同じで、月に存在する大都市――『月の都』から地上へ逃げてきた元月の民であると。幻想郷と忍界が別空間同士を通り越して、次元を違えているのか否かを解明するために、今は最優先で接触すべき重要人物の一人だ。
その鈴仙の様子が先ほどからおかしい。初対面であるはずのオビトを、憤りに満ちた表情で真っ直ぐに睨んでいる。
「殺すと言うなら最悪、今回はそっちの人間になるかもね。なにせその男は……」鈴仙は言葉を紡ぐと共に、三本指で『銃』を形作る。「――…私の師匠を襲った、愚かしい人間なのだから」
「シショー? あの薬師を? おいおい、状況が呑み込めないぞ――」
無関心な妹紅がゆったりと言い終える前に、指先から銃弾のごとく飛び出した赤い光弾が空を切り、静かに佇むオビトの腹部を一直線に貫いた。
弾が貫通した瞬間に頭を垂れたオビトが、すぐにまた鈴仙を赤い瞳に映す。開くはずだった孔はない。
「すり抜ける、なんてね」
標的を失った弾幕が後方の竹林を吹き飛ばした。構えたままの鈴仙の額を、すうっと一筋の汗が伝う。
「この程度じゃ生け捕りは無理……殺すつもりでかからなきゃ駄目か。師匠を狙うだけの力はありそうね」
「下っ端兎さん。急に噛みついてきて薬師がどうだの、こっちとしちゃワケが分からないね。ちゃんと分かるよう口で話してくれよ?」
呆れた妹紅の言葉が飛んだ。鈴仙が口を開く前に進み出るオビト。
「オレとしても同じだ。顔も知らん者の恨みを買った覚えはない」
この場を切り抜けて逃げるための算段ではない。どのような相手であれ、無実の罪で延々と命を狙われては堪らない。思い違いに惑う者を傷つけるのも間違いだ。
竹林に満ちる濃霧に紛れ不意を突いてまで、初対面と言える外来人を急襲したのだ。鈴仙の憤りは尋常ではない。ましてや相手が元月人ともなれば、今後を考えて身の潔白を証明する必要は尚更に出てくる。感情の高ぶりを御して動きを止めて、様子見に転じた辺り、幸いにも話の通じる相手ではありそうだが、膨張した怒りが収まったわけではない。
それでもオビトからは、この期に及んで敵対の意が微塵も感じられず、取り乱したりする様子も見られないからか、いったん深呼吸して僅かに指先を下ろした。
「白を切るなら言ってあげるわ。昨夜の話よ」
鋭い視線だけは外さず、鈴仙は憤りを抑え語り始めた。
――永遠亭は里医者の手に負えない患者を診る『医院』であり、新薬の開発を行う研究機関としても機能している。風邪など身近な病を始めとして、難病や不治の病にも効果のある様々な薬を作り、時折人里へ出向いては売り歩き、生計を立てている。鈴仙は薬師・八意永琳の助手として、日々薬の開発や販売を手伝いすごしている。
その日も里での薬売りを終えた後、いつものように永遠亭の自室で、新しい薬の材料となる野草のリストを一人チェックしていた。二つ隣に位置する永琳の研究室から、不自然に大きな音が響いてきたのはその時だった。
鈴仙は慌ててリストを放り出し、彼女の部屋へ急行した。
(そこには、師匠が居たわ)
扉を叩いて入室すると、八意永琳が事務机の傍に佇んでいた。机の横にあった小さなガラス棚が床に倒れ、薬瓶や器具がいくつも散乱していた。先の物音は薬棚が倒れた音だったのか。本人に怪我はない様子で、鈴仙を見るなり申し訳なさそうな顔で「大丈夫よ」と微笑んだ。
鈴仙は詳しい事情を聞いた。机に向かって作業していた時、見知らぬ二人組が突然に現れたようだ。一人は姿がぼやけて何者か確認できず、もう一人も黒いフードを深々と被り顔を隠していた。奇妙なことに一人が薬棚を破壊するなり、両者共に姿を消してしまったという。
不意を突かれたこともあり、永琳は侵入者を逃がしてしまった。しかし、消える直前に一人が黒いフードを外して、自らの顔を見せてきたのだ。不敵な笑みを浮かべた背の高い男が――。
「すぐに判った」鈴仙はオビトを睨む。「私も師匠も、天狗の号外には目を通していた。師匠も同意見だった――その白い短髪、顔の右半分に刻まれた皺、赤い目、勾玉模様の黒い瞳。うちはオビト――あなただって」
「待ってよ」驚愕する妹紅。「だけど、なんで分かった? 私らが今日ここに踏み入ったって。手下の兎をばら撒いたの?」
