THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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二十六話 逆向き

 道案内を頼んだ妹紅と別れた後、竹林で遭遇した鈴仙・優曇華院・イナバに案内され、永遠亭に辿り着いていたオビト。目に見える建物の外観や内装だけなら、忍界の大名やら裕福な者が住む屋敷と大差ないが、縦も横も広い廊下が至る所へ伸びており、無数の襖を挟む部屋の数は底知れない。単独で探索するには影分身を使わざるを得ないほどだ。

 内装や構造のあらゆる部分に館主の好みが表れた紅魔館には及ばないが、空間の広さが弄られているのは同じようで、此方も外観と敷地面積に比べて内部が不自然に広い。壁はなく部屋との仕切りが廊下の先の先まで一直線に並び、天井は高すぎて頭上が見通せない。

 

 鈴仙曰く特殊な隠蔽術が幾重にも施され、建物内を自由に歩き回れるのは永遠亭の住人の他、急患やお客様など、屋敷をとり仕切る八意永琳が許可した者のみ。そのため、門や屋敷の出入り口、裏口などは普段から施錠されておらず、泥棒などそれ以外の者が無断で屋敷に侵入した場合、どこかの部屋に辿り着く前に不思議な力で外へ逆戻りさせられたり、悪戯好きの兎に追い返されたりする。

 紅魔館とは違い大怪我を負わせたり、命を奪うような危険な罠などは、竹林はともかく屋敷内には一切ないようだ。

 

「――疑う方が自然ね。外来人なら」

 

 屋敷の管理者にあたる永琳の元へ向かう道中、元月の兎である鈴仙から月の都について尋ねていたオビト。鈴仙が何十年も昔に月から地上に下りてきた月の民、『玉兎』の一人であることは咲夜から聞いている。

 

「都や月の民の存在を知る人なんて、外界には居ないでしょうから。この幻想郷じゃ当たり前の物事すら『非常識』扱いして、知ろうともしない人たちではね。だから色々なものがこっちに流れて来る」

 

 人は誰しも己が当たり前と見なす『常識』を持って生きている。それらを丸ごと否定したり符合しないようなものを、常識として受け入れろと言われても無理な話だろう。実在するかどうかも判らない、確かめようのない事象など、自分達の常識を否定するものに他ならない。これらは総じて『非常識』な物事として拒まれ、常識の世界から放り出される。

 自分達の日常には影響を及ぼさないような、小さな非常識すら寄せつけないのに、地上の軍事力を遥かに超える月の大国だの何だの、手に負えない大きさの非常識など殊更に受け入れないだろう。

 

「認めようとも思わない、か」

 

 忍界が幻想郷や外界とは異なる次元になど存在せず、この世界に隣接して存在していたのなら。幻想郷の住民達にも広く知られていたのなら。忍界で否定された非常識な物事、人々に忘れ去られた様々な物事は、幻想郷に一つの『非常識』として流れ着き、『常識』として受け入れられ根づいていたかもしれない。

 うちはオビトという名と存在を『否定』して捨て去り、忘れ去った十数年前の赤い夜を境に、地獄に生まれ落ちた仮面の男。影のマダラ。当時のオビトを知る者達はカカシを含め、その存在にかつてのオビトを重ねて見る者など、誰一人として居なかった。その姿を目の当たりにした者は皆が『否定』した。自分達の知るオビトであるはずがないと。受け入れようともしなかった。

 否定され忘れ去られたうちはオビトを、非常識な世界が受け入れたなら住民達は――今ここに居る己自身は何を思っただろうか?

