THE LAST PHANTASM -OBITO-   作:大兄貴

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二十九話 六道ファンタズム

 薄暗い空間にくぐもった声が反響した。轟音と共に地面から一体の木棺が突き出し、被っていた大量の砂利と土埃が落ちる。棺の蓋が倒れて中から現れたのは、漆黒の目に白染めの瞳を見せる忘却の魂。波紋状の瞳の先で常世の地を踏んだ。

 木棺の影から湧いて出るように現れたのは、古の仙霊たる純狐。頭上には透明な球体が浮遊し、内部には八意永琳が鎖で繋がれ浮いている。頭を力なく垂れており、死んだように身動き一つしない。

 

「場所ヲ越エテモ格好ガツクダロウ……コノオレノ持チ駒トシテモ」

 

 同一の空間には存在せず、同じ時間を刻んでもおらず、行き来や認識すら通常は不可能な、異なる次元に並行して存在する世界。言わずもがな干渉を許されるのは、不可侵であり不変なる境界線を自由に跨ぎ越えて、数多の空間を自在に飛び回る超越的な力を振るう者のみ。力のみならず相応しい器と魂をも持たねばならない。境界の賢者ですら長い時間が必要だろう。そんな世界に踏み入った逸れ者がまた一人。

 一連の作業を眺めていた純狐が、興味深げに「人間? 人形?」と早口で問いかけると、黒ゼツは喉を潰したような声で「両方ダ」と返答する。

 

「所詮ハ意志ヲ欠イタ道具……イズレデモ変ワリハナイ」

「せっかく眠りに就いた者を叩き起こすなんて。清々しいほど卑劣な術。愉快なほど人道に反しているな」

「オレニ人間ノ定義ナド当テハマラナイ。カツテソノ卑劣ナ術ヲ平然ト使用シ……手駒トシテ戦イニ利用シタ輩モイタ」

「それは貴殿にも当てはまると思うが、いかがだろうか? 腹黒き者よ」

 

 否定的な言葉に反して咎めの声色は微塵もない。黒ゼツは否定も肯定もせず、聞き取りづらいくぐもった笑いを漏らすだけ。

 

「コノ力モ紛レモナイオレノ一部トシテ……奴ラガ成セナカッタ悲願ヲ達成サセル……コノオレ自ラガ」

「計画って、その『天上の眼計画』のこと?」純狐は首を傾げる。

「違ウ……『月ノ眼計画』ダ」

「駄目。スケールが全然足りないね。『天上の眼計画』にしなさい」

「ドウデモイイ。ウルサイ」

「おやおや? 『しなさい』との言い方は一度きり、言葉も静かに紡いだはずである。二度目は耳にしたくないからと、あたかもこの私が何百と小うるさく連呼したかのように、この状況下で『うるさい』などと頓狂な台詞を吐くのは些か的を――」

「ウルサイ」

 

 謎のこだわりを持ち、意味不明な要求を行うこの人物は、粗方の下準備を終わらせた頃にどこからともなく現れた。八雲紫と同等かそれ以上の胡散臭さをまとい、影で駒を動かし暗躍する側にとっては相性最悪と言える輩だ。良い言い方をしても利害の一致で敵対しないに過ぎない。

 

「そんな粗末な肉塊が使い物になるの? もっとマシな質の物を選ぶべきではないか?」

 

 興味なさげにぼんやりと指摘する純狐。黒ゼツは着物をまとった人間に寄生している。人里で適当に用立てた仮の器である。

 何をするにも先んじて、宿主となる体を確保しなければ話にならない。あの場所は八雲紫を含む妖怪賢者達の庇護下に置かれ、機が熟すまでは可能な限り接触を避けるべき区域だが、元より探索や侵入など裏方を得意とする者にとって、騒ぎを起こさず監視の目を掻い潜る程度なら、異界だろうと容易い。この姿で動く場合でも変わらない。人と妖怪の共存といえど、妖怪達の存続を最たる動機に築かれた楽園において、人間は現在でも脇に追いやられている。この世界で重要な役割を担い、異彩をも放つ巫女や稗田の者など一部を除けば、人間の存在感などないに等しい。

 器に選ぶ体が強かな物に超したことはない――純狐の胡散臭い言葉は的の真ん中を射ている。戦闘能力に秀でた忍ならともかく、忍界で言う非戦闘員に分類されるひ弱な里人よりは妖怪、人妖の方が体もチャクラも遥かに頑丈で強い。