「ご名答。その人間を探すのに、昨夜から竹林中を皆に見張ってもらっていた。そして今日になって、のこのこと戻ってきた……こんなに早く見つかるなんてね」
「本当なの? こいつのとこの薬師を襲ったってのは」
鈴仙が挙げた特徴は総じて具体的かつ的のど真ん中を射ている。証言自体は筋が通っているからだろう、先ほどとは違いどちらを信じるべきか判断がつかず、妹紅は困惑した表情を浮かべている。彼女としても昨日今日あったばかりで、オビトのことはよく知らない。
月明かりに照らされた竹林を、冷たい風が吹き抜けていった。
「確かに……不自然ではない。お前の言い分は」
開口一番の主張は弁解か、襲撃の事実を認めるかの二択しかない。しかしオビトはいずれでもなかった。
「そいつを慕うお前が、くだらん嘘を吐くはずもない。その通りなのかもしれん」
「急に態度を変えて――心境の変化でも? こうもあっさり認めるなんて」
「認めたわけではない」オビトは落ち着いている。「提示できる証拠がない以上、謀った者が他にいるとは断言できん」
この場に居るオビト以外の二人。鈴仙は今初めて顔を合わせたばかりな上、期せずして非友好的な関係に置かれている。反対に友好的である妹紅でさえ、出会ってから時間は経っていない。いずれも信頼関係と見なせる繋がりなど当然ながらない。それでも二人は、少なくとも妹紅は話の通ずる者に変わりはない。論を捨てて感情的に訴えれば信じてくれる可能性はある。鈴仙の敵意も少しは収まるかもしれない。だがオビトは性格的にも、反証に必要な証拠が皆無である状況的にも、情より論を選んで無意識に言葉を紡いだ。
情を手に取ったとしても、それが向けられるのは他の誰でもない、己自身に対してのみ。
「だが、そうだな……オレには当て嵌まらないだろう。さっきお前が口にした『眼』は特に」
「ふざけないで! あなたのその特異な瞳が、何よりの証拠でしょうッ!」
私怨は毛ほども感じられない。永琳という人物をよほど慕っているのだろう。オビトには鈴仙の怒りが理解できた。
「この眼は」僅かに視線が落とされる。「オレにとって、かけがえのないものだ。何よりあいつなら……そんなことは許さない。絶対に」
鈴仙を映すこの瞳はかつて、深淵に堕ちた迷い人を信じて導いてくれた者、最期に信じることのできた者を映していた。
無限月読という偽りの夢を見抜いた眼は、トビやマダラという名の血塗られた仮面、それらを通して世界を見ることは二度とない。
(…………)
先の鈴仙の話が真実だとして、この時点でも言えることはいくつかある。
第一に、永琳を襲った者は別にいる。他ならぬ己自身が『違う』と判っている。成り済ました相手が忍界の者であること、襲った相手が月人であることを考えれば、黒ゼツが絡んでいる可能性は高い。ただし、影分身や妖怪変化の術が存在する以上、紅魔館の者を証人にしても根拠としては不十分。
第二に、襲撃者は黒ゼツ本人ではない。幼少期からの知り合いであり、暁を結成する以前からの相棒であり、後の戦争で決別するまで、人生の半分以上を一緒に居た者として、あの者の性格は熟知している。神出鬼没なのは染みついた性分だが、自ら出張って派手に騒ぎを起こしたり、本格的な行動を起こすタイミングとしては不自然に思える。静かな場所で駒を動かしつつ、虎視眈々と好機を狙い、そして全てを奪い取るのが黒ゼツのやり方だ。
第三に、未知の協力者の存在。話に出てきたフードの方ではない、もう一人の人物である。魔法の森のアリス、迷いの竹林の鈴仙、いずれも異界の住人たる者が騒ぎに巻き込まれている。偶然と見なすには展開が上手くできすぎている。
八雲紫を始めとする賢者達が目を光らせる世界で騒ぎを起こすのに、無知な忍界の者だけでは手など回り切らない。監視の目を持つ者、幻想郷を知り尽くした者――住民の誰かが黒ゼツと組んで暗躍している可能性は高い。
黒ゼツと手を結ぶほどの輩なら侮れない。此方の情報が敵の手に渡っていると考えて行動した方がいいだろう。
先ほどの急襲にも動じず、喜怒哀楽さえ露にせず、黙って鈴仙と向かい合うオビト。
周辺の霧が薄れゆくと共に、鈴仙の呼吸が段々と落ち着きを取り戻していった。