 

「夜を数える度に見慣れていく……夜になると身近な物として映る月に、自分たちの軍事力や科学技術を遥かに超えた大都市がある。誰が信じると思う? 知ったら欲しくなって、奪いたくなる……そんな高度な文明があるなんて」

「話を聞く限りでは」オビトは目を開いた。「……興味の対象にはなり得るな。豊かさを欲する者なら特に。月の民はどうやって自分らの世界を永く守ってきた? 月の繁栄は古の時代から続いてきたのだろう」

 

 先の見えない長い廊下を歩きながら、オビトは鈴仙に問いかける。

 月の都は存在した――それを元月人である者より直に聞かされても衝撃は小さかった。別の次元を通じて異界から迷い込んだ現実を、今や当たり前のように受け入れ、常識として考えているせいかもしれない。

 良くも悪くも現実を見て分別に慣れ、非常識な世界にどっぷりと浸かりつつある。幻想郷と忍界、文明を築いた月と外道魔像の封印石たる月。それらを完全に別々の存在として認めざるを得ないと。明確に引かれて分けられた境界線の存在を。

 

「私たちの月は――」鈴仙の目は、星空のように輝く天井に向いた。「――そちらの世界の月とは違うけど、全てが外と同じとまでは言えない。月の裏側が自転、公転周期の関係で地球からは観測できない――という感じに語りたいけど、都を覆うように施された太古の結界がその答え」

「博麗大結界のような物か?」

「似てはいるけど、月の賢者たちに管理されていて、あれよりもずっと大規模で強力な物よ」

 

 八雲紫の管理下にある博麗大結界は、結界内の空間を外部から完全に隔絶させて認識や干渉を断ったりできる超越的な代物。比肩する結界術など効力で言えば忍界には存在しない。それすら超えるなど、幻想郷の常識破りっぷりに慣れていても想像しがたい。

 鈴仙に続いてオビトも天井を仰いだ。永遠亭の廊下を見下ろす高い天井には、本物の星空と遜色ない神秘的な景色が散りばめられ溢れていて、外で夜空を見上げているかのように錯覚する。

 大小さまざまな非常識は今や、常識以外の何物でもなくなっていた。

 

「そのおかげで、都は外部の目に映らないし、その存在を知ることさえできないの。外の世界の技術が高度に発達する遥か昔から守られてきたから、人類の歴史で都を観測できた地上人なんて誰もいない。月人の存在を知った人なら居たけどね」

「……何者だ?」

「さあ……私も詳しくは聞かされていないから。ただ、今回の騒ぎには無関係。それだけは断言できる。その人は普通の人間だし、何百年も前に亡くなっているらしいから」

「そうか」廊下の奥に視線を戻すオビト。「しかし……オレの方から訊いたとはいえ、何故そんな機密を簡単に漏らす? それも見知らぬ外来人に。都の存在が明るみに出るかもしれんぞ。情報とは知る者が多いほど、漏洩しやすいものだ」

 

 情報は相当厳重に扱わない限りは、案外知らないうちに漏れているものだ。自分から言いふらさないからといって、外部の者には絶対に漏れないなどと誰に断言できようか。

 理屈としては噂話や伝承の広まり方にも似ている。自然に人から人へ伝播し、時に後づけされ誇張され、人々の関心を惹くような話題に形を変えたりして語り継がれる。誰が広めたのかは不明瞭。今日の幻想郷では常識として存在が認められる月の都にしても、初めは些細な形から広がったのかもしれない。

 

「…………」

 

 先ほどから鈴仙は疑いの眼こそ向けても、此方の問いには滞りなく答えているが、国の存亡にかかわる機密情報など口が裂けても言えないはずだ。忍界では国や里の内政や防衛に関連する重要機密など、極秘に類する情報は徹底して慎重に扱われ守られる。隠蔽された国の存在が明るみに出かねない情報なら機密性は跳ね上がる。漏洩者は国家転覆を謀った重罪人として地の果てまで追われ、捕まれば投獄されて死罪を言い渡される場合も少なくない。

 月の都を裏切り地上へ亡命した元月人らしい鈴仙だが、自らの故郷である都を快く思っていないのか。共通の敵を持つ意味での利害の一致か、先の軽率な行動について詫びの意味を込めたのか。あるいは機密といえる情報とは見なされないのか――。

 

「隠す必要がないから」鈴仙は赤い瞳をオビトに向けた。「あそこは幻想郷どころか、地上全てが一瞬で焦土と化すほどの戦力を保有している。情報が漏れても、何が起こっても全て、想定の範囲内に収めてしまう。まあ、漏れても問題ない情報というのが、理由としては一番分かりやすいんだけどね」

 