 これは動かす駒にも言えること。甘く見積もっても理想的な器には程遠い。体とチャクラが順応せず酷く劣化した、何もないよりはマシ程度の壊れやすい傀儡。人妖など質のいい器を選ばない簡単な理由がある。

 

「今ノ状態ニ合ウ物ヲ選ンダ方ガ動キヤスイ……『妖怪』ヲ使ウニハマダ早イ」

 

 他者の心身を乗っ取るには意識や精神などを漏れなく抑え込む必要がある。相手がそれに耐え得る実力者では、支配が及ばないどころか引き剥がされ、返り討ちに遭うのが関の山。己の手足として完璧に制御するなら、身の丈に合った器を選ぶ方が賢い。術者以上のチャクラを内包する者を駒として蘇らせた場合、術の縛りを向こうから解かれ、制御不能になり得るリスクを持つ『穢土転生』と同じ理屈だ。

 チャクラは乗っ取った側に依存するため、術の使用に関しては器が多少お粗末でも問題はない。しかし体だけは人間の物だ。肉体の限界を超えた過度な負荷をかけた場合、物理的に損壊して使い物にならなくなる。

 

「ソレヨリオ前ダ」

「うん?」

「幻想郷ノ住民デアルオ前ガオレニ……奴ラニ仇ナス者ニ手ヲ貸ス理由。何ガ狙イダ?」

「何も」純狐は鼻歌交じりに答える。「強いて言うなら、物事の『変化』を見るのが好きでね。この退屈な景色にどんな変化をもたらすのか……純粋な興味。ヘンに疑うものじゃあない」

「ダカラオレノ計画ニ乗ッタト? 見エ透イタ戯言ヲ……オレヲ前ニ隠シゴトハ無駄ダ」

「そう? 真面目な話かもよ。ついでにお前、勘違いしているね。私はこの地の民じゃあない。有象無象がイチョウ切り、千切りにされようと、世界が滅ぼうと興味はないね」

「オ前トテ己ノ利ヲ第一ニ動クハズダ。サッサト見返リヲ話シタラドウダ」

 

 薄紫色の眼光――二つの眼孔に収まった『輪廻眼』が鈍い光を発する。純狐は眉一つ動かさず見返して笑んだ。

 

「とある愉快で愚かしき舞台の開演。そのお手伝いをと思いまして。ご助力と言いますがね、お前の『天上の眼計画』を練り直す必要はないよ。この私を信用に値しない独り善がりと遠ざけようとも、貴殿の利は私の利になる。好きに動いていただいて結構です」

「図ニ乗ルナ。オ前ノ命ヲ握ッテイルノハオレダ……オレハ何者ノ及ビモツカヌ……神デアロウトモ」

「頼もしいじゃあないか。お前に危害を加える気はない、とも付け足しておこう。ご心配なさらず」

「コノ眼ヲ前ニ堂々ト構エルトハナ」

 

 六道たる神の眼が異様な輝きを帯びている。純狐は明るい表情を見せた。輪廻の瞳と隠然なる瞳、互いに視線を捉えていたが、やがて「マアイイ」と沈黙を破る黒ゼツ。

 怖いもの知らずな連中は腐るほど忍界で目の当たりにした。いかに純狐が強大な力を持ち、飄々とした怪しげな雰囲気を崩さずとも、大筒木の名の前では霞む。人間も、妖怪も、仙霊も、神でさえも脅威と成るには浅すぎる。大筒木を脅かす者は同じ名を持つ輩のみ。張り巡らせた傀儡の糸は何者も逃しはしない。生物の命を染め尽くす純粋な威光を浴びてもなお、黒ゼツの自信は揺るがなかった。

 下手に驕り地雷を踏む気はない。仕掛けられたソレを踏み砕くためにも、信用に値しない者は不発弾より遥かに厄介な危険物として扱うに限る。利害を同じくするに過ぎない者に後ろから刺されぬよう、あの蛇を秘密裏に見張っていたオビトのように。

 