「いいわ――」鈴仙は手を下ろしていた。「あなたを信じるわけじゃない。けれど、確証がないのはこちらも同じ……決めつけるには早い。先の件については謝るわ」
憤りと警戒心を捨て去ったわけではない様子だが、鋭かった赤眼に正常な光が戻っている。オビトは何故か鈴仙の視線に既視感を覚えた。
「ただ、今後のためにも教えてちょうだい。あなたのことを」
「あーそれ、私も気になってたんだ。あらためてだけど……さっきのあの力といい、あなた何者なの?」
場の空気が元に戻るのを待っていたかのように、妹紅はポケットに手を突っ込みオビトに笑いかけた。鈴仙は前髪をかき上げて妹紅に視線を移す。
「自分の身の上を話すのには消極的なのに、他人のことには人一倍興味を抱く。相変わらず勝手ね……今は人のこと言えないけど。私も」
「うっさいな、勝手でいいだろ別に。ごちゃごちゃ言うと兎鍋にするよ」
「……でもまあ、私も同意見。あの波長返しにしたって、外来人にしては異質だわ。弾幕まですり抜ける始末だし……」
「波長?」
「私の能力よ。周りの光や音の波長を操作して、幻覚や幻聴を引き起こす。相手の脳波を制御して、ないモノを見せたり、動きを止めるのも自由自在」
「要は『幻術』か」
「ええ」指で瞼に触れる鈴仙。「けれど何故か……あなたには、私の波長操作が届かなかった――いいえ、届いてはいたけど、及んではいなかった。視覚を持つはずの生き物に」
鈴仙が怪訝な表情で近づいていく。赤い瞳でオビトの視線を捕捉しながら。
ぽかんとする妹紅を余所に、写輪眼で鈴仙を観察して「なるほど」と一人納得するオビト。
「視覚に訴える類。なら疑問は消える」
「やっぱりその目に秘密があったのね。私と同じ赤い瞳……どんな力を秘めるのかしら?」
これまでの経験から幻想郷の住民、とりわけ人妖達が何かしらの能力を持つことは分かっていた。
――鈴仙の場合は波長操作。対象の神経を侵して脳内を乗っ取り、ありもしない幻を体感させる。忍界で言う『幻術』の類である。先ほど幻術に嵌まらなかった理由は、彼女の力が視覚を通す形で干渉したためだ。互いのチャクラや術の精度にも左右されるが、写輪眼を十二分に使いこなす者に、視覚に訴える幻術は基本的に通用しない。通っても瞳力による障壁や幻術返しにより防御・解術ができる。
ちなみに眼を用いた幻術だからといって、視覚に対応した返しでしか術が解けないわけではない。乱れたり停滞した体内のチャクラの流れを正常な状態に戻す手段は数多くある。
「鈴仙と言ったな。その波長操作とやらを使って、もう一度オレをはめてみろ。幻術使いなら口で説明するより見せた方が早い」
「さっきと同じのを?」鈴仙は目を瞬いた。「……分かったわ。それじゃ遠慮なくぶつけてあげる」
オビトの視線を捕捉した瞳が真っ赤に輝き、溢れ出る光が炎のように揺らめいた。それに伴いオビトの視界がぼやけ始めると、目の前に立つ鈴仙が妹紅の姿に変わる。本物の妹紅は隣に居る。
「魔幻『鏡天地転』」
偽妹紅が鈴仙の姿に戻り、オビトを捉えていた赤い目は驚きに開かれる。視界に映らないほどの極小の針として射出され、視神経に侵入せんとした鈴仙のチャクラが写輪眼の瞳力により跳ね返され逆襲し、今度は彼女自身が幻覚を見る破目になったのだ。今の鈴仙にはオビトの姿が偽装され妹紅として映っているため、彼女の視界には二人の妹紅が存在することになる。本物の妹紅には二人の姿が正常に映っている。
「目にクるわね。でもおかげで理解できた……正直、嬉しい気もするかも」
「嬉しい?」
「同系統の能力の使い手、それも外来人となんて、まず会えるものじゃないわ。他の人にはなんてことのないやり取りでも、私には刺激的でいい経験になるから」
この世に存在するあらゆる波長を操るため、五感のいずれにも訴えることはできるが、視覚を用いる方法に最も慣れがあり、能力をいかんなく発揮できるという本人の談。直に目で見て肌で感じる限り、彼女は幻術に絞っても相当の使い手と見なせる。指一本で相手を幻の中に落とし、月読という高度な幻術をも使えるイタチとではどちらが上なのか。