 漠然とした言葉には揺るぎなき自信が塗りたくられている。仮に黒ゼツが力を得て幻想郷を掌握しようと、月の都との間の天地の戦力差は覆らず開き続ける。地上を監視する立場でもある者として、黒ゼツを月の脅威と見なせば、幻想郷という牢獄を奪還するために、月の都による軍事力の介入もあり得る――という意味も含まれているのか。三つ巴でも月の勢力に八雲紫が加わる場合、確かに黒ゼツだけでは勝ちの目など出ない。

 幻想郷に身を置く鈴仙としても、月の都の存在とはそれほどまでに強かで大きいのだろう。

 

「元月の民として提供できる情報なんて、地上に降りた今では知れていてね。役には立てなかったかしら?」

「イヤ、十分だ……知りたかったことは聞けた。礼を言う」

「それはよかった」

 

 兎にも角にも見えてきた。月の都は存在すると。

 この世界には外道魔像を閉じ込めていた封印石も、カグヤが封印されている別空間も存在しないと。

 然るに忘れるなかれ、黒ゼツが『通常』なら不可能な別次元からの干渉を行ったのは紛れもない事実。それは念頭に入れておかねばならない。八意永琳の元に現れたという二人組、黒ゼツの未知の協力者であろう勢力も含めて。

 空から煌々と見下ろす月の表面に幻視した『輪廻写輪眼』を思い出すオビト。あの忌々しい光景と都が無関係であるかは言い切れない以上、時が来れば然るべき選択が迫られるだろうが、元月人である鈴仙本人にそれを尋ねるのは好ましくないだろう。

 

 少し前を歩いていた鈴仙が、数あるうちの一つの部屋の前で立ち止まる。扉を叩いてから数秒で開き、研究室の中から銀髪の女性が顔を出した。穏やかな雰囲気で初めに鈴仙を、次にオビトの顔を確認して微笑を見せた。

 鈴仙は「いらっしゃったんですね」と驚いた様子で喋り、女性は「驚きすぎよ」と柔らかな表情でくすりと笑う。状況から察するにこの人物が八意永琳だろう。

 

「よく来たわね。さあ、中へどうぞ」

 

 永琳は扉の横に移動すると、オビトに入室するよう促した。

 

 

――◇◇◇

 

 

 研究室の中は綺麗に片付いていた。部屋の隅には小さな事務机が置かれ、障子が収まった円形の窓がある。壁際には分厚い本が敷き詰められた棚、謎の浮遊物が漂う薬棚が確認できる。大蛇丸の研究室ほど物は多くなく不気味な空気もないが、研究者がこもっていそうな異色の内装で、和風の屋敷には不釣合いである。

 

 永琳は続いて部屋に入ると、椅子に腰かけてオビトに向かい合う。

 どこかへ消えていた鈴仙が人数分の茶を手にして入室すると、盆を机の上に置いた。

 

「ところで。お客さんに無礼を働いたのは本当なの?」

 

 壁際で控える鈴仙に視線を向けると、永琳は少し困惑した表情で口を開いた。呼びかけにビクッと震え、おそるおそる見返した鈴仙。その顔には汗が滲んでいる。

 

「あの……はい、本当です」

「そう」永琳の口調は優しい。「あのねウドンゲ。たしかに私、犯人の顔がこの方に酷似している、とは言ったわ」

「……はい」

「でもね。他者に成り済ませる妖怪なんて、幻想郷には山ほどいるのよ。確証もないのにそれだけの理由で判断して、脱兎のごとく飛び出して、あろうことか危害を加えるなんて――早計とは思わないかしら?」

 

 鈴仙は一言も言い返せない様子で視線を落としているが、永琳の表情に憤りや失望の色はなく、軽率な行動を指摘するだけで安易に怒鳴ったりもしない。申し訳なさそうに向かい合う鈴仙に優しく諭すように話している。このやり取りだけでも、何故に鈴仙が永琳をそこまで慕うのか、オビトには分かった気がした。

 

「すみませんでした……この人が竹林に入ったと兎たちから報告があって、冷静さを欠いてしまって。どうしても許せなくて、それで……」

「私を想ってくれるのは嬉しいけれど、次からはもう少し落ち着いて行動できるようにね。今回の騒ぎで負傷者が一人も出ずに済んで、本当に良かったわ」

 