「私の目的を話したのだから、お前の目的も教えてくれるわよね。当然」

「アレデ話シタ内ニ入ルト思ウナラ……オ前ハ傲慢カ相当ナ空ケダナ」

「細かいことは気にしない。仲間でしょう?」

「此度オ前ト手ヲ組ンダハ……オレノ利ニ資スルト結論ヅケタカラダ。ソレ以上ノ理由ナドナイ」

 

 純狐は露骨に切ない表情を貼りつけるも、人外や異形以上に人ならざる黒ゼツに人間らしい情など皆無。宿していても同じ反応を見せただろう。全てが演技染みた得体の知れない輩を心から信じる者が居るなら、愚か者か相当のお人好しくらいのもの。オビトを操ったマダラでさえ駒として遠ざける辺りが関の山。

 

「オ前ナリノ言イ方ヲスルナラ」黒ゼツの口元が歪む。「オレノ目指スモノ……ソレハ世界平和ノ実現ダ。血デ血ヲ洗ウ争イダラケノ醜イ世ニ終止符ヲ打ツ……力ヲ得ルタメニハ力ガ……他所ニアル『オレ』ガ必要ナンデナ」

「平和な世界ねえ。今でも十分平和ボケしてるけど」

「コンナ土地ナドデハナイ……苗床ノ一ツニ過ギヌ世界ナド」

「ふうん。具体性を欠いた言葉も含めて、興味深く映すのも面白そうだけども」

 

 黒ゼツの不気味な視線が、瞬き一つしない純狐から暗い天蓋に移る。

 卯(うさぎ)の女神と称された大筒木カグヤの子であり、地上では六道仙人と呼ばれていた僧侶・大筒木ハゴロモ。後世の人々が争うことなく手を取り合えるように、自らが死する前に平和の教えを石碑として遺した。カグヤの惨劇を二度と起こさないように。彼の子である大筒木インドラの悲劇を繰り返さないように。

 その教えは母であるカグヤと決別し、平和の道を往こうと決したハゴロモの意志そのもの。カグヤのものではない。

 

「奴ト一戦交エタソウダガ……ニオイハ消シタノダロウナ」

「うん? そんな必要はない。今のあの子じゃ私の力は感じられないさ。印づけもね」

「ウチハオビト……」

 

 幼少の頃のオビトは、うちはという名高き血族に生を受けながら、抜きん出た才も持たない凡庸な忍だった。自らが友とする者に勝負を挑んでは負けてばかり、対抗心を燃やし日々汗水を流して修練に打ち込んでも、差は埋まらぬどころか日を追うごとに開くばかりで、天才と呼ばれた友の歩みには追いつけずにいた。

 そんなオビトが唯一優っていたのは写輪眼、そして誰より人に優しく愛情深い心。

 

「カツテハ奴ト同ジ落チコボレダッタガキダガ……長キニ亘ル暗躍ヲ経テ厄介ナ忍ニ育ッテイル」

 

 なればこそ他の何者も届かない、影のマダラとして仕立てるには打ってつけだった。

 愛が憎しみに変わり、憎しみを力とするうちはの眼は、オビトのような者にこそ真に相応しいとまで言わしめた。いったん闇に堕ちれば一直線、生まれた深い絶望は憎悪に取って代わり、世界をも見抜く『月の眼』にも触れるに至った。マダラの教育や暁としての活動、戦争を含む十数年もの歩みは、比類なき眼と力をオビトにもたらした。

 現在のオビトにかつての面影は見られない。落ちこぼれていた幼少期、そして自らの全てを捨て去り、分厚い面を被っていた偽物の姿も。今のオビトを形作るのは、トビやマダラと相反する名と存在には違いないが、その力は本物も偽物も入り混じり形を成している。他でもないうちはオビトとして。

 

「廻リシ陰ノ力ヲ持ツ者……ソノ血ヲ最モ色濃ク継イダ者……奴ノ『神威』ハオレニトッテ重要ナ意味ヲ持ツ瞳術ダ……ソレハオ前ニモ話シタト思ウガ」

「あの子の瞳力は肌で感じたよ。お前も十分にヘンではあるがね、神たる者の体を二度も真っ二つにするなど、厄介者でなければ最高にオカシな話ではある」

「全テハ思イ通リノ流レデハアッタガナ」

 

