THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
紫の助力で純狐のチャクラを時空間移動用の物質に変換し終え、時空間からの感知と視界の共鳴転移により神威を行使し、数秒後には薄暗くて湿っぽい場所に降り立った。表面の荒い岩壁や鍾乳石の群が辺り一面に広がり、履き物を通して硬い感触が足裏に伝わる。
ぱっと見は自然に形成された洞窟。土遁を使えば地下壕など、身を隠すためのアジトも容易に構えられるが、術か何かで人為的に作られた形跡は見当たらない。ただし人の気はあるようで、辺りには提灯の残骸やぼろぼろの黒い衣、錆びた鉄片などが散らばっている。敵の根城か否はともかく、視界の共鳴による転移が成功したことから、黒ゼツ一味が近くに潜伏するのは間違いない。
「どの辺りか判るか? 紫」
視界の共鳴を利用して移動する場合は、必然的に相手の視界内か付近に移動先が固定される。移動先を術者の意思で選択できず、向こうの状況を事前に把握したり、敵対者による奇襲にも対応しづらく、ついでに地図が内蔵されていないなど欠点も目立つ。純狐のように得体のしれない輩相手には迂闊に使うべきではないが、多少の危険を冒して尻尾を掴めるなら安いものだ。
「古の結界跡付近――旧地獄よりは上層。旧都からは離れているみたいだけど、正確な位置は判らないわね。付近に式の二、三匹でも置いていたら好かったかな」
「地上を探し回っても無駄だったわけか……地中に潜っていたとはな」
幻想郷の地中深くには旧都と呼ばれる、規模にして人間の里が数十は収まるほどの街がある。その旧都のさらに数百倍という広大な世界こそ、かの有名な『地底』である。過去に発生した妖怪同士のいざこざ以来、地上に住む妖怪は約定により不可侵を貫き、八雲紫や式神達による監視の目すら届かない。
――神威による感知と転移が滞りなく無事に行われた。これは転移に使用できる程度にまで、純狐のチャクラを視通した事実を表している。
カグヤ本人のチャクラが手元にあれば、その意志を映した分身である、黒ゼツの元へ転移できた可能性もある。しかし、チャクラの解析と最適化の役割は、体に残留する六道の力の影響が及んでもなお、境界操作の干渉によるものが大きい。紫にとっては見通せない未知の力を一から解析するより、『幻想郷』という世界に(比較的にだが)親和性が見られる、もしくは存在し得る純狐のチャクラの方が能力は生かしやすいのだ。
結果として辿り着いた相手が純狐一人でも、本当に黒ゼツと繋がるなら手がかりは掴めるはずだ。
「近くに気配はないみたいね。アナタの瞳術に問題はなかったけど」
「純狐辺りが謀ったか。侵入は気づかれていると見ていい」
周辺に純狐の姿はない。向こうに気取られた可能性も考慮すべきだろう。
自然界に存在する物とは違い、生物が持つチャクラは常に一箇所に留まることはない。相手方の居場所が特定できない以上、チャクラの持ち主の視界内、目視可能な地点への移動を行う手段は避けられなかった。周辺に人影や気配一つ確認できないのは、初めから影で監視に徹していたからか、あるいは何らかの方法で転移場所を変更させられたか。
時空間移動を行う瞬間を目撃されたならまだしも、転移を行う前に気づかれたり、確定され固定した座標軸を強制的に乱される事態など、忍界の者や幻想郷に住むレミリアなどの強者相手ですら起こり得なかったが、純狐や黒ゼツならやりかねないと此度実感させられた。根城の門を堂々と蹴破り感づかせたようなものだ。
水滴の音が不規則に聞こえる。不揃いな岩盤のせいで足場が悪い。(死んではいたが)現役の忍であるオビトは岩壁の間を苦もなく走り、紫に至ってはその横を涼しい表情で滑るように飛んでいる。
ちなみに双方は協力関係にあるが、行動を共にする現状は半分以上が成り行きである。
