THE LAST PHANTASM -OBITO- 作:大兄貴
誰もいない空っぽの境内にて、鈴仙は途方に暮れるしかなかった。呆然と立ち尽くすしかなかった。あまりにも突然すぎた出来事は、あまりにも呆気なく終わりを告げた。
元玉兎である鈴仙は何もできず、黙して見ていることしかできなかった。純狐のような敵対勢力でもない月の都、それも元上司という立場の者の手により、境界の妖怪賢者・八雲紫のみならず、世話を焼かれるはずだった博麗霊夢が連れ去られる様子を。
「ああ――…」
空虚なる月下に独り。境内に膝を着いて頭を抱える。胸がざわつき孤独が覆い被さる。心を蝕む。地球の軌道さえ狂わせて、明けない夜を願いたかった。
消えたのは師である永琳や輝夜だけではない。永遠亭の襲撃を経て、一夜でも拠り所となるはずだった巫女を失った。心の近しい人間も。傍に居てくれる者は誰もいない。この月夜に独り地上に留まり、憎々しいほど綺麗な月の眼を仰ぎ見たい衝動に駆られた。誰かが居てくれるのなら、大げさな言葉を声高々に叫び続けてもいい――。
全てを投げ出して月を仰ごうとした時だった。風を切る音が聞こえたかと思えば、木の葉を巻き込むつむじ風が境内に発生し、中から一人の妖怪が現れた。黒髪に短いスカート、古臭い写真機を手に、とびきりの営業スマイルを浮かべている。底がやたらと高い一本歯の下駄が、カランと乾いた音を立てた。
広い境内をしばらくキョロキョロと見回した後、本殿の前に座り込む兎を捕捉する好奇の眼。恰好の獲物を見つけたと言わんばかりに口元をにやりと歪ませ、「どーもォー!」と騒がしい声を上げながら駆け寄る。
「清く正しい幻想郷伝説のブン屋、超敏腕新聞記者・射命丸文でございます! この度はなんと言いますか、境界の妖怪と鬼巫女が消えた幻想郷! 絶体絶命陸の孤島!? みたいな流れでキンキン金色の変人たちが大事件を引き起こしたようで、私見としては至上の好奇と愉悦が混沌たる渦に巻かれて色彩豊かに延々グルグルと――」
狂い始めていた雰囲気を別の狂いっぷりで見事にぶち壊した文だが、機関銃のごとく乱射された早口言葉は、胸の辺りを襲った柔らかい感触に押し負かされた。
境内にしゃがんで雑草をもそもそと食していた(と思っていた)兎が一匹、胸の中で嗚咽を漏らしている。驚いた文は胡散臭い笑みをいったん消し去り、彼女には珍しい困惑した表情で「あやややや」と苦笑した。しわくちゃの耳が鼻の辺りをくすぐっている。
「兎は寂しいと死んでしまう……実際にはでたらめなこの文句も、捻くれ者だらけの世界では強ち嘘ではないのかもですねえ。で、あのド派手な金箔集団はかの有名な月人さんで正解ですか、優曇華院さん?」
ごり押し営業で鍛えた頭をフル回転させながら、文は若干鬱陶しげに鈴仙を引き剥がした。鈴仙は涙を溜めた上目遣いで見つめている。あまりにもか弱い表情で、文が男なら思わず抱きしめる場面かもしれない。
「……やり難いんですけども。あのイナバさん、お尻とか撫で回しちゃう流れですよ? あんまりくっつくと私、お体に触りますよ」
恥じらい乙女を暴力的に変貌させる禁句を堂々と言い放つも、鈴仙は再び胸に顔を埋めて泣き始めてしまう。普段は他人を困らせる側の文だが、このような難局では一方的に困惑するばかりで、猫や狐以上の何かに化かされ摘ままれた気分である。
「大変困りましたねえ。普段はワンセットの魔法使いもいないし、退屈極まりない無人の境内に留まるのもアレだし……この人やたら寂しそうに泣くし。面倒だしその辺に放って――」
二人しか居ない場で実況染みた喋りを展開する文。取材対象が消えた上に鈴仙もこの調子である。今夜は早々に引き上げて、例の外来人探しのために備えよう。と、考えた辺りで文は思い出した。