――大筒木カグヤの意志として生み出された黒ゼツ。残されし意志には何の力もなかったが、ハゴロモが遺した忌々しい石碑を探し出す時間は十分にあった。

 ハゴロモの死後に碑文の内容を修正し、後世にまで争いの火種は広がることになる。後の人々は分散した『神樹の実』の力、チャクラを戦いのために武力として使用し、インドラを始祖とする後のうちは一族、弟のアシュラを始祖とする千手一族をも思惑通りに動いてくれた。彼らの転生者であるうちはマダラ、千手柱間は互いに道を違え、その後任者であるサスケとナルトも対立の道へ進んだ。争いはさらなる大きな争いを呼び、ついには忍界全土を巻き込む『大戦』と呼ばれる規模にまで膨れ上がった。カグヤの力が世界の至る所で燃え上がったのだ。忍世界の歴史とは詰まるところ、分散したカグヤのチャクラを取り戻すための物語――そうであるはずだった。

 転生者の一人を丸め込んで輪廻眼を開眼させた後、その力と外道魔像を使い十尾を復活させ、カグヤを永い眠りより目覚めさせるまでは、概ね順調に事が運んだ。然るに転生者達の手により、永年の計画は崩れ去ることになる。

 

「ダガ……今度ハ」

 

 カグヤは『始球空間』と呼ばれる異空間の中で、外道魔像や微量の十尾チャクラ諸共に封印された。これまで思い通りに衝突してきた二人の転生者は、紆余曲折を経て繋がり合い、最後にはサスケとナルト――インドラとアシュラは共に戦う道を選んだのだ。

 現在の忍界は二人の活躍により、ハゴロモの願いが実を結んだことになる。

 

「お前に誤算が生じたなら、予期せぬ結果が生まれないとも限らない。自信のほどはいかがかね?」

「躓キ道ヲ逸レヨウガ……奴ラノヨウニ外レハシナイ……行キ着ク先ハ変ワラナイ。オレハ全テヲ見通シテイル……ココニ居ルオレハ『オレ』デハナイ……忘レナイコトダ」

 

 ハゴロモの誤算はカグヤそのものだ。所詮は母の掌の上にしかない。子は親には逆らえないのだ。

 あの世界は今度こそ新たなる歴史で塗り替わる。終わりはゆっくりと確実に迫っている。素晴らしきチャクラを宿した者達の集う、この幻想の地を利用しない手はない。本来在るべき形を取り戻すために。

 

「オレノ夢ヲ確固タルモノニ……平和ハ目ノ前ダ」

 

 本当の平和とは個による支配の中にしかない。この世を統べる者は独りでいいのだ。

 

 

――◇◇◇

 

 

 四角い石柱が無数にそびえ立つ無機質な空間。物思いに耽るように一人佇んでいるのは――うちはオビト。

 竹林での悶着が終息した後、現場に残されたほんの僅かなチャクラを元に、左眼の神威を用いた特殊な遠距離感知による追跡を試みた。純狐の視界との共鳴を利用した転移により後を追い、利害の協力者として共に動いているであろう元凶の、黒ゼツの居場所を特定するために。

 結果として『チャクラ』を掬えただけで、純狐特有の『性質』までは何を試しても感じ取れず行き詰っていた。純狐本人ではなく能力が残した物であることも関係するのか、これまでに忍界や幻想郷で掬った印づけ用の物質と比較しても類を見ず、時空間移動やそのための感知以前の問題だった。早い話が八雲紫と同じかそれ以上に、神威によるニオイ付けが通らない輩だった。これの意味するところは、純狐の力が神威より格上であること。

 

――結論から並べるなら、『事象を純化する力』――『純化する程度の能力』を持つであろう純狐なら、神威とそれに付随する効力、印づけのための感知を無力化できる。己のチャクラに敵の感知を遮断する効果を付与するなり、能力を直接神威に浴びせて分解するなり、やりようはいくつもある。

 神威とてチャクラを基にする術。術者を上回るチャクラを内包し、神威を分解できる特殊な能力を振るう者なら、「瞳術を無害なチャクラに強制的に戻す」――正確に言うなら「陰陽遁に変容したチャクラを性質変化、形態変化する前の状態に戻す」――事細かに言うなら「『神威』を構成する術者の元々のチャクラ、写輪眼と万華鏡の変質チャクラ、いずれかを一つ残して他を全て不純物として排し、残した物の純度を極限まで高めて空いた穴を埋めることで、性質変化と形態変化を起こす前のチャクラに戻す」ことも不可能ではない。