個々の戦いにおいては力の強弱以前に、得意不得意が重要なのは本来言うまでもない。いくら強力でも不慣れな術に振り回されるより、多少力が劣っても手足のごとく制御できる、慣れのある術の方が優位に立ち回れる上、使い方次第では強くもなる。写輪眼を持つうちは一族に同じ『瞳力』で立ち向かえる、数少ない幻術使いと言えるだろう。
「なんてことはない、か……やはり妖怪の世界は理解が届かん」
「それが普通だよ」妹紅が鈴仙を映す。「私らの物差しじゃ測れない。妖怪とか長く生きる奴らが欲しがる刺激って、単なる大小だけじゃ形を成さないからね。人間ならつまらんくだらんって思う物事にも熱中したり、個々の好みが強かに、時には歪曲して表れる傾向にある。こいつは若い方だけどね、これでも」
「……説得力があるな」
空を仰いでじっと静寂に身を任せていた鈴仙。暫し瞼を瞑った後、納得した表情でオビトに向き直る。返された幻術は乱れた波長を自ら元に戻して解除できた様子。外部からの干渉は必要としないようだ。
理屈としてはチャクラの化け物、尾獣を体に宿す人柱力と同じとも言える。己のものとは異なる意思や人格が体の中に独立して存在する場合、宿主が幻術に落ちてもそれらが解術する役目を代行し、チャクラの流れを体内から爆発的に乱したり、脳に流し込むことで正常な状態に戻せる。人柱力に幻術が有効打にならない理由である。波長操作が自他共に作用する力なら、鈴仙はその役目を一人でこなせるのだろう。
ちなみにその独立した存在――最もな例として挙がる『尾獣』は、チャクラの練り上げすら肩代わりできるため、仙術チャクラを練る際の「身動きしてはならない」という制約を無視して動き回りながら強力な仙術を連発可能、という凄まじい戦い方もできる。独立したチャクラの練成手段を写輪眼使いに当てはめるなら――幻術に落ちて意識が完全に途絶え、幻術返しが不可能な状態でも問答無用で解術できる上、解くと同時に敵を同じ目に遭わせて形勢逆転、などというぶっ飛んだ真似もできるだろう。波長操作なる強力な異能を振るう彼女も同じことができるかまでは視通せない。
「視覚に訴える波長操作。それがあなたの能力なわけね。あなたには同じ使い手として興味が持てたかも……師匠を襲った愚か者じゃなかったら」
「疑うのは自由だ。信用しろとは言うまい」
「色々持ってるんだな」妹紅は楽しげである。「この兎にも通る精度の幻術、んでさっきの空間操作。同時に複数なんてズルいぞこのこの」
「火遁使いで不老不死のお前も大概だ」
「でもあなただって使えるじゃない。火遁」
「お前、何故ソレを知っている?」
「あ、使えるんだ」
「…………」
外部に漏れても困らない情報だと油断していたかどうか、その辺の真実はいったん置くとして、いくつもの術を扱えるのは忍界でも珍しいことではない。妹紅のように完全なる不老不死という、六道仙人並の生命力を持つ方が遥かに恐ろしいだろう。邪な神への変わらぬ信仰心を条件とする不死、他者の心臓を得て寿命を延ばす不死、他者の体を乗っ取り生き続ける不死――いずれも生命の理には反しているが、この妹紅には及ばない。
薬を飲用するだけで不老不死の体を手に入れるなど、忍界の常識から言えばにわかには信じがたい話である。偽マダラやオビトとしてのこれまでの常識を悉く破り捨てさせた幻想郷でなければ。
「ムジナってやつだな」妹紅はウインクした後、あらためてオビトを映した。「……さてと。ここまでにしようかね、私は」
「行くのか?」
「目的地は目と鼻の先だし、兎が来たわけだしね。あとはそいつに付いていけば大丈夫だよ」
時間も時間だからか、妹紅は欠伸して眠そうに目を擦っている。不滅の蓬莱人といえど体の機能は人並である。右半身を特異な細胞が蝕むせいで睡眠を必要としないオビトや、妖怪である鈴仙とは体も生活リズムも異なる。
「ああ、言っとくけど兎。そのお客さん、永遠亭に行くの初めてだから。たぶんお前や薬師に会うのもだ」
「そうなの――?」鈴仙はオビトを見つめる。
「お前の師を脅かしたオレが、ここに居る輩と同一でなければ……そうなるかもしれんな」
「……なによそれ。本当はどっちなのよ、もう」
不明瞭な物言いをするオビトに呆れる鈴仙。妹紅は「タケノコ堀り忘れるなよ!」と元気に言い残すと、手を振って霧の向こうに消えていった。