「一つ訊いていいか」
「なあに? ご趣味とか?」
「月の都……お前はかつて月面戦争に二度も関与したらしいが、阿求の本に書かれた内容は真実か?」
「あら、どうしてそんなことを? 月だなんて」
「ワケは簡単だ」オビトは暗闇の先を睨む。「奴らの暗躍には裏がある……元月人が消えた件とは無関係、などとは思わん。今さらな」
永遠亭を訪ねて純狐に遭遇し、永琳がどこかへ姿を消した後、竹林に残った純狐の足跡を辿り敵陣へ潜入した。分かりやすい流れだけに、連中が故意に導いていると錯覚してしまうほどだ。
この先に罠がないとは限らない。黒ゼツや純狐以外の敵が待ち構えている可能性も否定できない。それでも今は前へ進むしかない。歩みを止める理由など見つからず、見つけるべきではない。危険に踏み込んででも追わねばならない者が居るなら。
「月の裏側だけに?」
「……真面目に聞いてくれ」
「私は大真面目よ」紫は微笑する。「『裏側』と言っても、定義を鵜呑みにするのは早計ね。正しくは『結界の裏側』。月の都は地上で言う幻想郷と同じなの。そう考えたら、この世界は――『地球の裏側』とも言えるかしら」
常識と非常識。初めから明確に線分けされた物事の他にも、時には常識だった物事が非常識の世界へ追いやられ、逆に非常識だと思われていた物事が常識の枠内に入ったりと、互いを隔てる境界線は常に曖昧ではあるが、交わることはない。双方は身近に存在し合いながらも、裏表の関係を崩すことはない。その意味は単純に地理的なものだったり、概念的だったりと多岐に亘り、列挙するとキリがない。
幻想郷と外界は同一の次元に、地球に存在しながら別個の世界として分け隔てられているが、今現在に表舞台で生きているのは外界の者であり、幻想世界は非常識な場所として隅っこに――『表側』の『裏側』に存在している。同じく非常識の枠内にある月の都とて変わらない。外界から見たり干渉できる月面に都は存在しない。
「その裏にも、さらなる『裏側』が……この世界の者さえ及びもつかん物事など、今のオレにも理解の外だ」
「今の、ね」瞼を瞑る紫。「全てを終えた後か、新たな旅立ちの時か。見通せないほど先に待つ未来か――私たちと同じになる時が来たら、アナタが映す世界も、変わって見えるのでしょう。きっとね」
種族や立場の違いは理解している。身近で面と向かい会話していると、紫には純狐に通ずるものがあると思わされる。飄々としていて本心が掴めない二人が映っている。然るにそれが全てではない。
前方に延びる暗闇を赤眼に映しながら、オビトは傲慢と余裕に満ちた純狐の貌を思い浮かべる。
「どうするつもり? アナタは」
「鈴仙の言葉が本当なら、地上は通過点にすぎない。奴は必ず強いチャクラを求める。ここで手間が省けなければ、月へ向かうことになる……このオレも」
「けれど、そう易々と行ける場所じゃないわよ、月なんて。満月まではまだ何日か……あの子たちと一緒に?」
「イヤ……満月や大筒を待つより早く、確実な手がある。簡単にはいかないがな」
水面に映った満月の虚像との境界線を取り除き、月への道を切り開く境界操作。確実で早いのに加え、安全をも保証する方法だが、実と虚の境界に干渉する際は欠点として、映る側が本物の姿に限りなく近い状態でなければ能力が最適化されない。満月はまだまだ先で、大人しく待っている時間も残されていない。
「もう一つ、聞かせてもらえる? そこまで協力的になれるのは、何故なのか」
岩の上を跳び進むオビトが、紫の視線に気づいて目を向ける。
「この世界の民ではない者――次元すら異にする者がアナタよ。放っておいても不利益は生じない。それは誰かのため?」
紫の言い分が正しいとは限らない。いずれは忍界の脅威ともなろう。