 八雲紫の境界操作のように、物質のみならず概念にも作用する能力なら、殊更に理不尽な使い方もできるだろう。

 

(神だの仙霊だの抜かしたが……)

 

 チャクラは生物なら誰もが内包するエネルギー。生命の源であるチャクラを生者から感じられないなど、幻想郷に来るまではカグヤ以外に前例がなかった。そのカグヤの影響を受ける黒ゼツ、(すでに手中にあれば)黒ゼツを介して受ける器たる者、物事の境界を自在に弄る紫に続いて四人目となる。純狐はカグヤに類する超越的な輩と見なすのが妥当であろう。時空間移動用の物質に変換できなければ意味がない。

 時間を使えば何らかの策も考えつくだろうが、黒ゼツの企みがどの程度まで進んでいるか判らない以上、動くのが早いに越したことはない。そんな中で純狐を追うための最善の手段は、手元にある不明瞭なチャクラを解析する他ないが――忍、その辺の人間や妖怪ですらない異質な者となると、外来人には限界が否めない。

 当てとなる月人が消えた今、大図書館で得た知識を束にしても敵わない。神霊など高位の存在が持つエネルギーに精通する者を頼らざるを得ないだろうか。

 

「――お困りのようね」

 

 とある賢者の貌が頭に浮かんだ時だ。閑静な異空間の中に胡散臭い声が響いたのは。姿を見せるタイミングを虎視眈々と待っていたかは定かではない。外部より隔絶された神威空間で都合のいい登場ができる者など、知る限りでは一人しかいない。

 オビトの前に黒い裂け目が開いた。爪先から優雅に降り立ったのは、見覚えのある派手なドレスを着た金髪の少女。

 

「御機嫌よう。元気そうね、オビト」

 

 八雲紫――別空間同士を自由に行き来できる境界操作を有し、博麗大結界を管理するスキマの妖怪である。

 

「お前……霊夢から話を聞いたのか? 探す気はなかったが……そっちから来たなら好都合だ」

「いいえ」紫が向かい合う。「あの子には会っていないわ」

「会っていない?」

「『仙霊』が竹林に姿を見せたでしょう? すぐに向かおうとしたのだけど、邪魔が入って。そこでちょうどアナタの気配を感じてね」

 

 妖しい微笑は相変わらずだが、両手から二の腕にかけて、真新しい白い包帯が巻かれている点は以前と異なる。写輪眼を通して視えるチャクラにも乱れが生じていた。

 

「何があった?」

「月の賢者様と同じよ。襲われてね――私の専有空間の中で、あの純狐に。アナタ以外には侵入を許さないはずなのに」

 

 竹林での戦闘とほぼ同時刻の話なら、月人回収の時間を稼ぐために自らの『分体』を紫の元へ送り込んだと考える方が自然だろうか。仙霊と神霊が同じ存在かは定かではないが、八坂神奈子などの神霊が本殿の分社を各地へばら撒くように、神の類は自身を何百にも分けて使役できるようだ。忍界の影分身の術と似通った点は多い。

 

「純狐とは何者だ。仙霊ってのは……」

「仙霊は種族の名」紫は腕をさする。「簡単に言ってしまうと――仙人の霊体。そのまんまだけど。不老不死の身で死して生まれる特異な魂よ」

「……不死の身で死ぬ? どういうことだ?」

「この場合の死は消失ではなく、魂が肉体という器から離れることを言う。そうなる原因は様々だけどね」

「尸解仙に似ているが……違和感があるな」

 

 仙人の定義は忍界と幻想郷とで異なる。忍界では生命力に満ち溢れ、体内に集めた自然エネルギーを自在に扱う者。それを基とする力が仙術である。千手柱間は尋常ならぬ生命力を持つ忍だが、その所以は千手一族の血のほか、大筒木アシュラの転生者として強い生命力、莫大なチャクラを宿すことに加え、仙人としての体と力をも持つことにある。体細胞に『柱間細胞』なる呼称が与えられるほどだ。