個人的に興味を惹かれた、または惹かれる可能性を肯定して抜粋した情報の一つ。なんでも霧に包まれた湖にある悪魔の館で現在、月旅行のための大筒を性懲りもなく製作中とのことだ。見飽きた有象無象が跋扈する中、新鮮さを噛み締めるのに最も適した場所は、この状況では一箇所しかないと判断できる。
この地に現れてだいぶ経った今でも謎に包まれた部分が多く、絡むと愉快な悪魔が日々我侭を撒き散らす洋館――。
「――といった経緯でわざわざ、鈴仙さんを連れて来たわけです。そんなわけで大筒見せてください」
「いや、急に来て『そんなわけ』言われても……」
湖中央の小島、壮大な紅い館の門にて。門番である美鈴は戸惑いを見せていた。目の前で得意げに振舞う天狗の首には、取材用の古ぼけた写真機がぶら下がっている。
はっきり言って射命丸文は胡散臭い。鈴仙は此度の乗り込みメンバーの一人となる予定なので、館主であるレミリアの手前まだ信用できるが、よりによって他種族に排他的で閉鎖的な社会に身を置く天狗であり、館内のみならず外部からの信用度すら最底辺の輩が訪れるとは。
鈴仙を置いて丁重にお帰りいただこうと交渉した美鈴だが、文は首を傾げて「お茶も出さないんですか?」の一点張り。鈴仙を無事に送り届けた自分にも入館する権利があると主張し続けていた。
「……事情は分かったし、鈴仙さんを連れて来てくれたのは礼を言うけど。今は忙しいのよ。お願いだから今夜は帰ってくれない? お茶なら明日以降いつでも出すから」
今回に限っては鈴仙も当事者である。大筒が完成するまでの居候先だった神社の巫女が月人に連れ去られたのなら、鈴仙の身柄は代わりに館で預かるべきだし、寛容なレミリアも歓迎するだろう。射命丸文は例外として。
「そこをなんとか。今さら妖怪の一匹程度紛れても問題ないでしょう?」
「問題しかないです。信用できません」
「今回は大人しくしてますって。私をその辺の妖精と一緒にしないでくださいよ。ねえ、門番さん?」
「本心からお断りします」
危険な連中の暗躍を受けた館主が大図書館の魔女に指示を出し、現在の紅魔館は用心のための鉄壁の護りが機能している。館を中心に張り巡らせた多層の防護壁が建物と敷地を外部から一時的に断絶させ、正門以外からは虫一匹入り込めない現状。自由奔放な文が断りもなく勝手に侵入したりせず、律儀に話をつけに姿を見せた理由である。
「おやおや……頑固者ですね。この私を弾けば、今後うっかり筆を滑らせる破目になりますよ。幻想郷における館主さん、ひいては紅魔館の大幅なイメージ低下も避けられませんねえ。元々ゼロでなければですけど」
「ふっ」得意のポーズをとる美鈴。「残念ですが新聞記者さん……評価云々での脅しなど我々には通用しないわ。世間のくだらない評判に囚われ屈するほど、お嬢様の器は――」
「門番さん」
透き通るような声を聞いて文から視線を外した美鈴。鈴仙は純真無垢な乙女よろしく胸の前で指を組んでいる。彼女をよく知らない二人には演技かどうかの判別がつかない。
「あの、この人の新聞は捏造記事も多いです。永遠亭の妖怪達にも信用されてません。でもこの人なりに、一応私に気を遣ってくれたんです。こんな時ですし……どうか私からもお願いします」
「全然フォローになってないわよ、鈴仙ェ……」
文は頭を掻いたが、鈴仙はきょとんとしている。美鈴は少し考え込んだ後で息を吐いた。
「もういいわ。ヘンな真似はしないって誓えるなら、今回は特別に見学させてあげる。くだらない押し問答はさっさと終わらせたいしね」
「おおっ、そうこなくては! いやーアレコレ言っても最後は分かってくれるチョロい方だと助かりますねホント! ありがとうございます!」