協力的だと紫は言う。幻想郷のために働くことに、傍から見れば変わりはない。意味としては間違っていない。黒幕を始末するという共通の目的で動く以上、その言葉は確実に的を射ている。現にレミリア達とは割と友好的なかかわりもあった。
他の者なら何かを守るために戦えたのだろう。それこそ望んででも。
「――言ったはずだ。オレは不要な変化を、『歪』を。奴の存在を望まないだけだと」
望むべきは不変。この世界が歪められることなく、在るべき姿で在り続けること。
幻想郷も忍界も関係ない。意識も行動理由も本心からその一点にある。正義をもって悪を断ずるという英雄染みた生き方とは真逆の歴史を歩み、償い切れぬ罪を犯した者として、他者と同じ道を歩むのは贅沢すぎている。贖罪と言えばまだ聞こえは良いだろう。
目を閉じれば今も聞こえる。望まぬ死をもたらされた人々の苦痛や恨みの声が。それらは人ひとりで拭えるものではないと、心のどこかで理解しているのかもしれない。
「どれだけ自らを排そうと、人の心を持つのは変わらない。今ここにいられるのは――アナタが他でもない、うちはオビトだから」
「わかっている」闇を睨むオビト。「そんなものは誰よりオレが、わかっていることだ」
紫は微笑むだけで何も言わなかった。その辺の人や妖怪と交わすべき会話ではない。思い入れのない相手では当然のこと、信頼に値する者の前でさえ口は開かないだろう。全てを見抜く彼女の眼力、永い時間をかけて培ったであろう智慧を前に、意図して紡がれた言葉に過ぎなかった。
純狐とのやり取りを思い出す。心を読めたとしても、今さら驚きやしないだろう。
「どこまで知っている? お前の方は」
「さあね」紫はオビトを映さない。「でも一つだけ。妖怪は妖精と同じくして自然の化身。心の貧しい世界では淘汰される生き物で、決して受け入れられない。それくらいかしら」
「ならいい。つまらんことを訊いたな……八雲紫」
若干からかうような口調で「そう?」と返した紫。曖昧で意図は読めないが、通常なら無視を決め込む不明瞭な言葉でも、彼女が語ると何とも形容しがたい響きに変わる。それ以上の響きが皆無だったのは、共通の目的を持つに過ぎない相手故か。
このやり取りに疑問を抱かぬ現実こそ、今を生きる者達との差異なのだろう。
――◇◇◇
どれほど走り続けたのか。最深部と思われる広い空洞に出た瞬間、胸部に嫌悪感が込み上げると共に、覚えのあるチャクラが強烈に五感を刺激した。悪寒の原因は出入り口を潜って早々に映った。
「悪趣味だこと」と呟いた紫だが、無理もない光景だ。無数の鍾乳石に覆われたドームの天辺を突き破り下りた、巨大な樹の根の至る所に、繭らしき白い物体がいくつも生えている。幼少の頃に転がり込んだマダラのアジトをよぎらせる異様な景色に、オビトは黙って赤眼を向ける。
根元のくぼみを椅子にして、真っ黒な人型が腰かけている。薄暗さと距離のせいで顔は見えないが、ここまで来て今さら名前など確認するまでもない。チャクラと薄紫色の眼光が否が応でも教えてくれる。
「仮面ヲ砕イタヨウダナ……『マダラ』」
「これで二度目か」落ち着いて喋るオビト。「――黒ゼツ。今は『カグヤ』……でもあったか。落ちぶれたものだ」
「ソレモ仕方ノナイコトダ」
カグヤの分身も同然に生み落とされた意志は生物とすら言いがたい。幻想郷では二度目の遭遇となるのはここに居る紫も同様。
影のマダラだった時代に付き合いのあったゼツは、饒舌の白ゼツと毒舌の黒ゼツのワンセット。黒い方も影で暗躍していたとはいえ、その頃はまだ今ほど文字通りの『黒』には見えず、陰鬱な組織の場を和ませる変わり者のメンバーとしても機能していた。現在は紀余曲折を経て、かつての面影は欠片もない。
周辺を写輪眼で見渡す。樹の根と繭以外に怪しいものは確認できない。純狐の姿もないようだ。根元から腰を上げる黒ゼツを見ながら、紫は冷静な面持ちで「あれは」と口を開いた。
「奴が得意げなワケか。ぶつける相手とやりよう次第だな」