 鈴仙に微笑みかけた後、申し訳なさそうにオビトに向き直る永琳。どこか底知れぬ力を感じさせられるようだ。

 

「弟子の責任は、師である私の責任。この子も反省しているようだし、どうか許してあげてね、オビトさん」

「気にしていない」オビトの視線が鈴仙を捉える。「早計とは言っても、その行動はアンタを慕うがゆえのもの……感情を持つ生き物としては当然だ」

 

 誰かを心から慕う者は、時として己の感情をコントロールできなくなる。想いが強かで深ければ深いほど、慕う人物が傷ついた時に形作られる悲しみは大きい。それが憎しみに変わろうものなら心に闇が生まれ、どのような恐ろしいことでも為そうとするようになる。襲撃により永琳が殺されていたら、鈴仙は憎しみに取り憑かれ、手がつけられなくなっていたかもしれない。

 

「気になるのは、お前を襲ったという二人組だが……」

 

 鈴仙の話によれば、永琳はこの研究室で襲撃を受けた。変化の術などで他人を模した者が己の顔を相手に見せつけ、あたかも本物の仕業であると思わせる――仲間内に亀裂を入れるための常套手段だが、黒ゼツの仕業にしては判りやすい上、顔も知らぬ者に仕掛けても効果は薄いと思われる。魔法の森の奥地でアリス達を巻き込んだキノコ騒動と同じように、重要度の低い事件であることも否定はできないが、巻き込まれた永琳が襲撃者の姿を目撃したという明確な違いがある。

 暫し思案した後、永琳は湯のみを置いた。

 

「奇妙だったのは、その二人から何も感じなかったこと」

「感じなかった――妖気や魔力の類をか?」

「ええ。あれは人でも妖怪でもない。霊体かどうかすら否定的に思ったわ。無機物でも見ているようで、動作にも声にも、生き物らしい色は混じっていなかった」

「はっきりとは言えんが……傀儡の可能性も考えられる。チャクラ糸を介さずに遠隔操作できる、『生きているかのような』傀儡の話を書物で読んだことがある」

 

 死人を生きたチャクラで操る穢土転生ならチャクラの有無で判断がつく。操り手の姿や気配が付近になければ単なる傀儡でもない。

 糸を使わない自律行動型の特殊な傀儡――文章がほとんど消えかけた出典不明の古書の中で見た物を思い返した。似たような話をかつてマダラからも聞いた記憶はあるが、元より『月の眼計画』における傀儡の必要性や、傀儡に対する個人的な興味関心も皆無だったため、真相は明るみに出ず闇に葬られている。

 もっともその手の話に登場する、六道仙人という神話上の人物が実在していて、直にその力に触れた身としては、おとぎ話という理由だけで簡単に切り捨てる気にはならない。

 この場で鈴仙だけが緊張に口をつぐむ中、永琳は「それはないわね」と首を横に振った。

 

「生々しい肌、獲物を狙う眼光、細やかな目の動き。間違いなく生き物のそれでしょう。ただ、私が知る生物や霊的存在とは明らかに違っていた。それが何なのか判らないのが、歯がゆいのだけどね」

「正体は判らず……早々に管理者と接触する必要があるか」

 

 幻想郷の管理者である八雲紫なら、各地の動きを十分に把握できているはずだ。現状で黒ゼツへの手がかりを掴むにはしらみ潰しに探す他なさそうだ。不慣れな異界、神出鬼没で隠れるのが巧いゼツと、悪条件が重なるのは致命的である。

 忍界で長門を通じて暁の構成員を動かしていた頃でさえ、人柱力という探し物を見つけ出して捕獲するまでに長い年月を費やした。それもある程度の目星がついていたにもかかわらず。五大国の動向を気にしながら動く必要がない点は楽だが、不利な立場であることは実感せざるを得ない。

 

「ごめんなさい。お役に立てなくて……」

「アンタの責任じゃない。オレになど頭を下げるな。奴らに動きがあったと分かっただけ、大きな進展と見ていい。問題は奴らの存在だ」

 