 一方で幻想郷における仙人は、俗世に蔓延る欲を断ち、体の穢れを浄化した者とされる。厳しい鍛錬の末に不老長寿を手にし、さらなる高みを目指して不老不死を手にした者がそう呼ばれる。その仙人が何らかの手段で終わりを迎え、新たな肉体を得て現世に蘇った者が尸解仙である。人里の外れにある命蓮という寺院の地中深くに存在する巨大な祠廟跡で、過去にはその尸解仙の一人が目撃されたようだ。

 

「尸解仙にも色々いてね。霊力――ひいては魂の強さが極端に抜きん出た者の中には、不死の肉体による縛りから自分の魂を解放する者もいる。そんな逸れ者が再び生を受けると、時に尸解仙すら及びもつかない異質な存在が生まれる。いわゆる『神』の域に踏み入れたモノがね」

「そいつが仙霊ってわけか……」

「尸解仙と神霊にも等しい力を併せ持つ……純狐はね。格で言うなら、私より遥かに上。仙霊は得体の知れない部分が多くて――とにかく尸解仙、神霊とも区別して考える方が賢明ね」

 

 不老不死の肉体による縛りを自ら解くことは、魂の強さが器を含む全てを超えることを意味する。尸解仙とて心身共に突出した連中なのだろうが、仙霊はその上を行く化け物のようだ。神の域という言葉が意味の通りなら、守矢の軍神や祟り神を始めとする本物の神々と遜色ない力を持つことになる。神霊に見られる特徴として、妙に親しみやすい雰囲気があったり、言動がやたら軽々しかったりするが、純狐のあの独特な口調も関係するのだろうか。

 全貌が謎に包まれた仙霊なる種族。不老不死である尸解仙の枠組みすら破壊するのなら、純狐や紫本人ですら口にした『境界の妖怪』との格の違いや、蓬莱人や不死に近しい月の民をも滅ぼすとの言葉も、強ち嘘とは切り捨てられない。何よりそんなぶっ飛んだ輩が黒ゼツの側に居るのは好ましい話ではない。

 

「……奴の言葉もハッタリじゃなかった、か。厄介なチャクラを理解するなら、同じ境地の……神でもなければ」

 

 力に力で対抗する手段は二つ。単純に相手を上回る力をぶつけるか、全く同じ力で打ち消すか。いずれも相手との拮抗が最低条件となる。とりわけチャクラは魂、精神的な力として内面の影響を受けやすい。格と言うなら相応の物を内包する者の力添えが必要となる。同等かそれ以上の格を持つ者は、知る限りでは守矢の祭神である神奈子と諏訪子。

 あの団らんに二度も踏み込まねばならないのか。手を伸ばしても届かない、触れても理解には至らない、縁遠いと思わせる温かさに。

 

「――『チャクラ』?」

 

 怪訝そうに聞き返した紫を不思議に思いつつ、オビトは掌に浮かべた純狐のチャクラを見せた。本人の物かどうかまでは判別できないため、純狐と衝突した竹林の一角以外にばら撒くと誰の物か判らなくなる。

 

「奴に接触した際、隙を見て取り込んだ。コイツを使えば時空間を介して追跡できる。だが奴のチャクラは異様でな……目視できても感知まではできなかった。これでは使い物にならん……」

「純狐のチャクラが――アナタに視えた?」

 

 胡散臭そうな表情は変わらないが、紫は明らかに驚愕している。生まれて初めて言葉を発した赤子を見たかのような反応である。

 見慣れた模様の扇子を開くと、慣れたような素振りで口元を隠した。疑念に満ちた視線がオビトに注がれる。

 

「私にはね、オビト。あの者の霊力は感知どころか、目視すらできないの。境界に触れなければ……能力で干渉してやっと視える。アナタのような人間には、尚更に不可能なはず」

「その通りだ」紫の言葉に頷いたオビト。「オレの力は空間操作の分類だが……『境界操作』の力はない。この空間と外を行き来したり、ここを経由して他所へ移動できるだけだ。勘違いしやすいがな」

 

 端的に言うなら境界操作とは隙間の排除。物と物の間に引かれた境界線を取り除いて一つの大きな物を作り出す。外部から隔絶された神威空間に易々と踏み込めたのも同じ理屈だろう。神威空間と現実空間を隔てる境界線を取っ払い、自由に行き来できる出入り口を創造したのだ。異なる二つの空間を行き来できる神威も、その意味では同じ解釈なので混同しやすい。