「……余計な言葉も聞こえたけどね」
きししと笑う無遠慮な天狗を眺めながら、門番は仕方なしに踵を返した。
――◇◇◇
館の巨大な地下空間の一角に収まる図書館。適当な板で壁の補強を繰り返し、結果的には粗末な外観に仕上がった大筒が、背の高い本棚の群に囲まれた空間の中央にそびえている。宇宙空間を突き進める物にしては雑すぎると、傍から見たらそう思えるが、実際には良い意味での見かけ倒しである。パチュリーの汎用的かつ高度な魔術が幾重にもかけ合わされ、外界の大筒より高性能な宇宙船として十全に機能する。
製作を(読書と紅茶を優雅に愉しみつつ)指揮するパチュリー、複数の小悪魔、メイドの咲夜と館主のレミリア、頭上から皆を見下ろす花の妖精。そんな中で二人を伴った美鈴が姿を現し、製作現場にかかわる全員が振り向いた。咲夜が開口一番「どうして天狗が?」と鋭い口調で問いかけても、美鈴は愛想笑いを浮かべるしかない。館を実質的に仕切るメイド長には、人妖である彼女も立場の違いで逆らえない。
「あはは……追い出した方がよかったですかね、やっぱり」
「悩む暇があったら殺りなさい」
「構わないわ、咲夜」欠伸するレミリア。「鼻についたら屠ればいいだけだし。どうぞ? 新聞記者さん」
「どうもどうも。いやあ皆さん、お揃いで」
文は物怖じせず恭しく敬礼するなり、目を輝かせて大筒の方に駆けていった。
「……そしてコレが……おおお、まさに流星ロケッツ。ふむふむ、雑な作りの中に魔力の枝が緻密に張り巡らされ、自己生成した粒子を各部位に供給し続け……ほうほう興味を惹かれますね。忘れずに記録記録っと」
「お嬢様。お耳に入れておきたいことが――」
カメラのシャッターを一人夢中で切りまくる文を無視して、美鈴は面倒臭そうな表情のレミリアに経緯を話そうとしたが、鈴仙が「あの」と遠慮がちに口を開いた。
すうっと深呼吸すると、当事者自らが話し始める。空から現れた依姫と月の使者が、永琳の告発状なる物を根拠に巫女の霊夢、管理者である紫をも月へ連れ去ったこと。ここに居る皆が――とりわけレミリアが雷に打たれたような貌で「ハァ!?」と大声を上げた。予想の遥か斜め上の出来事だったせいか、普段は冷静沈着なパチュリーも驚きに目を開いている。
よろよろと机に腰を下ろし、力尽きたように仰向けで倒れ込んだレミリア。主に慌てて駆け寄る咲夜。従者の手が触れる前に体を起こすと、「兎!」と憤るなり不安げな鈴仙を指差した。
「なんで戦って止めなかった! 奴らにしたって、大人しく捕まったってどーいうことだ!?」
「霊夢も馬鹿ではありません。話が本当なら、賢明な判断かと思われます」
「あー?」咲夜にも突っかかるレミリア。「あなたまで何を言うのっ!」
「綿月依姫を倒す力など、残念ながら博麗の巫女にも、我々にもありません。奇跡が起きて退けられたとしても、月からの援軍に対抗し続けるのに、同じ奇跡が長続きするかと問われたら……安易に亀裂を作るのは避けるべきです」
「うむむ……由々しき事態だ。この私がその場にいたら……!」
従者と共に都と因縁のあるレミリア。依姫の澄ました貌を思い出すとむかっ腹が立った。見かねたパチュリーが椅子から腰を上げて「落ち着きなさい」と肩に触れる。
「咲夜の言う通りよ。そう考えて従ったのでしょう。二人とも」
「どうするんだ」レミリアは歯噛みする。「――このままでは表の月にすら辿り着けない。あの住吉なんたらがなければ……他に確実な手はないの、パチェ?」
「ないこともないけど」
眼鏡をかけて本の山から一冊の魔導書を手に取り、机の上に開いて置いたパチュリー。何ページか捲って早口に何かを唱えると、ページから浮かび上がった七色の光を丁寧に掬い、急かすような表情のレミリアに見せる。