 永琳の話では、何の前触れも予感させない襲撃だったという。それさえ判れば十分だろう。アリスの件にしても同じことが言えるが、正体や目的の見通せない襲撃を未然に防ぐことなど土台無理な話だろう。状況がどうあれ感情任せに責めたところで何も変わらない。理不尽に責任を問う暇があれば、未知の脅威に抵抗する手段が一つでも確保できるよう尽力する方が遥かに建設的だ。

 これからの動きとして、身を持ってこの世界を知らねば話にならない。各地を回り情報を得つつ行動範囲を増やして、新たな騒ぎに備えること。紫にも会わねばならない。

 さらに気になるのは月の都。今では八雲紫や幻想郷以上に謎が多い。いずれは心身を削ることにも――。

 

「ねえ、ひとつ気になるのだけど」

 

 永琳は茶を飲み干すと、ため息混じりに口を開いた。

 

「二人とも――どうして退治しようとするのかしら? 黒ゼツを」

 

 静寂。鈴仙には聞き違いにしか思えなかった。

 思いがけない発言にポカンとするも、鈴仙はすぐに表情を戻すと、遠慮がちに笑った。

 

「なに言ってるんですか、師匠。幻想郷に混乱を起こそうと、善からぬことを企んでいる奴ですよ? 放っておいて好いことなんてありませんよ」

「私には、そうする必要性を見出せないの。どうしても」

 

 異常な光景はすぐさま二人の前に現れた。狂信的な笑みと共に立ち上がり、永琳は天井を見上げた。

 先ほどとはうって変わり、恍惚の表情を浮かべている。何かを支えるように両手を広げると、首を傾げてくるりとその場を一回転して見せる。

 

「だって、ソレに全て任せておけば、今より素晴らしい世界が作り出されるのよ。好いことじゃない」

「師匠。なにを言って――?」

「今ある偽りの世界を脱して、本当の幸せを手にできる。素晴らしいとは思わない? 望みさえすれば、誰も傷つかないし、病気になる人だっていなくなる、今より遥かに美しい世界。行ってみたいとは思わないの、ウドンゲ?」

 

 糸で吊られた人形のように体が不気味に揺れ、鈴仙に向き直った永琳。優しげな目はしっかりと彼女を捉えている。

 鈴仙は頭を横に振ると、立ち上がりかけて尻餅を着いた。辛うじて眼を動かし、沈黙するオビトに助けを求める。

 

「……師匠はいったい何を!?」

「まさか……してやられたか。ここまで」

 

 独り言を紡ぎながら立ち上がると、オビトは永琳の名前を声に出して呼んだ。永琳は声を聞いて振り返った瞬間、その場に力なく崩れ落ちる。

 永琳の体が揺すられるも目を覚まさない。鈴仙は眉をひそめて、師の体を抱いたまま思案する。結論に至るまで時間はかからなかった。

 

「幻術……?」

「一見一考しても判別できんが、気を失ったのがその証拠だ。幻術にかかった者に解術を施すと、急激な意識の切り替わりで脳に負担がかかり……意識を飛ばす場合もある」

「いつから――いいえ、師匠が幻に溺れるなんて……」

「意識を飛ばすほど強力な幻術。生半可な瞳力ではない」

「でも強いだけなら、どうして私に――?」

「その通りだ。問題はお前でさえ……イヤ、この手の術に精通するお前だからこそ、想像できない力――これはオレの世界に存在する、『異界』の術だ」

 

 おそらくは永琳が襲撃を受けた瞬間だろう。その出来事を境に彼女は幻の檻に囚われ、黒ゼツとまだ見ぬ協力者の手に落ちていた。であれば先の証言に関して、連中に不利な部分は偽りで塗り固められていると考えていい。

――出会った瞬間に察知できなかったのは何故か。否、彼女に近しいはずの鈴仙をも欺いたのだ、赤の他人である者にはどう足掻いても不可能だろう。師の異変を弟子の鈴仙以上に見抜くことなどできはしない。ましてや永琳にかけられた幻術が『写輪眼』によるものならば。

 

「そんな……」

 