 然るに境界操作は同化と分別を司る力。概念に作用するなら空間以外にも、境界線で分けられた異なるチャクラを同質化させて干渉したり、それこそ理論上は――。

 

「……待て」

 

 ここでオビトはハッとした。境界操作と純化の格の違いは紫自ら断言するほどだが、試してみる価値はあるのではないかと。純狐が持つチャクラの不明瞭な性質を、紫の能力で自身の物に限りなく近づければ、純狐のチャクラや力を解明するきっかけ程度は得られるかもしれない。時空間移動用の鍵を作り出せるのなら、それをもとに感知して追跡できるのではないか。

 紫は扇子を閉じてスキマへ放り込む。表情が若干和らいでいるのは、オビトの考えを理解したが故のものか。

 

「私の勝手な想像だけど――」

 

 オビトの手に温かな手が重なり、細長い指が絡まった。柔和な微笑みと共に瞼を瞑る。

 

「――アナタは以前、神霊にも負けず劣らない力を、何らかの方法で得た。今のアナタにはその力、もしくは片鱗が内在している。純狐に並ぶものが包含されていたから、本来なら見えないチャクラが見えた。その目を通して」

「奴に比肩する……具体的にはどの程度を言う? お前の境界操作、奴の『純化』に類する力か?」

「どうかしらね」紫の目が開いた。「デタラメな力って具体性は持たないか弱いのよ、大体は。無理やり言うなら……あり得ないなって思ったり、理不尽だみたいな――人知を超えた感じの力、とか」

 

 ありふれた小さく弱い力より、大きく強い力を相手取る方が厄介なのは当然だ。前者より後者の方が力や理解の及ばない部分が多くなりがちで、優位に立ち回るための具体的な策が浮かびづらく、お手上げになりやすいからだ。これが力の強弱や相性の良し悪しを通り越して、境界操作や(おそらくは)純化など、人や物ではなく概念に作用する超越的で理不尽な力ともなると、頭で考えたり体で味わう程度では中身など知りようがなくなる。何故かと言えば、それが具体的にどんな力なのか、理解が届かないほどに『デタラメ』故である。

 竹林で目の当たりにした純化の力は、実際に喰らって苦しみ血反吐を吐き散らしても、純狐が無駄な親切心か傲慢で『褒美』に言葉を紡がなければ、能力の正体など掴めなかった。少なくともあの場では無理だろう。紫の境界操作にしても同じで、どの程度かという具体例が挙がるほど簡単な力ではない。現にこの二つに関しては現在でも視通せていない。

 境界操作や純化よりも解りやすい神威ですら、その効力を一目見ただけで看破する輩など、忍界は元より幻想郷にも前例はなかった。できるのは紫や純狐くらいだろう。デタラメな力に具体性を求めるなど的外れである。

 

「アナタの場合だけど――高尚な力を扱うには、人間の心身では限界がある。アナタの力には制限がかかっている……それが感知まではできなかった理由、かしらねえ」

 

――神霊や仙霊に比肩する高尚な力。紫の言葉を聞いて思い浮かぶのは二つ、六道仙人と大筒木カグヤ。仙人の息子であるアシュラや、『忍の神』でも同じ枠内に入るなら柱間も該当するだろう。

 外道魔像のチャクラで培養した特殊な柱間細胞――カグヤの影響を受けた原型体『白ゼツ』の右半身を植えたこの体は、柱間の木遁や輪廻眼の制御をも可能とする。後に輪廻眼を左目に移植して六道仙人のチャクラを、不完全ながら十尾の本体を取り込み人柱力にまで成り、尾獣と大筒木カグヤのチャクラをも宿して抑え込み、その力を発現させた。

 十尾は仙人が陰陽遁により創造した九つの尾獣の集合体であり、神樹と呼ばれる大樹と融合したカグヤ自身でもある。仙人はマダラや柱間に六道の特別な陰、陽のチャクラを各々分散させた僧侶で、元は十尾の人柱力でもあった人外の輩。人知を超えるという点で、いずれも同じ神の類と見なせる。

 

「精神的な力がチャクラ……六道になった時の名残が、今のオレの中に。いまだこの体に宿る火が、奴のチャクラを視覚で感じ取る助けになった……そういうわけか」

 