黒ゼツは新たな体に寄生している。着物姿から察するに里の人間。元の眼は抉り取られたのか、六道の輪廻眼が代わりに収まっている。戦闘用の体としては不相応に思えるが、この状況で無力な人間の存在はむしろ、里を庇護下に置く紫への対抗策として効果がないとは言えない。管理者に対する皮肉としても。
かつて戦場で友と肩を並べた時と同じように、うちはマダラの禍々しいチャクラが眼と肌を通じて伝わる。初代の細胞が植わるこの体ですら、強すぎるチャクラのせいで片方しか御せなかった輪廻眼を、忍でもない肉体が制御している。カグヤのチャクラを内包する輩の力は底知れない。
「あの体、易々とは剥がせないわね」
「奴の力は厄介だが……『境界操作』さえ及びもつかんほどなのか?」
「いいえ。糊を剥がすより簡単。剥がすだけなら、ね」
黒ゼツ自体は雑な獣より脆弱である他方、カグヤの強大なチャクラで護られている。境界操作の力を持つ紫を前に、神威空間で黒ゼツが堂々と姿を現した理由である。しかし境界線を取り除く力なら、黒ゼツと器を『別のもの』として切り離すことは容易。
紫は表情にこそ出さないが、動くのを躊躇しているようにも見える。普段の胡散臭い雰囲気が薄れている感じも否めない。
「心身が完全なる支配下にあるなら、あの衰弱した状態では殺してしまう可能性が高い。里の人間をあんな惨い形で死なせるのは、私としても不本意な結末ね。いざとなれば管理者として――然るべき決断は下さざるを得ないけれど」
「それがお前の、一世界を見守る者としての想いか」
博麗の巫女など一部の例外を除けば、人と妖怪の力関係など火を見るより明らか。非力な人間が幻想郷で生きていくには、妖怪を始めとする強者の庇護下に入るしかなく、紫としても現状を肯定し続けている。
人と妖怪の均衡を守り、切っても切れない関係にある互いが共存できなければ、幻想郷は今のままの形を失い、滅亡の道を歩むことになる。彼女の言葉は優しさや正義感とは異なる、幻想世界を守護する者としての想いから紡がれたものだ。元凶を前にしても揺るがぬ断固たる意志の下に。
「お前の意志を汲み取ろう。今回は二人で捕らえる……純狐の二の舞は踏まん」
「……当然ね」
僅かに驚愕した紫に気づかないまま、オビトは再び黒ゼツを映す。岩盤から這い出した不気味な根といい、ここでの企みを吐かせる必要がある。
器の始末が容易なのは紫の言葉通りだが、庇護下にあり何の罪もない里人を巻き添えで殺しても、後味が悪いままに終わる。器の人間に蓄積された情報を手に入れる意味でも、後先を考えずに逸り死なせる方が不利益となろう。
「デキレバノ話ダガナ」黒ゼツは嘲笑する。
「どうかな。敵を知り尽くすのは――こっちも同じだ」
袖の中からクナイを取り出し、黒ゼツ目掛けて放つと同時に地面を蹴る。
胸部を貫かんと迫ったオビトのクナイを、黒ゼツは掌より生えた漆黒の棒を振るい弾き飛ばす。その不敵な笑みは数秒で凍りついた。黒ゼツの背後に生じた空間の渦より複数の杭が射出され、かわせる道理もなく突き刺さった。薄紫色の目が見開かれ、黒ゼツの器は体勢を崩して倒れ込んだ。
間髪容れず紫の指が動いた。朱色だった杭のチャクラが金色の輝きを帯びる。苦しげにもがき振り払おうとする黒ゼツだが、熟知するはずの杭の拘束が自由を許さない。
「呪印デチャクラノ流レヲ乱シ確実ニ隙ヲ作ル……境界ヲ弄ッテ杭ト体ヲ曖昧ニシタノカ……即興ノ割ニ大シタ連携ダ」
オビトと紫、異なる性質を宿す複数のチャクラを基にした力は、双方のチャクラ比が一致して初めて形ある術として顕現し機能する。さらにその比率が合うほど精度が高まる。物事の境界を曖昧にする境界操作の産物が触れ、オビトのチャクラを強制的に最適化し、数分の狂いすらない性質に変容させたのだ。他者の力といえど手足のごとく制御できるのは自明の理。