 うな垂れる鈴仙。オビトは魔法の森での出来事を思い返した。傀儡使いのアリス・マーガトロイドだ。あの少女にも同系統の幻術がかけられていた。

 彼女を操った者と永琳を襲撃した者は同一人物。違う点を挙げるとすれば――。

 

「目覚めるはずよ。幻術はもう解かれて……」

「まだ終わっていない」オビトの右目を中心に渦が巻き始める。「……念の入ったことをする。多重にかけられている上、脳内に瞳力の進入を防ぐ障壁が仕込まれている。今ここでは手の施しようがない」

「なによ、それ」鈴仙は力なく笑う。

「よほど重要な情報を握っているのか――とにかく時間がかかる。ここでは駄目だ、別の部屋に――駄目だ――この竹林を出て、博麗神社にでも運んだ方がいい。そこでオレが残りを処理する。月人の元に奴らが戻って来ないとも――」

 

 オビトが途中で言葉を切ったのは、永琳と鈴仙を神威で時空間へ転送するため、二人に手を触れようとしたからではなかった。転送できなかったのだ。その理由は音も気配もなく、鈴仙の真横に浮かび上がるように現れた。

――長い金髪に紅蓮の瞳、頭部には黒い冕冠。背後からは蜃気楼のようにぼやけた七本の尾が生えている。

 

「小うるさい兎ね。綿月の教育が行き届かなかったのかな?」

 

 女性は気だるそうに欠伸し、怯える鈴仙と気を失った永琳、最後にオビトを見た。小さく息を吐き、再び鈴仙を見下ろす。

 永琳を抱いた鈴仙は、女性が行動を起こす前に距離をとった。その指先が狙い、女性が一歩踏み出そうとすると、鈴仙は「動かないで」と脅すように言い放つ。女性は苛立ったように口を開けた。

 

「まったくもって嘆かわしい。姿を見せただけでこれじゃあ、こいつには何も期待できなさそうだ。いっそ消えてみたらどうだ? それとも己の全てが浄化されて朽ちる前に、名前くらいは知っておきたいですか?」

「分かったわ。死にたいようね」

 

 鈴仙の瞳が真っ赤に光り、指先から弾幕の集中砲火。殺意を込めた有無を言わせぬ猛攻は研究室内に旋風を巻き起こした。女性はあっという間に煙に巻かれ、鈴仙は手を下ろして目を細める。

 舞っていた砂煙は数秒足らずで消滅し、女性が咳払いしながら進み出てきた。

 

「そうですね……空の上では○○。こっちでも純然たる神の威光をまとっておる。これで『純狐』の紹介は終わり、お前も終わりです」

 

 無傷の女性が朗らかに挨拶をした瞬間、鈴仙は指先を女性に向けた状態で硬直した。

 唇だけが震えて動いたが、声は出ていない。憤りや恐怖といった様々な感情が渦巻いた目は、女性の歩みをじっと眺めている――。

 刹那、巨大な四方手裏剣が女性の『死角』から迫り、高速回転する刃が細い胴体を真っ二つに切断した。切り離された上半身は宙を飛び、下半身はその場に崩れ落ちる。だが体は流すべき血を持たず、おまけに貌にははっきりと生気が宿り、不気味な微笑さえ貼りつけている。

 上半身だけの姿が揺ら揺らと浮遊し、天井近くから襲撃者を不思議そうな顔で見下ろした。

 

「そいつの時もこんな感じか」

 

 万華鏡の瞳力を解放したオビトが悠然と進み出、鈴仙は永琳の体を支えたまま膝を着いた。

 

「とんでもない、君などよりずっと優しかったはずだがね。優しすぎたかな。あなたはどなた?」

「何度も教える必要はない。聞き覚えがあるだろう」

「耳にたこができるくらいにはね。嬉しいか?」

「喜ぶには早い。お前を捕らえ、奴の居場所を吐かせてからだ」

 

 女性の半身は下半身へ下り、床に転がった作り物のような体の傷口と自らを接着させた。五体満足となり何事もなかったように向かい合う。

 

「混じり気のない魂、穢れていても好きよ」

 

 臨戦態勢に入るオビトを見返すと、女性は嬉しそうに囁いた。

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