 人が持つ『力』には二種類ある。他者から借りて得たものと、自らの手で得たもの。同じ力でも強弱が変わるか否か、己の手足も同然に使いこなせるか否か、隅から隅まで知り尽くすか否かなど差異は多々ある。この場合に最たるものとして挙がるのは、身につけた力が己が身に残り続けるか否か。つまりその力が一時的なものか、恒久的なものかの違いである。

――借りものとは永遠ではない。それをもたらす人や物など外的要因が失われれば、身に宿る力も内在できず消える。一方で自ら身につけ手に入れた力は消えない。力の源流が外部ではなく己の内に根づくからだ。

 万華鏡の第三の瞳術・須佐能乎が分かりやすい例だろう。身体に宿る力なので元となる眼が失われても使用でき、水遁『天泣』と同様に必ずしも印を要する術でもないため、チャクラさえ練れるなら手足すら必要としない。命尽きない限りは失われない力である。

 

「思い当たる節はありそうね」

「……ないわけではない」

 

 人柱力としての能力にも言えることだ。十尾を失い人柱力でなくなろうとも、その力は己が身で抑え込み発現させ、己の手足として御したもの。異形の姿や不死性、無限に等しいチャクラや重力に縛られない体など、失われた力の方が多いのは事実だが、中には失われずに残ったものもある。それらの名残とも言える、体の自然治癒力やチャクラ容量、血継網羅の求道玉にしても同様に。

 あの戦争で十尾が体から抜け、仙人としての力を失った後、代わりに六道として目覚めたマダラから尾獣のチャクラを奪い体に取り込んだ時、失ったはずの求道玉を再び発現させ扱えた。大戦前に移植した輪廻眼にしても、体に適合した影響で土と水、火以外の二つの基本性質変化も開花させたが、借り物が失われた現在でも名残として存在する。思い返しても心当たりがないわけではない。

 要するに、己の手で一度身につけた力には消えないものも存在する。その一つが紫の言う、隠蔽された神霊のチャクラをも『視認』できる写輪眼の瞳力。

 

「私の勘も当たるものね。あの子ほどではないけれど」

「奴らを追えるなら……今は都合がいい」

 

 純狐のチャクラに触れる二人の手がスキマに沈む。冷ややかな感覚が手を取り巻く一方、紫の持つ温かみが掌を通じて伝わる。

 奇しくも体の内を流れる六道の片鱗が、境界の力に触れて寄り集まり、ゆっくりと形を成して、オビトと紫のチャクラを介して流れ込んでいく。

 

「異変に立ち向かう者として鍵を託されたのは、アナタも同じだった。そういうことかしらね」

「かくも数奇に廻るか」オビトの手に力が込められる。「オレの中に残る大筒木……皮肉なものだ。この上ないほどに」

 

 元より六道の力を求めたのは、無限月読を成す月の眼を欲したがため。夢に溺れ偽りの世界を渇望していた己自身が、今やその世界を否定するために動く破目になろうとは。

 夢は決して現実に代わらない。かけがえのないものとはいつも現実の内にあるのだと、救い出してくれた友から痛みと共に教えられた。それでも仙人の言葉の意味を真に理解しない限りは、本当の意味での人には成れないのかもしれない。

 仙人の力を正しく扱い導ける者は、おそらく彼の想いを理解するのだろう。遠い世界で平穏を生きるあの少年のように。

 

「こう見えても私、大げさでありきたりな物言いもできるの。たとえばそうね……私はこの地を誰より愛している。世界を守るために悪と戦う、なんて分かりやすくて素敵じゃない?」

「過ぎた言葉だ」オビトは一人自嘲する。「オレはただ一人の外来人として、不要な歪みを阻止するために居る。お前らだけでいいさ――世界を救った救世主はな」

 

 独りのチャクラが産声を上げる。スキマより噴出して渦巻く金色のチャクラを、紫の瞳は静かに映していた。








神樹→大地を循環する惑星規模の莫大な自然エネルギーと、全生物の生命エネルギーを吸い上げて生長する大樹。実をつける
神樹の実→それらが凝縮されたエネルギーの塊
チャクラ→実を食らったカグヤから後の忍達に分散したエネルギー

以上のように、忍界で言う『チャクラ』は幻想郷に存在しませんが、色々な能力や術を使うために必要なエネルギーという意味では、幻想郷における『妖力』や『霊力』と同じか似たものなので、イコールのように表現しています。
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