「――推進力の源よ。万一にと思って、住吉三神の力を限りなく模倣した物。巧い具合に調節して突っ込めば、代わりとして機能しなくもない」
「でも万能じゃないんだろう? 似せたにすぎないなら。歯切れも悪いし」
「問題が山積みでね」書物に視線を戻すパチュリー。「この限られた時間で用意できる物なんて知れてる。神霊のエネルギーには遠く及ばないわ。私の魔術には色々細かい制約があるし、魔力にも限界がある……宇宙空間を通って月の結界を越えるには足りないし、相応の物を作るならロケットより手間も時間もかかる。そこをクリアしても、結界をやり過ごせる可能性は低いわね。七曜による制約を超えた新たな原理を、魔術の根源的な考え方の下で解釈する場合――」
「……結構。わかったからもう」
「地上での調査を通じて情報を集めていけば、連中の手がかりと一緒に他の方法も見つかるかもしれません。お嬢様、我々には今できることを」
咲夜の毅然とした言葉を素直に受け入れられないレミリア。大筒が完成する一歩手前で推進力を奪われるなど、運が悪い上にタイミングとしては最悪だ。咲夜の言い方からしても、打つ手が思い浮かばないのは同じらしい。
「ここまでやってそりゃないわよ……アレもコレも全部、お馬鹿な月の連中のせいで」
空気を読まない月人の振る舞いが腹立たしい。今頃は捕縛した霊夢達の尋問なり呑気に行っているに違いない。堅物真面目な恩師大好き依姫のことだ、永琳から届いた文書とやらの前ではてこでも主張を譲らないだろう。鈴仙曰く自らの意思ではないとはいえ、永琳本人が書いて送った物に変わりはない。それほどまでに師を信じ込んでいる。
話し合いの場を設けても無駄だろう。今回の騒動は明らかに招かれざる要因が出しゃばりに来ている。レミリアは心の内で容赦なく月人に毒づいた。
「…………」
友人や部下にここまでやらせておいて、今さら月面侵略計画を白紙に戻せるものか。手段はどうあれ結果は残さねばならない。何よりここで取り下げては、憎たらしい依姫の勝ちを認めることになる。誇り高き吸血鬼としての自尊心が敗北を許さない。外見相応に子供っぽく負けず嫌いな元々の性格も重なり、一度決したレミリアの意志は強かだった。
その場を右往左往しつつ思案した後、決意したようにパチュリーを見返す。
「あいつの出番よ。行方はまだ掴めないの?」
「今のところはね」
質問の意図をパチュリーは理解していた。今まで黙っていた妖精も上階の本棚から下りてくる。
霊夢や紫の能力とは異なり、あの人間の力は可能性の一つとして考えるに止まり、月へ至るための有効な手段としては確立されていない。見知った幻想の地でさえ未知の事柄は多いのに、忍界など今まで存在すら知り得なかった世界だ。それこそ幻想郷にとっての非常識そのもの。解明に辿り着くまでには時間が足りなさすぎる。
「私も万一にと思って、湖周辺の感知なり、小悪魔に外を探させるなりしてたんだけど。こうも手がかりがないんじゃお手上げね。手だけに手段も」
「こんの大変な時に、どこでなにやってんのよアイツはァ……!」
「……そこの天狗。あなたは見てないの? 天狗なら色々と見たり聞いたりできたでしょう。月人に気づかれなかったくらいだし」
一人地団太を踏むレミリアを余所に、咲夜がロケットの方へ声を投げると、機体の三段目に腰かけメモをとっていた文が振り向いた。立ち上がり軽やかな動作で着地すると、不敵なにやり顔を貼りつけ近づいてくる。そして――「見てないです」と自慢げな一言。
長い爪をぎらつかせて威嚇する主を押さえながら、咲夜は心底失望した表情で文を眺めた。