人や物の波長を自在に操る力でも僅かなバラつきは生ずる。他方でより汎用的かつ変幻自在、高度な精密性を含む境界操作の力はそれ以上の結果を生み出す。賢者と謳われる紫の頭脳があればこそだ。
「オレに芸はないが……これで六道の術は使えん。輪廻眼の力を過信し油断したか」
六道の『神羅天征』を始めとする大筒木の瞳術は、万華鏡の瞳力をもってしても脅威となり得る。この状況で適当な火遁でも使い小手調べから始めようものなら、忽ち劣勢に立たされ潰されていただろう。使い手が脆くとも本物の輪廻眼を相手に侮りは不要だ。
「生前ヨリ上手ク使イコナシテイルナ……マダラガ手塩ニカケテ育テタ忍ダケノコトハアル」
「違うな」オビトは縛りを強める。「それ以上だ。今のオレには、もう一つ……」
手塩にかけられ生まれたモノが『マダラ』だった事実は否定できずその気もない。道を違え友の存在を否定し続けてはいたが、今の『オビト』の存在は良くも悪くも、深い闇の中を歩いた経験があってこそ。ただ一つ違うのは――優秀な友の手で育て上げられた優秀な左眼は、黒ゼツを逃がしはしない。写輪眼は左右が揃って本来の力を発揮するものだ。
クナイを囮にした死角からの神威。回避はほぼ不可能な攻撃だが、畜生道の口寄せ輪廻眼であれば話は別である。複数の目による視野の共有で死角を補い見抜かれ、確実に避けられていただろう。黒ゼツではなく輪廻眼を封じる手段に限るのなら、六人の『ペイン』を同時に相手取る方が遥かに厄介だ。驕りは皆無ながら、黒ゼツ自体に大した脅威を感じないのは幸いか。
「――念には念を。事を起こす前に抑えてしまえば、いかに特異な力でも意味を成さない。自明の理ってやつね」
紫も同時に動いていた。身動きの取れない黒ゼツの真上にスキマが展開され、飛び出した縄状の物質が体を縛った。等間隔に貼られた御札の輝きが連鎖し、眩い光に包まれた黒ゼツが苦痛の声を上げる。忍界で猛威を振るった六道の眼が悪しき者の手に渡り、この地に災いをもたらす禁忌に成り果てんとする今、一世界を司りし賢者の力が異界の力に呼応した姿を現したのだ。
指一本動かせない黒ゼツを前に、見開かれた眼を奪いにかかるオビトだが――途端に黒い棘状の物体が顔面から生え出、伸ばされた腕ごと貫通すると、いくつも枝分かれして全身を貫いた。黒ゼツは力を振り絞り頭を上げる。
「コノ眼ハ大事ナ道具……器以上ニ護リヲ施シテイテナ。今ノオ前ラニハ無理ダ」
「……前の転写封印といい、念を入れたのは同じか」
血の花は一滴も咲かない。刺し傷一つないまま後退したオビトは、自らを見上げる輪廻眼の視線を捉えた。威圧を含んだ赤い目が黒ゼツを見下ろし睨みつける。
オビトの掌から生えた突起が、柱間細胞の白い表皮を突き破り出てきた。瞬時に生成した鋭利な木の棒を手に掴み、黒ゼツの首元に突きつけられる。察知した紫がオビトの隣に現れた。
「オ前トハイズレ……話シノ場ヲト思ッテイタガナ」
「こっちもだ」オビトの手に力がこもる。「各地で騒ぎを起こし、月人を狙い……純狐の件にしても、洗いざらい吐かせてやる。お前らの関係は分かっている」
オビトの鋭い視線が走り、樹の根から出入り口を経て、再び足元の黒ゼツに戻る。
「断ッタラドウナル?」
「その目が闇を映す破目になる。欲しい物も手に入らない。今はオレが優位だ」
「確カニナ」黒ゼツの口元が裂ける。「奴ハドウニモ気紛レデナ……悪イガ居場所ハ知ラナイ。目的ハ前ニ話シタ通リダ……アノ話ニ嘘ハナイ」
大筒木カグヤの復活。判り切った計画の大見出しなど今や重要ではない。問題は目的達成に至るまでの過程の方だ。それを全て白日の下に晒さなければ、ここで黒ゼツを跡形もなく滅却しても終わらない。現時点で最も厄介な純狐を含め、後に何が控えているかも判らない。様々な疑念や不明瞭な点を残したまま幕を下ろしたとして、円満な終わり方など迎えられようか。