「勘弁してくださいよ」慌てて後ずさる文。「あの人間をストーキングしたいのは同じですよ? 件の騒ぎにしたって、竹林がもぬけの殻になる前に取材したかったですし」
「あなたと一緒にしないで」
「ど真ん中ねこいつ」レミリアもジトッとした目で見る。
「いやだって、あの能力ですよ? なんですかアレ。前は運よく神社で見かけたんで記事にできましたけど、ここに滞在して以降は足取りすら掴めないんですもん。用心深さが重なろうものなら、書けるもんも書けませんってそりゃ」
「肝心な時に役立たずね。なんだかプチッときたわ」
「一理あるけどね」
魔導書に目を通しつつ呟いたパチュリー。館の地下空間で繰り広げられたフランドールとの遊び、その後のレミリアとの戦闘記録を自分なりに解析し、今後のことも考えてオビトの能力の詳細を掴み始めていた。
――左右の眼で個別の名称があるかは不明だが、大まかに分けると近距離特化型の転送、遠距離特化型の転送の二つ。
前者は自分や近くのものを対象に発動する。実体分離効果を有し、自身の実体を別の場所へ転送できる。要するに幽体離脱の逆である。実体が離れて残る霊体の方は、姿形が不変なので見分けがつかず、相手はオビトが攻撃をすり抜けたと錯覚する。能力の特性上、初見ではまず見抜けず、敵対者の虚を確実に突ける。ちなみに実体分離は時間制限があり、成仏しない限りは半永久的に霊体で居続ける幽霊や、手で触れられる亡霊とも根本から異なる。
後者はそれ以外のものを対象とする。転移対象を限定しないため、敵の攻撃を無効化する回避技はもちろん、首を狙って使えば即死技に変化する。右眼で洞察なりすり抜けなりで敵の隙を突き、同時に左眼で首を飛ばせば一瞬で勝負がつくことになる。神威の瞳力は魔術的な観点から見ても興味深く、新たな分野として研究のし甲斐があった。しかも『忍界』に関連する情報は、膨大な蔵書数を誇る大図書館にすら存在しない。魔界や夢幻界などの他所にしても同様。
転送先についてだが、体感したフランドール曰く「崖の上」、とある妖精メイド曰く「幻想郷にはない場所」に立っていた。別空間への道を開く力なら、魔界や天界のように幻想郷とは異なる独自の空間を司る能力と推測できる。互いに距離の概念が存在しない空間同士を繋ぐ力である以上、理論と解釈次第では特定の結界の中と外、別空間や世界同士を行き来できる可能性を秘めている。
境界を操る紫が消えて、大筒もオシャカにされた現状、オビトの力を借りる他ない。月の結界を越える最後の手段として。
「……探しに行く」
静かな言葉に全員の目が向けられる。妖精は金色の瞳でレミリア達を見つめ返す。空気の読めない文がにやつきながら「噂のオビト大好き妖精ですか?」とからかい気味に問うと、妖精は目を瞬き「うるさい」と言い返した。パチュリーは待ったをかける。
「さっきそのお調子天狗が言ったでしょ? 探すにしても幻想郷は広い。それにあの能力では探しようがないわ」
「わかってる」妖精は視線を上げた。「けどわたしにも、何かできるかもしれない。だったらできるまで動く。このままじゃ変わらないから」
「収まらない子ねえ」レミリアは微笑む。「嫌いではないけれど。小妖精にしては外に出てるし愉快だわ。うちの金太郎飴みたいな妖精メイドと取替えっこしたいくらい」
「この子も一応メイドですよ。メイドの新妖精」
咲夜はくすっと笑う。メモ帳を手に目を光らせる文、燃え滾る記者魂が火を噴いている。
「ほほう。我々の社会に生きる逸れ妖精が、規律も環境も異なる吸血鬼の館で嫁修業ですか。これはこれで面白い記事が書けそうですねェ」
「だからそんなんじゃ……」
「ともかく」レミリアは机から降りた。「あの二人がいない。ロケットも羽衣も使えない。もうあの人間を探すしかないわね」
「月へ到達するための有用な移動手段としては足りない。様々な要因において大部分が仮説の域を出ず……手段として確立されるには遠い。時間が限られているのは解るけど、そんな不確かな形でもやるの?」
「当然。行き当たりばったり上等」パチュリーの落ち着いた言葉に、自信満々な貌で返答するレミリア。「あとそこの馬鹿天狗。我々の秘密を知った以上、捜索には手ェ貸してもらうから」
「その辺はご心配なく。あなた方のお仲間を名乗る義理はありませんけど、然るべき対価は支払う主義です。れっきとした記者ですからねえ」
パチュリーの「自称ね」という呟きを華麗に無視して、文が親指を上げた瞬間だった。思わぬ来客が図書館内を突っ切ったのだ。
使い古された竹箒に跨り、一行の傍を彗星のごとく通りすぎ、勢い余って轟音と共に柱に激突したのは、魔女の帽子を被った金髪白黒の少女。後ろに乗っていたもう一人は激突の寸前に飛び上がり、軽やかな動作でレミリア達の前に着地した。
床に転がった帽子を拾うなりレミリアに手を振るが、本人は無反応で見てもいない。代わりに咲夜が冷徹な眼をギラリと向けた。
「……鼠を一匹確認しました。速やかに駆除致しますのでお下がりを、お嬢様」
「オイオイ」魔理沙は帽子を被る。「なんでコイツはカウントされないんだよ。文句なら私に出し抜かれた無能な門番に言っときな」
頭に手を当てる咲夜。先ほど門へ戻る途中、ブレーキ不能の暴走車にでも轢かれたのだろうか。
魔理沙は肩越しにもう一人の――人形師のアリス・マーガトロイドを指している。アリスは魔理沙の疑問に対し、魔導書を胸に抱いて「自業自得でしょう」と冷静に答えた。咲夜が考える泥棒とは、貸し出し禁止の図書館に頻繁な出入りをし、書物を許可なく永久に借り続けるような迷惑極まりない輩を言う。
銀のナイフを構えた咲夜をレミリアが制止する。流れに便乗したどこぞの記者が「豊富なネタづくし」とか言った。
「いやあ、神社に霊夢いないしさ。ここかなって思ったんだけど……色々わからんから、短文で説明してくれるか?」
「生意気に条件つけるのね」咳払いするパチュリー。「……黒幕の手がかりは月。巫女とスキマ妖怪が月人に誘拐。ロケット製作は無駄骨。オビトを探して粉骨砕身。以上が厄介ごと」
「オビト?」アリスは目を上げた。「ここに居ないの?」
「行方知れずなのよ」咲夜が答える。
「しかも霊夢の奴が誘拐だァ?」魔理沙は唖然としている。「んで紫まで居ないってヤバイだろ。なら膳は急げだ、奪い返しに行こうぜ! ロケットできてんだろ?」
「『無駄骨』って言ったでしょ。巫女が連れ去られたせいで、ロケットに必要な推進力が確保できないのよ。今やアレはただのガラクタ。神降ろしとかその辺は、前回の月旅行参加者のあんたなら分かるでしょうけど」
「じゃあ、オビトを探してるってのは?」
「月へ行くための手段」今度は咲夜が説明する。「……こうなった場合に備えてのね。オビトは八雲紫と同じ、空間同士を繋げる特異な力を持っている。あの者の力なら、地上から月の結界を越えて都に入り込める……ですよね、パチュリー様?」
「理論上はね。ロケットが潰された今、あの力を利用しない手はないでしょう」
「正直、あの人間に頼るのはアレだけど――」レミリアは立ち上がった。「――紫や狐よりはマシだし、余所者という面ではあいつも私たちと同類。この私が黒幕潰しって形で直々に借りを返せば、文句も出ないでしょう。今回は良しとするよ」
「プライド高いなお前。幼女のくせに高嶺の花でも気取ってんのか?」
「論外ですよ、魔理沙さん。あの胸では芽すら出てませんって」