余力を残す二人に対して、黒ゼツは不出来な器で命を繋ぎ、輪廻眼の瞳力を扱える状態でもない。そんな中で薄紫色の目が細まり、くぐもった声を洞窟内に響かせた。圧倒的な実力差を理解しながら、絶体絶命の状況で笑っている。
「あら」紫は冷徹な目で見下ろす。「この程度で壊れるなら、とっくに潰れていたでしょう」
「面白イコトヲ言ウ……オ前トテ思イ通リノ流レニ乗レバ……ドンナ状況デモ喜ビハ込ミ上ゲルダロウ」
「理由はどこぞの都、かしら」
派手な装飾の扇子を紫が閉じると、黒ゼツの笑みが嘘のように掻き消えた。紫から発せられる重圧が黒ゼツを抑え込んでいるようだ。境界操作の能力を恐れずとも、心の乱れが生ずる余地はある。
「私自らが身を投じても掌握できなかった、永遠なる楽園。数にして二回。そんな彼らの目を盗み手を出せたから、私を前にするこの状況でも笑いが止まらない――それなら判りやすくて、助かるのだけど」
「ソウダナ」黒ゼツの眼が紫を捉える。「数ハ知ランガ……過去ニ幾度トナクアレニ戦イヲ挑ミ……ソノ度ニ悔シイ思イヲシタラシイ者ガ証言シテナ……年月ガ経ツゴトニ恨ミハ増大シ……今ヤ体ノ外ニマデ溢レテイルソウダ。ダガ手出シナドシテイナイサ……オレノ方ハナ」
「恨み? 何の話だ」オビトが鋭く問いかける。
「サアナ……事情ナド知ッタコトデハナイ……オレニトッテノ重要ゴトハ……地上ノ人間ヤ妖怪共ヲ遥カニ凌駕シタ力ヲ秘メル月ノ民……五大国ヤ幻想郷ナド遠ク及バナイ……『神』ニ並ブホドノチャクラヲ持ツ種族ダト」
月の都は外界や幻想郷すら遥かに超えた軍事力を擁する大国で、八雲紫すら及びもつかないぶっ飛んだ連中が住んでいる。大まかな情報は咲夜や霊夢、元月人である鈴仙とのやり取り、阿求の幻想郷縁起など書物からも得られた。これらは幻想郷の住民達を取り巻く常識として受け入れられている。そして今度は忍界出身の黒ゼツが、都との比較に五大国の話まで持ち出した。
幻想郷にはレミリアや紫、此度の純狐を始めとして、忍界で言う五影並かそれ以上の強さを内包する者達が数多く居る。これまで散々と忍界の物差しや常識をぶち壊された現実もある。黒ゼツの言葉を鵜呑みにはしまいが、都の存在や大きさに疑いなど抱きようがなく、今さら抱く気にもなれない。
「コッチトシテモ手コズッテイテナ……イズレオ前ニモ解ル時ガ来ル……否ガ応デモナ」
黒ゼツが言い終えた時、紫の顔色が明らかに変わった。
「真実は凄惨な結論を突きつける。読み通りの道を辿るのなら、巡り廻ってもお前に勝ちの目は出ない。随分と潔いじゃないか?」
紫の急変を逸早く感じ取ったオビト。賢者と呼ばれる大妖怪の威圧感が増している。不気味に笑んでいた黒ゼツが怯んだように見えた。
「話デ聞ク以上ノ輩ダ……今ノオレデナケレバ……少ナクトモ五日前ノオレナラ……コノ重圧ダケデ今マサニ潰サレテイタ」
黒ゼツの何気ない言葉を聞いた瞬間、眉をひそめて「五日?」と呟いたオビト。
今のオビトには黒ゼツの真意が掴めない。続投したい疑問を噛み殺し、先ほどよりも深々と注意を向ける。脳裏を走った衝撃で硬直せざるを得なかった。
「何カ勘違イシテイルヨウダナ……急ニ放リ込マレタ身デハ……惑イガ消エナイノモ仕方アルマイガ」
ここで初めてオビトは目を見開いた。何故に決めつけたのか? 妖怪の山にて目を覚ましたあの日に、目の前の輩が都合よく計画のための暗躍を始めたなどと。幻想郷へ入ってから目覚めるまでの空白の時間など考えもしなかった。山に放り込まれて四日も経っていないのだ。黒ゼツはにやりと口元を歪める。
「コノ世界ヲ知リ……純狐ホドノ輩ト手ヲ組ンデ……希少ナ月ノ情報ヲ得ルマデニ至ル。コノ短期間ノ動キダケデハ相当ナ重労働ダ……生憎トオレハ余裕ヲ持ッテ行動スル性分デナ」
黒ゼツの頭が力なく垂れた。何度か不気味に痙攣すると、再び持ち上げられる。