魔理沙と文の体が小刻みに振動すると、銀の刃が黒帽子と頭襟を掠った。妙に切れのある構えをとった咲夜に、華麗にスルーしたレミリアが「咲夜」と話しかける。
「出かける前にあれの最終チェックをするわ。付き合ってくれる?」
「畏まりました」咲夜が頭を下げる。「パチュリー様。下賎な盗人と二枚舌鴉をお任せします」
「はいはい。行ってらっしゃい」
銀色の懐中時計が揺れる。咲夜が指を鳴らし、主人と従者はその場から忽然と姿を消した。
魔理沙は息を吐き、適当な椅子を引き寄せて腰かける。自然の流れで場は収まったが、レミリアに殺意があり、咲夜に一言「殺せ」と命じていたら、異変に関係なくあの世往きだっただろう。幻想郷最速の天狗にしても、時間操作の能力を持つ人間はなかなかに怖い。ただし、当の本人達は気にする素振りを見せなかった。
レミリアと咲夜が図書館から出て行った後、普段は勝ち気でお喋りな妖精も、結局は口を閉ざしたまま後を追うように去った。文も大筒の見物と製作の進み具合の観察が目的だったようで、何やらメモを取り終えるなり席を立って「それでは私も」と言い残すと、出入り口の方へ疾風のごとく飛び去り、鈴仙も二人に続いて静かに姿を消した。
残ったのはパチュリーを含む三人。超小型発火装置『八卦炉』の手入れをする魔理沙にアリスが話しかける。
「私たちも行くわよ。目覚めたばかりに加えて、急展開すぎて混乱してるけど……とにかく霊夢は無実の罪で都に囚われている。月へ行くためには、あの人の力が必要ってことでしょ?」
「らしいな」魔理沙は竹箒を引っ掴んだ。「けど私としちゃ、化け茸の件で借りがあるからなあ。返さないうちにまた作るってのも気が進まないが、時間がないんなら仕方ないな」
「本は返さないのに、そこは気にするのね」
「分けて考えろってな」
「……よく言うわ」
――黒ゼツが操るマダラの転生体によって、強力な幻術に落とされていたアリス。
正気を失い長らく幻の中を彷徨っていたが、オビトとのやり取りの最中、写輪眼による干渉を受けて無事に解術された。その後は戦闘や解術の影響もあり、マーガトロイド邸の自室で眠り続けていた。それが約一時間前にようやく意識が回復し、居間で勝手にお菓子を摘まんでいた魔理沙に粗方の事情を聞いた後、魔法の森を飛び出して紅魔館へ向かったという流れである。
実のところ魔理沙もアリスも黒幕の姿は見ていない。だがこの状況をレミリア達に丸投げして黙っていられるほど、二人は幻想郷を粗末な世界とは思っていない。結界の管理者である紫のように、世界を守るといった大義は持たないが、異変の解決のために動く理由はある。平穏な日常を失いたくない気持ちは霊夢と共通している。
「さあて……あいつと面白おかしく駄弁ったり、茶菓をつまみ食いする、この私の愉快な生活を消そうってヤローだ。さっさと退治して、派手な宴会でも開こうぜ」
「相変わらず自己中ね、あんたって。霊夢と話が合うのも分かる気がするわ」
「そうか?」魔理沙は箒に跨り、パチュリーに視線を移した。「てなわけで。私が死んだ後にゃ、戸締りだけはきちんとしとけよ。じゃないと私を尊敬する魔理沙さん二号、三号まで借りに来ちまうからな。あっはっは」
「……あっそう」
魔理沙が箒に乗るなり「遅れるなよ!」と言い残して、快活に笑いながら飛び去った後も、慣れのあるパチュリーは理不尽な宣言に対して無関心を貫いてみせた。
眼鏡を外して疲れたように目を擦り、思いっきり体を伸ばす。取り残されたアリスと視線が合うと、二人は同時にため息を漏らした。いずれも元気爆発状態の魔理沙とは正反対の物静かな性格である。
「どうするの?」
「箒より速い、手頃な転移魔法陣をお願いするわ。正門まで」
頬杖をつくパチュリーに、アリスはそっと呟いた。