「オビト……オ前以外ニモ儲ケハアッタ……因縁ノ再会ヲ祝シテ……昔ノヨシミニゴ挨拶サセルノモイイ」
紫はオビトの動作を超えて反応した。黒ゼツの頭上で浮き出るように現れたのは、月人を連れ去った張本人――金髪を振り乱して笑う彼女を、間髪容れずスキマが捕獲し丸呑みにしたのだ。
「手荒いではないか。地上の賢者よ」
間もなく宙に亀裂が入り、空間を破り再び現れたのは、黒幕一人たる仙霊。
単純な物理や精神の類には止まらず、概念に作用する境界操作の力をもろに食らい、無傷では済まなかった様子の純狐。オビトを相手に余裕で立ち回っていた純狐の額から血が伝っている。
地に伏した黒ゼツの横に降り立つと、純狐は「こんばんは」と嫌に爽やかな挨拶を発した。目の前のオビトに愛想よく笑いかけた後で、紫にも視線が注がれる。
「丸焦げ。いやいや、挽き肉を危惧したではないか、こやつめ」
「屠る理由と屠れる隙があれば、屠れる限り屠る性分ですのよ。これでもね」
八雲紫と純狐が向かい合う。両者共に胡散臭さと力量では他の追随を許さない。負けず劣らずの表情でにっこり笑いの純狐を映した紫。
「よくもまあ、今のを抑えて体の原形を残せたものね……総面積の九十九%以上を保つなんて、本当に馬鹿馬鹿しい。慣れのある計算ほど油断が生じて間違えやすい、ってことかしら」
「とんでもない」純狐が大げさに否定する。「あれだけの密度を誇る空間を瞬時に組み立てたのだ。貴女の頭脳は我々の常を逸しているよ。天文学的数値すら退屈なさいころの目に変える。素晴らしきことこの上なしね」
「……あっそう」
「けども私はね、お前を摘む気分でもないだよ、ユカリ。そこの俗物に用があって――」
そう言いつつ眼下に掌を向けた瞬間、空を切った鋭利な木の棒が腕を貫通する。棒は印が結ばれる前に謎の力を受けて砕け散った。
妨害された純狐はオビトに貌を向けると、にこにこしながら唇を舐めた。紫の干渉を受けた影響か、難攻不落だった余裕の表情が微かに歪んだのを、オビトは遠目でも見逃さなかった。
「キミはやっぱり面白いねオビトくん。この私の歩みを止めてくれるのかな?」
「お前ではない」
「うん?」
「お前らの、だ。どっちだろうが、くだらん企みは叩き潰す」
「なんとなんと、熱い子だ。ふむ……どうにかして欲しい子なのだがね。どうしたものか」
興味深げにオビトを覗いて思案する純狐に、黒ゼツは「遊ビガ多イ」と冷たく言い放った。純狐は「外野がうるさいね」と言いたげな視線でオビトに同意を求めるも本人は無反応。
「はいはい、わかったわ。さっさと――」
「同感だが……その余裕は本物か?」
珍しくオビトが同調した相手は純狐ではなく黒ゼツだった。非友好的な関係で因縁もあるとはいえ、得体のしれない純狐に対して思うところは、同じ忍界出身の者として重なる部分が多い。
――純化の効力が作用した結果なのか、純狐の額には傷跡一つ残っていないが、先ほどの血は幻術でも何でもなかった。紫の境界操作が通用した証だ。
万華鏡すら無力化する神の遊びに興じようと、その力に紫の助力が功を奏し密に重なった今、打ち消し合い残るのは一つの『隙間』のみ。その僅かな隙間になら、一見無力と思われる力でも確実に届く。この眼を持ちながら絶好の機を逃すはずもない。
「え――」
純狐は初めて驚愕の色を見せた。出遅れつつも左手を動かしたが、忍であるオビトの方が遥かに速く早かった。純狐の胸部から大量の血飛沫が噴出し、地面に力なく膝を着くと、血塗れの胸を押さえて狼狽する。
しばらくは呻いていたが、やがて地に伏して動かなくなった。
紫の力添えで隙を作り仕留めるため、神威で歪ませた空間の捻じれに巻き込んだ。
空間とその内に存在する『もの』は明確な上下関係にある。紫の言葉を拝借するなら、ものの上に立つ『空間』が下を押し退けて、『形状』を強制的に変化させるのは自明の理である。
純狐を見下ろすオビト。結果として目の前には分身ではない、本物の純狐の骸が転がっている。
呆気なさ過ぎて腑に落ちない。閊えている感覚の正体が分からない。骸から移りかけた紫の視線にオビトは気づかなかった。
「シブトクモ本物ノヨウダナ」
黒ゼツがそう呟いた瞬間、二人の背後に現れたのは純狐。オビトの耳元に口を近づけると、小さな声で「はずれ」と囁いた。紫が振り向くと同時に姿を消すと、次いで自らの骸の真上に浮かび上がる。
拘束された黒ゼツにかざされる手。すかさず紫がスキマで二人を狙うも、純狐の手が空を掴む動作をした瞬間、今度は紫の動きが凍りついたように静止した。
「仙霊の能力。ハナからお前は……」
苦しげな表情の紫を目の当たりにして合点がいった。チャクラの性質と能力を理解し切れていない状態で、写輪眼でも看破できない分身体を判別し、その大元である純狐の正体を見破るなどできるはずもない。
神の『分霊』は忍界の影分身と違って、本体のほぼ百%の力を宿す。紫をも欺くほど精巧な分身を作り出すなら、純狐は神の類として異常性が突出している。
「贅沢にも二度楽しませてもらった。感謝してもし切れないよ、キミにはね」
「不思議ね、見抜けないなんて。親切心で教えていただけると助かるわ」
微笑する紫に優しげな表情を向ける純狐。動きが止まろうが鮮血が噴き出そうが冷静さを失わない二人は似通う部分が多い。
「境界干渉は神にも等しい異能です。然るに能力とは、扱う者により程度が変わるもの。妖の域を出ない貴殿の力では、必然的に抜け穴ができる。私は至極単純なソレを突いたにすぎない」
「……ふざけた理屈を」オビトは歯噛みする。
「物事は多面的に成り立っています。あなたたちの敗因はただ二つ。どちらも私ではなかったこと、この私を理解していなかったこと。以上です」
純狐の干渉を受けた紫は沈黙を余儀なくされ、冷徹な眼で足元を見つめている。その間に純狐が何かを早口に唱えると、黒ゼツを縛っていた縄が煙となり霧消した。紫に生じた乱れを突かれたことで、チャクラによる制御が均衡を崩されたのだ。
自由を得た黒ゼツは杭を引き抜き、立ち上がるなり印を結んだ。
「雷遁『偽暗』」
黒い両手より青白い光を発すると、目も眩む雷撃が地面を這いずり枝分かれしながら二人を襲った。輪廻眼の保有者に許されたチャクラの五大性質変化の一角だ。
紫はスキマを開こうとするも動けない。咄嗟に動作したオビトがその手を掴み、右眼を中心に渦を発生させる。純狐が興味津々に眺める中、二人は大規模な雷撃の嵐に呑み込まれた。
轟音と共に洞窟は部分的な崩落を起こし、岩石の雨が激しく岩盤を打つ。
「奴ラノ様子ハドウダ」
薄紫色の瞳が本体たる純狐を捉える。黒ゼツが「ソイツモ片ヅケロ」と付け足すと、純狐はため息を漏らしつつ指を鳴らし、血を流して事切れている分霊をかき消した。周辺を濡らしていた血溜まりも全て消失する。
「どうって、違った試しがないね。呆れるほどの平和ボケだ。退屈で無意味な餅つきばかり」
「オ前ニ貸シタアレノ方ハ……持チ帰ッタノダロウナ」
「置き忘れたわ。ごめんなさいね、取りに戻った方がいいかな?」
「必要ナイ」器が印を結び、両手を地面に着ける。「ゴ挨拶ノ時間ハ遅ラセナイ――」
地を広がる術式、轟音が響き渡る。紫と共に難を逃れて砂塵の中から姿を現し、再び地面に降り立った時、オビトは嫌でも覚えのある木棺を目の当たりにした。しかもそれだけではない。
砂利や土埃を被った棺の蓋が鈍い音を立てて倒れ、暗がりより踏み出したのは黙するべき者の姿。六道仙人の子・アシュラと仲違いした、その兄インドラの転生者であり、忍界を救った英雄の一人・うちはサスケの前任者だった男。オビトと共に時空を越えて現れた伝説の忍。
蘇りし男は顔を上げると、長い黒髪から赤黒い直巴を覗かせた。